ラーメンと餃子

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医者なんか向いてなああーい、と考えて医学の勉強は途中でおっぽりだしてしまったが、最後のほうまで勉強はしたので、一応、調べながらならば、本を書いている人がなにを言っているかくらいは判らなくはない。

福島第一事故の影響がどんなものになるだろうということには、 英語ではcut cornersというが、文明に、 きちんと手続きを踏む習慣がない、日本、韓国、中国のような国々が、要するに遅延化した核分裂でデカい薬罐のなかの水を沸かして、そのエネルギーで発電するという、技術思想が古いのだから仕方がないが、いかにもマヌケで、マヌケな技術の宿命によってチョー複雑なシステムを運営して、次の爆発事故が起きないわけはないので、強い関心がある。

相変わらず、ときどき調べてみるが、そうしているうちにミトコンドリアの機能低下という問題を経由して、糖尿病という病気にいきあたって、サイドトラックで、今度はしばらく糖尿病について読みふけってしまった。

そのサイドトラックの、そのまたサイドトラックで、日本ではなぜ炭水化物に偏った食習慣なのかしら、と考えた、というのが、この記事のヘロヘロした主題です。
主題なんて、あったのか。
よろめきながら散歩してるだけなのかとおもっていた。

もともとラーメンは好きでないが酔っ払うと義理叔父が帰りに必ずラーメンを食べたがるので、なにしろ酔っ払ったあとに当時の義理叔父の家があった鎌倉まで横須賀線で行くのは嫌で、タクシーに便乗する必要があったので、義理叔父のお供をする場合には、ラーメン屋に行く必要があったのは前にも書いた。
深夜なので「香妃園」の鳥そばとか、そーゆー店です。

香妃園でもチャーハンを一緒に頼んでいる人が多かったが、他のラーメン屋でもラーメンと餃子を一緒に頼んでいる。
鎌倉のラーメン屋では、ラーメンとライスを一緒に頼んでいる人もいる。

本人が、おいしいと思っているのだから文句を言う筋合いはないが、
チョー変というか、こっちからはなんとなく得心がいかない。
おそるおそる、わし日本語および日本文明の教師たる義理叔父に訊いてみると、あれは麺と餃子を食べると思うからきみのように間違えるのであって、スープと餃子を食べているのよ、と澄ましている。
説としてもっともらしいが、
なんとなく騙されているよーな気がします。

アジア諸国の人口がおおきいのは米食のせいである、と習ったことがある。
同じ作付面積で小麦が養える人口の5倍だったかなんだったか数字を忘れてしまったが、いっぱい養えるのだと、いかにもイギリス人ぽく、後頭部の髪の毛がいつもピョンと飛び出して突っ立っている、風采のあがらない教師が述べていた。
ひとはパンのみにて生くるものにあらず。
あれは、そういう意味とはちゃいまんねん。

主食、という不思議な観念が日本にはある。
ライスでステーキを食べても、ライスよりはずっと高価なはずのビーフステーキが脇役で主役はあくまで米なので、ステーキさんはたいへん不満なのではないかと推測される。

同じ「西洋」という大部屋出身のパンならばステーキが主役かというと、調べてみたことがあるが、不思議にもパンのほうが主役でした。

なぜか。

「そんなの、江戸時代には米が通貨だったからに決まってんじゃん」という人がいるだろうが、まあ、そうなんでしょうけど、いいじゃない、疑問を持つくらい。

明治時代、脚気に悩まされて、死者まで出した日本帝国陸軍は、どうもこれは「白米」中心の食事がダメなのではないか、と考えるが、当時の栄養学の権威、専門家ちゅうの専門家だった森鴎外が「ぶわっかたれめが、素人がニセ科学を信じてくだらぬことをぬかすと真正科学教会の異端審問にかけて菊池先生にコチョコチョさせるぞよ」と激怒したので沙汰やみになってしまった。
脚気の原因は、ほんとうは当時は「非科学的な仮定」にしかすぎなかったビタミンB1の不足だったので、真正科学教の権威に従ったせいで、兵士はますますえらい勢いでバタバタ倒れていきます。

帝国海軍のほうはニセでもホントでもいいから現実を観ないとしょーがないんじゃないの?という、お手本にしたイギリス人の、愚かというか、「理論? 理論て本読むの? ああ、じゃ、ダメ、ぼく字読むの嫌いだし」、という態度を継承していたので、イギリス海軍には脚気が存在しないことに目をつけて、よく理屈は判らないが、マネッコをすればいいのではないか、ということにして、白米中心主義を捨てて、それまで「銀シャリ」だけを楽しみに厳しい訓練を我慢してきた水兵たちが叛乱を起こしそうなくらい不満であるのを押し切って、イギリス風に味のない、チョーまずいビスケットなども取り入れて、あな不思議、脚気患者ゼロになってゆく。
この頃はまだイギリス海軍には水兵に至るまでラム酒をふるまう習慣があったので、わしが海軍軍医なら「ラム酒に脚気を防止する栄養があるに違いない」と主張して、酔っ払い艦隊をつくることに貢献したに違いないが、多分、日本海軍の軍医さんはマジメで、お酒を飲まない人だったのでしょう。

調べてみると、餃子が日本人の食生活のなかで普通のものになったのは、1950年代の初頭のことのようでした。
神保町の「スヰートポーズ」が1935年に始めたのが最初と書いてあるが、一般的な食べ物ではなかったようで、食べ物に関しては万事新しいもの好きだった小津安二郎の「お茶漬けの味」(1952年)には、津島恵子を誘って、デートに連れ出すことに成功した、なんだかのっぺりした顔の鶴田浩二が、
「ね、おいしいでしょう?これ、ラーメンて言うんですよ。近頃、流行なんです」と述べるところが出てくる。
ちなみに(←一度使ってみたかった表現)、このあとふたりは、あまりためらうことなく「おじさん、もう一杯ちょうだい!」と言うが、どうも、これは、この頃までは「うどん」や「そば」は一杯ですます食べ物ではなく、「お代わり」が当たり前だった名残であるようです。

「開業当時、餃子のおいしさと、バラエティと、店員の態度の失礼さでオークランド人をびっくりさせた」と愉快な紹介をされるドミニオン通りの

Barilla Dumpling
https://www.zomato.com/auckland/barilla-dumpling-balmoral
の壁には、「餃子の由来」が書かれていて、それによると餃子は年越しそばに似た、新年を迎えるための食べ物だったそうだが、いまでは焼くか蒸すか茹でるか揚げるか、いずれにしろ、ひとりで20個くらい食べる簡便な昼ご飯で、中華系人も欧州系人も大好きで、みんなが仲良く肩を並べて食べている。
ソースはたいてい黒酢とラー油で、日本の人の酢に醤油をいれる食べ方は、黒酢の代用ではなかろーか、という感じがする。

餃子の登場までは焼売のほうが一般的で、やはり小津安二郎の書いたものをみると、スタッフたちが、銀座の東興園で、年がら年中「中華そばと焼売」を食べている。

ここで大胆な推測を試みると、米飯→中華そば、おかず→焼売のアナロジー遷移であったものが、焼売が餃子に地位を奪われて、炭水化物デュエットの、不思議な定型になったのではなかろーか。

この説によると、ラーメンライスの説明がつかないが、そのうちまた仮説をつくりますから、そこからツイッタとかで統一飯理論をつくればよいのでわ。

そのときのために改名して、アルマイト・ベインシュタインとかにしておこうかしら。

え、立てた主題に対応する解答がない?
正解がない人生になれなさい、なんちて。

でわ

(画像は文中の餃子屋とは別の、オークランド人に人気がある上海料理屋の巨大餃子。
このレストランは焼き餃子しかおいてません)

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