今夜、酔っ払って

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ぼくは自由がある町に育った。
その町では、ぼくが子供の頃は、同じ肌の色の人間ばかりが住んでいて、強い仲間意識があって、知らない人同士でも目が合えば話をするし、ベーカリーで財布を忘れていることに気がついても、「次のときでいいよ」と言われたものだった。
空気がやわらかくて、都会だというのに人間は皆親切で、一度トンブリッジウエルからの帰り道、とても気持ちが悪くなって道ばたで休んでいたら、ホテルのなかから女の人がやってきて、紅茶をいれたから休んでいきなさい、という。
コージーもちゃんとかかっているポットからなみなみと注がれた紅茶は魔法の薬のようで、利いて、子供だったぼくはあっというまに気分がよくなってしまった。

でも、それは「白人」のあいだだけのことだったんだよ!
人種差別の意識は、たいていの場合、悪意の人がもっているわけじゃない。
いつもは親切なベーカリーのおばちゃんが、 一緒にサンドイッチを買いにいった店先で、従兄弟に「あなたはアジア人の子なのに、ずいぶん行儀がいいのね」という。
心からの親切。
「ああ、おとうさんが日本人!
だからなのね、日本人はアジア人のなかではいちばんマシだもの」
「わたしにはアジア人の友達もいるの、マレーシア人の、それはそれは働きもののワカモノで、フィッシュアンドチップスの店で働いている。
あなたたちは大歓迎ですよ。
あんまり、たくさん来なければね」

ほがらかに笑いながら述べるおばちゃんは、ぼくがそのあいだじゅう、思い切り怖い顔をつくって、ずっと睨み付けていたことにすら気がつかなかった.

ぼくは自由が有る町に育った。
その町では、いまは、日曜日のカフェに腰掛けてモニとぼくが最高な味のエッグベネディクトとベーコンとフライドバナナとブルーベリーが載ったパンケーキにメープルシロップをどっちゃりかけて、いい匂いがするメープルシロップと農場の草の匂いがするベーコンがデュエットして、なんだか小さな椅子にのせたお尻がひとりでに踊り出してしまうようなブレックファストを食べてから店をみまわすと、カリブ海からやってきた肌が褐色の男の人と金髪で明るい灰色の目の女のひとが、緑色の目で、ちぢれた髪の、天使のように美しい赤ちゃんをあやしている。

ブロークンイングリッシュで日本人の若い男と、中国訛りの女の子が結婚式の段取りを話している。
(13日の金曜日がいちばん安いから、その日にしようとふたりで意見が簡単に一致しているのでモニとぼくは目を見合わせて、ニッと笑っている)

ベーカリーで財布を忘れると、見るからに無愛想なベトナム人のおばちゃんが、やってらんないという顔で、出直しておいで、という。
見知らぬアフリカ人と目があうと、お互いに目をそらす。

そう。
この町にも、ほんとうの自由がやってきたのさ。

きみは自由がある町に育った。
日本の東京という町だよね。
ぼくは、きみが育った町にいたことがあるんだぜ。

その頃には麹町というところに住んでいて、いちばん近い駅は四谷という駅だったけど、親の家のクルマに乗っけてもらって、ぼくは原宿という町にでかけるのが好きだった。
そこにはキディランドというサイコーな店があって、一日いても飽きないんだよ。
恵比寿には「トイクラフト」という店もあって、ぼくはそこでいかれたゴジラのラジオコントロールの模型を買ったことがある。

表参道はスケボーで下りて行くには最高の道なんだ。
手に、「ママチャリ」のベルを持って、いとことふたりで、リンリン鳴らしながら、歩道をジャンプしたり、車道にでて、クルマにつかまって楽ちんをしたりするのが大好きだった。
(よく運転してるおとなに怒鳴られたけどw)

だから、ぼくはきみが自由がある町に育ったのを知っているのさ。
きみの町には「カイシャ」というナチの本部みたいな場所や「ガッコウ」という兵営があるのも知っているけど、それでも、きみは塾へ行くという口実や、最後の手段は、窓からぬけだして、または、そっとマンションのドアを開けて、スペシャライズドや「宮田」の自転車に乗ってもう暗くなった夜の町にやってくる。
ロシア人の売春婦のおばちゃんたちが現れだした鳥居坂の上で待ち合わせて、青山の「ボチシタ」を歩きながら、モンキーズやフルーツガムカンパニー、チャンバワンバに、クラウディッドハウス(!)まで知っているきみとよく話したよね。

外苑まで行くと、まっくらな銀杏並木の道に英語しか話せない韓国人のユンヘンが待っていて、いとこと、ぼくたち4人でよく笑いころげたものだった。

あれから、なにがあったか知っているかい?
ユンヘンのボーイフレンドは徴兵を拒んだまま自殺してしまった。
きみはトーダイにすすんで、いとこは合格したトーダイには行かないで、パスポートをひとつに選べといわれて、日本のパスポートを捨ててしまった。

ぼくは「黙ってれば、わかりゃしないんじゃない?」と言ったんだけど、いとこはマヌケなくらいマジメなので、おもいつめて、明け方泣きながら電話をかけてきて、ガメ、おれは日本人をやめるんだ。
おれは日本にはいらない人間なんだって。
大使館の奴が、「日本を愛していないんですか?」だってさ。
ガメ、おれは苦しいんだよ。
きみに、ぼくの気持ちがわかるかい?

きみは自由な町に育ったけど、もうきみの町は自由な町じゃないみたい。
ときどき同じ記事のはずの日本語のニュースと英語のニュースを並べて較べてみて、ぞっとする。
「全体を考える」習慣がしみついた人間の判断力の本質的な邪悪を発見して、怖いとおもう。

こんないいかたは、もしかしたらきみの国以外のアジアのひとたちにはoffensiveかも知れないがアジアの国のなかではただ一国「わがまま」でいられたきみの国も、ほかの国なみの「美しい国」になってしまった。

きみは自由な町に育ったけど、きみの町に生まれてくる若い人たちにとっては、もうきみの町は自由な町じゃないんだよ。
むかしの日本では自衛隊に志願することはきびしい職業の選択にすぎなかったが、いまのきみの国は、自衛隊に志願することを殺人者になることを自分に強いることと同じ意味に変えてしまった。

あの、やさしい、小さな薄い手のひらでつくられた平和な社会は粉みじんになって、西洋人の荒々しい手でこねて固められた暴力が平和を生み出す社会の出来の悪い模倣の社会になってしまった。

ぼくは、ぼくが育った自由がある町に帰ってゆくけど、きみはどこに帰ってゆくのだろう?

電話口で、「わたしは、もう日本人とかかわるのは嫌なの、ガメ、わかってほしい」と述べるユンヘンは、もうむかしの日本人の歩き方をマネして笑いころげる、日本人が大好きなユンヘンじゃない。
従兄弟は、英語人たちがいる席では日本語を話すのを嫌がるようになってしまった。

ぼくは、まだ、まっくらな空に銀杏がくろぐろとした影をうつす、あの外苑の夜がなつかしいのだけれど

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6 Responses to 今夜、酔っ払って

  1. MAECH9 says:

    ここは大阪ですが、同じく喧噪に疲れて。
    感じたのは、喧噪っていうのは、そこから疎外された者が感じるもの。
    喧噪って、喧噪に包まれている人には優しく蠱惑的(←という表現が既に、喧噪に嫌われた人の目なのかしら)なので、これは恐ろしく目線に気を使う。管理の管の字は「甘」と同じなのさ。必ずしも同じではなくって、「冠」とすれば、王様です。「菅」とすれば、お遍路さんを踏んだ、大きい自民党に単騎向かった己を知ら無い無邪気な世知に疎い古参の近所のおっちゃんです。

    「間」だと難しい。これ、「マ」と読むのですが、とある言葉では、「手」になるそうですね。

    観覧車の側に、みんなの話を聞きながら、同じ時間を、違う宇宙で過ごすお子様ランチをビア・ガーデンで食べた、今夜に、喧噪を離れて、時間が無い、時間が無いと、幼い拳銃を小慣れた仕草で怒られ無い様、蓋をして、健常な男なら、と考えて、いや、俺は未婚ですから、結構金物屋の娘なんか如何?と、物欲しそうな沖縄の御心に、いやぁ、と、お断りを告げる。健常であり続けるとは、紀伊国屋書店で詩集を買うために、ビア・ガーデンを早退することかしら。それとも、逆かな、大阪さん。

    いけない、カナリ回りが良いやうだ。大阪さんが怒りそうです。
    もっと良い気分で帰らなきゃ、怒られるのは俺の方だ、と言っている。
    彼(女)は優しいんです。

  2. midoriSW19 says:

    また息子の話なのだけど(ほんとに心から息子に成長させてもらってると思う今日このごろ)。

    2001年に死んだ亡父が生きていたから息子が4歳より前のときのこと。親の家に滞在していたある日、地元の郵便局の人の訪問があった。保険金か何かの集金で、高齢者向けに昔ながらの集金サービスを残してくれているらしかったのだけど、その時わたしは玄関の隣の部屋にいて、壁越しに集金人と母の会話を聞くともなしに聞いていた。

    たぶん集金人が鞄に母が託した現金をしまった時だろう、鞄の中の札束を目にした母が「そんなに現金をたくさん持っていると心配ですねえ、このごろはこのあたりにも外国人が増えたから」と言った。うわ、それ良くない、悪気はないのかもしれないけどそれは明らかな人種差別だとで言ってやらねば、と考えた矢先、「ばあば、まっくんもイギリスでは外国人だよ」という息子の声が聞こえた。祖母を訪ねて来たお客さんへの好奇心から、祖母の隣にいて一部始終を見聞きしていたらしい。

    その頃の母はだいぶ聴覚が不自由になっていて、特に高い音(例えば子どもの声)が聞きにくいらしかった。そして、その時も息子の声が聞こえなかったらしく、集金人が「いや、そんなことないです。まったく心配ではないです」とあわてて答えたのに対し、意外な答えだったからだろう、さらに「外国人は怖い」「犯罪も多いらしいから用心しないと」などなど続けて言った。普段ならなんでもない日常会話なのだと思われた。それに対し、息子は「まっくんもイギリスでは外国人」と同じことを重ねて言い、居たたまれなくなったのだろう、集金人はそそくさと帰っていった。

    何が言いたかったのかよくわからなくなってしまったのだけど、「善意の人種差別」とでも言うべき親切なベーカリーのおばさんのお話を読んで、これを書きたくなったのでした。親の母国でない国で暮らす子どもは、国籍と同じ国で生まれ育つ子どもよりも早くに、外国人である自分の存在と人種差別とは何かを、本来的に把握し、咀嚼し、内面化するのかもなあと思ったのでした。おそらく日本で暮らす外国人の子どもも同じような経験を内面化して育つと思われ、それにより日本を愛する方に進むか憎む方に進むかは、周囲の大人、とりわけ日本人の反応にかかっていると思われる。

  3. DoorsSaidHello says:

    昔、初めてヨーロッパに行った時、列車のボックス席に座っていたら向かいの席に同じ年頃の美しい女性が座った。鳥のように優雅な頸の上に細い頤、縦長の頭蓋を流れ落ちるように漆黒の巻き毛が覆っている。黒曜石のような肌の色のそのひとは、私がそれまでに見たどんな絵よりも美しくて、私は緊張の余り動けなくなってしまった。

    つややかな巻き毛が、そのひとの肩を覆っている。あの巻き毛に触れたられたら、どんなにすてきな手触りだろうと思った。言葉が話せたら、話しかけてみるのに。そう思ってから、ちょっと待てよ、と思った。

    目の前のこのひとが、例えば倍くらいある背丈の偉丈夫だったらどうだろう。または今までも列車で同席したような、コーケイジアンの女性だったなら。ここが日本で、彼女が日本人だったなら。私は今みたいに、髪に触りたいと考えただろうか。…あれ、これってもしかして…このひとにすごく失礼なことを、私は考えたのではなかろうか? 彼女は数駅で降りて行ったけど、私はすごく恥ずかしい気持ちのまま列車に座っていた。

    日本に帰って、友人にその話をした。友人は、それは差別じゃないと言う。差別というのは、相手を見下したり害したりすることであって、親近感や憧れを感じるのは差別じゃないよ、と。私はもう一度説明する、確かにあのとき感じたのは一見良い感情のようだけれど、それは彼女を自分と同じ扱いをすることであって、初対面の人に抱くべき敬意や畏怖が抜けているじゃないか、それって恥じるに十分なことじゃないか? 友人は分かってくれなかった。別に悪いことじゃないよ、何故そんなに拘るのか理解できない、と言われておしまいになった。

    私はたぶん、数駅分を同席しただけの彼女のことが好きだったのだ。自分の中の「親しみ」や「憧れ」という名前のついた偏見よりも、もっと彼女が好きだった。だから自分の偏見が恥ずかしくなったのだ、と思う。

    もうひとつ。

    しばらくして、友人の一人が国際結婚のため海外に移住した。まもなく生まれたお子さんを小さい時から知っているせいか、私はその子がとても可愛くて、機会がある度に小さな贈り物に頭をひねった。「こんど小学生になるんだよ、何をあげたら喜ぶかなあ?」とおもちゃ屋で座り込む私に、一緒にいた知人も知恵を貸してくれようとして「そうだねえ、××人の子どもさんかあ」と呟いた。

    私はショックを受けたんだよ。可愛いあの子にはちゃんと名前があって、好みがあって、自分の意志があって…この世に一人しかいない大切な人なのに「××人の子どもさん」と一絡げにされてしまうのは余りに乱暴な気がして。だけどもっとショックだったのは、可愛いあの子と出合うまでは、私自身が外国の子どもたちを一人の人としてではなく、「自分とはいろいろ違う、××人」として、乱暴にも一絡げにしてきたのだ、ということだった。なんて乱暴に生きてきたのだろう。

    誰だって、レッテルを貼られたり、レッテル通りの扱いをされたり、レッテル通りに行動することを強いられたりするのは気分のいいことじゃない。さんざん腹を立ててきたはずの自分が、同じくらい乱暴なレッテル貼りをしているのだと気づくのは、本当にびっくりするような経験だ。
    そして自分のしてきたことに、少なからずがっかりする。

    でも希望を持とう。自分の偏見に気づけるのは、人を好きになった時だ。好きだ、と思う気持ちが光のように私を照らして、それまで見えていなかったものを私に見せる。だからこれからも、人を好きになろうと思ってる。…人嫌いなんだけどね、私。

  4. 星野 泰弘 says:

    自分の食べている物が、育っているところを見たくとも見れない。
    自分が使っている物が、生産されているところを見たくとも見れない。
    自分の前にあるのは、横並び式に決められた時給と決められた役割の、
    社会に決められた居場所に決められたように押し込められるだけ。
    日本全体が、世界の一部の特化器官になってしまっている。
    だから、職業を選ぼうにも、「日本人はこれにしか向かない」と枠が決まっている。
    鶏小屋のなかで、鶏が「私はこうしたい、ああしたい」などと言っても無駄で、
    鶏を評価する観点は、ただ一日にいくつ卵を産むかだけかなのに似ている。

  5. 星野 泰弘 says:

    昔、貧乏の「貧」という字の解説を聞いた。
    ただでさえ少ない財産:「貝」を助け合おうと「分」け合ってしまう。
    逆に個人的な「貝」を「分」けてもらうのに、特別な理由をあまり必要としない。
    自分と他人の境界が薄い。
    沖縄のような南国系の人々は、そういった傾向が強そうに思う。

    金持ちはその逆だ。自己責任という。
    他人が躓いてこつこつ貯めた蓄積をばら撒いてしまうのを冷ややかに待っている。
    他人が失敗しても、自分だけは違う運命を切り開こうとする。
    すべての物事の評価基準は、最終的に自分個人が得をするか、損をするか、という感じだ。
    個人的な自由と引き換えに個人的な責任がある。
    「蟻とキリギリス」のような感じだろうか?

    日本ではそんな対比かもしれない。

  6. says:

    ガメさんの日本語読むとね、私はこの国のそこらに雑草みたいに生えてる言語にとっても傷付けられてるんだなーって改めて思うの。
    でもその同じ言語にまたこうやって癒されるんだから不思議だなぁ。
    言語に罪はなくて、言語を盾に裏から言葉を毒していた人々が私は怖かったんだね。ガメさんの日本語は怖くないし、心が恐怖や侮辱で痛くなったりしない。夕暮れの木漏れ日みたい。
    なんかとっても、ありがとう。

コメントをここに書いてね書いてね

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