ノーマッド日記21

takapuna

浜辺のベンチに腰掛けて、キッシュをふたつに割って半分ずつ食べたら、モニが「仲の良いおじいさんとおばあさんの夫婦みたいでいいね」と笑う。
見返ったぼくはなぜモニが微笑っているのか、もう忘れていて、ただ笑顔のうつくしさに見とれている。
ボケ老人みたい。

楽しいときがあって悲しいときがあって、がんばってみたり、めげそーになったりしながらここまできた。
海岸の遊歩道を歩いてゆくひとびとは、自分が生まれてからいままでに出会ってきたひとびとのようで、自分の個人の歴史がぞろぞろ歩いて移動しているような気持ちになる。

前にアスペルガー人とゲーマー族について書いたが、
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/10/09/asperger_gamers/

クライストチャーチに銅像が建っている、南極点からの帰り途に死んだ探検家ロバート・スコットはアスペルガー族で、「南極に到達する意味」に徹底的に拘泥した。
重装備の科学機材を最後まで捨てず、そのために遭難する。
その探検隊の、科学的意義に細部までこだわる厳格な雰囲気は、ぼくが子供だった頃に夢中になって読んだチェリー・ガラードの「世界最悪の旅」
(Cherry-Garrard, The Worst Journey in the World)に詳細に描かれている。

数少ない探検隊の生き残りだったガラードの文章には、人間の一生に意義を見いだそうとする人間たち特有の、融通のきかなさ、超人的な忍耐と勇気、誇りのために死のうとする決意、さまざまな人間の特性が凝縮されて表出されている。

スコット隊と南極点到達を競争して楽勝したロアール・アムンゼンのほうは、典型的なゲーマー族で、与えられた「極点到達」に必要のない探検要素、装備や思想は徹底的に削ぎ落としてしまう。
科学的な学術調査などには目もくれず、軽装備を犬橇に乗せて、投機的な最短ルートを選んで、さっさと極点に到達して帰ってきます。

もちろん探検家としてはアムンゼンのほうがスマートで正しいが、なんども両者が残した記録を読んで、子供わしはやはり人間はスコットなければならないのだ、と考えたことがあった。
アムンゼンじゃ、ダメなんだよ。
なぜかは、わからないが。

人間が生きてゆくというゲームの勝者たるには、法律や規範や、あるいは道徳を含めてすらルールを守るだけではダメで、自分が自律的に課したルールによっても制約されなければならない。
知的世界の地面に顔を近づけて、頭から、どんどん垂直に掘って、ついには、空中で逆立ちした足をばたばたさせながら、ときに上半身が自分が掘った立て穴にはまって窒息死するに至るアスペルガー人たちは、ほっておいても、自分に自分の特製ルールを課してしまうので心配する必要はないが、子供のときから、体積を問われた正四面体を見た途端に、その一辺を各面の対角線としてもつ「さいころ」を思い浮かべて、計算することすらなしに正四面体の体積をものの1秒もかからずに答えてしまうタイプの知性をもつゲーマー族にとっては、人間の一生は、つねに表面が滑走可能なつるつるしたものになりうる。

モニに会わなかったら、いったいどんな一生を歩いていただろう、と考えると腋の下に冷たい汗をかくような気持ちになる。
ぼくは次々にステージをクリアして、もうすっかりゲームに飽きているのに、画面の左上で、後ろでプレイ画面をのぞき込む人達がどよめくほどの桁になったクレジットと、勝利の惰性で、最終ステージがプレーヤーの自身の死でしかないゲームを遊び続けていたのではなかろーか。

こうして見上げている空には意味はないし、今日はずいぶん潮流が速い海ももちろん、ただ意味性とは何の関係もなく「そこにある」だけなのに、人間だけが、一瞬間も休まずに考えて、鬱勃した気分に落ち込み、晴れ晴れとして昂揚した気持ちになり、自分がやっていることの意味を考え、自他の行動の細部までを点検して、評価していく作業をやめない。

自分が生きていく意味はなにかと自分を問い詰め、無数にある「自分自身」から、ひとつを選び取って、ドアを開けて、深呼吸をひとつしただけで、跳び込んで行く。

でも、それをさ、とモニの眩しい笑顔を見ながら考える。
むかしは、ひとりでやってたんだよ。
なんだか信じられないことだけど、ぼくは、ひとりで、
ひとつのベッドで隣に誰かが眠っている週末でさえ、
たったひとりで、自分の、個人には支えられる限界にまで育った巨大なこの宇宙への意識や、どんなに単純化しようとしても、どうしても迷宮の複雑さが残ってしまう世界と交渉しなければならなかった。

振り返って考えてみて初めてわかるのだけど、もう、あのときが限界だったに違いない。
ラスベガスで大負けに負けて、赤い砂漠の岩の上で、仰向けに寝転がっていたぼくは、自分の真上に広がる大空を、もう見てはいなかった。
ただ背中の岩の灼熱を感じていただけでした。

寒いから、もう行こう、とモニが述べて、ふたりで紙袋とソビエをゴミ箱に捨てて、海辺の道を、ふたりでモニのクルマまで歩いていった。

いつのまにか遊歩道には人影はなくなっていました。

もうすぐ、春になる。

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