ガメ・オベールからの手紙_4

IMG_0877

朝起きてから、夜眠るまで、一日中、机の前に座って、カウチに寝転がって、あるいは立ち机の上に体を屈めて、絵を描いている、
あーでもないこーでもないと文章を書いている、
曲をつくってコンピュータに演奏させてみる。
ギターを弾く
晴れた日には下絵を描いて、紙を切って、あるいはガレージの暗室で焼き付けをして、シルクスクリーンのプリントをつくる。

プログラミングをする。
マリーナに行ってボートやヨットの掃除や修繕をする。
モニが一緒に来れば、少しだけ船をだして、ハウラキガルフの沖でお茶を飲んでいる。

小さな人びとのためにジャングルジムの役をして、遊ぶ。
いろいろな言葉を教える。
本を読んでやる。
晴れて気持ちのいい午後には、得意のバク宙(←まだ出来る)で空中に回転して、水族館のイルカの代わりをする。

なぜそんなことばかりしているのかというと、そうでなければ一日、朝起きてから、夜眠るまで、退屈で仕方がないからでしょう。
友達は、どうしてガメの一生には困難が生じないのだろう?と不思議がるが、
困難は来んなん、などと相手には意味が不明な日本語を述べている本人も困難のない生活を感謝しているが、退屈は退屈で、なんだか子供のときにやってみたかったことはあらかたやってしまったので、しまった、というような気持ちになることがある。
もっと、野望をもつべきだった、

…なんちて。

日本語ブログで言えば、この程度の真実を述べて、もうホラなのではないかと思う人がいるのに、現実には書いたことの数層倍も恵まれた自分の現実の全容を公開したりする意味を認めない。
良いことはなにもない。
これまでの経験から言って仲のよい友達でも、手紙やネットで出会ったひとびとは現実に会うまでは、ぼくの生活や、どうかすると存在まで認めがたいものであるらしい。

それでも、あんまり頭の働きが良くなくて、(ごみん)、観察力に欠けるひとたち (ダブルごみん)は、ニセガイジンだ、日本の片隅で逼塞する中年のおじちゃんだ、で一足飛びにすんでしまうが、知性がある人々で「ものごとにはリアリティというものがあるだろう」と考える人たちのほうは、
ニセガイジンだということにしても、日本人だということにしても、どういうふうに仮定しても説明できないことが起きるので、もしかしたら本人が申告するとおりの人間なのではないかしら、と思うもののようである…それから、我に返って、こう思っているのが、手に取るように判る。

「そんなバカな」

ところが、本物のぼくはリアルな世界に住む人間で、申告通りで、二重にも三重にもリアリティが壊れた世界で、幸福に暮らしている。
「幸福な人間が自分で自分の生活を幸福だというわけがない」という19世紀文学的な観察を、ふ、古い奴、とつぶやきながら眺めている。
座標軸が、ほら、少しだけ歪んでいるでしょう?

えらそーなことを述べると、絵よりも音楽よりも文章よりも、自分の生活こそがつくりたかったもので、ぼくはそのためのゲームをまでデザインして、自分でプレーヤーとして参加して、ふつうに勝って、ここに座っている。
敗北者のいないゲームで、ぼくは、そのことに誇りを感じている。
なによりもゲームのデザイナーとして、すぐれた才能があるのではないかと自惚れる。

モニと、小さなひとびとと、家の仕事をする人たち以外、ほとんど誰とも会うことなく、快適な家の奥にいて、スクリーンを通してきみに向き合っている。

ガメ・オベールは2007年当初はともかく、いまとなっては古臭い名前だなーと思う。
2ドル硬貨が機械に消えて、画面に出るgame overからつくった名前だが、いまではインターネットのそこここじゅうに溢れている。
こういうことを慌ててつけたさなければいけない気持ちになるところが日本語の面倒くさいところだが、もちろん他人がマネをしていると述べているわけではなくて、それだけ発想としてありふれていたね、という意味です。
ガメ・オベールを漢字で表記した「大庭亀夫」のほうが、いまでは気にいっている。

このあいだ、奇妙な夢を視た。
いつかブログ記事に書いた「勇者大庭亀夫」

https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/29/cameo/

の夢です。
眼鏡をかけた、両袖に、あれはなんというのだろう、六〇年代の映画に出てくる事務員がつけている黒いアームカバーをつけて、少し禿げた小柄な中年男の日本人が、上目遣いにぼくのほうを見ている。
見て、すぐに、大庭亀夫だとわかった。
なんだか怒ったような顔をしているので、話しかけなかったが、自分とは異なる自分を夢にみるなんて、なんてヘンなのだろう、と考えて、一日たのしかった。

あの架空な大庭亀夫に較べれば、ぼくのほうがずっとリアリティがなくて、生活ぶりをそのまま文章に書くと、いっそバービーとケンになってしまって、浅くてアホらしくて、文章にもなんにもならんわい、と思うと、今度はこっちが可笑しくて、世の中にはいろいろな人間がいるのだ、と自分で自分のことを、他人事のように考えてみたりした。

希望ももたず、絶望もせず、ぼくはただやりたいことだけをやって、ここまで来た。
人間の一生なんて運だけで、「努力」なんて何の助けにもならないんだな、と心の底から思う。

自分の手や頭から生まれたもののなかで、量的に最も膨大なのは残念なことに、まだ英語で書かれたもので、いつかは日本語でより多くを書いたとか、あるいは日本語に飽きてしまっていればラテン語でもいいしフランス語でも構わないから、英語よりも他の言語のほうがたくさん書いたと自分で自分に威張りたいが、英語ではjournalと呼ぶ、日記が膨大な量で、ぼくの他にはただひとり読んでいいことになっているモニがときどき本棚の鍵を開けて「ガメは手書きもブロック体なんだな、かわいい」とか、かわいくないことをつぶやきながら読んでいる。

そこに書いてある数式を理解するために数学を勉強したり、訳のわからない箇所をみつけると調べてみたり、知らない哲学者や作家の名前を見つけると本を見つけてきて読んだりしているようです。

モニは、まだちゃんと人間になっていない小さな人々を除いては、ぼくのゆいいつの話し相手なので、当たり前で、声の調子が強くなったりすることはもちろんないが、モニが省略が著しくおおいぼくの言うことを直ぐに判らないと、様子でわかるようで、気持ちが傷付くのか、どうも見ていると、そのための予習をしているように見えることがあって、ときどき台所で「モニちゃん、ごめんね」と声に出してつぶやいて、手伝いのおばちゃんに不気味がられたりする。

30年も生きていると、いろいろなことが判るようになって、たとえば世界が生命で充満していることを実感するようになる。
木が囁きあい、花が自分の美しさをほこり、昆虫たちが生命同士のネットワークを忙しく形成するのを、ごくおおげさに言えば、音響とともに「聴く」ことが出来るようになる。

最も早くに疑問に思い出したことは「知能」の定義で、いまでは確信があるが、きみやぼくが教室で教わる知能の定義は、定義者の立っている場所が間違っている。

あれは人間の自律的意識を前提としていて、自由意志が存在するとしても、それは話すに足るほどの大きさで存在しているわけではなくて、たとえば倫理を成立させるための小さな決まりとして存在しているのだと思う。
リベットの実験やPatrick Haggardの意見に耳を傾けるまでもなく、あるいは最近「dress illusion」でtwitterやなんかで派手に話題になった Aaron Schurgerの研究をもちだすまでもなく、純粋に思惟の観点からも、デカルトが揺るぎないと考えた自由意識の観点に立った視点では説明できないことが多くなりすぎている。

現実は多分、人間が「万物の霊長」として他の動植物から自己を区別して、こういうことに社会学的な言い方を持ち込むことが奇妙でなければ、差別的な思考の体系を持ってきたことの延長で、自分の意識に必要以上の価値を見いだしてきたというだけのことであるに違いない。

晴れた気持ちのよい秋の午後に、庭のガゼボでお茶を飲んでいると、ファンテイル
http://en.wikipedia.org/wiki/Fantail
がやってきて、肩に止まったり、テーブルの向こう側に立ってクビを傾げていたりする。
20世紀人は、これを「あたかも私のすることを訝っているかのように鳥がくびを傾げてみせる」と表現したが、人間が訝るのとは異なる意識のありかたに立って訝っているだけで、実際に彼/彼女は、ぼくがカップを手にもって何をしているのか訝っている。

以前に例を挙げた、シーカヤックで波を切りながら進むと、次々と「まるで遊んでいるかのように」カヤックの上をアーチを描いてジャンプしていくイエローテイル(鰺)の群れは、大脳すらもたず端脳しかないにも関わらず、やはり「遊んで」いるのだと思う。

多分、自由意志の問題は、遠からず意識を見る角度が変わる、すなわち立場それ自体が移動する、文字通りのパラダイムシフトが起きて、人間の宇宙観を一変する端緒になるに違いない。

科学を勉強した人間は誰でも、一見、端正な均衡の美が支配していたかに見える「自然」の磁器の滑らかな肌の、重大なストラクチャにヒビが入っているのを知っている。
ヒビはいくつもあって、それぞれに得体の知れない向こう側をのぞかせているが、例を挙げれば、数学ではゲーデルの不完全性定理に始まったヒビがあって、物理では量子力学が紛れもない真実を説明する仮定であることを主張しはじめたときに起きはじめた「気持ち悪さ」のヒビがある。
そういうヒビがヒビに見えなくなって、再び均衡のある美しさの体系のなかで見えだすためには、いまの数千倍の規模の知の体系が必要だろう。
そのおおきさまで届く人間の言語は多分数式だけで、自然言語ではどう工夫しても及ばなさそうなことは、比較的に安心して述べられる直観で判断がつく。

そして、そういう壮大な体系がみえるためには、通常の人間には退屈を極める、忍耐テストに似た、狭い穴をくぐり抜ける訓練が必要なのは高等教育を受けた者は皆知っていることであると思う。

quick mind が知能の高さにつながらないことは、滑稽なことに、人種的な白人の優秀さを示す指標となるはずだった知能検査が、どうやってみても東アジア人のほうが高い、ということを暗黙の契機として確認されていった。
知能の定義で生き残っているのは、死後の評価と児童の発達指標だけであるのは、そのせいです。
現代人はすっかり忘れてしまっているが、科学は、もとを正せば魔術から生まれた思考の様式で、洗練後に、いわば取り澄ました科学だけを輸入して取り入れた日本語世界のようなところでは、科学がもともと素性が怪しいどころではない魔術を出自とすることも忘れ去られて、なんだか教科書に書かれている絶対に正しいマナーの教則でもあるかのようなイメージを持つ「科学者」までいる。

よく知られているようにアイザック・ニュートンが一生の最後に没頭した研究は土から黄金を生み出すことだったが、この科学の、いかにもヨーロッパらしいデモニッシュな背景を知らないひとびとは、ただニュートンが頭がいかれていた、と解釈するものであるらしい。

ところが土から黄金をつくる努力、あるいはそれが完全に否定されるまで、出来るはずだと人間に苦闘させるエネルギーの供給元こそが「科学」で、皮肉なことに福島事故のあとに「非科学的な人間たち」を次々に異端審問の査問台に上げていたぶっていった「真正科学信者」たちのほうが非科学的な人間の集団なのである。
そうして、そういう全体の視点を踏み換える判断は、これもまた皮肉なことに、科学人にとっては最も向かない資質によって行われる。

大庭亀夫氏は、また夢のなかで会いに来てくれるだろうか?
ぼくは、なんだか、あの、グランピーで、目つきが悪いおっちゃんが懐かしい感じがする。

理由は多分、あのおっちゃんこそが、ぼくがここまでに習得した日本語の人格そのものであるからで、英語の世界ではどうやっても届くことができない、冴えない真理の深みを、あのおっちゃんは情緒の言葉で知っているからだと思う。

日本語は紙のなかで垂直に屹立しているが、それは見かけだけではないのだろう。
まだ、その垂直な言語の柱を、天上に向かってのぼってゆく楽しみをあきらめるわけにはいかない、と思っています。

では

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

3 Responses to ガメ・オベールからの手紙_4

  1. misho104 says:

    read

  2. サクラダフミコ says:

    諦めないでいて頂いて良かった!
    宜しくお願いします❗!

  3. Hiro says:

    お久しぶりです。
    元気してますか?

    僕は元気ですよ。
    二年くらいちょこちょこ動き回っているうちに垢が抜けて少し人間らしくなってきました。まだまだだけど。
    少なくとも、The more you know, the more you know you don’t know.ということが実感されるようになってきた。

    垢を全部落としきったと思えたら、会いに行きます。(バーの知らないにいちゃんたちと一緒にテーブルに登ってクイーンを熱唱ダンスした後、帰り道がわからなくて道で寝る、ができないから今はまだです。)

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s