Daily Archives: July 28, 2015

記憶のなかの未来_1

国会前のデモで日本の人たちが、「よみがえった日本人」のように自分たちの自由を制限しようとして躍起の政権に抗議しているのを、なるべく見落とさないようにしてみている。 日本語のマスメディアは、どれもこれも救いがないほど落ちぶれてしまっているので、見てもしかたがない。 ツイッタやブログの欄外のコメントの書き込みのような所から、あんまりフォロワー数がいないひとの「いま国会前にきてみたのだけど…」というような、つぶやくような小さな声をふりだしに、逆にリンクを声がおおきいほうにたどっていくことがおおい。 以前には「烏合の衆」とバカにされていたひとびとの行動 https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/04/官邸前の愚者の群/ が、いまでは政府も到底無視できない政治行動になっているのがよくわかる。 ツイッタひとつみていても、どんな国でもある運動側の味方をしているような顔をしながら政府側に立って働いている人や、つまりは大時代な「走狗」がいたりして、へえ、と思います。 従っている定石が古いので、落ち着いて誰にどんなふうに「絡んでいる」かみていると、正体がわかってしまう。 日本は、こーゆーところでもお手本が古いのお、と考える。 まるで片手に新聞をもって、黒ずくめで、タイも黒で、サングラスをかけて、黒いボルサリーノをかぶって、防衛省の通用門の前を行ったり来たりしているスパイみたいで可笑しい。(←過去に東京で現実にあった事件) 本人の事務所が強く否定しているギリシャの元蔵相Yanis Varoufakisの「the parallel payment system」スキャンダル http://yanisvaroufakis.eu/2015/07/27/statement-by-yanis-varoufakis-on-the-finmins-plan-b-working-group-the-parallel-payment-system/ は、「次にくるもの」を予感させるスキャンダルだった。 一見関係のないデンマークのMobilePay https://danskebank.dk/en-dk/Personal/ways-to-bank/Pages/MobilePay.aspx に端を発した欧州の物理的な通貨の廃止をめざす、ゆっくりだが不可逆的にみえる動きをはじめ、bitcoin的な通貨思想の伝統的通貨に対する思想上の絶対的優越を考えても、あいだを全部ぶっとばして述べると、国境だけではなくて、国権や国家そのものの終わりも意外とはやくくるのかもしれない。 そのときにくるのは人間や文明が直に向き合う世界だが、アフリカが世界の中心的なパワーとして台頭していなければならないはずの2050年以降において起こるだろう、その変化が、実際に国家という群立した絶対暴力の時代よりも人間にとっていいのかどうかは、わしにはわからない。 税務台帳をハックして、既存政府の徴税機能を停止して、税務番号をふりなおして、ネオBitcoinで徴税できてしまえば、クー(クーデター)がやれてしまうわけで、フォーラムで、では軍隊はどうするのか、マスメディアはどうするのか、と棋上演習をやってみると、ほんとにやれてしまえるもののよーでした。 伝統的な意味における現実が仮想現実に較べて下位のプライオリティしか持てなくなりつつある世界に、わしらは生きている。 パラダイムシフトが起きる時代というものは、そういうもので、 99%の人には最後の最後まで実感がなくて、気がつくのは「自分が時代に決定的に取り残されたのだ」と心底おもいしるときでしかない。 冷菜凍死家というショーバイは、こういう変化がみえやすい建物の窓際に立って世界を俯瞰しているので、そーとーなアホでも、神様が世界というピザの一片の両ヘリを曲げて口に運ぼうとしている様子がはっきりみえる。 もっともおおきな変化はモニターの前に座ってキーボードを叩いている人間の側にあった認識の主体が、モニターの向こうのネットワーク側に移動してしまっていることで、(もういちど繰り返すと)仮想現実が現実に対して優位に立っている。 そういうことが可能なのか?と疑う人のために述べると、ルネ・デカルト以来の人間の「考えるよすが」は「認識は現実よりも優位」であることで、シンタクスのいきつくところ、認識は現実よりも仮想現実を優位に立たせることに痛痒を感じるわけはないのはチョー簡単な理屈であるとおもいます。 ネットビジネスひとつとりあげても、2000年から10年間ほどの黎明期には「ビジネスモデル」が重要で、グーグルアドなしでグーグルというインデクスサービスは考えられなかった。 いまはアイデアがすべてで、そのサービスが不可欠になってしまえば、ビジネスモデルは不要だが、枝葉にみえても、それもまた認識の対象が仮想側に移行している証拠なのでしょう。 もっと些末な例を出すと、ニュージーランドドルは、かなり前から1¢、5¢という硬貨は廃止されていて、現金で払うかぎりにおいては、99¢の商品を買って1ドル払っても1¢のおつりはもどってこない。 ニュージーランド人が「EFPOS」と呼ぶ、デビットカードかクレジットカードで払った場合にだけ「1¢のお釣り」は存在する。 通貨が単なる「約束事」であることを国民がひとり残らず知っているわけで、 仮想現実が現実を支配する、歴史上初めての例が貨幣であることを思い起こさせる。 冒頭に国会のデモについて述べた理由は、この続きもの記事の、ずっとあとになればわかります。 焦らずに、コーヒーでも淹れて、一緒にゆっくりきみやぼくの記憶に埋もれている未来を訪問しよう。 深い眠りにおちていた未来が、はれぼったい眼をして、蓬髪をかきあげながら、自分の、鏡に映らない姿に驚いて、ドアを開けてくれるまで

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