通勤電車に揺られれば

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「通勤時間に20分以上かかる人は慢性的なストレスに悩まされる」
とモントリオール大学のAnnie Barreckの研究をThe Independentが伝えている。

http://www.independent.co.uk/travel/news-and-advice/commuting-for-more-than-20-minutes-makes-you-stressed-and-cynical-10278874.html

ケベック市の17歳から69歳の1942人を対象にリサーチした結果で、クルマ、バス、自転車や列車で20分以上かけて通勤する人は慢性的なストレスを抱え、さらに35分以上通勤にかける人は皮肉なひねくれた態度をとるようになる。
電車やバスの公共機関を利用して通勤する人はクルマで通勤する人よりも心への負荷がおおきい。

研究の「結果」が信頼できるかどうか、知らない。
もとのフランス語の論文を読んでいないし、探してみる気もない。
人文系の研究にはカンがないので、よくわからないということもあるし、
ブログで研究論文ぽいことを述べる日本の人によく見られる趣味も持っていないので、後日、はっはっは、あれはウソでした、ぜんぜんほんとじゃなかった、と言われても、そーですか、程度にしか思わないのではなかろうか。

ただ日本の通勤風景を思い出して、なんとなく東京がなつかしい、とおもっただけです。

年長の絵に描いたような赤毛の冗談を言うときのオオマジメな顔が好きだったアイルランド人が、80年代にNECに就職して初めて日本にやってきたときの話をしてくれたことがある。
駅で待っていたら満員、というよりも、表現不可能な詰め込まれかたをした電車がホームにはいってきたので、びっくりしてしまった。
これは事故かなにかがあったのだろう、と考えて、次の電車に乗ることにした。

驚くべきことに次の電車は1分しないうちにやってきた、というから山手線だったのでしょう。
ところが、この電車もおなじように、ほっぺが窓におしつけられてひんまがっている人、水族館の断末魔のタコのようにドアに貼り付いている人が満載で、もう一台、待ってみることにした。
次の電車も、その次の電車も、…

この人は、怖くなってホームのベンチに座り込んで顔をおおって泣き出してしまい、(初出勤日だった)その日は会社も休むことにして家に帰って、ベッドのなかで、さて、あれはほんとうにあったことだったのだろうか、と夜まで思い返しては呆然としていたそうでした。

かーちゃんシスターは、無謀なことが大好きな人なので、たいしてオカネも持たずに大学の休みを利用して世にもおもしろげに見えた東京へやってきた。
19歳で、怖いものなんてなにもなくて、女の友達とふたりで、伊豆で野宿をしたり、あとでばーちゃんに怒られたようだが、京都ではお寺を見物していて仲良くなったおばちゃんに「泊まっていきなさい」と言われて、ほいほいついていって酒池肉林の大歓待を受けたりしていたが、あっというまにオカネがなくなったので、英会話学校で教えるバイトをすることにした。
日本人の友達に相談したら、それならうちの会社の英語教師をやったほうが時給が高いというので、教えることにして、朝が早いのが億劫だが、電車にのっていけば30分なので、日本にいる1ヶ月半のあいだだけのことだし、まあいいか、ということにした。

新宿駅に着いてみると、同じ人が増殖して、びっしりとホームを埋め尽くしていたので驚いた。
同じ背広を着て同じネクタイをしめて、同じ黒い髪の人がすきまもなくぎゅうづめで駅をうめつくしている。
しかも階段口から下をひょいとのぞきこむと、地下からは、もっとたくさんの同じ顔の人が湧き起こってずんずん行進してのぼってくる。

そのまま気絶しそうになったそうで、いままで生きていて、後にも先にも、あんなに怖いことはなかった、とつぶやいて、横にいる「同じ顔」のひとり、義理叔父に憮然とした顔で「そんなおおげさな」と言われている。
ふたりで一緒に住みだした当初も、よく駅から電話がかかってきて、「こんなバカバカしい光景は生まれて初めて観た。あなた、ここに来て、この黒い頭の大群をなんとかしなさい」と言われたそーです。
なんとかしろと言われても、新宿駅を爆破するわけにもいかないし、義理叔父だって困ったと思うが。

ぼく自身は通勤電車で仕事にでる、という経験がない。
終始一貫プーなので必要がなかったからだが、何回か東京の通勤電車に乗ったことはあります。
一度は周防正行監督の「それでもボクはやってない」
http://en.wikipedia.org/wiki/I_Just_Didn%27t_Do_It
という痴漢冤罪の実話を扱った映画を観て満員の電車を観てみたかったからで、朝の東横線に乗ってみた。
座っていたら、目の前の男の人がつり革にぶらさがって勉強だかなんだかをやっていて、そのノートの横から突き出された鉛筆が目に刺さりそうで、なかなか怖い体験だった。

二度目は有楽町駅から渋谷まで行くのに山手線ででかけたら、朝の10時だというのに満員で、目の前に広がる人の頭のてっぺんで出来た雲海を眺めながら、つむじというのは右巻きと左巻きとふたつつむじと、どういう比率になっているのだろう?
南半球では右巻きつむじと左巻きつむじの割合が逆だったりして、と考えたりしたのをおぼえている。

ニュージーランド人は、もともとの欧州のスタイルを踏襲して、通勤時間は伝統的には15分以下ということになっている。
もっとも日に4回は職場や学校と家を往復することを習慣にしていたバルセロナ人が、いまは、郊外の家からクルマで会社に通うライフスタイルにだんだん変わってきて、のんびり楽しむ夫婦のランチ(←バルセロナでは主餐)も例えばオリンピックマリーナのレストラン街というふうに変化しているのと同じで、ニュージーランド人も仕事場の近所のサンドイッチ屋やハンバーガー屋で簡単な昼ご飯を買って食べる人が増えた。
自分の家の近所でみると 、まだまだ「ランチは家に帰って食べる」人が多数派だが、国全体では、とうの昔に少数派になっているのではないかと思う。

日本は通勤が大変だから、というような話がでると義理叔父はいつも俄(にわか)愛国心を発揮して、いや、あれは西洋のマスメディアが誇張して伝えるほどたいへんじゃないんだよ、という。
自分は鎌倉から東京に通っていたが、のんびり席に座って本を読みながら55分は、ちょうど良い時間だった。
長じてはグリーン車でお弁当を買って、お茶を飲みながら、ゆっくり食べて、満腹だなあーと幸せになる頃に品川に着く。
アメリカ人やニュージーランド人みたいに、忙しくクルマを運転するわけじゃないから、電車通勤なんて日本人の教養の源泉ですよ、と述べて、まわりの外国人たちに感心した様子を装った表情をさせる苦労を強いていたりした。

満員電車での通勤は、まわりの人間を人間でない「物体」とみなさなければ乗り切れない毎日の行事である点で日本の文明におおきな影響を与えている、とぼくは観察していた。
日本の人の思考には特徴があって、認識のなかで自分以外の人間が人間になったり人間でなくなったりして、変幻自在だが、満員電車のなかで自分に体を押しつけてくるひとびとを懸命に観念の力で「人間ではない無生命な何ものか」の圧力に翻訳して一時間なら一時間の非人間的な環境に耐え続けることが、たとえば村上春樹の傑作ノンフィクション「Underground」
http://en.wikipedia.org/wiki/Underground_(Murakami_book)
に証言されている、霞ヶ関の通りのこちら側では何十人もの人が倒れ、口から泡をふきだしたり、助けを求めたりしているのに通りの反対側の人びとは、ちらちらとそれを見やりながら表情も変えずに、立ち止まることすらせずに登庁してゆく非現実的なサリンアタックの朝の風景を生むのだろう。

これが日本文明の特殊性というようなものではないことは、中西部の小さな田舎の町でダイナーに座っていれば、ごく当たり前のように話しかけてくる同じアメリカ人たちが、マンハッタンでは顔を無表情につくって早足で前をみつめて歩くのが暗黙で、しかも無意識な「礼儀」であって、他にも例をあげれば、シカゴくらいならば、エレベータに乗り込んで来た人と挨拶の言葉を交わすのは普通だがマンハッタンの密集度の町になると、無言のままである。
あるいは、そのシカゴでも真冬にCBDで点点と凍った地に伏して倒れているホームレスたちに歩み寄って「だいじょうぶですか?」と尋ねる人は見当たらない。

シャーレのなかの蟹のコロニー研究は有名だが、限られた空間の個体の密度が変わるに従って、個体の振る舞いは著しく変わる。
度外れて、しかも殆ど無意味に攻撃的になる生物もいれば、社会が崩壊して、個々ばらばらになって、お互いに対してまったく無関心になる生物がいる。
クビの赤い人のなかでそそっかしい人は喜びそうだが、同性愛の個体が増える生物種も多い。

Annie Barreckの研究にも出てくるが、通勤の目的地が田舎であったり都会の周辺部である場合には通勤時間が長くてもストレスや性格変化の度合いが少ないのも、要するに、自分を強制して身をおく空間の個体密度が小さいからであるように直観では考えられる。

チョー平凡な理屈でも、人間が人間性を損なわないで生きていくためには、一定以上の空間が自分のまわりに確保されているのでなければならない道理であるように見えます。

よく出かけるクラブに近い有楽町の駅に「満員見物」に出かけたとき、電車の最後尾の車両から降りて、人の群れと一緒に動かないで、じっと立っている若い男の人がいた。
世の中にはヒマな人がいるもので、というのは、つまりぼくのことだが、遠くから気づかれないように、その人のことを見る。

溜息をついて、足下のコンクリートを見つめている。
少し歩いて、立ち止まって、高所にある立体駅から眼下の特派員協会がはいっているビルの交差点を眺めている。
やさしい顔が、歪んでいる。

ベンチに座りこんで、まるで地球全体を圧し動かすようなたいへんな努力で、仕事場に向かおうとしているのが判る。

うつ病の部屋から出て、生きていこうと決意した若い人の姿をそのまま蹲らせて、息をするのにも努力がいる様子が手に取るようにわかる。

なんだかヘンだけど、なにか言わなければ、まさか「がんばって」というわけにはいかないから、日本語で、どう言えばいいのだろう?
「がんばらないで」じゃ日本語になってないし、それではいよいよ怪しいガイジンではないか。
いやいやいやいや。
怪しいガイジンでなにがわるい。
相手が、あまりのヘンぶりに笑ってくれれば、それがいちばんよいのでわ。

と、ぐるぐると考えていたら、その人は意を決したように立ち上がって、ホームに入ってきた電車に乗り込んでいってしまった。
まだ先の駅に行くのに、電車のなかの人の群れに耐えられなくなって途中で降りてしまっただけだったのでしょう。

胸がつぶれるような、という。
東京という都会に、ぎゅうぎゅうに押し込まれて、35分以上の通勤時間のせいだかなんだかで、すっかり嫌みなもの言いが得意になった上司にいびられて、「あんたみたいな会社人間になんてなりたくないのさ」と顔に書いてある新人を、先輩社員として「教育」しながら、時に他人に悟られないようにトイレで吐いて、自分もみなも微笑んで礼儀正しい修羅を何事も起きていないかのような顔をつくって生きている。

東京にいるときには、ぼくの外見から日本語がわからないと考えて安心して話すのでしょう、近くのテーブルで、仕事しか考えない「会社人間でばっかみたいなT先輩」や「加齢臭がする嫌みなクソおやじ」の課長を、こきおろす男や女の人たちの笑い声が響いたりした。

ぼくはそのたびに、このブログ記事に何度も書いた「スウェーデンボルグの地獄」を思い浮かべながら、その答えのない疑問、やり場のない、命名を拒絶する感情に耐えていたのだといまになって気が付く。

禁句だけど、
「がんばれ」って。

百回書けば、禁句でなくなってくれないだろうか。

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3 Responses to 通勤電車に揺られれば

  1. まさき says:

    満員電車に揺られるのは、自分が赤血球だか血小板だかになって管のなかを運ばれる感覚、若しくは戦場までトラックで輸送される兵士になった感覚。あの中では自分も人間ではいられないようです

  2. aya says:

    電車には「お父さんは家族がだいじ。周りの人はみんな大嫌い」と笑顔で話しているサラリーマンがいて、とても悲しかったことをおもいだしました。どうしてそんなことを子どもに言えるのだろう、と。

  3. DoorsSaidHello says:

    「やさしい顔が、歪んでいる。」
    という一言にガメさんのやさしさが滲んでいて、心に沁みる。

    私は日本でもっとも人口密度の低い地方で生まれ育った。
    夏休みのたびに、祖父母を訪ねて首都圏に滞在した。駅と駅との間が建造物で埋まっていて、自然のままの土地がひとかけらもなくて、駅のホームにいつも人間がいる、という風景は脅威的だった。どこで息をすればいいのだろう? と空を見上げれば、地平線の縁が灰色にそまっていて、真上のほんのわずかな領域にしか青い色がない。夜になればなったで、空は全部が薄紫にあかるく、星が見えない。トウキョウ、というのは不思議なところだと思った。

    18になった年、一人で電車に乗って都心に出かけた。小雨だった。歩道橋の上から見るともなしに見下ろすと、下の歩道を埋め尽くす色とりどりの傘が押し合いへし合いして流れていくのが見えた。あの中にいれば、否応なく歩くスピードも歩く方向も周りに決められ、流れに沿って流れていくだけになるのだと思った。下に降りたくない、とはっきり思った。私は傘をたたんで走り出し、歩道に降りて、傘の隊列の下をすり抜けるように早足で歩いた。その日から何十年も、傘を差すのを止めてしまっていた。

    雨に危険な化学物質が含まれる時代が来て、今は仕方なく傘を持つようになったが、あのときの歩道に降りたくないと思った気持ちを時々思い出す。自分の歩きたいスピードで、自分の行きたいところにだけ行きたい、というのは普通で当たり前の気持ちだと思うんだけどなあ。私の生まれ育ったところでは、列に並ぶとかギュウギュウの電車に乗るとかは非人間的な生活だと当たり前のようにみんな思っていた。

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