Monthly Archives: June 2015

兵器と戦争_2

ヨーロッパ人にとってのスイス人たちのイメージは歴史的には「戦争屋」です。 スイスは巨大な山塊からなる山岳地帯が国を覆うようにして存在している国で、ひどく貧しい国だった。 なにしろ乳牛を飼うのにさえ毎日急峻な斜面を上へ下へと追い立てないとならないくらいで、牧畜では最も人手が必要な羊を飼うよりも、乳牛でさえ、さらに人手が必要で、いま見ても、よくあんな土地で農場経営が成り立ったなあー、と思います。 日本で自分が訪ねていって、地元の人に話を聞いた土地で言うと、実名をだすのはなんとなく気が引けるが、十日町や軽井沢のようなところが、やや似ていると言えば似ているのかも知れません。 農家が食えなくなれば出稼ぎに出るのは万国共通で、だからスイス人たちは雇われて戦争をやりに行った。 いま日本語で「経済徴兵」というようなことを言うけれども、ヨーロッパでは、歴史的に、ビンボならば戦争へ、は名前をつける必然性を感じないくらいの常識です。 日本からみえやすい英語圏の国の考えかたではないので、日本語を使って暮らすひとびとからは見えにくいだけであるのに過ぎない。 傭兵としてのスイス人の強さは伝説的で、もともとrigidな国民性である上に、新潟の山地に生まれて毎日朝の3時に起きて片道4時間かけて小学校に通った日本の撃墜王杉田庄一は、皆がグラウンドで嘔吐する厳しい日本のパイロット養成の訓練でも、「おれの通学のほうがよっぽどしんどかったけど」と言って、都会出身のパイロットのひ弱さを笑っていたというが、なんだか呆然とするような体力で、スイス傭兵の集団が迫ってくるのとアイガーの岸壁が動いて迫ってくるのと変わらない圧迫なので、ヨーロッパ人はスイス傭兵たちと戦闘することを死ぬほど嫌がった。 この頃は、やらなくなったが、以前は旧ソビエト連邦の将校たちをスタジオに集めて、アメリカ合衆国の現役将校たちや市民と話をさせる、という企画がよくあった。 ちょうどブッシュ政権がNATOに集団自衛権を発動させて、「わしの生活と何の関係があるねん」とぼやきながらヨーロッパ人の若者が無理矢理戦場に連れていかれて、理由のない戦場で訳のわからない戦死をし始めた頃で、ロシア人の将軍たちがアメリカ人たちに、「アフガニスタンは見た目よりも遙かに手強い。侵攻すると国家の基礎があやうくなる」と述べると、アメリカ人たちのほうは、露骨に失礼にならないように気をつけた言い方で「あなた方の軍隊とはテクノロジーのレベルが違う。まず6ヶ月もあれば制圧できるとおもう」 と見解を述べたりしていた。 当時世界最強の機甲師団を中心としたソビエト連邦軍を、夜明けとともに岩のかげから突然あらわれてキャンプを包囲殲滅する、崖っぷちの細い道を延々と長い隊列をなしてすすむ補給部隊の先頭と掉尾を先ずATMで破壊して、動けなくなったところをいっせいに襲撃する、というようなやりかたで徹底的に苦しめてソビエト連邦軍を敗退に追い込んだムジャヒディンは、ちょうど沖縄基地における兵卒たちの振る舞いとおなじで、ムスリムの男たちの前で平気でビールを呷って、ブラとニッカーズだけになって着替えるという米兵達の態度に怒り心頭に発したアラブの血の気の多い男達として当然と言えなくもない、今度はアメリカ人を敵とみなして、アルカイーダ、豊富に資金をもったカネモチのどら息子ウサマ・ビンラディンのまわりに集まりだしたのも、この頃で、勝った勝ったとアメリカ人たちが喜んだのも束の間、いつのまにかカブール以外はほとんどタリバンの支配地域にもどってしまって、アメリカ人のほうはアフガニスタン問題の泥沼化、というよりもかなり明瞭な敗戦を「なかった」ことにしている、という現状は、日本でもよく知られているとおりです。 山岳というものは、ロシアの実録映画を観ればわかるとおり、地元の勝手を知らなければ、どうにもならない戦場で、その上にスイス人は戦争屋の権化で、技倆もあり、戦場においては無慈悲で戦闘的な国民性なので、アフガニスタンどころではなくて、手をだせば国が滅びる、というのは欧州の常識になっていった。 「永世中立国」はスイスの他国人から見たイメージと自国の地理条件や文化を組み合わせた結果うまれた効果的な保障政策であるのは歴史が証明している。 自分たちの国を守ろうとおもえば、現実にあわせて防備と自衛力をつくるしかない。 同じ作業を観念や理屈でやると大変な結果を招いてしまう。 アメリカが真珠湾攻撃を予測できなかった理由は、前にも書いたとおり、「生身の人間を神と崇めるような文明の段階が低い国家に近代軍を組織的に動かす能力があるわけがない」というウエストポイントの教科書を頭から無視した思い込みもなかったとは言えないが、最大の理由はむしろ、日本の軍隊を長年の「危ない隣人」として研究して、熟知していたことのほうで、 特に海軍の重武装・短航続距離の際だった特徴は、プロならばどこからどうみても防衛用で、ツシマ決戦型と言えばいいのか、そもそもすさまじいまでのトップヘビーで、日本から1000海里程度の海域、せいぜいマリアナ沖での決戦を想定してデザインされているようにしかみえなかった。 3500海里の、しかも荒天で有名な北太平洋をわたってハワイまで攻撃にくるというのは、もともと商船団の護衛を前提につくられていて、船形の段階からすでに、地球上の海のどこへでもでかけていけるようにデザインされているイギリス海軍のような艦隊群とは違って、あくまで「防衛艦隊」にしか過ぎなかった。 ロジェストウインスキーの代わりにキンメルが太平洋艦隊の総力をあげて攻めてくるのを、 当時は航空艦隊などより、よっぽど期待を集めていたイ号潜水艦隊によってボロボロに弱らせておいて、天気晴朗、波も静か、例えば小笠原沖で一挙に殲滅する、というのが日本の防衛戦略であったように見えます。 歴史を振り返る者にとっては、1941年における日本の選択肢は「戦争をしない」ことしかなかったのが判っている。 中国というアジアでは最も自由主義に近いところにいた国家を蚕食するチョー危ない全体主義軍事国家だった旧大日本帝国に対して、個人として嫌悪感をもっていたルーズベルト大統領の思惑も作用して、経済制裁のプレッシャーをかけ続けたアメリカに対して、どんなにくやしくてもプライドを傷付けられても、地団駄を踏むにとどめて、子細に見てみると、いまの眼で見ても赤字以外に得るものがなかったはずの奇妙な植民地計画をあきらめて、当時ならば石橋湛山が「東洋経済新報」上で主張した「貿易立国」をめざすべきだった。 戦後しばらく経った日本では当然とされるに至った「貿易立国」「技術立国」は、当時では妄想狂か国賊扱いの主張で、満州10万の英霊に申し訳ないとおもわないのかとひとびとが口々に述べはじめ、それまでは軍隊が軽蔑される風潮で、神田の交差点で軍人が市民に唾をはきかけられた記録が残っていたりして、 バカにされきっていたところへ、風潮が「愛国的」になったのを見てとって、 万国共通の軍人の手口で、しおらしい顔で、 「判りました。じゃあ、ぼくら軍人が先ず相手の鉄砲玉にあたって死んでごらんにいれますから、そしたら愛する祖国を守るための防衛戦争にたちあがらせてください」と言うと、いかにも日本的な情緒にひたったケーハクを極めるひとびとが、メロドラマふうに感動して、若者よ、戦場で死ね、と言い出した。 その次に起きたことは、「現実」というものの悲惨さを表現して余りない。 ハーバード大学に留学して、アメリカの国情を熟知した軍人であって、宥和派、隠忍自重派の代表とみなされていた山本五十六が職業軍人として考えた手は、これまでの防衛戦略をまるごと捨てて、乾坤一擲、北太平洋を空母6隻をひきつれて「先制的に自衛する」ことだった。 この先制的防衛は、どこの国のどんな軍人が考えても論理の必然として到達する「専守防衛」の究極の戦略で、防衛するためには先に相手の攻撃根拠地を叩くのがいちばんなのは、自分の頭で考えてみると判るが、かなり当たり前の理屈で、歴史上、自分の軍隊が壊滅する危険がある相手の先制攻撃を許してから防衛戦争をしようと考えた軍人というのは、存在しない。 例えばローマ帝国が周辺の弱小な部族を相手に対して行ったように、逆に、侵略意図があるときの口実作りに使う例があるくらいで、軍人が真剣に自国の防衛を考えれば、国民が反対しようが、なんであろうが、敵地に乗り込んでいって強襲する。 人民解放軍がオスプレイをあれほど嫌がるのは、米軍の制空権下で一気に根拠地へ強襲攻撃をかける可能性があるVTOLはヘリコプターとは本質的に異なる攻撃兵器であることをよく知っているからです。 昨日、渋谷でデモがあった。 ぼくが定点観測のつもりで巡って歩く日本の人のツイッタカウントやページやブログのなかに、三浪亭(@zhengmu21)という尊敬する日本語ツイッタ友達のアカウントが含まれていて、三浪亭は20歳だかなんだかで、大学生で、クライマーで、三年浪人して大学に入ったのかと思ったら違うそうでびっくりしたが、この人が「デモをやる!みんな渋谷に来て、助けに来てくれ!」と述べていたので、三浪亭のホームTLのウインドーを開いたままにして観ていたら、三浪亭と似たりよったりの年齢のひとびとが、「憲法を守れ」という年長の市民たちが憲法を守る意志のある社会では聞かれえない主張を行っていた。 デモが終わって、三浪亭が、まるで神様が日本人の若者達をねぎらって微笑みかけているような美しい夕空を見上げている頃、ぼくが考えていたのは、「日本のひとたち、とにかく何も考えなくてもいいから、あなたのその賢い思索を全部しまいこんで、若い世代に決定をゆだねませんか?」ということだった。 百戦錬磨の野党政治家たちの演説が終わって、ど素人で「ゆとり」な若い大学生達が口を開いて意見を述べ始めると、政治家たちの現実が剥離してポロポロこぼれてくるような観念上の言葉遊びに近い言葉とはまるで異なる、日本の歴史では初めて、と言いたくなるような紛いようのない「市民」の声だった。 それから他の定点である、名の知られたひとたちのサイトや意見を巡ると、 「ほんとうは集団自衛権なしでは自衛隊員に死ねと言っていることになる」というようなことが並んでいて、自衛隊員の 「そしたら私たちはアメリカの艦船に自艦を並べて撃たれにいく」という戦前の軍人の「悲壮な決意」そっくりのことが書いてあったりもして、天然全体主義者らしく手もなく騙されて、 もともと人間が冷淡な外国人(←わしのことね)を苦笑させる。 … Continue reading

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Lost in the light

The Momentという、すごおおくヘンな名前の中華料理屋に行ったことがある。 New Market(←オークランドで3番目くらいに大きい盛り場の名前)では小籠包がいちばんおいしいと上海人の友達が述べていたからです。 10ドルで8個、竹の蒸し器に並んだ小籠包がおいしかったので、 帰りがけに「ここは小籠包おいしいのい」と述べたら、大まじめな顔で、 「もちろんだ。オークランドのナンバー1だぜ」という。 日本の人ならば、「いやあ」あるいは、せいぜい、 「そう言われると嬉しいですね」くらいだが、中国の人の一般的な反応で、 にんまりして、中国文明はカッコイイな、と文明を愛でる気分になってしまう。 日本の人の「照れ」もなれればカッコイイが、中国人の、 「なに言ってるんだ、あんた。おれが世界でいちばんなのは当たり前だぜ。 一生懸命やってんだもん」という態度のかっこよさは完熟や慣れがいらない判りやすさに満ちている。 連合王国人ならば、相手があんまり褒めると、「自分の店だぜ、そんなに褒められたら、どんなふうに答えればいいって言うんだい?」と幸福をかみ殺したような、いかにも人工的な、憮然とした顔をするだろう。 平均的なニュージーランド人ならば、少し怒ったような、無表情な顔をつくって、 「OK」とだけ述べそうです。 合衆国人の店主ならば、この日のために鏡の前で練習して鍛えに鍛えた特製の笑顔で、 「サンキュー」と言う。 バルセロナの浜辺に近い、わしが贔屓のタパス屋のおっちゃん https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/el_perro/ なら、客が不用意に賛辞をもらしたりすると、いかにもカタロニア人ぽく、「けっ」という顔でそっぽを向いて奥に入ったまま、二度と出てこないのではないかしら。 “In spite of all the terrible things that have been said about me by the maestros of the keyboard … Continue reading

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ノーマッド日記20

ときどき、きみは、どんなことをして一日を過ごすのかなあー、と思う。 他人の生活というのは意外と判らないもので、「近代小説」の起源がもともとは「他人の生活を知りたい」欲求に基づくもので、小説が普及するにつれて、それまでは普通に信じられていた魔女の存在が笑い話に変わっていったのだ、というような話を思い出す。 朝早くパジャマを着て歩いている人がいるので驚いたが、中国人の友達に話してみると「ああ、移民してきたばかりの中国人だよ、それは、中国じゃ普通のことさ」までは良かったが、それからニッと笑って 「中国にはな、ガメ、よそゆきのパジャマがあるんだぞ」と言うので、到頭こらえきれずに大笑いしてしまったりした。 南半球にもどってくると、オークランドは冬で、冷たい乾いた空気が好きなぼくは、毎日にこにこして暮らしています。 去年は雨ばかりで嫌な冬だったけど、今年は雨が少なくて、お日様が出る日も多くて、とてもいい冬なんだよ。 時差ボケのせいもあるけど、朝早くに飛び起きて、飛び起きて、と言ってもモニさんを起こしてしまっては気の毒なので、忍者のようにそっとベッドを抜け出して、セキュリティをピッピッと外して、台所へ行って、ブレヴィルの「最新型高圧エスプレッソマシン」(^^; で、エスプレッソをいれて飲む。 ドライクランベリーとローストしたアーモンドを混ぜるとチョーおいしいのを発見したので、そればかり食べている。 きみからもらったデーツはまだパントリーのなかで、食べたら感想を述べます。 (きみは英語より日本語のほうがしっくりくると言っていたけれど)英語でいいよね。 ぼくは、なんだか、この頃は日本語では自分の気持ちがますますうまく言えなくなっていて、ニセガイジンと言われるまでにつくりあげた精巧な(!)日本語人格大庭亀夫どんも、語彙が少なくなって、困っているみたい。 デーツの味、というような微妙なことを表現するには、語彙や表現から歴史的な情緒が脱落しすぎていて、人生に失望してsensualityをまったく欠いてしまった中年事務員のような、かさかさした言語になってしまっているのかもしれません。 ウエリントンに寄って、Galaに行ってきた。 あそこの空港は小さなジェット機でも進入路が狭くて、おまけに相変わらず進入路に強い横風が吹いて、ぐらぐら揺れて、スリル満点。 ステージの上のジャズバンドが上手なのとピノを並べたバーの飲み物や鴨のパテやチェダーのスナックが美味いのと、ひさしぶりに会う友達たちの笑顔が懐かしいので、財布のひもがゆるゆるになって、 件のワイヒキ島の隠人の彫刻と、明るい色彩がカンバスいっぱいに溢れて運動しているような、でっかい絵を買ってきた。 小さい人が、もう絵を好きになれるころだと思って、小さい人たちの部屋にかけるために買ったんだ。 アクリルで、赤や黄やオレンジが、幸福そうに、でもダイナミックに広がっている絵で、描いた知り合いの若い画家に「これをフライングキックが好きなチビの子供がいる部屋にかけようと思うが、怒るかね?」と聞いたら、チビちゃんたちが落書きしたり壊したりしたら、ガメの家まで塗り直しにいってあげるわよ、というので安心した。 良い絵を描くひとは、どんな社会でも、良い魂を持っている。 良い芸術家はどのひともこのひとも途方もない善人なんだよ。 芸術て不思議なものだなーとまた考えた。 モニとふたりでジュラシック・ワールドも観たぞ。 Bryce Dallas Howardが出ているので驚いた。 おまけに髪をブロンドに染めて出ているの。 世界はブロンドが流行するようになってから、ちょうど20年目くらいで、 通りを歩いても髪をブロンドに染めている女の人が多いのは永遠に続くとでもいいたげなバブルな景気と関係があるのか人間が魂を失いつつあることと関係があるのか。 イギリスでも、アフリカ系連合王国人の俳優や女優は、「Downton Abbey」やなんかで、白人の俳優や女優にばかり出番があって、ちっとも黒人には出番が回ってこないので、失望して、アメリカに行ってしまう人が多いんだって。 でもせっっかく移住したアメリカも「Pan Am」に「Mad Men」で、「白人だけがいた頃」のドラマが多くなっている。 差別がなくなっても郷愁は残るのね。 そうして、その郷愁のせいで仕事や収入を失って、はっきりと新型の人種差別を感じ取るアフリカ出身の人達がいる。 モニとぼくは、キューバストリートを行ったり来たりして、あっちでもこっちでもワインやカクテルを飲んで、すごおおく酔っ払ってジュラシックワールド(おまけに3D)を観ていたんだけど、Jurassic Parkのビデオを一緒に観たときに、きみが「琥珀に閉じ込められたDNAってのはな、ガメ、あれは500年ちょっと、精確には521年ごとに構成塩基が半量崩壊するものであってだな、あんなもんでティラノサウルスがつくれるんだったら、おれにだってメカゴジラがつくれるわい」と相当にやつあたりな怒りを爆発させていたのを思い出す。 でも、あの頃とは違ってDNAのリバースエンジニアリングはどんどん発達してきてるから、いまならマンモスくらいは作れるかもしれないんだよ。 マンモスより先に日本人研究者たちが実現しそうだったモアの再生はマオリ族の著作権料要求でダメになってしまったけど。 マンモスやモアをつくって、その辺で放し飼いにすることにして、ゆっくりと歩く巨大な生き物の群を観ることになれれば、人間の知性も少しは落ち着いてものを考えるようになるのではないかしら。 … Continue reading

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ノーマッド日記19

1 I perceived in spiritual idea, that not only from a single word, but also from a single sigh, the angels know whatever is in a man or spirit; for a sigh is the thought of the heart; concerning which … Continue reading

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灰色の影のはなし

榎本がバッティングセンターに来ていた、という話があってね、 と、そのひとは話し始めたのだった。 外国人で、しかもベースボールのルールも知らない人間が多い国から来たワカモノに話しているのだから、そもそも「榎本喜八」なる人がどんな人なのか説明してから話し出すのが普通だとおもうが、そういうことにいっさい頓着しないのが、この人の面白いところです。 夜中に仕事が終わって、今日は大残業だったけど、いっちょうビールでも飲んでから家に帰るか、という気分になって、どうせならおいしいビールが飲みたいので歌舞伎町でバッティングセンターに行ってからジョッキでブハァーをしに、飲みに行こうと考えた。 あのバッティングセンターはさ、と、あたかも共通の秘密基地の話をしているようにわしの顔を見るが、もちろん、わしはそんなバッティングセンターがあるのは知りません。 24時間営業じゃない? だから、いついっても開いてるし、新宿の通(つう)が集う場所なんだよね。 すっかりはりきって120kmの速球をがんがん打ちまくって、はウソで、110kmなのに空振りばっかりだったんだけどさ、 隣にね、ヘンなじーさんがいて、これがすごくすごくヘンなのね。 こう、なんていうかなあー、すうううっと、かるうううく、ゆううっくりバットを振っているだけなのに、ボールがバットにあたると、なんだかものすごいスピードで飛んでいくんだよ。 「弾丸ライナー!」なんて言葉があるんだけどね。 その弾丸ライナーなんだ。 フトシちゃんがんばってぇー、なんちゃって。 ここからが、怖いんだよ、ガメ。 その、ものすごいスピードで飛んで行く軟球…あっ、軟球って、わかるかい? 日本人が発明した固いゴムまりなんだけど、..おお、きみはほんとに、なんでも不気味なくらい知っているやつだな、 ともかく、そのボールが、 全部ネットにしつらえてある的(まと)にあたるんだよ。 あれ、そうだなー、直径20センチくらいかな。 小さなターゲット、そう、あの安売り屋のターゲットと同じデザインの、クラシックな、多重丸のターゲット、 あれのまんまんなかに全部あたる。 あのバッティングセンターは、的にあたると1ゲームただになるシステムでさ、ファンファーレが鳴るんだけど、 その隣のケージの怪人が打ち出したらファンファーレが鳴りっぱなしで、 他のひと、打つのも忘れて、なんだあれは、で、ボーゼンとしちゃってさ。 すごかった。 おれはなんだか、ほら、あの元華族のばーちゃんの口まねをすると 「ぶっくらこいちまって」ジッと観てたら… 思い出したんだよ、顔を。 榎本だっ! ミサイルトリオの榎本喜八だ!って。 榎本喜八ってのはね、ガメ。 すげえ打者でさ。 おれは7歳か8歳だったんじゃないかなー。 大毎オリオンズ、 いまの千葉ロッテマリーンズっていうチームなんだけど、 本拠地が東京球場って、スラムのまんなかにあって、売春婦たちがたむろしている通りを抜けていく、きったない球場でさ、 両翼は90mってんだけど、ぜんぜんインチキで、多分、70メートルぐらいだった。 父親につれられていくと、ナイターなんかこわくてこわくて、必死に父親の手をにぎりしめて、寝っ転がったまま、なぜか往来のまんなかでズボンはいたまま小便を垂れ流してるおっさんとかをこわごわ横目に見ながら試合を観にいったものだった。 榎本が出てくると、球場が道場みたいになって、畏まった雰囲気になっちゃうんだよ。 おとなになってから、ニューヨーク支社でヤンキースの試合とか観に行くと、 … Continue reading

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