英語と太平洋戦争

NS1

カメラに向かって語りかけるRobert Oppenheimerの自分が悪魔になってしまったことを悲しんでいる人間の顔とでもいうような表情を眺めている。

Now I am become Death, the destroyer of worlds.

自分たち物理学者が宇宙から地上に運んできた核というエネルギーが、予想を遙かに越えた、人間には到底制御することが出来ない絶対暴力であることを知って科学の力がどんな箱のふたを開けてしまったかを知った人の絶望がよく出ている有名な動画です。
英語をみると、日本の英語通のひとたちが喜んでいまいそうな英語なのでもある。

日本では稀な「足で調べてまわるジャーナリスト」半藤一利は、編集者としては司馬遼太郎を世の中に送り出したことで有名だが、すぐれた記者で、例えばイギリスびいきであったはずの帝国海軍将校たちが、なぜある時期を境にドイツとの同盟に積極的に動きだしたかについて、疑問をもって、
何十人もの元海軍将校にインタビューを重ねて、ついにドイツ側に若くて美しい女のひとびとを「あてがわれた」からであることを聞き出すことに成功する。

ナチが外交戦術のひとつとして、各国の外交官や武官、首脳クラスに至るまで上流階級の夫人や娘に仕立てた高級娼婦をおおぜい抱えていたのは欧州ではよく知られた事実で、現実の歴史の常として、公開されうるような資料はなくても、日本に対しても同じ戦略をつかったのは、容易に想像されて、
ぬわるほどー、な感じがする。
ドイツで「いい思いをして」祖国を大惨禍に引き込んだ海軍将校達は、多分、なにが彼を変心させたか死ぬまで言わないままこの世を去っていたのだとおもわれる。

日本の戦争犯罪、戦犯裁判、あるいは戦闘の経過について述べるひとびとの困難は、日本側の資料は無条件降伏と決まったときに、断罪を恐れたひとびとによって書類がすべて焼き捨てられてしまったこと、生き残った元軍人たちは、同僚であった軍人を庇って、お互いに庇いあって、真実を述べなかったこと、連合国側の資料は、ごく少数の人間に眼にしか触れ得ない場所で篋底ふかくしまわれていること、というような理由によって、日本語では日本の人の大好きな「出典」が存在しないことによっている。

たかだか活字で公刊された書籍を読んで作り上げられてしまった戦史が「事実」になってしまった結果、英語世界から観た太平洋戦争と日本語世界から観た太平洋戦争が、まるでふたつの異なる戦争であるかのようになってしまったのは、ずっと前に
ふたつの太平洋戦争
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/
で書いた通りです。

「歴史はこわい」と、ぼくの学校の教室では繰り返し教えられた。
勝者によって書かれたものが歴史であるからで、よく言われる例で言えば中国の明代の歴史は、現実がほとんど判っていないと言ってもよいくらいで、書かれた歴史の通りなら、あるはずのない西オーストラリア沖で沈没船が見つかった鄭和の遠征はもちろん、最近になって判ってみれば、攻城戦に大量のマスケット銃を使用していた建国期の戦闘方法まで、謎だらけで、ほんとうは明代とはなんだったのか、中国の研究者たちは、いままで薄明であると信じていたものが、漆黒の闇であることに気づいて、途方に暮れている。

あるいは活字になったものを読んでいても、
「松岡は二月の末に独乙(←ドイツのこと)に向い四月に帰って来たが、それからは別人の様に非常な独逸びいきになった、おそらくはヒトラーに買収でもされてきたのではないかと思われる」
という昭和天皇のよく知られた松岡洋右評も、上に挙げた千早正隆たちが半藤一利に述べた証言を念頭において読むと、「買収」という誇張表現が実は誇張ではなくて、ドイツが外交戦術の一環として何をやっているか、欧州の支配層の事情に通じていた昭和天皇が知っていたことをうかがわせて、熱狂的な昭和天皇ファンだった松岡洋右の何がそれほど嫌いだったか、まるで異なったことを示唆していたことが判ります。

国際連盟を脱退してみたり、「アメリカとは仲良くしなければならない。アメリカ人と仲良くする秘訣は、まず一発なぐることだ。なぐられればアメリカ人は相手を認めて真の友達になる」と当時の日本きっての「アメリカ通」ぶりを発揮して対米開戦のドアを開いたりした外務大臣松岡洋右は、9年という歳月をアメリカで過ごして、オレゴン大学を卒業していた。
自他ともに認めるアメリカと英語についての「第一人者」で、松岡の、いまからみると、「とんでもない」としか言いようがない対米認識を危惧する人間たちの意見が通らず、松岡洋右が破滅への道を日本をひきずって堂々と歩いていったのは、「権威」や「その道の達人」には何も言わずに盲従する日本の人の常で、昭和天皇ですら口答えが出来なかった。

野村吉三郎大使がアメリカと日本のあいだに満州の権益をめぐって危機が生まれたときに駐米大使として選ばれたのは、この人が「海軍で指折りの知米派」だったからです。

ところがアメリカ側の証言を観ていると、どうやらこのひとはドイツ語と較べても英語が判らなかったようで、特に外交官として欠格に近かったのは、相手の英語が半分も聞き取れなかった。
「あの男は、ひとの話を聞いていない」という評判が立ってしまう。
この評判は日本政府の耳にもはいって、慌てて奥さんがアリスさんというアメリカの人だった来栖三郎を異例の「第二の大使」として派遣するが、ところが、この人も「不愉快な発音」だと言われてしまう。

日本の人は、もちろん、「そりゃいくらなんでも厳しすぎる」と思うに違いないが、このふたりは実は具体的な「もうひとりの東アジア人」と絶えず比較されていたので、宋美齢、蒋介石夫人が、その比較の対象だった。

おおげさに言うと日本政府の外交は、国民感情の面では、この人ひとりに負けたのだと言ってよいとおもいます。
上流階級の出身で、外国人の英語とはいっても、美しいアクセントの英語を話す宋美齢はアメリカでは人気のある人で、一種の英雄だったと言ってもよい。
そのうえ、この人はルーズベルト大統領夫妻、とりわけ、エレノア・ルーズベルトの個人的な友人でした。

7月16日、会議のために滞在していたポツダムでHarry Trumanはニューメキシコで行われた原子爆弾の実験が成功したという極秘電報を受け取ります。
戦後の対ロシア戦も念頭にあったHarry Trumanは7月31日、こんなふうに書いている。

He (←Stalinのこと)doesn’t know it but I have an ace in the hole and another one showing – so unless he has threes or two pair (and I know he has not) we are sitting all right.

余計なことをいうと、これが大統領の英語だろーか、という調子の低い英語だが、Harry Trumanという人は万事この調子で、この程度の考えが浅い頭の男の 決断で原爆を落とされた日本の広島と長崎のひとびとがつくづく気の毒になってしまう。

さきほどの半藤一利は、ドイツに落とすつもりだったというのはアメリカ側の真っ赤なウソで1943年4月23日付けの手紙でマンハッタン計画の指揮者だったLeslie GrovesがStimsonにあてた手紙の一節に
「目標は一貫して日本なのです」
と書いてあることを証拠として挙げているが、これを書いているのはニュージーランドのオークランドで、ロンドンのアーカイブに行くには、どこでもドアが必要なのに、猫型ロボットに盗まれたままで、インターネット上では文書が見つからないので、Leslie Grovesという人の英語表現のくせから考えて、ほんとうは文脈が異なるのではないかしら、とおもっても、たしかめようがない。

日本側は知らなかったが、アメリカは、この頃にはすでに日本軍の作戦暗号だけでなく、外交機密文書の暗号も完全に解読していたので、天皇の身柄の安全が保証されない「無条件降伏」を日本側がのめないことを知っていました。

ポツダムスタッフのなかで戦後に最後まで生き残ったGeorge Elseyは、
BBCのドキュメンタリのなかで

It was modified in the light of this, what we were learning from the intercepts, to read unconditional surrender of the armed forces of Japan.

と述べている。

ポツダム宣言の最も有名な宣言部分

“We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter destruction.”

がthe unconditional surrender of all Japanese ‘armed forces’になっているのは、このためで日本政府の側の英語専門スタッフもこの変化に気がつく。
ところが、次に起きたことは、いかにも日本風で、眼の前の滅茶苦茶に負けてる現実は忘却してしまって、観念遊戯の世界に入ってしまい、
このアメリカの「弱腰」は、弱虫のアメリカ人たちがついに日本人のカミカゼの特攻精神におそれをなして戦争をやめたくなった事情があるのだろう、と受け取ってしまう。

当時の首相だった鈴木貫太郎は小さな魚雷艇でロシア艦隊に突撃した経験を持つ海軍提督の、しかも知謀の人だった小沢治三郎提督を「戦は頭より根性だ、バカ」と叱りつけたという人で、日本海軍伝統の「自分が苦しいときは相手はもっと苦しい」という教えを人生訓のようにしていた人だった。
昭和天皇をハラハラさせた、よく知られる鈴木貫太郎首相の「最後の1ヶ月の迷走」は、決断をくらます目的であるより、どうやら、「ほんとうはアメリカは敗北しかけているのではないか」と疑う、「軍人魂」から来ていたようにみえます。

以前、「ふたつの太平洋戦争」で書いた通り、連合国の兵士たちにとっては、
第二次世界大戦は、1945年5月8日にすでに終わっていて、この頃には故国から流れてくる国をあげての戦争が終わった歓びからくる連日の陽気なバカ騒ぎのラジオに聞き入りながら、ひきも切らずにただ死ににやってくる航空機の自爆攻撃にさらされ、あるいは、作戦的にはまったく意味がない散兵壕から、発射時の火と硝煙が少ないという狙撃に向いた特徴をもっていた日本の有坂ライフルで突然射撃されて死ぬ、戦争とは到底言えない、異様な戦闘のなかで犬死にするだけのものになっていた。
しかも若い兵士たちにとっては、続々と故郷にもどるアメリカの若者達にガールフレンドや新婚のまま置き去りにしてきた妻に新しいボーイフレンドができて、手紙が配達されるたびに、どこかですすり泣く声が聞こえる、という毎日でした。

完全に望みをたたれた、傾斜地に深く掘られた壕や天然の洞窟にいくら投降を呼びかけても降伏の白旗をかかげて現れないので、壕をのぞき込むと撃たれて死ぬ、という経験を繰り返してきたアメリカ軍は、戦争の後半は戦術を変えて、火炎放射器を多用するようになります。
非人道的であるという非難が当然将校たちから出るが、「どっちみち降伏しないのだから、撃たれる危険がない場所から火炎放射をおこなって、窒息死させたほうがよい」という意見が通ってしまう。

そのうちに若い兵士のなかには、無感覚になってしまって、窒息させるという本来の目的から離れて、ごく短い火炎放射時間しかない兵器を、日本兵を焼き殺す目的で使う人間が出てくる。

厭戦気分と、戦場全体を支配する、自殺ばかり考えて次々にあらわれる日本兵への憎悪と「訳のわからなさ」のなかで、アメリカ兵たちは、日本人全体を「人間ではないなにか」と考えるようになっていたことが、部下から操縦者の権利を奪ってまで「この戦争を確実にを終わらせるために」上級指揮官であるのに自ら操縦桿を握って広島に原爆を投下したティベッツの数々のインタビューにはよく現れている。

アメリカ大使館が安倍晋三首相の靖国神社参拝について述べた

「Japan is a valued ally and friend. Nevertheless, the United States is disappointed that Japan’s leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan’s neighbors.
The United States hopes that both Japan and its neighbors will find constructive ways to deal with sensitive issues from the past, to improve their relations, and to promote cooperation in advancing our shared goals of regional peace and stability.
We take note of the Prime Minister’s expression of remorse for the past and his reaffirmation of Japan’s commitment to peace.」

というステートメントを巡って起きた、眼をおおいたくなるような、「英語通」が入り乱れてのバカ騒ぎと罵りあいについて

「disappointment」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/01/02/disappointment/

というブログ記事を書いたことがある。
このステートメントをめぐる自分がいかに英語ができるかをみせるために狂い立ったかのような大騒ぎを見ていた日本の人のなかには鈴木貫太郎が述べた
「黙殺」を同盟通信社が「ignore it entirely」と訳して連合国を怒らせてしまった逸話を思い出していたひともたくさんいるはずです。

いま諸事万象の俗論の要約集みたいなwikipedia をみてみると、

The official response of the Japanese was that of mokusatsu, which can be interpreted in a very negative way, “to kill with silence”, or can mean only “to practise wise inactivity”. This was interpreted by the Allies in the first sense, leading to a swift decision to carry out the threat of destruction.

と書いてあって、ちゃんと触れられているが、通常の歴史の本には触れてあるものは少なくて、単に「日本政府がなぜかまた勝てる可能性があると妄想していて、愚かな政府に愚かな国民が引きずられて大量の犬死にを続けた」という調子になっている。

6700万本のダイナマイトと同じ破壊力とよく表現される原爆が広島の低空で爆発したのは、1945年8月6日、つまり、70年前の今日の午前8時15分でした。

脚が折れて滑走路上で大破炎上する事故が多かったB29の特性から、地上で暴発することを防ぐために空中で組み立てられた原爆は日本軍が「軍都を恐れてアメ公は来ないのさ」とうそぶいていた広島のクロスポイントへ精確に投下されて、一瞬でこの都市を地獄に変えてしまう。

「6700万本のダイナマイト」の爆発が引き起こした爆風は、茶の間の朝食ちゅうで、瓦礫に閉じ込められた子供が「おかあさん、助けて、火が足を焼いている」「助けて!助けて! 火が胸に移ってきた!」と泣き叫ぶ子供の声が静かになるまで聞いていることしかできなかった母親や、電車が止まった線路の上を足がたたなくなったので両腕の力だけで匍匐したまま這って家に帰った女子学生、たくさんの証言が残っている。
66年後、福島第一事故のあとで、放射線が起こす惨禍を伝えるために活動をする若い軍医肥田舜太郎は6キロ離れた村で被爆して市内への道を急ぎますが、そのときの知見がまったく公表されないことと、戦後、アメリカ軍と日本政府が放射線による被害を隠蔽してしまったことに腹を立てて日本共産党に入党する。
インタビューでは、政府がやることは70年間、まったく変わらないと言っていました。

マンハッタン計画に参加していたRichard Feynmanは「参加した科学者はみな北海道の原野に落とすと聞かされていた」
「原爆投下成功のニュースでわれわれは大歓声で飛び上がって喜んだが、次の瞬間「広島」と聞いて凍り付いた」と述べているが、他の科学者たちの証言やFeynmanその人の比較を絶した知能の高さから考えて、どうもほんとうではなくて、「知っているが知らない」状態に自分を置いていたのではないかなーとインタビューを観ていて感じる。

It was to spare the Japanese people from utter destruction that the ultimatum of July 26 was issued at Potsdam. Their leaders promptly rejected that ultimatum.

と8月7日にアメリカ大統領Harry Trumanが述べている。
どうにも言い訳ができない二発目の原爆であるプルトニウム型の「ファットマン」が長崎に落とされるのは広島破壊の三日後です。
8日には、日本軍と政府が全幅の信頼をおいて連合国との仲裁を依頼していたソ連軍が満州国境を越えて文字通り怒濤のように、居住日本人にとっては最悪の「面作戦」の形で侵攻してくる。
すでに6年前のノモンハンで機甲師団と圧倒的な砲兵を中心にしたソ連陸軍にかなうわけがないのを知っていた日本軍は住民に知らせることもなく逃走してしまいます。

太平洋戦争はやらなくてもよかった戦争であるだけでなく、英語文明と英語への、日本の人特有の「構えた姿勢」から生じる、誤解と誤訳で始まって終わった戦争にみえる。
外交官にとっても軍人にとっても、はなはだしくembarrassingなことなので表面にでてこないが、言語能力のなさと他文化を理解する能力の欠落が、日本の人の「なにもしないためならなんでもする」強い習慣とが結びついて、「もう4年も犠牲をだしながら続けている満州占領を、いまさら止めろというのか」と相手を糾弾する声がおおきくなって、誰もが開戦すれば破滅だと知っていた戦争へ飛び込んでいきます。

日本語では「英語」に触れると必ずトラブルになる。
オオナカユーコさんという人がいて、ニューヨークで通訳会社を経営している。明瞭に発言する、という良い点がある人で、毎日、このなかなか愉快な人が「聴き取りにくい声」であった頃から
twitterで言うことを眺めていた。よくRTもして、「あんな厳しいことばかり言う人をRTするなんて」と日本語フォーラムで文句を言われたりした。
エマ・ワトソンのフェミニズムの話のときに「男に女の差別の話なんてされたくない」というので、みると、「見せたくない発言があるひとはブロックして欲しい」と書いてあったので、ブロックしたら、この人は、よっぽど怒りんぼうなのでしょう、名指しをしないが、ぼくと判る書き方で根も葉もないことを書いて中傷していた。
前後のツイートをみると見知らぬ誰かが、わざわざ「なんか勘違いしてないですか?そんなことガメさんは言ってないのでは」と書いていたが、会社を紹介した日本の年長の友達に教えられて見に行って「なんのこっちゃ」と考えた。

同じニューヨークに、大原ケイさんという人がいて、このひとが「ヘンな要約すんな、ヴォケッ!」と怒鳴り込んできたので、佐藤亜紀さんみたいである、と考えたが、このふたりは、たまたま英語で商売していて怒りん坊であるという共通点があって、英語と、怒りん坊であることには、なにか関係があるのかなーと思って考えていたが、それ以前にチョー当たり前だが日本の人で、おふたりとも英語に対してものすごく「難物」だった、という感覚があるよーでした。

ニセガイジン騒動のはてなの「英語通」の人々もそうだが、なぜこれほど英語能力が戦争なんかよりもずっと重大視されて、しかも「日本の人?ああ、じゃあ英語は全然ダメだろうね」と言われてしまうほど英語ができないのか、考えてみることがある。

ぼく自身は、ものすごいことを言うなあ、と言われそうだが、日本語がちゃんと出来るんだったら、英語なんてどうでもええんちゃうの?と思うほうです。
この世界は英語で出来てしまいつつあって、例えば、三十年前ならありえないことに、ときどきフランスのベストヒット40を覘いていると、フランス語の曲は二三曲で残りは英語の曲だったりする。

日本人の英語の最大の問題は「英語に時間をかけすぎること」で、中学校から6年間もあんなに時間と労力をかけて英語を嫌いになるために選んだような教材で必死に勉強する。

外国語を勉強して海外へは順序が逆で、行けばふつうの頭をしてれば話せるようになるでしょう、と言っても誰も信じてくれない。
そりゃ、ガメは母語だからそうだろうけど、と言うが、そういっている眼の前の大庭亀夫が日本語で話しているのは、すっかり忘れてしまっている(^^;

文法が大事か発音が大事かと日本に滞在しているときに、よく聞かれたが、どちらも特に大事ではなくて、英語を理解して、話す必要が生じれば英語学習の本を買って辞書を買うだろう。
文法が必要になるときもあるはずで、そのときに文法を必要なだけ勉強すればいい。
「近道」はたしかに存在して、英語人もよくやるように、語彙を母語人より多く身につける(←そんなに大変ではない)ことだとおもうが、これも、もともと「言葉」が好きなぼくの妄想かもしれません。

英語に時間をかけるのだったら、自分の頭に向いた、数学なら数学に時間を使ったほうがいい。
たとえそれがPCゲームでも、やはり、好きでもない英語に時間をかけるよりも、やってみれば判るが、遙かに自分が生きていくうえでのエネルギーになる。
それでも、やることがなかったら、英語を勉強するよりも昼寝したほうが「将来」という観点からは有益であるとマジメに思います。

ちょ、ちょっと待ってね、でも、このチョー長い記事の上にあるお話の主題は「英語ができなかった日本の悲劇」とか、そーゆーんでないの?と言われそうだが、それこそが「英語なんて、どうでもええんちゃうの?」と述べている理由で、少なくとも日本の社会のがわから見れば(←全体主義的観点)必要なのは、「日本人全体の英語レベルがあがること」ではなくて、英語と日本語が母語/母語並のエキスパートをさまざまな分野で育てることなのは宋美齢の活躍をみても明らかです。

日本の社会がやっていることは、まるで逆で、ある人のツイートによれば到頭「先進国」のなかでは日本だけになってしまったらしい、二重国籍の禁止によって、数学が得意な、政治学に頭が向いている、物理においてはかなう人間が誰もいない、英語とのバイリンガルたちを、みんな学校の教室でさんざんいじめた挙げ句、足で蹴り出すようにパスポートを取り上げて、アメリカへイギリスへ、オーストラリアへ追い出してしまう。

松岡洋右は、言行を読んでいると、たしかにものすごくアメリカをよく知っている人だった。
苦学して、皿洗いや掃除をしながらだったので、ハーバードにいるあいだ博打ばかりやっていた山本五十六や野村吉三郎、あるいは酒を飲んでの女遊びの自慢話ばかりしていたらしい森鴎外とは、見ていたものも、経験してきたものもまるで違っていた。

松岡洋右は「アメリカ人の友達がいないアメリカ通」だったように見えます。
この人は、9年間、あれだけ辛酸をなめて、苦労して、社会の底辺からアメリカ社会を見ていながら、しかし、そのあいだ、ずっと「観察者」に終始していた。
観察者を政府の要人にすると、こうなるという見本のような外交官生活を送って死んだ。

アメリカの上流社会におおぜいの友人がいて、ゴシップや上流階級人特有の意地悪に苦しんで乗り越えていったに違いない宋美齢とは、そこがいちばん異なっていた。

英語の齟齬と相手の文化への理解のなさから、めんどくさくなった人のように真珠湾を襲った日本は、空母と高速艦艇からなる「機動部隊」という極めて日本的な発想の艦隊兵力を中心に戦争へとびこんでいく。

次の回は、そこから話したいと思っています。

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One Response to 英語と太平洋戦争

  1. 晩秋 says:

    こんばんは。1943年時点で「目標は一貫して日本なのです」という箇所、そういうことが書かれているにしても、そこだけ抜き出さはって文脈がちょっと違うんとちゃうかなぁと、私も思います。’Reconsidering the “Atomic General”:
 Leslie R. Groves’ by Barton J. Bernstein:

    But occasionally, in recent years, in discussing Groves, scholars have used a remarkably poor journalistic study, The General and The Bomb: A Biography of Leslie R. Groves, Director of the Manhattan Project (1988) by William Lawren. He contended, on the basis partly of some nonexistent archival evidence, that Groves had intended from at least early 1943 that the A-bomb target would be Japan, never Germany. The book was a briskly written volume that one enthusiastic supporter stated might well make a good movie or television series. 9 Lawren managed to get various large and small matters wrong, and his research was skimpy and slippery. Norris correctly deems it a book “riddled with errors”(p. 559).

    6歳のときに原爆の絵図展に行っておるので、それは平和な戦後を生きてきた私にとっての一番の戦争もしくはatrocity疑似体験だったので、書き出したのにあんまり書けないことに気がつきました。でも何か書きたくなった。ナイーブと言われようが、戦争は嫌いだから。戦争反対。

    日本側の文脈は、落とされた側ですから(ため息)、原爆開発をめぐりイギリスやドイツやソビエトを見据えられていたという事実は、あまりに耐え難き物語であるのかもしれません。

    母から第二次世界大戦について「日本という国は被害者」だと思うことは絶対にならぬと教わりました。彼女が男女平等を希求していたのは、平和のためだったから。あらゆる差別や搾取を許さず、そして男女平等の思想が戦争や核汚染への抑止力になると信じていました。しかし天皇の戦争責任が曖昧なまま、結局変わらずきてしまった。

    外国語能力に関しては、自分のことは棚に上げて申しますと、ツイートでのかまびすしいのよりも水村美苗氏と米原万里氏の考え方が良いです。本読んで〜。

    日本語をめぐる状況は戦前よりも悪いと思う。漢文の素養があらゆる人から消えて、かと言ってフランス語や英語やラテン語や古代ギリシャ語が入り込んだわけでもない。

    この2、30年間、あまりにたくさんの「結構売れている」小説が、広告代理店出身者によって書かれいる状況が気に食わんのね。

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