排他性パスポートについて

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昨日辞任したギリシャ政府の財務大臣で政府全体の「頭脳」であるYanis Varoufakisは、日本的な常識に照らせばオーストラリア人です。
エセックス大学で初めは物理専攻型、あとでは経済専攻型の受講で学部教育を受けてBAをとり、バーミンガムでM.Sc (統計科学)をとって経済学PhDをエセックスから授与されている。
ケンブリッジで一年間フェローをやったあと、エセックスとイーストアングリアで教鞭をとった。
そこからシドニー大学にsenior lecturerとして赴任していきます。

余計なことを書くと、この人はゲーム業界の人でもあって、有名なダウンロードサイトSteamを経営するValve Softwareの参謀をつとめていた。
Appleやリナックスを含めたゲームソフトウエアのマルチプラットフォーム化で、一回のパーチェイスでひとつのゲーム(例:Civilization V)が、AppleでもPCでも、対応さえしていればリナックスでも遊べるようになったのはギリシャの財務大臣のおかげだと思うと、なんとなく面白い気がする。

英語世界で高等教育を受けてキャリアの大半をすごし、オーストラリアのパスポートを所持するYanis Varoufakisが故国の危機に際して、いわばスカウトされるような形で、政府の中枢に座ったのは、ギリシャが二重国籍を、つまり複数のパスポートを持つことを許しているからで、日本のような、厳格に日本国民であれば日本旅券のみを持つことを許され、他国の旅券を所持すれば日本国籍を失うというような国ならば起きえないことでした。

女優の岸惠子はフランス国籍と日本国籍の両方を持っていて、二重国籍者として暮らしている。
どうして、そういうことが可能かというと、有名人が他国籍をとってしまうときの日本政府の苦し紛れで、「相手の国のほうから「うちのパスポートをもらってね」と言われた場合は断らなくてもいい」という、面白い規定があるからです。
考えてみればわかるが、この法律は実質的に天下り役人や有名人がフランスやアメリカに住みたい場合には、一般の人間と異なってふたつのパスポートを所持できる、というふうに機能している。
一般の国民のほうは、どうやっても自分で申請しなければ他国のパスポートはもらえないので、「自分で申請した場合はダメ」と念をおすことで一般日本人には他国のパスポートが取れないように掣肘するようにつくられている。

一方で、ジャーナリストが取材に行くのを妨害するのに使ったり、甚だしい例を挙げると、万引きして留学した大学生を逮捕するために発動して、はっきり言ってしまえば世界中で笑いものになった「旅券返納命令の濫用」が日本政府の特徴で、特にジャーナリストの出国を「危険だから」という、日本のジャーナリストは安全地帯でしか取材しないという根強い悪い噂を政府が権威づけて裏書きするような事例は英語記事で流通して、日本人はほんとうは自由な人格を持った人間などではなくて国家の部品にすぎないのだ、という陰口の信憑性を高めることになってしまったのは、最近のことで、おぼえている人も多いと思います。

なんだか書いていても日本の人びとが気の毒になってしまうような、もっとものすごい例をあげると、日本の政府がYoichiro NanbuとShuji Nakamuraのふたりのアメリカ人ノーベル物理学賞受賞者を日本人受賞者として数えたがっているのは、よく知られていて、初めは名誉日本人みたいなものを考えたようですが、これはまず当のふたりに断られたらしく(←伝聞)、次には役人らしい知恵で、「受賞の対象になった研究をしていたときは日本国籍だったので日本人受賞者に数える」という素晴らしい理屈を考えついて、いろいろな機会に作成される資料にも「日本人ノーベル受賞者」として数のうちにいれられ、掲載されている。

国籍がアメリカなのに日本人に数えていいのなら、名古屋の核融合研究所に在籍していた研究者たちや、いっそのこと、「挨拶+」程度の日本語を話して「不敗魔」という日本名まで持っていたリチャード・ファインマンのような人も日本人受賞者に数えてしまえば日本人ノーベル受賞者がどっと増えて、いまのままオカネを使わず科学研究者を虐待的な環境においたまま「科学立国日本」が世界中にアピールできるのに、どうしてそうしないのだろうとおもいますが、お役人の発想は狭い鶏小屋の隅の餌ばかり見つめていてダイナミズムに欠けるので、本質的にはおなじことでも、「顔が日本人」というような要素が大事だと無意識に考えてしまうのかも知れません。

日本に滞在していたとき、日本語と英語が二重母語の友達や、小さいときから日本に住んでいて日本語が堪能な友達たちが、日本のパスポートを捨てるのを余儀なくされて、アメリカへ連合王国へオーストラリアへと去っていくのを見るのは途方もなく寂しくてつらいことだった。

もちろん、そのひとによって反応は異なって、「日本なんか嫌いだからどうでもいい」という友達もいたが、内心はどうだったろう、とおもう。
いくら社会が窮屈で狭量でも、母親の国を心から嫌う、ということがあるだろうか。

友達たちが、「明日からアメリカ人になります」と書き込んで、そこに、待ってました、という声が聞こえるように「日本が嫌いな人間に日本にいてもらいたいとおもいません」「日本でなくてアメリカのほうがいいというあなたの判断なのだから仕方がないんじゃないですか」という「お決まり」のコメントが並び出すのを、ぼくは荒涼とした気持で眺めていた。

ツイッタのTLでも、友達たちと二重国籍について話していたら、「実はぼくも明日、日本を捨ててアメリカ人になります」という見知らぬ人が話しかけてきたりした。
いつも話しかけないように気をつけながら、定点を観測するようにしてマークして読んでいたいくつかの二重母語人が、何人も、年齢がきて、アメリカやオーストラリアの旅券を選択して、日本を去っていくのを黙ってみていた。

「日本社会」というような天然全体主義者のひとたちが好んで立ちたがる観点からみても、特に日本のように孤立と疎外が最大の悩みである社会にとって、わざわざゆいいつの希望である二重母語者たちを追い出してしまうのは、社会的な愚行の極みというか、バカみたいで、そもそも日本が二重国籍を許していないのを知らなかった安倍首相は、「そんなバカな。法律を変えなきゃ」と言ったまま、この人らしく忘れてしまって、役人衆のほうは、これ幸いとなかったことにしてしまったが、ぼくのほうの関心は、日本を(日本人として以外の観点をもつことによって)日本人よりも本質において理解して、日本人よりも深く愛していたのに、去らなければならなかった、おおぜいの若い人たちの気持ちのほうにある。
日本という社会は、どうしていつも、個人にとっては残酷としか表現がしようのないことを平然と行うのだろう、と考え込んでしまう。

このブログでは何回も述べたように、日本の将来はきっと、日本を出て海外に住んで、「外から日本を見つめて生活している」ラナウエイズ

https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/28/runaways/

にかかっているでしょう。
日本に限ったことではなくて、連合王国でもアメリカでも、ニュージーランドでもオーストラリアでも、社会を変革する知的なエネルギーは海外生活者/海外生活経験者から生まれてくるのは事情は同じで現代社会の自己変革の、いわば「定石」になっている。

冒頭に例をあげたYanis Varoufakisが経済畑の人なので、経済学に即していえば、いまの経済学は、日本以外の国では存在しない「理系・文系」というカテゴリで無理矢理分別すれば「理系」の学問です。
Yanis Varoufakisで言えばゲーム理論の専門でもあって、現代の経済は微分方程式、確率、統計といった数学分野のエキスパート的な知識を経済のフィールドでどう使うか、どうモデルをみいだしていくかに話の要点がある。
日本で、よく見られるような口調だけが尊大・攻撃的な専門家ふうで、実際はびっくりするほど低い数学運用能力しか持たない、マスメディアの利用には奇妙なほど長けた、みながひそかに「経済学者芸人」「文学部経済科」と呼んでいるような「研究者」たちは役に立たないだけでなくて有害でしかない。

これから日本でも畸形でない経済研究者が育っていくのでしょうが、そんなことをしなくても、実は日本語を母語(のひとつ)とする現代的な経済研究者はアメリカの大学や研究機関に行けばおおぜい研究者として活躍している。
話してみると、たとえば「理系」学部を出て一般の上級公務員試験(I種)に合格しても役所の習慣上「技官」あつかいで、おなじ東京大学出身者でも上級職の集まりにはいっさい呼ばれもせず、ごくあたりまえに仲間はずれにされて、失望してアメリカの大学で教鞭をとっている、というような人が多かった。

その挙げ句、こうした「おとなになってから英語圏へわたった」専門技能家や研究者ですら、「いやあー、英語が通じなくて頭が痛い」と本人たちが笑って話すほど英語が苦手ですらあるのに、パスポートは仕事の都合上アメリカ国籍で、日本のパスポートは捨てざるをえなくなって、しかも日本側にどうしても彼/彼女に固有な才能が必要な事情が生じて呼び戻そうとおもっても日本国籍がないので出来なかったりする、笑うに笑えない事態まで生じている。

なんでかしらねー、とおもって知り合いの日本の外交官に訊いてみたことがあったが、法務省の公式見解なのかどうなのか日本に在住する韓国籍/北朝鮮籍のひとびとがらみの説明で、あんまり説明している本人も納得しているようにみえなかったが、ぼくにとっては「この多文化社会の世界でなに言ってんの」と思う説明で、ここに書いてみる気もしない。

ほんとうに、たいした理由もなく日本はこのまま二重国籍厳禁のヘンな社会のままやっていくのかしら。
自分の社会に最も必要な才能を国外にどんどん蹴りだしていくのはどういう理由によっているのだろう。

なんで、でしょう?

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2 Responses to 排他性パスポートについて

  1. 日米二重国籍(両親日本人)で、アメリカ生まれアメリカ育ちかつ日本語を喋れる人が、日本の「国際化推進」の教授職に応募したら「外人じゃないとこまります」と事務に言われて日本国籍を破棄したケースを知っています。

  2. 星野 泰弘 says:

    「社会や種というものが必ず繁栄や成功にしか向かわない」というのは先入観だ。
    自らの社会が滅ぶと判っていても、そのまま突き進むしかない社会というものもある。
    傍から見れば、「何という無駄な競争だ」とあきれるような競争でも、
    異性の獲得でもかかれば、生物は断崖に向かって爆進する。
    配偶者獲得競争の結果、自らの牙を無駄に拡大させて滅びて行った種も多い。
    既存の競争の枠組みが間違っていて、それでも局所的に支配戦略を選ぶと、
    合成の誤謬で、全滅するしかない時のことを「市場の失敗」と呼ぶ。
    例えば、日本の「一票の格差」問題でも、「政府が民意を反映しなくてはならない」
    と思っていても、政治家は自分を当選させた選挙制度を否定できない。
    日本では政治家はいない。選挙対策屋だ。

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