ノーマッド日記20

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ときどき、きみは、どんなことをして一日を過ごすのかなあー、と思う。
他人の生活というのは意外と判らないもので、「近代小説」の起源がもともとは「他人の生活を知りたい」欲求に基づくもので、小説が普及するにつれて、それまでは普通に信じられていた魔女の存在が笑い話に変わっていったのだ、というような話を思い出す。

朝早くパジャマを着て歩いている人がいるので驚いたが、中国人の友達に話してみると「ああ、移民してきたばかりの中国人だよ、それは、中国じゃ普通のことさ」までは良かったが、それからニッと笑って
「中国にはな、ガメ、よそゆきのパジャマがあるんだぞ」と言うので、到頭こらえきれずに大笑いしてしまったりした。

南半球にもどってくると、オークランドは冬で、冷たい乾いた空気が好きなぼくは、毎日にこにこして暮らしています。
去年は雨ばかりで嫌な冬だったけど、今年は雨が少なくて、お日様が出る日も多くて、とてもいい冬なんだよ。
時差ボケのせいもあるけど、朝早くに飛び起きて、飛び起きて、と言ってもモニさんを起こしてしまっては気の毒なので、忍者のようにそっとベッドを抜け出して、セキュリティをピッピッと外して、台所へ行って、ブレヴィルの「最新型高圧エスプレッソマシン」(^^; で、エスプレッソをいれて飲む。
ドライクランベリーとローストしたアーモンドを混ぜるとチョーおいしいのを発見したので、そればかり食べている。
きみからもらったデーツはまだパントリーのなかで、食べたら感想を述べます。
(きみは英語より日本語のほうがしっくりくると言っていたけれど)英語でいいよね。
ぼくは、なんだか、この頃は日本語では自分の気持ちがますますうまく言えなくなっていて、ニセガイジンと言われるまでにつくりあげた精巧な(!)日本語人格大庭亀夫どんも、語彙が少なくなって、困っているみたい。
デーツの味、というような微妙なことを表現するには、語彙や表現から歴史的な情緒が脱落しすぎていて、人生に失望してsensualityをまったく欠いてしまった中年事務員のような、かさかさした言語になってしまっているのかもしれません。

ウエリントンに寄って、Galaに行ってきた。

あそこの空港は小さなジェット機でも進入路が狭くて、おまけに相変わらず進入路に強い横風が吹いて、ぐらぐら揺れて、スリル満点。
ステージの上のジャズバンドが上手なのとピノを並べたバーの飲み物や鴨のパテやチェダーのスナックが美味いのと、ひさしぶりに会う友達たちの笑顔が懐かしいので、財布のひもがゆるゆるになって、
件のワイヒキ島の隠人の彫刻と、明るい色彩がカンバスいっぱいに溢れて運動しているような、でっかい絵を買ってきた。
小さい人が、もう絵を好きになれるころだと思って、小さい人たちの部屋にかけるために買ったんだ。
アクリルで、赤や黄やオレンジが、幸福そうに、でもダイナミックに広がっている絵で、描いた知り合いの若い画家に「これをフライングキックが好きなチビの子供がいる部屋にかけようと思うが、怒るかね?」と聞いたら、チビちゃんたちが落書きしたり壊したりしたら、ガメの家まで塗り直しにいってあげるわよ、というので安心した。
良い絵を描くひとは、どんな社会でも、良い魂を持っている。
良い芸術家はどのひともこのひとも途方もない善人なんだよ。
芸術て不思議なものだなーとまた考えた。

モニとふたりでジュラシック・ワールドも観たぞ。
Bryce Dallas Howardが出ているので驚いた。
おまけに髪をブロンドに染めて出ているの。
世界はブロンドが流行するようになってから、ちょうど20年目くらいで、
通りを歩いても髪をブロンドに染めている女の人が多いのは永遠に続くとでもいいたげなバブルな景気と関係があるのか人間が魂を失いつつあることと関係があるのか。
イギリスでも、アフリカ系連合王国人の俳優や女優は、「Downton Abbey」やなんかで、白人の俳優や女優にばかり出番があって、ちっとも黒人には出番が回ってこないので、失望して、アメリカに行ってしまう人が多いんだって。
でもせっっかく移住したアメリカも「Pan Am」に「Mad Men」で、「白人だけがいた頃」のドラマが多くなっている。
差別がなくなっても郷愁は残るのね。
そうして、その郷愁のせいで仕事や収入を失って、はっきりと新型の人種差別を感じ取るアフリカ出身の人達がいる。

モニとぼくは、キューバストリートを行ったり来たりして、あっちでもこっちでもワインやカクテルを飲んで、すごおおく酔っ払ってジュラシックワールド(おまけに3D)を観ていたんだけど、Jurassic Parkのビデオを一緒に観たときに、きみが「琥珀に閉じ込められたDNAってのはな、ガメ、あれは500年ちょっと、精確には521年ごとに構成塩基が半量崩壊するものであってだな、あんなもんでティラノサウルスがつくれるんだったら、おれにだってメカゴジラがつくれるわい」と相当にやつあたりな怒りを爆発させていたのを思い出す。
でも、あの頃とは違ってDNAのリバースエンジニアリングはどんどん発達してきてるから、いまならマンモスくらいは作れるかもしれないんだよ。
マンモスより先に日本人研究者たちが実現しそうだったモアの再生はマオリ族の著作権料要求でダメになってしまったけど。

マンモスやモアをつくって、その辺で放し飼いにすることにして、ゆっくりと歩く巨大な生き物の群を観ることになれれば、人間の知性も少しは落ち着いてものを考えるようになるのではないかしら。

言葉が静かになって、もっとうまく自分の心のなかに沈んでいることを、すくいだして話せるようにならないか。
相手の話を聞いているふりすらしなくなった現代人の「会話」では言霊たちも顔を覆って泣くだけだもの。
どんなに複雑な思索のなかを歩いていっても、堂々めぐりをするだけで、沈黙に会えたりはしないだろう。
自分で(例えば洞窟の壁に酸化鉄で)表現したものの形が生み出した沈黙と邂逅した驚愕が人間の文明を生んできたわけだけど、そういう意味では、もう文明はマンネリで、退屈で凡庸な繰り返しに陥ってゆくだけなのかもしれません。

雨が降って、だんだん雨が激しく降ってきて、目が開けられないほどになって、
Fidel’s Caféに行ったら、相変わらず欧州人の留学生たちがいっぱいいて、美しい黒い髪のフランス人と赤い髪と赤い長い顎髭のベルギー人のカップルがベンチの隣で、モニさんとぼくは彼らとたくさん話をした。
外見が、あんまりフランス人ぽくないモニさんがフランス人だと判って、ずっと北欧人の隣に座るなんてやだな、と思っていたと述べていたので可笑しかった。
なぜ北欧人の隣だと嫌なのか聞いたら、だってイケアの家具って最低じゃないか、というの。
第一、私たちはふたりとも優等生が嫌いなのよ。

Ace of Baseもイモだったと言って、ふたりとも、なんだか調子が外れた人たちで、すごい美人とハンサムのカップルなのに、言うことはことどとく時代もずれて的外れで、タトゥーがはいっている場所まで奇妙で、しかもふたりともPhDを持っていて、すごくヘンだった。
ヘンな人たちくらい世の中に楽しいものはなくて、ああきっと、日本にいた最後の頃に、自分でも取り返しが付かない気持ちになるくらいホームシックだったのは、日本には良い人と悪い人ばかりでヘンなひとが少なかったからなのではなかろうか、と考えてみたりした。

雨が降って、雨が強くなって、ぼくの分厚い皮のコートさえずぶ濡れになる雨で、魂にまで及んでくるみたいになって、モニもぼくも髪がぐっしょり濡れて、雨に濡れればいつものことで、昂揚してくる気分を抑えられない気持ちでホテルに帰った。
ああいうときの煙草は素晴らしくおいしいが、20歳のときにやめてしまったので、健康のかけらと引き替えに、あれ以来自分の一生から幸福が少し減少したのではないかと思う。
酒や煙草を敵視する、ぼくの脳髄も染まっている、この色彩の考え方は、いったい何の味方なのだろう?

翌朝はビクトリアストリートを歩いていって肩をすぼめて立っている男の彫刻や、デニーデンの宝石デザイナーの指輪を買った。
ウエリントンに来れば必ず食べないわけにはいかないポークリブももちろん食べた。
セントラルマーケットのフードコートのスペアリブの店が意外なくらいおいしくて、聞いてみたら、4時間かけて燻製するのさ、と、店主のカンザス人が、とても嬉しそうに威張っていた。

人口はクライストチャーチについで3番目で、アッパーハットやローワーハットをあわせても40万人しか人口がない町だが、やはりいまでもニュージーランドではウエリントンだけがほんとうの都会で、人間が人間として息ができて、肩の力を抜いて、いろいろなことが考えられるように出来ている。
ニューヨークみたいなド田舎が好きだなんて、マンハッタンで生まれて、育って、イナカモノばかりが集まってくるのが嫌でここに越してきたおれから観れば、ガメもなんにも判ってないなあーと思うぜ、と述べたきみの言葉を思い出していました。

退屈や平凡が好きなぼくは、カウチで草間彌生の伝記を読みながら眠ってしまったり、新しいマツダMX5の写真を見てカッコイイなあーと思ったり、新しいインベストメントのやりかたを思いついて、誰かやらないかな、誰もやらないなら自分でやるしかないな、と考えたりして、その日暮らしもいいところで、のんびり暮らしています。
会社にもいかないし、政治にも興味はないし、神様も悪魔も、どこだか遠い所にいて、なにもかも、どうでもいいとは言わないけど、あんまりそばによってきてぼくの退屈の邪魔をしないでね、と思う。

このあいだまでディラントマスの写真を壁の正面にピンで貼ってあったんだけど、笑うなかれ、なんだか緊張するので剥がしたよ。
ログバーナーのなかで揺れる炎をぼんやり見ている。
Apple Watchをいじったり、たくさん手に入れたF<2のレンズで小さい人たちやモニさんを撮っているうちに冬もすぐに終わってしまいそうです。

今年はクリスマスはヨーロッパで過ごすようなので、ウイーンにいるきみとも会えるかも知れません。
是非一緒に観に行こうときみが言っていたタウンホールの飾り付けがなくなったころになるかも知れないけど。

では

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