骸骨のようなPOWの写真を見て考えたこと

Laurence Reesが制作した有名な2001年のドキュメンタリー「Horror in the East」 http://en.wikipedia.org/wiki/Horror_in_the_East は、骸骨そのものに痩せ衰えるまで栄養が失調した英軍捕虜の衝撃的な映像から始まる。

「日本兵は文明とは金輪際関係のない人間たちだった。どうしようもないサディストで残酷な日本兵たちを私はいまでも心の底から憎んでいる」 という日本の捕虜収容所を生き延びた老人の証言に続くのは、しかし、東京のドイツレストランに響く明るい歌声です。

第一次世界大戦に領土の分け前欲しさに、同盟国の反対にも関わらず強引に割り込み参戦した日本は、チンタオその他の地で小規模な戦闘に加わりドイツ人捕虜を内地に護送する。 そこでの待遇がいかによかったかは当時のドイツ国内での語りぐさで、厳しい階級社会の当時のドイツに戻るくらいなら、明るく、親切な日本人たちの社会で暮らしたいと願って、日本に定住した数多くのドイツ人たちが日本各地で開いた料理屋が、世界のなかでも桁外れに数が多い「日本のドイツレストランの謎」の解答であることは前にも書いた。

なんだか冗談みたいに聞こえるかもしれないが、ナチ・ドイツが人種的には日本人を「猿以下」と軽蔑しながら、しかしどう見てもどことなく敬意を感じていたらしいのは、というのはつまり観念的な人種差別に基づく軽蔑とは別に人間のもっと本質的な認識の部分で日本人に暖かい気持ちを持っていたのは、どうやら、このドイツで繰り返し報道されたらしい「日本人の文明的な態度」のせいであるように見えます。

日清戦争での中国側の捕虜日本兵への残虐を極める仕打ちに閉口した日本人は、1882年の勅令で、敵国の捕虜を残酷なやりかたで扱うことを禁じた。 その結果、日露戦争時の松山収容所のロシア兵捕虜や第一次大戦時のドイツ兵捕虜は、故国にいるときよりも良い生活であると述べる者がいるほどだった。

日本が、ほんとうはどこにも存在しない「日本人の考えた世界のひとびと」のイメージを頭のなかでつくりあげ、「こんなところを世界のひとびとが見たら、なんというだろうか」 「世界に対して日本人として恥ずかしい」と最近まで頻繁に述べていたのは過去の雑誌をひっくりかえせば明らかで、日本人は、戦争前も戦争後も、まるで「世界のひとびと」が観客として座っている劇場で、舞台の上で演技するひとのようにして暮らしてきた。

44カ国中42カ国が反対決議に加わるという国際連盟の日本の満州進駐に対する「世界の」怒りを見て、日本が考えたことは、「西洋クラブ」から自分はつまはじきにされている、ということだった。 当時、売り上げが低迷していた全国新聞社が、自分達を世界ののけものと感じる、プライドを深く傷つけられた国民感情にとびつかないはずはない。

朝日新聞を初めとする新聞社は、口を極めて、連合王国やアメリカ合衆国を罵り、日本人を憎悪に駆り立てようと囃し始める。 実際、戦争を煽り立てれば煽り立てるだけ新聞は売れまくって部数は伸びた。

その様相は、振り返ってみて、いま日本のマスメディアや出版社が日本語そのものが信頼性を失って言語として消滅する危険を冒して、韓国や中国に対する憎悪を煽り立てて、まんまと世界のなかでも騙されやすいので知られた日本人の国民性に乗じて、「ちょろいビジネス」でオカネをかすめとっている状況とよく似ている。

役者が観客の反応に怒って舞台から退場してしまう、というのは、椿事だが、日本は現実に退場してしまう。 屈辱と怒りに燃えて、頭に血がのぼって、かあああーとなってしまう状態が日本の人は大好きだが、国民をあげてそうなってしまえば、残っているのは戦争への道を歩きだすことだけで、いまちょうど日本人が岐れ道を戦争に向かって歩き出したように、日本は、戦争へ一直線に歩き始める。

日露戦争のときに、捕虜日本兵が、尋問するロシア将校の自分に対する心証をよくしようとして、とりいって、ぺらぺらと陣地の形や兵器の配置、人員の数まで喋ってしまった結果、何度も壊滅の危機に陥った日本軍は、自軍の兵士が投降したときの「捕虜対策」を必要としていた。 ベトナム戦争のときに北ベトナムの将軍たちがアメリカ軍の状況を知るためにアメリカのメジャーネットワークの国内報道TVをみて、背景の森に生えている木や地形から精確にアメリカ軍の布陣を把握して迫撃して突進・粉砕したのと同じことで、日本軍が相手の場合は捕虜をつかまえてさえくれば、相手の状況がわかるのは太平洋戦争ちゅうも同じだったのは、ドナルド・キーンたちの証言を見てもわかる。

業を煮やした日本軍支配層は、兵士教育がめんどくさかったのでしょう、兵士たちに向かって「捕虜になるな」と言い始める。 捕虜になるくらいなら死ね、と命令する。 おしゃべりな兵士たちのせいで、作戦が正常に行えなくなる現状はたまらん、と考えたので、軍人は戦争のことしか考えないので当たり前といえば当たり前の反応です。しかし「捕虜になるな」という命令を正当化するために「捕虜になるのは卑怯者だ」という理屈をでっちあげた結果、自国の兵士が敵国の投降兵士を虐待する行為を防げなくなってしまった。

この連合軍捕虜への桁外れの非人間的な残酷行為が、つまりはいまの日本人への深刻な疑惑の基礎をなしている。 戦後70年をかけて、半ばくらいも達成した信頼が、安倍政権といまのおじさん世代ひとつで、ガラガラと崩れてしまいつつある、その根強い日本への不信の根元にあるのは、垢だらけで、骨だけの骸骨の姿になりながらカメラに向かってほほえんでいる 捕虜たちの自分がまだ人間であることを恥じてでもいるような見ていていたたまれない気持になる兵士たちの表情であると思う。

戦争が終わっても、日本では捕虜になることを恐れて自殺的な勇敢さで戦う日本兵の勇気を連合軍が賞賛したことになっているが、そんなのはまるで嘘というか、正反対で、一応、日本人のインタビュアーが相手なら、気の毒なので「いや、すごいとおもった」と言いはするが、本心は、文明人の戦争から懸け離れた、殺しても殺しても降伏せずに「殺されにやってくる」日本兵たちを心底から軽蔑して憎悪したのは、前にも書いた。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/

地上の歩兵戦においては人間を非人間化しないことには戦力にならないのは、戦争をやったことがある国ならどこの国でもよく知られた事実で、民主主義という手続きが国是で、一個の人間の生命の値段が世界一高いので知られたアメリカ合衆国では人道的な兵士教育が行われているかというと、そんなことはあるわけがない。

島嶼への強襲上陸作戦を軍隊の性格とする海兵隊はもちろん、太平洋戦争中で言えば一年間に平均10日間しか戦闘が起こらず、基本的には打撃力のある部隊(例:戦車隊)が突破したあとを自軍が確保するための防備的戦力である陸軍歩兵にしても、新兵教育では徹底的に侮辱して、人間であるプライドを捨てさせ、非人間化して、人間でありながら一個の兵器であるように振る舞えるようにつくりかえることが軍隊における「教育」の意味です。 旧日本帝国の場合は、興味ぶかい、というべきか、国民を兵士として効率的に生産しようとするあまり、子供のときから人間性を削ぎ落とそうとした。

司馬遼太郎が何度も指摘しているとおり、日本には薩摩藩という、国をあげて、社会まるごと、軍隊であった先例があったからかもしれません。 現代日本でも教室内の統治者である教師は集団サディズムを巧妙に利用して「生意気な」生徒を疎外して痛めつけることによって服従させ、なにごとにも「我慢」が掲げられ、日本風に翻訳されたパブリックの概念があたかも西洋社会の規範であるかのように言われて、「全体のための個人の役割」という、イギリスならモントゴメリー将軍が得意になって演説しそうなことを、おおまじめに自称知識人が「西洋人もそうです」と言いながら述べたりする。

実際には軍隊内での兵士の非人間化がうまく行き過ぎて、返って軍紀の弛緩につながり、コントロールを失って日露戦争の頃に較べれば見違えるほど弱い軍隊になっていたのは、南京陥落・虐殺のときの指揮官である松井石根大将が攻略後の訓示で軍紀粛正を述べたら若い将校や兵士たちから、軽蔑と失笑の声が返ってきたと嘆いているのを見てもわかる。人間性の喪失が行き過ぎて、兵士としてのモラルも失われつつあったように見えます。

文明に背を向け、人間性を憎む日本兵たちの世界観は、捕虜収容所の西洋人たちへの態度に端的に表現されてゆく。 この世に人間など存在するものか、というのが世界観の内容で、あるのは規範と違反したときの罰だけであり、要領が悪い人間は死においやられても仕方がない、という「効率がすべて」の世界観に立って、勝てば官軍、威丈高になって、負ければ地に這いつくばってでも相手の歓心を買おうとする。

大森捕虜収容所の体験を「おかわいそうに」に書いたルイス・ブッシュは、日本兵の振る舞いのあまりの酷さに日本全体を憎悪するが、ある日、些細なことで下士官に半死半生になるまで酷く殴打される日本兵を見て、日本人が自分たち捕虜だけに対して残酷なのではなくて、お互い同士でも人間扱いしないのだということを発見する。

民族的性格というようなものではなくて、文明の欠陥であることを発見します。

やがて日本人のなかにも、ほぼ西洋人社会と同じくらいの割合で善良な魂をもつ人々がいて、西洋社会と異なるのは、「善良なひとびとの声が遮断される」日本社会の仕組みのほうなのだということを観察する。

あいだをとばして述べると、なぜそうなってしまうのかと言えば、個人としての人間と社会のあいだに決定的な疎隔があるからだろう、というのが観察で、社会は日本語では観念にすぎず、具体的なイメージを伴わなくて、日本の人が「共同体」という言葉がやけに好きなのは、どうやら、それが西洋翻訳ものの本に出てくる言葉であるかららしい。

ちょっとびっくりしてしまうが、日本語の「共同体」は英語ではcommunityで英語社会に住んだことがある人はたとえばcommunity collegeと口に出して言ってみれば判るが、どういえばいいか、個人から地続きの広がりが「共同体」で、ドイツ語のGemeinschaftなら、こっちはドイツ語の語感がわからないから判らないが、単語の成立の来歴を考えるかぎり、英語にもまして個人と地続きでありそうな気がする。

日本の社会には人間性を抑圧する側の声だけが日本語という洞窟に反響する仕組みがあって、その声は日本人を洗脳してしまっているが、しかし松山収容所で、もの珍しさの好奇心から出て、ロシア人やドイツ人に親切にしたくてたまらなかった日本人の善良さは、教育でつくられるよりも、深いところ、日本人というアイデンティティに関わるところから生まれてきているのでなければ生じようがない。

多分、いまの日本のおじさんたちの「観念あそび」に惚(ほう)ける姿の基礎をなしているのは、江戸時代の朱熹の観念万能思想を輸入した社会の名残だとおもうが、これから安倍政権が開いたドアを通って戦場へおもむく日本兵たる若い世代は、そこまで人間性を失った行動ができないように思える。

文明自体に背を向けた軍隊文化の継承者である先行世代のしっぽであるおじさんたちが、いままた開いてしまった地獄へのドアを、再び閉じて、固く鍵をかけ直すちからが、若い世代にはまだ残っているような気がする。 岐れ道の「分かされ」まで歩いてもどって、一緒にあるこう、と呼びかけたい気持ちが、こっちにはあるのです。

あきらめなければ、なんとかなるよ、きっと

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2 Responses to 骸骨のようなPOWの写真を見て考えたこと

  1. > これから安倍政権が開いたドアを通って戦場へおもむく日本兵たる若い世代は、そこまで人間性を失った行動ができないように思える。
    >
    > 文明自体に背を向けた軍隊文化の継承者である先行世代のしっぽであるおじさんたちが、いままた開いてしまった地獄へのドアを、再び閉じて、固く鍵をかけ直すちからが、若い世代にはまだ残っているような気がする。

    本当にそう思うのですか? 私にはとてもそんな風に楽観する事は出来ません。なぜならネット上における若い世代の振舞いを見ていて、彼らのうち人間性と言えるものを(受けた教育に反して)まだ持ったままでいる者は極く少数であるとしか思えないからです。

  2. 太郎 says:

    いろいろやさしい事を書いてくれてますが、第二次大戦時の捕虜の扱いは、ぬぐいきれない日本の歴史の汚点として将来残り続けるでしょう。この事への反省は、研究者など含めてしている人はしてるのですが、残念ながら十分に共有されてないですね。

    「軍隊文化の継承者である先行世代」と書かれる趣旨は分かりますが、正直「なんちゃって軍隊文化」とでも言った方が良いようなもんです。なんちゃって軍隊、なんちゃって戦争、全部ふざけた妄想に基づいていて、とても「戦闘民族」なんて呼べるものじゃありません。(「戦闘民族」なら実際に強いし勝つであろう。)

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