Daily Archives: July 11, 2015

余白に描かれたメモ

ウィキペディアをひまつぶしに読むことがある。 日本語や英語、イタリア語やフランス語のこともあります。 はなはだしきに至っては、アラビア語の記事、とかを無謀にも読解しようと試みることもある。 全然読めなくても、誰も困らないので、ロゼッタストーンのわかりやすいやつみたいなもんだと思えば、ひまつぶしとしては、結構たのしい。 大学やなんかでやや気合いをいれて勉強した範囲に近づくと、「なんじゃ、これw」と感想に「草」(←wの呼称)が生えてしまうことがあって、ウィキペディアの記事は、信憑性という点ではダメみたいね、とおもうが、失礼なことを言うと、日本語教材のつもりで読んだ、平凡社の大事典も、割とやっつけ仕事みたいな記事がなくはなくて、それでも面白い読み物で、その文法から言えば、ウィキペディアも「終わりのない物語」で、こういう事業は偉大だなあー、今度はまた10円くらい寄付しなければ、と思う。 いや、おもいきって500円にすべきだろうか。 Twitterのやりとりで佐分利信の名前が出てきたので、検索して、読むともなく読んでいたら、北海道の寒村の炭鉱町に、鉱夫の息子として生まれて、道路工事現場やなんかで働きながら、夜間学校に通って中学教師になろうとして、挫折した若者の姿がコンピュータモニタの向こう側に立ち上がるように現れてきた。 1923年、佐分利信が14歳のときのことだ、と書いてあります。 知力の高い少年だったのでしょう、知性的生活をあきらめきれなかった炭鉱町の少年は、石川啄木と同じ代用教員のバイトで糊口をしのいで、今度は婦人新聞を創刊しようとして失敗する。 環境に足を引っ張られて、さんざん失敗を繰り返したあと、映画関係の仕事につきたいと願って日本映画俳優学校に入ったときには、20歳になっていた。 いまなら、14歳から6年間のネット喫茶宿泊生活、ということになるだろうか。 1920年代の日本は、都会ですら、貧しい家庭に生まれて、知的なものに対してはなべて嘲笑的で荒々しい人間に囲まれながら育って、おだやかで知的な生活を夢見る少年にとっては地獄のような生活だったのを、後で生まれてきたぼくたちは、記録を読むことによって、よく知っている。 1970年代の東京でも、18歳にもなって、「社会人としての職業」「男らしい仕事」にもつかず、本ばかりを読んだりしている少年にとっては暮らしにくい社会だったのが、判っている。 「民生委員というのがいてね」と義理叔父がTさんの不運について教えてくれたことがある。 親切心なんだろうけど、20歳にもなって、ぶらぶらしていてはいけませんよ、と言いにくるんだって。 仕事をやる気があるのなら、紹介するが考えてみる気はないか、近所の人たちもみな心配している。 トーダイ受験で二浪目を迎えていたTさんは、あの、ぼくトーダイに入ろうと思って勉強しているんですけど、と述べると、民政委員のおばちゃんは、マジメに気の毒そうな顔をして「おおきな夢をもつのはいいことですけど、人間は、実現可能な、手がとどく堅実な夢をもつことも大事とおもう」と述べた。 Tさん、おばちゃんのおためごかしよりも、自分が受験浪人をしていることを説明するのに自分の口が「東大」受験生と述べたことのほうに、いっそう打ちのめされたそーでした。 あるいは角のパン屋にパンを買いに行っただけで、「いい若い者が、ぶらぶらしてちゃダメだよ」と威勢のいいおっさんに説教される。 日本ではちょうどぼくが滞在ちゅうに「三丁目の夕日」という映画があって、そういう「人情にあふれた」生活をなつかしむ流行があるようだったが、ぼくのほうは、DVDで映画を観ながら、なんだかこれは地獄の生活であるな、と考えて、昭和って、初めは戦争、後はお節介全体主義社会なんじゃんね、と密かに考えたりした。 やはり、あのへんてこりんな帝王は結局は無能だったのではないか。 佐分利信は、しかし、デッタラメな人が多かった映画の世界に関係したことで救われていきます。 自分には向いていないし、やる気もどうしても起こらなかった、と自分で述べている俳優に抜擢されて、監督、せめてカメラマンをめざす気持ちに後ろ髪をひかれるおもいのままスター街道を歩き出してゆく。 いま年譜をみると、ぼくが初めて佐分利信はカッコイイとおもった小津安二郎の「お茶漬けの味」が1952年なので、そのあいだには俳優としても浮沈があって、いわば人生の成功のなかで夢をあきらめた中年男の佐分利信とめぐりあっていたことになるが、この短い記事で書きたかったのは、もっと別の、小さな小さな記述です。 なんの気なしに ウイキペディアを読んでいたら、おなじ映画俳優だった奥さんの黒木しのぶと、当時はたいそう「ふしだら」とされた同棲→結婚の道を歩いたと記されている。 ウイキペディアの記事は、そうして、黒木しのぶとの結婚を述べた後に、 「仕事する日は必ず玄関で握手してから出かけるなど大変な愛妻家だった。」と述べている。 ぼくはそこで、のんびり逍遥していた足をとめて、じっと生け垣の一角を見つめる人のように、何度も何度も読み直してしまう。 玄関で握手して。 英語圏でも欧州でも、「西洋」に住んだことがある人なら、握手は西洋の習慣でも、夫婦が玄関で握手したりはしないことをしっているでしょう。 佐分利信と黒木しのぶが、出がけに握手を交わしていたと聞いたら、どうだろう、いちばん一般的な反応は、大笑い、だと思います。 日本人て、やっぱりやることがヘンだよね。 でも、面白い。 だけど、なんだか笑ってしまう。 息が止まって、そこから動けなくなって、みるみるうちに涙が出てきてしまった。 貧困のなかに生まれ落ちて、知的職業を夢見てはたせないままスターになってしまった中年の俳優と、たったふたりの仲間同士として、ともにささくれた世界の荒々しさのなかを、必死でこぎわたってきた妻が、玄関で、西洋人からみれば失笑するしかない、固い握手を交わしている。 きみは笑うだろうけど、日本の人が持っている切なさや、つらさ、抑制に抑制を重ねているうちに、ついに自分の目にも見えなくなってしまいそうな「決して口にされなかった言葉」が、その不自然でぎこちない情景から、いっぺんにあふれて、ぼくの胸のなかで洪水のようにせりあがってきてしまう。 「握手で表現される夫婦の愛情」という考えは、ぼくの人間の愛情の形に対して持っているイメージを、根底から、しかも最も切実なやりかたで 覆してしまう。 … Continue reading

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