水の上に描かれた町で

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ウェリントンは最高にカッコイイ町だとおもう。
世界でいちばん都会的なちいさな町。

都会って、あんなに小さな町が都会のわけないよ、ときみは言うかもしれないけど、きみはたとえばTe Aroのカフェ「オリブ」
http://www.oliverestaurant.co.nz/

に午前10時に行ったことがあるかい?

モニとぼくがパーティで遊び疲れた次の朝には必ず出かけるその店には、
朝の「おすすめの飲み物」としてブラディメリーがメニューの下に小さく書いてある。

一口食べてから、まじまじと皿を眺めなおしてしまうくらい旨いエッグベネディクトや、予想を完璧に裏切って朝食むきな、スモーキーなスペアリブが、ウエリントンでしか聞けない「都会的なニュージーランド英語」のアクセントのウエイトレスたちの手で運ばれてくる。

なんで急にウェリントンの話なんかはじめたのかって?
ウェリントンのオカネモチの友達の家で開かれたパーティで嫌な話を聞いたからなんだ。
ぼくが大好きなキューバストリートの「再開発」が、どうやら決まってしまったらしいのさ。

キューバストリートは、身体の半分、下半身がキャピタリストたちに食べられてしまった通りなのだとおもう。
ぼくが子供のときには、まだ、なんだかガレージセールがそのまま店になったようなへんてこな店がいっぱいあって、古本や古着や、リストアした家具や、オカネがないけど生活を美しくしたい若い夫婦が必要としそうなものはなんでも売っていた。
いまは高いリースを払える店…チェーン店…だけになってしまったけど。

ずっと上のほうまでいけば、まだ昔の面影が残っていて、あのむちゃくちゃ居心地がいいカフェ「フィデル」もまだ残っている。
http://www.fidelscafe.com

どんな気分を求めているかを説明すれば、その場で調合してくれるアロマショップや、ニュージーランド人がコーヒーなんか飲まなかったころからやっているエスプレッソバーがある。

オペラハウスレーンを通って、冬のウエイクフィールドを、ビクトリアストリートの交差点の先にあるフードコートに向かって歩く。

Capital Market
http://www.wellingtonnz.com/discover/things-to-do/shopping/capital-market/
って言うんだよ。

アルメニア料理や、ぶっくらこいちまうくらいうまいフィリピンの、表面をこがしてパリパリにしたチキンのBBQや、店員が寝坊してランチタイムになってもまだ開かなかったりすることはあるけど、猛烈においしいスペアリブを出すアメリカ人の店がある。
隣のベトナム料理店には、例の、きみやぼくがシドニーに行けば必ず飲む、コンデンスミルクに凶暴なくらい濃いコーヒーをのっけったベトナムコーヒーを出すカウンターがある。

そこでお腹いっぱい食べて、途中のどこかのバーでカクテルを一杯か二杯やってから、裏口を出て、キューバ通りをあがっていくのが楽しいんだ。

大陸ヨーロッパ人に人気があるカフェ「フィデル」は、フルシチョフや「チェ」ゲバラ、フィデル・カストロの写真やなんかがたくさん貼ってあるけど、ほんとうは、ただのダジャレで、だってキューバストリートのキューバていうのは、ただの船の名前だもの。

そういうおごそかな来歴みたいなものがなんにもないところがニュージーランドらしくて、ものすごく長い文明の歴史が積み重なって、人間の魂のうえにどっかと腰をおろしてしまっているような欧州で生まれたモニとぼくにとっては、この上ない魅力になっている。
「新しい国」が、どれほど魅力があるか、ぼくの言葉では、まだうまく説明できないのだけど。

カラマリがうまいんだよ。
ピザもうまいけど。
ニュージーランドの「世界最高だが魂がない」と交通事故で死んだフランス人の天才醸造家に言われてしまったワインのなかでも、これだけは誰もがうなってしまうソーヴィニョンブランのなかで、Te Mataというヴィンヤードがつくっているのがあって、中国移民の夫婦がつくってるのだけど、こんなうまいSauvignon blancがあるだろうか、というくらいおいしい年がある。

その白ワインで、カラマリを食べながら、近くのテーブルのフランス人留学生たちやアルゼンチンからやってきた旅行者たちやなんかと話していると、
まるで、ニュージーランドではなくて、ずっとむかし、まだ都会だった頃のマンハッタンにいるような気がしてくる。
ここはアメリカじゃないから、学生というよりはスーパーモデルふうな美人のフランス人たちが立ち上がって「キューバ万歳!資本家豚どもに死を! 共産主義革命万歳!!」と叫んでもぜんぜん大丈夫(^^;

うまく言えないけど、商業主義をするりとぬけて、まんまと自分たちの魂がリラックスできる場所をつくってしまったとでもいうような、都会の人間の呼吸にあふれている。

ぼくの大好きなニュージーランド人の歌手Gin Wigmore
http://www.ginwigmore.com

が歌う声が聞こえている。

I was born by the devil
I was left here to die
I lost hell out of ransom on the cold summer sky

I was told not to love him
I was told not to try
I was lonely the only till’ he said he’d be mine

He will leave me for younger
He will leave me to cry
Cut them night a little deeper
Count the days I survived

Its written in the water

Its everywhere I go

Its written in the water

Its everywhere I go

//

高校生にも判る。
誰かが、John Keatsの有名なエピタフ、

“Here lies One Whose Name was writ in Water”

をおぼえていたのだろうけど、でもとても良い歌で、
素晴らしい曲だった”Brother”以来、
ずっとtuneにめぐまれなかったGin Wigmoreを心から祝福したくなる。

きみやぼくが幸福なときを過ごした町は、水の上に描かれていて、
時の風が吹くと、あっというまにかき消されてしまう。

リージェントストリートの裏町の二階にあるレストランですっかり酔っ払って、クリスマスの前の晩に、肩を並べて、ときどき、ふざけて雪でつくったボールをぶつけあいながら、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがつくった古いクリスマスソングを大声で歌いながら、歩いていった。
そういうとき、ロンドン子は単純だから、一緒に歌いだすおっさんやおばさんがいるのさ。

膝まで雪がつもった、やっぱりクリスマスが近いマンハッタンのビレッジを、ふたりで5本のワインを飲み尽くしてしまって、ユニオンスクエアのトレーダージョーズのワイン屋まで、なんだかスコット探検隊のような気持ちになりながら歩いていった。

そして、東京!
FCCJのバーで酔っ払って、ペニンシュラホテルの側の出口から出ると、東京駅まで、ずっと続くイルミネーションがあって、モニとぼくは、「おでんの臭い」がするヘンテコなイタリアン・バーで、臭いに笑いころげながら、何杯もプロセコを飲んだものだった。

「桜通り」だったっけ、
芋洗い坂、という面白い名前の坂をおりて、なんど探してもなかった「淡路」という定食屋がある(はずなのになかった)あたりから、ニッサンビルまで、モニがあんまり美しい人なのでびっくりして口をあけて眺めている人たちを、ふっふっふっと得意な気持ちで眺めながら、ツタヤのエスカレータで、DVDを探しに行ったりした。
あのビルの前にも、ソメイヨシノにていねいに巻かれた、目がさめるようなLEDのイルミネーションがあって、東京のことを思い出すたびに、目の中に蘇ってくる。

ウェリントンも、もう、きみとぼくの記憶のなかにだけある都会になってしまうけど、それでもいい気がする。
なにもかもが幻で、きみやぼくさえ幻でも、それで少しもかまわない。
ぼくときみの魂は、世界よりもはるかにたしかなやりかたで存在して、手をにぎりしめて、背中に腕をまわして抱き合って、冷たい頬と頬で、
もう日本語では、こんな言葉はコマーシャリズムですりきれて死語なのだろうけど、愛し合ってきた。

あのGin Wigmoreの歌は、こんなふうに終わるんだ。

Give me one kiss for the road boy
I guess its time I left you alone

もう誰も、何かをほんとうに愛していたことなんて、おぼえていないだろうから。

“Written In The Water Die Regardless”_Gin Wigmore

FCCJ (The Foreign Correspondents’ Club of Japan)
外国人特派員協会

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One Response to 水の上に描かれた町で

  1. midoriSW19 says:

    同じ一つの事に関する記憶でも、それを共に経験した複数の人のあいだで一致しないことがしばしばある。忘れてしまっていたり、そういうこともあるよねと聞き流せる程度の些細な違いでなく、覚えていると主張するにもかかわらず、経験の質が根本的に変わってしまうような齟齬がたまにあり、どうしてそういうことが起きるのだろうと2、3日前に息子と話した。

    息子が言うには(たぶん大学で勉強したのだろうけども)記憶には、そのことを最後に思い出した時の内容に修正されていくメカニズムがあり、その機能のせいで記憶した内容に違いが出て来るんだそうだ。だから、同じ一つの経験に関する誰かの記憶が自分の記憶とまったく異なるものであったとしても、必ずしも相手が(もしくは自分が)嘘をついているわけではなく、心底そうだったと信じていることが少なくないものらしい。

    経験(の一部)が写真やビデオに記録されているとか、経験したすぐあとに書き残しておくとかすれば、次に思い出す時にそれが助けになって大きな記憶違いはおきにくい。でも、なかには忘れてしまったり修正してしまったほうが良いような経験もあるわけで、SNSを通じて経験を共有することが日常化した現代では、せっかく良いように書き換えた記憶が誰かのスマホに残っている写真などで元通りに修正されてしまうような、記憶のちゃぶ台返しが発生しやすくなっていて、それはそれで不幸なことかもしれない。

    街は生き物だからどんどん変わっていく。都会であればあるほど、経済情勢や人の出入りの影響を受け易く、なるほど水の上に描かれているのかと思えば、残念でも、はなからそういう運命なのだなと納得もできる。でも流れ去った街もそこを経験した人の記憶のなかでは元の姿のままで、共に経験した人たちが共に思い出している限り、同じように修正・記憶されていくのだろう。ガメさんとモニさんはきっと、共に過ごした都会の記憶を同じように上書きしていくのだろうと思え、それはめったにない得難い経験と思われる。

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