灰色の影のはなし

榎本がバッティングセンターに来ていた、という話があってね、
と、そのひとは話し始めたのだった。
外国人で、しかもベースボールのルールも知らない人間が多い国から来たワカモノに話しているのだから、そもそも「榎本喜八」なる人がどんな人なのか説明してから話し出すのが普通だとおもうが、そういうことにいっさい頓着しないのが、この人の面白いところです。

夜中に仕事が終わって、今日は大残業だったけど、いっちょうビールでも飲んでから家に帰るか、という気分になって、どうせならおいしいビールが飲みたいので歌舞伎町でバッティングセンターに行ってからジョッキでブハァーをしに、飲みに行こうと考えた。

あのバッティングセンターはさ、と、あたかも共通の秘密基地の話をしているようにわしの顔を見るが、もちろん、わしはそんなバッティングセンターがあるのは知りません。

24時間営業じゃない?
だから、いついっても開いてるし、新宿の通(つう)が集う場所なんだよね。

すっかりはりきって120kmの速球をがんがん打ちまくって、はウソで、110kmなのに空振りばっかりだったんだけどさ、

隣にね、ヘンなじーさんがいて、これがすごくすごくヘンなのね。
こう、なんていうかなあー、すうううっと、かるうううく、ゆううっくりバットを振っているだけなのに、ボールがバットにあたると、なんだかものすごいスピードで飛んでいくんだよ。
「弾丸ライナー!」なんて言葉があるんだけどね。
その弾丸ライナーなんだ。
フトシちゃんがんばってぇー、なんちゃって。

ここからが、怖いんだよ、ガメ。

その、ものすごいスピードで飛んで行く軟球…あっ、軟球って、わかるかい?
日本人が発明した固いゴムまりなんだけど、..おお、きみはほんとに、なんでも不気味なくらい知っているやつだな、
ともかく、そのボールが、
全部ネットにしつらえてある的(まと)にあたるんだよ。
あれ、そうだなー、直径20センチくらいかな。
小さなターゲット、そう、あの安売り屋のターゲットと同じデザインの、クラシックな、多重丸のターゲット、
あれのまんまんなかに全部あたる。
あのバッティングセンターは、的にあたると1ゲームただになるシステムでさ、ファンファーレが鳴るんだけど、
その隣のケージの怪人が打ち出したらファンファーレが鳴りっぱなしで、
他のひと、打つのも忘れて、なんだあれは、で、ボーゼンとしちゃってさ。
すごかった。

おれはなんだか、ほら、あの元華族のばーちゃんの口まねをすると
「ぶっくらこいちまって」ジッと観てたら…

思い出したんだよ、顔を。
榎本だっ!
ミサイルトリオの榎本喜八だ!って。

榎本喜八ってのはね、ガメ。
すげえ打者でさ。
おれは7歳か8歳だったんじゃないかなー。
大毎オリオンズ、
いまの千葉ロッテマリーンズっていうチームなんだけど、
本拠地が東京球場って、スラムのまんなかにあって、売春婦たちがたむろしている通りを抜けていく、きったない球場でさ、
両翼は90mってんだけど、ぜんぜんインチキで、多分、70メートルぐらいだった。
父親につれられていくと、ナイターなんかこわくてこわくて、必死に父親の手をにぎりしめて、寝っ転がったまま、なぜか往来のまんなかでズボンはいたまま小便を垂れ流してるおっさんとかをこわごわ横目に見ながら試合を観にいったものだった。

榎本が出てくると、球場が道場みたいになって、畏まった雰囲気になっちゃうんだよ。
おとなになってから、ニューヨーク支社でヤンキースの試合とか観に行くと、
みんなのんびり駄弁ってたりして、ぜんぜん緊張感ないじゃん?
ホットドッグ食って、隣の家の犬の話とかしてやがって、こら、この野郎、アメ公、おまえらの国技なんだから、もっと気合いいれて観やがれ!
って言いたくなるんだけど、ぐっとこらえてさ、向こうのほうがガタイがでかいもんだから、いろいろ遠慮してたいへんだったよ、
おまえらのお仲間の国ってのは、どこも疲れるよな。

ところが日本人はマジメだから、違うのさ。
みんなスポーツ新聞で、榎本の求道者ぶりは知っているからね。
打ってくれ、頼むから打ってくれ、試合なんかどうでもいいから、神様、榎本にだけは打たせてやってください、って、心のなかで必死にお願いしたもんさ。

榎本は不思議なバッターでね。
毎年毎年、精進の甲斐あって、ボールがどんどん、どんどんってヘンだけれども、ますますどんどん真芯に当たるようになって、
ところがどんどん打率はさがっていくの。
なぜかって?
野球ってのは、面白いスポーツで、理想的な真芯にあたると、ボールは定位置に飛んでゆくものであるらしい。
いや、ほんとにそうみたいよ。
ほら、広岡とかいう、大企業コンプレックスみたいな、クソけったくその悪い銀縁メガネがいたじゃない、…えっ、あれ、知らないの?
最近の人じゃない。
あ、もう最近じゃないのか。
年取ると「昨日のこと」が20年前だからな。

あの管理おじさんも言ってたよ、おなじこと。
あいつの場合は口だけだろうけど。
え?
だって、たいした打者じゃねーもん。

もう本物の弾丸より速いみたいな打球がね、カアーンという乾いた音を立てて直線のライナーで飛ぶと、まるで守備の選手のグローブを狙いすましたように吸い込まれていくんだよ。

榎本が一塁まで、いつもの全力疾走で駈けて、引き返して、歩調を遅くしながら、うなだれてベンチに帰ってくると、みんなもシュンとしちゃって、しいーんとなって、胸のなかになんだかしこりが出来て、苦しいような気持ちになったものだった。

隣のケージのおやじ、
その榎本喜八だったんだ。

100球くらい打ってたかなあー。
打ち終わると、ていねいにバットケースにバットをしまって、深々とピッチングマシンに一礼すると、肩にかけて、係のにーちゃんが、にーちゃんは誰だか判っていたんだね、尊敬がこもった挨拶をするのに手を挙げて答えると、両腕を小さく折りたたんで、ぴったり脇につけて、ランニングしながら帰っていった。

おれはさ、なんでだか、ちょっとも判らないんだけど、急に、ずっと忘れてた父親のことを思い出して、とーさんごめん、大学まで一生懸命働いて出してくれたのに、おれはバカだからヘルメットかぶって暴れてばかりいて、世界同時革命や永久革命ばっかりで、さんざん心配させて、おれ、あのあととうさんがよく話してくれた会社にはいって、とうさんがよくビール飲みながら、こんなふうな家がいい、っていう家庭をつくったんだよ。
あー、かっこわるい、こういう感情。
ド演歌だよな。
団塊のこわさを見たか!なんちゃって

とうさん、死んじゃったから知らないけどさ、
とうさんが死んだ夜、冬のバリケードを出て、おれ、必死で急いだんだけど、間に合わなくて、人間の死体、色が褪せて、灰色で、
子供のときにおぼえてたより、ずっと小さいチン○ンで、他人が聞いたら大笑いするだろうけど、そのときに考えたことは、とうさんは、こんなちっこいチ○チンで、せいいっぱい父親の役で番を張って頑張ってたんだなーと思ったよ。

ガメ、おまえ笑わないな、なんていいやつなんだろう。
みんな、この話すると、バカみたいにゲラゲラ笑うんだけど。

それだけなんだよ。
それから、いままで、いつもいつも、一生懸命やってるのにうまくいかなくて、例えばさ、ほら、おれの奥さんは、とてもいいやつなんだけど、おれが紅茶を飲むときに音を立ててしまうことや、食べ物を食べて自動的に舌鼓を打ったりすることが、どうしても、生理的に許せないらしい。
それで、あなたはいい人だけど、ほんとうに、わたしイナカモノと結婚してしまったわ、とテープレコーダーのようにつぶやくんだ。
おれは、そうすると、すごおおおく、辛(つら)くてさ、辛いんだけど、まさか、そんなときに辛いなんて当の愛する奥様に言うわけにいかないから、どうにか言えばいいのは判ってるんだけど、ぷいと立って、外に出ちまうんだよ。

そういうときに、いっつも、ファーストベースから、灰色の影のようになって、とぼとぼともどってくる榎本を思い出してきた。
そうすると、おれは、とうさんの子なんだ、
まだまだ頑張れるんだ、っていう気になれた。

ガメ、おれは、もう60歳すぎたよ。
おやじが死んだ年齢をすぎてしまった。

人間は、さびしいなあ。

その人は、そう脈絡のないことを述べて、お座敷の障子を開けて、川面をみやるのだけど、
横顔をみると、やっぱり目には涙がいっぱいで、
歯をくいしばって、唇をひきしめていて、
きみやぼくがよく知っている
「人間」の顔をしていた。

それでなにが、って、
ただ、それだけの話なんだけど

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5 Responses to 灰色の影のはなし

  1. lyptus says:

    このひとがそこで喋っている声が聞こえているみたい。おじさんに優しくしなきゃ。と思ったけど特にいじわるをしたこともないや。でももうちょっと思いやってもいいかな?と反省しました。
    道で私がよけないから舌打ちするおじさんもいたけど、私がおじさんAにぶつかって 「すみません 」というと隣のおじさんBが 「ぶつかったんだからちゃんと謝れよ。痛かったよね、ね、」Aさん「ほんっとごめん、ごめんね〜」(← 酔ってる)「いいえ、だいじょぶです、ははは」という場面を思い出した。
    あと、記憶にあるみっつのお通夜とお葬式の場面を思い出した。
    死んだひとと対面して、わあっと泣き出した女のひと。私がつられて泣いてたら、「キャッチボールしに行く?」ときいてきた年上の男の子。
    息子さんを亡くしたのに気丈に振る舞うお母さんとお兄さん。
    息子を亡くして静かに涙を流す高齢の女のひと。

  2. lyptus says:

    よい記事が消えてる…保存してあるもん

  3. 星野 泰弘 says:

    普通に生き物がしているように「恋をして喜び、食べて寝て幸せを感じ、珍しいものに興奮する」、
    そういった生き方を人間はできない。(少なくとも日本では。)
    好きなものを嫌いと言い、嫌いなことを喜びと言って生きていかねばならない。
    そうしなければ罠にはめられる。
    頭脳が大き過ぎる生き物の夕暮れだろうか?

  4. 十薬工 says:

    いまからこれを書き写すけど、書き終えてから、あいつが戻ってきてくれるといいな。この雨のなか自転車で、きっとずぶ濡れだな。
    いまどこにいるんだろう。みんなさ。

    ガメさん、大好き(言ってしまった…w)

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