日本語ジャンキー生活の終わりに

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ここ数日日本語ジャンキー生活を送ると決めて、やりすぎで「ぐああああ」になるまでtwitterでどんどんツイートして、DVDも「マタンゴ」や「美女と液体人間」、シブい名作を次々に観た。
ブログも書いた。

少し、くたびれました。

日本語インターネットを渉猟していると、政治の問題ではSEALDsを陰に陽に攻撃する人がめだった。
日本では「何事か自分が信じることを主張する」というのは、暗闇に潜んだ他人に、まるで彼らが示し合わせているかのように、あちこちから突き出される刃で傷つけられることであるのが再確認されて、若いSEALDsのひとびとがどれほど冷たい暗闇に蹴り落とされるおもいをさせられているだろう、というようなことを考えた。

こういうふうにやる。
まず誰かが、SEALDsみたいなやりかたは気にくわないと考えて、tweetしておいてからtogetterで「まとめ」をつくる。
その「SEALDsの動員数などは大嘘で、自分は実際にみてきたが少数にすぎない」「こんな少数でくだらない歌を歌うことで世間が変わるわけはない」というように並んだツイートを、悪意の無責任おじさんたちが黙って、ツイートして紹介する。
紹介するだけなら、発見されて卑劣を追求されても
「だって考える参考にするためには、思索や議論の材料として存在を紹介しなければどうにもならないでしょう?」と述べて、いくらでも逃げを打てるからです。

無責任おじさんたちが歴戦のダッキングの名手なのは、みなに判っている。
その「手口」もばれているので、観ているほうには一目瞭然だが、おじさんたちは「ぼくは感覚が若くてねえ」と言う頭が半分すだれっぽい課長さんとおなじことで、自分ではおなじスタイルの「自己陶酔おっちゃん」がたくさんいるのだとはおもわないらしい。

老い、は鏡に映らなくなったときにはじまっているものだということを忘れている。

さまざまな悪意にさらされながら、SEALDsの人々は、しかし「仲間がいる」「支えてくれる年長の人間たちがいる」と自分に言い聞かせながら、国会前にまた戻っていっているもののよーです。

よく観ると、どう観てもSEALDsのひとびとのようなやりかたが好尚にかなわないタイプの「おとな」が、そっと若い人々に差し伸べた手がインターネットのあちこちに見え隠れしている。

この人などは、他のツイートから考えてめだたない影のなかで生きたい人のようなので、こうやって紹介するだけでも怒るかもしれないが、見つけちゃったもんね。

こういうこっそり述べたツイートをみると、「おとな」はカッコイイなあーとおもう。
世界が変わってゆくには行動する若いひとびとの数が増えてゆくことも大事だが、「自分になにができるか」ということをちゃんと考えて行動するおとなの数が増えることも大事なのねえ、とおもいます。

このブログへの、冒頭の一行だけで、爆笑、スパム箱に直行するオバカ・トロルは2chから来たらしい人、最近ではredditの日本語コミュニティから来た人が多いが、よく考えてみると、「阿倍首相(註)と呼び捨てにするあなたには…」というような文を書ける人というのは、よっぽどアホなのか、そうでなければ他人を楽しませるためのエンターテインメントとしてやっているだけで、世の中に対して特に害はないともいえる。
怒るよりも可笑しさがこみあげてきて、最後まで読んで楽しんでしまうことがある。

なけなしの知力をしぼって、必死で相手を傷つけることを考える人は、観ていると、一生懸命やっていそうな社員の人にはなんだか申し訳ない気がするが、やはりほとんどが「はてな」コミュニティからくる。
上のtogetterもそうだが、なかなか工夫されていて、英語人などはバカなので、あんなに手がこんだ中傷は思いつかないのではなかろうか。

なぜ「はてな」が非生産的な「知的営為」の温床になってしまったのかは判らないが、やはり、なにか理由があるのでしょう (←当たり前)
もともとものすごく日本的な「民主主義」を真摯に理念を掲げている人が経営しているようなので、会社の問題であるよりも 、そもそも傍目には全体主義者の集まりが個人の不自由をめざして民主制度をやっているようにみえなくもない日本的な「民主主義」のほうに問題があるのかもしれません。

もうばれている、フォローされてもぜんぜん嬉しくない、なんだかものすごくええかげんなフォローする人の選び方でわかるとおり、
ツイッタの使い方がヘンで、検索が主です。
まさきさんの26000アカウントにはかなわないが、ブロックが多い。
英語の場合は嫌なことを言われると北村透谷が描く純潔な乙女(なにを笑っておる)のように傷つくのに較べて、日本語では、たいていは、ぬはは、ヘンな奴ですんでしまうが、機嫌がわるいとき(例1:そろそろ眠くなってきている 例2:風邪の前駆症状がでている)には、むかっぱらが立つ。
観るといやなので、ずんずんブロックしてしまう。
ついでに、そのあたりの回りの人も、とばっちりでブロックされる。
傍迷惑だが、あたり一面みえるものは全部ブロックしてやる、ということもおおむかしにはなくもなかったので、そういうことも、むにゃむにゃする。

自分の名前でツイッタを検索するのは、日本語では特別に悪い自己意識過剰な行動ということになっているらしい。
悪口を述べていた人が見つかって、まるでこっそり万引きをしていた少年がセキュリティガードに腕をつかまれて「客を泥棒あつかいして監視してたのか!」と暴れるようなことを言うが、自分の名前で検索してみるのは、こっそり褒めてくれている人がたくさんいるからです。
そういう人を見つけるとチョー嬉しい。
だから、ときどきは自分の名前が検索欄にあるウインドーが一個いつも開いている(^^;

あるいは前にも述べたように、miss youのような言葉で検索すると、なんだか膨大な数の切ないという陳腐な表現でしか言い表しようがないツイートが出てくる。
ここに書くわけにはいかないが友達の名前を検索してみて意外な消息がわかる。
アベノミクスとabenomicsで検索して、結果の違いに吹き出すこともあります。

あとは知らない人のブログを読みに行く。
最近は英語世界と同じく、日本語でも「ブログ」は文化として死にかけていて、当初考えられていたよりもずっと短命なようです。
それでも、なんだか、「やっと書いている」とでもいうような、少ない言葉、おおきな行間、妙に軽く明るくよそおった表現で、母親の死や、配偶者との別れ、ずっとむかしに好きだった人の思い出を書いている文章を読んでいると、出版される本とは異なって、まるで神様がその日のために選んで届けてくれた贈り物であるような気持ちになる。

壁にそっと落書きされた告白のような短い文を見つけて、「人間」というものにつきまとって離れない遠い星に手をのばして届こうとするような、「切なさ」のようなもののことを考えます。

日常生活では、MBPやiMacのモニタの外では決して使用されないぼくの日本語は、もともと「存在しない日本語」で、気がついている人もいるようだが、日本語でどういうかよく判らない表現は、どんどん作ってしまったりする。
あとで、寝っ転がってアーモンドをかじりながら辞書をひいて、現実に存在する表現になおしてゆくが、ときどきそのままになっているのもある(^^;

日本語は、十分に論理的な言語で、語彙のつくりやすさから来た、世界の事象をいいあらわすための語彙も豊富だが、なんにでも情緒や感情がくっついてくるのと、言語全体として「余計なこと」がいっぱいあってダブダブしているという特徴がある。

世界を感情を交えずに描写するには不適な言葉、
でも、なんというやさしい言葉だろう、とおもう。
日本語で暮らすということは感情のせせらぎや奔流のなかで生きることで、
ネット上の悪意が日本語において特に知的な荒涼につながってしまっているのは、そのせいでしょう。

でも、日本語っていいんだよな。
感情をいっぱいつめた宝箱のような言葉で、言語の感覚にすぐれた、上手な人が書いた文章は、まるでその人が蹴躓いて、床いちめんにまきちらされた宝石が燦めいているようにみえる。

それをひとつづつ拾って、ああ、これはあの人にあげるといいな、これは磨いて引き出しにいれておくだけで心がなごみそうだ、と考える作業は、ふつうの人が考えるよりも、外国人にとって特に、途方もなく楽しい時間になる。

もっとも依存症というのは、そういうものなだけなのかもしれないけど。

(註:もちろん誤字だけど、なぜか安倍首相支持の人で文句を言いに来る人にはこれが多い。「阿部さん」という友達がいる人が多いのだろーか)

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3 Responses to 日本語ジャンキー生活の終わりに

  1. DoorsSaidHello says:

    >でも、日本語っていいんだよな。
     感情をいっぱいつめた宝箱のような言葉で、言語の感覚にすぐれた、上手な人が書いた文章は、まるでその人が蹴躓いて、床いちめんにまきちらされた宝石が燦めいているようにみえる。

    この節が美しかった。それで連想したんだけど、

    …宝石が美しいのはそこに何の音もないからで、結晶世界特有の静謐があるからです。激情にひとつひとつ名前をつけて冷やし封印をして、名詞や形容詞という澄んだ結晶にし、過ぎ去った時を悼む時に、日本語は最も輝くように思われます。しかし過去を結晶にして集めているばかりでは現在に対して無力すぎる。英語が持っている、現在をつかみ未来を切り拓く機能を使ってものを考えたいです。(また大学に戻って英語で書く練習をしたくなりました)

  2. odakin says:

    分かってて書いてるなら「ギャグの解説」になっちゃって興ざめもはななだしく(そうじゃなくても珠玉の文章にそぐわず)申し訳ないのでこのコメを削除してもらいたいのですが、もしご存じなければ、阿部さんといえばこちらであります。
    https://en.wikipedia.org/wiki/Kuso_Miso_Technique
    「やらないか」「ウホッいい男」「すごく・・・大きいです・・・」で一世を風靡いたしました。
    元はニコニコでのムーヴメントですが、ユーチューブで観られるのだとこんなん。

    (関係ないけど私の友人の妹(腐)は婚約のプルェゼントに婚約者からヤマジュンの全集を買ってもらったとか…)

  3. odakin says:

    う、いきなり絵が出ちゃうのか。ごめん。。

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