ビンボ講座_オリエンテーション篇

ふつうの人間が「オカネが欲しい」という場合、それはつまり「オカネを見たくない」という意味だとおもわれる。
オカネのことを考えたくない。
スーパーマーケットで今晩の夕食の食材を買うとき値段を見ないで買えれば、どんなにいいか。

自分の住む部屋の家賃を払いたくない。
電気代を気にしないで暖房を使いたい。
嫌いな上司に頭をさげて面従腹背の側の悲哀を感じたくない。
ぼくは、ひとりで、机の前に座って、オカネのことはいっさい忘れて、自分の脳髄の暗闇のなかに明滅する、人間が生きて死ぬことや、いつか地下鉄のなかで聴いた老女のつぶやきの意味や、思いもしないときに、大好きだったあのひとが流したひとすじの涙の意味を考えていたいんだよ。

そーゆーことではなかろーか。

現実のオカネモチを、自分の周囲で、くびをまわして眺めてみると、最も多いのはゲーマー族で、1億円できれば10億円、10億円できれば100億円と銀行のゲーム画面の数字がおおきくなっていくのが楽しくて仕方がない。
いくつかおぼえた定石を組み合わせて、ビジネスのオカネが流れてくる上流に近づいたり、どこに立っていればオカネがたくさん懐に入ったりするかで興奮するのが好きなひとびとだが、このひとたちはオカネと時間を使うほうはからしき下手で、傍で見ていると、オカネあってもなくてもおんなじじゃん、とからかいたくなる。
いや、実際、からかって遊ぶと、ちょっとはにかんだような顔で、うん、使うほうはよく判らないんだよ、などと言う。
だいたい綺麗な女のひとびとを呼んで、高いシャンパンを抜いて、ローンチでパーティをやって遊ぶ、というような退屈な週末をすごすもののようである。

ナリキンでないひとびとは、けちな、と言って言葉がわるければ、節倹なひとびとが多くて、数十億ユーロというような資産をもっていながら、レンジローバーの新車を買うのが夢である。
クルマを買い換えにいって、今度こそは新車を買おうとおもうが、むかしからつきあいのあるレンジローバーの胴元が必ず待っていて、これ展示車で500キロしか走ってないけど、1万ユーロ値引きしまっせ、というようなことを言う。

「どうしても値引きされた新古車を買ってしまうんだよねー」と溜息をついています。
これが彼にとってどれほど深刻な問題かは、隣で奥さんが、夫とはやや異なる意味の、深い深いタメイキをついていることを観察してもよくわかる。

ビンボ生活を楽しむにはビンボ型の社会が必要である。
アメリカの都会などはビンボだと生命の危険に直結するので、ビンボの風流を味わうのが命がけで、命がけで味わう風流は台風流といってむかしから邪道なので、あんまり楽しくない。
夜中に通りから銃声が聞こえてくるのでは、せっかく買ってきたばかりのSimsの世界が天国に見えてしまう。

西洋は万事競争が激しくなったので、どこもダメかというとそうでもなくてイタリアは、まだまだまだビンボでも楽しくのんびり暮らせる。
特に日本のひとにとっては、豚肉がポークソテーやとんかつに向いているタイプでおいしいとか、食べ物の味が「うまみ」に重きを置いているというようなことがあって、しかも「田舎の町」という、その「田舎」は日本の田舎とは異なって濃密に文明が存在するので、たとえばトスカナのウンブリアとの国境のあたりや、(もう少し洗練された文明が好みなら)エミリオロマーニャの小さな町などは日本人の好尚に最もあっていると思うことがあるが、残念なことに、そこでリラックスしてイタリアンなビンボ生活を楽しめるのは、その町および半径50マイルの出身のイタリア人か、どんなにヨソモノでも、夫がその町の出身であるかでないと、イタリアの、「ほんとにイタリアって国、あるの?コムーネがいちばんでかい社会の上限ちゃうの?」な文明性格から述べて、ビンボを楽しめるわけがない。

ほんとうは日本はイタリアをめざせばよかった。
趣味の悪い冗談を述べれば、薩長のような野蛮性の強い藩がクーデターを起こす形の明治維新でなくて、たとえば江戸幕府の若い官僚が夢見た徳川家を議長とする諸侯連合のような近代国家をめざして、当時の欧州の鼻つまみもののプロシアなどに範をとらず、もちろんありえないことだがサルディニアかロンバルディアか、どっかの弱小なイタリア王国に範をとっていれば、案外とヘロヘロしながら、二度の大戦にすら加わらずに、モダンなテクノロジーを持ったマヤ文明のような、まねできるもんならやってみい、の独自なへろい文明を作れていたかもしれなかった。

その空想の日本には、頭のなかでフォトショップを起動して電線やコンクリを消さなくても、コンクリートで固められていない川堤があり、その両側の遊水域には美しい緑が広がって、子供たちがサッカーに興じる姿があって、道ばたに「氷」ののれんが風に揺れる小さな店には、カツ丼やカレーライスがあって、奥のバーでは仕事帰りのおっちゃんやおばちゃんたちが梅酒をひっかけながら近所の噂話に笑いあう居心地のよい「ビンボ村」がある。

現実は、やるにことかいてとうとう最後は世に知られた「成功はあっても幸せにはなれない社会」アメリカのまねっこをしてしまったので、なんだか品の悪い競争社会で、しかもダイハードな朱熹の呪い、競争の内容は空疎化観念化して、空疎に偏差値をつけるむなしい社会になってしまった。

しかも、いかなる巡り合わせにやありけん、日本には国始まって以来の、個人の貯蓄を吸い上げる経済政策をひっさげた首相があらわれて、しかも首相の「きみがおもいきって通貨の流量を増やして高脂血症デフレ経済の血流をよくしてくれた暁には、必ず、(国民は気がついてないけども)この国最大最悪の問題である財政問題を解決するために消費税をバッコンバッコンあげてあげるからね、という約束を信じた中央銀行総裁が、勇者となって、ほんとに通貨価値を実行価値でブレトンウッズ以前の中進国と先進国の境界線までさげてしまった。

きみが生まれたのはそういう社会で、日本という国を長いあいだ支えてきた「気が遠くなるような金額の個人貯蓄」が字面のみの存在でしかないという、日本には、これまでにはなかった条件の経済社会に生まれついてしまった。
いわば船底近くにあった重心が徐々にせりあがってきて、到頭海面上からブリッジの上にまで這い上がってしまった、旧帝国海軍軍艦なみというか、超トップヘビーの経済に様変わりしてしまって、嵐がくればいっぱつで転覆してしまう。

しかししかししかし。しかあああーしx2
個人は幸福にならなければならないので、降伏の道は幸福に通ず、というようなダジャレを言っている場合ではなくて、オカネモウケの才能もなければ、そんな下品なことやりたくもないきみのために、ゲーム王のわしが、WOW(ワールドオブワークラフトというMMOの名前だす)の争闘に明け暮れる平原を見渡せる山の頂上から眺める夕陽の現実離れのした(って、現実じゃないんだけど)美しさや、森のなかに歩みいって眠る午寝の楽しさや、偶然出会った趣味の良い狩猟服を着た若い女のひと(といっても現実には50代のおっちゃんかもしれないわけだが)と、その場かぎりだが一生忘れられるわけのないひとときを過ごす方法を教えてしんぜる。

あのね。
当然だとおもうが、オカネモチのひと(←わしのことね。けけけ)は、ビンボの楽しみ方にも通暁しているのよ。相対化して距離があるところから見てるからですね。
どっちがいいか、と言う問題でなくて、どちらを選択するか、という問題で、ビンボよりカネモチを選んだというだけのことです。

もうチョー長くなってしまったので、今日はここでやめる。
ビンボのひとびとよ、アリアナグランデの「Love Me Harder」のyoutubeビデオを見飽きた若い人も、ポッドキャストの吉本隆明48本全講演集の一回目の途中で寝ちゃったジジも、みな集まって、このサーバーの鹿苑に静まるように。

次の回は、酒池肉林の年収200万円をめざすことにいたしましょう。

でわ

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