「日本」へ近づく_1

考えてみると、もう五年間日本に行ってないんだなーとおもう。
2010年、5年間に11回の遠征を計画した「十全外人文功碑」に記された最期の第十一回遠征は、しかし、ホームシックというおもわぬ伏兵で苦労することになった。
すべりひゆ(←イタリアに20年くらい住んでいる、わしのともだち。@portulaca01)がプンプンプンに見えたらしいわしを観察して「ひょっとして、このごろホームシックなんじゃない?」と述べたときには、そおおんなことがあるわけがない、わしは、つおいのだ、と考えたが、いま振り返ると、典型的なホームシックで、現実をそのまま認められない人間は常に問題をこじらせるのがよくわかります。

真実は2009年に日本からニュージーランドにもどるときには、飛行機の機内が近づいてきてニュージーランドアクセントの声が聞こえてくると、もう泣きそうになっていたりした。

日本は訪問するにはたいへん楽しい国で、おいしい食べ物や、小津映画に出てくる喫茶店そのままに白いカバーがかかっている背もたれのある椅子の「ウエスト」のような洋菓子店や、在庫で高級品をたくさん持っている銀座の伊東屋やミキモト、コンピュータ関連の新製品もたくさんあって、有楽町ビックカメラだけでもパラダイスだったので、一年に一回くらい、二週間くらいの日程で行ってもいいな、と考えているうちに福島第一事故が起きてしまった。

核発電所の事故が起きても、日本は、なあんとなくオランダみたいなちっこさの印象で考えている人が多いが、現実には南北に長い国なので、事故が福島で起きたのなら東京くらいから南は大丈夫だろうと考えたが、当時の民主党政府がどこがどのくらい汚染されているかわざと判らなくして、瓦礫の焼却や食品流通を通じて、国民全体を平等に被曝させるという奇想天外な奇手にでたので、おっかなくて行かれなくなってしまった。

あとで、しかるべきおっちゃんに聞いたら「日本の国民はガメが信じているほど賢くないので国民の側に判断をゆだねるなんてことをしたらたいへんなことになる」ということだそうで、そういう考えもあるのか、とびっくりしたが、それなら全国にもれなく薄く広くばらまいたことにして、実際はほっぽらかしで、わしにだけどこに汚染が拡大したかこっそり教えてくれればいいのにとおもったが、平等主義で、福島の人も九州の人もおなじように被曝してもらって、みなで寄り添い合って難局をのりきる、ということのようでした。

そのあと日本の自称科学者である大学教師たちが、自分の専門外の放射能知識と、日本の医学研究者は物理学者たちによほどバカが揃っているとおもわれているのでしょう、放射線医学的な知見を医学研究者たちに代わって人体への影響を議論して述べて、福島事故で大気中と海中に放出されたていどの放射性物質では人間の健康を脅かすことはなくて、まったく安全だという結論をだしたが、
チョー非科学的なわしとしては、「江戸前」の海の底で、放射性物質を蓄積していそうな穴子や、ゴジラ(←放射性物質が食物)がつられてやってきそうなくらい放射性物質がばらまかれた汚染水の海で獲れて、水揚げだけは南のほうの魚市場で行って、その結果、東北汚染海域出身だが、産地ロンダリングで、静岡の魚みたいな顔をして流通しているシンコが寿司台の上にならぶのは危なくても危なくなくてもぞっとしないので、行かないことにしてしまった。

広尾山と軽井沢の家を売り飛ばして、鎌倉の家もさっさと買い手がついて売れたが、ほんとうは軽井沢の家くらいは残しておいて、一年に一回くらいでかけたかった。
軽井沢自体は東京の飛び地のような小さな町で、朝、日が昇ったばかりのときに、文藝春秋社の看板があるサマーハウスの前から鹿島の森ホテルくらいまで、信じられないくらい美しい木洩れ陽の道が続いて楽しいことをのぞけば、退屈な町だが、ここから西に国道18号線と並行した「1000メートル道路」を行くと、いまビル・ゲイツの「小学校の校舎より大きい」別荘がたっているはずの千ヶ滝を通って、借宿、大日向、追分と通って御代田の実験牧場から、小諸に抜けてしまえば、もうカモシカが急斜面に立って道路を見下ろしていたり、いちどなどは(そのあたりにはいるはずのない)雷鳥の家族が道路を横断していて、そのまま菅平から上田とぬけて、日本の最も美しい森林といいたくなるような場所を通って山の奥へ遊びにいける。

コツは簡単で、「名前がない場所」に行けば良い。
白糸の滝というような名前がついてしまうと、GPSに載って、たくさんの人が来る。
それが望月や丸子の、佐久市や上田市に併合された小さな町の周辺には「名前がついていない森」や小さなお狐さんたちが縄跳びをして遊んでいそうな社(やしろ)がいくらもあって、あるいは水田が広がっていて、案山子とお百姓以外は誰もいない、気が遠くなるような美しい風景が広がっている。
土木会社に大金をばらまいて、要りもしない道路や橋を盛大につくった効用で、道路はにわかには信じがたいくらいよい舗装で、しかも一時間くらい走っても対向車の一台もあらわれない。

具体的な場所は、まだまだもしかしたら日本へ行くことがあるかも知れないので用心して教えてあげないが。山梨県へ抜けている間道のひとつなどは立派な舗装道路なのにクルマがまったく通らなくて、冗談のようだが道のまんなかに毛布をひろげて、モニとふたりでよくピクニックをしたものだった。
何回もでかけてはシャンパンとサンドイッチで遊んだが、鹿がとびだしてきてぶっくらこいたことはあっても、クルマは結局いちども見なかった。

五年間のあいだにいちども日本訪問を考えなかったということではなくて、美術の市場はおもしろいもので、たとえばアンリ・マティスならマティスの著名な蒐集家が死ぬと、奥さんや子供たちが無思慮に大量の作品を売り出してしまうことがある。
そうするとその作家の作品の価格が暴落してその作家の作品群を抱える美術商は巨大な損失をだしてしまうので、買い支えなければならなくなる。
話が伝わったところで美術商たちが談合して市場に出る前に買い取る算段をします。
当然のことながら具体的な作家の名前を書くのはパスだが、ガメ、買い付けのオカネが足りないから一緒に買ってね、ということになって、それならついでに日本に行って他の作家のものもあわせて買うのがいいかなーということになって、ガイジン会員制の割引がおおきいので定宿のT国ホテルに電話した。
食べ物の安全をどんなふうに対策しているか聞きたかったからだが、東京のホテルなのに、なぜかいきなりニューヨークの事務所に電話をとばされたところから嫌な予感で、外国人客担当というその女の人は、「日本政府のガイドラインにしたがってるから安全です。ご心配なさらなくて大丈夫ですよ」と言う。
その日本政府が信用できないから聞いとるんじゃボケと述べるのも大人げないので、そーですか、どうもありがとう、と述べて電話を切ったが、
その瞬間、有楽町のガード下で焼き鳥とビールでモニと遊ぶ楽しい夕暮れも、あの懐かしいサトちゃんの温度計が窓外にみえる外国人特派員協会のバーで、東京でいちばんうまい冷やし中華をかきこんだり、むかしむかし逗子に住んでいたイギリス人ばーちゃんのレシピのヴィシソワーズを飲みながら、あのド酸っぱいニシンを食べるのは良い考えかどうか検討する楽しみも、あるいは三越や松屋の「デパ地下」で「山海の珍味」という死語そのままの、見ているだけで楽しくなる食べ物を試食する楽しみも潰えてしまった。

英語世界から東京便に向かうのに使われる飛行機はどんどんダウングレードされて、あまつさえ、サービスの点では評価が高いヴァージン航空は成田・ロンドン間の定期便をやめてしまった。
そうなるとたとえばイギリスの航空会社だと、前身はソ連時代のアエロフロートなんちゃう?と信ぜられている、むかしやむをえず乗ったら、乗務員のおばちゃんがわしの顔のすぐ前にでっかいお尻を突きだして、しこうして屁をこいた記憶が鮮明なブリティッシュエアで、もっと具体的な不便を述べると、連合王国から成田経由でニュージーランドにやってくるには、ビジネスクラスは、ヴァージンが設計したとてもよく出来たオートマティックの合体ロボメカっぽいフルフラットシートで、メートル法でいえば2メートルを越える身長のわしでも、のんびり寝てるあいだに着いてしまう。
エアニュージーランドも、初め導入したときはヴァージンのものをそのまま買いとって、そのあとは色がベージュから黒に変わって、細部が変更されただけの「エアニュージーランドデザイン」のフルフラットシートだったのが、飛行機が最新型の777-400から古い767に格下げになってしまったので、エコノミークラスのシートがただおおきくなっただけの、いまどきこんなものでエコノミークラスの3倍もとっていいとおもっとるのか、といいたくなるショボいシートになってしまった。
まだクライストチャーチへファーストクラスさえ飛んでいたわしチビガキの頃とはえらい違いで、しみじみ日本へは出かけにくくなってしまった。
日本政府はシカトしてトヨタ本社にだけ寄って中国に向かったオーストラリアのラッド首相の頃から、日本はプレゼンスが落ちて、さまざまなツアーや政治家、太陽パネルのエネルギーで世界一周をするエコ飛行機まで中国を出ると、日本はパスで、そのまま一路ハワイに向かう。
どんな場合でも聞かれれば、まさか「日本なんか行っても仕方がないから」のような失礼なことは言わないが、舞台裏は、「日本はまったく落ちぶれているのに、自己認識がない。自分がまだ大金持ちであるような態度で注文ばかりうるさくて相手をしても仕方がない」という理屈なので、これには無論誤解もあって、
日本の人は規則をいっぱいつくるのが好きなので、規則からくる制約がありすぎて、日本のためにだけ要求されるような労力や出費をかけるわけにはいかない、という事情が「日本外し」の背景にはある。
日本の人がよくそう感じて反発するような「日本をバカにしている」というようなことではないのは、人口がたった400万人しかない、ほかに立ち寄る陸地も存在しない南半球の絶海の孤島であるニュージーランドに、レディガガ、エミネム、ビッグビジネスそのもののパフォーマーが毎年やってくるのでもわかります。
めんどくさいことばかり言われなければ誰だってまだまだ豊かな人間ばかりの1億人の大市場を無視するわけがない。

安倍政権は「あなたはどう考えるかしらないが、わたしたちに賛成でも反対でも、われわれ日本についてくる以外に道はないのではないですか?」というロジックが目立つので国として付き合うのが難しいのだとよく言うが、いまの、世界と国の単位でも他者に関心がうすい世界では日本の人が心配するような世界の嫌われ者ということにはなるわけがなくても、「めんどくさいから日本は外す」ということは日常的に行われている。
繰り返すと、嫌いだから、というような感情的な理由ではなくて、たとえばNetflixはまだ日本にはないらしいが、考えてみると日本社会の著作権に対する考え方と英語世界のそれでは日本では「シェアしないため」英語では「シェアするため」のルールという点で思想的にすでに異なるうえに、字幕はどうするのか、いちいち翻訳しなくても英語字幕をつければいいんじゃないの?
いや、日本では日本語字幕がないとダメなんですよ。
ダメっていうけど、あなた、字幕の翻訳料なんて払ってたら1ヶ月10ドルの会費で見放題なんて出来ませんよ。

本は本で、
えっ?こんなの全然無理ですよ。
電子書籍ったって、日本では著作権許諾は紙に印刷されたものと限定して契約書のサインをもらっているので電子書籍となると、それとは別に契約をつくらないとならないのを知らないんですか?
ええ、もちろん雑誌掲載も別です。
アメリカのやりかたを日本に押しつけないでください。

常に事態は「日本式」との衝突になって、日本側当事者の民族的プライドをまで刺激して、あえなく座礁する。

たとえばPCゲームでもフィンランド語から韓国語まで60カ国語で遊べるのに日本語だけは別で、オリジナルの英語と日本語の二カ国語対応としるされているのは、つまり、そういう理由です。
その結果、英語圏で5ドルのものが日本では6800円ということになって、インターネットでアメリカのサイトでは5ドルで売っているのは一目瞭然の現代では買う気が起こるわけはないので、少なくとも英語サイトをのぞいてみる気があった人は買わず、「消費者がオカネを使わないから経済が冷える」と非難される。

もっかは「日本語はすたれるのでわ」と述べると、なあああーにバカ言ってんの?
そんなことあるわけねーじゃんが圧倒的多数の反応なので、日本語日本文化は加速度的にハンディキャップを量産している。
いまパッとみてもSpotifyがなくてNetflixがなくて、そうすると日本の人はiTunesやCD/DVDで買ってるのかあ、とおもうと、他人事ながらなんだか気の毒な気がする。

もっと深刻なのは、「知識の共有」のサークルから日本語世界だけが露骨に外れてしまっていることで、ずっと以前にDuolingoをすすめてまわったときは日本語に対応していなくて、ありゃあ、と思ったが、Duolingoがようやく日本語対応したらしいいまもイタリア語やスペイン語のポッドキャストや無料教育サイトは日本人を対象にしていない。
もっと初等的なものでも、たとえばSchaum’s の数学シリーズのような自習に向いた簡単で現代的な本が日本語ではないようで、もちろんわしも読んだことがある高木貞治の「解析概論」は良い本でも、平家物語を読むようにして読むしかないわけで、そんなにあたってみたわけではないので、現実にはあるのかも知れないが、ちょっと微分方程式を復習しておこうと考えたサラリーマンがスターバックスでkindleにダウンロードして勉強する、というわけにはいかないようです。
ましてリベラルアーツ系においておや。

インターネット以前のオーストラリアやニュージーランドでは「文明世界」までの長大な物理的距離のせいで世界から取り残されている部分がおおきかった。
知識の共有はもちろん、たとえば人種の違いへの意識、はてはコンピュータでさえ「最新型」のはずのラップトップが日本の市場では3年前のスペックであるというようなことはざらにあった。
いまだにビンボ人が多いのにオーストラリアやニュージーランドでは価格帯が高いAppleがおおきなシェアを持っているのは、その当時、他の世界と同じスペックを提供してくれるのがAppleだけだったという歴史的な理由があります。

それがインターネットとともにDellが市場に参入して、世界同一価格戦略で、冗談ではなくて一週間でWindowsPCの価格が半分になったのを皮切りに、どんどん「英語世界の一部」になっていった。

ところが、今度は物理的な距離にかわって言語系列的に「離れた」言語世界はインターネットの普及とともにヘンな言い方をすると文明として「生き残り策」を考えなければならなくなった。
その文明のタイプによって対応はいろいろです。
フィンランドの若い人と話すと、英語がすんごくまともなのでぶっくらこいてしまうが、いろいろ話していると、昔は英語教育なんか全然ダメで、このままではやばいというので国を挙げて意識的に英語教育を改革したという。
「いまは学校の教室だけで普通に話せる」と目の前の、去年メルボルンにやってきたというフィンランド人の若い女の人がニコニコしながら話している。
油断するとネイティブだとおもいそうなくらい「自然な」英語です。

わしガキの頃は意地でも英語は話さん、という態度だったフランス人たちも最近はおおきく変わって、すきさえあれば英語ではなしかけてくるが、一面では自分たちの「文化のちから」を強く意識して、人口はケベックをいれても一億に満たないのに、音楽や思想を通じて、おおきな影響力を育てている。
ドイツやスウェーデンのように英語能力と自国の独自な文明のバランスをうまくとって英語が独裁する新しい世界を泳ぎ渡っていこうとしている国もある。

日本は、どうなのかしら、と考えてインターネットで話しかけてみると、日本の人は時代が変わってしまっているという意識が稀薄で、「世界なんて、そんなに変わりゃしませんよ」と笑っているが、日本の外で毎日仕事をしている日本の人たちのほうは、それどころではなくて、こちらは逆にのんびりどころか切歯扼腕、うわあああ、このままではわたしのアイデンティティをなしている国が消滅してしまう、と焦慮しているように見えます。
愛国心に比例して批判が多くなる。
人間の関係と似ている。

5年というのは、ふだん日本人と付き合いがある人ならともかく、日本語を使う機会がインターネット以外に存在しないぼくにとっては、たいへんな「距離」で、日本は遙か彼方の存在になってしまったが、目を凝らして、じっと見つめると、形象が溶け込んでいるような霧のなかから見えてくるものがある。
そのぼんやりと姿をあらわす、いままで見えてきたことのない「形」を表現することで、日本について再話することをこの続き物の目的にしようと思います。

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4 Responses to 「日本」へ近づく_1

  1. Zahlfors says:

    細かいことですが高木禎吉でなく 高木貞治ですね。

    > 平家物語を読むようにして読むしかない

    笑いました。私は杉浦光夫か Apostol の方が好きです。

  2. 直しました。ぜんぜん「細かく」ないw
    タブ候補で出たのみて「たしか、これ」とかうろおぼえでやるからこうなる。
    チョーかっこわるい。

  3. aya says:

    尾形亀之助の「無形国へ」をつくづくと読みかえしてしまうこのごろです。

  4. 太郎 says:

    >「日本なんか行っても仕方がないから」
    気を遣って頂いているようですが、実際のところ、そんなところでしょ。成田に降り立つだけで明らかにそうですよね。現実をキチンと知ろうとしないと良くならんです。バージンの撤退は、関係者には結構ショックだったらしいですね。

    滞日中もかなり面白い御体験をされてきたようですが、5年間日本に居ないなど、読んでて感じないです。
    twitter拝見しましたが、面白いです。ああいうホントの事書くから変な反応があるのかもしれません。でも、本当に面白いです。何であんなに面白いのでしょう。
    変な雑音など弾き飛ばして、今後ともその調子で大いにやって下さい。大いに応援してます。

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