Daily Archives: July 6, 2015

ホワイトハウスの影の下で

誰にも理解されないきみが、と書きかけて、考えてみると、人間が誰か他の人間に理解されるなどということは滅多に起こらないことなのに気がついて、頭がぼんやりしてしまう。 人間は、自分という最も近しい友人を理解するために、だから自分を見つめる方法や、立つ場所を見つけられるようにしなければならないのだなあーとあらためて思う。 逗留していた友達夫婦が、polar stormが吹き荒れる南島めざして去っていって、モニとふたりでドライブウエイに立って見送ってから、やれやれ友達が家にいると楽しいけどやっぱりくたびれるね、と顔を見合わせて笑ったり、 モニさんとぼくと小さい人ふたりと、神をも畏れぬ大音響のステレオで、4人で踊り狂ったりして、くたびれはてて午寝したりしているうちに今日も一日が暮れてしまった。 嵐がくる予感がするんだよ。 経済上の嵐なのか、政治なのか、災害か、ちっとも判らないけど、なにかがやってくるときの胸騒ぎがする。 普通に考えれば世界の基軸通貨を生み出すことをあきらめざるをえなくなったのに、まだユーロが世界通貨になる前提の経済体制のままのヨーロッパに市場危機がくる予兆が胸のなかに忍び込んでいるのだということだろうけど、 なんだか、もっと違うものが北半球にやってきそうな気がして、それがぼくの気持ちに影を落としている。 1963年の11月22日、JFK(ジョンFケネディ大統領)が暗殺された午後、フランス人ジャーナリストのJean Danielはフィデル・カストロとテーブルをはさんで話し込んでいた。 カストロはいつにもまして快活で興奮していて、身体がおおきく動いて興奮を隠せない様子のフィデルと、ちょと待て余し気味で椅子に浅く腰掛けて上体を反らして愛想笑いを浮かべているJean Danielの連続写真が残っている。 カストロが興奮していたのは当たり前で、機密文書が公開されたいまでは、Jean Danielは実はジョンFケネディの重要で決定的な和解の申し出を託されてキューバに来ていたのがわかっている。 1993年に公開された文書によればケネディは国家安全保障アドバイザーのMcGeorge Bundyに “I don’t think we should box Fidel Castro into a corner.” と述べている。 ソビエトと手を切れ、共産軍を引き揚げろ、コミュニズムをやめろというような条件をつけるのはやめるべきだ、とまで命じている。 驚くべきことに、ケネディはまわりの「側近」にはまったく相談することなしに、キューバへの取材旅行の途中で表敬訪問に立ち寄ったフランス人のジャーナリストに密命を託していた。 「われわれの対キューバ政策は誤りだった。そして、その誤りはわたしのものではなくて、わたしが引き継いだホワイトハウスのスタッフによって引き起こされたものだ」 ケネディは突然の依頼に、ホワイトハウスの執務室のデスクの前で驚愕のあまり立ちすくんでいるフランス人に、「フィデルが共産主義を信奉することに、わたしは何の問題も感じない。チトーはコミュニストだが、われわれは協力できたではないか」と言いきってみせた。 公開されることによって有名になった「National Security Action Memorandum 263」にはケネディが当時1万7000人超の規模でベトナムに駐留していたアメリカ軍人のすべてを撤収する決断をくだしていたことが記されている。 しかも、初めの1000人は早くも1963年のクリスマスの前に行われるように命令が出されていた。 JFKは、ベトナムから完全に手をひく覚悟を固めていた。 … Continue reading

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