マンガ復古主義

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安倍首相が生まれた1954年は、ほとんど日本の戦後の繁栄の初めの年に当たる。
日本が自分を「先進国」と称しはじめるのは、だいたい1964年の東京オリンピックの頃で、例のアンガス・マディソンのGDPパーキャピタの比較グラフを見ると日本のGDP(PPP)perCapitaは1954年から急角度で伸び始めて、世界平均の90%以下だったものが10年間で世界平均の140%、
1.4倍にまで伸びている。

ついでにくだらない事実を述べると、近代日本は、というよりも日本は平安時代のむかしから「世界平均の9割」、つまり平均よりも「ちょっと貧乏」なのが常態で、日本の、皮肉ではなくて世界の文化のなかでも、風変わりで、突出して優れた「ビンボ文化」は、10世紀から1954年まで、通常の比較が難しい太平洋戦争ちゅうの期間を除いて、ほぼ1000年間、終始一貫して、世界平均の9割、同時代世界よりもいつも「ちょっとだけ貧乏」だったことにあるのではなかろーか、と考えることがあるが、ここでは記事には関係がないので、やめておく。

1954年生まれの日本人と成長をともにするように日本の経済は伸びてゆく。
東京オリンピックが開かれた1964年に自らを「先進国」と紹介しだした日本は、1970年代の半ばにはGDP(一人あたり)でイタリアを追い越し(世界平均の2.7倍)て、1980年代には連合王国を抜き去り(世界平均3倍)、1990年代前半にはオランダをも抜き去って、アベノミクスが始まるまで、国力の衰退を尻目に、購買能力ベースでは一貫して個人の懐は豊かになっていく。

戦争で片腕を失った傷病復員兵だった水木しげるは、1954年には紙芝居作家から、当時ビンボ文化の精華として日本を席巻していた貸本屋マンガの作家になっていた。
もともとカワリモノのナマケモノで戦争や軍隊というもの自体と肌合いがあわなかった、このマンガ家は、しかし、戦記物以外はうけないので、しぶしぶ戦争のマンガばかりを書いて暮らすようになります。
初めのうちは、いろいろと派手に戦闘を描いてみせたあとに、編集者に嫌がられながら、とってつけたように「だが戦争は悲惨だ」というようなページをつけていたが、これさえ、もともと戦争好きな社会に囲まれて育った子供達(といっても、ここでは男の子ばかりだが)にうけが悪くて、後半はほとんど自棄になって、戦争賛美のようなマンガを描いていたという。

水木しげるの足跡をたどっていてわかるのは、当時の子供、1960年代後半くらいまでに小学生だった子供たちが貸本マンガを読みふけることによって「戦争漬け」、それも現実の戦争とは何の関わりもない、空想物語としての「戦争」で、特に徹底的に負かされ、自己認識においては自分もその一員であったはずの「先進国」が相手では、現実にはまったく歯が立たなかった戦争の記憶にうちひしがれていたおとなたちの自己防衛機制としての「白人の黄色人差別へ、ただひとり立ち上がって戦った栄光の戦士日本」「アジアの解放のために尊い血を流した日本人」という、当のアジアのひとびとが聞いたら怒るどころではすみそうもない、日本人の「内輪だけで語られる戦争の真実」が倦むことなく、零戦に託され、大和の悲壮な出撃によって奏でられ、「玉砕」の悲壮に酔って、空想の世界では志願して喜んで死んでいったことになっている特攻で最高潮に達する「愛国エクスタシー」にひたって雨の日の縁側ですごす午後を送っていた。

その頃の子供たちの頭の中にある日本の歴史は奇妙なもので、ふたつの相反する歴史世界が共存している。
学校の教室で先生が述べる太平洋戦争は「日本が犯したおおきな過ち」で「近隣の国々にも迷惑をかけ」て、「二度と繰り返してはならない」ことになっているが、家に帰って、ある場合、というのは日本有数の有名政治家の家であった安部家のような場合には、親の目がとどかない密かな楽しみで、夢中になって読むマンガが頭のなかにうみだした仮想世界では、日本はただ物量によってのみ敗北した、正義の戦争を行った国で、一発で、襲いかかる空をびっしり埋めたグラマンの大群のまんなかに、ぽっかり大穴があくように大量撃墜する三式弾や、常に多勢に無勢、たった3機で100機を越えるアメリカ艦載機の大群に立ち向かう南洋のエース達の物語が共存していた。
そこでは太平洋戦争は「ローランの歌」に似た民族的な叙事詩で、ローランの山本五十六を始め、勇猛で誇り高い武将達が、しかし、その勇猛と武人としての矜恃ゆえに国を滅ぼしてしまう。

簡単に言えば建前の世界では日本は戦争犯罪を犯した悪い国で、本音では英雄的な戦いを戦って、敗北ゆえに罪を着せられた悲劇の主人公だった。

初めてマンガ週刊誌として成功した週刊少年サンデーを例にとると、この画期的な雑誌が創刊されるのは、1959年のことです。

ぼくは少年サンデーも少年マガジンも創刊号から1990年代まで蒐集して持っているが、あまりにかさばるのでロンドン行きで、手元にない。
記憶にしたがって述べると、価格は30円で、いまのマンガ雑誌に較べるととてもとても薄い雑誌です。

義理叔父の父親は、やはりこの少年サンデーの「伊賀の影丸」が好きで、当時はおとなが読むのは恥ずかしいことだとされていたので、こっそりこっそり薄い書類鞄に忍ばせて家に持って帰ってきたそうなので、隠れファンのおとなたちにとっては案外薄いということの効用もあったのかもしれません。

前にパラパラとめくって読んでみた記憶にしたがって述べると、戦前のマンガのタッチ(横山隆一、寺田ヒロオ)と戦後のマンガの新しい線描(赤塚不二夫、藤子不二雄)の混淆で、スポーツマンガと戦争マンガが評判がよかったらしい。
興味があるのは記録に残されなかった「読み物」のほうで、やたら好戦的というか、戦争はほんとうは正しかったのだ、という内容が多くて、読んでいる方は、なにがなしフィリップ・K・ディックの「高い城の男」を思い出して、複雑な苦笑を浮かべてしまうような文章が多かった。

手塚治虫と赤塚不二夫のふたりは、どうやら心底戦争が嫌いだったようにみえて、前者は子供達に向かって、はっきりと「戦争はダメだ。戦争はすべてを破壊する」と述べているし、赤塚不二夫にいたっては、「おそ松くん」というギャグマンガに出てくる「チビ太」というツギハギだらけのズボンをはいて貧しさを笑われながら逞しく生きるキャラクターは、戦災孤児なのではないかという気がする。
こういうマンガは再刊され文庫化されて、いまに伝えられている。
ところが記録に残っていかない戦記マンガや小文や巻頭図解が醸し出す雰囲気は全くの戦争肯定で、あとから振り返った歴史というものがいかにのっぺらぼうなものか、まざまざと見せつけられる。

百田尚樹という人の「永遠の0」を読むと、筋立てがまったくこの頃の「戦記マンガ」です。
安倍晋三が血湧き肉躍るおもいで読んでいそうな加藤隼戦闘隊の少年パイロットたちの物語である人気連載マンガ「大空のちかい」のような一群のマンガが「栄光のゼロ」の直系の先祖で、物語として編集者が余計なネームをいれない部分では、こちらのほうが主人公滝城太郎の心象にやや深みがあってよく出来ているように見えなくもない、1963年から1965年まで続いた「紫電改のタカ」を考えると、
当時は子供が感心して読んだものを、いまはいいとしこいたおとなが感動して読んでいるのだ、と皮肉を述べて述べられないことはないが、そういう下品なことはやめて、まともな話題に沿うと、この本が売れたことは、つまりは安倍晋三が家の縁側で学習した「本音の歴史」が教室で教わった「建前」の歴史に「おまえのような秀才づらはもううんざりだ」と述べだしたことで、教室の建前に連なる週刊「朝日ジャーナル」や大学生ならば斎藤龍鳳たちが活躍していた「日本読書新聞」の綿綿と続いた日本の「左翼系文化」が一人あたりGDPが世界平均の3倍を超えた1980年半ばあたりからピタッとやんで、短い「日本の春」が現れ、1990年代半ばに今度は対世界比較でのひとりあたりGDPの急降下(絶対収入はまだ増えている)が始まると、急速に「右傾化」が起こり始める。

安倍晋三の世代の子供たちの魂の深い底にマンガを始めとした「非公然文化」によってふきこまれ、生命をもった「日本は悪くなかった」という声が、学校やマスメディアの「教室優等生のおとなたち」が繰り返し述べる建前の皮膚を食い破って、「日本社会がほんとうに信じている歴史」の怪物の姿になって、近隣のアジア諸国だけではなくて、同盟国のアメリカ合衆国にさえ危惧を感じさせている。
それはちょうど、学校では神国と教えられて、御真影を礼拝し、生きながら神である天皇のために死ぬのが国民の義務だとたたきこまれた教室から、やさしい母親の膝にとびこむと、「人間」の甘酸っぱさが、否応もなくこみあげてきた戦前の子供とは、ちょうど逆の構図で、戦後民主主義の危うさ、日本の戦後自由思想に一貫して感じられる訴えかける力の弱さが、どこから来たか、わかるような気がしてくる。

日本の「見えない戦後史」であるマンガの歴史は、いしかわじゅん「漫画の時間」や夏目房之助の一連のマンガ評論を読んでみても、実感されるのは難しいが、当時の実際の雑誌にあたると、初期のマンガ週刊誌を手にした子供たちにとっての戦争についての「常識」が、そのまま安倍政権の主張と重なるのが容易に看てとれる。

これも糸井重里や渡辺和博たちの「ロマンチックが、したいなぁ」や「金魂巻」な愉快で浅薄なコピーライター語文明と同じで、一種の反「教室秀才」運動なのかしら、とおもうと、いまの日本の世相も、世界の歴史にはいくつもある「反知性運動」のひとつで、日本では知性が学歴のことになってしまったせいでこんな姿なのだろうか、と失望しなくもないのです。

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2 Responses to マンガ復古主義

  1. pino says:

    はじめまして。わたしは日本に生まれ住む20代の人間です。幼い頃、手塚治虫のマンガしか置いていない家に育ちました。そうして、先人の多くは戦争を憎み、命は尊いという価値観を共有しているものと思っていました。ところがいざ自分が社会に出るころ、首相をはじめ、全くちがう前提に生きているらしい大人がたくさん見えてきて、ぎょっとしていたところです。この記事を書いて下さってありがとうございます。わたしたちは、それぞれ、華胥の国に遊んでいたのでしょうか。目をさまして同じ国に生きられるのでしょうか。

  2. hnj says:

    はじめまして。4年前頃から、このBlogを読んでいます。いつも、ありがとうございます。

    先日、Podcastの「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」で、「鈴木敏夫が語る『素顔の手塚治虫』」 (04/05/2015)を聞いていると、手塚治虫が雑誌「アニメージュ」の創刊一周年記念の座談会の司会を務めた時の話がありました。
    当時の宇宙戦艦ヤマトの大ヒットに対して、ヤマトを未見だった手塚先生に他の参加者が概要を説明したところ、涙したそうです。

    「本当に悲しい。そのヤマトというのは一言で言えば浪花節でしょう。もし、そのようなものが日本の若い人に支持されているとしたら、僕が戦後、漫画で描いてきたことは全く意味が無かったってことじゃないかな。僕は所謂、日本人のもっている浪花節根性が大嫌いで、科学を少年文化に持ち込んで、もう少し合理的にものを見る人が育って欲しいという願いを込めて漫画を書いてきたんだ。」(←聞きながら書き起こしたのですが、意訳です。)

    1980年の正月ごろなので、50歳くらいでしょうか。「陽だまりの樹」や「アドルフに告ぐ」の連載が始まる少し前。

    狂気は大きく分けて、情緒欠落で機能だけの存在、もしくは、情緒過多で機能不全の存在、と僕は定義していますが、日本は後者の場合が多くて、情緒過多(©ガメさん?)な浪花節根性と日本社会が繰り返す発狂と悲惨な破滅は明確な因果関係があるのだけれど、そのことに自覚のある日本の人はあまりいない様に思われます。

    僕は、きっと幸運なことに、短い「日本の春」に生まれ育って、そして、この先の狂気には付き合えないので、出て行くという判断をしたけれど。

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