ノーマッド日記19

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I perceived in spiritual idea, that not only from a single word, but also from a single sigh, the angels know whatever is in a man or spirit; for a sigh is the thought of the heart; concerning which I also spoke with spirits, and it was confirmed.

エマニュエル・スウェーデンボルグのThe Spiritual Diaryは、その強烈な魔術性において、とてもヨーロッパ的な本です。
日本では科学はもともと、なんだか新幹線やリニアモーターカーのようなものだが、そういうとのけぞる人がいるかも知れないが、現実には科学はドラゴンや錬金術師の世界の法則だった。
偉大な人だったTyco Braheが凝視していた漆黒の夜空には、この人が数々の記録を残した彗星とともに、黒い翼で高空を移動するブラックドラゴンの飛翔する姿もあったでしょう。

プロテスタント的な明晰が宇宙から魔術的な衣装をはぎ取るのとともに、この世界から永遠に失われた不合理の魔的な力や、永遠の生命、再生される黄金、なにもかもが人間の知的生活から失われてしまった。

聖的な視点からは、言葉によらなくても、心の思惟であるためいきひとつで、その人間がどんな人間かわかるというのは、たいへん魔術的で、たいへんに魅力的な考えであるとおもう。

人間の言葉は圧倒的な沈黙に囲繞された環境でつくられたが、いまは沈黙が言葉に包囲されている。
酸化鉄を手のひらにふきつけて、
これは「私」だ、私という人間が、ここに存在するのだ、という人間の主張

https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/21/cueva-de-el-castillo/

は、実際に壁に残された手の人の形のプリントを観に行くと、途方もなく感動的で、人間という存在のものすごさに気圧されてしまうが、
その中心にある沈黙には、もっと凝集されたエネルギーがあるのかも知れません。

その「心の思惟」の表出が溜息であると述べるスウェーデンボルグは、太陽が燦々と輝く白昼の論理の世界では、宗教という名の迷信に支配された世界を憎悪しながらも、その厳格なだけでマヌケな権威に向かって戦う武器を人間がまだ持っていなかった時代の風変わりな科学者にしか過ぎなかったが、魔術の言葉は、科学の歴史の端と端を会合させて一致させるように、一瞬でわかりあえる言葉を持っていた。

嵐のはじまりの日に、鎧戸をおろして、
浩瀚な3冊本のThe Spiritual Diaryを読んでいると、魂だけが時間をひとり歩きに逆行して、歴史上、評価されたことがいちどもなく、これから先も評価される見込みがない、一個の巨大な知性に会いにいく。

激しい雨の音が、天使たちの羽ばたきに聞こえる。
次第に強くなる風が、精霊たちのためいきに似てくる。

生きてるのって、楽しいなー、と思う瞬間です。

History Channelのアーカイブを、ぼけーと観ていたら、歴史上初めての銃砲の大量使用は朱元璋の軍隊によるもので、火縄銃以前の当時の銃は的確に狙いがつけられなかったので、何百丁何千丁と並べて城壁の上から矢を射かけるモンゴル兵たちに対して一斉射撃を行ったのだ、というのでカウチからずるこけてペルシャラグの上に尻餅をついてしまった。

うっそおおおーん(©哲人)と思ったからでした。
専門の学者でもないのに出典を詮索する趣味はないが、えっこらせとライブラリに出かけて本をあたってみると、どうやらほんとぽい。
「ぽい」なのは、明の歴史は、中国の人のあいだでは、よく知られているように、清が大量に書き換えたり抹消したりしてまともな形で残っていないからで、絹絵に描かれている、とか、なんだかその類いの頼りない証拠しかないようです。

一方で、こちらはちゃんと記録が残っている、秦の部品規格の標準化によるクロスボウの大量生産は有名で、秦が戦国の後半、あっというまに中原を平らげて、中国を統一してしまうのは、兵器的には、このクロスボウのマスプロダクションに拠っている。

弓の最大の武器は連射ができることで、後代の火縄銃と較べてもサブマシンガンくらいの違いはあった。
一対一ならば、火縄銃なんて問題にならない速射性で、しかも馬上から連射することが出来たので、黒澤明の「影武者」に出てくるほど武田勝頼がバカタレであったわけではないようです。

兵器としての弓の根本的な問題は、弓手として使いものになるまでに、長い長い長い訓練が必要だったことで、なんの訓練もない若者に弓をホイと渡して、ほら、ここ引っ張ればいいんだからね、ちゃっちゃと、あの大将殺してきてね、というわけにはいかなかった。

クロスボウは3人ひと組で、矢をつがえる者、射る者、分業になっていて、しかも訓練がいらない。
秦軍のなかに賢い人間がいて、「部品を同じにして、作る方でも分業して大量生産すればいいんじゃん」とおもいついたところで、韓も魏も趙も国家の運命が定まってしまった。
何万人という数の、壁のように、ひた押しに押してくるクロスボウ兵の前にでなすすべがなかった。
楚人は南に南に逃げてタイに定着した。

「照準ができなくて当たらないから大量に並べていっせいに射撃する」
「部品を標準化して大量生産する」
という同じにおいがする事実の方角から事態を眺めると、中国だなあー、と思う。

中国の人の考えかたは、どこか、量をどんどん増やしていけば、ある点以降からは量が質に転化する、という思想を含んでいる。
最近ではChosin Reservoir

http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Chosin_Reservoir

の人民軍が良い例です。
ドキュメンタリのインタビューで、よっぽど怖い思いをしたらしいアメリカ軍のベテラン(←復員兵のこと)が、自分の部隊がもっていた弾薬よりも人民解放軍の兵士の数のほうが多かった、と主張している。

仮に、この「兵士の実感」が真実だとすると、作戦もなにもなくて、韓国軍とアメリカ軍が大量の戦死者や発狂者をだしながら、命からがら逃げた理由もわからなくはない。

コンピュータは、そうやって安くなった。
わしガキの頃は50万円くらいだったコンピュータが5万円になってしまったのは、アーキテクチャの公開とパーツの統一規格というIBM社のマーケティング戦略が、中国語圏の人間の「ツボ」にはまったのだと思われる。

クルマが電気自動車になるとトヨタが筆頭の日本の自動車会社は、クルマの名前としては「ファミリア」級のへんてこりんな名前のグレートウォールだかなんだかに駆逐されて、いきなり消滅するのではないか、と「先見」が商売のひとびとが分析しているのは、要するにそれが理由で、クルマが文化的工芸品の側面よりも部品が標準化されたPCに近い製品に性格が変わると、工芸的な職人芸を偏愛する日本や韓国の自動車会社は敗退して、部品を融通しあう会社間ネットワークなど、たちどころにつくりあげてしまう中国の人のほうが有利だろう、ということのようです。

この「量が質化する」というのは、たいへんに面白いことで、まだこのブログにも何度か出てくるとおもう。
自然の世界にもたくさん例があることで、しかし、ごく自然に量よりも質、と考える習慣があるヨーロッパ人や日本人、韓国人、インド人にとっては、未知の哲学でもあるからです。
いろいろ考えることが、残っている。

spotifyのサービスの最もよいところは、「あんまり商業的に成功するわけではない音楽」が殆ど網羅されていることで、ジャンルで言えばジャズ、ブルース、
エスニックでいえばマリやコンゴ、ウガンダの音楽やアフリカンユーロ、中東の音楽がたくさんちりばめられている。

好きな音楽でいうと、たとえばConcha Buikaは全部あります。
ジャズもニュージャージーのチョー有名なジャズFM曲 WBGO

並のプレイリストを作ることも可なり。

激しい雨の音を聴きながら、カウチに寝転がって、Dave BruebeckやChet Bakerをかけて、スウェーデンボルグの魔術的世界を旅行していると、つるりんとしたプラスティックな世界の皮膚の下にある世界、当のスウェーデンボルグの言葉を借りれば、
「Spirits can also produce odours」

「百合の匂いがする」霊魂の群れがさすらう荒野を、人間の形をした外宇宙が腕を動かして神のほうへ手をさしのべようとする暗黒の空間を、あるいは、天国を追放されたひとびとが無限の罵りあいのなかへ墜ちていった地獄を、通り抜けて、コーヒーの匂いとチョコレートがつくりだした甘い空気が漂う部屋にもどってくる。

はっはっは、楽しい。
La dolce vita
いつまで続くのか、判らないけど。

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One Response to ノーマッド日記19

  1. snowpomander says:

    いまここ、その2:2016年4月22日。spirits can also produce odours.
    「百合の匂いがする」、はい、たしかに霊魂はにほひまする。百合のような香りは至福や祝福系の霊魂。百合香様達は荒野を彷徨いません。

    「『百合の匂いがする』霊魂の群れがさすらう荒野」、スエデンボルグはそんなこと言ってたという意味ではないでしょね。文学的にゲーテの地獄みたいなのもjazzyですけど。

    天界から慈悲の化身のようにふくよかに舞い降りて参ります。
    百合の花のようなとしか言いようが無いのですが、百合の匂いと同じではありませんでした。迦陵頻迦(かりょうびんが)の花園世界の霊香は再現出来ない。ディオールのパルファンにちょっと似てるのがあったけど、現世の匂いは重い。

    荒野を彷徨うのは無明の臭い霊達です。
    天国のミラーガラスから地獄を見ると地上なのね。

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