3分前

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今年は地震の後始末で何度もクライストチャーチにでかけた。
何事につけ「遅れている」田舎国ニュージーランドも、おっとり刀で、iPhoneで航空券の購入からチェックインまで全部できるので、クルマで「ぶー」と空港まででかけて、屋内駐車場に駐めて、すたすたすたと搭乗ゲートに行けばいいだけなので、ボーディングパスもiPhoneで、東京で地下鉄に乗るようなものだと言えなくもない。

迎えのクルマに乗って自分の家に行く途中、むかしニュージーランドの夏になるとボロい冬天気の北半球からやってきて滞在したときに見覚えた通りが、どんなふうに変わったか見るために、寄ってもらう。

Bryndwrという、まともな舌をもった人間なら絶対に発音できないウエールズ語の地名がある町とフェンダルトンのあいだに、(UKでは長いあいだ冨の象徴だった)レンジローバーを家の前の通りに駐めてある家があって、
「まだ、あそこに住んでるんだな」と、なんとなく可笑しい気持ちになります。
少なくとも20年、住んでいることになる。
いまはバブル経済が長く続いて、そういうわけにいかなくなってしまったが、一生の間に11回、家を買い換えて引っ越す、と云われたニュージーランドでは珍しいことです。

「ガメ、なに笑ってるんだ?」と後席のモニさんが訊くので説明する。
あの家の主は、出勤する前に毎朝必ず買ったばかりのレンジローバーを車庫から出して、通りに駐車させる。
それからフォードで出勤する。
帰宅すると、夜、寝る前にレンジローバーを車庫にいれてから眠るんだ。

ガキわしはむかし、目ざとく、この奇妙な人の習慣に目をつけて、自転車でノースランドモールに出かけるのに、わざわざ、この通りを選んで行ったりした。
「見栄」というものの力の強さを学んだ初めであると思います。

Keeping Up Appearancesという、連合王国やニュージーランドではたいへん人気があったBBCのテレビコメディドラマシリーズがある。
題名どおり、見栄をはって、しかもイギリスの良俗にかなうsubtleな周囲との差を作り出そうとして、七転八倒する主婦の話で、クリケットの試合中継やテニスマッチで、ラウンジで家族全員で観るとき以外はテレビは観ないことになっていたロンドンの家とは異なって、割と簡単にテレビを観て良いことになっていたニュージーランドの家では、ときどき観ていた。

オーストラリアでも人気があったというが、見栄を張る傾向が連合王国人やニュージーランド人に較べると明らかに少ないオーストラリア人にとってのドラマの可笑しさと、まるで自嘲しているようなUK人やNZ人にとっての、自分の心にちくちくする可笑しさとでは、意味がおおきく異なっていたのではなかろうか。

見栄と嫉妬は、連合王国とニュージーランドの生活のおおきな部分を占めていて、これみよがしにオカネモチ風なのは、全然ダメで、たとえば、いまの、フォードにジャガーのバッジをつけただけであるようなアホなデザインになる前のジャガーとデイムラーの違いを見ればわかるが、外形は、ほおおおおんの僅かに異なるのでなければならないので、パジャマで最高価格のメルセデスを乗り回すのがカッコイイ、中国のオカネモチとは発想が別のものです。
(言わずもがなのことを付け加えると、わしは、中国のオカネモチの見栄のほうが安心してみていられる。
近所に越してこられるのは嫌だけど)

普段は努めてニュートラルにしている英語のアクセントを相手に失礼を感じると、ほんの少しだけ強くすることがある。
あるいは普通のUK人が使えば吹き出されてしまうような古色蒼然とした表現をわざわざ挟んでみせる。

見栄があれば、その反対側には嫉妬があって、人間にとって最もコントロールしにくい感情がこれで、文字通り人間を狂わせてしまう。
クルマの話で始めて続けたのでクルマで終始すると、買った本人は、エンジンルームから、遠くから響いてくるようなクオオオオンとカタカナならば書きたくなる、あの誰でもがいちどは好きになるBMWのエンジンの音が好きで買っただけでも、嫉妬の人は必ず「あいつは見栄で高級車を買ったのだ」と解釈する。
おおきな居心地の良い家も見栄で、快適でデザインのよい服も見栄、自分を解放する原動力のようなボートもヨットも見栄で、どうかすると学問まで見栄であると見なす人もいる。
富裕であること自体が見栄で「この世界はオカネだけではない」と、切った手首から血が流れているような無惨なことを言う。
心が悪鬼に乗っ取られたようになって、住んでいる実生活の世界が、そのまま地獄に変容してしまう。

日本が見栄と嫉妬の社会に変容したのは、ちょうどサムソンとLGが英語圏、特に太平洋に面した町々の家電店の店頭を席巻して、ソニーショップに人影がなくなり、東芝や三菱、最後まで残っていたパナソニックの文字が店頭から姿を消したのと同じ頃でした。
通りを「嫌韓運動」のひとびとが練り歩きはじめて、四谷の上智大学のそばで、用事があって麹町に来ていた、のほほんとした様子のイギリス人のすぐそばで、「韓国人は死ね」と叫んでいる日本人たちを、びっくりして眺めていたブラジル人たちの足下に唾をはいて、「出て行け」と怒鳴ったりしだしたのも、たしか同じ頃だったのではないだろうか。

あるいは、たねを明かせば、神保町の大規模書店の店頭で撮ったという、平積みになった「ベストセラー本」の画像と一緒に、
「自分の住む社会がここまで落ちぶれるとは思わなかった」、やりきれない、とユーウツに考えている顔が目に浮かぶような、まだ日本にいて大学教師をしていた頃の友達のemailを読んで書いた

「鏡よ、鏡」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/

で述べたことを、もう少しストレートに言うと、
「自画自賛文化」を作り出して、ありとあらゆる発言が、下は最下層のネトウヨ人から上は首相に至るまで、見栄と嫉妬だけで出来ているように見える社会に日本がなってしまったのはなぜだろう?とよく考える。

自分は正しい、おまえは悪い。
自分は優れている、おまえは劣っている。
うるさいなあ、おれに都合が悪いことは全部ウソなんだよ。

子供のときの日本でのチョー幸福な記憶と、小泉八雲の寂しくて美しい物語と、精霊の力に満ちた宮崎駿の映画とで出来ている、わし頭に存在する日本と、
英語メディアにも頻出するようになった現に目の前で展開されている、自分で抑制することが出来なくなった嫉妬に狂いだしたような日本と、あまりに落差がありすぎて眩暈がするような気持ちになる。

20年前、午後十時頃になってようやく暗くなるクライストチャーチの町で、友達の家の帰り道、ちょっと止めてください、とお願いして、クルマの後席から、レンジローバーを見るからに大事な宝を扱うように、そっと車庫にもどす意外に小柄な中年の男の人を見ていて、荒涼とした、胸に迫るような気持ちになったことをおぼえている。
それは多分わしが感じた初めての「おとなの感情」で、「見栄」をつくろわねばならなくなった、おとなたちの「嫉妬」が、身体の内側から自己を焼き尽くすような、傷ましさの、到底言語の表現がとどかない重さを思った。

さっき、なにげなく眺めていたwebサイトの、突然目に飛び込んできた中国や韓国への悪罵をみて、Keeping Up Appearancesを思い出していては不謹慎だが、一国が、見栄をはりたい主婦の、傍からみていれば笑いという気持ちを緩める感情表現なしでは、つらくて観ていられないような畸形の感情に社会が染まって、戦争へ若いひとびとを駆りたてるということもあるのだなあーと嫌なことを考える。

向こうから若い兵士が歩いてくる、と思っていたら、それは未来の突きあたりの壁にかかった鏡に映るきみ自身の姿で、同じ自分なのに、すっかり兵士の表情で、コーヒーカップを手にしたジーンズにTシャツ姿のきみに、訓練された精確な敬礼をする。

三分前。

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3 Responses to 3分前

  1. euca says:

    ?心から亀さんが幸せでよかったと思ってるのに…私は今落ち着いた気持ちですよ。どちらかというと幸せな気持ちですよ。お勉強もしてるよ😊 泣きたい時に泣いたし。怒ってないよ。

  2. euca says:

    亀さん ありがとう 元気でね

  3. DoorsSaidHello says:

    強行採決の前の日に夢を見た。

    明るい場所に足を踏み入れて、私は柱のように大きな透明なガラスケースを見ている。
    中には薄いピンクの花がケースの床に置かれた大きな花瓶に盛られていて、花瓶の隣には私の小さな子どもが立っている。二歳くらいの時だろうか。子どもは、私に贈る花を選びに来たのだ。選ばれた花は柔らかな色で美しい。

    子どもの身体からは不思議と力が抜けている。私はケースの中が透明な水で満たされているのに初めて気づく。水は花瓶から溢れてケースを満たし、子どもの頭の上まで達して鼻も口も没してしまっている。まるで花と一緒に活けられたかのように、控えめな照明に照らされて。

    私はガラスケースを開けて水を出し、子どもの身体を抱き取る。子どもの身体は柔らかく、だがその皮膚は冷たい。まだだ、と私は思う。呼吸が止まったのはまだそれほど前じゃない。今ならまだ間に合うはずだ。私は子どもの身体を逆さにして肺から水を出すと、床に横たえて人工呼吸を始める。

    心臓マッサージの練習をもう長いことしていない。毎年しておけば良かった。息を吹き込んで胸を何度も押す。息を吹き込んで胸を何度も押す。鼓動は必ず戻るはずだ。鼓動が戻れば呼吸も戻るはずだと信じながら。不安を兆さず、諦めずに、何度も。まだ失ってはいないと自分に言い聞かせながら。

    夢から覚めて、私は思う。

    何かを決定的に失う時は、いつも油断している。失ったのだという認識は、失ってしまってから長い時間をおいて訪れる。失うであろうことがその瞬間に分からないから、だからみすみすと致命的に失ってしまうのだ。何度も。何度も。何度も。何度も。

    あの時も。あの時も。

    この夢で死んだのは、私の子どもだろうか。夢は、美しい何かが決定的に失われたと言っているのではないだろうか。腕に抱いた死児の柔らかな重さが蘇る。あの重さは、死のうとしている私の平和の重さではなかっただろうか。まだ間に合うと思うのは私の欺瞞であるのだろうか、それとも。

    雨でよれよれの、不出来なプラカードを掲げながら、私の腕には愛しい死児の感触。9月18日夜。

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