スタートレックと偏見

マイク・ホンダ下院議員が日本人のくせに反日で許せないという非難が日本語サイトのあちこちに巻き起こって、ヒャクタという元国営放送委員のひとが「こいつは朝鮮人だ」と述べている。
さすがは日本の人、と思って感心していたら、アジア人フォーラムに話の顛末が紹介されていて、見かけや出自で、純然たるアメリカ人マイク・ホンダを日本人としか考えられないのは日本人の人種差別・民族差別の心性が魂の底まで及んでいることを示している、と書いている人がいて、日本で起きているこうしたことが、だんだん英語世界に知られていくのは、よいことだろうか、それとも悪いことか、と、あんまり意味がないことを考えた。

マイク・ホンダはシリコンバレーを含むカリフォルニア州を地盤とするデモクラットで、グリーンハウス効果についての啓蒙、最低賃金問題、ムスリム人たちの宗教の自由の擁護、保険制度の改善、とりわけ長期間にわたる、人工中絶の支持を含む女性の権利保障とLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の人権の保障に政治活動の中心をおいてきた人で、アメリカの似た背景をもつデモクラットとして、とりわけ女性の権利の保障に力をいれてきた政治家として、慰安婦問題について当然期待される政治態度をとっているにすぎない。

アジア人たちは、ずいぶんひとり勝手な日本人の態度に怒っているが、他の「ガイジン」たちは、なんだか呆気にとられるというか、マイク・ホンダが日本人なら、じゃ、アイゼンハワーが指揮をとったのは、ありゃドイツ国防軍だったのか、おお、と不思議の感に打たれたものであるように見受けられる。
理屈もなにもあったものでなくて、ほんとうに起きていることだとは考えにくい、冗談じみているが、よく考えてみると、あんまり笑えない日本文明の断面であるようでした。

7歳のジョージ・タケイは、カリフォルニア州のローワー強制収容所で、ぼんやり二重の鉄条網の向こうを往復する戦車を眺めていた。
監視タワーのブローニング重機関銃が、敷地内を散歩するジョージ・タケイの姿を銃口で追っています。
真珠湾攻撃のあと、マイク・ホンダに対していまの日本人たちが持っている妄想とおなじ妄想に駆られたアメリカ政府は日系移民を、戦後アメリカにおける過去の人種差別意識のシンボルとされる日本からの移民を「敵性視」する命令、大統領令9066号によって、まとめて強制収容所へぶちこんでしまう。
日系移民達は、突然それまで築き上げた生活を奪われて、あたりまえだが、経営していた企業は倒産し、農場は荒地にもどり、その上に銀行口座まで凍結されて、鉄条網に囲繞された、人間の家と呼んでいいかどうか疑わしいような建物に押し込まれて、囚人食を三食あてがわれることになる。
ある日、連邦政府の係官がやってきて、調査用紙に記入しろ、と言う。
悪名高いLoyalty Questionnaireです。

ここで、ちょっと日本語サイトをパラパラと眺めてみると、wikipediaも含めて「アメリカ政府に対する忠誠心の調査「忠誠登録(Loyalty Questionnaire)で忠誠を拒否したために、カリフォルニア州テュールレイク強制収容所へ送られた」とあるが、いつものこと、半分しかほんとうでなくて、このときのLoyalty Questionnaireは有名なもので、
実際の質問は簡単に言えば「あなたはアメリカ政府に忠誠を誓いますか?」という質問と「日本の天皇に忠誠を誓いますか?」というふたつの質問を組み合わせたものだった。
ジョージ・タケイの父親は、連邦政府の狡猾な意図を見抜いていたものの、自分の良心に従ってアメリカには忠誠を誓うが、天皇には忠誠を感じないと答えて、その「日本人であるのに天皇に忠誠を誓わない」ことが、「人間としての忠誠心欠如の証拠」として、より厳しい環境の懲罰的な収容所であるカリフォルニア州テュールレイク送りの理由になる。

もっとも収容所内の日系移民社会のリーダーのひとりと目されていたジョージ・タケイの父親は、「天皇にも忠誠心を感じる」と答えれば、今度はEspionage Actに従ってスパイとして刑務所へ送られることになったでしょう。

しかし、アメリカ連邦政府の卑劣な行いで生活を完全に破壊され、戦後も
自分を頑として「チビジャップ」としか呼ばない教師や、他のアジア人たちからさえ徹底的に憎まれ軽蔑されて、「薄汚い日本人、国へ帰れ!」と赤いペンキで壁にグラフィティのある町や、通りすがりに罵り言葉を浴びせられても、アメリカの国家としての良心と手続き主義を信じてジョージ・タケイたちはアメリカ合衆国に残って生活を再建する。
戦後、政治手続き上は、ちょうど慰安婦問題に似た、Internment問題の公聴会で行ったジョージ・タケイの演説は、少数エスニックグループ移民が行った演説のなかでも、最も感動的な演説のひとつとして、有名なものです。

ここまで読んできてもジョージ・タケイって、誰だっけ?と名前をおもいだせない人のために述べると、ジョージ・タケイは、ほら、あの、キャプテン・スールーです。

スタートレックの、エンタープライズ号の操縦士で、アジア人で初めてテレビドラマの大スターになった。
いまでも、とても人気のある人で、本のサイン会には、ありとあらゆる人種のファンが、ジョージ・タケイとひと言言葉を交わしたくて、買ったばかりの本を握りしめてならぶ。
ドキュメンタリには、日本語フレーズブックかなにかで一生懸命おぼえてきたのでしょう、生粋のアメリカ人であるジョージ・タケイに、何度も何度も練習しなければできるわけのない自然な日本語の発音で
「いちど、おめにかかりたいとおもっていました!とても、うれしいです!」と大きな声で挨拶するコーカシアンの女の人が映っている。

ジョージ・タケイは、後年、JUSFC(日米友好基金)の理事としての長年の米日友好に尽くした功績が日本政府に認められて旭日小授賞を叙勲されます。
外国人が日本政府に授賞される場合、ふつうは本人がでかけることはない。
日本人を無差別爆撃で大量に虐殺した功績を日本政府から認められて、(といっても、もちろん表向きにそう言ってしまうわけにはいかないので自衛隊の教育に功があったとかなんとかヘンな理由を牽強付会しているでしょうけれど)同じ「空の軍人」だった源田実の発案で、勲一等旭日賞という、豪勢な勲章をもらったカーチス・ルメイなどは勲一等旭日賞が天皇親授と固く定められているにも関わらず、めんどくさがって日本に行かなかった。
贈られてきた勲章をもらっただけ、というゆいいつの勲一等旭日賞受賞者になった。

ジョージ・タケイはしかし、日本に行かなければ失礼だろうと考えて、四半世紀をともに暮らす同性配偶者のブラッド・アルトマンと一緒に来日する。
ふたりとも、日本の天皇陛下に会えるというので有頂天だったと、ブラッド・アルトマンは述べている。

ところが制服の係官があらわれて、門のところで、ブラッド・アルトマンを押し戻します。
「天皇陛下にゲイ・ワイフなんて立場で会わせるわけにはいきません」と言う。
そんな失礼を許すわけにはいかない。
あなたは、バスに戻りなさい。
そこで待つべきだ。

「生涯でも最も悲しい日だった」とブラッド・アルトマンはインタビューで述べている。
だって、そうだろ?
最愛の人の、最高に晴れがましい日だっていうのに、ぼくは、ひとりぼっちでバスのなかに座っていなけりゃならなかった。
最低の日、人生最悪の日だったよ。

顔が日本人だから日本に忠誠をつくすべき人間で、男だから配偶者は女であるべきだ、という世界は、幸いなことに、世界の文明に取り残された(決して小さくはない)地域をのぞいては過去のことになって、前にも書いたような気がするが、金曜日の夜、むかしから意外なくらい保守的な土地柄のマンハッタンですらカフェ「Vinyl」に座っていると、すごい数の男同士で手をつないで楽しそうに歩いて行くカップルや、交差点で男同士、唇をかさねたまま彫像のように動かないふたり、猥談で笑いころげる、ふた組のゲイカップルがいて、女同士のカップルは、まだアメリカ社会の抵抗の強さを反映して少数だが、いずれはこれも数年という速度で解決されてゆくのでしょう。

出身国や人種に関わらず、アメリカ的価値を信じていればアメリカ人として信用する、というのは、結局は人間性というものへの信頼の問題で、
ふだんはアメリカ人の「役」を演じていても、あの顔で、あの背景だから、心の底では日本人だろう、という憶測は、自分自身の、自己の世渡りのためなら「心にもないこと」くらい、いくらでも言える、という卑しい心性の他人への投影にしかすぎなくて、戦争に負けてアメリカ軍が占領軍としてやってくるときに、男は皆殺しにされて、女は全員強姦されると日本人が固く信じ込んだのが自分たちがアジアの占領地でやってきたことの正確な投影であったのと心理的な機制としてはまったくおなじで、英語人は相変わらずバカだが、その程度の理屈が判らないほどマヌケなわけではない。

日本の人が戦争から70年経って、いまもおおきな声で自分の偏見の投影を叫んでしまうのは、自分の影の醜さに怯えるからだろう。

太陽が沈んで昇る時代時代の光線の傾きで、どれほど醜怪な形の影にみえても、それが残念ながら自分の影で、自分の生命がつづく限りは、ずっと付き合う以外にはないものなのだ、とかつての盟邦ドイツ人たちは教えている。

子供の世界のおはなしは、いつもたいていはハッピーな結末が用意されているが、現実の世界には「終わりのない物語」が冷然と横たわっているものなのかもしれません。

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2 Responses to スタートレックと偏見

  1. 太郎 says:

    >見かけや出自で、純然たるアメリカ人マイク・ホンダを日本人としか考えられないのは日本人の人種差
    >別・民族差別の心性が魂の底まで及んでいることを示している

    >ふだんはアメリカ人の「役」を演じていても、あの顔で、あの背景だから、心の底では日本人だろう、
    >という憶測は、自分自身の、自己の世渡りのためなら「心にもないこと」くらい、いくらでも言える、と
    >いう卑しい心性の他人への投影にしかすぎなくて、

    そういう(ある意味「深い」)人も居るかもしれませんが、民族、人種、アメリカ人といった概念に関する基礎的知識が無い人が多いのでは。要するに無学で田舎者なのではないかと。ああいう考え方だと、Thomas Paineなんてどう理解するんでしょうね。

    必ずしも日本人に限った反応では無い気もします。昔トルコの人とFrancis Fukuyamaの話をしてた時、「ああいう立派な人が出て日本人として誇りに思うか」と訊かれた事があります。「彼はアメリカ人であって、そんな事は知らん」と応えましたが。

  2. ここさん says:

    JJエイブラムスのリブート版からファンになって昔のスタートレックもぽつぽつ観始めた新米トレッキーです。こんな話があったなんて知りませんでした。書いてくださってありがとうございます。タケイさんの、授賞式の文章は読んでいて胸が苦しくなりました。わざわざ日本にまで来てくださったタケイさんに、なんて失礼で冷酷な対応をしたんでしょうか。天皇陛下に対してもバカにしすぎです。陛下が何を思おうと、本人の功績に対する授賞式なんだから誰がパートナーとか関係ないはずです。最近日本人であることに申し訳なく思うことが多くなりました・・・。

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