Monthly Archives: July 2015

Josicoはんのためのニューヨークガイド_3

地下鉄が嫌いで東京でも、一度か二度くらいしか地下鉄に乗らなかった。 マンハッタンに住む友達は「ニューヨークにいて地下鉄に乗らないなんて、海でボートに乗らないのと同じではないか」と言って笑うが、あのひとびとは、ボンダイビーチのクラブ「アイスバーグ」 http://icebergs.com.au/ から対岸のNorth Bondi Rocksまで、酔っ払って泳いでわたるわしの遊泳能力を知らないのであるとおもう。 マンハッタンにいるときは、いつも歩いて、ヴィレッジの北にあるボロアパートからモニの宮殿まで、あの長い長い距離を、行き交う人達の頭のてっぺんを眺めながら、歩いて遊泳したものだった。 (josicoはん、ここでグーグルマップのマンハッタンを出してね) わしの散歩道をふたつ教えます。 7th Aveから17th Streetにちょっと入ったところにあるルービン・ミュージアム(The Rubin Musium of Art)は、小さいけれど、わしの大好きな美術館で、北京オリンピックの前年、抵抗しては獄中で殺され、女達はほとんど自由に強姦され、世界の誰にもとどかない絶叫をあげながら自分の身体を燃やして抗議を続けるチベット人たちのことを考えながら、わしは、よくこの美術館に行った。 チベットの、限りなく気高く、静かな美しさに満ちた仏像のまえで、じっと立っていた。 http://rubinmuseum.org 7th Aveをおりて、なんにも考えずに、Greenwich Aveの交差点まで行く。 交差点にはピザのチェーン、Two Boots http://twoboots.com の、よく目立つサインがあったけど、いまもあるかどうか。 この交差点の、Mighty Quinn’s BBQがある場所に、 むかし、わしが大好きだったBBQレストランがあって、 ニューヨークにいるときの、ブログ記事に出てくる 「大好きなバーベキューレストラン」はこれで、夜におなかがすいて、時計を見て22時の前だと、よく歩いてこのレストランまで出かけた。 いま見たら、もうなくなっているみたい。 最後に行ったとき、クライストチャーチ出身で、コロンビア大学で教師をしている友達と一緒で、通りにだしたテーブルでスペアリブを食べた。 今度のクリスマスはニュージーランドにくるの?と訊いたら、 「もう、ぼくはニュージーランドには帰らないよ。 母親が嫌いなのさ。 生物学的な母親なのにね」 と笑ってから、とても寂しそうな表情になって交差点のほうを見た。 それが、あのバーベキューレストランで食事をする最後になってしまった。 「アメリカ人たち」 … Continue reading

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Josicoはんのためのニューヨークガイド_2

わしのマンハッタンは北限がアポロシアター https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/04/10/apollotheatre/ までしかない。 わしボロアパートは、曖昧に所在を述べると、17th stと21st , 8th Aveと5th Aveがつくる長方形の辺上、あるいは、あいだにある。 Josicoはんが泊まると決めたホテルは、わしアパートにかなり近いので、その点ではよいかもしれません。 もう少し、わしとマンハッタンの浅い関わりの程度を示すと、モニさんは宏壮な実家は相変わらずフランスにあるが、アメリカ人と呼んでもよいような生い立ちの人で、わしのおんぼろアパートとはお犬さんの家とヴェルサイユ宮殿くらい違うパークアベニューの、ちょっと歩くともんのすごく高い商品が並ぶブティックが並んでいるあたりで、ドアを開けてホールにはいると、そこにはまた二本対称の螺旋階段があってアパートのなかが二階建てになっているチョーカッコイイアパートに住んでいた。 わしアパートは、ロビーにはいるとアフリカンアメリカンのおばちゃんが、 受付に座っていて、ガメ、あんまり夜遊びすると、病気がうつるぞ、がははは、というのはいくらなんでも誇張だが、そういう雰囲気のアパートだが、モニさんのほうは、制服を着たおっちゃんが、どんなに寒い日でも外に立って、みるからに清楚なモニさんに支えられて、チョー酔っ払って、「モニちゃん、キスー、でへへへ」とダメな人まるだしでタクシーから出てくるわしを、ごく慇懃な態度で睨み付けて歓待してくれる。 人間のつながりは、ありふれた中心社交世界のほかはフランス系のひとびとや、フランス系コミュニティに近いロシア系やワロンのひとびとがおおい。 いままで日本語のインターネットで、たとえば通訳会社を経営しているという女の人や、いつのまにか英語人と英日バイリンガル人とずううううっとずうううううっと英語や欧州語の国で住んでいる人が大半になってしまったTLにこのあいだ、「英語がわかってなあああーい」と怒鳴り込んできた皮肉でなくて面白げな人がいて、この人は仕事は出版エージェントだと書いてあったが、 日本人でニューヨークに住んでいる人は、ピアニストだという人をのぞいて、あらわれる人の顔ぶれが多彩な美術商や小説家、出版人のパーティで会ったことはない。 例えば、いま話題のアホなおっちゃんのドナルドトランプじーちゃんはロシア・東欧コミュニティの集まりによく姿を見せる人で、あちこちでみかける。乾杯の音頭をとりたがる人でもある。 マンハッタンの社交の世界は、あんな大都会であるのに、けっこう狭いが、こういう日本出身の「ニューヨーカー」を見たことも聞いたこともなかったのは、接点がないというか、交友の範囲に距離があるせいでしょう。 わしマンハッタン知識の偏りは、そういうところから来ている。 La Taza De Oro は中南米料理の定食屋さんで、わしはここによく入り浸っていた。 わしがマンハッタンにいるときに書いたブログ記事に良く出てくる「スペイン語しか通じない定食屋」は、この店のことです。 聞こえてくる会話はすべてスペイン語で、英語で注文したって後回しか、シカトな代わりに、安くて、猪八戒のようにガツガツと食べるわしでもおなかいっぱいで、この画像 のメニューを見ればわかるとおり、このあたりの店としては、ものすごく安くて、店員が親切なばかりか、カウンターに腰掛ければ客のひとびとも、底抜けに親切です。 おおげさに言えば、ここがわしのニューヨークで、…と書いて、住所をたしかめるためにyelpを開いてみたら、ぐわああああーん、閉店だって。 うそおおお、と取り乱してしまった。 パチモン人が充満するパチモン王国のマンハッタンで、ここだけはオーセンティックの3乗だったのに…. http://nz.yelp.com/biz/la-taza-de-oro-new-york ええええー、とおもって、tripadvisorやyelp, 中華料理屋もたしかめてみようとGayot http://www.gayot.com/restaurants/search-in-new-york.php みたいなものも見てみるが、たとえば、アデルがご贔屓で、よくランチのテーブルに座っていたインテリアがカッコイイ中華料理屋までも姿を消していて、リースが高すぎて、マンハッタンはどんどんモール化がすすんで、イナカモンの町になったのよ、と友達が言っていたが、ほんとにすごい。 中華料理屋で、josicoはんに紹介しようとおもってた店で生き残っていたのはチャイナタウンの店(←グリーンミシュランとかで、おいしい店はすぐわかりまする)をのぞけば、 BoweryのCongee Village http://www.congeevillagerestaurants.com/restaurant-bowery.php が生き残っているくらいのものでした。 そーだそーだ。 マンハッタンのランチは、ヴァンとかで舗道に店をだしている、なんちゃらカートみたいな名前の店もおいしくて、このGothamistの記事に出てる、 … Continue reading

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Josicoはんのためのニューヨークガイド_1

このブログの初めのほうをみると、半日かかって辞書をひきまくって、ネットで用例があるかどうか確認したりして、七転八倒して、日が暮れかかる頃、ちかれたびー、とおもって書いたものをみると、ページの半分もなくて、がっかりしていた頃のことをおもいだす。 その頃はゲームブログで、なぜゲームブログだったかというとアガサ・クリスティの有名なトリックのようなチョー面白い秘密があるが、いまはまだここで書くわけにはいかない。 Josicoはんは、その頃からの日本語インターネットの友達で、そういう言い方をすればゲーム友達です。 ゲーム友といっても、わしは「おんどれら、死にくされ、わしがミーリー70の張飛なみの戦士なのを知らんのか。えええい、束になってかかってこんかい! わあああ、ほんとにかかってきちゃいやあああ、 殺されるううう!ぎゃああああー」のゲーマーだったが、josicoはんはゲームデザイナーで、日本のおおきなゲーム会社でゲームをつくっていた。 ゲームの話をしてるうちに友達になった。 多分、いちばん初めの「日本語友達」だとおもいます。 すごおおく、むかしのことだが、どのくらい昔のことか書くと、josicoはんに「トシがばれる」と怒られるに決まっているので、何年くらいのことか書くわけにはいかない。 ブログは初めから読んでくれる人がたくさんあったが、その頃は、やることがたくさんあって、どうかすると仕事までしていたので、日本語はこの程度にしてやめようとおもったことがあった。 日本語ネット名物の意地のわるい人間がいっぱいやってきて、 「警察に通報します」 「家を探し出して、監視してやる」 「日本は素晴らしい国なのに、それを批判するガイジンは国に帰れ」 で、他の言語に較べると、暖かみに欠ける言語世界で、めんどくさいな、と考えた、ということもある。 やめなかった、ほとんどゆいいつの理由がjosicoはんで、 もう、ばらしても、怒らないそーなので、ばらしてしまうと、 「Jさんからの手紙」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/06/09/josico1/ の「Jさん」は、もちろんjosicoはんです。 いま読んでも、 「私はそんなに賢くもないし、性格も弱いけれど、幸せになりたいです。自分自身を幸せにしたいと思っています」 という、天使がくりだしたストレートパンチのような、まっすぐな言明には、 わしが書いたどの記事も足下にも及ばない力がある。 Josicoはんは、わしのことをニセガイジンだとおもっていた、というか、ほんとかよ、とおもっていたのは本人はいちども口にしたことがないが、明らかなことで、でも外国人でも金星人でもなんでもいいや、とおもって、付き合ってくれていた。 あるとき、ガメは、ほんとに日本人ではないのだ、と判ってしまったと述べたことがあって、そのときに、ぶっくらこいたと言っていたので、ほんとうは、わしが英語人だなどと全然信じていなかったのが判る(^^; しかし、そーゆーことは、どーでもいいや、と思えるところがまともな人で、 それよりなにより、日本の人であるのに、 「自分の幸福がいちばん大事だ」と考えて、自分という「最も親しい友達」を幸せにするのは、どうすればいいかを一生懸命おもいつめて、 安定した高収入を捨てて「バルセロナでたこ焼き屋をやる!」と言い始めたので、すっかり感動してしまった。 わしも、たこ焼き、好きだし。 ふたりでいろいろ相談して、josicoはんは、その頃は簡単なスペイン語が話せるだけで、英語もカタロニア語もわからないというので、ブライトンに一年住んで英語を勉強することにした。 わしがバルセロナに久しぶりに出かけてみると、いつのまにかたこ焼き屋が二軒できていて、josicoはんは落胆したが、日本に戻る気もしないなあーと述べて、ロスアンジェルスのゲーム会社に再びゲームデザイナーとして就職した。 「ガメは、いくらなんでも言い過ぎだろう! こんな言い方しなくたって日本人にも、ちゃんとした人間はいっぱいいるじゃない」と、よく憤懣をぶつけたemailが来たりしていた。 あんまりいつもカッカしているので、 「josicoはんは瞬間湯沸かし器みたいだ」とからかったら、 「なぜ私の綽名を知っている」というので大笑いしたりした。 ブライトンからバルセロナに遊びに行くというので、 josicoはんのためにバルセロナガイドを書いたことがある。 … Continue reading

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記憶のなかの未来_2

“I was more than impressed, I was shocked what we found because they were so far ahead” と、第二次世界大戦のほとんどの飛行機をテストパイロットとして飛ばした 空の英雄Eric Brownが述べている。 しかも、この最も速い連合軍の戦闘機よりも100マイル/h(160km/h)以上高速な「空飛ぶ怪物」は4基の30mm砲という文字通り化け物のような兵装を持っていた。 Eric Brownは目撃した、Me262に一瞬で粉微塵にされる双発爆撃機のB26について証言している。 “I saw an American Marauder aircraft being attacked by an Me 262.” “One minute there was this … Continue reading

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記憶のなかの未来_1

国会前のデモで日本の人たちが、「よみがえった日本人」のように自分たちの自由を制限しようとして躍起の政権に抗議しているのを、なるべく見落とさないようにしてみている。 日本語のマスメディアは、どれもこれも救いがないほど落ちぶれてしまっているので、見てもしかたがない。 ツイッタやブログの欄外のコメントの書き込みのような所から、あんまりフォロワー数がいないひとの「いま国会前にきてみたのだけど…」というような、つぶやくような小さな声をふりだしに、逆にリンクを声がおおきいほうにたどっていくことがおおい。 以前には「烏合の衆」とバカにされていたひとびとの行動 https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/04/官邸前の愚者の群/ が、いまでは政府も到底無視できない政治行動になっているのがよくわかる。 ツイッタひとつみていても、どんな国でもある運動側の味方をしているような顔をしながら政府側に立って働いている人や、つまりは大時代な「走狗」がいたりして、へえ、と思います。 従っている定石が古いので、落ち着いて誰にどんなふうに「絡んでいる」かみていると、正体がわかってしまう。 日本は、こーゆーところでもお手本が古いのお、と考える。 まるで片手に新聞をもって、黒ずくめで、タイも黒で、サングラスをかけて、黒いボルサリーノをかぶって、防衛省の通用門の前を行ったり来たりしているスパイみたいで可笑しい。(←過去に東京で現実にあった事件) 本人の事務所が強く否定しているギリシャの元蔵相Yanis Varoufakisの「the parallel payment system」スキャンダル http://yanisvaroufakis.eu/2015/07/27/statement-by-yanis-varoufakis-on-the-finmins-plan-b-working-group-the-parallel-payment-system/ は、「次にくるもの」を予感させるスキャンダルだった。 一見関係のないデンマークのMobilePay https://danskebank.dk/en-dk/Personal/ways-to-bank/Pages/MobilePay.aspx に端を発した欧州の物理的な通貨の廃止をめざす、ゆっくりだが不可逆的にみえる動きをはじめ、bitcoin的な通貨思想の伝統的通貨に対する思想上の絶対的優越を考えても、あいだを全部ぶっとばして述べると、国境だけではなくて、国権や国家そのものの終わりも意外とはやくくるのかもしれない。 そのときにくるのは人間や文明が直に向き合う世界だが、アフリカが世界の中心的なパワーとして台頭していなければならないはずの2050年以降において起こるだろう、その変化が、実際に国家という群立した絶対暴力の時代よりも人間にとっていいのかどうかは、わしにはわからない。 税務台帳をハックして、既存政府の徴税機能を停止して、税務番号をふりなおして、ネオBitcoinで徴税できてしまえば、クー(クーデター)がやれてしまうわけで、フォーラムで、では軍隊はどうするのか、マスメディアはどうするのか、と棋上演習をやってみると、ほんとにやれてしまえるもののよーでした。 伝統的な意味における現実が仮想現実に較べて下位のプライオリティしか持てなくなりつつある世界に、わしらは生きている。 パラダイムシフトが起きる時代というものは、そういうもので、 99%の人には最後の最後まで実感がなくて、気がつくのは「自分が時代に決定的に取り残されたのだ」と心底おもいしるときでしかない。 冷菜凍死家というショーバイは、こういう変化がみえやすい建物の窓際に立って世界を俯瞰しているので、そーとーなアホでも、神様が世界というピザの一片の両ヘリを曲げて口に運ぼうとしている様子がはっきりみえる。 もっともおおきな変化はモニターの前に座ってキーボードを叩いている人間の側にあった認識の主体が、モニターの向こうのネットワーク側に移動してしまっていることで、(もういちど繰り返すと)仮想現実が現実に対して優位に立っている。 そういうことが可能なのか?と疑う人のために述べると、ルネ・デカルト以来の人間の「考えるよすが」は「認識は現実よりも優位」であることで、シンタクスのいきつくところ、認識は現実よりも仮想現実を優位に立たせることに痛痒を感じるわけはないのはチョー簡単な理屈であるとおもいます。 ネットビジネスひとつとりあげても、2000年から10年間ほどの黎明期には「ビジネスモデル」が重要で、グーグルアドなしでグーグルというインデクスサービスは考えられなかった。 いまはアイデアがすべてで、そのサービスが不可欠になってしまえば、ビジネスモデルは不要だが、枝葉にみえても、それもまた認識の対象が仮想側に移行している証拠なのでしょう。 もっと些末な例を出すと、ニュージーランドドルは、かなり前から1¢、5¢という硬貨は廃止されていて、現金で払うかぎりにおいては、99¢の商品を買って1ドル払っても1¢のおつりはもどってこない。 ニュージーランド人が「EFPOS」と呼ぶ、デビットカードかクレジットカードで払った場合にだけ「1¢のお釣り」は存在する。 通貨が単なる「約束事」であることを国民がひとり残らず知っているわけで、 仮想現実が現実を支配する、歴史上初めての例が貨幣であることを思い起こさせる。 冒頭に国会のデモについて述べた理由は、この続きもの記事の、ずっとあとになればわかります。 焦らずに、コーヒーでも淹れて、一緒にゆっくりきみやぼくの記憶に埋もれている未来を訪問しよう。 深い眠りにおちていた未来が、はれぼったい眼をして、蓬髪をかきあげながら、自分の、鏡に映らない姿に驚いて、ドアを開けてくれるまで

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キャロル

このブログにでてくるニュージーランドの「田舎の家」は英語でいうhobby farmで、語感は、よくlife style propertyと言って売っているパドック付きの家よりはおおきく、ビジネスとして経営されている農場よりはちいさい、という程度の農場をさします。 税制上も、ちょうどまんなかで、life style propertyとみなされれば消費税を払わなくてよいし、農場とみなされれば15%の消費税が課税される。 ニュージーランドの夏を過ごすのに、かーちゃんに率いられて「町の家」に到着してから、一週間くらいで「田舎の家」に移動することが多かった。 かーちゃんは家事のようなことは気が向いたとき以外にはしないひとなので、家を管理するカップルが裏庭に小さな家に住んで管理していたが、他に誰もいないときには母屋の一階を使ってもいいことになっていた。 この夫婦がいないときには、地元で手配した近在の人が家に通いでやってきて家の仕事を手伝ってくれることになっていたが、キャロルさんは、キッチンと食堂の掃除で、毎週水曜日と何曜日だかおぼえていない日にもう一日くる契約だった。 60歳くらいの人だったのではないかとおもうが、こちらが子供でガキはみるもの聞くもの全部現実よりも年古びてみるものなので、ほんとうは40代くらいだったのかもしれません。 とてもやせた人で、銀縁のメガネをかけて、光の加減では銀髪に見えるような、ごく薄い金髪の人だった。 「うまがあう」という。 キャロルさんがシンクを片付けたりしているあいだに、バーの高い椅子によじのぼって、カウンタに肘をついて「キャロルと話をする」のが好きで、家のなかで乱暴な言葉で話す人は誰もいなかったから、キャロルもほんとうはていねいな言葉づかいで話していたに決まっているが、おもいだすと、田舎町のパブに長靴でやってくるおっちゃんたちのような英語で話してたような記憶に変更されている。 「この頃テレビで、あそこのレストランがおいしい、この食べ物がうまいといってるけど、ああいうのは、我慢ならない。 なんで、おいしい食べ物が好きなんだろーねー。 わたしは食べ物なんか、おなかがいっぱいになればそれで十分 ほんとにバカみたい!」 と乱暴な口調で言ったりするところが好きだった。 ガメはクルマはなにが好きなの?と聞くので 「ミニ・クーパー」と応えると、 わたしもミニだけど、という。 知ってる。いつもゲートはいってくるところを見てますから。 クラブマンだよね、と心のなかで詳述する、わし。 「ジョンが毎週病院に行くのにミニじゃ、こわくて、エンジン全開でも90キロしかでないクルマじゃ、オープンロードは、とてもこわいから、新しいクルマが欲しいんだけど」 クーパーならやる気になれば140キロでる(←すごく危ない)がクラブマンでは100キロは難しいことは子供でもわかる。 脈絡なく、いつか近くのオープンロードでみたモーターバイクとミニの事故現場をおもいだす。 むき出しのガソリンタンクがブートのなかにあるミニは、爆発したらしく全焼していて、バイクのほうは、ほとんど無傷だった。 おとなの、しかも大好きで内心友達のようにおもっているひとの伴侶が、どうやら重い病気らしいと察して、自分の対応能力をこえていると判断したわしは、ごそごそと椅子をおりて、冷蔵庫のドアをあけて、いりもしないミルクをコップにいれて、自分の部屋でゲームやってくるとキャロルに告げる。 台所を立ち去りかけると、キャロルがなにを見てそうおもったのか 「ガメは、案外、やさしいんだな」という。 わしは、ふりかえって、ばれたか、と述べてホールを通って自分の部屋に帰った。 いったい何の話なんだ、これは? と訝っているひとびとのために述べると、 書いているわしが何の話を書いているか判らないのに、きみに判るわけはない。 自分の生活を多少でも書くと、「自慢してる」「自分の空想のお花畑にひたっている」というコメントがいっぱいくるので、アホちゃうか、とおもってやめていたが、他人の視線のためにやめるのもめんどくさいとおもいなして、 また自分の生活を日本語で記憶のなかから取り出そうとしているのだが、そーゆーこととは別に、現下の世界の、焦眉の問題は、カネがあちこちで詰まってしまっているというか、富の再分配に失敗して、アメリカ合衆国ならば0.1%の人口が40%の富を握っているんだかなんだかで、英語世界の町はどこも滅茶苦茶な不動産バブルで、早い話がむかしは6ベッドルームが90万ドルで買えるくらいで、なんで家がこんなに安いんだ?と訝らせる町であったのに、いまはおなじ家が800万ドルとかで、バブルといっても中国に還流したUSドルが、社会に冨の再分配という考えがうすい中国の富裕人の富への好みにしたがって 「英語の、高級住宅地の、名前が良い通り」にどばどばとオカネが落ちてくる図式なので、例えばオーストラリアでは、もう24年間もバブルが続いている。 一方では、名前を誰でも知っている大企業のマンハッタンオフィスの秘書室に勤めている女のひとが、ドキュメンタリで、「給料日まえには、公園でゴミ箱をあさって夕飯をさがすこともある」と涙ぐんで述べて、航空会社の客室乗務員は、乗客たちが食べ残した残飯を持って帰って食べるんです、と言っていたりする。 「中間層」自体が、この貧しさなので、その中間層がやせて、よく言われる表現をつかえば「パテのないハンバーガー」の下のほう、つまり、どんどん数が増えて厚みを増す一方の貧困層は、言うまでもない気がする。 … Continue reading

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愚かなひとびと

Eastridge Shopping Centreは、まわりにおおきなモールもスーパーマーケットもない住宅地のまんなかにあるので、いつも人がおおぜいいて混み合っている。 週末は広い駐車場の、ビルから遠いところまでいかないと駐車スペースがないことまである。 この頃は朝方の気温は5℃くらいでかなり低いが、太陽がでると、初夏の陽光の実力をうかがわせる強さで、気持ちがいいので、たくさんクルマが並んでいる。 「トラック」と呼んでいるでかいクルマを駐めて、降りると、ニュージーランド名物のバカガキのでかい声、どこまで「名物」がかかっているのか判らなくて曖昧な気持ちになった人のために詳述すると、バカガキとバカガキのでかい声の両方にかかっている名物の甲高いアホ声で叫びあっているうるさい集団の方角をみて、かすかに眉を顰める、温和で成熟したおとなの自由市民である憂愁を含んだカッコイイわしの横顔。 あ、あそこにいる。 バカまるだしで飛び跳ねている。 アホは歩くことすらふつうにやれんのか。 なんつー知性を欠いた声じゃ。 ぶわっかたれめらが。 第一、魚籠のなかの魚のようにぴちぴち跳ねてピンピンしてるのに そこは身体に障害を持つ人々のための駐車スペースだろーが。 混んでるからって、横着しおって、 ぶわっかぶわっかぶわっかのぶわっかたれめらが。 心のなかでつぶやいた声が、はっきり聞き取れるとでもいうように、モニがわしを見て、くすくす、と笑っておる。 アフリカ人の食べ物ではなくて、日本語の擬態語のほうね。 今週はネガティブ発言禁止令を自分に対してくだしてしまったので、f***とかb***** m*****とか言えないので、チョーくるしい。 息がとまりそう。 若アホだけの集団かとおもったら、ひとり、いかにもマヌケな顔をした中年男が混ざってさえいる。 よくある手だのい、と定評のある観察眼を光らせる、わし。 ミセーネンにとってはチューネンはIDカードを持っているのでboozingするための酒を買うのに便利である。 中年のほうは未成年の女の子が十分酔っ払って、ピルもまわって、ストーンドになったところでエッチが出来るから便利である。 英語社会では、よくある共生で、ほとんどヒメレンゴケな生物学的カテゴリをなしている。 キャッハッハッハと飛び跳ねていたかとおもったら、クルマのなかに向かって、おい、はやく出てこいよ、おせえーなあー、おまえは。 みんなでさきに行っちまうぞ、と述べている。 なんだか無理をしているような、奇妙に明るい調子の、どこまでもケーハクな口調で、… クルマから、髪の毛がごっそりぬけて片方の鼻孔にチューブを挿した14歳くらいの男の子がでてきた。 猛烈なやせかたで、まるで風でふらりととんだハンカチのような歩き方です。 仲間達が、おーい、ダイジョブか? と、相変わらず、無理をしているような明るい声で、…無理をして… そーか、だから、あんなふうに奇妙で人工的な明るさだったのか。 トロいわしは、やっとそこで目の前でなにが起きているか悟りました。 近づいてくるにつれて、病院の施設や看護のひとびとの名前が混じった会話の内容も聞こえてくる。 この若いひとびとは、みなガンやなんかの病の末期の患者で、「助からない」と知っているひとびとであるよーでした。 マヌケな顔の中年のおっちゃんは、週末の休みをつぶして、若い患者たちを病院からひっぱりだしてモールにつれていこうと考えた、医師なのだった。 ヴァンから、最後に出てきて、下を向いて地面を見つめて、ひとりだけ思い詰めた、真剣な顔をした若い女の人は、看護の人であるらしい。 奇妙な明るさも、やたらと飛び跳ねる奇矯なふるまいも、少しでも残された「健康な時間」を楽しみたかったからだった。 真剣に生きていれば、だいたい20歳くらいになるまでに、神がいかに残酷かを人間は理解する。 … Continue reading

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