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SNS_2

(以下の記事は「SNS」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/09/19/sns/ の続きでごんす) 英語のtwitterをやめてから、しばらくになる。 英語のほうは日本語ツイッタを始める前、twitterが始まったころから遊んでいて、見知らぬ人と冗談を言ってきゃっきゃっと言っていたりするのが楽しかったが、飽きて、ブラックベリーを捨てた頃にやめてしまった。 よく知られているように140文字というのは面白い制限で、むかし日本語で「ペラ一枚」と言った原稿用紙「ペラ」は200文字だが、それよりも少なくて、当然のことながら中国語>日本語>英語の順に情報量が少なくなって、英語人がおもしろみがなくなるのを構わず圧縮して書いても、ちょっと込み入ったことになると、you はuになり、areはr、pleaseはplsに変わるのは日本語人にもよく知られている。lolくらいは日本語でもみなが知っているが、陰険で名声をとどろかせる連合王国の若い人びとは、nei、nioc…グーグル先生の俗語辞書にも載っていない語彙をどんどん使って話すので同じ階級やバックグラウンドの人間でないと、なにを言っているのか英語人であってさえ、さっぱり判らない。 インターネット以前なら、ローリングストーンズに自分たちの隠語をマネされて頭に来たアフリカンアメリカンたちが、どんどん隠語を変えていったのと、似ていると言えば言えて、おもわぬところで連合王国の上流階級と70年代のブラックハーレムに共通点を見いだして、「人間性」というものの普遍について考えてしまう。 だんだん日本語をやっている緊張感がなくなってきたので、どうでもよくなって、最近はLuke ‪@soloenglishjp‪ ‬ のような、もともと英語が母語の友達とは英語でも話していいことにしてしまった。 以前は、といっていまでも同じことをあちこちで述べているわし専門trollがたくさんいるそーだが、そーだが、というのはブロックしたままほったらかしなので判らないがお友達が日本語フォーラムでぼくに同情して怒ったりしているので「そーか、わしは相変わらず中傷されまくっているのか」と判るだけで実態がちゃんと判っていないが、ともかく、あんまり、もう6年くらい特定の数人の人につきまとわれて「ニセガイジン」とか「うそつき」とか言われるので、 英語をつかいだすと、まるで自分がほんとに英語人なんだよー、と証明するためにやってるような気がしてアホらしいのは自明なので、日本語に厳密に限っていたが、英語も日本語も母語のオーストラリア人Luke Barcelona Walkerのせいで気がゆるんだのでしょう、なんだかルールがええかげんになって、英語のツイートが混ざることになってしまった。 Twitterを使うのは検索が主で、「war」「戦争」「家庭」「husband」というようにテキトーに単語を入力して検索して生成されたツイート群を眺めて遊ぶ。 そうすると、このブログ記事やツイッタでも、なんどもなんども述べた「聴き取りにくい声」が並んで、なんだか一生懸命読んでしまう。 読んでいるうちに涙がにじんできたり、地団駄を踏んで一緒にくやしがる気持ちになるようなツイートをしている人は、だいたい、100人から300人のフォロワーがいる人で、短くて、寂しげで、それでいて本質的で胸に迫るような言葉が並んでいる。 「ぼくは、ほんとうにあなたが好きだったのに」と、ただそれだけ書いている人がいる。 「おとうさん! わたしを判って欲しかったのに!」と唐突に述べている人がいる。 なんだかヘラヘラした顔のアイコンの人から急に話しかけられると怖いだろうと思って自重するが、ときどき、話しかけたい強い衝動に駆られることがある。 実際、文字通り「藪から棒」に話しかけてしまうこともある。 「バカ発見器」だという人がたくさんいるが、わしにとっては反対で、「魂発見器」で、たくさんの人のsoulがツイッタのライン上には点点と落ちている。 胸が苦しくなるような気持ちを打ち明け、あるいは朝まで起きていて、少し吐く息が白い窓をあけて、とてつもなくやさしい気持ちになった人の短い独白がある。 そういうとき、ツイッタはいいなあーと思う。 日本語ツイッタには「本音」を取り出す機能があるらしい。 まるで、美しい魂をもった小さな妖精たちがあらわれて、コンピュータのスクリーンを横切っていくようです。 言葉は怖いもので、「文は人なり」というが、それどころではなくて、書かれたものを読むのは、その人の魂や品性の裸体を眺めているのとあまり変わらない。 その人の思考や感情の肉体の形がありありとわかる。 なるべく述べることがおおきな範囲をカバーできるように、という考えで採用した(多くは明治文学全集と戦後詩の折衷でつくられた)日本語のせいで、ぼくのブログを「加齢臭のする日本語で書いたおっさんの駄文」と述べて歩く人がむかしからたくさんいるが、自分だけが盲信している根拠で嘘つき呼ばわりをする魂の根源的な卑しさを別にしても、「加齢臭」というような言葉がそもそも現代日本語の世界では流通しうるところが、日本の文明がいまや落ちぶれて、泥濘のなかを這いずり回って、お互いの顔に汚物を塗りつけ合うような日本語の「ネット上の会話」の程度の悪さを証明してしまっている。 チョー昔にブログ記事にも書いた「女だてらに」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/12/24/genderequal/ や、本来の意味とは離れてテレビの番組で使っているのを目撃して、ぶったまげた「あげまん」、福島第一事故に群がった低劣な人間達の「放射脳」、「デマッター」 使う人間の品性の悪さをあますところなく表現した単語がツイッタにはあふれていて、一度アクセスすると、3人はブロックすることになるのが、めんどくさいといえば、めんどくさい。 投資やビジネスの世界では、やっているうちに善い魂をもった人間は善い魂を持った人間同士、お子供さんふうの表現になるが「悪い人は悪い人同士」で、だんだんまとまっていくのが普通で、ビジネスや投資は年期が重なるにつれて楽になっていくのは、これが主な理由で、初めは相手の人間性を見るために。さまざまなリトマス試験紙やガスクロマトグラフィーを使ったりするが、そのために運用する膨大な心理学的な材料のストックもいらなくなって、あとは万が一のリスクをさけるための「手続き」だけを遵守すればよいことになる。 ネットで出来る知り合いもおなじで、ダメな人はダメで、だいたい落ち着くべきところに落ち着くようです。 ぼくの場合は、やや特殊で、ほんとうは温和で成熟した立派なおとなだが、わがままだという実情に即さない噂があって、その噂をものともしなかった寛容なひとびとだけが大庭亀夫の友達として残っているのだという。 ときどき友達を乱暴にブロックするくらいのことでおおげさな、と思うが、 気がついてみると、我慢強い人(←josicoはん除く)ばかりになっているのは、ただの偶然というか、微妙な気がしなくもない。 … Continue reading

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