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わしのブログの最大の特徴は何年もやってるのに零細であることです。
ときどき一日で7万というようなアクセスがあるが、そういうのはだいたい政治の話とかで、頭のわるいおっちゃん(←チョー失礼な表現)の思考の琴線にうっかり触れてしまったときにどっと人がくる。
別に炎上しているわけではなくて、どうも日本語人は政治や社会の話が文字通り「三度の飯」より好きなようで、もしかすると、そういうことについて考えている自分の姿がインテリっぽくて好きなのかもしれません。
インテリって、死語なのかな。

而して、次の記事のときに来てみると、他人の期待にまったくこたえるということがない、記事を書いている人間のチョーわがままな性格を反映して、モニちゃん大好き♡とか、メッサーシュミットがどうたらとか、ブルースを聴いてみるかい?
とか、政治や社会について難しいことを考えたいひとびとの期待をおもいっきり裏切って、たわけたことが書いてあるので、またアクセス数がへろへろになります。

はてなの人々が何千人という単位でやってきて、集団サディズムのアドレナリン全開で、きんぴらやニセガイジンで、こちらも日本社会観察のチャアアアアーンスで、オモロいのでからかってたら、仕事が珍しく忙しいのにもっといっぱい来て、そのあと、アクセス数が「50」とかになって、つまりは名前をもとから知っている、josicoはんやナスやすべりひゆやネナガラたちだけが読んでいるという期間があって、このときは、いろいろ書いて遊べたので、なるほど読む人が増えると、人間は読み手の目を意識してしまうのね、ということを学習した。

はてなの大将だという人が、自分の偉大な英語能力(とドイツ語だかなんだかの能力と言っていたが忘れた)に照らしてニセガイジンであることを証明した、と宣言して、なにしろはてな世界では権威ある大将の言うことなので、信仰して、何年もニセガイジンと喧伝して、何千人という数の自称リベラル知識人みたいなひとたちが、そろいもそろって、あまりに聡明なので、英語で反駁したいのを懸命に我慢して、他の日本語がわかる英語人たちと、ずっと観ていて、みなで、この「はてな知識人」たちの爽快なくらいのバカッぷり(←言ってしまっている)を眺めて、お下品にもげらげら笑って遊んでいたが、去年のクリスマスの頃だったかなんだか、すげー酔っ払ってしまって、うっかり英語をいっぱい書いてしまって、そのときに、このはてな大将がまた誰かを罵倒していたので英語でずっと話しかけて、おかげで、ひくひくしながら、わしの英語が「ニセガイジンの英語であることを証明した」このひとが「歴史修正主義者」を攻撃するときとおなじ、論理もなにもない、おもいこみを、英語人よりもすぐれているという英語力を駆使して、自分がアクセスできるだけの資料を適当にならべて罵声をあびせるときと、はてな人のお供をひきつれて、まったく同じ論法でニセガイジン攻撃を続けるのを、観て楽しむ娯楽がなくなってしまった。
残念です。
カバを3本も飲まなければよかった。

さすがに自分の手で何年も、自分の論理がまったくのデタラメで、ようするにただの糾弾魔にしかすぎないことの証拠を積み上げて、魚拓までとってあったりして、見事に自分で自分の論理のスカぶりを証明してしまったので、まわりから、ひとが何人も立ち去って、 パニクって、わざわざ大庭亀夫を誹謗するための記事を書いたり、別アカウントを使って中傷したりしていたそーだが、人間みたいなものだったのにトロルになってしまって気の毒だと考えもするが、わしのほうは、このひと方面の娯楽はきんぴらごぼうだけになってしまったので、面白くないと言えば面白くない。

とぼけて困ってるふりをして遊んでいた、そのすぐあとで、まったくの偶然だが、きんぴらな、迫力のある論文を英語で書いた人で、正体は旧帝大の[削除・検閲済]の教授だが、この明晰な人と話をするようになったことが、神様が「あんまりいたずらばかりするな。わたしはちゃんと観ているぞ」と述べているようで、おっかなかったが。

ひとつ言い訳をすると尊敬する社会学者の年長の友達が「ガメさんが、なんで、あんなチンカスを気にするのか理解できない」と何度か述べていたが、わしは日本の一部の「進歩的な人間」が底が浅い糾弾中毒者の集まりにしかすぎなくて、ネトウヨよりも学校の成績がよかっただけの違いしかない本質的には同じ性格の集団で、その本人たちには自覚がないケーハクが日本の社会にとって危険であることに関心があった。
国会前に若い人が集まって日本にも、ほんものの自由人の世代がそだったことを示して、あの「市民」な人々が、いかにインチキな天然全体主義者の集まりだったかが社会全体にあまねく了解されてしまったので、だから、もういろいろな人の忠告どおり相手にしなくていいとは思う。

もっとも、世の中は人間よりも常に賢い。
パチモンリベラル人が、さまざまな「自分が気に入らないこと」の糾弾に夢中になっているあいだに、世の中は彼らを追い越してしまって、おなじ自由人でも、パチモン市民とは異なる、まともな自由市民たちがあらわれて渋谷や国会前に集まるようになったことは「世の中」というものの不思議な意思表示だった。

沈没したわけではないが、プリンスオブウエールズ、チャールズ皇太子は非常に趣味がよい人で、ミニクーパーが、あまりに売れないので生産中止になりかかっていたのに、この人がおおっぴらに、あちこちのパーティで、こんなオモロいクルマはないから買ってみろと奨めて歩いたせいで噂になって、一転、ベストセラーになったのは有名だが、他のことに関しても、この性格が著しく悪いおっちゃんは、どういうわけか趣味だけはよくて、「贋作美術館」を持っている。
精巧なニセモノだけを集める蒐集家として、世界的に有名で、非常に良い趣味の贋作を大量に持っています。

このレベルの贋作になると、それひとつで壁にかかっていても、専門家が鑑定しても贋作とは判らない。
本物と並べて、しばらく両方かけておいたあとで、だんだん軽薄な感じがしてきて、ある日頭に来て捨てる、という経過になる。
小林秀雄という人は、大金を払って買って床の間にかけてあった掛け軸を、ある日じっと眺めていて、「これは贋作だ」と気づいて、日本刀を持ってきて、一刀のもとに切り捨てた、と述べているが、鎌倉ばーちゃんの知り合いの、刀剣鑑定にすぐれた人が、
「でもさ、あの日本刀もニセモノだったのは死ぬまで知らなくて幸せだったとおもう」と述べたのでお腹がよじれるほど笑ったりした。

ほんものの自由人が若い人たちの姿で出てみると、それまでの「自由人」たちは、ほんとうは「自由」を標榜する全体主義者で、なにかというと口汚く糾弾する日本の「自由人」の通弊は、つまりは軍隊の下士官が兵隊に平手打ちをくらわせるときの気味の悪いどなり声と同じものだった、ということが、傍で見ている人たちに自然に感得されてしまった。
SEALDsという人達の運動が、政治というものは政治なので、どうなってゆくか判らないが、すでに達成した功績というべきものがあって、ごく判りやすいやりかたで、これまでの日本の「進歩的知識人」および、そのパチモンが、いかにインチキだったかを浮き彫りにしたことがそれだと思います。

日本語が好きなだけの、ヒマなニセガイジンは、日本の社会に現れるのを観たかったものが、実際に観られてしまったので、退場してよいところだが、今度は日本語を通じて友達が出来てしまったので、このブログやツイッタを通して、懇親を深めて、日本語を書くのをやめて、きみが想像するよりも遙かに富裕な、ハンサムで温和で成熟した争いを好まないおとなの、もう少し枕詞を長くしたほうがタイ王室に勝ててよいが、実物をあらわして、たとえばヨットで上陸するとか、なんなら白象に乗って踊りながら現れてもよいが、会いにいくための下準備に日本語で遊んでいたい。

この次の記事は、このあいだツイッタで
「しかし、もう個人預金も事実上吸い上げられて、取られるものはみな取られてしまったので、せいせいした」というようなことを述べている人がいたので、「いやいやいや、そんなことはない。金融の仕組みを利用すれば、こういうふうに国民ひとりひとりに直接借金を背負わせて、もっとアベノミクスをすすめるための投入資金をつくりだすことが出来るのさ」ということを示そうとおもっています。

約束まもる確率とか、知っているとおもうが、3割くらいだけど

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2 Responses to ブログ

  1. ゆーり†(Juliusy_0720) says:

    「バルバロイの終わり」というエントリーがあったみたいだけど、なんらかのやんごとなき理由でブラインドされてしまっていて読めなくて残念だけど、まあいいや。早々にチェックできてなかった。ガメさんは多重チャンネルを操るが、人格は十全統合されているからぶれてないんだけどそのスピードについていくのは韓国人のオッサンにはキツいですw。息切れしてるんだども。いつ寝てるんだろうと思っていたけどそのぶんカウチと同化してるから平気みたいね。

    日本人に限ったことではないかも知れないけど、他人の幸せ話や、 自分よりも恵まれた境遇にいる人たちの話を聞くのはやっぱりそうでない人たちにとってはなかなかにシンドイことなんだと思います。劣等感と嫉妬心が先に自己の不遇を呪って身動きが取れなくなってしまうのでしょう。そうするとフォースの暗黒面に囚われてしまって自分の狭隘な陣地を死守することが全命題になってしまうんだろかな。そうすると誰にもたのまれてないのに必要以上に攻撃的になるのかな。これは自分のことに照らし合わせて考えますが、これはただの見栄だったりして根源的な人間の尊厳とは何も関係が無かったりすることの方が多いのではないかと思う。プライドと見栄を履き違えてる人が多いように思います。

    だから、僕はこうこうこうなんで幸せなんだよ~、とやると、そんなの聞きたくも無い人が大多数で、不幸な身の上話が日本や日本人がには受けるのでしょう。些か短絡的だけど韓国人のオッサンのコメントだから。

    韓国のバンドでチャン・ギハと顔たち
    というバンドがあるのだけれど、このバンドの曲で「何事もなく暮らす」というのがある。
    「君がびっくりするような話を聞かせる。たぶん、絶対に、嬉しく思わないだろう。何なのかと言えば。僕は、何事もなく暮らす。特別な心配もない。僕は、何事もなく暮らす。これっと言った悩みもない」といった内容です。

    日本や日本人は例え「ニセ」でも(ごみん)ふだんから「ガイジン」に日本の事をどう思われているのかが死ぬほど気になって仕方がないんだと思います。そこへ持ってきてこのタイムリーな時期に最近巷で噂に聞くパーフェクトストレンジャーがいったい僕らのこと何て書いてるのか。それは戦々恐々興味津々だから当然政府機関からもアクセスあるでしょう。

    只 日本の人が向いている「ガイジン」って西欧人種のことでワタシら旧植民地・侵略地のアジア人のことでは70年経っても未だにそうでないからそれもすごいですけど。

    ワタシラみたいな境遇の人間はいくら日本が、好きでも、本当に思っているままを言うと日本と日本人から嫌われますね。
    嫌われることも、まあ悲しいことはありますけど、同じことを「ガイジン」から言われると受け入れたりするので、本当に「理解力」があるのだろうかとむしろ訝しくことがあります。

    アクセス数の格差って何となくそう言った空気感を感じました。

  2. ゆーり†(Juliusy_0720) says:

    拙くてすまないです。
    訝しくこと➡×
    訝しく思うこと➡○

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