Monthly Archives: July 2015

Project Semicolon

ミッションベイ、という海辺の繁華街はパーネルやニューマーケットの次くらいに近いのでよくでかける。 De Fontein http://www.defontein.co.nz というベルギーのビールがたくさんおいてあるバー&レストランがあって、 このあいだも地元のコミュニティ紙にバーの女のひとのバーテンダーがブリュッセルで開かれたバーテンダー大会で二位になったと出ていた。 室内もわるくはないが、テラス席がなんといっても気持ちがよくて、最低気温が一桁になるいまごろでも、昼間は夏のようです。 おおきなレストランが内も外も満員になってしまっているのに、ウエイトレスがふたりしかいないので、注文したスペアリブとステーキが30分たってもこないので、モニとふたりで、「ふたりじゃ、たいへんだね」と言い合いながら、でも腹減ったあー、と考えながらビールをなめていると、モニさんが、なんだかびっくりしたように離れたテーブルのほうを見ている。 「?」とおもって、モニさんの視線をおいかけてみると、そこには、なんだか刺青が顔にも首にも腕にも、身体中にあって、バイキー(←ここでは西洋暴走族=組織暴力団のこと)ぽいお兄さんが座っていて、その身体がでっかいおっかなげな男の人に、中国人の、若い、わしがおおきなくしゃみをするとテラスから道路におっこちてしまいそうなくらい、細い、たよりなげな人が話しかけている。 知り合いでもなさそうです。 モニさんが手首の内側を指さすのと、でっかいにーちゃんと若い中国人が抱き合うのが同時くらいだった。 まわりの人は、ぶっくらこいて、目をまるくして、のけぞってしまっています。 モニさんが小さな声で「セミコロン」と言う。 「ああ」とマヌケな声を立てるわし。 プロジェクトセミコロン、という。 この世界の、最も重要な「聴き取りにくい声」のひとつです。 「いったん立ち止まりはしたけど、やめてしまうわけではない」という意思表示。 自殺を考えたことがあるひとや、この人間の世界では息ができなくなって、もう生きるのをやめたいと思い詰めたことがあるひとたちが はじめた「見えない意思表示」の運動の象徴です。 「またかよ」と言ってはいけません。 わしが慌てて視線をそらせて、目をむけたRangitoto島の稜線は、たちまち涙でにじんでしまって、慌ててサングラスをかける、わし。 モニが「ふたりとも、泣いている」と小さな声で報告している。 「まだ、ふたりで話し合っている」 Project Semicolonには批判もあるが、どうしても、良いことであるとおもう。 自殺を考え、試み、自傷するひとたち、ある日突然、自分が外にでていけなくなってしまったことに気づいた人たち、そういう人達が、崖の淵に懸垂してしまった身体をようやく引き上げるようにして、この世界にもどってきて、また生活を続けていることを、仲間達に、そっと、世間が最も聴き取りにくいやりかたで、髪に隠れたうなじや、手首の内側にタトゥーとして刻印している。 その小さな小さな刺青にこもっている巨大な勇気は、わしを驚かせて、立ち止まらせる。 ぜんぜん理屈にあってないけど、人間はいいなあ、人間はやっぱりすごいのだ、人間は強力だ、と考える。 陳腐な表現だけどセミコロンのタトゥーは、この残酷を極める世界に咲いた花のようです。 なんて美しい花だろう。 モニさんが 「店から出たあとも、まだ手をふっている」という。 でも、わしがテラスと舗道にわかれたふたりを交互にみやったときには、 もうふたりとも、なにごとも起こらなかったように、片方は歩み去って、片方は昼ご飯のあとのビールを飲んでいるところでした ビールの杯をもちあげたときに、ちらっとセミコロンがみえたけれど。 Advertisements

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若いということ2

気がつかないうちに歯を食いしばっていることがある。 いつのまにかノートブックの上の手が止まっていて、目の前のモニターの、光点のひとつをじっとみつめている。 モニタの向こうにも、ぼくの将来にも、なにもないような気がするんだよ。 ぼくにはぼく自身を幸福にする力があるだろうか? まして、そのあとで、最も愛する人を幸福にする力が残っているだろうか? なんだか不可能な事業のことを考えているような気がしてくる。 胸が苦しくなって、頭がぼおっとしてきてしまう。 自分を幸せにできるかどうかが判らない人間に世界について考える資格なんてあるものか! 数式と数式のあいだに殴り書きされた17歳のときの自分が書いたノートを読むと、「マジメじゃん」と思って笑ってしまう。 週末には、おとなよりもおおきい身体とID偽造の技術の腕を利してクラブクローリングでおねーさんたちと、あんないけないことやこんなひとにはいえないことをしていた「もうひとりの17歳の自分」と、いったいどうやって共存していたのだろうと訝しむ。 まだ猛烈にチビで、台所のシンクの縁の向こうにどんな皿があるのかさえつま先だっても見えなかった頃の圧迫感のことを、ぼんやりおぼえている、と言ったらきみは笑うだろうか? なにをするにもおとなに依頼しなくてはならなくて、「ミルクをのみたい」というただそれだけのために、台所にいるのに、わざわざおとなを探して、子供にとっては荒野に似た、だだ広い家のなかを歩き回って、見つけ出して、口にだして頼まなければならないことへの苛立ちときたら! 17歳のぼくもおなじだった。 もちろん赤ん坊というものが、よく考えてみると人間としては相当にカッコワルイ姿勢と動きの行為の結果うまれてくるものだともう知っていたし、週末の「夢のなかの出来事」と表現するのが、もっとも適している感覚で、平日には思いだされる自分自身の奔流に似た夜更けの時間をおもいだしても、人間は理性によって完全に制御できる生き物ではないのだと、もう判っていた。 人間は自分を破滅させる能力をもった不思議な生き物であることも知っていた。 生物のクラスで教師が「豚はたいへん高知能な生き物で、人間が考えるよりも遙かに考える能力をもっているが、面白い特徴がひとつある。 目の前に食べ物があると、それが罠で、その食べ物に手をだすことによって自分が破滅するとわかっていても食べてしまう」 と述べたとき、ぼくが考えたことは 「それでは人間とおなじではないか」ということだった。 「豚を人間の男に、食べ物を「女」あるいは「大金」場合によっては『名誉』に置き換えれば、ぴったり同じ特徴を人間は持っている」 自分の肉体が男のものなので、女の人はどう感じるのかしれない。 いちど、なかのよい女の友達に聞いてみたら、しばらく考えていて、「おれは女も同じだとおもうぞ、ガメ」と述べて、がはは、と笑っていたが、その大層美しい優美としかいいようのない女の肉体をもった人は、心が通常男のものとされる持ちようのひとなので、一般化していいものかどうかよくわからない。 人間はどこまでが生物でどこからが人間なのだろう? タコは水槽にいれて人間がじろじろ見る環境においておくと鬱病になる。 タコが自分の足をたべるのは人間でいえば自傷行為である、という。 古い知能の定義では、このことをもってタコを高知能動物の下限としていた。 初めて海釣りにでた人が衝撃をうけるのは、釣り上げた魚の目の残忍さと希望のなさだが、一緒に釣りにでかけた父親は釣り上げた魚の目付きにすっかりショックを受けてしまってる息子(←ぼくのことね)に 「魚には大脳と呼ぶほどのものは形成されていなくて端脳しかないからね。 あの怖ろしい目は、叡智の光をもたないものの目なのさ。 人間にも、ときどき、ああいう種類の目をしている者がある」と言って笑っていた。 でもそれはほんとうだろうか? と考える。 前にも書いたけど、まだ日本ではカヤックが珍しかった頃、葉山でかーちゃんシスターと沖をのんびりパドリングしていると、鰺が次々とカヤックの頭上を飛び越えていく。 びっくりして見上げていると、先を行っていたかーちゃんシスターが、のんびり動かしているように見えるのに意外と速いいつものパドリングでもどってきて、「イエローテールたちだって機嫌がよくて遊びたいときがあるのよ」という。 7歳くらいの頃から(子供の本と並行して)おとなの本をたくさん読みあさっていた、チョーませたガキだったぼくは、 「しかし、それは知能の定義を裏切っている」と考えたりした。 ぼくはだいたい14歳の夏くらいから、どんどん頭がわるくなって、迷いが深くなっていった。 多分、それは性欲の影響で、いちどはスタティックで透明な世界がだんだんmorphされてきたで、あれほど説明つくされたはずの世界が再び地面が激しく揺れて地殻が変動するように変化をはじめて、いつのまにか、もとともとの美しくて平衡がとれた世界とは似ても似つかないものになってしまっていた。 ぼくは青空が落ちてくるかもしれない、という杞の人の憂いに包まれていて、そのうえ、足下の地面もいつまで存在するかおぼつかない気持だった。 苦しい一年をすごして、15歳の夏にはT.S.エリオットを読みふけって過ごしたのをおぼえている。 … Continue reading

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若いということ

日本にもあると思う。 ニュージーランドの冷蔵庫は、ドアに冷たい水がでる小さなタップがついていてフィルターを通った水が、冷やされて、そこから出てくるようになっているタイプのものが多い。 最新型は、氷がドアを開けないで、そのタップの脇からとれるようになっているのもあるよーです。 この方式の欠点は、水が少しづつしか出てこないことで、勢いよくはでない。 コップを押しつけて、しばらく我慢しないといっぱいにならないので、自分でもときどき冷蔵庫の前で立っておしっこをしているような微妙な気持ちになることがある。 同じ冷蔵庫がある友達の家で、めんどくさいので、シンクへ立っていて水をごくごくと飲んでいたら家の主に 「ガメは、やっぱり若いな」 と笑顔で言われた、というのが、この記事の発端でなければならないのだと思います。 わしは、このブログ記事を「わし」という主語で、いま現実の日本社会で通用している日本語より少し古い日本語風の味付けで書いている。 そうしないと「書けないこと」「表現できないこと」が多いからです。 日本語学習者が日本語の文章の「新しい日本語」の「古くてダサい感じ」と一緒に困るのは、これで、だいたい1970年代くらいまでの世界は日本語でなんでも説明できるのに、80年代以降の日本語では世界の八割も説明できやしない、と感じるのは、この「新しい日本語には、なんだか小さく萎縮したひからびた世界しか映らない」という事実のせいであると思う。 「言語総本家」みたいなフランス語にも同じ問題があった。 ちょうどジャック・シラクが大統領のころ、フランス人たちは、この問題を、ぶっくらこくことには「政治問題」と捉えて、復興運動のようなことを起こした。 この運動自体は英語でジーンズはジーンズと呼びたい若い世代に嫌われたが、でもフランス語はそこで現実に復興されて、また世界をうまくフランス語だけで説明できるようになった。 日本語は無造作に、テレビというゴミ箱に放り込まれたままで、何十年も経ってしまったので、世界が説明できなくなった。 だから世界を上手に説明できない言語になってしまったが、時間を遡って、70年代くらいまで遡って、トンテンカンと修理すればまだ普遍語として使えるというのが、わしの判断です。 ところが、「はてな」の能川元一さんapesnotmonkeysという人が唱道した「大庭亀夫ニセガイジン説」の延長なのでしょう、「加齢臭がする駄文」というようなコメントが年中くるので、「若さ」ということについて考えることが多くなってしまった。 わしには過去に起こったことをなんべんもアタマのなかか心のなかかどっちなのかはよく判らないが、反芻して、ああこれはあそこがダメだったんだな、あそこは、ほんとうはこうすればよかったんだな、と考える癖があるが、それと同じTCA回路のなかでクルクルとまわして「若い」ということの意味を考えることがある。 もうすぐ32歳になるおっちゃん頭で考えて、「若かった頃」は20歳というタグが付く前です。 日本の人が嫌な感じでない冗談でよく述べる「当社比」でいうと、いまの32歳が目の前の人間と17歳の「頭が悪い太陽」の頃との比較で、最も異なる本質要因は「エッチがしたくてたまらなかったこと」だとおもう。 (笑うな) たった一晩、one night stand で過ごした女の子を、あっという間に、たったいま結婚しなくてはとおもいつめたり、この人と一緒にすごせれば死んでもいいとしか考えられなくなったりするのは、振り返ってみると、あにはからんや、いかんせんや、この「エッチがしたい」チョー強力な欲求のせいで、この生物学的な欲求はあまりに強烈なので哲学を形成してしまいそうなほどである。 英語世界では「15歳以降の十代はやりたくてやりたくてたまらない世代」であるというのは、誰もが共有している知識であるし、だから、それにつけこんで自分の娘のような女の人とエッチを企む中年男や中年女は激しく軽蔑されて、いまでは犯罪になっている。 でも細胞群のこの若さや性欲が人間の哲学そのものをmorphするという事実は、テレビ語でいうと「すごくないですか」というのが、これから日本語で書こうとしている一群の文章のテーマで、ツイッタを通して、わし友達の協力も得たい。 言葉を「文章」というような単位で書く人間に共通の、自分でも意識されない野望は「究極の本」を書きたい希望で、その本を開けば、半日で自分が自分に回帰できるというような本を、夢に視ているのだとおもう。 その本は活版で印刷されるのではなくて、わしの大好きな illuminated bookのようで、たった一冊の本でいいのです。 中年の人間は信号が変わった大通りを向こう側にまで渡っていくことに自信を持っているが、若い人間は、自分が通りの向こう側にたどりつく前に、自分の存在が、ふっと消滅するのではないかと不安を感じることがある。 成熟した人間は、テーブルの向こう側に座っている自分の伴侶が確かに自分とは異なる人間であるのを知っているのに、若い人間は明け方のベッドのなかで、恋人がはたして自分とは別の人間なのか自分自身であるのか、深く、混ざり合って、判らなくなってしまっている。 あるいは、あの有名な小説の一節 “I see you are looking at my … Continue reading

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日本語ジャンキー生活の終わりに

ここ数日日本語ジャンキー生活を送ると決めて、やりすぎで「ぐああああ」になるまでtwitterでどんどんツイートして、DVDも「マタンゴ」や「美女と液体人間」、シブい名作を次々に観た。 ブログも書いた。 少し、くたびれました。 日本語インターネットを渉猟していると、政治の問題ではSEALDsを陰に陽に攻撃する人がめだった。 日本では「何事か自分が信じることを主張する」というのは、暗闇に潜んだ他人に、まるで彼らが示し合わせているかのように、あちこちから突き出される刃で傷つけられることであるのが再確認されて、若いSEALDsのひとびとがどれほど冷たい暗闇に蹴り落とされるおもいをさせられているだろう、というようなことを考えた。 こういうふうにやる。 まず誰かが、SEALDsみたいなやりかたは気にくわないと考えて、tweetしておいてからtogetterで「まとめ」をつくる。 その「SEALDsの動員数などは大嘘で、自分は実際にみてきたが少数にすぎない」「こんな少数でくだらない歌を歌うことで世間が変わるわけはない」というように並んだツイートを、悪意の無責任おじさんたちが黙って、ツイートして紹介する。 紹介するだけなら、発見されて卑劣を追求されても 「だって考える参考にするためには、思索や議論の材料として存在を紹介しなければどうにもならないでしょう?」と述べて、いくらでも逃げを打てるからです。 無責任おじさんたちが歴戦のダッキングの名手なのは、みなに判っている。 その「手口」もばれているので、観ているほうには一目瞭然だが、おじさんたちは「ぼくは感覚が若くてねえ」と言う頭が半分すだれっぽい課長さんとおなじことで、自分ではおなじスタイルの「自己陶酔おっちゃん」がたくさんいるのだとはおもわないらしい。 老い、は鏡に映らなくなったときにはじまっているものだということを忘れている。 さまざまな悪意にさらされながら、SEALDsの人々は、しかし「仲間がいる」「支えてくれる年長の人間たちがいる」と自分に言い聞かせながら、国会前にまた戻っていっているもののよーです。 よく観ると、どう観てもSEALDsのひとびとのようなやりかたが好尚にかなわないタイプの「おとな」が、そっと若い人々に差し伸べた手がインターネットのあちこちに見え隠れしている。 国会前では可能な限り歩き回って、人々の密度と面積から人数を概算しようとした。人が多くて進めない箇所もあり、限られた場所しか見ていないので、上限値は分からない。ただ、後で聞いた警察発表は俺の得た下限値より明らかに過小で、それは正直ショックだった。警察とは畢竟そういうものなのか、と。 — シュナムル (@chounamoul) July 18, 2015 この人などは、他のツイートから考えてめだたない影のなかで生きたい人のようなので、こうやって紹介するだけでも怒るかもしれないが、見つけちゃったもんね。 こういうこっそり述べたツイートをみると、「おとな」はカッコイイなあーとおもう。 世界が変わってゆくには行動する若いひとびとの数が増えてゆくことも大事だが、「自分になにができるか」ということをちゃんと考えて行動するおとなの数が増えることも大事なのねえ、とおもいます。 このブログへの、冒頭の一行だけで、爆笑、スパム箱に直行するオバカ・トロルは2chから来たらしい人、最近ではredditの日本語コミュニティから来た人が多いが、よく考えてみると、「阿倍首相(註)と呼び捨てにするあなたには…」というような文を書ける人というのは、よっぽどアホなのか、そうでなければ他人を楽しませるためのエンターテインメントとしてやっているだけで、世の中に対して特に害はないともいえる。 怒るよりも可笑しさがこみあげてきて、最後まで読んで楽しんでしまうことがある。 なけなしの知力をしぼって、必死で相手を傷つけることを考える人は、観ていると、一生懸命やっていそうな社員の人にはなんだか申し訳ない気がするが、やはりほとんどが「はてな」コミュニティからくる。 上のtogetterもそうだが、なかなか工夫されていて、英語人などはバカなので、あんなに手がこんだ中傷は思いつかないのではなかろうか。 なぜ「はてな」が非生産的な「知的営為」の温床になってしまったのかは判らないが、やはり、なにか理由があるのでしょう (←当たり前) もともとものすごく日本的な「民主主義」を真摯に理念を掲げている人が経営しているようなので、会社の問題であるよりも 、そもそも傍目には全体主義者の集まりが個人の不自由をめざして民主制度をやっているようにみえなくもない日本的な「民主主義」のほうに問題があるのかもしれません。 もうばれている、フォローされてもぜんぜん嬉しくない、なんだかものすごくええかげんなフォローする人の選び方でわかるとおり、 ツイッタの使い方がヘンで、検索が主です。 まさきさんの26000アカウントにはかなわないが、ブロックが多い。 英語の場合は嫌なことを言われると北村透谷が描く純潔な乙女(なにを笑っておる)のように傷つくのに較べて、日本語では、たいていは、ぬはは、ヘンな奴ですんでしまうが、機嫌がわるいとき(例1:そろそろ眠くなってきている 例2:風邪の前駆症状がでている)には、むかっぱらが立つ。 観るといやなので、ずんずんブロックしてしまう。 ついでに、そのあたりの回りの人も、とばっちりでブロックされる。 傍迷惑だが、あたり一面みえるものは全部ブロックしてやる、ということもおおむかしにはなくもなかったので、そういうことも、むにゃむにゃする。 自分の名前でツイッタを検索するのは、日本語では特別に悪い自己意識過剰な行動ということになっているらしい。 … Continue reading

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Guillem

犬さんと猫さんがハイタッチをしているのを見たことがある。 ペットを長い間飼っている人はみな知っているように、犬さんや猫さんには 秘密の生活、じーちゃんぽくカタカナでハイカラに述べるとシークレットライフがあって、ほんとうは人間の言葉などは全部理解していて、人間は自分が賢いとおもっているときがいちばん幸せであるのを察して、人語を解さないふりをして、飼い主のほうがほんとうはバカなのだけれど、顔を立ててあげているのに ときどき油断して、犬猿の仲の役を演じるのを忘れて、犬と猿とで湯船に浸かって、まったりしていたり、犬と猫とでハイタッチをして、二階の窓から一面の月の青い光で彩色された外を眺めていた大庭亀夫に目撃されてしまったりする。 人間もハイタッチをする。 ほんとうはhigh fiveって言うんだけどね。 人間がやることはいつもどこかが間違っていて、だから日本語ではハイタッチ。 モニさんとぼくとで、ハイタッチ。 新しい仲間ができるというのは、なんて素敵なことだろう。 きみのおとーさんのLukeが教えてくれたので、 眠っていたモニさんを起こして、ニュージーランドは朝の4時なのだけど、 小さい人びとも起きてしまって、みんなでお祝いをしているの。 そのfizzyな飲み物はなにかって? きみのおかーさんのAida(Aïdaかな、今度おとーさんに訊いておかなければ)さんの国の飲み物でカバっていうんだよ。 カバ、だとさ、hipopotamusみたいだけど違うんだ、Cava モニとぼくは、きみのおかーさんが生まれて育ったカタロニアという国が大好きで、特にそのなかでもバルセロナという町が好きで、そのバルセロナとほんとうはむかしは別々の町だったグラシアという小さな町があって、そこに、小さなピソを持っているの。 あんまりオカネモチがいない丘のうえの、買ったときは知らなかったけど、バルセロナでは夏は暑いのでぜんぜん人気がない建物のてっぺんの階で、遠くにぼくとモニが大好きなサグラダファミリアが見えている。 なんだかおおきすぎてマヌケな感じの、アパートの床面積と同じくらいおおきなテラスが付いていて、モニとぼくの魂は、きみがこの世界にやってきたと聴いた瞬間にそこに飛んでいって、テラスにパンコントマテと頭がつるりんと禿げた、ほんとうは人間じゃなくてもののけなんちゃうかしらと時々訝られるほどひとのいいおっちゃんがやっているハモン店から買ってきたハモンセラーノで、きみの到着を祝って乾杯してる。 新しい仲間が来た! それを祝わない人間なんていないのさ。 きみはがっかりするかもしれない。 なんてひどい所に来てしまったのだろう、と思うかも。 きみは、もうこんなところにいたくない、と思うかもしれない。 nastyな人間ばかりで、とても耐えられない、と思うかも そういうときは「流れ落ちる水」に手を浸してみれば良い 自分のピソの蛇口でもいいし、バルセロナの広場ならどこにでもある、彫刻の口から水がでてくる、公共水でもいい。 太陽の光のなかで、流れ落ちる水をみる。 それから、そっと、手のひらを水のなかにさしいれてみるといい。 水はきみの皮膚にふれて、きみの皮膚は水を弾いて、流れてゆく記憶のようで、きみにこの世界に生まれてきた意味をおもいださせてくれるだろう。 きみは、この世界を「感じに」来たのだもの。 きみには「魂」がある。 きみのおとーさんには、もっとでっかい魂がある。 おかーさんの魂は、もしかしたら、きみもおとーさんも包んでしまうくらいおおきいかもよ。 魂は物理学の法則に反した永久動力で、エネルギーに満ちていて、なくなるということがない。 ぼくの同族に、スウェーデンボルグという変なおっちゃんがいてね。 この人は千里眼だったり、神様の教会と大げんかして自分が生まれた国にいられなくなったりして、すごおおおく変わった人だったんだけど、 自分の身体から魂を分離できる人だった。 めんどくさい肉体はワードローブにおきぱなしで、チェックインラゲジなしで、 天国や地獄へ自由に通行できたんだ。 … Continue reading

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空をみあげる若い人への手紙

「僕は2万6千アカウントほどブロックしてるから、ブロック数でガメさんにきっと勝ってる」 という、きみのツイートを見つけて笑ってしまった。 とても、きみらしい、と考えた。 そう言えば、まさきさんは、(←いつのまにか名前が書いてあるので呼びやすくなった)どのくらいフォロワーがいるのだろう、とおもってみたら 「269」とあったので、これもきみらしいとおもって、また頬がゆるんだ。 以前は1000になるとアカウントを閉じて、200くらいでまたこそこそとやってたんだけど、いまはめんどくさくなって、6000だかなんだかで、きみのアカウントをみて、ちょっと恥ずかしい感じがした。 なぜ「恥ずかしい」と思ったか、理由はわからない。 戦争法案が国会でどうなったか知らないけど、多分、この記事を書いている時間には国会を通過しているのではないかと思います。 日本政府は、これまでもブログで何度も書いてきた理由によって戦争への道を歩き出すだろう。 民主制度は欲に駆られた国民によって簡単に全体主義の道具になる。 ナチのような独裁は「動脈硬化を起こした民主制度」とも言えて、独裁は常に民主制によって選択される。 きみの国の政府の人達と話してみると、明治時代の治外法権や関税自主権の回復のような気持で「戦争ができる国家」になることを望んでいるんだね。 敗戦によって失われた権利を回復する、という感覚であるようでした。 ドイツ人たちとの会話と較べて、「ぜんぜん反省してないな、こりゃ」と可笑しかったけれど、きみにとっては笑いごとではないのは当たり前なので、慎まなければ。 「外国の反応」というようなものは、ないとおもう。 ツイッタにも書いたように自分達の息子や娘に代わって、あんまり近しい感じがしない国の若い人が死んでくれるのは、残酷なようでもやはり「嬉しい」ことだからです。 世界の国のひとびとは戦争にうんざりしはじめていて、国家の運営者にとって、さらに怖いことには、徐々に「国家」そのものに国民がうんざりしはじめている。 ぼくが生まれた国には、むかしでもたとえば美容師なら美容師という職業の人をオーストラリアと連合王国の両方で職業生活をさせてみて、「どちらの国が好きでしたか?」というひどい番組があるが、その程度の気楽さで、 ぼくのクルマの面倒をみてくれていたチーフメカニックも、給料が安いのと会社のオーナーとレストランで会ったら、「ここはお前のような人間が来るところではない」と言わんばかりにシカトされたのとで頭にきて、転職したが、転職のCVを出してから相手の会社がオーストラリアのブリスベンにあるのに気がついて、 採用の通知がきたので、そのままオーストラリアに移住してしまった。 「国」という概念がどんどん曖昧になって、なんだかひどく適当で、いつか連合王国でないニュージーランドのパスポートでヨーロッパに行ったら、 パスポートコントロールのおっちゃんが入国スタンプを忘れて、慌てて気がついて引き返さねばならないほどだった。 もう国権国家の古い外交手段である「戦争」にどこの国の人間も懐疑的になっている。 そういう時代に、他国の権益を守るために「列強クラブ」の由緒ある一員として肩肘を張りたいばっかりに、自分の国の若い人間を戦場に送ろうという法律をわざわざ強行採決するのだから、マヌケなくらい時代に逆行しているというか、笑い話みたいだが、現実に戦場へ送られる世代のきみとしては、検索してみると、ツイッタで「60年安保ほどもりあがってない」「70年安保を知っている自分としては、くだらないとしか思えないし、関心もない」と述べるおっちゃんたちと異なって、のんびり構えているわけにはいかないのでしょう。 民主主義、という「主義」は世界のどこにも存在しない。 民主制度というものがあるだけで、この不完全きわまりない制度が、利益と利益の直截のぶつかりあいである政治という難しい、本質的に粗野な分野では、「ダメななかでは最もマシ」なので自由人が多い社会では、この制度を採用している。 もちろん通りでのデモや議場外の弁論によって、かろうじて自由社会を維持できる程度のボロい政治装置です。 ただ選挙をやって選ばれた議員の多数決で機能すると思う人は世界中さがしても滅多にいないだろう。 賛成の人間は白い石を置いて、反対の人間は黒い石を置く。 初期の議題はたいてい戦争をするかどうかで、いったん戦争をやると決まれば、反対の人間も、市民としての名誉にかけて戦うことになっていた。 注意して欲しいのは、ギリシャ諸都市で民主制が出来たときに論じられた「戦争」はペルシャが攻めてくると決まってからの防衛戦争で、戦わずに膝を屈してペルシャの奴隷都市になるか、戦って、多くの死者をだしても自分たちの自由を守り抜くかで、ギリシャ人たちは、自分たちの数十倍の敵と戦って自由を守ることを誓った。 それでも、半分に近い人は「死んだら自由もなにもありゃしない。勝てるわけのない戦争をするなんてバカげてる」と宥和策に投票したんだけどね。 テルモピレーでは「自由人による全体主義」というちょうどいまの日本と反対の構造の国家をもっていたスパルタ人が全滅することによってペルシャ軍をくいとめた。 衒学的な人間が7000対20000以上、と言いたがるこの決戦は、実情は伝説のほうに限りなく近くて、 300人のスパルタ人と210万人のペルシャ軍の戦いで、自由人社会としては感心できない点がたくさんあったスパルタの社会が、いまでも自由を守り抜いた人々として尊敬されているのは、この戦闘に拠っている。 でもスパルタ人は、戦争を誤解しはじめてしまったんだよ。 彼らは攻撃的戦争と防衛戦争の本質的な違いを理解できなかった。 詳しいことはめんどくさいから省くが、彼らは防衛しかしない約束だったはずなのに、すっかり忘れてしまって、味をしめて、侵略戦争に移行していく。 その結果は、もちろん、国家の破滅だった。 いまは一定期間後に機密文書が公開されるので、日本に巨大な軍隊を駐留させたアメリカ政府の意図は、もともと日本の防衛ではなくて、戦争好きで知られた国民を抱える日本の好戦勢力ににらみを利かせるためだったのが判っています。 … Continue reading

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ギリシャ経済危機を見て考えたこと

“When the P.O.U.M. joined in the disastrous fighting in Barcelona in May, it was mainly from an instinct to stand by the C.N.T., and later, when the P.O.U.M. was suppressed, the Anarchists were the only people who dared to raise a … Continue reading

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