ダグラス・マッカーサーが残したもの

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ダグラス・マッカーサーはダメな政治家だった。
仁川上陸に見られるように軍人としては優秀です。
普通ああいう作戦はアイデアとしてはうまくいきそうに思えても、たいてい失敗するが、成功させてしまった。
ああいうことをやられると軍隊としては「相手と自分とでは格が違うのではないか」という気がしてきて、やる気がなくなってくる。

政治家としては、泥をかぶりたくない一心で昭和天皇を処刑しないですませてしまった。
昭和天皇という人は最後の天皇らしい天皇で、天皇らしさ、というものがどういうものかというと承久の乱を見てゆくとヒントがつかめる。
西国武者をまとめて、鎌倉政権を倒そうともくろんだ後鳥羽上皇は、しかし、北条政子の感動的な演説に奮い立った関東の武者たちが溺死すらものともせずに宇治川に馬をいれて攻め寄せてくると、自分の軍勢が潰乱してしまう。
敗軍となった武者が自分の家へ落ちてくると、「わしは、知らん。おまえらが勝手にやったことではないか」と撥ね付けてしまう。
「なぜ自分に戦争の責任があるとおもうのか。おまえはバカか」と言う。

800年近くあとになったいま読んでも直截の訴求力を持つような規格外の無責任さだが、天皇は、日本社会のなかでは、ありかたとして、人間であってはならないので、責任をとることは悪徳なのでした。

明治以降の「ネオ天皇制」と呼びたくなるような天皇制においては、これを全体主義の要となるように仕立て直して、ますます絶対者だということにしたので、天皇に人間的な感情など持ってもらうと「絶対者」の政治判断がくもって危なくて仕方がないので、極力、人間性を持たないように教育した。
昭和天皇の一生を追っていくと、マジメで気がやさしい性質に生まれついた独裁者が、絶対者の重荷を背負わされて、よろめきながら、苦悩のなかで一生を過ごす様子が読み取れて、個人としては同情しないわけにはいかない。

ちょうど幕末に品川弥二郎たちが「天皇の権威」をでっちあげたように、戦後、入江相政たちが知恵をしぼって、つくりあげた「人間性に満ちた天皇」の像は、成功して、天皇制がまんまと生き延びてしまうが、ダグラス・マッカーサーは、そのもとをつくってしまった。

戦後の日本の支配層の顔ぶれをみると、岸信介、笹川良一、瀬島龍三…と「大東亜戦争指導者」がぞろぞろ名前を並べている。
その頂点に昭和天皇が立っている。
昭和天皇について話すことは、日本社会では、戦争が終わった、かなりあとまでタブーで、表向きは自由に批判してよいことになっていたが、たとえば連合王国なら、ごくありふれた天皇家に対するからかいを書いた深沢七郎は、まるで書いた側が犯罪者でもあるかのように潜行生活を余儀なくされ、揶揄を含む短編小説を掲載した中央公論社の社長宅は右翼人に襲われて、社長夫人は重傷を負い、家政婦さんのうちのひとりが殺される。
この事件によって、いまの在特会に至る「右翼のやることには抵抗しない」日本社会全体の怯懦が形成されゆく。
「怖いから右翼について話すのはやめよう」という社会になっていきます。

70年代になっても、ほとんど日本語でなければ意味が通じない、極めて日本的な思想家だった吉本隆明の本を読むと、政府よりもなによりも日本人にとっての「体制」は天皇家そのものだったと考えている。

岸信介のような戦争指導のチャンピオンが戦後に首相になって、孫の力を借りて、ついに日本を戦争前の体制にひきずりもどすことに成功したのは、
おおもとをたどっていくとダグラス・マッカーサーの政治家としての無能にあるようにみえる。

マッカーサーが目先の「どうすれば占領軍の被害を最小にして日本人を骨抜きにできるか」という利得にとらわれて、長期的な政治思考を持てなかった結果は、日本の戦後に特徴的にみられる「誰も責任をとらない」無責任体制をつくってしまった。
なにしろ戦争指導を頂点で行っていた昭和天皇が責任をとらずに、ニコニコして「国民に愛される君主」になってしまったのだから当たり前です。

昭和天皇は英明な君主だった。
人間としても、生来、やさしいところのある人です。
アスペルガー人とゲーマー
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/10/09/asperger_gamers/

の資質でいえば、どちらかというとアスペルガー型の思い込みが激しい人で、
実際には、たとえばウインストン・チャーチルと対立的にヒットラーに好意をもっていた英王室は、常に宰相に圧力をかけて、国王その人がいなければチャーチルが戦争指導を続けられたかどうか危ぶまれるような酷さだったが、その英王室が膝を屈して誓わされていた「権威だけの王室」というものが王側からの発意で可能であるとおもうほどナイーブだった。
典型的なファシストだった弟の恫喝もあったのでしょう、自らを軍部の傀儡化して、傀儡師に操られる人形のように戦争を始めてしまう。

戦争がはじまると、今度は、将軍たちのあまりのだらしなさに作戦に容喙するようになって、「一勝してからの講和」という考えにひきずられて、サイパン戦からの一年二ヶ月の犬死に以外にはなにもなかった戦場で日本人が大量に虐殺されてゆくのを手をつかねて眺めることになる。

この生真面目でやさしい君主が生き延びてしまったことは、しかし、70年の歳月が経ってみると、日本という国にとっては致命的なことだった。
個人の力などでは、どうにもならない、歴史というものの、気まぐれで巨大な力を感じます。

ひとつの無責任の終わりに、もうひとつの無責任を植え付けて、気取り屋の将軍はアメリカに帰ってから、好意から「日本は12歳の少年だ」と述べて、それまで彼をほとんど崇拝していた日本人を激怒させてしまう。
彼が最も期待した椅子である「大統領の椅子」は、彼の政治家としての無能を見抜いていた合衆国国民によって、ほとんど鼻で笑われる冷淡さで否定されて、この人は寂寥のなかで一生を閉じます。

明日は、8月15日。

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One Response to ダグラス・マッカーサーが残したもの

  1. ないです says:

    日本の宗教は神仏だというほわんとした空気があるけれど
    仏教は江戸時代にはもう幕府の意向で葬式屋に成り下がってしまい
    神道は明治の国家神道政策で土着の神様の存在はどんどん薄れていった

    近代国家である手前信教の自由を認めたんだけれども日本政府は神社を地域の寄合所のように定めた
    これは何を信じていようが国家神道の影響下を受けさせるためのもんだと睨んでいる

    こうして人々は神や仏よりも「なんだかよくわからないけど偉い人」を信じるようになっていった
    私の実家は代々神主の家系なんですが自分とこの神社で祀っている神様のことを祖父も父もよく知らないという話を聞いたときにはさすがに笑ってしまいましたわ

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