焼け野原の豊穣_1

日本のことを思い出そうとしても、なんだか前世の記憶のようで、ぼんやりしている。 考えてみれば最後に日本を見てから、もう5年になる。

福島第一事故が起きる前は、よく出かけた。 子供のときに住んでいて、ちやほやされたのに味をしめてイギリスとニュージーランドの行き帰りの途中に寄ることが多かった。 1995年のちょうどサリン事件が起きたくらいから2000年の春まではシンガポールのほうが面白くなってしまって、このまるまる5年間はまったく行かなかったが、その他の年は、三日しかいなかった、という年はあるにしても、だいたい日本という国の顔を見にでかけていたのだと思う。 成田になじみのある外国人なら皆おなじ印象を口にするが、飛行機が九十九里浜の長い砂浜を交叉すると、晴れていれば左側に富士が見えて、やがて日本の特徴的な暗い色の緑が見えてくる。

清潔だが不便な空港をパスポートコントロールまで歩くと、長い行列があるが、長期滞在ビザをもった外国人の列は最も短くて、日本人たちよりもずっと早く階下のバゲージクレームに降りてゆける。 英語人たちの旅行フォーラムやexpatフォーラムを見ると、成田の入国管理はずいぶん評判が悪いが、ぼくは子供のときから、いちども嫌な思いをしたことがなくて、どういう状況で日本の入国管理官たちがフォーラムに書き込まれているような「非人間的な態度」をとるのか、いまひとつピンと来ない。 いちどなどは、十全外人計画に則って、5年11回の遠征期間ちゅう、その前年に七ヶ月という長期遠征をしたのに気づいた管理官が、パスポートを返しながら、にっこり笑って「お帰りなさい」と述べてくれたことがあって、とても嬉しかった。

日本はもともと規則が細かく、やかましくて、うんざりな国であるわりに、現場で運用する人たちは、やわらかくて、裁量を利かせて、規則が少ないが頭のわるい係官が多いアメリカやイギリスよりも気持ちよく暮らせる国だった。 日本が規則の表面そのままに息苦しい国になったのは、冗談ではなくて、インターネットで見るからに頭がわるそうな人々が、「それは規則違反だ」 「通報しました」と言い出してからで、いままでの変化を眺めていると、普通の国とはちょうど逆で、インターネットに住む人々が日本社会を住みにくくしてきた実感がある。

こんなところまで普通の社会と逆なのがいかにも日本で、福島事故以後、急速に質があがってはきたが、日本のインターネットはなにも新しいものを生み出さないどころか、程度の悪いコミュニティを形成して、ひたすら日本社会を悪くする方向でここまで来ている。 戦争中の隣組みたいなものだろうか。 どこかのサイトが「炎上」すると駆けつける人々は、要するに自分の体に火をつけて炎上させているのとおなじだが、あの人々には、日本語ネット全体が無意味化して、英語ネット世界に呑み込まれるまで、そういう理屈は永遠に判らないに違いない。

おれは、あの鉛のにおいがする空気を呼吸していないと生きている実感が湧かないのだ、と述べて、ずっと関西に住んでいたブッカー賞をもらったイギリス人の作家の随筆にも同じことが書いてあったが、日本を初めて訪問した外国人は成田から東京への車窓からみえる景色の緑の濃さに驚く。 袖の下欲しさに無理矢理成田を東京と言いくるめて空港をつくった怪我の功名で、日本の人が考えるのと異なって成田に空港をつくったことには良い影響がある。

その驚嘆するような美しい田園風景がディズニーランドが遠くに見えだしたあたりからテラスにごてごてと満艦色の洗濯物やふとん(!)までが干してあるスラムの風景に変わって、ごてごてと醜い街が続いて、世界中そういう光景は空港に近い街には多いので、安心して手に持った「東京ガイド」に目をもどす。 ひとりで日本に来るようになってからは、タクシーに待っていてもらうこともあって、料金所にくると、わらわらわらと10人くらいも人が働いていて、高速道路の料金所は無人であることになれているこちらは、このひとたちの給料がひとり平均400万円だと聞いたが、そうすると、一年でこの料金所ひとつが5000万円の人件費なのか、すげー、と余計なことを考える。 給料とは別に住居もつくそうなので、日本の高速料金所がタグにすらせず遙かに複雑なシステムを使って人件費をなかなか減らそうとしないのも当たり前である、と納得する。

某さんは、ミーティングで無駄を指摘したら、「そんなことをやって、あのひとたちの仕事を奪って、おまえがあのひとたちの給料を払えるのか!」と怒鳴られたそうだが、聞いているこちらは、おお日本ぽい、と考えてなんだかニヤニヤしてしまう。

そのうち大出力のLEDに変わってゆくだろうが、いまはどこの国もソディウムライトで、ドイツなどは「通りで客引きをする娼婦の顔が醜くみえる」というヘンな理由で普及したりした歴史をもつ、このオレンジ色のライトを日本の人は嫌う人が多い。 逆にこちらは蛍光灯の白い冷たい光が嫌で、おまけに「街が暗い」というと日本の友達はめをむいて、なんで!逆じゃん、と言う。 なんで、こんなところまで違うのだろう、と面白いとおもうが、できあがってしまっている感じ方は動かしがたくてNEXの窓から見える暗い通りを眺めながら、その暗さを東京だと感じる自分を発見する。

むかし初めて日本にやってきたとき、妹とふたりで鼻を痛くなるほど窓にくっつけて、東京のネオンの洪水に感嘆した。

あんなに明るくて、まぶしくて、ちょうど誰かが光がはいった宝石箱を間違って蹴飛ばしてひっくり返してしまったとでも言うような、すばらしい光の氾濫にみとれた。

水天宮に泊まって、かーちゃんについていった人形町や蛎殻町のシブさに痺れた。 妹が水色の鼻緒の下駄を買ってもらって、歩く練習をしていたのをおぼえている。 妹は下駄がはけるようになったのが得意で、ロンドンでも、よくジーンズに下駄で歩いていた。 空手の黒帯なので、妹の不適な表情におそれをなして痴漢を働かなかったトンドナーたちは幸運である。 もしアホな考えを起こしていたら、下駄キックを顔にくらって、二度となおらない凹みを顔につくられていただろう。

東京はパラダイスで、もともと東京人の従兄弟の案内で、渋谷や原宿にでかけた。 ビールの自動販売機でこっそり缶ビールを買って飲んだのが、ぼくが生まれて初めて飲んだビールで、だからぼくが一生で初めて飲んだドラフトはCDでもなんでもなくてキリンなのである。

10歳くらいの頃の趣味のひとつは自分で回路図を描いていろいろな電子機器を自作することで、FMステーションを聴くのも自作ラジオで、洗濯機を自動制御するのだと言って新品の洗濯機を破壊したり、ろくなガキではなかったが、当然、秋葉原は天国で、なぜ日本だけにこんなうらやましいところが出来たのだと何度も考えた。 しかも書店には、どうやらCPUまで自作できるらしい回路図が豊富に並んでいて、日本語が読めればなあーとよく考えた。 日本では最上質の知識が学校の教室の外で手にはいるのは素晴らしいことだと思う。

ずっとあとになって「インターフェース」という雑誌を創刊号から蒐集していって、その程度の高さに驚いた。 同時代のアメリカやイギリスの学部生くらいでは読めないような高い内容で、こんな雑誌をいったい誰が買うのだろうと訝った。

古本のセドリで稼いだオカネで出版社をはじめたというヘンな生い立ちの誠文堂新光社や電機大学の創立者が始めた、こちらも考えようによってはチョー変な来歴のオーム社の古本も蒐集したが、仮に高校生くらいが読者だったとしても、ちょうどいまノーベル賞を受賞しているくらいの日本人科学者が子供だったときの科学教育の環境が想像できる。

ついでに余計なことを書くと、残っている雑誌が少なくて蒐集をあきらめたが小学校の校内で販売していたらしい「子供の科学」という雑誌も誠文堂新光社で、東京出版という会社もそうだが、日本ではヘンな雑誌が商業的に生きていける不思議なマーケットがあったのだとしか考えようがない。 学校の入学試験だけでは説明がつかない、この日本社会の「勉強文化」は、ネットでの知見を手がかりに考えると、いま50代くらいの人たちくらいから、ただの衒学に退化して、吉本隆明がポストモダンが、と、カピバラでもあくびが出そうな、パチモン学究ごっこにまで衰退しているようにみえるが、もともとは、もっと実質があるアカデミックな水準に達する準備のような段階を自習できる環境をなしていたに違いない。

百円で3冊買える、むかしの角川文庫の黄ばんだ見返し(?)には、角川源義の「創刊の辞」がついていて、日本は物量によってのみでなく文明の差によって負けたのだ、と戦争について述べている。 あるいは内田百閒や政治家の宮沢喜一、数学者の小平邦彦というような領域が互いに懸け離れた人々が書いたものに不思議に共通した言葉が書かれていて、「戦争中のようにバカな人々が威丈高な社会は二度とごめんだ」という。 そのだらしない格好はなんだ、戦地で戦っている兵隊さんに申し訳ないとおもわんのか、この程度の放射能でなにをいう、皇国の科学水準を貴様は侮辱するか、福島の人々に詫びろ、というような戦時中に肩をそびやかせて頭のてっぺんに「正義」の小旗を立てておめきまわったアホな社会はもう絶対に見たくないという嫌悪が、日本の戦後の「知性主義への志」の源泉だったと、遡って本を読めばすぐに判る。

ニセガイジン騒動を友人たちと眺めながら思ったが、日本は戦時中の通りを闊歩した正義の小旗を頭のてっぺんにおったてた人々がだいぶん復活して猖獗してしまったようだ。 たとえば「歴史修正主義」のペイントボールフィールドが典型で、南京虐殺はなかったと見栄を切るほうも、それに悪罵を浴びせて、正義の代表のつもりの我鳴り屋たちのほうも、およそ知性的なところはかけらもなくて、ちらっと見るだけでうんざりさせられる。 日本て、こんな国だったかなあー、と思うが、ぼくよりも若い知性があるタイプの人間たちの日本人へのイメージは、ろくでもない幼児性愛者とやたらと他人、特に他のアジア社会から来た同級生をみくだしたがる鼻持ちならない傲慢さの割には学問レベルが低く、経済を勉強しに来ていながら初等的な解析学も理解できない頭のわるさで、政府留学生でありながら落第するという大学始まって以来の椿事まで起きて、あんまり知的な印象はなくなってしまった。 理由は多分、日本の主流的な文化の根幹をなした「主知主義」の人々が教育のようなことや自己宣伝に興味をもたず、戦中の反知性主義的な日本への反発から作った自分たちの文明を、沈黙のなかで育てて、沈黙のなかで失ったことにあるのでしょう。

この記事を一回目にして、目を凝らさないと見えてこない日本の「知的人間」の潮流を可視のものに変えて記録しておきたいと希望する。 たとえば政治学における丸山真男は吉本隆明が悪罵をつくして葬ってしまった学者だが、読んでみると、(こんなことを言うと、それこそ頭のてっぺんに「ぼく賢い」という小さな幟を立てたパチモン知識人のおっちゃんたちが放火用松明を持って集まってきそうで怖いが)吉本隆明は、いわくいいがたい日本だけで通用する評論家で、思想というようなものは著作に存在せず、あるのは広義の情緒だけにしかすぎない。 一方の丸山真男は、それに比して、普遍的なロジックが一環していて、少なくともわかりやすい。

小平邦彦という人は文章が上手な人で、読みやすいので、きっとこの人もとりあげるだろう。 あるいはまた、三島由紀夫や黒澤明という、本来、「大衆文学」「大衆映画」に最適な才能がなぜ純文学・芸術映画の駄作をつくることを必要としたか、それから帝国ホテルの前で沿道に列をなすひとびとが何なのかを尋ねて、「タカラヅカ」の説明を聞いて爆笑して、えらく怒られたことがあったが、宝塚も日本の知性主義への鍵をにぎっている。

日本の、好奇心をかき立てられ、異様なほど豊穣な戦後史のなかでも、特に興味深い文化史を、みんなの助けを借りながら、ちょっとづつ書いていければいいと思っています。

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s