初めて立てられた柱のそばで

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日本は自由主義社会ではないが民主制はちゃんと存在している、と前に書いた。
司法は、たとえば周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」が痴漢冤罪というおもいがけない方角から浮き彫りにしたように完全に機能しているとはいいがたい。
立件してしまうと有罪が確定するまで警察・裁判所が一体になって協力する「空気」が司法世界でも主流であることを、この映画はよく示している。
あるいは「一票の格差」の問題でみられるように、違憲判決が出たから、だから、それがなによ、という日本の政治風土に伝統的な「憲法軽視」「憲法なんて、あんなものアメリカに押しつけられたルールだから国力がついたいまは関係ない」という「常識」がある。

日本のように社会としても経済体としても国民感情としても全体主義が基調の国では行政が国家の要だが、60年代から80年代初頭までの「formidable MITI」と言われた頃の国家社会主義経済HQとしての質はかなり低下したものの、まだかなり機能している。

問題は選挙で、しかも問題の所在は簡単で「カネがかかりすぎる」ことにある。
謹厳な元内務官僚で、その思考の明晰さから「カミソリ」と言われた後藤田正晴は清廉潔白な人だったが、初めての国会議員選挙への出馬で落選して、自分の選挙スタッフから268人の逮捕者をだして「金権腐敗」と非難された。

それじゃ潔白じゃないじゃない、と笑いだす人がいるだろうが、それがそうでもないところに日本の政治風土の特殊がある。

日本にいるあいだ夏があまりに暑いので軽井沢に夏の家を買ったことには、よいところがあって、この家を起点に、だいたい北は新潟、西は松本くらいまでクルマで出かけた。
この範囲の日本は妙高山にも嬬恋村の高原にもある、ひどくバカげてみえる観覧車や、野尻湖の最も風景がよい場所に傲然と座っている赤ん坊用のトイレをおもわせる巨大な白鳥型のボートというような、日本ではこれなしでは生きていけない「脳内で自動起動されるフォトショップ」さえ存在していれば、世界のなかでもこれほど景色が美しい地域は珍しい。

選挙のときに観察していると、具体的に書くのは憚られるが、田舎の人はたいへんに忙しげで、選挙運動の手伝いで忙しいのではなくて、候補者が開く宴会を駆け回るのが忙しいらしかった。
「あの先生は鯛の尾頭付きだったのが、今年はついてねえし、おまけに封筒にも、たった5000円だから、もうダメだな。勢いがない」と言われた、とやはり長野で地元人と間違われた義理叔父がげんなりしていた話を前に書いたが、
町の「有力者」たちのほうは、盛んに候補者の後ろ盾になっているボスたちに招かれて「昼食」にでかけていた。

ひとりの候補者に何億円というオカネがかかって、国政選挙は日本では一大産業であるらしかった。

これほど公然と、しかも存在しないことになっていて具体的なことになると誰もが「存在しない」と言い張る犯罪は世界じゅうでも珍しい。
みなが罪を共有する、オカネが候補者の頭のてっぺんから噴水になってふきだして全員が違法なカネのシャワーを浴びて、落ちたオカネを争って拾い集めるのが日本の選挙というイベントなのである。

日本共産党は赤旗購読料という自前の選挙資金をもっていて、集票を金権に頼らず、党員の組織票と、政府与党の質が低下すると与党への「絶望票」が集まって議席が増える。
英語人の友達に「日本てコミュニストパーティがまだあるのよ」と教えて、
「上下両院で33議席あんだぜ」というと、腰を抜かしそうな顔になるが、野党第三党といっても、オカネがかからない仕組みになっている。

タレント議員は政党からみれば「巨額現金の節約」で、テレビを中心に顔と名前が売れた人間を候補にすることに成功すれば、選ばれた芸能人に並の知能さえあればーあるいはなくてもー当選する。

問題は中核たるべき元官僚や党人たちで、後藤田正晴始め、元政治家の書いたものを読む限り、たとえば田中角栄の、50年代の東南アジア政治家でも、ぶっくらこいてしまうようなロッキード事件が起きても、煮え切らない態度で曖昧にものごとをつぶやいて「お茶を濁す」のは、日本の現実の政治世界を知るものにとっては、「あれは誰でもやっていること」で、田中角栄は陰謀の標的にされたのだ、という意見もそこから出てくるものであるらしい。

3500円のカツカレーを食べたと非難されても、「だって、きみ、政治家をやっていれば一年生議員だって3500円なんて後ろを振り返るだけでなくなりそうなカネなのに」というのが言われた人間の気持ちだろう。

個人商店の仕入れ程度でも、ちょっと間違えば500万円くらいのオカネはふっとんでしまうので家計簿をつけててもアホらしくなってしまって続かないんですわ、と笑っているおっちゃんに会ったことがあるが、政治家のほうは、それどころではない。

なんだか新聞の投稿みたいなことを書いている。
なぜ、こんなことを書いているかというと、安倍政権が倒れて、石破茂がこれをついで、となっていって、次の総選挙が来たときに日本の人は、どうするだろう、とちょっと考えてみたからです。

日本の現在の社会の混乱のおおきな原因のひとつは日本の人が選挙を通じて打った大博打、「政権担当能力が怪しい民主党を政権につける」という途方もない勇気を要する賭博に完敗して、いわば政治的にすってんてんになってしまい、倒産して、政治も経済も、ひとことで言えばいよいよ滅茶苦茶になってしまって、最後には、現実社会生活の経験がない首相が党内政治力学によって首相になって、おまけにその直前に起きた原子力発電所がぶっとんでしまうという大災害を官民一体になって嘘で乗り切る、という最悪というより神の悪意を感じさせるほどの惨めな結果になってしまったからです。

もう日本の人は、アベノミクスが実は単なる通貨の減価政策で、市中銀行が100%財務省の支配下にあるという日本経済の、いかにも国家社会主義経済然とした特徴を利用して、国債の形で日本人ひとりひとりの個人預金を事実上吸い上げてしまい、国が直截さわれるオカネにして、まとめて市場に投入しているだけの、心理効果に期待した、「幻経済」だと気づいてしまっている。
アベノミクスの考案者達は、もともと産業の復興を考えるよりも第一次政権が日本の戦争国家化を性急に狙いすぎて急速に人気を失ったことを教訓に、どうすれば国民の支持を維持しながら平和憲法を無効化し、日本が外交上必要と感じる「対中国・対北朝鮮」安全保障政策の変更をするための時間を稼げるかを検討して「経済でパーッといきましょう」戦術を採用したにすぎない。
黒田日銀総裁という財務省系の秀才は、その案に、「財政バランスをよくできるかもしれない」という観点から乗ったのだろう。
クルーグマンというノーベル賞のメダルをクビからぶらさげた道化師のようなおっちゃんはギリシャ経済の問題とともに「日本に愚かなアドバイスを与えた罪」でアメリカではレーガノミクス時代の実務スタッフだったひとたちを中心に、ずいぶん非難されているが、こっちは「権威」に弱い国民性を熟知した安倍政権スタッフの知恵であるに違いない。
クルーグマンはもともとジャーナリスティックな遊びが好きなひとでもある。

安倍晋三という人は、むかしから自分の「人気」に敏感な人です。
第一次内閣のときは、ひとつには自国の国民が「カネ」しか考えない下品さであること、もうひとつはいったん人気が落ちると自分をバカ扱いして遠慮なく嘲笑して糾弾することに、ひどく傷付いたようにみえる。
安倍首相の「個人としての立場」に立ってみれば、いかに国民の反応に傷付き、怒り、軽蔑を感じて、国民などいっさい信用しないと決めたか、容易に想像がつく。
安倍晋三内閣に特徴的で顕著な「国民はバカで貪欲で悪意に満ちている」「国民は操るために存在する」という姿勢や、あるいはビル・クリントン以来、アメリカの、特に民主党系では定石になっている「芸能界のプロデューサーの知恵を借りて国民の人気をつくりだしてゆく」手法をコピーしたマーケティング戦略も、第一内閣時代の失敗の原因を分析してとられてものであるのは、ほとんど誰の目にもあきらかであるとおもいます。

ニュージーランドで長期政権の首相をつとめたヘレン・クラークが市民運動出身であることは前にも書いたが、ほんとうは国会前に集まっている人のなかから政治家になる人が大量に出て、民主制は機能する。
だが日本のひとりあたり、どうかすると何億とかかる選挙では、そんなことは望みえない。
第一、選挙自体がオカネの問題、地縁、血縁、組織票の問題がこびりついてとれない澱のような沈殿が放つ鼻をふさぎたくなる臭いのせいで決定的に「ダサい」ものになりさがってしまっている。
滅びかたが日本的、なのかも知れないが、形だけではいくらでも「機能している」と言いくるめられる形を保ったまま、生命は失って機能不全に陥っている。
現代民主制の「選挙、デモ、速報ポール」の3本の柱のうち、若いひとびとの手で「デモ」だけがややよみがえって、選挙はまるで機能していなくて、
速報ポールは、ついに世界じゅうのジャーナリストが(以前からの)失笑を隠さなくなった日本のマスメディアでは、まともなポールを期待するほうが無理です。

日本社会は20年の停滞と、覆えなくなった衰退の苦しみを通じて、おおきく変わりつつある。
遠くから見ていて、最も顕著な変化はいままでの攻撃的糾弾的な口調が疎まれだして、古く感じられて、「議論をしたい」「自分の意見を聞いてもらいたい」という自由社会ができあがっていくには絶対に必須の姿勢が若い世代を中心に生まれてきたことだとおもう。
これだけたくさんの、急進的右翼、体制側、反体制側、リベラル…あらゆる階層の「ガミガミおっちゃん」「皮肉屋おじさん」「軍人口調の軍師気取りおやじ」たちに囲まれながら、まっすぐに自分が保持している自由の主張に向かった若いひとびとの魂は、他国、とりわけアジアの若い世代のなかにおおきな共感を呼んでいる。

前に記事に書いた。
「日本人は苦しいときだから、嫌韓や反中の、少しヘンな方向に向かってしまったのは仕方がないんだよ、ガメ、わたしたち中国人や韓国人の学生は、まだもう少し様子を見るべきだと思ってる。日本人は、バカじゃない。必ず判ってくれるときがくる」と述べたアジア系学生たちの言葉は、おどろくべきことに真実だった。
若い人達は、まだ香港や北京、京城の学生たちと初対面で顔をあわせる前なのに、すでにお互いになくてはならないほど気持ちを通いあわせてしまっている。

民主制が壊れてしまうのが先か、かろうじて踏みとどまって、民主制という容れものが戦後70年間、「国民的情緒」として湛(たた)えてきた澱んだ全体主義に、自由主義の新しい、冷たく透明な水がいれかわっていくか、時間との競争で、
はらはらするような気持ちで見ています。

日本は自由主義化するだろうか?

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4 Responses to 初めて立てられた柱のそばで

  1. ガメさんのおっしゃるように、徹底した全体主義教育を受け徹底的な全体主義社会の中で育ったはずの若い人達の間に、突然変異か何かのように自由主義の萌芽が見られるのは事実です。しかしながら、過剰に異文化や異民族を侮蔑しつつ自国を褒めちぎるような、いわゆる「愛国ポルノ」を消費しているのもまた、同じ若い世代なのです。デモに向かう人達の背中に向けて、そんな彼らが吐き掛ける言葉は次の通りです。曰く、「反政府デモなんかに参加したら公安に目を付けられて就職も出来なくなるぞ」「中核派や革マルの残党に踊らされてるだけの哀れな連中だな」「社会に反抗してるオレかっこいいって思いたいだけなんだろ」

    自分が生まれる前から祖国が既に死んでいたというのは勿論悲しい事ですが、その祖国が復活へ向かう希望が、ただ干涸びた土から顔を出す萎れた芽の一本だけだというのは、更に悲しい事です。現実的に他国へ移住するのが難しく、嫌でもここで暮らして行くしかない者としては、無力感の他に何も感じる事ができません。

  2. midoriSW19 says:

    政治を語る言葉が糾弾的だと指摘されたあとだけに躊躇するのだけど書いてしまう。

    日本が全体主義から脱するには、自由にものを言う喜びやデモクラシーとは何か、あるいは冷笑的な態度の限界を身をもって知った、国会前(というのは比喩的で、全国のどこでもいいのだけれど)の路上に出た若者たちの中から議員を出すことしか道はないと思う。そんなことは不可能だ、ではなくて、そうするにはどうしたら良いかを考えるべきときがもう来ているんじゃなかろうか。

    SEALDsの奥田愛基さんが東京新聞記者の「ポスト安倍は?」の質問に「基本的にいない。野党にも期待できないので、とりあえず自民党内で安倍首相と最も対立している人に首相になってほしい」と答えたのはちょっとがっかりした。ちょっとじゃないな、かなり。民主党は信用できず、どの野党にも期待できないのに、なぜ自民党で良いと思うの。おかしいじゃん。

    2011年にエジプトで大規模デモとオキュパイが発生したとき、タハリール広場に集まった若者たちの声を毎日食い入るようにして聞いていた。あの革命は、後にグーグルの一青年が象徴として祭り上げられたけれど、実際には地元で地道に活動して来た若者グループの労働運動が発端にあった。非常に聡明な若者たち。かれら彼女らは、新政府には加わらないと最初から明言していて、自分たちの役割は野に下って人々にデモクラシーを啓蒙することだとし、実際に革命成功後、各地の工場などで勉強会を開いていた。その時はそれがとてもスマートな選択に見えた。でも今ではその多くが反政府運動の罪状で獄中にあるか、国外脱出したか、行方不明になっている(グーグル青年は昇進した)。既成の権力はしぶとい。ちょっと負けたかと見せて巧みに盛り返す。利用して捨てる事に躊躇がない。

    来年の参議院選までもう1年を切ってしまった。被選挙権が30歳以上なので現役大学生が立候補するのは無理だけど、いっしょに活動している院生や大学関係者、社会活動家のあいだに人材がいるんじゃなかろうか。参議院選は小選挙区制でないこと、インターネット選挙運動が解禁になったこと、選挙権が18歳に引き下げられたことが、資本の小ささをカバーしてくれると思う。クラウドファンドで供託金を募ってはだめなのだろうか。

    かれら彼女らに期待している。とてもとても期待している。

  3. lyptus says:

    亀さんもわがままだけど私もわがままなんだよ

  4. 星野 泰弘 says:

    日本が腐っているのは、政治の部分だけではないように思う。
    守るべき既得権が多くなり過ぎて、身動きが取れなくなってきているように思う。
    もう、どこまでが既得権なのか、どこまでが本当の意味の仕事なのかも不明で、
    わけが分からないけど、大体、昨日と同じことをすれば、同じような給料が出るところがあって、
    だから、とにかくそれを墨守し続けている。

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