日本人の肖像(5)小津安二郎

だいたい1960年代の終わり頃まで、日本の映画は世界のなかで突出した質を持っていた。
小津安二郎、黒澤明、溝口健二、というような名前は、もしかすると日本でよりも日本の外でのほうが、ずっと有名だったかもしれなくて、たとえば小津安二郎について言えば、まるで小津の死霊と自分とのためだけにつくって、他の誰にも判らなくてもいいのさ、と言いたげな「東京画」を撮ったヴィム・ベンダースを初めとして、海外の監督や映画批評家たちが70年代80年代に盛んに取り上げだして、蓮実重彦が「再発見」するに至って、それまで忘れられていたのが復活して、また人々の記憶に戻ってきたようでした。

1995年にはまだ、VHSテープも出ていなくて、発売になったと聞いた義理叔父とふたり、フルーツケーキをおごってやるからと言われて付き合わされて、クルマで東京を探し回って、大船の松竹撮影所の前にある松竹ゆかりのCD屋で、やっと小津映画が全巻そろっているのを発見して、狂喜した叔父が全部買い占めていたのをおぼえている。
実は(記憶が混線して誤っている可能性はあるが)日にちまでおぼえていて、1月17日だったのは、そのちょうど同じ日が神戸で地震があった日だからで、その頃はまだ数が少なかった携帯電話の「車載キット」を通してアメリカのビジネスパートナーから心配して電話がかかってきて、地震を知らなかった叔父がびっくりしていた。

小津安二郎は、1963年に60歳で自分の誕生日というゴールに倒れ込むようにして死んだときには、すでに「過去の人」と見なされていて、何を撮っても同じ映画、観客に阿(おもね)っている、
体制べったりのくだらない作家、と後半の、いまでは傑作とされている「小早川家の秋」も「秋刀魚の味」も、さんざんな言われようだった。批評家たちの映画評に影響されて観客も劇場の半分くらいの入りだったようです。

大島渚や吉田喜重たちは小津くたばれの急先鋒で、当時から死ぬまで小津安二郎が無数に口走った「おれは豆腐屋なんだ。豆腐屋に豆腐以外のものをつくれったって無理だ」というような愚痴があちこちの記録に残っている。

国際映画祭に出せばどうか、という海外からの声があっても、松竹の役員たちの「小津くんの映画は日本の古い感覚の聴衆には受けるかもしれないが世界の人に認めてもらえるわけがない」という意見で、握りつぶされてばかりだった。
あくまで通俗的で芸術とは縁がない、という評価が、小津ファンも含めて、日本人の小津に対する評価だったようにみえます。

黒澤明やMira Nairは「美しい画像」へ強い憧れと美の実現への意志をもって、上り詰めていった。
Mira Nairは「カーマ・スートラ」で画面の美しさの極限に到達するが、映像美を追求することの映画自体への犠牲のおおきさを思って、Monsoon Wedding、The Namesakeとドラマ性とリアリティの世界へ回帰してゆく。

黒澤明は、どんどんどんどん映像美の階段を上り詰めて、物語性を顧みないほどになって、「天国と地獄」の軽快な通俗性を捨ててしまう。

では小津安二郎は、どんな映画の撮り方をしていたのかというと、ただ観たままを撮っていて、どこにも、思想的にも芸術的にも、焦眉することのない、ただぼんやりと眺めているように見えて、細部に至るまで批評がやむことのない小津安二郎の眼に映ったものを、そのまま写実的に映画で表現していった。

わざわざ眉根にしわを寄せて見出そうとしなくても、おれの目には意匠が剥がれた現実がちゃんと見えているさ、というひとに言わない自信が小津にはあったのでもあるでしょう。

ちょうど日本の風景を思い出す人が頭のなかで綾取りの糸のように空を区画する電線を消し薄汚い看板を消して、里山と呼ぶ、美しい田園を思い浮かべるように、小津は50年代60年代の日本の生活から、極く自然に醜悪な部分を消し去り、本質を細部とともに取り出して、「ほんとうには、どこにも存在しないのに、現実よりも日本的な日本」をスクリーンに展開してみせる。

日中戦争ちゅう、機関銃手として中国華北を転戦した小津安二郎は、太平洋戦争中は宣撫班として毎日毎日シンガポールでイギリス軍が残していった大量のハリウッド映画を観て過ごしているうちに戦争が終わってしまう。
「宣伝・戦意昂揚映画の傑作をつくる」という触れ込みだったが、ほんとうは、そんなくだらないものを監督する気はまるでなかったようです。

小津映画を観る外国人はすぐ気がつくように、小津は映画の物語の骨法を 日本でも人気があった「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」のBilly Wilderから引き継いでいる。
誇張した言い方をすれば、小津安二郎の映画が西洋の人間にわかりやすいのは、小津の映画がハリウッド全盛期の文法に従った「洋画」だからです。
日本的なものから遠くかけ離れた西洋映画を小津は、畳に這いつくばるようなローアングルから、知らん顔で撮り続けた。
「日本人しか判らない映画」と言われ続けて、腹を立てながら、映画がわからないやつらは、どうしようもない、と内心で苦笑していたでしょう

たぶん、自分自身では、当時の日本の監督のなかで最もハリウッド的な映画を撮っているのは自分であることを、当人はよく知っていた。

蓼科の「雲呼(うんこ)荘」と縁額を掲げた別荘で、寝転がって、脚本家の野田高悟と文字通り駄弁りながら、世間からは「やや退屈でドラマ性がないが、なんとなく最後まで観てしまう」と思われていたこのふたりの「映画屋」は、東京物語(1953)、秋日和(1960)小早川家の秋(1961)と奇跡のように世界の映画史上に残る傑作を生み出してゆく。

小津安二郎の映画にはギュスターヴ・モローの絵やジュゼッペ・ヴェルディの音楽に似たところがあって、細部が観念の上位に立っている。
小津安二郎の頃の映画用語で言えばイベント性はないが、ないが、というよりも故意に消し去っているが、眼を凝らすと凝縮したドラマに満ちていて、容易に人を虜にしてしまう。

ついでに余計なことを言うと小津の映画に対する考えはAlfred Hitchcockに最も似ているのでもあって、一見正反対に見えるこのふたりの映画には共通したところがたくさんあるが、杉村春子や中村伸郎のような、芸達者の、性格俳優、と言われるひとたちを要所に鼎足のように配置したあとは、安心したように、おもいきり美人の女優やハンサムな男優を画面のなかで動かした。
岡田茉莉子、司葉子、岸惠子、久我美子、大映から借りられるとなれば京マチ子に若尾文子、
男のほうでは佐分利信に佐田啓二、演技の上手下手は度外視してでも自分の映画に引っ張り込み、物差しで測って動作にダメを出して、ただお茶を手にとって飲むというただそれだけの所作を何十回もやり直させて、俳優が泣き出しても、泣き止むのを待って、また何回もダメをだした。
小津先生の映画に出るとロボット扱いされるから嫌だ、というのはいろいろな俳優が述べていて、笠智衆までが同じことを述懐している。

小津安二郎は天才であると同時に、あるいは天才であるがゆえに「現実をありのままに見る」文化の掉尾を飾る作家になった。
志賀直哉という人がいて、このひとは芸術家としてのありかたが、たいそう小津に似ているが、おおかたの日本の人と意見が異なっているのは判っていても小津のほうがすぐれた才能を持っていたと思う。

長くなったので、この辺で終わりにするが、最後にもうひとつ余計なことを書く。
小津安二郎が起用した「美人女優」で最も有名なのは原節子で、ほんとうをいうと、ぼくは原節子が美人なのかどうかよくわからない文化に属するが、
日本の過去の日本映画雑誌を見ても、この、日本の人には珍しいほど眼のおおきな人は、どのアンケートでも美人女優ナンバー1に選ばれている。

北鎌倉の小さな田んぼがある小径をぬけて、義理叔父が散歩の途中、友達に本を送るためにヤマト運輸の取り次ぎ所に立ち寄ったら、なんだかやたらに品の良いばーちゃんが、びっくりするような美しい日本語で店員と話している。
日本語の美しさに興味がある叔父は、よせばいいのに、いいとしこいて好奇心まるだしで、のびあがって肩越しに、アクセント、表現ともに、こんなに美しい日本語を話す人は、どんな字を書くのだろう、とのぞいてみたら
この女の人はチョー美しい文字で、会田昌江、と自分の名前を書いているところだった。

その瞬間、義理叔父は衝撃をうけてしまって、自分でも、なにがどうなったのかもわからず、平静でいるのに苦労したそーである。

その話を、酔っ払って聞かされたぼくと従兄弟(つまり義理叔父の息子)が、
「なんだ、それ?」
「くだらねー」というと、義理叔父は、大魔神が間延びしたような怒りの形相で、すっくと立ち上がって、どすどすと歩いて自分の書斎へ行ってしまった。
自分でも明示的に了解しがたい感情を、ガキどもに揶揄されて、くやしかったのでしょう。
小津安二郎が死ぬと芸能界から引退して、引退しただけではなく、姿をくらますように隠棲してしまった。
北鎌倉の小津が母親と住んだ家と円覚寺の黒い墓石の近くで、いまでも静かに暮らしている。

義理叔父がいいとしこいて、たかが元女優を見たくらいのことで錯乱した理由を、あのときでも、従兄弟もぼくも、ほんとうは知っていた。
イギリスで起きたことと照応すればすぐに判ることで、去ってゆく日本への哀惜は、あの年代以上のどの日本の人の心にもあって、「昔を懐かしむ」というのとは異なる、社会に起きたなにか不可逆的な変化を、自分の魂が一緒に連れ去られてしまった人のように、悲しんだのだと思われる。

そこでなにが失われたのか?
まだ、みなで一緒に考えたいと思っています。

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