人権の味

shishuan

ダラスでいちばんおいしい中華料理屋に行こう、すぐそこだから、
と友達が言う。
テキサス人の「すぐそこ」は50キロくらい先のことが多いが、このときはほんとに「すぐそこ」で20キロくらいのものだった。
皆でテーブルについて食べてみると、おいしかったが、なんだかどこかで食べたような馴染みのある味です。

主人がテーブルに挨拶にやってきたので、どこの料理ですか?
広東?香港?と聞いてみると、
「横浜」という。
はははは。わたしは日本への中国移民の子で、父親は横浜の中華街に店をもっていました。
だから、わたしの「中華料理」は日本風なんです。

餃子も焼売も日本風の味で友達が頼んだチャーハンを観たら、上にグリーンピースまで載っていた。

ひとしきり話をすると、中華街にはシェフがいつかないのだという。
アメリカ人も、あんまり変わらないが、日本の人も舌がたいへん保守的で、毎日毎日、麻婆豆腐にチャーハンに餃子にチャーシュー麺で、しかも中華料理の新しいトレンドを考慮して味付けを工夫すると、「不味くなった」と言われる。

「みんなカナダやオーストラリアに行ってしまいます」とくびをすくめている。

オークランドに来ていちばんよかったのは中国の人に対する、自分でも気がつかずに持っていた偏見がなくなったことだった、と前に書いた。

もうひとつ良いことがあって、なんとなくがさつでおいしくないと思っていた中華料理が、ほんとうはものすごくおいしい料理なのだということが判ったことでした。

日本では赤坂離宮銀座店
http://tabelog.com/en/tokyo/A1301/A130101/13013346/
や、中国飯店
http://tabelog.com/en/tokyo/A1307/A130701/13001954/
四川
http://www.miyakohotels.ne.jp/tokyo/restaurant/list/shisen/index.html/
のようなところへよく行ったが、「四川」などはニュージーランドのクラウディベイのワインもおいてあって、楽しくはあったが、
おなじエスニック料理でも銀座のタンドリ料理の「アグニ」や
あるいは東京ではイタリアの大都市と較べてもパキパキと音がしそうなくらいしゃっちょこばった味だが水準が高いイタリア料理屋に足が向かって、それほど頻繁に出かける、というふうにはならなかった。

ほかの街で中華料理を食べるのは、バルセロナにも、ディアグノルにおいしい店があって二回ランチを食べに行ったが、あとはマンハッタンくらいのもので、カナルストリートを歩いて食べにいく中華街も、雑誌に出ているほどおいしいと考えたことはなかった。

まして、モニさんと結婚してからは、おデートをかねて外で食べることが多いので、食べ物をつくるのは上手でもおデートのおムードをつくるのは下手な中華料理屋にでかける頻度は、ぐぐぐっと減って、日本では、なんだかクラブの食事でなければ、イタリア料理やフランス料理ばかり食べていた。
むふふふ、な理由で広尾山の家にもどらずにホテルに泊まって、「家のこと」がいっさいない週末をおくるためにルームサービスですます、ということも多かった。

味が下品である、というのがアメリカや日本で中華料理を食べた感想で、わずかに赤坂離宮銀座店だけがややまともで、なんだかイタリア料理店や天ぷら店、割烹のあえかな味に較べると数段落ちる、というのがわしの頭に静かに無音のまま定着した偏見だったようにおもいます。

ところがオークランドに住んでみると、マンハッタンやクライストチャーチなどとは全然比べものにならないくらい中華料理がおいしいのを発見する。
初めにぶっくらこいちまったのは餃子で、もうなんどもブログで書いたが、
日本では「焼き餃子は中国にはありません」とひとに習ったのに、ぜんぜんそんなことはなくて、焼き餃子、蒸し餃子、ゆで餃子、揚げ餃子となんでもあって、形もまるこくて小さいのやバナナみたいなのもあれば、四角い鍋貼もあって、皮が厚くていかにもパスタふうなのもあれば、うすううういパリパリの皮で、パリパリを楽しんでね、というのもある。
中身の餡も豚肉と白菜、豚肉とにら、豚肉とコリアンダー…に始まって、ラムと白菜のようなラムのものまでバラエティがある。

へええええ、とおもって、モニさんは、あんまりアジアの食べ物は好きでないので、ひとりで家の人に買ってきてもらったテイクアウェイをおやつに食べたり、ちっこいクルマにクマのように身を屈めて乗り込んで、ときどき指さして笑う失礼な人までいるスタイルで運転して食べにいくと、たとえば胡麻ソースと和えただけの麺や、油と和えただけの麺、福建省の「パイ」や、なんだか四角い炸春巻、どれもすごおおおくおいしくて、いったいいままで「中華料理」だと思って食べていたのはなんだったのだと考えました。

中華料理に、文字通り味をしめて、観たことがない料理は全部食べてくれるわ、と考えて、スリランカ、インドネシア、韓国、マレーシア、ノニャ、フィリピン、..
と手当たりしだいに食べていくと、移民人口がおおきいからでしょう、どれもオーセンティックでおいしかった。

微妙に本国の料理と異なっている、というのは想像がつく。
自分が知っているもので較べれば想像がつくからで、モニさんに外で食べるのは二度としないと言われてしまったフランス料理やベルギー料理もそうだが、おにぎりを観ればわかる、通常鮨チェーン店で売っているおにぎりは、だいたいソフトボールくらいの巨大な球形で、みるからにおそろしげな炭水化物爆弾の様相を呈しているので買ってみたことはないが、見ただけでもう不味そうというか、いくらやってみようと考えても実際に買ってみるコンジョがでない。

ローソンで売っているような三角むすびが、あのままの包装で売ってある店もあって、たいていサーモンとツナです。
ツナは缶詰のツナをマヨネーズで和えてあるもので、多分、誰かが日本に遊びに行って味をおぼえて、自分でおいしかったものは他人も好きだろうと考えてつくっている。
サーモンのほうは、オダキンに笑われてしまったが、巨大なナマのサーモンが入っていて、全体として思想として誤っているというか、三角にして海苔で巻いたインサイド寿司、というような様相を呈している。

イスラム原理主義者がやっているのだという噂のタンドリチキンの屋台は、ほとんど訳がわからないほどおいしくて、12時開店のはずなのに3時になったり、これは知識がないこっちがわるいが、お祈りの時間は店が閉まっているので、買えるか買えないか半々だが、クルマで30分の距離をドライブして買いに行く。

ときどきツイッタにもブログにも出てくる、わし買い食いチェックポイントのひとつの西アフリカ人がやっているフライドチキン屋は「自己責任で食べてね、死んでも市役所は知りません」と定義された衛生条件「E」になったりしているが、ファンで、近所のエチオピア人がやっているコーヒー店のコーヒーとならんで、外すわけにはいかない。

ときどきサモサを、食べて、お行儀わるくボロボロとこぼしながらハンドルを握りしめておもうのは、日本ではなぜ「日本化」してしまったのだろう、という疑問です。
鎌倉ばーちゃんは闊達でいたずらっ気のおおい人で、「女学生」のときも有楽町のジャーマンベーカリーや遠く横浜の中華街に友達たちと出かけてたりしたようだが、いつか鎌倉ばーちゃんのところに来ていた人が、
「まあ、あなた横浜の南京街になんか行ったの?あんなところ、何を食べさせられてるかわかったものじゃないわよ。犬の肉がはいってるんじゃないの?」と言うので、ふだんは上品なそのばーちゃんの顔をぶっくらこいて見つめてしまった。

バカ仮説を述べる。
日本の中華料理が世界でいちばんローカライズされているのは、もしかして、中国の人への戦前からの差別意識のダイレクトな反映なのではなかろうか。
BBCの日本の戦争犯罪を特集したドキュメンタリには、もちろん強姦も虐殺もあったがしかし、と強調する元日本兵がでてくる。
わたしたちは「中国人は人間じゃない。犬以下だと徹底的に教え込まれて、信じていたんです。判ってくださいませんか?わたしたちは自分が手にかけている中国人が人類の一部だとは思っていなかったのです」、自分もまた犠牲者なのだと自己弁護を試みて繰り返すのを見ていると、中国の人たちには商売上は日本人の味覚に阿らなければならなかった必然性があったのではないかと思えてくる。

読んだ人も多いとおもうので詳述しないが王貞治の自伝を読んだ人は福建人の父親に対するこのベースボールプレーヤーの感謝のおおきさの裏にある昔の日本社会の、中国移民に対する差別の激しさを感得できるはずです。
あるいは、この自伝には「いっさい書かれなかった部分がある」と半藤一利が本のなかで述べている。
王貞治は子供のときは半藤一利と同じ側の深川に住んでいて、ひどい集団いじめをうけているのに、日本人の少年たちに野球をやって一緒に遊んでもらいたい一心でなぐられても原っぱの隅っこでボールが自分のほうへ転がってくるのを待っていた王貞治をおぼえている、というのです。
自伝にいっさい初めの家の深川時代が触れられていないのは、その頃うけた心の傷があまりにおおきいからだろう、と推測している。

岩田宏の「住所とギョウザ」

https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/09/05/dumpling/

深夜、韓国人のリイ君をあざけって
「朝鮮くさい」とはやしたてる友達に混じって、「友人」だったリイ君を
「くさい くさい 朝鮮 くさい」と叫んだ、子供のときの自分を鋭い痛みとともに思い出す詩人自身の姿が描かれている。

大森区馬込町東4の30
  大森区馬込町東4の30
  二度でも三度でも
  腕章はめたおとなに答えた
  迷子のおれ
  ちっちゃなつぶ
  夕日が消えるすこし前に
  坂の下からななめに
  リイ君がのぼってきた
  おれは上から降りて行った
  ほそい目で はずかしそうに笑うから
  おれはリイ君が好きだった
  リイ君はおれが好きだったか
  夕日が消えたたそがれのなかで
  おれたちは風や帆前船や
  雪の降らない南洋のはなしした
  そしたらみんなが走ってきて
  綿飴のように集まって
  飛行機みたいにみんな叫んだ
  くさい くさい 朝鮮 くさい
  おれすぐリイ君から離れて
  口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
  くさい くさい 朝鮮 くさい
  今それを思い出すたびに
  おれは一皿五十円の
  よなかのギョウザ屋に駈けこんで
  なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
  たべちまうんだ   
  二皿でも三皿でも
  二皿でも三皿でも!

たった味付けくらいのことで、おおげさな、ときみは言うだろうが、
イギリスでもニュージーランドでも、アジア人への差別が深く激しかった頃は、「中華料理」の味は奇妙なものだった。
「春巻」は巨大で、日本の茶筒くらいはあって、なかにはカレー味のライスが巻き込まれていて、その油で煮染めたような春巻きをフォークとナイフでケチャップをぶっかけて食べていた。
食事をしながらこれを読んでいる場合、ごみんごみんだが、
実をいうと、わしはいまもこれが好きで、いつもなつかしい味としておもいだす。

飲茶も出始めはウスターソースやケチャップ、せいぜい中国風のチリソースをかけて食べた。

なんの暗合にやありけん、中国のひとびとに対する偏見が消滅して、差別がなくなり、中国人をみても自分とおなじ「人間」としか思わなくなった頃に、時を同じくして、中華料理の「ほんとうの色」があらわれて、繊細で軽い
、品の良い味付けの店が増えていった。

今夜、中華料理、食べに行こう。
たまにはモニさんも一緒に来ないかしら

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