Monthly Archives: July 2015

Josicoはんのためのニューヨークガイド_3

地下鉄が嫌いで東京でも、一度か二度くらいしか地下鉄に乗らなかった。 マンハッタンに住む友達は「ニューヨークにいて地下鉄に乗らないなんて、海でボートに乗らないのと同じではないか」と言って笑うが、あのひとびとは、ボンダイビーチのクラブ「アイスバーグ」 http://icebergs.com.au/ から対岸のNorth Bondi Rocksまで、酔っ払って泳いでわたるわしの遊泳能力を知らないのであるとおもう。 マンハッタンにいるときは、いつも歩いて、ヴィレッジの北にあるボロアパートからモニの宮殿まで、あの長い長い距離を、行き交う人達の頭のてっぺんを眺めながら、歩いて遊泳したものだった。 (josicoはん、ここでグーグルマップのマンハッタンを出してね) わしの散歩道をふたつ教えます。 7th Aveから17th Streetにちょっと入ったところにあるルービン・ミュージアム(The Rubin Musium of Art)は、小さいけれど、わしの大好きな美術館で、北京オリンピックの前年、抵抗しては獄中で殺され、女達はほとんど自由に強姦され、世界の誰にもとどかない絶叫をあげながら自分の身体を燃やして抗議を続けるチベット人たちのことを考えながら、わしは、よくこの美術館に行った。 チベットの、限りなく気高く、静かな美しさに満ちた仏像のまえで、じっと立っていた。 http://rubinmuseum.org 7th Aveをおりて、なんにも考えずに、Greenwich Aveの交差点まで行く。 交差点にはピザのチェーン、Two Boots http://twoboots.com の、よく目立つサインがあったけど、いまもあるかどうか。 この交差点の、Mighty Quinn’s BBQがある場所に、 むかし、わしが大好きだったBBQレストランがあって、 ニューヨークにいるときの、ブログ記事に出てくる 「大好きなバーベキューレストラン」はこれで、夜におなかがすいて、時計を見て22時の前だと、よく歩いてこのレストランまで出かけた。 いま見たら、もうなくなっているみたい。 最後に行ったとき、クライストチャーチ出身で、コロンビア大学で教師をしている友達と一緒で、通りにだしたテーブルでスペアリブを食べた。 今度のクリスマスはニュージーランドにくるの?と訊いたら、 「もう、ぼくはニュージーランドには帰らないよ。 母親が嫌いなのさ。 生物学的な母親なのにね」 と笑ってから、とても寂しそうな表情になって交差点のほうを見た。 それが、あのバーベキューレストランで食事をする最後になってしまった。 「アメリカ人たち」 … Continue reading

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Josicoはんのためのニューヨークガイド_2

わしのマンハッタンは北限がアポロシアター https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/04/10/apollotheatre/ までしかない。 わしボロアパートは、曖昧に所在を述べると、17th stと21st , 8th Aveと5th Aveがつくる長方形の辺上、あるいは、あいだにある。 Josicoはんが泊まると決めたホテルは、わしアパートにかなり近いので、その点ではよいかもしれません。 もう少し、わしとマンハッタンの浅い関わりの程度を示すと、モニさんは宏壮な実家は相変わらずフランスにあるが、アメリカ人と呼んでもよいような生い立ちの人で、わしのおんぼろアパートとはお犬さんの家とヴェルサイユ宮殿くらい違うパークアベニューの、ちょっと歩くともんのすごく高い商品が並ぶブティックが並んでいるあたりで、ドアを開けてホールにはいると、そこにはまた二本対称の螺旋階段があってアパートのなかが二階建てになっているチョーカッコイイアパートに住んでいた。 わしアパートは、ロビーにはいるとアフリカンアメリカンのおばちゃんが、 受付に座っていて、ガメ、あんまり夜遊びすると、病気がうつるぞ、がははは、というのはいくらなんでも誇張だが、そういう雰囲気のアパートだが、モニさんのほうは、制服を着たおっちゃんが、どんなに寒い日でも外に立って、みるからに清楚なモニさんに支えられて、チョー酔っ払って、「モニちゃん、キスー、でへへへ」とダメな人まるだしでタクシーから出てくるわしを、ごく慇懃な態度で睨み付けて歓待してくれる。 人間のつながりは、ありふれた中心社交世界のほかはフランス系のひとびとや、フランス系コミュニティに近いロシア系やワロンのひとびとがおおい。 いままで日本語のインターネットで、たとえば通訳会社を経営しているという女の人や、いつのまにか英語人と英日バイリンガル人とずううううっとずうううううっと英語や欧州語の国で住んでいる人が大半になってしまったTLにこのあいだ、「英語がわかってなあああーい」と怒鳴り込んできた皮肉でなくて面白げな人がいて、この人は仕事は出版エージェントだと書いてあったが、 日本人でニューヨークに住んでいる人は、ピアニストだという人をのぞいて、あらわれる人の顔ぶれが多彩な美術商や小説家、出版人のパーティで会ったことはない。 例えば、いま話題のアホなおっちゃんのドナルドトランプじーちゃんはロシア・東欧コミュニティの集まりによく姿を見せる人で、あちこちでみかける。乾杯の音頭をとりたがる人でもある。 マンハッタンの社交の世界は、あんな大都会であるのに、けっこう狭いが、こういう日本出身の「ニューヨーカー」を見たことも聞いたこともなかったのは、接点がないというか、交友の範囲に距離があるせいでしょう。 わしマンハッタン知識の偏りは、そういうところから来ている。 La Taza De Oro は中南米料理の定食屋さんで、わしはここによく入り浸っていた。 わしがマンハッタンにいるときに書いたブログ記事に良く出てくる「スペイン語しか通じない定食屋」は、この店のことです。 聞こえてくる会話はすべてスペイン語で、英語で注文したって後回しか、シカトな代わりに、安くて、猪八戒のようにガツガツと食べるわしでもおなかいっぱいで、この画像 のメニューを見ればわかるとおり、このあたりの店としては、ものすごく安くて、店員が親切なばかりか、カウンターに腰掛ければ客のひとびとも、底抜けに親切です。 おおげさに言えば、ここがわしのニューヨークで、…と書いて、住所をたしかめるためにyelpを開いてみたら、ぐわああああーん、閉店だって。 うそおおお、と取り乱してしまった。 パチモン人が充満するパチモン王国のマンハッタンで、ここだけはオーセンティックの3乗だったのに…. http://nz.yelp.com/biz/la-taza-de-oro-new-york ええええー、とおもって、tripadvisorやyelp, 中華料理屋もたしかめてみようとGayot http://www.gayot.com/restaurants/search-in-new-york.php みたいなものも見てみるが、たとえば、アデルがご贔屓で、よくランチのテーブルに座っていたインテリアがカッコイイ中華料理屋までも姿を消していて、リースが高すぎて、マンハッタンはどんどんモール化がすすんで、イナカモンの町になったのよ、と友達が言っていたが、ほんとにすごい。 中華料理屋で、josicoはんに紹介しようとおもってた店で生き残っていたのはチャイナタウンの店(←グリーンミシュランとかで、おいしい店はすぐわかりまする)をのぞけば、 BoweryのCongee Village http://www.congeevillagerestaurants.com/restaurant-bowery.php が生き残っているくらいのものでした。 そーだそーだ。 マンハッタンのランチは、ヴァンとかで舗道に店をだしている、なんちゃらカートみたいな名前の店もおいしくて、このGothamistの記事に出てる、 … Continue reading

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Josicoはんのためのニューヨークガイド_1

このブログの初めのほうをみると、半日かかって辞書をひきまくって、ネットで用例があるかどうか確認したりして、七転八倒して、日が暮れかかる頃、ちかれたびー、とおもって書いたものをみると、ページの半分もなくて、がっかりしていた頃のことをおもいだす。 その頃はゲームブログで、なぜゲームブログだったかというとアガサ・クリスティの有名なトリックのようなチョー面白い秘密があるが、いまはまだここで書くわけにはいかない。 Josicoはんは、その頃からの日本語インターネットの友達で、そういう言い方をすればゲーム友達です。 ゲーム友といっても、わしは「おんどれら、死にくされ、わしがミーリー70の張飛なみの戦士なのを知らんのか。えええい、束になってかかってこんかい! わあああ、ほんとにかかってきちゃいやあああ、 殺されるううう!ぎゃああああー」のゲーマーだったが、josicoはんはゲームデザイナーで、日本のおおきなゲーム会社でゲームをつくっていた。 ゲームの話をしてるうちに友達になった。 多分、いちばん初めの「日本語友達」だとおもいます。 すごおおく、むかしのことだが、どのくらい昔のことか書くと、josicoはんに「トシがばれる」と怒られるに決まっているので、何年くらいのことか書くわけにはいかない。 ブログは初めから読んでくれる人がたくさんあったが、その頃は、やることがたくさんあって、どうかすると仕事までしていたので、日本語はこの程度にしてやめようとおもったことがあった。 日本語ネット名物の意地のわるい人間がいっぱいやってきて、 「警察に通報します」 「家を探し出して、監視してやる」 「日本は素晴らしい国なのに、それを批判するガイジンは国に帰れ」 で、他の言語に較べると、暖かみに欠ける言語世界で、めんどくさいな、と考えた、ということもある。 やめなかった、ほとんどゆいいつの理由がjosicoはんで、 もう、ばらしても、怒らないそーなので、ばらしてしまうと、 「Jさんからの手紙」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/06/09/josico1/ の「Jさん」は、もちろんjosicoはんです。 いま読んでも、 「私はそんなに賢くもないし、性格も弱いけれど、幸せになりたいです。自分自身を幸せにしたいと思っています」 という、天使がくりだしたストレートパンチのような、まっすぐな言明には、 わしが書いたどの記事も足下にも及ばない力がある。 Josicoはんは、わしのことをニセガイジンだとおもっていた、というか、ほんとかよ、とおもっていたのは本人はいちども口にしたことがないが、明らかなことで、でも外国人でも金星人でもなんでもいいや、とおもって、付き合ってくれていた。 あるとき、ガメは、ほんとに日本人ではないのだ、と判ってしまったと述べたことがあって、そのときに、ぶっくらこいたと言っていたので、ほんとうは、わしが英語人だなどと全然信じていなかったのが判る(^^; しかし、そーゆーことは、どーでもいいや、と思えるところがまともな人で、 それよりなにより、日本の人であるのに、 「自分の幸福がいちばん大事だ」と考えて、自分という「最も親しい友達」を幸せにするのは、どうすればいいかを一生懸命おもいつめて、 安定した高収入を捨てて「バルセロナでたこ焼き屋をやる!」と言い始めたので、すっかり感動してしまった。 わしも、たこ焼き、好きだし。 ふたりでいろいろ相談して、josicoはんは、その頃は簡単なスペイン語が話せるだけで、英語もカタロニア語もわからないというので、ブライトンに一年住んで英語を勉強することにした。 わしがバルセロナに久しぶりに出かけてみると、いつのまにかたこ焼き屋が二軒できていて、josicoはんは落胆したが、日本に戻る気もしないなあーと述べて、ロスアンジェルスのゲーム会社に再びゲームデザイナーとして就職した。 「ガメは、いくらなんでも言い過ぎだろう! こんな言い方しなくたって日本人にも、ちゃんとした人間はいっぱいいるじゃない」と、よく憤懣をぶつけたemailが来たりしていた。 あんまりいつもカッカしているので、 「josicoはんは瞬間湯沸かし器みたいだ」とからかったら、 「なぜ私の綽名を知っている」というので大笑いしたりした。 ブライトンからバルセロナに遊びに行くというので、 josicoはんのためにバルセロナガイドを書いたことがある。 … Continue reading

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記憶のなかの未来_2

“I was more than impressed, I was shocked what we found because they were so far ahead” と、第二次世界大戦のほとんどの飛行機をテストパイロットとして飛ばした 空の英雄Eric Brownが述べている。 しかも、この最も速い連合軍の戦闘機よりも100マイル/h(160km/h)以上高速な「空飛ぶ怪物」は4基の30mm砲という文字通り化け物のような兵装を持っていた。 Eric Brownは目撃した、Me262に一瞬で粉微塵にされる双発爆撃機のB26について証言している。 “I saw an American Marauder aircraft being attacked by an Me 262.” “One minute there was this … Continue reading

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記憶のなかの未来_1

国会前のデモで日本の人たちが、「よみがえった日本人」のように自分たちの自由を制限しようとして躍起の政権に抗議しているのを、なるべく見落とさないようにしてみている。 日本語のマスメディアは、どれもこれも救いがないほど落ちぶれてしまっているので、見てもしかたがない。 ツイッタやブログの欄外のコメントの書き込みのような所から、あんまりフォロワー数がいないひとの「いま国会前にきてみたのだけど…」というような、つぶやくような小さな声をふりだしに、逆にリンクを声がおおきいほうにたどっていくことがおおい。 以前には「烏合の衆」とバカにされていたひとびとの行動 https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/04/官邸前の愚者の群/ が、いまでは政府も到底無視できない政治行動になっているのがよくわかる。 ツイッタひとつみていても、どんな国でもある運動側の味方をしているような顔をしながら政府側に立って働いている人や、つまりは大時代な「走狗」がいたりして、へえ、と思います。 従っている定石が古いので、落ち着いて誰にどんなふうに「絡んでいる」かみていると、正体がわかってしまう。 日本は、こーゆーところでもお手本が古いのお、と考える。 まるで片手に新聞をもって、黒ずくめで、タイも黒で、サングラスをかけて、黒いボルサリーノをかぶって、防衛省の通用門の前を行ったり来たりしているスパイみたいで可笑しい。(←過去に東京で現実にあった事件) 本人の事務所が強く否定しているギリシャの元蔵相Yanis Varoufakisの「the parallel payment system」スキャンダル http://yanisvaroufakis.eu/2015/07/27/statement-by-yanis-varoufakis-on-the-finmins-plan-b-working-group-the-parallel-payment-system/ は、「次にくるもの」を予感させるスキャンダルだった。 一見関係のないデンマークのMobilePay https://danskebank.dk/en-dk/Personal/ways-to-bank/Pages/MobilePay.aspx に端を発した欧州の物理的な通貨の廃止をめざす、ゆっくりだが不可逆的にみえる動きをはじめ、bitcoin的な通貨思想の伝統的通貨に対する思想上の絶対的優越を考えても、あいだを全部ぶっとばして述べると、国境だけではなくて、国権や国家そのものの終わりも意外とはやくくるのかもしれない。 そのときにくるのは人間や文明が直に向き合う世界だが、アフリカが世界の中心的なパワーとして台頭していなければならないはずの2050年以降において起こるだろう、その変化が、実際に国家という群立した絶対暴力の時代よりも人間にとっていいのかどうかは、わしにはわからない。 税務台帳をハックして、既存政府の徴税機能を停止して、税務番号をふりなおして、ネオBitcoinで徴税できてしまえば、クー(クーデター)がやれてしまうわけで、フォーラムで、では軍隊はどうするのか、マスメディアはどうするのか、と棋上演習をやってみると、ほんとにやれてしまえるもののよーでした。 伝統的な意味における現実が仮想現実に較べて下位のプライオリティしか持てなくなりつつある世界に、わしらは生きている。 パラダイムシフトが起きる時代というものは、そういうもので、 99%の人には最後の最後まで実感がなくて、気がつくのは「自分が時代に決定的に取り残されたのだ」と心底おもいしるときでしかない。 冷菜凍死家というショーバイは、こういう変化がみえやすい建物の窓際に立って世界を俯瞰しているので、そーとーなアホでも、神様が世界というピザの一片の両ヘリを曲げて口に運ぼうとしている様子がはっきりみえる。 もっともおおきな変化はモニターの前に座ってキーボードを叩いている人間の側にあった認識の主体が、モニターの向こうのネットワーク側に移動してしまっていることで、(もういちど繰り返すと)仮想現実が現実に対して優位に立っている。 そういうことが可能なのか?と疑う人のために述べると、ルネ・デカルト以来の人間の「考えるよすが」は「認識は現実よりも優位」であることで、シンタクスのいきつくところ、認識は現実よりも仮想現実を優位に立たせることに痛痒を感じるわけはないのはチョー簡単な理屈であるとおもいます。 ネットビジネスひとつとりあげても、2000年から10年間ほどの黎明期には「ビジネスモデル」が重要で、グーグルアドなしでグーグルというインデクスサービスは考えられなかった。 いまはアイデアがすべてで、そのサービスが不可欠になってしまえば、ビジネスモデルは不要だが、枝葉にみえても、それもまた認識の対象が仮想側に移行している証拠なのでしょう。 もっと些末な例を出すと、ニュージーランドドルは、かなり前から1¢、5¢という硬貨は廃止されていて、現金で払うかぎりにおいては、99¢の商品を買って1ドル払っても1¢のおつりはもどってこない。 ニュージーランド人が「EFPOS」と呼ぶ、デビットカードかクレジットカードで払った場合にだけ「1¢のお釣り」は存在する。 通貨が単なる「約束事」であることを国民がひとり残らず知っているわけで、 仮想現実が現実を支配する、歴史上初めての例が貨幣であることを思い起こさせる。 冒頭に国会のデモについて述べた理由は、この続きもの記事の、ずっとあとになればわかります。 焦らずに、コーヒーでも淹れて、一緒にゆっくりきみやぼくの記憶に埋もれている未来を訪問しよう。 深い眠りにおちていた未来が、はれぼったい眼をして、蓬髪をかきあげながら、自分の、鏡に映らない姿に驚いて、ドアを開けてくれるまで

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キャロル

このブログにでてくるニュージーランドの「田舎の家」は英語でいうhobby farmで、語感は、よくlife style propertyと言って売っているパドック付きの家よりはおおきく、ビジネスとして経営されている農場よりはちいさい、という程度の農場をさします。 税制上も、ちょうどまんなかで、life style propertyとみなされれば消費税を払わなくてよいし、農場とみなされれば15%の消費税が課税される。 ニュージーランドの夏を過ごすのに、かーちゃんに率いられて「町の家」に到着してから、一週間くらいで「田舎の家」に移動することが多かった。 かーちゃんは家事のようなことは気が向いたとき以外にはしないひとなので、家を管理するカップルが裏庭に小さな家に住んで管理していたが、他に誰もいないときには母屋の一階を使ってもいいことになっていた。 この夫婦がいないときには、地元で手配した近在の人が家に通いでやってきて家の仕事を手伝ってくれることになっていたが、キャロルさんは、キッチンと食堂の掃除で、毎週水曜日と何曜日だかおぼえていない日にもう一日くる契約だった。 60歳くらいの人だったのではないかとおもうが、こちらが子供でガキはみるもの聞くもの全部現実よりも年古びてみるものなので、ほんとうは40代くらいだったのかもしれません。 とてもやせた人で、銀縁のメガネをかけて、光の加減では銀髪に見えるような、ごく薄い金髪の人だった。 「うまがあう」という。 キャロルさんがシンクを片付けたりしているあいだに、バーの高い椅子によじのぼって、カウンタに肘をついて「キャロルと話をする」のが好きで、家のなかで乱暴な言葉で話す人は誰もいなかったから、キャロルもほんとうはていねいな言葉づかいで話していたに決まっているが、おもいだすと、田舎町のパブに長靴でやってくるおっちゃんたちのような英語で話してたような記憶に変更されている。 「この頃テレビで、あそこのレストランがおいしい、この食べ物がうまいといってるけど、ああいうのは、我慢ならない。 なんで、おいしい食べ物が好きなんだろーねー。 わたしは食べ物なんか、おなかがいっぱいになればそれで十分 ほんとにバカみたい!」 と乱暴な口調で言ったりするところが好きだった。 ガメはクルマはなにが好きなの?と聞くので 「ミニ・クーパー」と応えると、 わたしもミニだけど、という。 知ってる。いつもゲートはいってくるところを見てますから。 クラブマンだよね、と心のなかで詳述する、わし。 「ジョンが毎週病院に行くのにミニじゃ、こわくて、エンジン全開でも90キロしかでないクルマじゃ、オープンロードは、とてもこわいから、新しいクルマが欲しいんだけど」 クーパーならやる気になれば140キロでる(←すごく危ない)がクラブマンでは100キロは難しいことは子供でもわかる。 脈絡なく、いつか近くのオープンロードでみたモーターバイクとミニの事故現場をおもいだす。 むき出しのガソリンタンクがブートのなかにあるミニは、爆発したらしく全焼していて、バイクのほうは、ほとんど無傷だった。 おとなの、しかも大好きで内心友達のようにおもっているひとの伴侶が、どうやら重い病気らしいと察して、自分の対応能力をこえていると判断したわしは、ごそごそと椅子をおりて、冷蔵庫のドアをあけて、いりもしないミルクをコップにいれて、自分の部屋でゲームやってくるとキャロルに告げる。 台所を立ち去りかけると、キャロルがなにを見てそうおもったのか 「ガメは、案外、やさしいんだな」という。 わしは、ふりかえって、ばれたか、と述べてホールを通って自分の部屋に帰った。 いったい何の話なんだ、これは? と訝っているひとびとのために述べると、 書いているわしが何の話を書いているか判らないのに、きみに判るわけはない。 自分の生活を多少でも書くと、「自慢してる」「自分の空想のお花畑にひたっている」というコメントがいっぱいくるので、アホちゃうか、とおもってやめていたが、他人の視線のためにやめるのもめんどくさいとおもいなして、 また自分の生活を日本語で記憶のなかから取り出そうとしているのだが、そーゆーこととは別に、現下の世界の、焦眉の問題は、カネがあちこちで詰まってしまっているというか、富の再分配に失敗して、アメリカ合衆国ならば0.1%の人口が40%の富を握っているんだかなんだかで、英語世界の町はどこも滅茶苦茶な不動産バブルで、早い話がむかしは6ベッドルームが90万ドルで買えるくらいで、なんで家がこんなに安いんだ?と訝らせる町であったのに、いまはおなじ家が800万ドルとかで、バブルといっても中国に還流したUSドルが、社会に冨の再分配という考えがうすい中国の富裕人の富への好みにしたがって 「英語の、高級住宅地の、名前が良い通り」にどばどばとオカネが落ちてくる図式なので、例えばオーストラリアでは、もう24年間もバブルが続いている。 一方では、名前を誰でも知っている大企業のマンハッタンオフィスの秘書室に勤めている女のひとが、ドキュメンタリで、「給料日まえには、公園でゴミ箱をあさって夕飯をさがすこともある」と涙ぐんで述べて、航空会社の客室乗務員は、乗客たちが食べ残した残飯を持って帰って食べるんです、と言っていたりする。 「中間層」自体が、この貧しさなので、その中間層がやせて、よく言われる表現をつかえば「パテのないハンバーガー」の下のほう、つまり、どんどん数が増えて厚みを増す一方の貧困層は、言うまでもない気がする。 … Continue reading

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愚かなひとびと

Eastridge Shopping Centreは、まわりにおおきなモールもスーパーマーケットもない住宅地のまんなかにあるので、いつも人がおおぜいいて混み合っている。 週末は広い駐車場の、ビルから遠いところまでいかないと駐車スペースがないことまである。 この頃は朝方の気温は5℃くらいでかなり低いが、太陽がでると、初夏の陽光の実力をうかがわせる強さで、気持ちがいいので、たくさんクルマが並んでいる。 「トラック」と呼んでいるでかいクルマを駐めて、降りると、ニュージーランド名物のバカガキのでかい声、どこまで「名物」がかかっているのか判らなくて曖昧な気持ちになった人のために詳述すると、バカガキとバカガキのでかい声の両方にかかっている名物の甲高いアホ声で叫びあっているうるさい集団の方角をみて、かすかに眉を顰める、温和で成熟したおとなの自由市民である憂愁を含んだカッコイイわしの横顔。 あ、あそこにいる。 バカまるだしで飛び跳ねている。 アホは歩くことすらふつうにやれんのか。 なんつー知性を欠いた声じゃ。 ぶわっかたれめらが。 第一、魚籠のなかの魚のようにぴちぴち跳ねてピンピンしてるのに そこは身体に障害を持つ人々のための駐車スペースだろーが。 混んでるからって、横着しおって、 ぶわっかぶわっかぶわっかのぶわっかたれめらが。 心のなかでつぶやいた声が、はっきり聞き取れるとでもいうように、モニがわしを見て、くすくす、と笑っておる。 アフリカ人の食べ物ではなくて、日本語の擬態語のほうね。 今週はネガティブ発言禁止令を自分に対してくだしてしまったので、f***とかb***** m*****とか言えないので、チョーくるしい。 息がとまりそう。 若アホだけの集団かとおもったら、ひとり、いかにもマヌケな顔をした中年男が混ざってさえいる。 よくある手だのい、と定評のある観察眼を光らせる、わし。 ミセーネンにとってはチューネンはIDカードを持っているのでboozingするための酒を買うのに便利である。 中年のほうは未成年の女の子が十分酔っ払って、ピルもまわって、ストーンドになったところでエッチが出来るから便利である。 英語社会では、よくある共生で、ほとんどヒメレンゴケな生物学的カテゴリをなしている。 キャッハッハッハと飛び跳ねていたかとおもったら、クルマのなかに向かって、おい、はやく出てこいよ、おせえーなあー、おまえは。 みんなでさきに行っちまうぞ、と述べている。 なんだか無理をしているような、奇妙に明るい調子の、どこまでもケーハクな口調で、… クルマから、髪の毛がごっそりぬけて片方の鼻孔にチューブを挿した14歳くらいの男の子がでてきた。 猛烈なやせかたで、まるで風でふらりととんだハンカチのような歩き方です。 仲間達が、おーい、ダイジョブか? と、相変わらず、無理をしているような明るい声で、…無理をして… そーか、だから、あんなふうに奇妙で人工的な明るさだったのか。 トロいわしは、やっとそこで目の前でなにが起きているか悟りました。 近づいてくるにつれて、病院の施設や看護のひとびとの名前が混じった会話の内容も聞こえてくる。 この若いひとびとは、みなガンやなんかの病の末期の患者で、「助からない」と知っているひとびとであるよーでした。 マヌケな顔の中年のおっちゃんは、週末の休みをつぶして、若い患者たちを病院からひっぱりだしてモールにつれていこうと考えた、医師なのだった。 ヴァンから、最後に出てきて、下を向いて地面を見つめて、ひとりだけ思い詰めた、真剣な顔をした若い女の人は、看護の人であるらしい。 奇妙な明るさも、やたらと飛び跳ねる奇矯なふるまいも、少しでも残された「健康な時間」を楽しみたかったからだった。 真剣に生きていれば、だいたい20歳くらいになるまでに、神がいかに残酷かを人間は理解する。 … Continue reading

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セミコロン

ミッションベイ、という海辺の繁華街はパーネルやニューマーケットの次くらいに近いのでよくでかける。 De Fontein http://www.defontein.co.nz というベルギーのビールがたくさんおいてあるバー&レストランがあって、 このあいだも地元のコミュニティ紙にバーの女のひとのバーテンダーがブリュッセルで開かれたバーテンダー大会で二位になったと出ていた。 室内もわるくはないが、テラス席がなんといっても気持ちがよくて、最低気温が一桁になるいまごろでも、昼間は夏のようです。 おおきなレストランが内も外も満員になってしまっているのに、ウエイトレスがふたりしかいないので、注文したスペアリブとステーキが30分たってもこないので、モニとふたりで、「ふたりじゃ、たいへんだね」と言い合いながら、でも腹減ったあー、と考えながらビールをなめていると、モニさんが、なんだかびっくりしたように離れたテーブルのほうを見ている。 「?」とおもって、モニさんの視線をおいかけてみると、そこには、なんだか刺青が顔にも首にも腕にも、身体中にあって、バイキー(←ここでは西洋暴走族=組織暴力団のこと)ぽいお兄さんが座っていて、その身体がでっかいおっかなげな男の人に、中国人の、若い、わしがおおきなくしゃみをするとテラスから道路におっこちてしまいそうなくらい、細い、たよりなげな人が話しかけている。 知り合いでもなさそうです。 モニさんが手首の内側を指さすのと、でっかいにーちゃんと若い中国人が抱き合うのが同時くらいだった。 まわりの人は、ぶっくらこいて、目をまるくして、のけぞってしまっています。 モニさんが小さな声で「セミコロン」と言う。 「ああ」とマヌケな声を立てるわし。 プロジェクトセミコロン、という。 この世界の、最も重要な「聴き取りにくい声」のひとつです。 「いったん立ち止まりはしたけど、やめてしまうわけではない」という意思表示。 自殺を考えたことがあるひとや、この人間の世界では息ができなくなって、もう生きるのをやめたいと思い詰めたことがあるひとたちが はじめた「見えない意思表示」の運動の象徴です。 「またかよ」と言ってはいけません。 わしが慌てて視線をそらせて、目をむけたRangitoto島の稜線は、たちまち涙でにじんでしまって、慌ててサングラスをかける、わし。 モニが「ふたりとも、泣いている」と小さな声で報告している。 「まだ、ふたりで話し合っている」 Project Semicolonには批判もあるが、どうしても、良いことであるとおもう。 自殺を考え、試み、自傷するひとたち、ある日突然、自分が外にでていけなくなってしまったことに気づいた人たち、そういう人達が、崖の淵に懸垂してしまった身体をようやく引き上げるようにして、この世界にもどってきて、また生活を続けていることを、仲間達に、そっと、世間が最も聴き取りにくいやりかたで、髪に隠れたうなじや、手首の内側にタトゥーとして刻印している。 その小さな小さな刺青にこもっている巨大な勇気は、わしを驚かせて、立ち止まらせる。 ぜんぜん理屈にあってないけど、人間はいいなあ、人間はやっぱりすごいのだ、人間は強力だ、と考える。 陳腐な表現だけどセミコロンのタトゥーは、この残酷を極める世界に咲いた花のようです。 なんて美しい花だろう。 モニさんが 「店から出たあとも、まだ手をふっている」という。 でも、わしがテラスと舗道にわかれたふたりを交互にみやったときには、 もうふたりとも、なにごとも起こらなかったように、片方は歩み去って、片方は昼ご飯のあとのビールを飲んでいるところでした ビールの杯をもちあげたときに、ちらっとセミコロンがみえたけれど。

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若いということ2

気がつかないうちに歯を食いしばっていることがある。 いつのまにかノートブックの上の手が止まっていて、目の前のモニターの、光点のひとつをじっとみつめている。 モニタの向こうにも、ぼくの将来にも、なにもないような気がするんだよ。 ぼくにはぼく自身を幸福にする力があるだろうか? まして、そのあとで、最も愛する人を幸福にする力が残っているだろうか? なんだか不可能な事業のことを考えているような気がしてくる。 胸が苦しくなって、頭がぼおっとしてきてしまう。 自分を幸せにできるかどうかが判らない人間に世界について考える資格なんてあるものか! 数式と数式のあいだに殴り書きされた17歳のときの自分が書いたノートを読むと、「マジメじゃん」と思って笑ってしまう。 週末には、おとなよりもおおきい身体とID偽造の技術の腕を利してクラブクローリングでおねーさんたちと、あんないけないことやこんなひとにはいえないことをしていた「もうひとりの17歳の自分」と、いったいどうやって共存していたのだろうと訝しむ。 まだ猛烈にチビで、台所のシンクの縁の向こうにどんな皿があるのかさえつま先だっても見えなかった頃の圧迫感のことを、ぼんやりおぼえている、と言ったらきみは笑うだろうか? なにをするにもおとなに依頼しなくてはならなくて、「ミルクをのみたい」というただそれだけのために、台所にいるのに、わざわざおとなを探して、子供にとっては荒野に似た、だだ広い家のなかを歩き回って、見つけ出して、口にだして頼まなければならないことへの苛立ちときたら! 17歳のぼくもおなじだった。 もちろん赤ん坊というものが、よく考えてみると人間としては相当にカッコワルイ姿勢と動きの行為の結果うまれてくるものだともう知っていたし、週末の「夢のなかの出来事」と表現するのが、もっとも適している感覚で、平日には思いだされる自分自身の奔流に似た夜更けの時間をおもいだしても、人間は理性によって完全に制御できる生き物ではないのだと、もう判っていた。 人間は自分を破滅させる能力をもった不思議な生き物であることも知っていた。 生物のクラスで教師が「豚はたいへん高知能な生き物で、人間が考えるよりも遙かに考える能力をもっているが、面白い特徴がひとつある。 目の前に食べ物があると、それが罠で、その食べ物に手をだすことによって自分が破滅するとわかっていても食べてしまう」 と述べたとき、ぼくが考えたことは 「それでは人間とおなじではないか」ということだった。 「豚を人間の男に、食べ物を「女」あるいは「大金」場合によっては『名誉』に置き換えれば、ぴったり同じ特徴を人間は持っている」 自分の肉体が男のものなので、女の人はどう感じるのかしれない。 いちど、なかのよい女の友達に聞いてみたら、しばらく考えていて、「おれは女も同じだとおもうぞ、ガメ」と述べて、がはは、と笑っていたが、その大層美しい優美としかいいようのない女の肉体をもった人は、心が通常男のものとされる持ちようのひとなので、一般化していいものかどうかよくわからない。 人間はどこまでが生物でどこからが人間なのだろう? タコは水槽にいれて人間がじろじろ見る環境においておくと鬱病になる。 タコが自分の足をたべるのは人間でいえば自傷行為である、という。 古い知能の定義では、このことをもってタコを高知能動物の下限としていた。 初めて海釣りにでた人が衝撃をうけるのは、釣り上げた魚の目の残忍さと希望のなさだが、一緒に釣りにでかけた父親は釣り上げた魚の目付きにすっかりショックを受けてしまってる息子(←ぼくのことね)に 「魚には大脳と呼ぶほどのものは形成されていなくて端脳しかないからね。 あの怖ろしい目は、叡智の光をもたないものの目なのさ。 人間にも、ときどき、ああいう種類の目をしている者がある」と言って笑っていた。 でもそれはほんとうだろうか? と考える。 前にも書いたけど、まだ日本ではカヤックが珍しかった頃、葉山でかーちゃんシスターと沖をのんびりパドリングしていると、鰺が次々とカヤックの頭上を飛び越えていく。 びっくりして見上げていると、先を行っていたかーちゃんシスターが、のんびり動かしているように見えるのに意外と速いいつものパドリングでもどってきて、「イエローテールたちだって機嫌がよくて遊びたいときがあるのよ」という。 7歳くらいの頃から(子供の本と並行して)おとなの本をたくさん読みあさっていた、チョーませたガキだったぼくは、 「しかし、それは知能の定義を裏切っている」と考えたりした。 ぼくはだいたい14歳の夏くらいから、どんどん頭がわるくなって、迷いが深くなっていった。 多分、それは性欲の影響で、いちどはスタティックで透明な世界がだんだんmorphされてきたで、あれほど説明つくされたはずの世界が再び地面が激しく揺れて地殻が変動するように変化をはじめて、いつのまにか、もとともとの美しくて平衡がとれた世界とは似ても似つかないものになってしまっていた。 ぼくは青空が落ちてくるかもしれない、という杞の人の憂いに包まれていて、そのうえ、足下の地面もいつまで存在するかおぼつかない気持だった。 苦しい一年をすごして、15歳の夏にはT.S.エリオットを読みふけって過ごしたのをおぼえている。 … Continue reading

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若いということ

日本にもあると思う。 ニュージーランドの冷蔵庫は、ドアに冷たい水がでる小さなタップがついていてフィルターを通った水が、冷やされて、そこから出てくるようになっているタイプのものが多い。 最新型は、氷がドアを開けないで、そのタップの脇からとれるようになっているのもあるよーです。 この方式の欠点は、水が少しづつしか出てこないことで、勢いよくはでない。 コップを押しつけて、しばらく我慢しないといっぱいにならないので、自分でもときどき冷蔵庫の前で立っておしっこをしているような微妙な気持ちになることがある。 同じ冷蔵庫がある友達の家で、めんどくさいので、シンクへ立っていて水をごくごくと飲んでいたら家の主に 「ガメは、やっぱり若いな」 と笑顔で言われた、というのが、この記事の発端でなければならないのだと思います。 わしは、このブログ記事を「わし」という主語で、いま現実の日本社会で通用している日本語より少し古い日本語風の味付けで書いている。 そうしないと「書けないこと」「表現できないこと」が多いからです。 日本語学習者が日本語の文章の「新しい日本語」の「古くてダサい感じ」と一緒に困るのは、これで、だいたい1970年代くらいまでの世界は日本語でなんでも説明できるのに、80年代以降の日本語では世界の八割も説明できやしない、と感じるのは、この「新しい日本語には、なんだか小さく萎縮したひからびた世界しか映らない」という事実のせいであると思う。 「言語総本家」みたいなフランス語にも同じ問題があった。 ちょうどジャック・シラクが大統領のころ、フランス人たちは、この問題を、ぶっくらこくことには「政治問題」と捉えて、復興運動のようなことを起こした。 この運動自体は英語でジーンズはジーンズと呼びたい若い世代に嫌われたが、でもフランス語はそこで現実に復興されて、また世界をうまくフランス語だけで説明できるようになった。 日本語は無造作に、テレビというゴミ箱に放り込まれたままで、何十年も経ってしまったので、世界が説明できなくなった。 だから世界を上手に説明できない言語になってしまったが、時間を遡って、70年代くらいまで遡って、トンテンカンと修理すればまだ普遍語として使えるというのが、わしの判断です。 ところが、「はてな」の能川元一さんapesnotmonkeysという人が唱道した「大庭亀夫ニセガイジン説」の延長なのでしょう、「加齢臭がする駄文」というようなコメントが年中くるので、「若さ」ということについて考えることが多くなってしまった。 わしには過去に起こったことをなんべんもアタマのなかか心のなかかどっちなのかはよく判らないが、反芻して、ああこれはあそこがダメだったんだな、あそこは、ほんとうはこうすればよかったんだな、と考える癖があるが、それと同じTCA回路のなかでクルクルとまわして「若い」ということの意味を考えることがある。 もうすぐ32歳になるおっちゃん頭で考えて、「若かった頃」は20歳というタグが付く前です。 日本の人が嫌な感じでない冗談でよく述べる「当社比」でいうと、いまの32歳が目の前の人間と17歳の「頭が悪い太陽」の頃との比較で、最も異なる本質要因は「エッチがしたくてたまらなかったこと」だとおもう。 (笑うな) たった一晩、one night stand で過ごした女の子を、あっという間に、たったいま結婚しなくてはとおもいつめたり、この人と一緒にすごせれば死んでもいいとしか考えられなくなったりするのは、振り返ってみると、あにはからんや、いかんせんや、この「エッチがしたい」チョー強力な欲求のせいで、この生物学的な欲求はあまりに強烈なので哲学を形成してしまいそうなほどである。 英語世界では「15歳以降の十代はやりたくてやりたくてたまらない世代」であるというのは、誰もが共有している知識であるし、だから、それにつけこんで自分の娘のような女の人とエッチを企む中年男や中年女は激しく軽蔑されて、いまでは犯罪になっている。 でも細胞群のこの若さや性欲が人間の哲学そのものをmorphするという事実は、テレビ語でいうと「すごくないですか」というのが、これから日本語で書こうとしている一群の文章のテーマで、ツイッタを通して、わし友達の協力も得たい。 言葉を「文章」というような単位で書く人間に共通の、自分でも意識されない野望は「究極の本」を書きたい希望で、その本を開けば、半日で自分が自分に回帰できるというような本を、夢に視ているのだとおもう。 その本は活版で印刷されるのではなくて、わしの大好きな illuminated bookのようで、たった一冊の本でいいのです。 中年の人間は信号が変わった大通りを向こう側にまで渡っていくことに自信を持っているが、若い人間は、自分が通りの向こう側にたどりつく前に、自分の存在が、ふっと消滅するのではないかと不安を感じることがある。 成熟した人間は、テーブルの向こう側に座っている自分の伴侶が確かに自分とは異なる人間であるのを知っているのに、若い人間は明け方のベッドのなかで、恋人がはたして自分とは別の人間なのか自分自身であるのか、深く、混ざり合って、判らなくなってしまっている。 あるいは、あの有名な小説の一節 “I see you are looking at my … Continue reading

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日本語ジャンキー生活の終わりに

ここ数日日本語ジャンキー生活を送ると決めて、やりすぎで「ぐああああ」になるまでtwitterでどんどんツイートして、DVDも「マタンゴ」や「美女と液体人間」、シブい名作を次々に観た。 ブログも書いた。 少し、くたびれました。 日本語インターネットを渉猟していると、政治の問題ではSEALDsを陰に陽に攻撃する人がめだった。 日本では「何事か自分が信じることを主張する」というのは、暗闇に潜んだ他人に、まるで彼らが示し合わせているかのように、あちこちから突き出される刃で傷つけられることであるのが再確認されて、若いSEALDsのひとびとがどれほど冷たい暗闇に蹴り落とされるおもいをさせられているだろう、というようなことを考えた。 こういうふうにやる。 まず誰かが、SEALDsみたいなやりかたは気にくわないと考えて、tweetしておいてからtogetterで「まとめ」をつくる。 その「SEALDsの動員数などは大嘘で、自分は実際にみてきたが少数にすぎない」「こんな少数でくだらない歌を歌うことで世間が変わるわけはない」というように並んだツイートを、悪意の無責任おじさんたちが黙って、ツイートして紹介する。 紹介するだけなら、発見されて卑劣を追求されても 「だって考える参考にするためには、思索や議論の材料として存在を紹介しなければどうにもならないでしょう?」と述べて、いくらでも逃げを打てるからです。 無責任おじさんたちが歴戦のダッキングの名手なのは、みなに判っている。 その「手口」もばれているので、観ているほうには一目瞭然だが、おじさんたちは「ぼくは感覚が若くてねえ」と言う頭が半分すだれっぽい課長さんとおなじことで、自分ではおなじスタイルの「自己陶酔おっちゃん」がたくさんいるのだとはおもわないらしい。 老い、は鏡に映らなくなったときにはじまっているものだということを忘れている。 さまざまな悪意にさらされながら、SEALDsの人々は、しかし「仲間がいる」「支えてくれる年長の人間たちがいる」と自分に言い聞かせながら、国会前にまた戻っていっているもののよーです。 よく観ると、どう観てもSEALDsのひとびとのようなやりかたが好尚にかなわないタイプの「おとな」が、そっと若い人々に差し伸べた手がインターネットのあちこちに見え隠れしている。 国会前では可能な限り歩き回って、人々の密度と面積から人数を概算しようとした。人が多くて進めない箇所もあり、限られた場所しか見ていないので、上限値は分からない。ただ、後で聞いた警察発表は俺の得た下限値より明らかに過小で、それは正直ショックだった。警察とは畢竟そういうものなのか、と。 — シュナムル (@chounamoul) July 18, 2015 この人などは、他のツイートから考えてめだたない影のなかで生きたい人のようなので、こうやって紹介するだけでも怒るかもしれないが、見つけちゃったもんね。 こういうこっそり述べたツイートをみると、「おとな」はカッコイイなあーとおもう。 世界が変わってゆくには行動する若いひとびとの数が増えてゆくことも大事だが、「自分になにができるか」ということをちゃんと考えて行動するおとなの数が増えることも大事なのねえ、とおもいます。 このブログへの、冒頭の一行だけで、爆笑、スパム箱に直行するオバカ・トロルは2chから来たらしい人、最近ではredditの日本語コミュニティから来た人が多いが、よく考えてみると、「阿倍首相(註)と呼び捨てにするあなたには…」というような文を書ける人というのは、よっぽどアホなのか、そうでなければ他人を楽しませるためのエンターテインメントとしてやっているだけで、世の中に対して特に害はないともいえる。 怒るよりも可笑しさがこみあげてきて、最後まで読んで楽しんでしまうことがある。 なけなしの知力をしぼって、必死で相手を傷つけることを考える人は、観ていると、一生懸命やっていそうな社員の人にはなんだか申し訳ない気がするが、やはりほとんどが「はてな」コミュニティからくる。 上のtogetterもそうだが、なかなか工夫されていて、英語人などはバカなので、あんなに手がこんだ中傷は思いつかないのではなかろうか。 なぜ「はてな」が非生産的な「知的営為」の温床になってしまったのかは判らないが、やはり、なにか理由があるのでしょう (←当たり前) もともとものすごく日本的な「民主主義」を真摯に理念を掲げている人が経営しているようなので、会社の問題であるよりも 、そもそも傍目には全体主義者の集まりが個人の不自由をめざして民主制度をやっているようにみえなくもない日本的な「民主主義」のほうに問題があるのかもしれません。 もうばれている、フォローされてもぜんぜん嬉しくない、なんだかものすごくええかげんなフォローする人の選び方でわかるとおり、 ツイッタの使い方がヘンで、検索が主です。 まさきさんの26000アカウントにはかなわないが、ブロックが多い。 英語の場合は嫌なことを言われると北村透谷が描く純潔な乙女(なにを笑っておる)のように傷つくのに較べて、日本語では、たいていは、ぬはは、ヘンな奴ですんでしまうが、機嫌がわるいとき(例1:そろそろ眠くなってきている 例2:風邪の前駆症状がでている)には、むかっぱらが立つ。 観るといやなので、ずんずんブロックしてしまう。 ついでに、そのあたりの回りの人も、とばっちりでブロックされる。 傍迷惑だが、あたり一面みえるものは全部ブロックしてやる、ということもおおむかしにはなくもなかったので、そういうことも、むにゃむにゃする。 自分の名前でツイッタを検索するのは、日本語では特別に悪い自己意識過剰な行動ということになっているらしい。 … Continue reading

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Guillem

犬さんと猫さんがハイタッチをしているのを見たことがある。 ペットを長い間飼っている人はみな知っているように、犬さんや猫さんには 秘密の生活、じーちゃんぽくカタカナでハイカラに述べるとシークレットライフがあって、ほんとうは人間の言葉などは全部理解していて、人間は自分が賢いとおもっているときがいちばん幸せであるのを察して、人語を解さないふりをして、飼い主のほうがほんとうはバカなのだけれど、顔を立ててあげているのに ときどき油断して、犬猿の仲の役を演じるのを忘れて、犬と猿とで湯船に浸かって、まったりしていたり、犬と猫とでハイタッチをして、二階の窓から一面の月の青い光で彩色された外を眺めていた大庭亀夫に目撃されてしまったりする。 人間もハイタッチをする。 ほんとうはhigh fiveって言うんだけどね。 人間がやることはいつもどこかが間違っていて、だから日本語ではハイタッチ。 モニさんとぼくとで、ハイタッチ。 新しい仲間ができるというのは、なんて素敵なことだろう。 きみのおとーさんのLukeが教えてくれたので、 眠っていたモニさんを起こして、ニュージーランドは朝の4時なのだけど、 小さい人びとも起きてしまって、みんなでお祝いをしているの。 そのfizzyな飲み物はなにかって? きみのおかーさんのAida(Aïdaかな、今度おとーさんに訊いておかなければ)さんの国の飲み物でカバっていうんだよ。 カバ、だとさ、hipopotamusみたいだけど違うんだ、Cava モニとぼくは、きみのおかーさんが生まれて育ったカタロニアという国が大好きで、特にそのなかでもバルセロナという町が好きで、そのバルセロナとほんとうはむかしは別々の町だったグラシアという小さな町があって、そこに、小さなピソを持っているの。 あんまりオカネモチがいない丘のうえの、買ったときは知らなかったけど、バルセロナでは夏は暑いのでぜんぜん人気がない建物のてっぺんの階で、遠くにぼくとモニが大好きなサグラダファミリアが見えている。 なんだかおおきすぎてマヌケな感じの、アパートの床面積と同じくらいおおきなテラスが付いていて、モニとぼくの魂は、きみがこの世界にやってきたと聴いた瞬間にそこに飛んでいって、テラスにパンコントマテと頭がつるりんと禿げた、ほんとうは人間じゃなくてもののけなんちゃうかしらと時々訝られるほどひとのいいおっちゃんがやっているハモン店から買ってきたハモンセラーノで、きみの到着を祝って乾杯してる。 新しい仲間が来た! それを祝わない人間なんていないのさ。 きみはがっかりするかもしれない。 なんてひどい所に来てしまったのだろう、と思うかも。 きみは、もうこんなところにいたくない、と思うかもしれない。 nastyな人間ばかりで、とても耐えられない、と思うかも そういうときは「流れ落ちる水」に手を浸してみれば良い 自分のピソの蛇口でもいいし、バルセロナの広場ならどこにでもある、彫刻の口から水がでてくる、公共水でもいい。 太陽の光のなかで、流れ落ちる水をみる。 それから、そっと、手のひらを水のなかにさしいれてみるといい。 水はきみの皮膚にふれて、きみの皮膚は水を弾いて、流れてゆく記憶のようで、きみにこの世界に生まれてきた意味をおもいださせてくれるだろう。 きみは、この世界を「感じに」来たのだもの。 きみには「魂」がある。 きみのおとーさんには、もっとでっかい魂がある。 おかーさんの魂は、もしかしたら、きみもおとーさんも包んでしまうくらいおおきいかもよ。 魂は物理学の法則に反した永久動力で、エネルギーに満ちていて、なくなるということがない。 ぼくの同族に、スウェーデンボルグという変なおっちゃんがいてね。 この人は千里眼だったり、神様の教会と大げんかして自分が生まれた国にいられなくなったりして、すごおおおく変わった人だったんだけど、 自分の身体から魂を分離できる人だった。 めんどくさい肉体はワードローブにおきぱなしで、チェックインラゲジなしで、 天国や地獄へ自由に通行できたんだ。 … Continue reading

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ギリシャ経済危機を見て考えたこと

“When the P.O.U.M. joined in the disastrous fighting in Barcelona in May, it was mainly from an instinct to stand by the C.N.T., and later, when the P.O.U.M. was suppressed, the Anarchists were the only people who dared to raise a … Continue reading

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水の上に描かれた町で

ウェリントンは最高にカッコイイ町だとおもう。 世界でいちばん都会的なちいさな町。 都会って、あんなに小さな町が都会のわけないよ、ときみは言うかもしれないけど、きみはたとえばTe Aroのカフェ「オリブ」 http://www.oliverestaurant.co.nz/ に午前10時に行ったことがあるかい? モニとぼくがパーティで遊び疲れた次の朝には必ず出かけるその店には、 朝の「おすすめの飲み物」としてブラディメリーがメニューの下に小さく書いてある。 一口食べてから、まじまじと皿を眺めなおしてしまうくらい旨いエッグベネディクトや、予想を完璧に裏切って朝食むきな、スモーキーなスペアリブが、ウエリントンでしか聞けない「都会的なニュージーランド英語」のアクセントのウエイトレスたちの手で運ばれてくる。 なんで急にウェリントンの話なんかはじめたのかって? ウェリントンのオカネモチの友達の家で開かれたパーティで嫌な話を聞いたからなんだ。 ぼくが大好きなキューバストリートの「再開発」が、どうやら決まってしまったらしいのさ。 キューバストリートは、身体の半分、下半身がキャピタリストたちに食べられてしまった通りなのだとおもう。 ぼくが子供のときには、まだ、なんだかガレージセールがそのまま店になったようなへんてこな店がいっぱいあって、古本や古着や、リストアした家具や、オカネがないけど生活を美しくしたい若い夫婦が必要としそうなものはなんでも売っていた。 いまは高いリースを払える店…チェーン店…だけになってしまったけど。 ずっと上のほうまでいけば、まだ昔の面影が残っていて、あのむちゃくちゃ居心地がいいカフェ「フィデル」もまだ残っている。 http://www.fidelscafe.com どんな気分を求めているかを説明すれば、その場で調合してくれるアロマショップや、ニュージーランド人がコーヒーなんか飲まなかったころからやっているエスプレッソバーがある。 オペラハウスレーンを通って、冬のウエイクフィールドを、ビクトリアストリートの交差点の先にあるフードコートに向かって歩く。 Capital Market http://www.wellingtonnz.com/discover/things-to-do/shopping/capital-market/ って言うんだよ。 アルメニア料理や、ぶっくらこいちまうくらいうまいフィリピンの、表面をこがしてパリパリにしたチキンのBBQや、店員が寝坊してランチタイムになってもまだ開かなかったりすることはあるけど、猛烈においしいスペアリブを出すアメリカ人の店がある。 隣のベトナム料理店には、例の、きみやぼくがシドニーに行けば必ず飲む、コンデンスミルクに凶暴なくらい濃いコーヒーをのっけったベトナムコーヒーを出すカウンターがある。 そこでお腹いっぱい食べて、途中のどこかのバーでカクテルを一杯か二杯やってから、裏口を出て、キューバ通りをあがっていくのが楽しいんだ。 大陸ヨーロッパ人に人気があるカフェ「フィデル」は、フルシチョフや「チェ」ゲバラ、フィデル・カストロの写真やなんかがたくさん貼ってあるけど、ほんとうは、ただのダジャレで、だってキューバストリートのキューバていうのは、ただの船の名前だもの。 そういうおごそかな来歴みたいなものがなんにもないところがニュージーランドらしくて、ものすごく長い文明の歴史が積み重なって、人間の魂のうえにどっかと腰をおろしてしまっているような欧州で生まれたモニとぼくにとっては、この上ない魅力になっている。 「新しい国」が、どれほど魅力があるか、ぼくの言葉では、まだうまく説明できないのだけど。 カラマリがうまいんだよ。 ピザもうまいけど。 ニュージーランドの「世界最高だが魂がない」と交通事故で死んだフランス人の天才醸造家に言われてしまったワインのなかでも、これだけは誰もがうなってしまうソーヴィニョンブランのなかで、Te Mataというヴィンヤードがつくっているのがあって、中国移民の夫婦がつくってるのだけど、こんなうまいSauvignon blancがあるだろうか、というくらいおいしい年がある。 その白ワインで、カラマリを食べながら、近くのテーブルのフランス人留学生たちやアルゼンチンからやってきた旅行者たちやなんかと話していると、 まるで、ニュージーランドではなくて、ずっとむかし、まだ都会だった頃のマンハッタンにいるような気がしてくる。 ここはアメリカじゃないから、学生というよりはスーパーモデルふうな美人のフランス人たちが立ち上がって「キューバ万歳!資本家豚どもに死を! 共産主義革命万歳!!」と叫んでもぜんぜん大丈夫(^^; うまく言えないけど、商業主義をするりとぬけて、まんまと自分たちの魂がリラックスできる場所をつくってしまったとでもいうような、都会の人間の呼吸にあふれている。 ぼくの大好きなニュージーランド人の歌手Gin Wigmore … Continue reading

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余白に描かれたメモ

ウィキペディアをひまつぶしに読むことがある。 日本語や英語、イタリア語やフランス語のこともあります。 はなはだしきに至っては、アラビア語の記事、とかを無謀にも読解しようと試みることもある。 全然読めなくても、誰も困らないので、ロゼッタストーンのわかりやすいやつみたいなもんだと思えば、ひまつぶしとしては、結構たのしい。 大学やなんかでやや気合いをいれて勉強した範囲に近づくと、「なんじゃ、これw」と感想に「草」(←wの呼称)が生えてしまうことがあって、ウィキペディアの記事は、信憑性という点ではダメみたいね、とおもうが、失礼なことを言うと、日本語教材のつもりで読んだ、平凡社の大事典も、割とやっつけ仕事みたいな記事がなくはなくて、それでも面白い読み物で、その文法から言えば、ウィキペディアも「終わりのない物語」で、こういう事業は偉大だなあー、今度はまた10円くらい寄付しなければ、と思う。 いや、おもいきって500円にすべきだろうか。 Twitterのやりとりで佐分利信の名前が出てきたので、検索して、読むともなく読んでいたら、北海道の寒村の炭鉱町に、鉱夫の息子として生まれて、道路工事現場やなんかで働きながら、夜間学校に通って中学教師になろうとして、挫折した若者の姿がコンピュータモニタの向こう側に立ち上がるように現れてきた。 1923年、佐分利信が14歳のときのことだ、と書いてあります。 知力の高い少年だったのでしょう、知性的生活をあきらめきれなかった炭鉱町の少年は、石川啄木と同じ代用教員のバイトで糊口をしのいで、今度は婦人新聞を創刊しようとして失敗する。 環境に足を引っ張られて、さんざん失敗を繰り返したあと、映画関係の仕事につきたいと願って日本映画俳優学校に入ったときには、20歳になっていた。 いまなら、14歳から6年間のネット喫茶宿泊生活、ということになるだろうか。 1920年代の日本は、都会ですら、貧しい家庭に生まれて、知的なものに対してはなべて嘲笑的で荒々しい人間に囲まれながら育って、おだやかで知的な生活を夢見る少年にとっては地獄のような生活だったのを、後で生まれてきたぼくたちは、記録を読むことによって、よく知っている。 1970年代の東京でも、18歳にもなって、「社会人としての職業」「男らしい仕事」にもつかず、本ばかりを読んだりしている少年にとっては暮らしにくい社会だったのが、判っている。 「民生委員というのがいてね」と義理叔父がTさんの不運について教えてくれたことがある。 親切心なんだろうけど、20歳にもなって、ぶらぶらしていてはいけませんよ、と言いにくるんだって。 仕事をやる気があるのなら、紹介するが考えてみる気はないか、近所の人たちもみな心配している。 トーダイ受験で二浪目を迎えていたTさんは、あの、ぼくトーダイに入ろうと思って勉強しているんですけど、と述べると、民政委員のおばちゃんは、マジメに気の毒そうな顔をして「おおきな夢をもつのはいいことですけど、人間は、実現可能な、手がとどく堅実な夢をもつことも大事とおもう」と述べた。 Tさん、おばちゃんのおためごかしよりも、自分が受験浪人をしていることを説明するのに自分の口が「東大」受験生と述べたことのほうに、いっそう打ちのめされたそーでした。 あるいは角のパン屋にパンを買いに行っただけで、「いい若い者が、ぶらぶらしてちゃダメだよ」と威勢のいいおっさんに説教される。 日本ではちょうどぼくが滞在ちゅうに「三丁目の夕日」という映画があって、そういう「人情にあふれた」生活をなつかしむ流行があるようだったが、ぼくのほうは、DVDで映画を観ながら、なんだかこれは地獄の生活であるな、と考えて、昭和って、初めは戦争、後はお節介全体主義社会なんじゃんね、と密かに考えたりした。 やはり、あのへんてこりんな帝王は結局は無能だったのではないか。 佐分利信は、しかし、デッタラメな人が多かった映画の世界に関係したことで救われていきます。 自分には向いていないし、やる気もどうしても起こらなかった、と自分で述べている俳優に抜擢されて、監督、せめてカメラマンをめざす気持ちに後ろ髪をひかれるおもいのままスター街道を歩き出してゆく。 いま年譜をみると、ぼくが初めて佐分利信はカッコイイとおもった小津安二郎の「お茶漬けの味」が1952年なので、そのあいだには俳優としても浮沈があって、いわば人生の成功のなかで夢をあきらめた中年男の佐分利信とめぐりあっていたことになるが、この短い記事で書きたかったのは、もっと別の、小さな小さな記述です。 なんの気なしに ウイキペディアを読んでいたら、おなじ映画俳優だった奥さんの黒木しのぶと、当時はたいそう「ふしだら」とされた同棲→結婚の道を歩いたと記されている。 ウイキペディアの記事は、そうして、黒木しのぶとの結婚を述べた後に、 「仕事する日は必ず玄関で握手してから出かけるなど大変な愛妻家だった。」と述べている。 ぼくはそこで、のんびり逍遥していた足をとめて、じっと生け垣の一角を見つめる人のように、何度も何度も読み直してしまう。 玄関で握手して。 英語圏でも欧州でも、「西洋」に住んだことがある人なら、握手は西洋の習慣でも、夫婦が玄関で握手したりはしないことをしっているでしょう。 佐分利信と黒木しのぶが、出がけに握手を交わしていたと聞いたら、どうだろう、いちばん一般的な反応は、大笑い、だと思います。 日本人て、やっぱりやることがヘンだよね。 でも、面白い。 だけど、なんだか笑ってしまう。 息が止まって、そこから動けなくなって、みるみるうちに涙が出てきてしまった。 貧困のなかに生まれ落ちて、知的職業を夢見てはたせないままスターになってしまった中年の俳優と、たったふたりの仲間同士として、ともにささくれた世界の荒々しさのなかを、必死でこぎわたってきた妻が、玄関で、西洋人からみれば失笑するしかない、固い握手を交わしている。 きみは笑うだろうけど、日本の人が持っている切なさや、つらさ、抑制に抑制を重ねているうちに、ついに自分の目にも見えなくなってしまいそうな「決して口にされなかった言葉」が、その不自然でぎこちない情景から、いっぺんにあふれて、ぼくの胸のなかで洪水のようにせりあがってきてしまう。 「握手で表現される夫婦の愛情」という考えは、ぼくの人間の愛情の形に対して持っているイメージを、根底から、しかも最も切実なやりかたで 覆してしまう。 … Continue reading

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今夜、酔っ払って

ぼくは自由がある町に育った。 その町では、ぼくが子供の頃は、同じ肌の色の人間ばかりが住んでいて、強い仲間意識があって、知らない人同士でも目が合えば話をするし、ベーカリーで財布を忘れていることに気がついても、「次のときでいいよ」と言われたものだった。 空気がやわらかくて、都会だというのに人間は皆親切で、一度トンブリッジウエルからの帰り道、とても気持ちが悪くなって道ばたで休んでいたら、ホテルのなかから女の人がやってきて、紅茶をいれたから休んでいきなさい、という。 コージーもちゃんとかかっているポットからなみなみと注がれた紅茶は魔法の薬のようで、利いて、子供だったぼくはあっというまに気分がよくなってしまった。 でも、それは「白人」のあいだだけのことだったんだよ! 人種差別の意識は、たいていの場合、悪意の人がもっているわけじゃない。 いつもは親切なベーカリーのおばちゃんが、 一緒にサンドイッチを買いにいった店先で、従兄弟に「あなたはアジア人の子なのに、ずいぶん行儀がいいのね」という。 心からの親切。 「ああ、おとうさんが日本人! だからなのね、日本人はアジア人のなかではいちばんマシだもの」 「わたしにはアジア人の友達もいるの、マレーシア人の、それはそれは働きもののワカモノで、フィッシュアンドチップスの店で働いている。 あなたたちは大歓迎ですよ。 あんまり、たくさん来なければね」 ほがらかに笑いながら述べるおばちゃんは、ぼくがそのあいだじゅう、思い切り怖い顔をつくって、ずっと睨み付けていたことにすら気がつかなかった. ぼくは自由が有る町に育った。 その町では、いまは、日曜日のカフェに腰掛けてモニとぼくが最高な味のエッグベネディクトとベーコンとフライドバナナとブルーベリーが載ったパンケーキにメープルシロップをどっちゃりかけて、いい匂いがするメープルシロップと農場の草の匂いがするベーコンがデュエットして、なんだか小さな椅子にのせたお尻がひとりでに踊り出してしまうようなブレックファストを食べてから店をみまわすと、カリブ海からやってきた肌が褐色の男の人と金髪で明るい灰色の目の女のひとが、緑色の目で、ちぢれた髪の、天使のように美しい赤ちゃんをあやしている。 ブロークンイングリッシュで日本人の若い男と、中国訛りの女の子が結婚式の段取りを話している。 (13日の金曜日がいちばん安いから、その日にしようとふたりで意見が簡単に一致しているのでモニとぼくは目を見合わせて、ニッと笑っている) ベーカリーで財布を忘れると、見るからに無愛想なベトナム人のおばちゃんが、やってらんないという顔で、出直しておいで、という。 見知らぬアフリカ人と目があうと、お互いに目をそらす。 そう。 この町にも、ほんとうの自由がやってきたのさ。 きみは自由がある町に育った。 日本の東京という町だよね。 ぼくは、きみが育った町にいたことがあるんだぜ。 その頃には麹町というところに住んでいて、いちばん近い駅は四谷という駅だったけど、親の家のクルマに乗っけてもらって、ぼくは原宿という町にでかけるのが好きだった。 そこにはキディランドというサイコーな店があって、一日いても飽きないんだよ。 恵比寿には「トイクラフト」という店もあって、ぼくはそこでいかれたゴジラのラジオコントロールの模型を買ったことがある。 表参道はスケボーで下りて行くには最高の道なんだ。 手に、「ママチャリ」のベルを持って、いとことふたりで、リンリン鳴らしながら、歩道をジャンプしたり、車道にでて、クルマにつかまって楽ちんをしたりするのが大好きだった。 (よく運転してるおとなに怒鳴られたけどw) だから、ぼくはきみが自由がある町に育ったのを知っているのさ。 きみの町には「カイシャ」というナチの本部みたいな場所や「ガッコウ」という兵営があるのも知っているけど、それでも、きみは塾へ行くという口実や、最後の手段は、窓からぬけだして、または、そっとマンションのドアを開けて、スペシャライズドや「宮田」の自転車に乗ってもう暗くなった夜の町にやってくる。 ロシア人の売春婦のおばちゃんたちが現れだした鳥居坂の上で待ち合わせて、青山の「ボチシタ」を歩きながら、モンキーズやフルーツガムカンパニー、チャンバワンバに、クラウディッドハウス(!)まで知っているきみとよく話したよね。 外苑まで行くと、まっくらな銀杏並木の道に英語しか話せない韓国人のユンヘンが待っていて、いとこと、ぼくたち4人でよく笑いころげたものだった。 あれから、なにがあったか知っているかい? ユンヘンのボーイフレンドは徴兵を拒んだまま自殺してしまった。 きみはトーダイにすすんで、いとこは合格したトーダイには行かないで、パスポートをひとつに選べといわれて、日本のパスポートを捨ててしまった。 ぼくは「黙ってれば、わかりゃしないんじゃない?」と言ったんだけど、いとこはマヌケなくらいマジメなので、おもいつめて、明け方泣きながら電話をかけてきて、ガメ、おれは日本人をやめるんだ。 … Continue reading

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モニと一緒にいるということ_2

5th Ave の古着屋で買ったステットスンの帽子にあなたがヒアシンスの花を挿してくれたあの夕昏から、あなたとぼくはいつも一緒だった。 マンハッタンのユニオンスクエアを横切ることからはじまったあなたとぼくの旅は、いつのまにか、フィレンツェの職人たちのスタジオが並ぶ通りを通り抜けて、バルセロナの裏町や、蛎殻町の小路を歩いて、南半球の、小さな国の、海が見える坂道にまでやってきた。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/07/monique/ パーティ、シャンパンコルクが飛ぶ音、アルコールの、少し弛んで、乾いた響きが木霊する笑い声…毎日がすぎていって、遊び疲れて、浴槽のなかで、あるいはベッドの上で、太陽が高くのぼるまで眠って、世界が自転するのとは違う速度で、ふたりで生きてきた。 (いまは光をそのまま小さな人間の形に凝集したような「小さな人たち」がふたりいて、全部で4人だけど) 最も切実な感情は、言葉にすると誰が聞いても笑うような滑稽な響きしか持てないのは、なぜだろう? 朝、目をさましたとき、ぼくが真っ先に考えるのは、ある日きみが死んでしまったら、どうしよう、いったいどうやって生きていけばいいだろう?という、子供が聞いても皮肉な笑いをもらしそうな、でも本人にとっては胸をしめつけられる考えで、 あるいは、ぼくが予想外に早く死んでしまったら、あなたがどんなにか悲しむだろうと考える。 悪意に満ちて、弱い者の乏しい衣を容赦なくはぎとるような、冷たい嵐が吹きすさぶこの「新しい世界」に、魂の隅々まで無防備な善意だけで出来ているような、あなたは生きていけるだろうか? それからぼくは理性をせいいっぱい動員して、いや、こんな考えは、自分の奢りの裏返しの危惧にしかすぎないし、笑わない人がいないほど滑稽だし、第一、骨董品もののセクシズムで、あなたがぼくなどより、ずっと高い知性を持っていることを頭から無視した自己陶酔の反映にしかすぎない、と思い直してみる。 でも、胸が苦しくなる。 どうしても自分の愚かさに勝てない。 どれほど思いなおしてみても、あなたを失ったら、いったいどうすればいいのだろう、といつのまにか考えている。 あなたを置いて、遠い世界へ旅立っていかねばならないとしたら、旅立ちの間際に、どれほど苦しい思いをすることだろう。 いつかラウンジで、窓から射してくる木洩れ陽を浴びながら、まどろんで、目をさまして、人がいる気配がするので、まだ瞳孔がなれていかない光の氾濫のなかで目を凝らしてみると、あなたが反対側の椅子に座っていた。 あの「まるでエジプトの王女のようだ」とぼくが冗談を述べる、美しい麻のドレスを着て、いつもどんなときでも、びっくりするほど姿勢のよい背をのばした姿で、あなたが座っている。 目を覚ましたのに気がつくと、にっこり微笑って、 「お茶を飲む?それともコーヒーがいい?」と訊く。 いつもの日常なのに、ふと、まるで夢のなかへ目がさめて起きてきたひとのような、不思議な錯覚にとらえられてしまう。 こんな生活が、現実であるわけはない、という奇妙な確信にまでたどりつく。 ぼくが夢だと感じているものが、実はぼくの現実で、この現実の生活は、長くつづいて、整合性をすらもった、誰かの夢のなかの世界なのではないだろうか? 待ち合わせをした広場まで、青と白にペイントして塗り分けたひどい顔のまま、スケートボードで、洪水のようなクラクションの音を浴びながら車道のまんなかを疾走して急いでいた頃は、こんな「落ち着いた」生活をする自分なんて夢にみてもいなかった。 第一、自分が30歳を過ぎてもまだ生きているのは、うまく言えないけど、なんだか途方もなく「理不尽」な感じがする。 16歳の頃、ぼくは自分の存在を現実でないように感じていた。 通りがあって、信号が変わるのを待っていて、ぼくだけが赤信号のまま通りを渡りはじめているのに走りすぎて行くクルマに轢かれもしないで渡ってしまえるとでもいうような、あるいは、通りの反対側にたどり着くまえに、身体がだんだん午後の太陽の光に透けてきて、透明になって、なくなってしまうとでもいうように、ぼくはときどきは、慌てて自分の足を見たり、手のひらを広げてみたりして、自分がまだたしかにこの世界に存在するのを確かめてみなければならなかった。 そんなことばかりやっていたから、いまの、ただあなたが幸せでいるためにはどうすればいいかだけを考えていれば、それで一日がすんでしまう生活が、とても楽なものにおもえる。 あなたは、「自分では、どんなことがやりたいの?」と、いまでも時々訊いて、そのたびにぼくの答えはおなじで 「モニを幸せにしたい」と述べて、 笑われてしまう。 ガメ、わたしは、あなたがどうしたいか聞いているのに。 あなたがよく知っているように、ぼくは天才的な「ゲーマー」であるとうぬぼれていて、誰がデザインした、どんなルールのゲームでも、ルールに違反することなしに、相手がめざす場所を予測して、ショートカットを見つけて先回りして待って、あるいは、複雑な起承転結のアルゴリズムをあらかじめ見破って、闘争という闘争に勝つ能力を持っている。 「ゲーマー族」というのは、そういうものなんです。 ある人たちは、データの密林を異なったパースペクティブで眺めることによって、意味をもつ風景であることを発見する能力を持っている。 また他の人達は、形象をdistortすることによって、より本質的な姿を見いだして表現する才能にすぐれている。 あんまり他人に誇れる才能ではないけど、ぼくは、どうやら生まれついて「ゲームに勝つ」才能に恵まれているようです。 あなたもよく知っているように、そのために大金を払いたい、という組織や会社があらわれるほど、ぼくには人にすぐれてゲームに勝つ能力がある。 真剣に挑んでくる相手を(そういう言い方はいかにも品がわるいが) 手のひらの上で弄んで、やる気があれば、たたきつぶしてしまえる、あんまり感心できない能力を持っている。 ぼくがあなたを「守る」、あなたがいつもからかいのタネにする、大時代な幸福に浸るのは、時代遅れな自己満足のうえに、多分、ぼくにはそのくらいしか特筆すべき能力ないからなのかもしれません。 … Continue reading

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排他性パスポートについて

昨日辞任したギリシャ政府の財務大臣で政府全体の「頭脳」であるYanis Varoufakisは、日本的な常識に照らせばオーストラリア人です。 エセックス大学で初めは物理専攻型、あとでは経済専攻型の受講で学部教育を受けてBAをとり、バーミンガムでM.Sc (統計科学)をとって経済学PhDをエセックスから授与されている。 ケンブリッジで一年間フェローをやったあと、エセックスとイーストアングリアで教鞭をとった。 そこからシドニー大学にsenior lecturerとして赴任していきます。 余計なことを書くと、この人はゲーム業界の人でもあって、有名なダウンロードサイトSteamを経営するValve Softwareの参謀をつとめていた。 Appleやリナックスを含めたゲームソフトウエアのマルチプラットフォーム化で、一回のパーチェイスでひとつのゲーム(例:Civilization V)が、AppleでもPCでも、対応さえしていればリナックスでも遊べるようになったのはギリシャの財務大臣のおかげだと思うと、なんとなく面白い気がする。 英語世界で高等教育を受けてキャリアの大半をすごし、オーストラリアのパスポートを所持するYanis Varoufakisが故国の危機に際して、いわばスカウトされるような形で、政府の中枢に座ったのは、ギリシャが二重国籍を、つまり複数のパスポートを持つことを許しているからで、日本のような、厳格に日本国民であれば日本旅券のみを持つことを許され、他国の旅券を所持すれば日本国籍を失うというような国ならば起きえないことでした。 女優の岸惠子はフランス国籍と日本国籍の両方を持っていて、二重国籍者として暮らしている。 どうして、そういうことが可能かというと、有名人が他国籍をとってしまうときの日本政府の苦し紛れで、「相手の国のほうから「うちのパスポートをもらってね」と言われた場合は断らなくてもいい」という、面白い規定があるからです。 考えてみればわかるが、この法律は実質的に天下り役人や有名人がフランスやアメリカに住みたい場合には、一般の人間と異なってふたつのパスポートを所持できる、というふうに機能している。 一般の国民のほうは、どうやっても自分で申請しなければ他国のパスポートはもらえないので、「自分で申請した場合はダメ」と念をおすことで一般日本人には他国のパスポートが取れないように掣肘するようにつくられている。 一方で、ジャーナリストが取材に行くのを妨害するのに使ったり、甚だしい例を挙げると、万引きして留学した大学生を逮捕するために発動して、はっきり言ってしまえば世界中で笑いものになった「旅券返納命令の濫用」が日本政府の特徴で、特にジャーナリストの出国を「危険だから」という、日本のジャーナリストは安全地帯でしか取材しないという根強い悪い噂を政府が権威づけて裏書きするような事例は英語記事で流通して、日本人はほんとうは自由な人格を持った人間などではなくて国家の部品にすぎないのだ、という陰口の信憑性を高めることになってしまったのは、最近のことで、おぼえている人も多いと思います。 なんだか書いていても日本の人びとが気の毒になってしまうような、もっとものすごい例をあげると、日本の政府がYoichiro NanbuとShuji Nakamuraのふたりのアメリカ人ノーベル物理学賞受賞者を日本人受賞者として数えたがっているのは、よく知られていて、初めは名誉日本人みたいなものを考えたようですが、これはまず当のふたりに断られたらしく(←伝聞)、次には役人らしい知恵で、「受賞の対象になった研究をしていたときは日本国籍だったので日本人受賞者に数える」という素晴らしい理屈を考えついて、いろいろな機会に作成される資料にも「日本人ノーベル受賞者」として数のうちにいれられ、掲載されている。 国籍がアメリカなのに日本人に数えていいのなら、名古屋の核融合研究所に在籍していた研究者たちや、いっそのこと、「挨拶+」程度の日本語を話して「不敗魔」という日本名まで持っていたリチャード・ファインマンのような人も日本人受賞者に数えてしまえば日本人ノーベル受賞者がどっと増えて、いまのままオカネを使わず科学研究者を虐待的な環境においたまま「科学立国日本」が世界中にアピールできるのに、どうしてそうしないのだろうとおもいますが、お役人の発想は狭い鶏小屋の隅の餌ばかり見つめていてダイナミズムに欠けるので、本質的にはおなじことでも、「顔が日本人」というような要素が大事だと無意識に考えてしまうのかも知れません。 日本に滞在していたとき、日本語と英語が二重母語の友達や、小さいときから日本に住んでいて日本語が堪能な友達たちが、日本のパスポートを捨てるのを余儀なくされて、アメリカへ連合王国へオーストラリアへと去っていくのを見るのは途方もなく寂しくてつらいことだった。 もちろん、そのひとによって反応は異なって、「日本なんか嫌いだからどうでもいい」という友達もいたが、内心はどうだったろう、とおもう。 いくら社会が窮屈で狭量でも、母親の国を心から嫌う、ということがあるだろうか。 友達たちが、「明日からアメリカ人になります」と書き込んで、そこに、待ってました、という声が聞こえるように「日本が嫌いな人間に日本にいてもらいたいとおもいません」「日本でなくてアメリカのほうがいいというあなたの判断なのだから仕方がないんじゃないですか」という「お決まり」のコメントが並び出すのを、ぼくは荒涼とした気持で眺めていた。 ツイッタのTLでも、友達たちと二重国籍について話していたら、「実はぼくも明日、日本を捨ててアメリカ人になります」という見知らぬ人が話しかけてきたりした。 いつも話しかけないように気をつけながら、定点を観測するようにしてマークして読んでいたいくつかの二重母語人が、何人も、年齢がきて、アメリカやオーストラリアの旅券を選択して、日本を去っていくのを黙ってみていた。 「日本社会」というような天然全体主義者のひとたちが好んで立ちたがる観点からみても、特に日本のように孤立と疎外が最大の悩みである社会にとって、わざわざゆいいつの希望である二重母語者たちを追い出してしまうのは、社会的な愚行の極みというか、バカみたいで、そもそも日本が二重国籍を許していないのを知らなかった安倍首相は、「そんなバカな。法律を変えなきゃ」と言ったまま、この人らしく忘れてしまって、役人衆のほうは、これ幸いとなかったことにしてしまったが、ぼくのほうの関心は、日本を(日本人として以外の観点をもつことによって)日本人よりも本質において理解して、日本人よりも深く愛していたのに、去らなければならなかった、おおぜいの若い人たちの気持ちのほうにある。 日本という社会は、どうしていつも、個人にとっては残酷としか表現がしようのないことを平然と行うのだろう、と考え込んでしまう。 このブログでは何回も述べたように、日本の将来はきっと、日本を出て海外に住んで、「外から日本を見つめて生活している」ラナウエイズ https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/28/runaways/ にかかっているでしょう。 日本に限ったことではなくて、連合王国でもアメリカでも、ニュージーランドでもオーストラリアでも、社会を変革する知的なエネルギーは海外生活者/海外生活経験者から生まれてくるのは事情は同じで現代社会の自己変革の、いわば「定石」になっている。 冒頭に例をあげたYanis Varoufakisが経済畑の人なので、経済学に即していえば、いまの経済学は、日本以外の国では存在しない「理系・文系」というカテゴリで無理矢理分別すれば「理系」の学問です。 Yanis Varoufakisで言えばゲーム理論の専門でもあって、現代の経済は微分方程式、確率、統計といった数学分野のエキスパート的な知識を経済のフィールドでどう使うか、どうモデルをみいだしていくかに話の要点がある。 日本で、よく見られるような口調だけが尊大・攻撃的な専門家ふうで、実際はびっくりするほど低い数学運用能力しか持たない、マスメディアの利用には奇妙なほど長けた、みながひそかに「経済学者芸人」「文学部経済科」と呼んでいるような「研究者」たちは役に立たないだけでなくて有害でしかない。 これから日本でも畸形でない経済研究者が育っていくのでしょうが、そんなことをしなくても、実は日本語を母語(のひとつ)とする現代的な経済研究者はアメリカの大学や研究機関に行けばおおぜい研究者として活躍している。 … Continue reading

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ホワイトハウスの影の下で

誰にも理解されないきみが、と書きかけて、考えてみると、人間が誰か他の人間に理解されるなどということは滅多に起こらないことなのに気がついて、頭がぼんやりしてしまう。 人間は、自分という最も近しい友人を理解するために、だから自分を見つめる方法や、立つ場所を見つけられるようにしなければならないのだなあーとあらためて思う。 逗留していた友達夫婦が、polar stormが吹き荒れる南島めざして去っていって、モニとふたりでドライブウエイに立って見送ってから、やれやれ友達が家にいると楽しいけどやっぱりくたびれるね、と顔を見合わせて笑ったり、 モニさんとぼくと小さい人ふたりと、神をも畏れぬ大音響のステレオで、4人で踊り狂ったりして、くたびれはてて午寝したりしているうちに今日も一日が暮れてしまった。 嵐がくる予感がするんだよ。 経済上の嵐なのか、政治なのか、災害か、ちっとも判らないけど、なにかがやってくるときの胸騒ぎがする。 普通に考えれば世界の基軸通貨を生み出すことをあきらめざるをえなくなったのに、まだユーロが世界通貨になる前提の経済体制のままのヨーロッパに市場危機がくる予兆が胸のなかに忍び込んでいるのだということだろうけど、 なんだか、もっと違うものが北半球にやってきそうな気がして、それがぼくの気持ちに影を落としている。 1963年の11月22日、JFK(ジョンFケネディ大統領)が暗殺された午後、フランス人ジャーナリストのJean Danielはフィデル・カストロとテーブルをはさんで話し込んでいた。 カストロはいつにもまして快活で興奮していて、身体がおおきく動いて興奮を隠せない様子のフィデルと、ちょと待て余し気味で椅子に浅く腰掛けて上体を反らして愛想笑いを浮かべているJean Danielの連続写真が残っている。 カストロが興奮していたのは当たり前で、機密文書が公開されたいまでは、Jean Danielは実はジョンFケネディの重要で決定的な和解の申し出を託されてキューバに来ていたのがわかっている。 1993年に公開された文書によればケネディは国家安全保障アドバイザーのMcGeorge Bundyに “I don’t think we should box Fidel Castro into a corner.” と述べている。 ソビエトと手を切れ、共産軍を引き揚げろ、コミュニズムをやめろというような条件をつけるのはやめるべきだ、とまで命じている。 驚くべきことに、ケネディはまわりの「側近」にはまったく相談することなしに、キューバへの取材旅行の途中で表敬訪問に立ち寄ったフランス人のジャーナリストに密命を託していた。 「われわれの対キューバ政策は誤りだった。そして、その誤りはわたしのものではなくて、わたしが引き継いだホワイトハウスのスタッフによって引き起こされたものだ」 ケネディは突然の依頼に、ホワイトハウスの執務室のデスクの前で驚愕のあまり立ちすくんでいるフランス人に、「フィデルが共産主義を信奉することに、わたしは何の問題も感じない。チトーはコミュニストだが、われわれは協力できたではないか」と言いきってみせた。 公開されることによって有名になった「National Security Action Memorandum 263」にはケネディが当時1万7000人超の規模でベトナムに駐留していたアメリカ軍人のすべてを撤収する決断をくだしていたことが記されている。 しかも、初めの1000人は早くも1963年のクリスマスの前に行われるように命令が出されていた。 JFKは、ベトナムから完全に手をひく覚悟を固めていた。 … Continue reading

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失恋した友達への返信

いつかもらった手紙をときどき読み返す。 恋人に去られてしまったという手紙なのに、ものごとを論理の力で深く掘り下げられる能力を持つ人間だけがもつ息の長い論理が基調底音になっている文章で、いかにもきみらしいとおもう。 もうあんな手紙すててくれよ、というきみの声が聞こえてきそうだけど、そうはいかないのさ。 ぼくは、この手紙が好きで、何度も何度も読み返すんだ。 相手に対してこみあげてくる呪詛の言葉を、きみは言葉と、 なによりも、知性の力を動員して溶解させようとこころみる。 知性は暖かいもののはずだ、自分はたのみにしている自分の知性の力によって、この憎悪に打ち勝てるはずだ、というきみの強固な信念が感じられて、ぼくは、この手紙が好きだ。 人間は頭は悪いが、邪悪なふるまいをするだけの知性は十分にある。 このあいだモニとふたりででかけたアートショーで、どうやら、その画家の作品が買いたい一心でアルバイトで貯めたお金をいっぺんにつぎ込んだらしい若い娘に母親が、「気をつけないと、入り口に『いったん購入された作品は毀損された場合でもお客様の責任になります』と書いてあった。 さっきの男は指で絵の表面に触っているのを私は見ました。 会期はあと二日あるのだから気をつけなさい」と述べて、すでにオカネを払ってしまった若い娘が、すっと青白い顔になるのをぼくは見ていた。 きみは、母親が娘に年長者らしい忠告を与えただけだとおもうかい? もちろん母親は「賢明」な人物で娘に自分の嫉妬を確定されるようなヘマなマネはしない。 娘が(ぼくの目には紛いようがない)母親の貧しい生い立ちの人間らしい嫉妬で娘に巧妙な嫌がらせを述べて不安にさせようとしたのを気づいて母親を詰っても母親のほうは、いつでも、「そんなことがあるわけはない。私はあなたの母親ですよ。なんということをいうの。あなたのことを思って言っただけなのに」と易々と有効な反撃をすることができる。 きみがいつも賞賛してくれるように、ぼくは他人の顔からさまざまなことを読み取るのが得意だと自分でもうぬぼれている。 この母親の顔は嫉妬や意地悪な気持ちと自分がなぜ舞台のまんなかでスポットライトを浴びる存在でないのかと運命を非難する気持ちでいっぱいの、あの醜さに満ちていて、ぼくを怯えさせた。 何人かの投資家やビジネスマンたちが、(笑い話みたいだが)ぼくを実際に他人の心を読み取る超自然的な能力があると信じて怖がっているのをきみもぼくも知っている。 種明かしは簡単で、彼らの顔がぼくにさまざまな内心の秘密を告げているだけなんだけど。 心理テストなんかいらない。 人間は15歳をすぎてしまえば、まるで中世のひとびとが告解の小部屋で神に向かって告白するように、顔に自分の魂を刻印してしまう。 キリストとニーチェがお互いの論理と知性を動員して議論をつくしたとして、その論戦においてキリストが勝つと思う人はいないだろう。 キリストが聖書のなかで述べていることは、世界が邪な存在であることに苛立って次第に闘争的な呪詛へ自分を投企していったパウロが生み出した幻影、 せいぜいが、現実になる可能性すら前提されない果てのない「願望」にしかすぎない。 実際に彼らの生きた時代から2000年が経ったいまでも、犬が犬を食う世界はそのままで、粗い麻を着た野蛮が絹の長いドレスを身にまとった野蛮になっただけのことで、どんなに目を凝らしても、「進歩」などは人間性に関するかぎり、どこにもありはしない。 乱暴な言い方を許してもらえば「頭のわるい人間達」はきみを笑うのだろうが、15年という長いあいだつきあって、何度も一緒に旅行して、お互いのアパートを訪ねて、同じベッドにさえたびたび眠ったのに、ただのいちども肉体の関係をもたなかった、それを拒絶しつづけたことは、きみのあのひとへの恋の感情の激しさを物語っている。 だから、恋人が異なる男のもとへ去ってしまったことへのきみの苦しさが、ほんの少しだけど、ぼくには判るような気がする。 まるで世界の終わりをたったひとりの知力で支えきってみせるような、この思考のひと息が長い、強靱な知性を感じさせる手紙はきみがぼくにだけ見せてくれた、人間の知性の勝利の記念だと思っています。 なにをおおげさな、というだろうけど、 全然おおげさじゃないんだよ。 人間の知性は、人間の邪悪さといたるところで闘争を繰り広げていて、 世界の物理的な秩序について述べられるような公然とした戦場もあれば、 どれほど輝かしい勝利でも、決して他の人間には知られることがない、あるいは知られるのを拒んでいる、きみの自分自身の怒りへの勝利のような魂の奈落の底で湧き起こる勝利の声もある。 どちらが価値のある勝利かなんて、きみも知っているとおり、較べようとおもうこと自体が無意味なことであると思います。 たまには、単純な、まっすぐな気持ちになって、無防備な言明をしてもよいが、ぼくはやはり頭のよい人間が好きなのであるとおもう。 冬になって、何日も太陽が見えない土地を旅しながら、知性に出会うと、そこだけが少し明るくなっていて、か細い一条の光に手をさしのべてみると、ほんの少し暖かい感じがするんだよ。 弱い者、失敗した者を容赦なく踏みつぶしていく21世紀の新しい文明の世界のなかで、知力にすぐれたものだけが、足をとめて、弱い者に腕をさしのべようとする。 たとえ救えないことがわかっていても、偽善者めという罵声をあびながら、きみのような人間は、やっぱり手をさしのべてしまう。 それは言い訳の余地のない「愚かさ」だが、ぼくは人間には愚かさにしか価値がないのではないかと疑ってる。 人間の知恵と犬の知恵のあいだには、金網の向こうにある食べ物にたどりつくのに、金網の前を何度か行きつ戻りつしてから向こう側へ行く道を見つけるか、周りを見渡して、逡巡せずに回りこんで食べ物へ向かうかくらいの違いしかないのではないだろうか。 頭のよい人間は、この定義によれば、最も愚かな人間だが、 … Continue reading

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