Monthly Archives: August 2015

波打ち際で

ポートモレスビー攻略戦に容喙した辻政信参謀が地図上の進発地点から、まっすぐな線をポートモレスビーに向かってすっと引いて、これが最短距離なんだからこれでいけ、と言ったという話は有名であると思う。 現実のニューギニアのジャングルのツタは鋼鉄のようで銃剣で切り開けるようなものではなく、平地の行軍速度でも不足が計算された日本軍の食料はみるみるうちに底をついて、原一男のドキュメンタリ「ゆきゆきて、神軍」 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Emperor%27s_Naked_Army_Marches_On で証言される、戦友を殺して肉を食べねば生き残れない地獄の戦場になってゆく。 ポールブレマー https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Bremer がイラク占領統治で犯した過ちは、日本帝国陸軍が繰り返した「現実を無視した観念作業」による失敗と、とても良く似ていた。 戦争で破壊されて荒野に限りなく近づいていたというか、水道も下水も電気も、ほとんどすべてのインフラストラクチャーが破壊されたバクダッドのなかで、ゆいいつ、冷房まで完備された通称「the Green Zone」の城壁に囲まれた一角で、ちょうど骸骨のようになりながら半裸、あるいは全裸で大量の餓死者をだしながら潰走する帝国陸軍の兵士の悲惨になど気にもかけないでミートキーナで日本酒の瓶を並べ芸者をあげて遊興に耽っていた牟田口廉也将軍を連想させる、快適な日常を過ごしながら、よくもまあここまでと言いたくなるほど、現実にそぐわない、バース党が解体されたあとの政治的真空を、定規で線を引くようにスンニ支配をシーアとクルドで入れ替える計画を次々に打ち出して、次々に混乱を生み出していった。 Jay Garnerのようなイラクの現実をよく知る専門家たちは計画書を見た瞬間に、その計画から生まれるのがイラクとシリアの崩壊と一般の人間たちに降りかかる業火であることを見て取って、その空想的な復興プランのあまりの無責任ぶりに激怒する。 やはりイラク/シリア専門家のCIA幹部と連れだってブレマーに対して諫言しようと試みるが、ブレマーは説明を聞くことを拒絶したうえに 「Look, you don’t understand. I’m not asking you,I’m telling you. This is what I’m going to do.I’m not asking for your advice.」 と普通には信じがたい傲慢な言辞を述べて、彼らを追い出してしまう。 極端な言い方をすれば、いまのシリアとイラクの混乱は、この瞬間に生まれたと言ってもいい。 あんまり言いたくもないことだが、付け加えると、後年、インタビューのたびにこのときのことを聞かれて「忙しい身だったので、おぼえてない」と、この人の特徴の「人好きのする笑顔」を浮かべながら答えるほど、この人は無責任な男だった。 占領計画の第一号、いわゆる「CPA Order … Continue reading

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The Ghost Society

ちょっと変わった話をしようと考える。 こういう話です。 軍事オタクの人は、数字が読める人ならば、日本はアメリカに物量で負けたというが、それにしても計算があわない、と考えたひとがいるはずであるとおもう。 もう何回か書いたようにアメリカにとって主戦線はヨーロッパで、ここにはブラックドラゴンと呼びたくなるような、規律が行き届いて、他国の軍隊と較べてずば抜けて強いナチがいて、しかもヒットラーの素人軍事オタクらしい読みの甘さから二正面作戦に陥る失敗から守勢にまわったあとでも、今度はスターリンの欧州支配を避けるために、侵攻速度を速めなければならなくて、ますますおおきな国力をこちらのほうに傾けなければならなかった。 したがって太平洋戦線は海軍を主戦力として日本を圧迫しておけばいいだろうということになって、陸軍は装備も二流、師団も訓練がなされていない師団を太平洋にまわして戦うことになった。 その、万事あとまわしの第二戦線の敵国だった日本から見ても圧倒的な物資で、戦争後期になると冗談じみた数の航空機や空母の数になってゆく。 実際、数字をじっと見つめていると、ドイツ側と較べて、あんりぃー?と思うくらい数字が巨大になっている。 ‘Rosie the Riveter’という。 デトロイトの工員がモデルのポスターで、B24リベレーターを作っている工場の人だが、この工場は工員が殆ど全員女の人達だった。 日本の、もうどうしようもなくなってから「女の手も借りたい」で動員された女子高校生の非熟練工とは異なって、中核は戦争の前はフォード自動車を生産していた熟練工たちです。 十代の非熟練工を動員した結果、ひどい品質低下に陥って、スペック通りの性能がまったく発揮できない兵器を量産した日本側と異なって、大量に兵士を訓練する一方で、というのは、つまり男たちを生産力から大量に戦場へ移動させても、経済成長が低下するどころか高成長に移って、特に工業生産が飛躍的に伸びていったのは、要するに、女の熟練工たちの力でした。 あわない数字の種明かしは割と簡単で、優良な「アーリア人種」の子供を量産することが役割だったドイツ人の女の国民や、もともと何も社会的な能力を期待されておらず、良い「軍国の母」であることだけが期待される役割だった大日本帝国の女のひとびとと異なって、アメリカでは生産力は当時すでに確立されていたマスプロダクションのシステムを動かす女工員たちが中心だったので、同じ人口なら単純に2倍の人的資源があったことになる。 ドイツも日本も、一面では、自分たちのジェンダー偏見によって戦争に敗れたのだといえなくもない。 日中戦争を描いた三部作「戦争と人間」には、灰山浩一という画家が出てくる。 兵卒として徴集されてノモンハンの戦場で片腕を吹き飛ばされた挙げ句戦死する。 あるいは画家をめざして大阪で働きながら学んでいた水木しげるも、一兵卒として徴兵されて、南の島で片腕を失う。 ノルマンディ上陸からVEデーまで、一貫して大活躍して、戦線から戦線へ引く手あまたで、部隊としての行軍距離が連合軍中最大だった第23特殊部隊は、その大きな軍事上の効果から冷戦終了まで存在が秘匿されていた。 世の中の人が存在を知るようになって、その対ナチ戦争で果たした役割のおおきさに驚いたのは、多分、2013年にPBSがつくって、繰り返し放送される大ヒットになったドキュメンタリ 「The Ghost Army」 http://www.imdb.com/title/tt2649274/ が初めでしょう。 イラストレーターや画家の卵、若いデザイナー志望の若者たちをアメリカ中から集めたこの部隊は、大規模な「ニセ軍隊」をつくるのが役割だった。 実物大の戦場ジオラマだ、といえば、軍事オタクのひとびとはピンと来るかもしれません。 ゴム製のM4シャーマン戦車やM3ハーフトラック、M114榴弾砲に至るまで、本物そっくりに手作りで作り上げて、ゴム風船の兵士までつくった。 いま画像をみると、ブルドーザを使って戦車が走り回る轍まで地面に描いてあって、文字通り芸術的な出来映えです。 この視覚的に本物そっくりの大部隊を作っておいて、音響車を使って、エンジン音や、 「そこのマヌケ!煙草の火を消せ!バカかおまえは」というような鬼軍曹の怒鳴り声まで流されて、ドイツ軍は、ヨーロッパ戦線の至るとこで、すっかり攪乱されてしまい、連合軍の攻勢点を誤解して、見当外れの場所に防衛力を集中してしまう。 いったい、この人は何の話をしたいのだろう? と、クビをひねっているきみの姿が見えるようです。 実は「集団作業」の話をしている。 The Economist、 Financial Times、Newsweek.. さまざまな英語メディアが記事や論説として書いているのに日本語メディアが一貫してシカトしてきた外国人たちからの日本経済低迷の原因の指摘に日本社会の「激しい性差別」がある。 なぜ人口の、文字通り半数を占める女のひとたちを日本経済の回復力として採用しないのか? こういう記事に対する反応は、だいたいの場合、 … Continue reading

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糾弾的知性について

戦争や内乱についてのまともな報道が可能だったのは、アメリカにおいてはベトナム戦争、連合王国ではビアフラくらいがだいたい最後で、有名なメディアの破壊王Rupert Murdoch https://en.wikipedia.org/wiki/Rupert_Murdoch がTimes と Sunday Timesを買収し Don McCullinがフォークランド戦争に出発する空母HMS Invincibleへの搭乗を英国政府によって拒否されたときに、だいたい戦争ジャーナリズムは生命を終えてしまった。 そこからあとの戦争報道は、ひどい言い方をすれば社内見学のようなもので、もちろん戦場だから生命の危険はあるが、自由に歩き回るということは許されなくて、軍が「見せてもいい」と判断した範囲を移動して「良い写真」を撮る、記事を書く、といういまのスタイルに変わった。 いま、たとえばDon McCullinが撮った、戦車にぺしゃんこにされた敵兵の死体、戦闘の巻き添えになって無惨に蜂の巣にされたパレスティナの少女の原型をとどめない骸、というような写真をみると、印象された画像の質の違いにぶっくらこいてしまう。 有名なシェルショック(敵の砲撃の恐怖で精神錯乱に陥ることをシェルショックといいます)に陥った兵士を正面から撮った写真 にDon McCullinは、 「正面から何枚もゆっくり撮っていたわたしに気づきもしないで、この兵士は撮影されているあいだ瞬きひとつしなかった」と証言を付けている。 あるいはビアフラの独立宣言に原因して、150万の人が飢餓と病で死んだビアフラ戦争で撮った飢えた母子の報道写真 に、 「もちろん母乳は出ませんでした。この年齢を訊いてみると25歳の母親が65歳の老人に見えました」と短いコメントを述べる。 特にくだくだしく説明しなくても、最近の「戦争報道写真」の饒舌との質的な違いは一見して誰にも了解できるものだという気がします。 どこから、この違いがやってくるかというと、この人の戦争報道でない写真を見ると、比較的簡単に理由がわかる。最も有名な浮浪者のおっちゃんの写真 についてフォトグラファーは、 「それまでの私の人生で見た最も透明で、明るくて、深いブルーの目、(汚れで)固まった髪の男で、ネプチューン(海神)そのもののような人でした」とふりかえる。 写真家のニコンカメラを通して被写体に向けられる視線は、通りのイギリス人に対してもシェルショックに精神が凍結した兵士に対しても、言い方としてよくないかもしれないが戦車のキャタピラに踏みつぶされて平たい肉塊と化した死体に対しても同じで、そこには自分の主張をいったん沈黙させて、かき消して、無音になった精神がものを見るときの静かさがある。 戦争の興奮も、戦場で起きていくことへの激しい憤りも、すべてを去って、ただ「見る」ことに投企した魂の精確さがある。 ミドリ・フジサワ @midoriSW19 さん、という人にツイッタで会った。 ロンドンの、最近はすっかり、のっぺらした、原宿のような、商業主義的に「クール」な街(←口が悪い)になったノッティングヒルに前は住んでいて、いまは(おおぜいの他のロンドン人たちのように)郊外へ越した。 SW19とアカウント名にあるのでWimbledonの近くとおもうが訊いてみたことがないので判りません。 善意の人なので安心して話ができる人です。 言語学を専攻しはじめた息子さんと、たいそう仲良しで、いろいろ教えてもらって楽しいらしい。 もうひとつ、わし従兄弟と東京大学に合格したものの、パスにして、英語圏の大学に進学したという共通点があるようで、なにがなし、親近感がある。 「発言が糾弾的であるところはよくないとおもう」とミドリさんの発言について述べたらわかりにくいようだった、というのが、この記事を書いている理由です。 聴覚に例えると、人間は「他人の話を聴く」状態で、ものを見なければならないので、「他人に対して自分の考えを主張する」ように、ものを見てはならないのだとおもう。 Don McCullinの真実性に満ちた素晴らしい画像の数々 例えば、イギリス人というものがどういう人々かあますところなく伝えている、と言いたくなる、わしの大好きな一枚 は、「何かを見ようとしている目」には見えるものではなくて、ふと目をとおして脳裏に焼き付いた映像でなければ、これほどの真実を含むわけがない。 … Continue reading

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2050年の日本へのメモ_1

戦前の日本帝国の支配層には、国というものが経済規模に従って国家としての行動を決定しなければならないということが、どうしても理解できなかった。 いまで言えば北朝鮮型の軍事国家をつくって、その結果生じた社会の畸形制をすべて「外国のせいだ」ということにして、マスメディアを挙げて対外憎悪を煽ったあげく1945年の破滅に向かって、ほぼ一直線に駈けていった。 「GDPと三八式歩兵銃」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/08/08/arisaka-type-38/ の記事に書いたように、イタリアよりも小さなUS$7.5billiomという、分類すると中進国でしかないGDPで11倍の経済規模を持つアメリカ合衆国に対して宣戦します。 ついでに落ち目の連合王国にも宣戦しますが、「ついで」と言っても、こちらも日本の3倍はGDPがあった。 中国は、いまだいたい日本の2.3倍くらいのGDPを持っている。 日本では「一人っ子政策のせいで年齢構成が早く老化するので、そのうちこける」ということになっているが、なかなか日本の期待通りにこけてくれそうにないのは、中国自体が豊かになるにつれて、たとえばアメリカ人、カナダ人、マレーシア人ということになっているエリート中国系人たちが、どんどん新しい考えをもって中国に帰ってゆくからで、中国はいままでの国家とは違う不思議なやりかたで世界国家としての相貌をもちはじめている。 1929年のアメリカ市場程度の透明性しか持っていない現在の中国市場は、いずれ大恐慌に近い混乱を経験するとおもうが、その影響は、東南アジアや日本のほうがおおきくて、東アジアと東南アジア全体が中国圏になることを加速するだろうとおもわれている。 何度も引用して、ごめんちゃいね、という感じがするけれども、前に 「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/24/hillary-clinton/ に書いたとおり、これも日本では「知識人」のひとびとが「アメリカが太平洋の自由航行権を手放すわけはない」とノーテンキなことを述べているが、 もう2010年という時点では、1941年の国防圏、と言ってわるければ「なわばり」まで後退する準備をすすめていた。 オーストラリア、ニュージーランド、ハワイ、サンディエゴを結ぶ線で、アメリカ合衆国は、中国と比較した自国の相対的な力の低下を意識して、いざとなったら、太平洋では、このくらいしか守りきれないという判断であるようです。 まさか表だって「いやあ、もう将来は東アジアは中国さんにおまかせしますわ」というわけにはいかないので、「鋭く対立」したりしているが、政治だけではなく人民解放軍とのレベルでも、共同の演習を通じて、盛んに意思の疎通を図っている。 アメリカという国は、もともとはひどい外交下手だが、戦後の長い、苦い経験を通じて、大国との外交だけはうまくなった。 人民解放軍と意思を疎通しておかないと、習近平の中南海と対立した場合、 解放軍の政治力が強まってしまうのをよく理解していて、解放軍の軍人たちに理解できるやりかたで「アメリカの戦争思想」を伝えようとしている。 軍人は、あたりまえだが、軍事のプロなので、「いまアメリカと戦争をやっても勝ち目はないな」ということを、人民解放軍の将軍たちは、あっというまに理解してしまった。 中国がスプラトリー諸島に人工島をつくって要塞化しようとしているのは、人民解放軍の「現状ではアメリカに勝てる見込みはない」という結論の直截の結果で、なんだか囲碁を見てるみたいというか、地図をみればわかるが、ここに要塞をつくられるとオーストラリアが戦略域に入ってしまうので、これから先、この人工島を焦点にしてアメリカは中国と対立を強めていくとおもわれる。 視点を変えていうと、アメリカからみると、日本の防衛は二の次になってゆくわけで、もしかすると、安倍政権が、アメリカ軍の部分になる形での日本の再軍備を強行しようとしているのは、そういうアメリカの意思が働いているのかもしれません。 日本の言論人を、見事なくらい「ホンモノ」と「ニセモノ」の2色に浮き出させたシールズは、あらためて日本の「国益」が平和外交方針にしかないことを、国民に真剣に考えさせることに成功したように見えるが、 日本の人の天然全体主義的な国民性から考えて、悪い例をだせばCIAのはねあがり幹部が上海かどこかで日本人をまとめて反日のみせかけで10人も殺してしまえば、あっというまに国を挙げて中国と戦争してくれるので、そういう需要が起きた場合の日本の国論はあんまり心配してない、ということだとおもう。 アベノミクスのおかげで、日本の経済の永久要塞と言われていた「国民個々の預金」を使いはたしてしまったので、日本は経済的には「ふつうの国」になって、これからの経済運営はひどく難しい。 ひどいことをいうようだが日本文明と切ってもきれないゼノフォビアを考えると、移民政策なんてやってもダメなんちゃう?と思います。 尊皇はアメリカ人にやめさせられたが、攘夷は捨ててない。 凍死家の世界では、だいたい日本の財政の寿命はあと4年と言われていて、前はヒソヒソ言われていたが、日本の国民が、戦争で言えば「中入れ」にあたるアベノミクスに乗り出してしまったので、おおぴらに言われるようになった。 どうなるのか判らないが、財務省のページに行って、なんだかものすごいGDP対借金の比をみると、国というのは企業と違って、意外ともつんだなあーという感想しかなくて、いずれにしろ、日本が倒産するときには、あんまり世界経済への影響がなくてすむところまで来てしまった。 日本国内への影響も、この調子なら、もういっかいアベノミクスのようなバカなことを考えなければ、金利が16%程度まで上昇する。US$1が250円程度になる、くらいですみそうで、ホームローンがたくさんある人や年金で暮らそうと思っている人にとってはたいへんだが、それ以外の人にとっては、あんまり影響がないと言えなくもない。 国の倒産は、韓国の例を見れば判るとおり、これまで既得権を持って暮らしていた層にとってはたいへんなことだが平均的な国民にとっては考えるほどの影響はないものです。 ニュージーランドは、その頃は国がうまく倒産する方法がなかったので、ちゃんと倒産できなかったが、アベノミクスに似ていなくもないおもいつきの経済政策をとって、失敗した結果、ホームローンが23%になったことがある。 どうも、これで国ごとなくなるんちゃうかしら、と言っていたが、30年くらいで回復したので、日本人なら、10年もあれば解決してしまいそうな気がします。 国民の資質というものが回復にはおおきく関係するので「なんでも他人事」文化のいまの「オトナ」が去って、20代前半の人間が中堅に育つ時間を考えれば、いま倒産すれば、20年もあればなんとかなる計算になる。 2050年に世界全体が緊急の課題として追究しているのは、おそらく、「アフリカ問題」でしょう。 その頃にはナイジェリアの人口は4億4千万人になって、アメリカ合衆国のの人口よりも多くなっている。 仮に21世紀後半が「アフリカの世紀」になっていない場合は、世界じゅうが、いまのシリア人の欧州への移動どころではない大混乱に陥るのは判りきっていて、その30年+先を念頭に、どこの国も国家戦略を定めている。 中国が世界中で資源を買いあさっているのも、アメリカが「アメリカ帝国圏」を縮小して、内政を固めることに専念しはじめているのも、欧州がユーロの基軸通貨化に失敗したにも関わらず統一経済圏を維持しようとしているのも、すべてすでに視界にはいっているカオスがあるからです。 世界が思考を集中しはじめているのは、国民の半分以上がトイレのない家に住むようなインフラが弱い大国であるインドの人口が世界一位になって、中国の年齢構成が老人大国化して生産性がいまとは比べものにならないくらいさがり、資源が絶対的に不足する2050年の世界で、どこの国も、そこで飢え死にしたり戦死するのが自分の国の国民であってはならない、と考えて知恵をしぼっている。 世界の焦点がアジア太平洋圏から西へ移動して、焦点の中心にくるのがアフリカ大陸で、中東、東はインドまでになってゆくのに応じて、アメリカの側でも、大西洋岸諸都市と中南米へ焦点が移って行く世界では、東アジアは世界の外側で、多分、中国圏として分離した存在になっていきそうです。 … Continue reading

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人権の味

ダラスでいちばんおいしい中華料理屋に行こう、すぐそこだから、 と友達が言う。 テキサス人の「すぐそこ」は50キロくらい先のことが多いが、このときはほんとに「すぐそこ」で20キロくらいのものだった。 皆でテーブルについて食べてみると、おいしかったが、なんだかどこかで食べたような馴染みのある味です。 主人がテーブルに挨拶にやってきたので、どこの料理ですか? 広東?香港?と聞いてみると、 「横浜」という。 はははは。わたしは日本への中国移民の子で、父親は横浜の中華街に店をもっていました。 だから、わたしの「中華料理」は日本風なんです。 餃子も焼売も日本風の味で友達が頼んだチャーハンを観たら、上にグリーンピースまで載っていた。 ひとしきり話をすると、中華街にはシェフがいつかないのだという。 アメリカ人も、あんまり変わらないが、日本の人も舌がたいへん保守的で、毎日毎日、麻婆豆腐にチャーハンに餃子にチャーシュー麺で、しかも中華料理の新しいトレンドを考慮して味付けを工夫すると、「不味くなった」と言われる。 「みんなカナダやオーストラリアに行ってしまいます」とくびをすくめている。 オークランドに来ていちばんよかったのは中国の人に対する、自分でも気がつかずに持っていた偏見がなくなったことだった、と前に書いた。 もうひとつ良いことがあって、なんとなくがさつでおいしくないと思っていた中華料理が、ほんとうはものすごくおいしい料理なのだということが判ったことでした。 日本では赤坂離宮銀座店 http://tabelog.com/en/tokyo/A1301/A130101/13013346/ や、中国飯店 http://tabelog.com/en/tokyo/A1307/A130701/13001954/ 四川 http://www.miyakohotels.ne.jp/tokyo/restaurant/list/shisen/index.html/ のようなところへよく行ったが、「四川」などはニュージーランドのクラウディベイのワインもおいてあって、楽しくはあったが、 おなじエスニック料理でも銀座のタンドリ料理の「アグニ」や あるいは東京ではイタリアの大都市と較べてもパキパキと音がしそうなくらいしゃっちょこばった味だが水準が高いイタリア料理屋に足が向かって、それほど頻繁に出かける、というふうにはならなかった。 ほかの街で中華料理を食べるのは、バルセロナにも、ディアグノルにおいしい店があって二回ランチを食べに行ったが、あとはマンハッタンくらいのもので、カナルストリートを歩いて食べにいく中華街も、雑誌に出ているほどおいしいと考えたことはなかった。 まして、モニさんと結婚してからは、おデートをかねて外で食べることが多いので、食べ物をつくるのは上手でもおデートのおムードをつくるのは下手な中華料理屋にでかける頻度は、ぐぐぐっと減って、日本では、なんだかクラブの食事でなければ、イタリア料理やフランス料理ばかり食べていた。 むふふふ、な理由で広尾山の家にもどらずにホテルに泊まって、「家のこと」がいっさいない週末をおくるためにルームサービスですます、ということも多かった。 味が下品である、というのがアメリカや日本で中華料理を食べた感想で、わずかに赤坂離宮銀座店だけがややまともで、なんだかイタリア料理店や天ぷら店、割烹のあえかな味に較べると数段落ちる、というのがわしの頭に静かに無音のまま定着した偏見だったようにおもいます。 ところがオークランドに住んでみると、マンハッタンやクライストチャーチなどとは全然比べものにならないくらい中華料理がおいしいのを発見する。 初めにぶっくらこいちまったのは餃子で、もうなんどもブログで書いたが、 日本では「焼き餃子は中国にはありません」とひとに習ったのに、ぜんぜんそんなことはなくて、焼き餃子、蒸し餃子、ゆで餃子、揚げ餃子となんでもあって、形もまるこくて小さいのやバナナみたいなのもあれば、四角い鍋貼もあって、皮が厚くていかにもパスタふうなのもあれば、うすううういパリパリの皮で、パリパリを楽しんでね、というのもある。 中身の餡も豚肉と白菜、豚肉とにら、豚肉とコリアンダー…に始まって、ラムと白菜のようなラムのものまでバラエティがある。 へええええ、とおもって、モニさんは、あんまりアジアの食べ物は好きでないので、ひとりで家の人に買ってきてもらったテイクアウェイをおやつに食べたり、ちっこいクルマにクマのように身を屈めて乗り込んで、ときどき指さして笑う失礼な人までいるスタイルで運転して食べにいくと、たとえば胡麻ソースと和えただけの麺や、油と和えただけの麺、福建省の「パイ」や、なんだか四角い炸春巻、どれもすごおおおくおいしくて、いったいいままで「中華料理」だと思って食べていたのはなんだったのだと考えました。 中華料理に、文字通り味をしめて、観たことがない料理は全部食べてくれるわ、と考えて、スリランカ、インドネシア、韓国、マレーシア、ノニャ、フィリピン、.. と手当たりしだいに食べていくと、移民人口がおおきいからでしょう、どれもオーセンティックでおいしかった。 微妙に本国の料理と異なっている、というのは想像がつく。 自分が知っているもので較べれば想像がつくからで、モニさんに外で食べるのは二度としないと言われてしまったフランス料理やベルギー料理もそうだが、おにぎりを観ればわかる、通常鮨チェーン店で売っているおにぎりは、だいたいソフトボールくらいの巨大な球形で、みるからにおそろしげな炭水化物爆弾の様相を呈しているので買ってみたことはないが、見ただけでもう不味そうというか、いくらやってみようと考えても実際に買ってみるコンジョがでない。 ローソンで売っているような三角むすびが、あのままの包装で売ってある店もあって、たいていサーモンとツナです。 ツナは缶詰のツナをマヨネーズで和えてあるもので、多分、誰かが日本に遊びに行って味をおぼえて、自分でおいしかったものは他人も好きだろうと考えてつくっている。 サーモンのほうは、オダキンに笑われてしまったが、巨大なナマのサーモンが入っていて、全体として思想として誤っているというか、三角にして海苔で巻いたインサイド寿司、というような様相を呈している。 … Continue reading

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ノーマッド日記21

浜辺のベンチに腰掛けて、キッシュをふたつに割って半分ずつ食べたら、モニが「仲の良いおじいさんとおばあさんの夫婦みたいでいいね」と笑う。 見返ったぼくはなぜモニが微笑っているのか、もう忘れていて、ただ笑顔のうつくしさに見とれている。 ボケ老人みたい。 楽しいときがあって悲しいときがあって、がんばってみたり、めげそーになったりしながらここまできた。 海岸の遊歩道を歩いてゆくひとびとは、自分が生まれてからいままでに出会ってきたひとびとのようで、自分の個人の歴史がぞろぞろ歩いて移動しているような気持ちになる。 前にアスペルガー人とゲーマー族について書いたが、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/10/09/asperger_gamers/ クライストチャーチに銅像が建っている、南極点からの帰り途に死んだ探検家ロバート・スコットはアスペルガー族で、「南極に到達する意味」に徹底的に拘泥した。 重装備の科学機材を最後まで捨てず、そのために遭難する。 その探検隊の、科学的意義に細部までこだわる厳格な雰囲気は、ぼくが子供だった頃に夢中になって読んだチェリー・ガラードの「世界最悪の旅」 (Cherry-Garrard, The Worst Journey in the World)に詳細に描かれている。 数少ない探検隊の生き残りだったガラードの文章には、人間の一生に意義を見いだそうとする人間たち特有の、融通のきかなさ、超人的な忍耐と勇気、誇りのために死のうとする決意、さまざまな人間の特性が凝縮されて表出されている。 スコット隊と南極点到達を競争して楽勝したロアール・アムンゼンのほうは、典型的なゲーマー族で、与えられた「極点到達」に必要のない探検要素、装備や思想は徹底的に削ぎ落としてしまう。 科学的な学術調査などには目もくれず、軽装備を犬橇に乗せて、投機的な最短ルートを選んで、さっさと極点に到達して帰ってきます。 もちろん探検家としてはアムンゼンのほうがスマートで正しいが、なんども両者が残した記録を読んで、子供わしはやはり人間はスコットなければならないのだ、と考えたことがあった。 アムンゼンじゃ、ダメなんだよ。 なぜかは、わからないが。 人間が生きてゆくというゲームの勝者たるには、法律や規範や、あるいは道徳を含めてすらルールを守るだけではダメで、自分が自律的に課したルールによっても制約されなければならない。 知的世界の地面に顔を近づけて、頭から、どんどん垂直に掘って、ついには、空中で逆立ちした足をばたばたさせながら、ときに上半身が自分が掘った立て穴にはまって窒息死するに至るアスペルガー人たちは、ほっておいても、自分に自分の特製ルールを課してしまうので心配する必要はないが、子供のときから、体積を問われた正四面体を見た途端に、その一辺を各面の対角線としてもつ「さいころ」を思い浮かべて、計算することすらなしに正四面体の体積をものの1秒もかからずに答えてしまうタイプの知性をもつゲーマー族にとっては、人間の一生は、つねに表面が滑走可能なつるつるしたものになりうる。 モニに会わなかったら、いったいどんな一生を歩いていただろう、と考えると腋の下に冷たい汗をかくような気持ちになる。 ぼくは次々にステージをクリアして、もうすっかりゲームに飽きているのに、画面の左上で、後ろでプレイ画面をのぞき込む人達がどよめくほどの桁になったクレジットと、勝利の惰性で、最終ステージがプレーヤーの自身の死でしかないゲームを遊び続けていたのではなかろーか。 こうして見上げている空には意味はないし、今日はずいぶん潮流が速い海ももちろん、ただ意味性とは何の関係もなく「そこにある」だけなのに、人間だけが、一瞬間も休まずに考えて、鬱勃した気分に落ち込み、晴れ晴れとして昂揚した気持ちになり、自分がやっていることの意味を考え、自他の行動の細部までを点検して、評価していく作業をやめない。 自分が生きていく意味はなにかと自分を問い詰め、無数にある「自分自身」から、ひとつを選び取って、ドアを開けて、深呼吸をひとつしただけで、跳び込んで行く。 でも、それをさ、とモニの眩しい笑顔を見ながら考える。 むかしは、ひとりでやってたんだよ。 なんだか信じられないことだけど、ぼくは、ひとりで、 ひとつのベッドで隣に誰かが眠っている週末でさえ、 たったひとりで、自分の、個人には支えられる限界にまで育った巨大なこの宇宙への意識や、どんなに単純化しようとしても、どうしても迷宮の複雑さが残ってしまう世界と交渉しなければならなかった。 振り返って考えてみて初めてわかるのだけど、もう、あのときが限界だったに違いない。 ラスベガスで大負けに負けて、赤い砂漠の岩の上で、仰向けに寝転がっていたぼくは、自分の真上に広がる大空を、もう見てはいなかった。 ただ背中の岩の灼熱を感じていただけでした。 寒いから、もう行こう、とモニが述べて、ふたりで紙袋とソビエをゴミ箱に捨てて、海辺の道を、ふたりでモニのクルマまで歩いていった。 いつのまにか遊歩道には人影はなくなっていました。 もうすぐ、春になる。

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日本語メモ1

考えてみると、最後に日本に行ってから5年経っているので、もう日本のことがちゃんと思い出せなくなっている。 細部などはみな消去されてしまっていて、ときどきツイッタで紹介されている画像をみると、空が綾取りの糸のようにたくさんある電線に幾十にも分断されていて、こんなにすごかったのか、と感心する。 もっとも1999年に、5年間日本に行かなかったあとで、日本に行ってみたら、歩いている人がびっくりするほど小さくて(←チョー失礼)、頭のなかではもっと背が高いひとたちの国だったので、日本という国全体が縮んでしまったような、不思議な気持ちになったことがあった。 いま書いていて初めて気がついたが、あれはきっと子供のときの記憶が自分の意識からは見えないところで作用して、視点の高さかなにかで、日本人はアジア人のなかでは背が高い人たちなのだと思いこんでいたのだと思う。 日本との関わりは、ほぼ純粋に「日本語」だけになってしまった。 日本語が母語の義理叔父や従兄弟とも、ふだんは英語で、ときどき日本語を混ぜてふざけて話すが、義理叔父が酔っ払ってスカイプで日本語で話しかけてくるとき以外は日本語を話し言葉として使うことはない。 ヒマさえあればブログやツイッタで年中メンテナンスをするが、口語と話し言葉は異なるのは当たり前で、どうも、いろいろなことを言いやすくするために工夫した大庭亀夫式日本語が、ますます特殊になって、話者がひとりしかいない日本語から分岐したガメ語みたいになっているのではないかしら、とおもうことがある。 日本語のおもしろさは、未完成な言語の面白さで、たとえば20歳の人間の言葉で話すと、この世界のさまざまなことについて、うまく話せない。 誇張した言い方をすると、深刻な事柄については20歳の日本人は言語表現的に遮断されていて、たとえば鈍感な若者は「青春の悩み」と言えても、肝腎の言語に鋭敏な感覚を持つ若者は「青春の悩み」という陳腐な言い方で、自分が表現したい深刻な感情を表現できないのは判りきっているので、そこにきて、自分には自分の最深部にある切羽詰まった感情を表現する言語がないことに気がつく。 20歳の人間がもたされているのは「役割語」で、典型が、あの薄気味の悪い「ぶりっ子」語だろう。 日本の社会では、若い女の人は、ほとんどの場合、性的興味の対象以外としては居場所がないので、めんどくさくなってしまえば、おっさんたちや、若い男の目のなかの自分を想像して、その役割を演じてしまう以外には楽ちんに暮らす方法がない。 ちょっと気を落ち着けて考えてみれば判るが、日本語では若い女の人の言葉では、多分、世界の3割も表現できなさそうであるとおもう。 ツイッタで、そのことを述べてみたら、女のひとびとから、 「女の子は、頭のなかで考えているときには女言葉を使っていない」と言われて、ぬわるほど、と考えた。 長年の疑問が解決されてしまった。 あの、表現がむやみやたらと制限された言語で、考えているのに、日本の女の人がたいていは社会の標準よりも高い認識力を示せるのは、思考において女の言葉を使っていないからなのでした。 明治時代にも、日本人は日本語の喪失によって、認識の世界で路頭に迷った人の集団のように蒼惶となって放浪した。 北村透谷の評価が低いのは、ちゃんとした言語感覚があれば判るが、言葉の意味や含まれている情緒がいちいち現代日本語からずれているからです。 言語的な天才であったらしい二葉亭四迷や、もともと詩人であったせいで、返って「散文」を意識して観察を精確に描こうと志した島崎藤村が日本語を建設して、 まだ江戸言葉だった下町の出身で、中国の人がぶったまげるような漢文を書く能力をもち、英文学者でロンドンにも滞在する、という経歴をもつ夏目漱石が日本語の規範をつくった。 知っている人には説明されるのも鬱陶しいとおもうが、この人は「木曜会」というものを持っていて、寺田寅彦、芥川龍之介や内田百閒、野上弥生子のような「日本語表現の名手」は、みな木曜会のひとびとだった。 もうひとつ教科書的な事実を述べれば、森鴎外という当時のエリート軍人が、「翻訳調」の日本語のドアを開いた。 二葉亭四迷は天才すぎて、翻訳が翻訳にならずに日本語になってしまったが、森鴎外の便利な話し方は、文体が途方もなくかけ離れていても、意外や、大江健三郎の話し方に直結しているように見えます。 日本語には言語としての癖があって、表現できない部分をカタカナによって緩衝してしまう。 カタカナ外来語が、それが由来した言語に翻訳しもどすことが不可能なのは、もともと意味できなかったことを漠然とした類似や誤解でカタカナにして置き換えているからで、例えばナイーブでスマートな青年という、観念ではなくて具体的なものごとの描写であるはずの、戦前からありそうな日本語でも、よく考えてみると、なにも意味していない。 日本語の「曖昧さ」とは言語として恣意的に曖昧にもっていける能力もなくはないが、どちらかというと、もともと日本語では表現できない部分からきているのだという気がします。 ずっと前に麻生太郎という政治家が「ナチの手口で」と述べたことがもれてニュースになっていたが、この老人が意味しようとした内容もニュースになるくらいの非常識を含んでいるが、関心を惹いたのは「手口」という言葉の使い方のほうで、「犯行の手口」とは言えても「自分達の政治の手口」とは本来言えない。悪事であると話者が考えていることのみに使える単語のはずで、文脈として、表現が指示したい事柄の内容からずれてしまっている。 一般に安倍政権の閣僚たちの発言は、同じような日本語の誤用が多いのが特徴で、正しく表現されていないのは、不正確な言葉で考えているからだとしか結論のしようがない。 ちょうど日本人で英語を学習した人が、英語で考えて話せるようになっても、「難しい」、つまり表現と語彙が欠落した部分に思考がいきあたると、慌てて母語の日本語に逃げ戻って、日本語で考えてみなければならなくなるのと一緒で、誤表現に満ちた語彙は曖昧で誤った思考しか導かない。 やたらと計算間違いを連発したあげく、月に行くはずが成層圏から地上に落っこちてきてしまった高校生の物理の答案のようなものです。 日本語の外側に立って日本語を観察すると、日本語で表現できる事象は年々範囲がせばまっている。 第一の理由はここまで日本の文明を支えてきた「翻訳文化」で、英語を使って、インターネット以前の、目分量でいうことではないが感覚的にいえば、50倍くらいにはなっている情報量を翻訳という細いパイプでは日本の外の世界から日本語の壁の内側へ運びこめなくなっている。 もうひとつ翻訳は作業の性格が本来「不可能作業」で、もともとは出来ないと判りきっていることを、なるべく目的にかなうように、これも数字を使って表現すれば10%を70%にするように翻訳者が自分の言語的な運動神経を動員して努力しているだけであるとおもう。 言語が本来、他の言語に置き換えられることを拒絶している存在であることは、たとえば小説ならば、誠実な逐語訳につとめればつとめるほど、もとの文章から遠のいてゆく、という有名な翻訳の性質を考えてみればわかりやすい。 翻訳の不可能作業性から来る問題以前に、そもそも英語そのものを理解するのが(多分、文化と言語のおおきな隔たりのせいで)たいへん難しいらしいのは、日本の英語の「専門家」たちが安倍首相の靖国参拝に失望してだしたアメリカ大使館のステートメントに対してみせた、バカバカしいといしか言いようがない反応をみれば判る。英語が母語で日本語が理解できる人間は、当の日本の人たちが想像するよりも遙かに多い数なので、フォーラムを覘いてみたら、ひとしきり日本の「英語専門家」のバカっぷりを楽しんでいたようだったが、日本の文明のことを考えれば、日本の人たちのほうは、そうそう笑っていていいようにも思えません。 翻訳は、本来、ラテン語ならラテン語を母体にして、教養を得ることができなかった階級の人々のために、近縁な欧州語間で言語を変換するために作られた技術で、たとえばフランス語から英語に翻訳するにも、照応する定石が無数に存在して、翻訳で読んでいるほうも実は原語でも十分読める読者が多いので誤解が少ないという事情がある。 それ以外の遠大な文化距離をまたいだ翻訳はArthur Waleyのような度外れた言語的な天才を別にすれば、主に軍事的な理由で開発された技術で、二葉亭四迷のロシア語やドナルド・キーンの日本語は、このカテゴリに属している。 どんな解決があるだろうか? ひとつには「インド的解決」がある。 … Continue reading

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