Monthly Archives: May 2015

兵器技術と文化(1)

「風立ちぬ」制作中の宮崎駿が「わたしは、零戦がものすごく好きなんです。 だから零戦が好きだというひとたちが大嫌いなんですよ」と述べている。 「風立ちぬ」の制作動機を見事なひとことで述べてしまって、どーするんだ、と思うが、この「トトロ」や「風の谷のナウシカ」をつくった老人の気持ちが「痛いほどわかる」と思った人がたくさんいたのではないだろうか。 Me109とSpitfireは、まったく互角な戦闘機で、初期型から後期型まで片方がエンジン出力を改善してLevel speedを上げると、もう片方もさらに出力を上げるというように、 Level speed Climb Propellers Engine Power Turning Roll Rate というような、ほとんどすべての項目においてルフトバッフェが事実上西部戦線を失うまで、連合王国にもドイツにもいる「ほんとうはスピットファイアのほうがすぐれていた」論者の意見とは裏腹にほぼ互角であり続けたのは、同じ飛行機なのか?とおもうほどそっくりなRate of Climb/AltitudeグラフやAltitude/B.H.P.のグラフが証明している。 撃墜王ガーランドがゲーリングに「イギリス空軍を制圧するために必要なものはなんでも準備してやるから、欲しいものを言ってみたまえ」と聞かれて 「スピットファイア」と答えたというのは、どうやら、実機を多数使ったので有名な映画「Battle of Britain」 http://www.imdb.com/title/tt0064072/ が由来の作り話のようで、たとえばMe109の航続距離の短さを取り上げて、もうほんの少し航続距離が長ければドイツはイギリスを制圧できたという人も気が遠くなるくらい航続距離が長い零戦を生んだ日本の人には多いが、実際に調べてみると、定期的に行われた戦闘機パイロットの要望調査のなかでは、希望としてずっと下位で、ドイツのパイロットたちにとっては配備と運用が最大の関心と不満のタネであったようでした。 おさらいをすると、なぜMe109とSpitfireがまるで同じ国の兄弟戦闘機のような性能比べに終始することになったかといえば、要するに航空機設計思想が同じだったからで、イタリア人ジュリオ・ドゥーエ http://en.wikipedia.org/wiki/Giulio_Douhet が書いた「Bombardamento strategico」の大きな影響下にあった当時の各国航空産業にとっては戦闘機と言えば、そのまま防空戦闘機のことで、軽戦闘機であることを意味する高い上昇率、重戦闘機であることを意味する重武装をどのような組み合わせで実現するか、ということが焦眉の関心だった。 その思想に従って両国のエンジニアたちが知恵をしぼった結果がMe109とスピットファイアで、逆に言えば零戦の長大な航続距離は、日本の、進空制圧という、当時としては、びっくりするような攻撃的な戦闘機の設計思想が、要するに、「中国空軍が日本に向かって渡洋爆撃をするなんてありえない」という、弱い者いじめというか、中国を一方的に蹂躙するための戦略思想しか持たなかったことの反映であるのが判ります。 1930年代後半の戦闘機としては、かなり風変わりな思想に基づいた設計の戦闘機だった。 ちょっと思い出したので、余計なことを書くと、イギリス人はもともと熱狂的な兵器好きで、書店に行くと美術書店にまで兵器の本がある(^^; 男だけが兵器マニアかと言うと、そんなことはなくて、女のひとびとも兵器について該博な知識を持っている人はたくさんいて、早い話が、 わしかーちゃんやわし妹も、Spitfireはもちろん、Fw190の性能諸元でも諳んじている。 おおげさに言えば連合王国人たるもの、歴史的兵器知識は教育のある人間の嗜みであって、たとえばクロスボウが中国の戦国時代後期人が発明したものであって、秦人が史上初めてパーツを標準化した大量生産の飛び道具で、秦の驚嘆するような速度での中国統一はクロスボウがおおきな理由であったことくらいは、ほぼ誰でも知っている。 文明が古い社会の人間は兵器について詳しい、と言えばいいか、特に兵器オタクとは思われないので、普通の教養の必修として扱われる。 どちらかといえば日本の社会のように兵器について妙に詳しいとヘンな人だという噂が立って立身に響くうえにお見合いを断られるという社会のほうが、少数派なのでしょう。 お見合いって、まだあるのかしら。 「ふたつの太平洋戦争」という記事を書いたら、長大な、元記事の5倍くらい長さがある「おまえはなんにも判ってない。特攻攻撃がいかに効果があったか、おれがこれから教えてやるからよく読め」というコメントを送ってくる人が何人もいて、情熱は素晴らしいとおもうものの、読むのはいくらなんでもめんどくさいので数行読んでゴミ箱行きで、なにがなし気の毒な感じがしたが、こういうお決まりの反応も、むかしはちゃんと読んでいたので、他の「役に立たない知識」と同じで、ひどいことを言うと社会全体が共有している情報や知識が「痩せている」感じがする。 なんだか検閲済みの数社だけが出版している「これが正解です」な日本の教科書と似ていて、あるいは「出典は?」「たしかな情報なんですか?」な日本の人の教室優等生的な癖のせいなのか、自分が習い教わった知識と違うことを言う人がいると、激高して、コーフンのあまり、数ページにわたる「それは違う」コメントを書いてしまうもののよーでした。 You don’t … Continue reading

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通勤電車に揺られれば

「通勤時間に20分以上かかる人は慢性的なストレスに悩まされる」 とモントリオール大学のAnnie Barreckの研究をThe Independentが伝えている。 http://www.independent.co.uk/travel/news-and-advice/commuting-for-more-than-20-minutes-makes-you-stressed-and-cynical-10278874.html ケベック市の17歳から69歳の1942人を対象にリサーチした結果で、クルマ、バス、自転車や列車で20分以上かけて通勤する人は慢性的なストレスを抱え、さらに35分以上通勤にかける人は皮肉なひねくれた態度をとるようになる。 電車やバスの公共機関を利用して通勤する人はクルマで通勤する人よりも心への負荷がおおきい。 研究の「結果」が信頼できるかどうか、知らない。 もとのフランス語の論文を読んでいないし、探してみる気もない。 人文系の研究にはカンがないので、よくわからないということもあるし、 ブログで研究論文ぽいことを述べる日本の人によく見られる趣味も持っていないので、後日、はっはっは、あれはウソでした、ぜんぜんほんとじゃなかった、と言われても、そーですか、程度にしか思わないのではなかろうか。 ただ日本の通勤風景を思い出して、なんとなく東京がなつかしい、とおもっただけです。 年長の絵に描いたような赤毛の冗談を言うときのオオマジメな顔が好きだったアイルランド人が、80年代にNECに就職して初めて日本にやってきたときの話をしてくれたことがある。 駅で待っていたら満員、というよりも、表現不可能な詰め込まれかたをした電車がホームにはいってきたので、びっくりしてしまった。 これは事故かなにかがあったのだろう、と考えて、次の電車に乗ることにした。 驚くべきことに次の電車は1分しないうちにやってきた、というから山手線だったのでしょう。 ところが、この電車もおなじように、ほっぺが窓におしつけられてひんまがっている人、水族館の断末魔のタコのようにドアに貼り付いている人が満載で、もう一台、待ってみることにした。 次の電車も、その次の電車も、… この人は、怖くなってホームのベンチに座り込んで顔をおおって泣き出してしまい、(初出勤日だった)その日は会社も休むことにして家に帰って、ベッドのなかで、さて、あれはほんとうにあったことだったのだろうか、と夜まで思い返しては呆然としていたそうでした。 かーちゃんシスターは、無謀なことが大好きな人なので、たいしてオカネも持たずに大学の休みを利用して世にもおもしろげに見えた東京へやってきた。 19歳で、怖いものなんてなにもなくて、女の友達とふたりで、伊豆で野宿をしたり、あとでばーちゃんに怒られたようだが、京都ではお寺を見物していて仲良くなったおばちゃんに「泊まっていきなさい」と言われて、ほいほいついていって酒池肉林の大歓待を受けたりしていたが、あっというまにオカネがなくなったので、英会話学校で教えるバイトをすることにした。 日本人の友達に相談したら、それならうちの会社の英語教師をやったほうが時給が高いというので、教えることにして、朝が早いのが億劫だが、電車にのっていけば30分なので、日本にいる1ヶ月半のあいだだけのことだし、まあいいか、ということにした。 新宿駅に着いてみると、同じ人が増殖して、びっしりとホームを埋め尽くしていたので驚いた。 同じ背広を着て同じネクタイをしめて、同じ黒い髪の人がすきまもなくぎゅうづめで駅をうめつくしている。 しかも階段口から下をひょいとのぞきこむと、地下からは、もっとたくさんの同じ顔の人が湧き起こってずんずん行進してのぼってくる。 そのまま気絶しそうになったそうで、いままで生きていて、後にも先にも、あんなに怖いことはなかった、とつぶやいて、横にいる「同じ顔」のひとり、義理叔父に憮然とした顔で「そんなおおげさな」と言われている。 ふたりで一緒に住みだした当初も、よく駅から電話がかかってきて、「こんなバカバカしい光景は生まれて初めて観た。あなた、ここに来て、この黒い頭の大群をなんとかしなさい」と言われたそーです。 なんとかしろと言われても、新宿駅を爆破するわけにもいかないし、義理叔父だって困ったと思うが。 ぼく自身は通勤電車で仕事にでる、という経験がない。 終始一貫プーなので必要がなかったからだが、何回か東京の通勤電車に乗ったことはあります。 一度は周防正行監督の「それでもボクはやってない」 http://en.wikipedia.org/wiki/I_Just_Didn%27t_Do_It という痴漢冤罪の実話を扱った映画を観て満員の電車を観てみたかったからで、朝の東横線に乗ってみた。 座っていたら、目の前の男の人がつり革にぶらさがって勉強だかなんだかをやっていて、そのノートの横から突き出された鉛筆が目に刺さりそうで、なかなか怖い体験だった。 二度目は有楽町駅から渋谷まで行くのに山手線ででかけたら、朝の10時だというのに満員で、目の前に広がる人の頭のてっぺんで出来た雲海を眺めながら、つむじというのは右巻きと左巻きとふたつつむじと、どういう比率になっているのだろう? 南半球では右巻きつむじと左巻きつむじの割合が逆だったりして、と考えたりしたのをおぼえている。 ニュージーランド人は、もともとの欧州のスタイルを踏襲して、通勤時間は伝統的には15分以下ということになっている。 もっとも日に4回は職場や学校と家を往復することを習慣にしていたバルセロナ人が、いまは、郊外の家からクルマで会社に通うライフスタイルにだんだん変わってきて、のんびり楽しむ夫婦のランチ(←バルセロナでは主餐)も例えばオリンピックマリーナのレストラン街というふうに変化しているのと同じで、ニュージーランド人も仕事場の近所のサンドイッチ屋やハンバーガー屋で簡単な昼ご飯を買って食べる人が増えた。 自分の家の近所でみると 、まだまだ「ランチは家に帰って食べる」人が多数派だが、国全体では、とうの昔に少数派になっているのではないかと思う。 … Continue reading

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プラスティックミート文明

すべてはマクドナルドから始まった、と言ってもよい。 失敗しては職を転々とする絵に描いたような52歳の人生の失敗者レイ・クロックは、乾坤一擲、5種類のミルクシェイクを同時につくることが出来るという触れ込みのマルチミキサーをレストランに売り込むためにアメリカ中を旅して歩く。 どうも、この商売も、うまくいかないよーだなー、もうわしの人生おしまいでは、と思いながら、へろへろよれよれで立ち寄ったカリフォルニア州のサバーナーディーノの町で、このくたびれた中年男は不思議なものを発見します。 めだって清潔なレストランのカウンターに腰掛けてふと厨房を見ると、妙にたくさんの、妙に若い調理人たちがいて、よく観察すると、パテを鉄板に置くだけの人、ピクルスとレタスを並べる人がいて、それを組み立てる人がいる。フレンチフライを揚げるだけの高校生がいて、揚がったポテトを規格化された袋にいれてトレイに並べている。 規模もおおきく客の数も多いのに、メニューは大胆なくらいの品目の少なさです。 T型フォードと同じやりかたで殆ど正確に同じハンバーガーを大量生産するこの傑出したシステムを考え出したのはモーリスとリチャードのマクドナルド兄弟で、このハンバーガー組み立て工場とレストランのセットは、やがてレイ・クロックの手で世界中に広がってゆく。 http://kottke.org/13/03/early-mcdonalds-menus 大成功するビジネスに必要な要素は「遠くにあるふたつの要素を結びつける」ことだが、マクドナルド・ハンバーガーは、本来相反する「食べ物」と「工業的生産効率」が、このふたつの要素にあたっていた。 先週、モニさんたちがショッピングに出かけてしまったので、ひとり淋しくNetflixで「Columbo」(邦題:刑事コロンボ)を見ていたら、わしガキの頃にはまだ完全に絶滅してはいなかった昔式のドライブインが出てきて、大層なつかしかった。 クルマをパーキングに駐めると、ウエイトレスのひとがやってきて注文をとる。 トレイはクルマのドアに引っかけられるように工夫されていて、クルマの座席に座ったままハンバーガーが食べられるようになっている。 ウエイトレスのひとびとがローラースケートでクルマからクルマへ滑ってゆくレストランもあったりして、楽しいシステムで、好きだったがマクドナルドの効率にはまったく勝てないようでした。 リカトンに最後に開いたドライブインレストランは一年もたなかった。 一企業と見くびると間違えるので、マクドナルドはアメリカでいうと、ビーフ、チキン、ポークの全米1,2を争うトップバイヤーで、この巨大なハンバーガー工場に部品を供給するために1950年にはトップ5社で市場の25%のシェアを持つに過ぎなかった巨大食肉加工会社は2008年にはトップ4社で80%のシェアを独占するに至っている。 数字を挙げたほうが規模を実感しやすければノースカロライナのターヒールにあるスミスフィールドの豚肉加工工場では一日32000頭の豚が屠殺されてベーコンやハムに化ける。 一方でマクドナルドのようなレストランチェーンは添加物の研究所を持っていて、コガネムシのような甲虫類を使って味付けをする方法や自然な肉色が出る色素、その色素を使うことによって生じる特有の化学物質臭を消臭するための添加物、さまざまな物質を研究している。 政府の食品安全機関が、ゆっくりではあっても次々に「危険添加物リスト」を更新してくるからで、リストに載っていない人工添加物を常に公的機関が発見してしまう前に開発しなければならないからです。 マクドナルドは本来農業産物である食品世界を工業に「進化」させてしまった。 ニュージーランド人などは正真正銘の「英語世界のイナカモノ」なので、東京やニューヨークのような地価も物価も高いはずの都会に旅行して、5ドルで昼ご飯を食べられるのをみると、ぶっくらこいてしまう。 Chili’sのような安さが売り物のファミリーレストランでなくても、たとえば、多分ハリウッドが近いせいで、注意してみていると頻繁にテレビドラマや映画で、職場の同僚の誕生日のお祝いパーティや、クリスマスの「飲み会」に出てくるイタリア料理店「Buca di Beppo」 http://www.bucadibeppo.com/restaurants/ca/anaheim/menu/dinner/ のようなレストランでも、(四人前以上の分量と書いてあるが)東京なら優に8人前はあるスパゲッティ・ミートボール(L)が$24ドルです。 4,5人のグループででかけて、ひとつだけ頼んでもパックに詰めて持ち帰ることになるパスタと、やっぱり安いがひどく不味いわけではないワインでおなかをいっぱいにしてから、ふと考えると、どうして、こんな安い値段で料理がだせるのだろう、と、不安というほどではないが、なんだか釈然としない気持ちが胸をよぎっていく。 クニじゃあ、こんなことは、ありえねーんだけど、都会は不思議なところだのお、とちらと思う。 もうひとつイナカモノの例を挙げる。 日本語の本を買うのに、世界一だと思っている日本の古書店で買うことにしていたが、あるとき、「ブックオフ」チェーンには、ときどき、とんでもない稀覯本が単純に定価の半額で売ってあることに気がついて、おもしろがって、クルマであちこちのブックオフにでかけてみたことがある。 病がこうじて、新潟の村上まで出かけた。 途中で寄ったKFCで野球帽をかぶって、ユニクロの上に「ワークマン」の作業着をひっかけた、いかにも不作法なおっさんが、若い女の店員に、おおきな声で文句を言っている、いやいや、文句を言っているのかとおもったら、声の出し方が下品なだけで、冗談を言っているもののよーでした。 「こんな鶏がよ、ねーちゃん、世の中にいるわけがねーだろ」 「こんな、あんたの足みたいに細っこい骨でよ、ねーちゃんと違って、こんなに胸がでっかい鶏なんて、いるわけがねえ」 でへへへ、と笑って店を出て行ったが、この強烈に下品なおっちゃんの述べたことをおぼえていて、あとで農家の人に聞いてみると、このおっさんは下品だが真実を述べていたので、アメリカの鶏舎で隠し撮りした動画をみると、「改良」に改良を重ねて消費者が大好きな胸肉をおおきくとれるようにした鶏たちは、ほとんど歩くことが出来ない。 のみならず毎朝、ぼたぼたと病気の鶏が床に死体になって数羽、転がっている。 この50年間の製品改良で、生育期間は半分で体重は二倍という優秀な「鶏というハイテク製品」が出来上がっているのでした。 イナカモノの直感どおり、食べ物が食べ物として栽培されているかぎりチェーンレストランのメニューの価格で食べ物が供されることがありえないのは、英語やフランス語の世界では「無数」とおおげさに言いたくなるくらいのドキュメンタリ映画・番組によって、広く知られていて、食べ物として成育されて市場に出てくる食品を食べようとおもえば、普通の、なあああーんとなく食べ物であるように装っている、トマト風味でトマトのようにみえるトマトの形をしたなにか、やベーコンに偽装してあるけど、ほんとうは燻製さえされていなくて、化学工場で薬品によって大量生産された、なんちゃってベーコンの三倍〜五倍のオカネを出さなければならないのは国内消費量の何倍も農産物やデイリープロダクトをつくっているニュージーランドでさえ事情は同じで、前にも書いたが、オークランドでいちばんおおきな「ファーマーズマーケット」で、野菜の出所をいちいち尋ねたら、半分以上が遙か遠くの中国からの輸入野菜で、笑ってしまったことがあった。 実際、2015年には3000万人を越えてしまうのではないかと言われている糖尿病患者を持つアメリカ合衆国 http://www.diabetes.org/diabetes-basics/statistics/ でいま起きていることは、ふつーのスーパーマーケットチェーンの店頭では、コカコーラの1.5リットルボトルが¢50なのにブロッコリはたった一個で$2の現実で、食品安全ドキュメンタリの古典、有名な「Food, Inc」にも、夫が糖尿病で、子供たちにも、もっと健康的な食べ物を与えなければいけないのに、という罪の意識にさいなまされながら、一個一ドルのチーズバーガーを夕食にするラティノの主婦がでてくる。 … Continue reading

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ガメ・オベールからの手紙_4

1 朝起きてから、夜眠るまで、一日中、机の前に座って、カウチに寝転がって、あるいは立ち机の上に体を屈めて、絵を描いている、 あーでもないこーでもないと文章を書いている、 曲をつくってコンピュータに演奏させてみる。 ギターを弾く 晴れた日には下絵を描いて、紙を切って、あるいはガレージの暗室で焼き付けをして、シルクスクリーンのプリントをつくる。 プログラミングをする。 マリーナに行ってボートやヨットの掃除や修繕をする。 モニが一緒に来れば、少しだけ船をだして、ハウラキガルフの沖でお茶を飲んでいる。 小さな人びとのためにジャングルジムの役をして、遊ぶ。 いろいろな言葉を教える。 本を読んでやる。 晴れて気持ちのいい午後には、得意のバク宙(←まだ出来る)で空中に回転して、水族館のイルカの代わりをする。 なぜそんなことばかりしているのかというと、そうでなければ一日、朝起きてから、夜眠るまで、退屈で仕方がないからでしょう。 友達は、どうしてガメの一生には困難が生じないのだろう?と不思議がるが、 困難は来んなん、などと相手には意味が不明な日本語を述べている本人も困難のない生活を感謝しているが、退屈は退屈で、なんだか子供のときにやってみたかったことはあらかたやってしまったので、しまった、というような気持ちになることがある。 もっと、野望をもつべきだった、 …なんちて。 日本語ブログで言えば、この程度の真実を述べて、もうホラなのではないかと思う人がいるのに、現実には書いたことの数層倍も恵まれた自分の現実の全容を公開したりする意味を認めない。 良いことはなにもない。 これまでの経験から言って仲のよい友達でも、手紙やネットで出会ったひとびとは現実に会うまでは、ぼくの生活や、どうかすると存在まで認めがたいものであるらしい。 それでも、あんまり頭の働きが良くなくて、(ごみん)、観察力に欠けるひとたち (ダブルごみん)は、ニセガイジンだ、日本の片隅で逼塞する中年のおじちゃんだ、で一足飛びにすんでしまうが、知性がある人々で「ものごとにはリアリティというものがあるだろう」と考える人たちのほうは、 ニセガイジンだということにしても、日本人だということにしても、どういうふうに仮定しても説明できないことが起きるので、もしかしたら本人が申告するとおりの人間なのではないかしら、と思うもののようである…それから、我に返って、こう思っているのが、手に取るように判る。 「そんなバカな」 ところが、本物のぼくはリアルな世界に住む人間で、申告通りで、二重にも三重にもリアリティが壊れた世界で、幸福に暮らしている。 「幸福な人間が自分で自分の生活を幸福だというわけがない」という19世紀文学的な観察を、ふ、古い奴、とつぶやきながら眺めている。 座標軸が、ほら、少しだけ歪んでいるでしょう? えらそーなことを述べると、絵よりも音楽よりも文章よりも、自分の生活こそがつくりたかったもので、ぼくはそのためのゲームをまでデザインして、自分でプレーヤーとして参加して、ふつうに勝って、ここに座っている。 敗北者のいないゲームで、ぼくは、そのことに誇りを感じている。 なによりもゲームのデザイナーとして、すぐれた才能があるのではないかと自惚れる。 モニと、小さなひとびとと、家の仕事をする人たち以外、ほとんど誰とも会うことなく、快適な家の奥にいて、スクリーンを通してきみに向き合っている。 ガメ・オベールは2007年当初はともかく、いまとなっては古臭い名前だなーと思う。 2ドル硬貨が機械に消えて、画面に出るgame overからつくった名前だが、いまではインターネットのそこここじゅうに溢れている。 こういうことを慌ててつけたさなければいけない気持ちになるところが日本語の面倒くさいところだが、もちろん他人がマネをしていると述べているわけではなくて、それだけ発想としてありふれていたね、という意味です。 ガメ・オベールを漢字で表記した「大庭亀夫」のほうが、いまでは気にいっている。 このあいだ、奇妙な夢を視た。 いつかブログ記事に書いた「勇者大庭亀夫」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/29/cameo/ の夢です。 … Continue reading

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兵器と戦争_1

ドイツで国産自動小銃のG36が問題になっている http://www.thelocal.de/20150422/de-maizire-knew-about-weapon-problems が、安倍首相が熱心に海外に売り込みをかけている日本の兵器にも悪評が付きまとって離れない。 こういうことを書くと、またまたまた、「きみは日本の兵器の優秀さを知らないから、そういうことを言う。 ついてはアマチュアと言えど兵器の研究一筋30年のぼくがものを教えてあげよう」 あるいは「けっけっけ、つっこみどころ満載」と述べにくるヘンな人がいっぱいいるので書く前から鬱陶しいが、鬱陶しいから書かないというようなことを言っていると自分が鬱陶しい人になってしまうので気にしないことにする。 ツイッタでもひとしきりお友達たちと話して、ぬははは、と喜んだが、たとえば日本には62式7.62mm機関銃、という有名な兵器があります。 G36は自動小銃なので連射して照準が狂うのは、よく考えてみると、やむを得ないと言えばやむを得ないが、62式は、小銃と異なって連射を前提とした機関銃であるのに、例を挙げると、連射をつづけると引き金を引いていないのに連射が続行される、つまり平たく述べると暴発して、その辺の味方の兵士も、お散歩していた犬さんも猫さんも薙ぎ倒すという不思議な機関銃で、日本の兵器マニアの「軽い」「部品精度が高い」「やっぱり日本製はすごい」という評に反して、現場で使わなければならない自衛隊あらため他衛隊の兵士たちが62式機関銃に付けたあだ名は 「無いほうがマシンガン」 「62式言うこと聞かん銃」 で、正直というか、兵器ヲタクのようなヒョーロンカと違って、実際に戦場で使用しなければならない兵士たちの 「こんなもん使わされたら死んでしまう」という気持ちがよく出ている。 日本の軍隊は、不思議な習慣をもっていて、直截取引をせずに、なんだかびっくりだが、あいだに民間商社が介在する。 あいだに民間商社が介在するということは途中のピンハネを別にしても、といって、別に出来るような生半可な利益率ではなくて、オスプレーの値段を見てもわかるというか、なんでそんな価格で、という価格の原因になるほどのすごいピンハネだが、別にしても、売る側のアメリカや欧州諸国からみると、あいだに民間が挟まっては情報漏洩が怖くて最新鋭兵器を売るわけにはいかなくなってしまう。 実際、日本に売るのは、とっくのむかしに中国が分析済みの兵器ばかり、というのは、こればかりは兵器ヲタク世界ですら常識であるようです。 まして外国の軍事ウォッチャーにおいておや。 つまり日本の軍備は構造的に時代遅れで役に立たない兵器が揃うように出来ている。 後々の「突撃日本軍」のイメージと異なって日本はもともと防衛戦争に強いので定評があった国で、この定評は日露戦争で出来上がった。 若いロシア人たちと話してみると、日本がロシアに勝ったと考えている人は誰もいなくて、「あんまり降参しないで頑張るので、日本人への頭からの軽蔑を公言していた皇帝が体面が悪くなって「なかった」ことにした」という見解が大半ですw 文章におもわず草を生やしてしまって書いている人の品の悪さが露呈してしまっているが、当時のロシアの補給戦略は奇想天外で、地図をみれば判るが、戦争の版元の欧州ロシアから日本までは補給線の限界どころか、当時物理的に可能とされていた補給限界の5倍というような距離に戦場がある。 ロシアは、どうやってグリンゴン星人の本拠地に攻め込むような不可能な戦争を遂行したかというとシベリア鉄道の列車を欧州から極東アジアへ一方通行で送り込んで使い捨てにした。 補給品や兵員を乗せた列車がはるばる欧州ロシアからやってくると、兵団や武器や弾薬や食料が、どおおおと下ろされて、そのまま貨車は終点へもっていって捨ててしまう。 こんな無茶苦茶は後にも先にも帝政ロシアしか例がないが、考えてみると、それが出来ない国では、到底、戦端すら開けない主戦場への距離です。 ロジェストウインスキーがぼろ負けに負けて、正真正銘、日本が海の戦いに強いことを証明して、海軍大好きの連合王国国民に目を見張らせた対馬海戦は、しかし、当時の航海技術では、たどりつくことが難しいほどの大航海のはての決戦で、東郷平八郎の神秘的な判断でロシア艦隊が対馬にくる、と判断した奇跡と感動が強調されるが、ほんとうはブルーウォーターに出て船に乗る習慣がある人には、判りやすいというか、遠くまででかけて、目的地が近くなると、船乗りの気持ちとしては、どうやっても、ちっこいやつなら台風くらい通り抜けてでも最短距離を行きたくなるのは自然な気持ちで、ほんとうはそんなことをしてはダメダメなのに悪天候をおして母港マリーナに帰ろうとしてヨットごと遭難しかけたことのあるわしとしてはチョーわかりやすい判断なような気がしなくもない。 対馬を通らないで津軽海峡にまわる船乗りなど、少なくともわし頭では水兵から提督まで、想像の外にある。 この防衛戦争に勝った日本の兵器を見ると、旅順の重砲、騎兵の機関銃装備、最新鋭艦を揃えていた海軍、どれをとっても一流装備で、精神なんていりません、戦争は兵器と訓練と戦略だんべ、というわしとしては、日本が勝って当然とおもうが、日本の軍隊はなぜか、このあと精神性偏重へと傾いて、有名な「百発一中の砲百門より百発百中の砲一門」という、論理的にすでに矛盾した方向へ走り出してしまう。 もともと防衛戦争に「負けない」ために設計された日本帝国の軍隊が狂いだすのは、中国本土の侵略をはじめたからです。 日本の短距離補給しか能力がない軍隊の特性を熟知していた蒋介石は、主敵の共産軍に対して背後から攻めかかってきた日本軍に対して、どうか共産主義者と戦うのに専念させてくれ、とあの手この手のルートで懇願しながら、戦闘を避けて、どんどん後退してゆく。 第二次国共合作後も、いちど採った大戦略はにわかに変えられるものではなくて重慶へまで退く。 蜀犬、陽に吠ゆ (蜀地方の犬は、あまりに天気が悪いので、ふだん見ない太陽が空に出ると驚いて空に向かって吠える)というくらいで、天気の悪い重慶に引っ越しさせられた幹部たちはじめ国民党勢はうんざりだったと思うが、工場そのものをアジアン・ロシアに疎開させてT34をばりばり生産して、凝りまくってええかっこしの、やたら部品点数が多い、すかした兵器ばかり作っていたドイツ軍を圧倒したスターリンの例を挙げるまでもなく、大陸の戦争戦略としては、ごくふつーな考えで、どちらかと言えば奥地へ奥地へと退いてゆく中国軍を見て「勝った勝った。また勝った。勝たんでもええのに、また勝った」(©阪神タイガース応援団)と合唱していた日本軍のほうが、歴史的に言えば、風変わりで頓狂な存在だった。 この引き潮のように去ってゆく中国軍を見て追撃を諦めざるをえなかった日本軍が始めたのが重慶爆撃で、ピカソの絵画で有名なゲルニカをスキップして、世界最初の無差別戦略爆撃だということになっている。 日本人を皆殺しにして、すべての日本の町を石器時代に戻してやる、と豪語して、実際に日本民間人を殺しに殺しまくったカーティス・ルメイが自己の狂人じみたサディスティックな異常性格に基づいた戦略の正当化に用いたのが、この「日本が最初に重慶でやったことではないか」で、特に後半の絨毯爆撃の事実をもって、理屈を武装して、安心して日本人を殺戮しまくったもののよーでした。 日本の軍用機の特徴は、翼内タンクが大好きだったことで、こちらのほうは実は1940年代になるまでは各国当たり前のことだった防御装甲や自動消火装置の欠落と相俟って、焼夷弾頭や曳光弾が一発でも当たろうものなら火だるまになって乗員は玉砕した。 ソビエトロシア製I-15,I-16の旧式機を中心にした中国空軍でも、7.62mm機銃で撃墜できる重爆撃機体の損耗は増えて、日本軍は航続距離が長い、まだその頃は十二試艦戦と呼んだ零戦の投入を決めます。 兵器好きの中国人たちと話していて、零戦の話が出ると「鼻で嗤う」という表現がぴったりの反応をする。 あんな防御装甲もなにもない飛行機を戦闘機にしていいのだったら、どんな国でも「名機」が作れるわ、という。 スペックばかり追いかけて、人間を大事にしない戦闘機をつくるなんて、日本人の見栄っ張りぶりがよく出ている。 しかし、日本の人はよくわかっているとおもうが、これは誤解で、まず第一に零戦は1940年に進空した1000馬力以下級の戦闘機で、この世代の軽戦闘機で防御装備を持っている戦闘機は数が少なく、しかもエンジンの馬力を考えれば当たり前だが、ほとんどは駄作機に終わっている。 一方で、撃墜王坂井三郎は自伝のなかでぼろくそに書いて、「初速が遅く、弾数も60発と少なく、まったく役に立たなかった」と述べているが、他国の戦闘機乗にとっては憧れと渇望の的だった20mm機関砲を両翼に持っていた。 実際、零戦に襲われたほうの感想は、撃墜王の感想とはまた別で、B17の機内に「どおおおーん」という、ものすごい爆発音がとどろいて、振り返ってみると、機体の側面には大穴が開いていて、側方射手がふっとんでいなくなっていた、というような描写はざらにあって、アメリカ軍爆撃機搭乗員たちが20mm機関砲をいかに恐れていたかわかります。 … Continue reading

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マンガ復古主義

安倍首相が生まれた1954年は、ほとんど日本の戦後の繁栄の初めの年に当たる。 日本が自分を「先進国」と称しはじめるのは、だいたい1964年の東京オリンピックの頃で、例のアンガス・マディソンのGDPパーキャピタの比較グラフを見ると日本のGDP(PPP)perCapitaは1954年から急角度で伸び始めて、世界平均の90%以下だったものが10年間で世界平均の140%、 1.4倍にまで伸びている。 ついでにくだらない事実を述べると、近代日本は、というよりも日本は平安時代のむかしから「世界平均の9割」、つまり平均よりも「ちょっと貧乏」なのが常態で、日本の、皮肉ではなくて世界の文化のなかでも、風変わりで、突出して優れた「ビンボ文化」は、10世紀から1954年まで、通常の比較が難しい太平洋戦争ちゅうの期間を除いて、ほぼ1000年間、終始一貫して、世界平均の9割、同時代世界よりもいつも「ちょっとだけ貧乏」だったことにあるのではなかろーか、と考えることがあるが、ここでは記事には関係がないので、やめておく。 1954年生まれの日本人と成長をともにするように日本の経済は伸びてゆく。 東京オリンピックが開かれた1964年に自らを「先進国」と紹介しだした日本は、1970年代の半ばにはGDP(一人あたり)でイタリアを追い越し(世界平均の2.7倍)て、1980年代には連合王国を抜き去り(世界平均3倍)、1990年代前半にはオランダをも抜き去って、アベノミクスが始まるまで、国力の衰退を尻目に、購買能力ベースでは一貫して個人の懐は豊かになっていく。 戦争で片腕を失った傷病復員兵だった水木しげるは、1954年には紙芝居作家から、当時ビンボ文化の精華として日本を席巻していた貸本屋マンガの作家になっていた。 もともとカワリモノのナマケモノで戦争や軍隊というもの自体と肌合いがあわなかった、このマンガ家は、しかし、戦記物以外はうけないので、しぶしぶ戦争のマンガばかりを書いて暮らすようになります。 初めのうちは、いろいろと派手に戦闘を描いてみせたあとに、編集者に嫌がられながら、とってつけたように「だが戦争は悲惨だ」というようなページをつけていたが、これさえ、もともと戦争好きな社会に囲まれて育った子供達(といっても、ここでは男の子ばかりだが)にうけが悪くて、後半はほとんど自棄になって、戦争賛美のようなマンガを描いていたという。 水木しげるの足跡をたどっていてわかるのは、当時の子供、1960年代後半くらいまでに小学生だった子供たちが貸本マンガを読みふけることによって「戦争漬け」、それも現実の戦争とは何の関わりもない、空想物語としての「戦争」で、特に徹底的に負かされ、自己認識においては自分もその一員であったはずの「先進国」が相手では、現実にはまったく歯が立たなかった戦争の記憶にうちひしがれていたおとなたちの自己防衛機制としての「白人の黄色人差別へ、ただひとり立ち上がって戦った栄光の戦士日本」「アジアの解放のために尊い血を流した日本人」という、当のアジアのひとびとが聞いたら怒るどころではすみそうもない、日本人の「内輪だけで語られる戦争の真実」が倦むことなく、零戦に託され、大和の悲壮な出撃によって奏でられ、「玉砕」の悲壮に酔って、空想の世界では志願して喜んで死んでいったことになっている特攻で最高潮に達する「愛国エクスタシー」にひたって雨の日の縁側ですごす午後を送っていた。 その頃の子供たちの頭の中にある日本の歴史は奇妙なもので、ふたつの相反する歴史世界が共存している。 学校の教室で先生が述べる太平洋戦争は「日本が犯したおおきな過ち」で「近隣の国々にも迷惑をかけ」て、「二度と繰り返してはならない」ことになっているが、家に帰って、ある場合、というのは日本有数の有名政治家の家であった安部家のような場合には、親の目がとどかない密かな楽しみで、夢中になって読むマンガが頭のなかにうみだした仮想世界では、日本はただ物量によってのみ敗北した、正義の戦争を行った国で、一発で、襲いかかる空をびっしり埋めたグラマンの大群のまんなかに、ぽっかり大穴があくように大量撃墜する三式弾や、常に多勢に無勢、たった3機で100機を越えるアメリカ艦載機の大群に立ち向かう南洋のエース達の物語が共存していた。 そこでは太平洋戦争は「ローランの歌」に似た民族的な叙事詩で、ローランの山本五十六を始め、勇猛で誇り高い武将達が、しかし、その勇猛と武人としての矜恃ゆえに国を滅ぼしてしまう。 簡単に言えば建前の世界では日本は戦争犯罪を犯した悪い国で、本音では英雄的な戦いを戦って、敗北ゆえに罪を着せられた悲劇の主人公だった。 初めてマンガ週刊誌として成功した週刊少年サンデーを例にとると、この画期的な雑誌が創刊されるのは、1959年のことです。 ぼくは少年サンデーも少年マガジンも創刊号から1990年代まで蒐集して持っているが、あまりにかさばるのでロンドン行きで、手元にない。 記憶にしたがって述べると、価格は30円で、いまのマンガ雑誌に較べるととてもとても薄い雑誌です。 義理叔父の父親は、やはりこの少年サンデーの「伊賀の影丸」が好きで、当時はおとなが読むのは恥ずかしいことだとされていたので、こっそりこっそり薄い書類鞄に忍ばせて家に持って帰ってきたそうなので、隠れファンのおとなたちにとっては案外薄いということの効用もあったのかもしれません。 前にパラパラとめくって読んでみた記憶にしたがって述べると、戦前のマンガのタッチ(横山隆一、寺田ヒロオ)と戦後のマンガの新しい線描(赤塚不二夫、藤子不二雄)の混淆で、スポーツマンガと戦争マンガが評判がよかったらしい。 興味があるのは記録に残されなかった「読み物」のほうで、やたら好戦的というか、戦争はほんとうは正しかったのだ、という内容が多くて、読んでいる方は、なにがなしフィリップ・K・ディックの「高い城の男」を思い出して、複雑な苦笑を浮かべてしまうような文章が多かった。 手塚治虫と赤塚不二夫のふたりは、どうやら心底戦争が嫌いだったようにみえて、前者は子供達に向かって、はっきりと「戦争はダメだ。戦争はすべてを破壊する」と述べているし、赤塚不二夫にいたっては、「おそ松くん」というギャグマンガに出てくる「チビ太」というツギハギだらけのズボンをはいて貧しさを笑われながら逞しく生きるキャラクターは、戦災孤児なのではないかという気がする。 こういうマンガは再刊され文庫化されて、いまに伝えられている。 ところが記録に残っていかない戦記マンガや小文や巻頭図解が醸し出す雰囲気は全くの戦争肯定で、あとから振り返った歴史というものがいかにのっぺらぼうなものか、まざまざと見せつけられる。 百田尚樹という人の「永遠の0」を読むと、筋立てがまったくこの頃の「戦記マンガ」です。 安倍晋三が血湧き肉躍るおもいで読んでいそうな加藤隼戦闘隊の少年パイロットたちの物語である人気連載マンガ「大空のちかい」のような一群のマンガが「栄光のゼロ」の直系の先祖で、物語として編集者が余計なネームをいれない部分では、こちらのほうが主人公滝城太郎の心象にやや深みがあってよく出来ているように見えなくもない、1963年から1965年まで続いた「紫電改のタカ」を考えると、 当時は子供が感心して読んだものを、いまはいいとしこいたおとなが感動して読んでいるのだ、と皮肉を述べて述べられないことはないが、そういう下品なことはやめて、まともな話題に沿うと、この本が売れたことは、つまりは安倍晋三が家の縁側で学習した「本音の歴史」が教室で教わった「建前」の歴史に「おまえのような秀才づらはもううんざりだ」と述べだしたことで、教室の建前に連なる週刊「朝日ジャーナル」や大学生ならば斎藤龍鳳たちが活躍していた「日本読書新聞」の綿綿と続いた日本の「左翼系文化」が一人あたりGDPが世界平均の3倍を超えた1980年半ばあたりからピタッとやんで、短い「日本の春」が現れ、1990年代半ばに今度は対世界比較でのひとりあたりGDPの急降下(絶対収入はまだ増えている)が始まると、急速に「右傾化」が起こり始める。 安倍晋三の世代の子供たちの魂の深い底にマンガを始めとした「非公然文化」によってふきこまれ、生命をもった「日本は悪くなかった」という声が、学校やマスメディアの「教室優等生のおとなたち」が繰り返し述べる建前の皮膚を食い破って、「日本社会がほんとうに信じている歴史」の怪物の姿になって、近隣のアジア諸国だけではなくて、同盟国のアメリカ合衆国にさえ危惧を感じさせている。 それはちょうど、学校では神国と教えられて、御真影を礼拝し、生きながら神である天皇のために死ぬのが国民の義務だとたたきこまれた教室から、やさしい母親の膝にとびこむと、「人間」の甘酸っぱさが、否応もなくこみあげてきた戦前の子供とは、ちょうど逆の構図で、戦後民主主義の危うさ、日本の戦後自由思想に一貫して感じられる訴えかける力の弱さが、どこから来たか、わかるような気がしてくる。 日本の「見えない戦後史」であるマンガの歴史は、いしかわじゅん「漫画の時間」や夏目房之助の一連のマンガ評論を読んでみても、実感されるのは難しいが、当時の実際の雑誌にあたると、初期のマンガ週刊誌を手にした子供たちにとっての戦争についての「常識」が、そのまま安倍政権の主張と重なるのが容易に看てとれる。 これも糸井重里や渡辺和博たちの「ロマンチックが、したいなぁ」や「金魂巻」な愉快で浅薄なコピーライター語文明と同じで、一種の反「教室秀才」運動なのかしら、とおもうと、いまの日本の世相も、世界の歴史にはいくつもある「反知性運動」のひとつで、日本では知性が学歴のことになってしまったせいでこんな姿なのだろうか、と失望しなくもないのです。

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戦後民主主義の終わりに

世界貿易センタービル(World Trade Center)に2機のハイジャックされた旅客機が突っ込んだあとアメリカ合衆国の支配層が盛んに述べたのは「第二の真珠湾攻撃だ」ということだった。 「卑劣・騙し討ち・国土への攻撃」という意味合いだったと思います。 あるいはブッシュが演説で言い出したことだったが、イラク侵攻で勝利したあと、共和党幹部たちは「イラクの日本化」という不思議な言い方をしていた。 1945年に日本に無理矢理に民主主義の鋳型を押しつけて、強制的に民主化したように力で民主主義社会を無理強いにつくらせても、民主主義は機能する、 だからイラクも日本人を屈従させて民主的な国民に変えたように、今回も 同じ(麻生太郎大臣の切り拓いた新しい日本語用法に従えば)「手口」で、うまくいくに決まってる、と考えたもののようでした。 ここ1ヶ月まとめて、どどどどと日本語をやろうと思っていたので、相変わらず他のことをやりながらだけれど、たいへんな時間を日本語に使った。 いろいろなことを話し合えて楽しかったが、他の言語では、こういう反応は起きないだろう、と思うことがよくあった。 木酢ベーコンの話をする。 木酢を使って燻製をまったくしないでベーコンを作るのは日本の大手会社が戦後のGHQ指令による捕鯨開始で大量に獲れた鯨でベーコンをつくるのに編み出した方法で、いまでも日本のベーコンは、他の国と異なって、この燻製によらない化学液を使った処理で「ベーコン」を生産しています。 現実の生産過程は複雑なものなので化学工場と同じで、たくさんの薬品を使う。 その話をしていると、タイムラインにいつもあらわれる人のお友達人が 「きちんと表示されていて適正価ならいいんです」 と書いている。 おおお、ほおほお、と思ってこのひとのアカウントへ見に行くと、「それを創意工夫と言う」と述べている。 念のために書いておくと、この人は、twitter社のtroll対策の甘さが災いして、急速に「2チャンネル化」しているtwitterに溢れてきた「ヘンな人」ではなくて、ふつうの人です。 店頭に並んでいるベーコンを買って食べる側の人間が、英語世界で、この文脈で「きちんと表示されていて適正価ならいいんです」ということは考えられない。 英語人は疑り深いだけなのかも知れないが、ベーコンを訳のわからないものの注入で膨らませてつくるような食肉加工会社が正直に「きちんと表示」するわけはない、と考える。 食品について誰でもが_ドキュメンタリや書籍を通じて_共有する基礎知識として、有害物質をDBにリストアップする政府機関と、リストに載っていない有害添加物でなんとか利潤を増大させようとする食品会社との永遠のイタチごっこは誰でも知っていることなので、あの日本の、ベーコンの袋を裏返しにしてみると、のけぞってしまうような、長大な添加物の一覧表以外にも、表示義務のない有害な添加物が含まれているに決まっておる、と狐疑することになっている。 だから「きちんと表示されていて適正価ならいいんです」 という表の理屈はあっているが、企業の善意を前提にしなければ出てこない理屈は「企業側の論理」で、消費者の側が唱えることはない。 西洋社会の自由主義は、個人の側の視点と企業や政府の「全体」の側からの視点が反対の方角から来て、正反対のベクトルが拮抗することで成り立っているので、ベーコンで言えば、というのはヘンな日本語だが、木酢で出来たベーコンなのだから、用法の間違いをどうでもいいことにしてそのまま使うと、ベーコンで言えば、消費者側からは殆ど企業の言い分が正しいかどうか判断がつかないことを企業の側に立って意見を述べるということはありえない。 仮にそういう意見を述べる人があらわれたとして、日本の人が好んで使う皮肉な意味ではなくて、「この人はベーコンの会社の人だろーか?」と、ぼんやりと思うだけなのではなかろうか。 観察していると、日本の人には「日本のものは、すべて聡明公正に円滑に動いていて、他国よりもすぐれている」という強い誇りがあって、そうでもないんじゃないの?という人が現れると、強い反撥を感じるらしい。 日本という国を極めて独自の優秀な社会であると感じていて、自分がその「独自システム」の部分であることに特権的なプライドを持っているように見えます。 たとえばニュージーランドでは、「自分は愛国者」だと述べるのは、よっぽどヘンな人で、「わしは愛国者なんじゃ」と言い捨てて立ち去る後ろ姿を観察すると、きっと首の後ろがとても赤いと思うが、それでも赤い首の襟をつかまえて、ちょっとちょっと、そりゃ、あんたが愛国者なのはわかったけど、ニュージーランドのなにを愛してるの?と訊けば、しばらくジッとこちらの目をみつめてから、うーん、多分、自然、かな? グレートカントリー、イズントイット? と言うだろう。 実際にあった、ニュージーランドの牛乳のテレビコマーシャルの台詞で、流れるたびにガキだった妹とわしは、あまりの田舎者っぽさに大笑いしたものだったが。 日本では愛国者の「愛」の対象は「日本というシステム」であるように見える。 街中の通りが綺麗である。 配送荷物が定まった日時にきちんと届く。 店員の言葉遣いが丁寧で恭しい態度とくずさない。 なにごともタイディでニートである。 ネトウヨというような、あんまり日本人ぽくなくて粗野な人たちを省いて、日本の人が自分の国を愛している理由を拾ってゆくと、「この快適なシステムがほかで得られるわけがない」ということが愛国心の内容であるよーだ。 西洋人は自分自身を愛している。 というより、他のことは何も考えていない、と言ってもよいくらいです。 最もおおきな理由は、多分、「自分を大事にしなさい」「自分を愛することをおぼえなさい」「自分が特別な存在であることを忘れないようにしなさい」 … Continue reading

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