Monthly Archives: August 2015

補給線という最前線

アフガニスタンで戦う海兵隊員のあいだで最も人気がある兵器といえば Javelin https://en.wikipedia.org/wiki/FGM-148_Javelin でしょう。 いまちょっと日本語のページをのぞいてみると「対戦車兵器」と書いてあって、もちろん英語でもfire-and-forget anti-tank missileだと書いてあるが、些細な点といってもそういうところが翻訳というもののオモロいところで、バズーカのむかしから、アメリカ軍は対戦車兵器を対歩兵兵器として使う習慣をもっていて、なんだか「タイセンシャ」と述べた途端に戦車にしか使わない印象をもつ日本語人と、違う印象になっている。 ジャベリン、つまり投げ槍という名前がついたこの兵器は、戦車など持っていない、主な機動力がホンダのオートバイであるタリバン兵相手にどんな使われ方をしているかというと、ライフルの射程より遠いところにいる敵を殺すのに使う。 ライフルの射程よりも遙かに離れたところから、たとえばモーターを撃ってくる敵に対して使います。 世界のアヘンの90%以上がアフガニスタンで栽培されて、アフガニスタンのおしもおされもせぬ主要産業で、タリバンは、ひとつひとつのグループが麻薬シンジケートの性格を持っている。 民衆に心情的に支持されているとはいえないタリバンが、いったん制圧されたかにみえたあと、あっというまにアフガニスタンのほぼ全土を取り返してしまったのは、つまりは麻薬ディーラーとしてのカネの力で、メキシコの状況と似ていると言えなくもない。 ケシの栽培にはおおきな面積の平地が必要で、自然、タリバンの掃討に向かう海兵隊員たちは、例のOspreyで戦場の徒歩圏内に運ばれたあと、石で出来た民家/コンパウンドから民家へ、広大なケシ畑に全身を露出して歩いて移動することになる。 その海兵隊員たちをタリバンは銃器の射程ぎりぎりのところから付近に点点とある民家の石壁を穿ってつくった銃眼から、あるいは点在する並木の下に潜んで狙撃する。 2,3分射撃すると、オートバイや徒歩で、移動してしまう。 死体も、薬莢も、それどころか飲み水がはいっていたペットボトルすら残さないのは、米軍は各小隊ごとに指紋照合データベースの端末をもっていて、絶えずタリバンメンバーの指紋を収集し照会しているからです。 ものすごく高価だが、海兵隊員に人気があるJavelinが掃討作戦にあたる小隊に一個配備されることになったのは、そのためで、アウトレンジからコンパウンドごとふっとばしてしまえる。 海のようなケシ畑のなかを、常に移動している姿のみえない敵と戦いながら、民家や、民家の地下につくられた麻薬製造工場と武器弾薬貯蔵庫をひとつずつ破壊してゆくフラストレーションが高い作業が海兵隊のアフガニスタンにおける「作戦」の内容で、タリバンが戦力を急速に失いつつあるのも、逆に、支配領域は急速に回復しつつあるのも、「浸透はするけれども確保はしない」、人的被害を最小にするための、このアメリカ軍の旧ソ連軍の二の舞にならないために工夫された新しい戦略によっている。 日本での「兵士の派遣」についての議論を観ていて奇異におもうのは、想定している戦場が大時代なことで、あれでは誰がみても、やはり戦争に対する思想が滑稽なほど時代遅れの人民解放軍のみを想定しているとしか思えないのに、人民解放軍の中国が仮想敵国ならばまったく必要のない集団自衛権をしゃにむに実現しようとしている点です。 ついでに余計なことをいうと、国会で答弁に立ったりしている元軍人は、温厚な人に見えたが、上に書いたようなことは、軍人の常識として知っているはずなのに、それは黙っていて、あたかも現代の戦争が第二次世界大戦の戦争思想で戦われているような錯覚を日本の国民に与えているとおもう。 PBSがあって、戦争賛美ふうのFOXもあれば、CNNの特集がある、旧来からのネットワークも折りに触れてドキュメンタリをつくる。 アメリカならば、たいていの国民は、アフガニスタンやイラクで、どんなふうに戦闘が行われるか知っている。 視覚的に理解しているので、戦争に対して的外れでないイメージを持っている。 キーワードは「姿を現さない敵」「至る所にしかけられた地雷やIED」 https://en.wikipedia.org/wiki/Improvised_explosive_device で、ブービートラップで手や足をふきとばされる兵士の、あまりの数の多さに辟易したアメリカ軍が、最近は、民家にはいるのに門扉を開くことはせず、支援戦車が体当たりして石塀を壊すか、プラスティック爆弾でふきとばして敷地に足を踏み入れる。 勘のいい人はすでに気がついたと思うが、戦争の形態が会戦の対極にあるような、少しずつ敵の生命をそぎ落として戦意を喪失させることに集中したものになっていくと、もっとも狙われるのは補給線で、補給兵です。 アフガニスタンでは補給部隊が襲われると、20〜25分でガトリング砲 https://en.wikipedia.org/wiki/M61_Vulcan を装備した重武装の攻撃ヘリが支援して掃討する仕組みになっている。 それでもアフガニスタンのようにごくごく限定された地域で、言葉がわるいが国際社会への言い訳のような掃討作戦を行っているうちはよくても、完全に制圧した地域の内側の回廊をとおっていける、こういう特殊な場合から一歩でもでて、通常の浸透作戦にはいると、真っ先に狙われておおきな被害をだすのは補給部隊で、狙う側のタリバンやISIS側から考えれば、当然すぎるほど当然なことにすぎない。 たとえばアメリカ軍の標準では、日中は華氏140度(摂氏60度)を越える地表温度の両地方を行動する兵士のために、一日6リットルの水を飲むことを義務づけている。 義務づけている、と書いたが、兵士のほうでは、義務どころか6リットルでは全然足りないので、少しでもいいから増やして欲しい、と言っているようです。 二週間単位の掃討で、10人にひとり程度の兵士が熱中症になってメディックのヘリコプターで後送される。 この飲料水と弾薬だけでもたいへんな補給量で、アメリカ軍はJavelinのような、気が遠くなるような値段の、ぶわっか高い兵器を、2,3人のタリバンを殺すのに使うのを観てもわかるとおり、「湯水のようにカネを使って自国人の兵士はひとりも戦死させない」方針で戦争に臨んでいるので、現代のアメリカ軍はベトナム戦争当時に比べて比較にならないおおきさの巨大な補給部隊を持っている。 ところが、アメリカ軍に正面から立ち向かう戦力を持つ軍隊など、この世界には存在しないので、相手側は、自然、この補給部隊を攻撃することに専念することになる。 補給部隊は海兵隊の将校たちが「マリーンは軍隊の性質として、圧倒的に攻撃的」と述べるように、捜索して攻撃して殺せ、と徹底的に教え込まれる海兵隊の一線部隊とは異なって、自発的に攻撃をすることは定義上もありえないので、上に述べた理由で危険なこの任務を「防衛専門の日本軍にやらせればいいではないか」という議論は、ベトナム戦争の昔からあります。 第一次湾岸戦争では、日本が、この補給の任務を断ったので、前線ですら「同盟への裏切り」と感じる兵士が多かったとも聞いている。 いまの憲法を無視してまで進めている「戦争法案」が平和のための法案だというのは、単なる言葉の遊びで、言っている方も自分が述べていることを自分で信じるほど頭がわるいわけではない。 おおもとにあるのは第一次湾岸戦争の戦費をほとんど日本一国で支出したといいたくなるくらいのオカネを拠出したのに、クウェートの「友人諸国への感謝文」の長い国名のリストには日本が含まれてさえいなくて、呆然として、国としての最大の恥辱をうけとった政府の苦い記憶だとおもいます。 だから支援部隊に限る、というのも70年鍵をかけられて、戸口に錆び付いて、壁のいちぶになってしまったかのような重い戦争へのドアを、なんとかしてこじ開けるための方便、簡単にいえば嘘なのだろうと推測するが、仮に支援部隊に限っても、最前線と補給線の差は、担当する兵士に必要な訓練の差であるだけで、危険度においては変わらない、というよりも現状は、ほんの少し敵側に踏みいっただけで前線部隊よりも補給部隊の死傷率のほうが高いことは、特に軍事知識がなくても、直感的にわかる。 マスメディアによる現代の戦争についての、視覚的な情報の共有がない社会で戦争に関わるいかなる取り決めをすることも危険なのは、だから、言うまでもないことで、日本政府のいまのやりかたはフェアでないなあーとおもう。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

ドアを閉めて

ひとりで、なんだかぼんやりしている。 この頃、ミトコンドリアの機能のことを調べてばかりいるので、そのついでで、血糖値を調べるキットを買って、左手の人さし指や薬指からは、よく針で突いた血がにじんでいる。 糖尿病の人の反対で、なんだかものすごい低血糖で、たしか日本では異なる単位を使っているのだと思うが、4.0mmol/Lとかで、自分が正常値とは云っても低血糖症に極めて近いのを初めて知った。 あるいは、中世の魔術師のように、投資のリスクを、上限と下限を数学的に表現しようとして、歯痛をこらえる哲学者のような気持ちで、いくつもグラフを描いている。 新しいことばかりやってみる人間の常で、ときどき自分がやっていることが、たとえば過去の記録からロトの当たりナンバーを予測しようとしてでもいるような、バカバカしい試みなのではないかと、ふと思う。 実際、妄想的な試みなのかも知れないが、でも、まあ、時間がふんだんにあるんだからいいや、と考えなおして、また、数学の言葉でオカネの言葉を翻訳する。 海図を広げて、深度や、岩礁や、陸地の形から予測される風や、夜をすごす入江の形や向きを研究することは船乗りの基本で、人間の一生は、とても船乗りの生活に似ている。 400hpのCummins http://www.cummins.com/EngineBusiness エンジンをふたつ積んだパワーボートよりも、ヨットのほうが人間の一生に準えるには相応しい。 ヨットをよく判らない人は、艇体が風まかせなのだと考えるが、そんなことはなくて、吹いている風にどう対応していくかがヨットのおもしろさで、こわさでもある。 向かい風でも前に進める。 秘密は、真っ向から風に向かわないことだと思う。 あるひとつの時代に生きている人間は、その時代のもののけのようなもので、 ガーゴイルのように建物の階(きざはし)で、腰掛けて、世の中で起きることを見つめていたり、あるいは門柱で、向かい合って、自分が守るべきものの、意志を表示していたりする。 自分が何の精霊であるか、精霊は自身では知ることがないので、いつも困惑しながら生きている。 考えてみれば、意識を持つ生き物が、自分がなんのために生きているかを知らないのは滑稽でもあれば、残酷なのでもある。 人間の存在は悲哀そのものだが、その悲哀は滑稽に由来する。 モニさんと会って、人間の魂の自動システムが稼働しはじめて、例の、どうやってもその人のことしか考えられない毎日が始まって、マンハッタンのボロいアパートでコーヒーを淹れていても、大好物のきゅうりのサンドイッチをつくっていても、頭のなかはモニでいっぱいで、本を開いていても活字は目にはいってはいなくて、ひどいときには信号を忘れてクルマに轢かれそうになったりしていた。 運が良くて、思い切って話してみると、モニも同じで、あの寒い雪の日に22ndの交差点で、Will you marry me? が壊れた、誤っているフランス語の、変な言い回しの求婚をして、クラクションを鳴らすドライバたちに祝福されて、モニさんが頷く代わりに飛びつくような抱擁で応えて、その瞬間に、人間は生きる意味を探すようには出来てはいなくて、生きる意味を決定するように出来ているのだという簡単な事実を発見したのだった。 なんという愚かさだろう、といま思い出しても、おなじ感想を持つ。 あの瞬間まで、自分が生きることの意味を「探して」いたことについて、です。 自分は誰なのか、どんな人間で、自分はなんのために生きているのか、 ムダな疑問を繰り返して、朝まで起きていて、ノートに考えを書いてみたり、アパートの窓から明け方の町を見渡して、さてこの町には、まだ会ったことはないが、会えなかったらどうすればいいのか判らなくなるような友達が何人住んでいるのだろう、と考えたり、急に、自分の思考のこの限界は語彙にあるに違いないと考えて、死語を含めた、というよりも死語を中心にした、膨大な語彙を築いたりした。 それまで、まったくといったほうが良いほど興味がなかった「語学」に興味をもちだしたのも、その頃のことだった。 自分は自分で、他の人間が自分をどう思うか、と考えたことがないのは、というよりも、他人の目のなかに映る自分が自分である自己認識が存在するということを知ったのが、そもそも日本語を学習した以降のことで、もちろん英語社会にも同じようなことはあるのだろうが、育った社会の歴史と仕組みのおかげで、自分が宇宙の中心にいる育ちかたをすると、社会は自分の内部からまっすぐに、外に向かって延びる自分の視線だけで出来ている。 最も重要なのは自分自身で、他人は自分が充足したときに初めて視界に生じる。 自分が満ち足りて、ふと周りを見渡して、他の人間を幸福に、あるいはそれがおおげさならば、ほんの一分間でもよいから、冗談を述べて、あるいは身に付いた自虐の技術で、楽しい気持ちに出来ないかとおもう。 ところがモニさんを大好きな気持ちは、自分をまるごと転覆させてしまって、自分自身への配慮であるよりは、モニさんのほうが自分よりも大事になって、なんだか世界が逆さまになってしまったような、奇妙な混乱を自分にもたらした。 自分の手は、ほんとうに自分のものか? あの、立っているときには、少し遠くにある、スウェードの靴をはいた自分の足は、ほんとうに自分の足なのか? まるでモニに奉仕するために出来ているような、肉体の全体は、たしかに自分の身体なのだろうか? 認識が壊れて、認識が崩壊すれば、認識が現実なのだからあたりまえだが、現実の世界そのものが、音を立てるように壊れてしまう。 ひとりで、なんだかぼんやりしている。 コーヒーの入ったマグを手にしたきみが、なんだか世界が閉ざしてしまったドアの前で佇む人のように、寄る辺のない気持ちで立っているのが、その気持ちが、そのまま判るような気がすることがある。 錯覚なのだけど。 きみもぼくも、ほんとうは存在していなくて、椅子に腰掛けて、ぼんやりキーボードを叩いているぼくも、窓際に立って通りを見下ろしているきみも、ほんとうは幻で、神様が部屋からの出がけに壁のスイッチを切ると、 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 2 Comments

3分前

今年は地震の後始末で何度もクライストチャーチにでかけた。 何事につけ「遅れている」田舎国ニュージーランドも、おっとり刀で、iPhoneで航空券の購入からチェックインまで全部できるので、クルマで「ぶー」と空港まででかけて、屋内駐車場に駐めて、すたすたすたと搭乗ゲートに行けばいいだけなので、ボーディングパスもiPhoneで、東京で地下鉄に乗るようなものだと言えなくもない。 迎えのクルマに乗って自分の家に行く途中、むかしニュージーランドの夏になるとボロい冬天気の北半球からやってきて滞在したときに見覚えた通りが、どんなふうに変わったか見るために、寄ってもらう。 Bryndwrという、まともな舌をもった人間なら絶対に発音できないウエールズ語の地名がある町とフェンダルトンのあいだに、(UKでは長いあいだ冨の象徴だった)レンジローバーを家の前の通りに駐めてある家があって、 「まだ、あそこに住んでるんだな」と、なんとなく可笑しい気持ちになります。 少なくとも20年、住んでいることになる。 いまはバブル経済が長く続いて、そういうわけにいかなくなってしまったが、一生の間に11回、家を買い換えて引っ越す、と云われたニュージーランドでは珍しいことです。 「ガメ、なに笑ってるんだ?」と後席のモニさんが訊くので説明する。 あの家の主は、出勤する前に毎朝必ず買ったばかりのレンジローバーを車庫から出して、通りに駐車させる。 それからフォードで出勤する。 帰宅すると、夜、寝る前にレンジローバーを車庫にいれてから眠るんだ。 ガキわしはむかし、目ざとく、この奇妙な人の習慣に目をつけて、自転車でノースランドモールに出かけるのに、わざわざ、この通りを選んで行ったりした。 「見栄」というものの力の強さを学んだ初めであると思います。 Keeping Up Appearancesという、連合王国やニュージーランドではたいへん人気があったBBCのテレビコメディドラマシリーズがある。 題名どおり、見栄をはって、しかもイギリスの良俗にかなうsubtleな周囲との差を作り出そうとして、七転八倒する主婦の話で、クリケットの試合中継やテニスマッチで、ラウンジで家族全員で観るとき以外はテレビは観ないことになっていたロンドンの家とは異なって、割と簡単にテレビを観て良いことになっていたニュージーランドの家では、ときどき観ていた。 オーストラリアでも人気があったというが、見栄を張る傾向が連合王国人やニュージーランド人に較べると明らかに少ないオーストラリア人にとってのドラマの可笑しさと、まるで自嘲しているようなUK人やNZ人にとっての、自分の心にちくちくする可笑しさとでは、意味がおおきく異なっていたのではなかろうか。 見栄と嫉妬は、連合王国とニュージーランドの生活のおおきな部分を占めていて、これみよがしにオカネモチ風なのは、全然ダメで、たとえば、いまの、フォードにジャガーのバッジをつけただけであるようなアホなデザインになる前のジャガーとデイムラーの違いを見ればわかるが、外形は、ほおおおおんの僅かに異なるのでなければならないので、パジャマで最高価格のメルセデスを乗り回すのがカッコイイ、中国のオカネモチとは発想が別のものです。 (言わずもがなのことを付け加えると、わしは、中国のオカネモチの見栄のほうが安心してみていられる。 近所に越してこられるのは嫌だけど) 普段は努めてニュートラルにしている英語のアクセントを相手に失礼を感じると、ほんの少しだけ強くすることがある。 あるいは普通のUK人が使えば吹き出されてしまうような古色蒼然とした表現をわざわざ挟んでみせる。 見栄があれば、その反対側には嫉妬があって、人間にとって最もコントロールしにくい感情がこれで、文字通り人間を狂わせてしまう。 クルマの話で始めて続けたのでクルマで終始すると、買った本人は、エンジンルームから、遠くから響いてくるようなクオオオオンとカタカナならば書きたくなる、あの誰でもがいちどは好きになるBMWのエンジンの音が好きで買っただけでも、嫉妬の人は必ず「あいつは見栄で高級車を買ったのだ」と解釈する。 おおきな居心地の良い家も見栄で、快適でデザインのよい服も見栄、自分を解放する原動力のようなボートもヨットも見栄で、どうかすると学問まで見栄であると見なす人もいる。 富裕であること自体が見栄で「この世界はオカネだけではない」と、切った手首から血が流れているような無惨なことを言う。 心が悪鬼に乗っ取られたようになって、住んでいる実生活の世界が、そのまま地獄に変容してしまう。 日本が見栄と嫉妬の社会に変容したのは、ちょうどサムソンとLGが英語圏、特に太平洋に面した町々の家電店の店頭を席巻して、ソニーショップに人影がなくなり、東芝や三菱、最後まで残っていたパナソニックの文字が店頭から姿を消したのと同じ頃でした。 通りを「嫌韓運動」のひとびとが練り歩きはじめて、四谷の上智大学のそばで、用事があって麹町に来ていた、のほほんとした様子のイギリス人のすぐそばで、「韓国人は死ね」と叫んでいる日本人たちを、びっくりして眺めていたブラジル人たちの足下に唾をはいて、「出て行け」と怒鳴ったりしだしたのも、たしか同じ頃だったのではないだろうか。 あるいは、たねを明かせば、神保町の大規模書店の店頭で撮ったという、平積みになった「ベストセラー本」の画像と一緒に、 「自分の住む社会がここまで落ちぶれるとは思わなかった」、やりきれない、とユーウツに考えている顔が目に浮かぶような、まだ日本にいて大学教師をしていた頃の友達のemailを読んで書いた 「鏡よ、鏡」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/ で述べたことを、もう少しストレートに言うと、 「自画自賛文化」を作り出して、ありとあらゆる発言が、下は最下層のネトウヨ人から上は首相に至るまで、見栄と嫉妬だけで出来ているように見える社会に日本がなってしまったのはなぜだろう?とよく考える。 自分は正しい、おまえは悪い。 自分は優れている、おまえは劣っている。 うるさいなあ、おれに都合が悪いことは全部ウソなんだよ。 子供のときの日本でのチョー幸福な記憶と、小泉八雲の寂しくて美しい物語と、精霊の力に満ちた宮崎駿の映画とで出来ている、わし頭に存在する日本と、 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 3 Comments

ラーメンと餃子

医者なんか向いてなああーい、と考えて医学の勉強は途中でおっぽりだしてしまったが、最後のほうまで勉強はしたので、一応、調べながらならば、本を書いている人がなにを言っているかくらいは判らなくはない。 福島第一事故の影響がどんなものになるだろうということには、 英語ではcut cornersというが、文明に、 きちんと手続きを踏む習慣がない、日本、韓国、中国のような国々が、要するに遅延化した核分裂でデカい薬罐のなかの水を沸かして、そのエネルギーで発電するという、技術思想が古いのだから仕方がないが、いかにもマヌケで、マヌケな技術の宿命によってチョー複雑なシステムを運営して、次の爆発事故が起きないわけはないので、強い関心がある。 相変わらず、ときどき調べてみるが、そうしているうちにミトコンドリアの機能低下という問題を経由して、糖尿病という病気にいきあたって、サイドトラックで、今度はしばらく糖尿病について読みふけってしまった。 そのサイドトラックの、そのまたサイドトラックで、日本ではなぜ炭水化物に偏った食習慣なのかしら、と考えた、というのが、この記事のヘロヘロした主題です。 主題なんて、あったのか。 よろめきながら散歩してるだけなのかとおもっていた。 もともとラーメンは好きでないが酔っ払うと義理叔父が帰りに必ずラーメンを食べたがるので、なにしろ酔っ払ったあとに当時の義理叔父の家があった鎌倉まで横須賀線で行くのは嫌で、タクシーに便乗する必要があったので、義理叔父のお供をする場合には、ラーメン屋に行く必要があったのは前にも書いた。 深夜なので「香妃園」の鳥そばとか、そーゆー店です。 香妃園でもチャーハンを一緒に頼んでいる人が多かったが、他のラーメン屋でもラーメンと餃子を一緒に頼んでいる。 鎌倉のラーメン屋では、ラーメンとライスを一緒に頼んでいる人もいる。 本人が、おいしいと思っているのだから文句を言う筋合いはないが、 チョー変というか、こっちからはなんとなく得心がいかない。 おそるおそる、わし日本語および日本文明の教師たる義理叔父に訊いてみると、あれは麺と餃子を食べると思うからきみのように間違えるのであって、スープと餃子を食べているのよ、と澄ましている。 説としてもっともらしいが、 なんとなく騙されているよーな気がします。 アジア諸国の人口がおおきいのは米食のせいである、と習ったことがある。 同じ作付面積で小麦が養える人口の5倍だったかなんだったか数字を忘れてしまったが、いっぱい養えるのだと、いかにもイギリス人ぽく、後頭部の髪の毛がいつもピョンと飛び出して突っ立っている、風采のあがらない教師が述べていた。 ひとはパンのみにて生くるものにあらず。 あれは、そういう意味とはちゃいまんねん。 主食、という不思議な観念が日本にはある。 ライスでステーキを食べても、ライスよりはずっと高価なはずのビーフステーキが脇役で主役はあくまで米なので、ステーキさんはたいへん不満なのではないかと推測される。 同じ「西洋」という大部屋出身のパンならばステーキが主役かというと、調べてみたことがあるが、不思議にもパンのほうが主役でした。 なぜか。 「そんなの、江戸時代には米が通貨だったからに決まってんじゃん」という人がいるだろうが、まあ、そうなんでしょうけど、いいじゃない、疑問を持つくらい。 明治時代、脚気に悩まされて、死者まで出した日本帝国陸軍は、どうもこれは「白米」中心の食事がダメなのではないか、と考えるが、当時の栄養学の権威、専門家ちゅうの専門家だった森鴎外が「ぶわっかたれめが、素人がニセ科学を信じてくだらぬことをぬかすと真正科学教会の異端審問にかけて菊池先生にコチョコチョさせるぞよ」と激怒したので沙汰やみになってしまった。 脚気の原因は、ほんとうは当時は「非科学的な仮定」にしかすぎなかったビタミンB1の不足だったので、真正科学教の権威に従ったせいで、兵士はますますえらい勢いでバタバタ倒れていきます。 帝国海軍のほうはニセでもホントでもいいから現実を観ないとしょーがないんじゃないの?という、お手本にしたイギリス人の、愚かというか、「理論? 理論て本読むの? ああ、じゃ、ダメ、ぼく字読むの嫌いだし」、という態度を継承していたので、イギリス海軍には脚気が存在しないことに目をつけて、よく理屈は判らないが、マネッコをすればいいのではないか、ということにして、白米中心主義を捨てて、それまで「銀シャリ」だけを楽しみに厳しい訓練を我慢してきた水兵たちが叛乱を起こしそうなくらい不満であるのを押し切って、イギリス風に味のない、チョーまずいビスケットなども取り入れて、あな不思議、脚気患者ゼロになってゆく。 この頃はまだイギリス海軍には水兵に至るまでラム酒をふるまう習慣があったので、わしが海軍軍医なら「ラム酒に脚気を防止する栄養があるに違いない」と主張して、酔っ払い艦隊をつくることに貢献したに違いないが、多分、日本海軍の軍医さんはマジメで、お酒を飲まない人だったのでしょう。 調べてみると、餃子が日本人の食生活のなかで普通のものになったのは、1950年代の初頭のことのようでした。 神保町の「スヰートポーズ」が1935年に始めたのが最初と書いてあるが、一般的な食べ物ではなかったようで、食べ物に関しては万事新しいもの好きだった小津安二郎の「お茶漬けの味」(1952年)には、津島恵子を誘って、デートに連れ出すことに成功した、なんだかのっぺりした顔の鶴田浩二が、 「ね、おいしいでしょう?これ、ラーメンて言うんですよ。近頃、流行なんです」と述べるところが出てくる。 ちなみに(←一度使ってみたかった表現)、このあとふたりは、あまりためらうことなく「おじさん、もう一杯ちょうだい!」と言うが、どうも、これは、この頃までは「うどん」や「そば」は一杯ですます食べ物ではなく、「お代わり」が当たり前だった名残であるようです。 「開業当時、餃子のおいしさと、バラエティと、店員の態度の失礼さでオークランド人をびっくりさせた」と愉快な紹介をされるドミニオン通りの Barilla Dumpling https://www.zomato.com/auckland/barilla-dumpling-balmoral の壁には、「餃子の由来」が書かれていて、それによると餃子は年越しそばに似た、新年を迎えるための食べ物だったそうだが、いまでは焼くか蒸すか茹でるか揚げるか、いずれにしろ、ひとりで20個くらい食べる簡便な昼ご飯で、中華系人も欧州系人も大好きで、みんなが仲良く肩を並べて食べている。 ソースはたいてい黒酢とラー油で、日本の人の酢に醤油をいれる食べ方は、黒酢の代用ではなかろーか、という感じがする。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

ニュージーランド八景(その1)

ノースショアという。 オークランド市街の北側に広がる住宅地で、1994年だったかにオーバニーモールを中心としたおおきな規模の開発が行われたことで、その前からあるタカプナやワイラウも開けて、最近はとても人気がある。 むかしは新開地らしくサービスがひどくて、まだこのモールができたばかりのころ、かーちゃんが妹をつれて買い物に行くというので、チャアアーンスと心のなかでつぶやいて、わしは、じゃあ、遠慮してここにいますから買い物が終わったら、また会いましょう、と述べて、後ろ姿を見送ってから、ダッシュでマクドナルドに行って、フィレオフィッシュを注文した。 普段は、コーラやマクドナルドを、かーちゃんが蛇蝎のように嫌っていたのを知っていたからです。 ところがフィレオフィッシュ一個つくるのに、どうしたらそうなるのか、20分もかかった。 当然、ばれました。 かーちゃんは笑っていたが、わしは息子として体面を失ったので、おのれマクド、と考えたりした。 開発が進む前は、真っ白な、欧州系ばかりの地域で、そのあとで韓国の人たちが集住しはじめて、いまは留学生やなんかを含めると10万人以上住んでいるとかで、自然、韓国料理屋でおいしい店がたくさんあります。 オークランドのエスニック料理店のよいところは、出身国の店をそのまま出したようなオーセンティックな店が多いことで、衛生基準だけがニュージーランドスタンダードで、マンハッタンと同じで(と言ってもNYCのは割とええかげんだが)、頻繁に行われる衛生検査の結果を店の見える所に貼り出さなければいけないことになっている。 韓国料理屋はたいていAだが、わしが好きなアフリカ人のフライドチキン屋はEになったり、やる気がでて突然Aになったり、またEに転落したりで、観ていてなかなかオモロい。 Eは「食べて病気になっても店やカウンシルに責任を求められない」 「1ヶ月以内に改善されない場合は店を閉鎖しなければならない」とかなんとかで、あのフライドチキン屋の主人は、多分、一気に土俵際に追い込まれるタイプの人生の快感が忘れられないのだとおもわれる。 スンドゥブヂゲ(豆腐チゲ)を頼むと、まず4〜8皿の小皿料理が出てくる。 キムチ、は必ずある。 もやしの「おひたし」みたいなのがあって、牛肉のすじ煮、こんにゃくの、どうしてるんだかよくわからない料理、さつま芋の甘露煮、カクテキ…というようなものが出てきて、全部タダで、お代わりも自由です。 観察していると、ダメなら言えばいいのだよ文化の中国の人たちは、どんどんお代わりを頼んで、どうかすると5回くらいお代わりを頼む人がいる。 そうすると韓国料理屋がわは、少しずつ少ない量をお代わりで出す。 だんだん、限りなくゼロに近づいていくので、観ていて、なんとなく昔、数学の教室で教わった微分の定義をおもいだす。 スープが到着すると韓国の人はだいたいにおいて一緒についてくるご飯をスープにいきなりいれてしまうようにみえる。 中国のひとたちはときどき思い出したようにご飯をスープにつけている。 日本の人は、スープとご飯を交互に食べている。 わしも同じだが欧州系人はご飯を食べない人も多くて、わしなどは、毎度毎度「ご飯はいりません」と述べるのを忘れて後悔する。 スープと一緒にやってきたご飯を観て、ぐわああああ、と考える。 また断るの忘れたやん。 東京では「高くて不味い」印象だった韓国料理がオークランドでは、チョーおいしい料理で、冬になると、韓国料理屋を見つけては、よくクルマを駐めて、モニとふたりで食べにはいった。 韓国の人は親切で、まるで家の客人のように客をもてなします。 英語は上手とは言えないが、韓国語を話してみると、大笑いしながら、直してくれる。 ちゃんと顔をおぼえていて、ハローが、二回目はアンニョンハセヨに変わる。 ふだんから韓国の人や韓国系人を見慣れているので、そう言っては悪いが、東京で「韓国人でていけ」をやっている人が、ひどく頭のわるいマヌケな野蛮人にみえてしまう。 慰安婦議論に至っては、韓国の人は、どうしてあんな議論を我慢して聞いているのだろうとおもう。 日本人は忘れているが戦後すぐには、ごく普通の主婦ですら米兵相手に売春せざるをえない人がたくさんいて、教育がない人間も多かった米兵たちは、売春婦の日本人たちを人間として扱わず、単なる性具とみなして「酷使」する人間も多かった。 繁栄がもどってくると、そういう日本の女の人達は沈黙して、過去を知られるのを極度に恐れたが、たいへんな数で、有楽町のおときでなくても、インタビューも残っている。 慰安婦議論を観ていると自分の母親を売春婦と罵っているような無惨な印象が起きる。 韓国人を殺せ、韓国人でていけ、慰安婦はビジネスでやっていただけだ、と述べる日本の人達は、現実には、韓国系人たちと毎日顔をあわせて、話をして、東アジアの人特有の、陽だまりのような暖かい親切や、明るい笑い声にふれている欧州系人たちに直接悪罵を聴かせているのと変わらない。 英語の解説付きで伝えられる嫌韓運動の様子と、なによりも、それが社会的に許容されていて、いつまでも続いていることが欧州系人たちにショックを与え、日本社会だけでなく、日本人自体と日本文化に対して疑いをもたせて、最近では、日本人の同僚というようなものにまで、まともな人間らしく見えるが、ほんとうの内心の姿は、どうなのだろう、というような疑念を持つ人まで出てきている。 韓国料理屋を出て、橋の反対側にある家に戻る途中で、タカプナにおりて、タカプナの、住宅地が砂浜に張り出している、不思議な高級住宅地のあるタカプナビーチをのんびり散歩する。 新しく出来たニュージーランドらしくない洗練されたバーがあって、モニとふたりでシャンパンを飲んで遊ぶ。 どうせ、いつかは帰るんだから、いまはまだ欧州ではなくて、ここでいいじゃない、ガメ、とモニさんが言う。 モニさんが言うなら、いちもにもないので、いいですよ、と述べながら、わしは、ニュージーランドの空の特徴の、でっかい積雲をみあげています。 シャンパンもおいしいし、まあ、いいか、と考える。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

言葉と国防

1932年、 ミュンヘンを訪れていたチャーチルに、Putzi Hanfstaenglを通じて、密かに連絡したヒットラーは、クルマから降りて、待ち合わせたホテルのロビーのドアの前まで行くが、変心して「会わない方がいいようだ」と述べて踵を返して帰っていった、とチャーチルの孫、ウインストンSチャーチルが述べている。 この人にとっての父親、ウインストンチャーチルの息子であるランドルフが、そのとき一緒にいたからです。 ヒットラーが自分のほうから望みながら結局はホテルロビーの玄関まで来て引き返したのは、(Hanfstaenglによれば)「チャーチルと議論するだけの自信がまだなかったからだ」とSチャーチルは証言している。 成人する少し前から、ウインストン・チャーチルを薫陶し、直接に保護する役割を担ったのは、一群の、富裕で教養のあるユダヤ人上流社会人だったのと、選挙区のマンチェスターはユダヤ人がたくさん住んでいるので有名な町で、1930年にはもうチャーチルは晩餐の席で、ドイツ大使にしつこいほど、まだ突拍子もない主張をする極右政党から、世界恐慌の混乱に乗じて国民の2割弱程度の支持を受ける政党に変質しつつある政党に過ぎなかったナチについて質問を繰り返して、奇異に感じたドイツ大使が本国に打電するほどだったが、それはヒットラーのユダヤ人政策をチャーチルが現実の危険性を持っていると感じていたからでした。 1930年といえばヒットラーがチャンセラーどころか、まだドイツ国籍すら持っていなかった時のことです。 ウインストンチャーチルは、ミュンヘンを訪れていた当時は、有名なChartwell時代で、もう時代遅れの右翼政治家と見なされて、保守党本部からおっぽりだされ、それまで、ほぼ30年間、常に閣僚でいたのに、平議員に格下げされ、ケントのChartwellの美しい「田舎の家」で庭仕事に没頭している時代だった。 議席はまだ保っているものの「すでに引退した政治家」だと考えられていた。 「戦争屋」という人がたくさんいた。 「ありもしないナチとの戦争の可能性を言い立てる右翼政治家」が、当時のチャーチルに対する一般的イメージだったでしょう。 理念はともかく集団自衛権は、よく知られているように、歴史上では攻撃的に働くことがおおい。 戦争においては自衛という言葉は、ナチがポーランド侵略をはじめたときにも「自衛のためである」と述べたのでもわかるとおり、一種の、体裁をつくろうための軽い修辞にしかすぎない。 効果のほうはどうかというと、フランスがナチに侵略されはじめると、同盟国である連合王国は大陸遠征軍と空軍を派遣してナチと戦い始める。 本来の防衛的理由で集団自衛権が発動されるときは、たいていそういうもので、切迫してゆく戦勢のなかで、フランス首相ポール・レイノーと連合王国の国益はことごとに相反していき、一例を挙げれば、フランスは、「陸の帝国」フランス、「海の帝国」イギリスに続く「空の帝国」であったナチに圧倒されて潰滅した空軍を補うために一機でも多く連合王国の飛行機を必要としたがイギリス側はフランスがもう陥落するのは目に見えているので、一機でも自国の防衛にとっておこうとする。 フランス政権内部も分裂しはじめて、レイノーが休戦派に敗れて辞職すると、連合王国はついにフランス地中海艦隊を砲撃して、同盟の精神から言えば「同士討ち」の形にまでなってゆきます。 ところでポール・レイノーと緊急の会談に急ぐウインストン・チャーチルが列車のなかで書いた手紙は、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトへ宛てたもので、輸送船団護衛のための駆逐艦と十分な準備のない弾薬を「貸して」くれという切実な手紙でした。 フランクリン・ルーズベルトは、あなたも民主主義社会で選出された政治家だからおわかりでしょう、いまのアメリカの情勢で、そんなことを国民に提案することはできない、アメリカ人は平和に生活したいのです、と返事を書いて、チャーチルをひどく落胆させます。 余計なことを書くと、後年はふたりとも取り繕って、やや異なるストーリーに書き換えてしまっているが、当時のフランクリン・ルーズベルトの英国観におおきな影響を与えていたのは、駐英アメリカ大使のジョセフ・ケネディで、このひとは戦後のアメリカ大統領ジョンFケネディの父親だが、アイルランド系人として、すさまじいまでの憎悪をイギリスに対して抱いていた人で、「まるでアメリカとイギリスを分断するための大使のようだった」とイギリスとアメリカの両方に証言がある。 フランスが陥落し、ヒットラーのアマチュア戦略家としての自信のなさから、突然ダンケルクの直前で停止したドイツ機甲部隊に助けられて、23万人の遠征軍と7万人の自由フランス軍がダンケルクから、文字通り「着の身着のまま」の姿でブリテン島に脱出する。 いつもはオバカな連合王国人が、ここで誇っていいことは、ボロをまとって浮浪者じみた、惨めな30万人の敗残兵をイギリス国民は大歓呼で迎えたことで、上陸したときには自信を喪失していた敗残兵たちは、一歩内陸に向かうごとに、自分を「英雄」と呼んで、食べ物や、服、1パイントのビールまでを差し出してくれる国民の歓声のなかを歩くうちに、打ち砕かれていた、兵士としての、人間としての自信を取り戻してゆく。 フランス兵たちのほうは、敗兵は敗兵でしかなさそうな自分の国との、あまりの国民性の違いに、なんだかボーゼンとしてしまったようでした。 1940年5月14日、いよいよドイツのブリテン島侵攻が誰の目にも明らかになると、アメリカの援助をうける希望を失って、 「GDPと三八式歩兵銃」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/08/08/arisaka-type-38/ の記事で観たように国力の点からも、あるいは長年の軍縮政策が祟って極度に弱体化していた軍事力の点からもドイツと較べると、おとなと子供の違いがある連合王国ただ一国で戦わねばならなくなった国民に対して、ウインストンチャーチルは首相として初めてのラジオ放送を行う。 「I speak to you for the first time as Prime Minister in a solemn … Continue reading

Posted in Uncategorized | 1 Comment

ブログ

わしのブログの最大の特徴は何年もやってるのに零細であることです。 ときどき一日で7万というようなアクセスがあるが、そういうのはだいたい政治の話とかで、頭のわるいおっちゃん(←チョー失礼な表現)の思考の琴線にうっかり触れてしまったときにどっと人がくる。 別に炎上しているわけではなくて、どうも日本語人は政治や社会の話が文字通り「三度の飯」より好きなようで、もしかすると、そういうことについて考えている自分の姿がインテリっぽくて好きなのかもしれません。 インテリって、死語なのかな。 而して、次の記事のときに来てみると、他人の期待にまったくこたえるということがない、記事を書いている人間のチョーわがままな性格を反映して、モニちゃん大好き♡とか、メッサーシュミットがどうたらとか、ブルースを聴いてみるかい? とか、政治や社会について難しいことを考えたいひとびとの期待をおもいっきり裏切って、たわけたことが書いてあるので、またアクセス数がへろへろになります。 はてなの人々が何千人という単位でやってきて、集団サディズムのアドレナリン全開で、きんぴらやニセガイジンで、こちらも日本社会観察のチャアアアアーンスで、オモロいのでからかってたら、仕事が珍しく忙しいのにもっといっぱい来て、そのあと、アクセス数が「50」とかになって、つまりは名前をもとから知っている、josicoはんやナスやすべりひゆやネナガラたちだけが読んでいるという期間があって、このときは、いろいろ書いて遊べたので、なるほど読む人が増えると、人間は読み手の目を意識してしまうのね、ということを学習した。 はてなの大将だという人が、自分の偉大な英語能力(とドイツ語だかなんだかの能力と言っていたが忘れた)に照らしてニセガイジンであることを証明した、と宣言して、なにしろはてな世界では権威ある大将の言うことなので、信仰して、何年もニセガイジンと喧伝して、何千人という数の自称リベラル知識人みたいなひとたちが、そろいもそろって、あまりに聡明なので、英語で反駁したいのを懸命に我慢して、他の日本語がわかる英語人たちと、ずっと観ていて、みなで、この「はてな知識人」たちの爽快なくらいのバカッぷり(←言ってしまっている)を眺めて、お下品にもげらげら笑って遊んでいたが、去年のクリスマスの頃だったかなんだか、すげー酔っ払ってしまって、うっかり英語をいっぱい書いてしまって、そのときに、このはてな大将がまた誰かを罵倒していたので英語でずっと話しかけて、おかげで、ひくひくしながら、わしの英語が「ニセガイジンの英語であることを証明した」このひとが「歴史修正主義者」を攻撃するときとおなじ、論理もなにもない、おもいこみを、英語人よりもすぐれているという英語力を駆使して、自分がアクセスできるだけの資料を適当にならべて罵声をあびせるときと、はてな人のお供をひきつれて、まったく同じ論法でニセガイジン攻撃を続けるのを、観て楽しむ娯楽がなくなってしまった。 残念です。 カバを3本も飲まなければよかった。 さすがに自分の手で何年も、自分の論理がまったくのデタラメで、ようするにただの糾弾魔にしかすぎないことの証拠を積み上げて、魚拓までとってあったりして、見事に自分で自分の論理のスカぶりを証明してしまったので、まわりから、ひとが何人も立ち去って、 パニクって、わざわざ大庭亀夫を誹謗するための記事を書いたり、別アカウントを使って中傷したりしていたそーだが、人間みたいなものだったのにトロルになってしまって気の毒だと考えもするが、わしのほうは、このひと方面の娯楽はきんぴらごぼうだけになってしまったので、面白くないと言えば面白くない。 とぼけて困ってるふりをして遊んでいた、そのすぐあとで、まったくの偶然だが、きんぴらな、迫力のある論文を英語で書いた人で、正体は旧帝大の[削除・検閲済]の教授だが、この明晰な人と話をするようになったことが、神様が「あんまりいたずらばかりするな。わたしはちゃんと観ているぞ」と述べているようで、おっかなかったが。 ひとつ言い訳をすると尊敬する社会学者の年長の友達が「ガメさんが、なんで、あんなチンカスを気にするのか理解できない」と何度か述べていたが、わしは日本の一部の「進歩的な人間」が底が浅い糾弾中毒者の集まりにしかすぎなくて、ネトウヨよりも学校の成績がよかっただけの違いしかない本質的には同じ性格の集団で、その本人たちには自覚がないケーハクが日本の社会にとって危険であることに関心があった。 国会前に若い人が集まって日本にも、ほんものの自由人の世代がそだったことを示して、あの「市民」な人々が、いかにインチキな天然全体主義者の集まりだったかが社会全体にあまねく了解されてしまったので、だから、もういろいろな人の忠告どおり相手にしなくていいとは思う。 もっとも、世の中は人間よりも常に賢い。 パチモンリベラル人が、さまざまな「自分が気に入らないこと」の糾弾に夢中になっているあいだに、世の中は彼らを追い越してしまって、おなじ自由人でも、パチモン市民とは異なる、まともな自由市民たちがあらわれて渋谷や国会前に集まるようになったことは「世の中」というものの不思議な意思表示だった。 沈没したわけではないが、プリンスオブウエールズ、チャールズ皇太子は非常に趣味がよい人で、ミニクーパーが、あまりに売れないので生産中止になりかかっていたのに、この人がおおっぴらに、あちこちのパーティで、こんなオモロいクルマはないから買ってみろと奨めて歩いたせいで噂になって、一転、ベストセラーになったのは有名だが、他のことに関しても、この性格が著しく悪いおっちゃんは、どういうわけか趣味だけはよくて、「贋作美術館」を持っている。 精巧なニセモノだけを集める蒐集家として、世界的に有名で、非常に良い趣味の贋作を大量に持っています。 このレベルの贋作になると、それひとつで壁にかかっていても、専門家が鑑定しても贋作とは判らない。 本物と並べて、しばらく両方かけておいたあとで、だんだん軽薄な感じがしてきて、ある日頭に来て捨てる、という経過になる。 小林秀雄という人は、大金を払って買って床の間にかけてあった掛け軸を、ある日じっと眺めていて、「これは贋作だ」と気づいて、日本刀を持ってきて、一刀のもとに切り捨てた、と述べているが、鎌倉ばーちゃんの知り合いの、刀剣鑑定にすぐれた人が、 「でもさ、あの日本刀もニセモノだったのは死ぬまで知らなくて幸せだったとおもう」と述べたのでお腹がよじれるほど笑ったりした。 ほんものの自由人が若い人たちの姿で出てみると、それまでの「自由人」たちは、ほんとうは「自由」を標榜する全体主義者で、なにかというと口汚く糾弾する日本の「自由人」の通弊は、つまりは軍隊の下士官が兵隊に平手打ちをくらわせるときの気味の悪いどなり声と同じものだった、ということが、傍で見ている人たちに自然に感得されてしまった。 SEALDsという人達の運動が、政治というものは政治なので、どうなってゆくか判らないが、すでに達成した功績というべきものがあって、ごく判りやすいやりかたで、これまでの日本の「進歩的知識人」および、そのパチモンが、いかにインチキだったかを浮き彫りにしたことがそれだと思います。 日本語が好きなだけの、ヒマなニセガイジンは、日本の社会に現れるのを観たかったものが、実際に観られてしまったので、退場してよいところだが、今度は日本語を通じて友達が出来てしまったので、このブログやツイッタを通して、懇親を深めて、日本語を書くのをやめて、きみが想像するよりも遙かに富裕な、ハンサムで温和で成熟した争いを好まないおとなの、もう少し枕詞を長くしたほうがタイ王室に勝ててよいが、実物をあらわして、たとえばヨットで上陸するとか、なんなら白象に乗って踊りながら現れてもよいが、会いにいくための下準備に日本語で遊んでいたい。 この次の記事は、このあいだツイッタで 「しかし、もう個人預金も事実上吸い上げられて、取られるものはみな取られてしまったので、せいせいした」というようなことを述べている人がいたので、「いやいやいや、そんなことはない。金融の仕組みを利用すれば、こういうふうに国民ひとりひとりに直接借金を背負わせて、もっとアベノミクスをすすめるための投入資金をつくりだすことが出来るのさ」ということを示そうとおもっています。 約束まもる確率とか、知っているとおもうが、3割くらいだけど

Posted in Uncategorized | 2 Comments