Monthly Archives: September 2015

深い水のなかで息をとめる

好きかどうかわからないから付きあってみる、ということが判らないみたい、と言う。 「あ、日本の男の人って、そーゆーもんみたいよ」と述べるわし、 相手は溜息をついています。 ローラさんが、ヨシと付き合いだしたのは、一年前で、ローラさんはパートタイムの英会話講師で、ヨシと会ったのも英会話学校の教室だった。 いくらパートタイムで時々お小遣い稼ぎにいくだけだと言っても、同僚は同僚で、冷やかされるのは嫌だなあーと思ったが、ヨシのマジメな態度と、熱心さが好もしかったので、そのうち一緒にコーヒーを飲みにいくようになって、ボーイフレンドとガールフレンドになった。 こういうことを付け足して説明しなければいけないのは煩(わずら)わしいが、ボーイフレンド、という言葉はもともと英語では肉体関係があることを暗黙に含む。 楽しかった、という。 それまでは英会話学校で知り合ったパートタイムの講師仲間と「居酒屋」に行ったり、ひとりでヘッドフォンをつけて音楽を聴きながらインターネットで遊んでいたりしたのが、なんだか目をきらきらさせて、自分に夢中になっている若い男が、毎日でも会いたそうなことを言ってくる。 電話が、毎日かかってくる。 日本は面白い国で刺激がたくさんある。 文房具ひとつとっても、何百という種類があって、しかも伊東屋と東急ハンズでは、まるで違う文房具が並んでいる。 丸善に行くと、さらに異なる種類がある。 まるでパラダイスのようだ、と誰でもおもう。 デパートメントストアの地下に行くと、「デパ地下」がある。 やたらに清潔な売り場に、見たこともない食べ物が並んでいる。 英語世界のデリでも、店員さんに言えばいくらでも味見させてもらえるが、日本では「試食」で、ほとんど、どの食べ物も黙っていても食べられるようになっている。 一方では東京は、英語人にとっては疎外されやすい都会で、まず英語を話す人の数が少なすぎる。 その上に毎日の生活に夾雑物が多くて、その結果、起きてから寝るまでやたら忙しい生活なので、友達ができにくい。 英語人の男は、わしのようにええかげんな奴ばかりなので、誘っても約束の場所にくるんだかこないんだかも半々ぐらいで、 「3時に有楽町の電気ビルの裏口って約束したじゃない」と電話で抗議すると、 「そうだっけ?すまんすまん、忘れてた」という。 後ろで、「コーヒーができたよー」という知らない女の声がしている。 アメリカ訛りで、また新しいのと付き合ってるのかと頭にくる。 そこにいくと日本の若い男は誠実で、ヨシは4歳年上の27歳だが、真摯さがまるで異なるようだ。 「と思ったんだけどね」と言う。 ふんふん、と妙に図体がおおきい、見るからにやる気のなさそうな男の友達(←わしのことね)がうなづいている。 「ガメ、ちゃんと、聴けよ」 聴いておりまする、と言うことは神妙だが、ほんとうはさっきから遠くに見える「ぢ」の赤いネオンサインに気をとられているのではないか。 なんというか、わたしは寂しくて、ひとりぼっちな感じがしたから付き合ってるわけだけど、ヨシのほうは、なんだかものすごくシリアスに関係を受け取ってしまっているみたいだった。 困ったな、と考えた。 そう考えだすと、ヨシと一緒にベッドで過ごしても、なんだか勝手に相手が自分の身体の上に乗っかって「用事をすます」のを我慢しているような気になってきた。 愛してはいないんだよなー、とつくづく思わされてしまう。 そこにタケが登場したわけだな、と、わし。 そう。 ローラさんは、また溜息をついている。 子供っぽいヨシとは違ってタケのほうは女の気持ちがわかるみたい。 ヘアドレッサーのせいかも知れないけど洗練されてるしね。 タケなら一歩すすんで、もっと深い関係ができるかもしれない。 じゃ、タケさんにすればいいんでないの、と述べてみると、 「やってみるとセックスの相性が悪いんだよ」ということが理由だった。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 6 Comments

半拍おくれで考えてみるということ

ロンドンでバリスター(法廷弁護士)をしている仲の良い年長の女友達と話していたら「バカだな、ガメ、To Do Listは仕事をやらないためにあるんだよ」と言われてびっくりしたことがある。 なあーんでー、と相変わらずマヌケな返答をする、わし。 仕事にプライオリティをつけるでしょう?という。 「へえ」 プライオリティ・ナンバーワンから2,3,4,と付けるでしょう? 「へえへえ」 そうすると、私の場合、一日にやるべきことが40は絶対にある。 まあ、おばちゃんの高い地位ならそうでしょうね、と内心で考えるわし、「おばちゃん」みたいな言葉を口に出すと、この人は法廷弁護士のくせに暴力的な人で頭をひっぱたかれる(←UK社会では異常なことだが事実)に決まっているので声に出していいません。 目下、頭で考えたことが、頭頂15cmくらいのところにホログラフィックに表示される映像装置を研究中だが、ああいうものは作らないほうがいいかもしれぬ。(注1) 「40も仕事が出来るわけがないから、上から3つやれればいいということにしてあって」 なるほど。 「ところで、仕事には、途中までやって放っておくと、自然と解決がみえてくるものや、ときどき考えたほうがうまく解決するものがあるのよ」 ここに至って、おおおお、と集中力が湧き起こる、わし。 と、この調子で書いていくと30分かそこらの会話がヘロドトスの「歴史」みたいになってしまうので、やめるが、このときの会話が、ずっと頭に残っている。 このブログを昔から読んでいる人は皆知っているが、わしは、なんというか生まれてからずっとチョーひまな、ヒトには稀な一生を送ってきたので、「忙しい」という状態に陥ったことがない。 冷菜凍死が職業だが、これも昔から読んでいる人には薄々わかっているとおもわれる。 ふつーの「投資家」とは、えらく違うスタイルです。 主な部分は大家さんがときどき数学やってるみたいな、ヘンな投資スタイルなので、伊達に「凍死」と当て字しているわけではありません。 一年の労働時間を一日に換算すると「3分」とかな生活なので、忙しいのはPCゲームを遊んでいるときだけであるよーだ。 而して、そのわしにして、おばちゃん(←まだ言ってる)の考えは示唆的である。 To Do Listを一気に仕事をやらないために使ってるのかあー、ふうううーん。 おばちゃん、見た目よか、賢いじゃん。 昔、「時間とどう付き合うか」という記事を書いたことがある。 「時間を取り戻す」_経済篇 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/01/03/time/ tumblrを周遊して遊んでいたら、この記事は4000リブログと付いていたり、300リブログと付いていたり、いろいろなヴァージョンのリブログが流通していて、普段はチョー零細なブログにも、ちゃんと読んでいてくれる人があるのが判って、ありがたいこっちゃ、ナンマンダブナンマンダブと考えたが、タネを明かせば、もともとこういう「時間」への考えは、フラメンコの手拍子から思いついたことだった。 知ってますか?フラメンコのチョーかっこいい手拍子。 通常の拍より少し早くて、遅くて、旋律とは異なる、でも並行した時間の流れをつくっている。 もともとはフラメンコのものだが、スペイン人たちは現代音楽でもだいたい同じ拍と曲の関係の伝統のなかで生きている。 いま、ちょっと見てもオンラインで出てこないので、あとで自分で探してみてほしいが、この一群の手拍子のスタイルのなかには、英語人の目でみて、 「ほんまに、これで手拍子て言えるんかいな」と言いたくなる、なんかテキトーに手をたたいてるだけなんじゃないの?な手拍子があります。 ところが、慣れると、この手拍子のほうが、音楽というものへの洞察が深くて、スペイン人は「時間」というものへの他の文明とはおおきく異なる理解を持っているのが判ってきて感動する。 「自分の意識の流れと世界の意識の流れは速度が違って当たり前なのだ」と常識のようにして知っていて、その叡知の深さに呆然とするような気持ちになってしまう。 朝から晩までバルカン砲のような超高速でくっちゃべっているだけではないのね。 長い歴史を持つ文明をみくびってはいけないのだ、と感銘する。 SEALDsは、わしの目からみると、日本では初めて、ベ平連がなりかけてうまくいかなかった前駆体だったのかも知れないなあーと思う程度で、あとは前例がない「普通の人」の集団だが、昨日、SEALDsについて、いつもの、日本語ネットの様子を知るために設定してある、ときどきは入れ替える、web観測定点を周回していたら、ぶっくらこいちまっただよ、というか、 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 3 Comments

夢と現と

たとえばクールベのおおきな絵を見て、がっかりする、ということがある。 えらそーに、とおもってはいけません。 いや、えらそーなんだけどね。 わしはそのときまだお子供さんだったので、子供というものは 常にえらそーなものなのです。 あるいは、えらそーでなければならない。 ちやほやされないと、残りのやってらんない人生を生きていけませんから。 ともかく14歳のガキわしは、期待がおおきかったぶん、がっかりした。 あるいは、どういうタイミングの理屈か、びっくりするようにひとが少ない午後のMoMAで、ゴッホの「星月夜」が予想外にカッコイイのでびっくりしてしまう。 ゴッホどころか、印象派なんて、けけけ、と考えていたのに、こうやって人が少ないところでのんびり眺めていると、ぶっくらこいちまうくらい良い絵で、画集でみたりするのとは、ぜんぜん違うでないの、と考えて困ってしまう。 いくつか並べてみると一目瞭然だが、同じ絵でも、画集によって、発色がまったく異なっている。 明るいゴッホ、暗いゴッホ、なんだかくすんで、明暗を決めかねている優柔不断なゴッホ。 画集ではダメで、「ほんもの」を観に行かないとダメだよ、という。 「ほんもの」というところが、なんとなく「庶民」な、微笑ましい感じがする言い方だが、ほんものと画集は、たとえばクールベなら三畳間を横倒しにしたくらいはありそうな「画家のアトリエ」を実物大で装幀するのはたいへんだろうから、壁にかかっている「ほんもの」と、書棚からだして、えっこらせ、と手にする画集では「違う絵」であるに決まっている。 おおきさと色彩が異なって、ほんものと印刷されたものが異なるのはあたりまえなんじゃないの?というと、ほんものとそうでないものとの違いは、実際にはそれだけでもないみたいよ、というややこしいことを、これから書こうとしている。 サムソンは新しいGearVR(VR=Virtual Reality)をUS$99で出すという。 http://www.theverge.com/2015/9/25/9397569/samsung-oculus-consumer-gear-vr-design 年末商戦用です。 記事中にもあるようにOculusからも出るよーだ。 質は、いろいろな点から考えてOculusのほうが良いはずです。 たしかVictorの製品だったとおもうが、わしはHMD(ヘッドマウントディスプレー)を買って持っていたことがあった。 1999年で、だいたい50万円くらいだったと思います。 向こう側に、仮想的な50インチディスプレーが見えるようになっている。 買って、初めの日に妹にカウチに寝転がって使っているところを写真に撮られて大笑いされた。 仮想現実は現実に対してvulnerableであることを学習して、そのままワードローブ行きになって、もったいないことだった。 そのときのHMDより性能がよくて、US$99なので、もしかしたら、どっと普及しはじめて、一家に一台どころか、ひとり一台のスマートフォン並の市場になるのではないか。 現実が現実なのではなくて、その現実への認識こそが「現実」なのである、あるいは、それが出発点でしかありえない、とルネ・デカルトは述べている。 Cogito ergo sum という例の漱石の「三四郎」にも出てくる「あれ」です。 日本語でいまちょっと見てみると、ずいぶん哲学的にとらえられているが、どちらかと言えば、いま振り返ると科学の基礎になった考え方であるとおもわれる。 なんでもかんでも意匠をはぎとって、ふたりのチョー美人のねーちゃん(←言葉が浮薄)が目の前に立っていても「不完全な2」だと考えるバカタレな習慣がある数学では、たとえば投影図を使って現実がいかに現実でないかを示すことができる。 錯視図形も、そういうことどもの、わかりやすい表現です。 https://en.wikipedia.org/wiki/Optical_illusion もうブログ記事で何度も書いたので、繰り返さずに端折るが、いまでは「受動意識仮説」と日本語で名前が付いている仮説の検討にまですすんでいる。 わしが敬愛(←敬老、ではない)する年長友、村上憲郎が、わかりやすい記事を書いています。 http://www.nikkei.com/article/DGXBZO35846920U1A021C1000000 ちょっと考えると判るが、受動意識仮説を検証していって、支障なく説明が成立すれば、現実と認識の関係についての、Cogito ergo … Continue reading

Posted in Uncategorized | 2 Comments

ファランクスを組んで希望を守り抜くということ

ぼくの若い友達に「三浪亭」という人がいるのは前にも書いた。 当然ながら、いつもツイートを見ています。 別に悪いことではないが、最近、言葉使いが荒々しくなった。 三浪亭、すなわちマサキさんは、政治嫌いなのが読んでいてわかる。 政治も集団行動も、いやだなあーと思いながら、でも、他にはもう方法がない、と思い定めて国会前に出てゆく。 言葉使いが荒々しくなってくるのは、おっさんたちが、どういうつもりなのか、陰に陽に嫌がらせをしかけているからです。 リベラルも国家主義者もやってくるよーだ。 ときどきマサキさんっぽくない、びっくりするような深刻な絶望の言葉を述べている。 なにしろ、じっと観ていて、SEALDsのひとびとのほうがずっと賢くて、こちらは学習することばかりで、むかしから相手から学習することが「少し」あると思うときは、相手のほうが桁違いに賢いと決まっている。 これを言いたいなあーと思っても、ちゃんと口をつぐんでいて、どうしても何か言いたいときには、なけなしの式神のタネを動員して、丁寧にたたんで、手のひらの上にのせて「ふっ」と吹いて、国会前まで送りこんで、わしの名代をさせてからにしようと思っている。 面白いことがあった。 Web用の公式twitterがいつまで経っても設定した背景が、ちゃんと保存できないので、背景が真っ白になって眼がチラチラして蛍光灯になったような気がする。 やむを得ないのでサードパーティのtwitterソフトウエアに換えようと考えて、購入して、インストールして、いろいろに機能を試していたら、いつもの顔ぶれで、ぼくに対する嫌がらせを述べている。 平常はブロックしているので見えないが、何年もぼくのあとをついて歩いて、嫌韓運動の人々にそっくりというか、誹謗中傷を繰り返しているなかで、見覚えのある名前がある。 あ、まだやってんだ、この人と思ったが、職業が、作家という言葉だけが生命の人です。 伊東麻紀という、なんだか以前から途方もなく卑劣な人です。 自分が職業作家であることを鼻にかけて、下手な文章をくさし、素人を睥睨しまくるという、失礼な言い方をすると、田舎のどさ回り一座の大根役者のようなひとである。 ひどいこと言うね、と思うかも知れないが、こっちはこの人に昔からもっとひどい目に遭っているのだから我慢してねしてね。 むかし、こういうことがあった。 例によって例のごとく、北半球の冬に、空気がかたく乾いて爽快な真夏のクライストチャーチにやってきていたぼくは、帰りは、どへええ、なくらい酔っ払いそうだと考えて、終バスでパブへ友達たちと会いに出かける途中だった。 帰りは、友達に送ってもらうつもりです。 ダメなら、ひょろひょろ蛇行しながら歩いて帰る。 クライストチャーチは、十年前のこの頃は完全なクルマ社会で、よほどビンボな人か、留学生や外国人でもなければ夜のバスには乗りません。 理由は簡単で場合によっては滅茶苦茶あぶない。 中が見えなかった昔のバスに乗り込んでみると、なかでは、いかにもわるそーなガキどもが8人くらいで酔っ払って、でかい音量でステレオを鳴らしている、ということが年中起きる。 乗車してみると、見事に4人のクソ若者が乗っていてアジア人の女の子をからかっている。 そのうちに、というか、ぼくが乗ってすぐ、ニュージーランド人なら誰でも知っている外国人への嫌がらせを口にしはじめた。 「きみ、空港への道を知ってるかい?」 女の子が、恐怖にひきつったような顔で、「知ってますけど」と応えると、 案の定、クソ若たちは、ひゃあっひゃっひゃと笑って、 「知ってたら、さっさと飛行機に乗って、おめえのクソ国に帰れよ」と述べている。 他に11人くらい乗っていた週末に遊びに行く客達が、あまりの酷さに、我慢できなくなって振り返ったりしています。 こういうバスに乗り合わせて、図体がでかくて、深い深い溜息がでない人間がいるものなら、教えてもらいたい。 やむをえないので折角、バスの前のほうのレッグルームがおおきな席が空いていてもったいないのに、4人のみなさんがレイシズムとセクシズムに基づいた悪態をついて女の子の髪に触ったりしているほうへ歩いていった。 (起きたことが下品なので、中略) 前へ戻ってから運転手のおっさんに「身体がおおきな人はうらやましい」と言われ、女の人は当然饒舌になったひとびとに、「心配しなくていいよ」「この国は、どこの国からの移民だって歓迎だからね」と口々に述べてなぐさめられていました。 もうひとつ。 義理叔父が鎌倉に住んでいたあいだグリーン車で東京へ通っていたのは、前にも書いた。 だいたい、ぼくが8歳くらいまでの「グリーン車」は連合王国のせこい(←言葉悪い)電車しか知らないわし子供には、信じられないような豪勢な二等車で、あとで訊くと上野から金沢までの長距離列車の車両の転用だったらしいが、おとなになってからのぼくでも、ゆっくり座れそうなくらい席と席のあいだにゆとりがあったのをおぼえている。 ところが下り列車に品川から乗ってきた30歳代くらいの男の人が車掌にしつこくからむのだそうでした。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 4 Comments

Twitterで見たこと

前にも書いた覚えがあるが、座ってコンピュータを使う机の上にはみっつのモニタが載っている。 左から27inchのiMacがふたつで右にHPにつながっているDELLの30inch。 「座って」というのは、カウチに寝転がってMBPの11inchか13inch、あるいは(重いのであんまり使わないが)15inchを使っていることも多いからです。 Appleファンというわけではなくて、なにしろPCゲーマーなので、エイリアンシリーズがある「PC部屋」が別にあるが、ここでは関係がない。 日本語を使うのは左側のiMacか11inchで、別にわける必然性はないが、なんとなく、気分的に使うコンピュータが日本語と欧語、英語で分かれている。 気分的なものです。 ぜんぜん可愛げのない若い友達の「みしょ」(@Sho_Iwamoto)が、いかにも可愛げがない友達然として、最近はヘブライ語でツイートを送ってくるので、わしも右から左に書くカッコイイ言語を一個憶えたいなあーと思って、ペルシャ語専用のコンピュータをつくろうかと思っている。 ゲームを一個だけ、Prince of Persiaをいれておけばムードが出ていいのではないか。 右から左に横スクロールするPrince of Persiaがないものか。 twitterは、いまは日本語でしか使っていない。 昔は英語もやっていたが冗談をいいくたびれてやめてしまった。 もともと起きてから寝るまで全部の時間を浪費している人間の「ムダな時間」は定義するのが難しいが、それでも「時間のムダ」であると感じて続ける気がしなくなった。 日本語のほうは潜在意識に「外国語の勉強になっている」という、しょもない「せこい」気持ちがあるのでしょう。 自分でも考えてもやるせないが、そういうやるせない気持はおいて、ほうっておけばいつまで経ってもやっている。 英語は(日本語もそうなのではないかと想像するが知らないので、英語は、といっている)個人的なおしゃべりはtextingが中心で、twitterは有名な人物が「自分はいまこれをやろうとしている/やっている」ということを中心に自分のファンに伝える、というようなことへ流れていって「個人TV局」のような役割に移ってきているように見えます。 政治的な発言ですら、視聴率稼ぎなんじゃないの?と言いたくなるような、単純に受け狙いで述べているツイートが増えている。 内容だけみると、twitterは日本語くらいがいちばん充実してるんちゃうか、と考えることがある。 程度が高い、というようなことではなくて、真剣に使っている、というか、マジメに話している。 日記文学以来の伝統なのかしら、と思うようなツイートもたくさんある。 もっともtwitterはネット業界では「セキュリティのマネジメントがぜんぜんダメ」なので有名で、ハラスメントを続ける人間をいつまで経っても止めないので頭にきてtwitterに対して訴訟を起こす人たちもいて、日本でいえばだんだん2chに似てくる雰囲気に嫌気がさして、もっとずっと零細なwhisperやなんかに出ていってしまう人もいれば、もうフェースブックだけでいいわ、という人もいる。 日本語以外では、残念ながら「落ち目」の会社であるのは否めない。 ビジネスモデルが一向につくれないので、身売りするしかないね、という意見もだいぶんあります。 最近になって株価が暴落したりしているのは聞いた人も多いと想像する。 ユーザのほうは、ひとつの広場から次の整備された広場へ移動すればいいだけのことで、あんまりどうということはない。 「twitterがなくなると困る」というのは、よほど特殊な人でしょう。 意外な人に出会うことがある。 静かに暮らしていたい人であるのがわかりきっているので名前を書くわけにはいかないが、美術が好きな人で、じっと見ていると、まるで自分であるような気がしてくる。 「あり得た自分」という意味です。 そのひとは美術は仕事でこちらは素人だが、結局は、モニとふたりで、「美しくて静かなもの」がたくさんある町に移って、こういう生活になってゆくだろうな、と考える。 そういう人をtwitterのように、文字通り、喧噪な場所で見つけるのは玄妙な気がする。 気がつくと研究者を職業とする人が増えてしまって、なんだか話し相手が偏っている。 よくないなあーと思ったことがあるが、考えてみると、なんのためにどんなバランスをとりたいのか判んないじゃないと気がついて、ほっぽらかしにすることにしてしまった。 最近では最もよかったのは、若いtwitter友達である「三浪亭 @zhengmu21 」を通してSEALDsの運動が少しだけ見える窓を獲得したことで、たとえば最近まで全体主義そのもので、1972年までは形骸としての民主制もなかったスペインですら、そのへんのおっちゃんやおばちゃんがデモに行く 年金の削減案が出てるらしいぜ。さっきデモ見かけたからちょっくらいってくらぁ。給食費が有料になるらしいわよとんでもない、ちょっと反対デモいってくるわってのが、スペインのおっさんおばさん。アフリカで餓死する子供の新聞読んだ、ちょっと貧困国への3%ハンストに参加してくるよと学生それだよ — … Continue reading

Posted in Uncategorized | 1 Comment

Summertime

1 付け睫毛についてそんなに詳しいなんて、ガメはヘンな人だ、と言う。 なぜ国によってブラのサイズ、同じCカップならCカップでおおきさや形が違うことをそんなによく知っているのか? ガメは、女なの? 違いますよ、ぼくは、たしかにこれが帰るべき絵なのに、どこにも、ぴったりあてはまる場所がないジグソーパズルのピースなんです。 絵柄はあっているのに、なんだか、ぴったり落ち着くということがない。 ぼくは、いったい、ここでなにをしているのだろう。 あんまりおおきな声では言えないが、ランギオラからカストへの道で安物のスポーツカー(MGF)で200km/hだしてみたことがある。 別に死にたかったわけじゃない。 ただ、やってみたかった。 You’re fuckin’ crazy! ガメ、あなたは頭がおかしいのではないの? (静かな声) (聴き取りにくい声) 眼を真っ赤に泣きはらしながら、シリア難民たちの話に聴き入る途方もなく美しい女の人は、ぼくの奥さんで、そのひとの優美な線の腕がのばされて、宙で握りしめる手のひらを探しているのは、ぼくの手のひらなのだけど。 なんとなく現実であるような気がしない。 小さな死を死ぬときでさえ、痙攣する、やわらかくて滑らかな美術工芸品のようなひと。 いいとしこいて、もうすぐ32歳になろうというのに、ぼくが時々、18歳の人間のように、この世界を憎むのはなぜか? (マオリ人やポリネシア人がフードをかぶって午前11時の泥酔した顔を隠して歩く南オークランドへインド菓子を買いに行く。) (ハルア) 2 東アジアの、そのまた東の果てにある国で起こっている「政治的状況」を見つめている。 たまたま知ったんだよ。 「三浪亭」っていう、へんてこな名前の、ぼくよりも十歳(とお)も若い人がいて、その人が加わっている政治運動なのだけど。 本人は「政治運動」と呼ばれただけでも違和感があるのかも知れないのだけどね。 安保法案を絶対に止めると述べて頑張ったのだけど、止まりはしなくて、今度は、「そんな立法は無効だ」とみなで述べて法案を廃止にしようとしている。 どこかの国で見たことがあるねw と述べてにやにやしてはいけません。 三浪亭が住む国では初めて(多分)のことなのだから 「政治的状況」を見つめている。 会社の損益計算表を見つめる人の眼で。 「こんな収支で、どうやったらぼくの思想的な倒産を避けられるというのだろう?」 それはなぜか 議決します。 それでは、われわれは皆いったん家に帰ればどうか? 家のなかで、よき連合王国の伝統に従って、平等や博愛について話し明かせばどうか? なぜ日本人の物語は、それほどまでに語り尽くされてしまったのか。 最後まで見とどけなかったぼくは冷たい人間なのだろうか? 3 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 1 Comment

ある物理学者の友達への手紙5

ひさしぶりにきみに手紙を書こうと思うと、なんだか緊張してしまう。 いまはギリシャにいるそうで、このあいだ手紙を書いたときは、きみは松江で、松江はぼくにとってはラフカディオ・ハーンとセツさんの町で、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/09/04/odakin2/ まるでギリシャの神様が呼んでいるようで、少し不思議な気がします。 別に気にしなくてよいが日本語フォーラムのひとたちのなかには、きみの悪趣味を「棚上げ」にして絶交をたたんでしまったぼくの態度に不信を感じているひとびともいるようです。 訝っている。 自分でも何をやっているんだろう、と訝っているので、他の人がみて不信を感じるのはあたりまえで、訝りの神様も頭を傾げて、なんでしょうこれは、と友情の神様とふたりでヒソヒソと密談をしているに違いない。 絶交の原因を、日本政府と中国政府の一世一代の知恵だった尖閣方式を採用して「棚上げ」にしたほうは、論理不明の、東洋的対処だけど、 先週、ひさしぶりに喧嘩できることになったのに調子をこいて、 「きみは知識階層としてやるべきことをやってない」と述べたのは、ぼくがチョーバカだった。 だってさ。 考えてみれば、ぼくが、いまでもきみの悪趣味のせいで、ほんとうはぼくより遙かに年長なのに同じ年齢と感じてしまうきみをインターネットの大量にプラスティックバッグやシリンジや発泡スチロールが漂流する海のなかで発見して、きみと会うのは初めてだが、ぼくときみは友達であるに違いない、と述べたのは、きみとマキノさんという未だに見知らぬ人とのふたりだけが、科学研究者と社会の関わりにおいて、福島第一事故のあと、正しいと感じたからでした。 福島第一事故のあと、「真正科学教団」と名付けたくなるような、一群の異端審問官じみた「科学の徒」が出て、子供を両腕で抱え込むようにして放射能を怖がる母親たちの「聴き取りにくい声」を強圧的に黙らせて、ぼくをびっくりさせたことがあった。 推すべきドアは引いて、押し車は引っ張る、なんでもあべこべな日本の愉快な伝統の一環なのか、「いま福島を汚染している放射能が安全だというなら、それを証明してくれ、住んでいて、病をえて、死ぬかもしれないのはわたしたちなのだから」という、ぼくの明るい灰色の頭で考えると当然向かうべき理屈の方向にいかずに、「放射能を怖がりたいのなら、よく科学を勉強して、放射能の危険を証明してからにしろ」という、可笑しくもない噴飯ものの、科学をただの自分が得た特権と感じている愚かな人間特有の言いがかりに付和雷同していたときに、「そんなん、ヘンなんじゃないかなあー」と述べている研究者らしい人がいて、よく眼を近づけてみると、かなり思い切ったことも述べていて、これはどうしても友達になってもらわなければ困るな、と考えたのが初めだった。 どうも、日本にいたときの観察によれば、日本の伝統社会では組織のなかで目立って立派なことをやった人を「えらいじゃん」と指をさして褒めると、居づらくなるらしい。 だから、この辺でやめておくが、もともとが魔術師のギルド的世界の大学というコミュニティを考えると、要するに職業的な地位を賭けてしまってもいたわけで、そのそもそもの発端を忘れて「役割をはたしていない」と言うのは、言う奴が悪い。 絶交しているあいだ、落ち着かなかったよ。 例のtumblrは、なにしろ棚上げにすることにした二次元絵の絵柄が嫌いなので、それが遮蔽幕になって行かなくてすんだが、ツイッタのほうはときどき覗きに行って、週末、単身赴任先から帰って、ぶちくたびれたおとーさんが、嫌がる息子と娘の、ふたりの子供をなだめすかして、ユークリッド幾何と解析を教えている姿が目に浮かんで、オダキンはえらいなーと考えたりした。 フォーラムの、オダキンとの「棚上げによる関係の復活」について不満な大仲良しの友達にも書いたが、ぼくはもともとmad scientistにかぶれて科学をはじめた友達が多くて、この人達は科学の力のほうは怪しいまま科学者になってしまったが、madのほうは、すくすくと才能がのびて、研究機関や大学という収容所がなければ、刑務所に閉じ込められていたはずの、ヘンな奴が多い。 むかしは世の中というものがよく判っていなかったので、この種族のメンバーたちをパーティに呼んで、知性が暴走して浮きまくって、えらいことになってしまったことも何回かあった(^^; だからオダキンだけを悪趣味を理由として絶交することは、よく考えてみると、日本語世界と英語世界を分断して生活しているので外からは判らないが、自分の立場からみると、はなはだしく説明がつかないことだった。 だから「落ち着かなかった」のかもしれません。 科学者としての社会のなかの責任は、科学的方法に寄り添っておこなわれるべきで、日本で、いわば(結果的には)政府・東電側に立って政治性の強い発言を行っていたなかでは野尻美保子さんだっけ? あのひとは、科学者としての文法に沿って発言しようとしているように感じられた。 あとの人は「科学のほうから来ました」で、日頃、スポットライトがあたらないのに、福島事故でおもいがけず注目される機会ができて、すっかり舞い上がってしまって、科学でもなんでもない科学を装った政治活動に邁進して、コピーライターと対談して、すっかり上手に利用されてしまうひとまでいて、痛ましい感じがしました。 その結果は、巨大な嘘の覆いを政府がかけて隠してしまった、注意して記事を読んでいれば、誰にでもわかる福島第一事故の惨状のなかで、声を殺して被曝しつづけている、福島のひとたちの生命を、抑圧する道具になって、悪い言いいかたをすると「アーリア人種」という、いま振り返るとバカバカしいのを通り越して、ドイツの科学って狂信者の手でふりあげられたファッショの束のことだったのか?と言いたくなるような「科学的事実」を振りかざして、文字通りの政府の手先になっただけだった。 きみと絶交しているあいだに、日本の社会には希望がでてきました。 SEALDsという若いひとたちの小さな集団で、このひとたちが企画したデモは、ぼくが知っている限りでは、たとえばイギリスのデモよりも洗練されている。 あんまり言わないほうがいいのかも知れないが、観ていると、誰か顧問みたいな人がいるのね、と感じるほど、やることが自由社会の文法にかなっていて、過去に日本社会がなんども苦い思いをした、党派性が排除されて、見事な運動になっている。 こっちも、たくさんは言わないほうがよさそうなので、最小発言にとどめるが、彼らが叫んでいる前面に、相変わらず世界共通の警官の無表情で、税金でむだに鍛えたでかいガタイで並んで、装甲車を並べた後ろの鉄扉の、そのまた向こうにある政府のがわにも、安倍政権を苦々しく、とうよりも日本の民主社会の危機、と捉えているひとびとがいて、若い人をうまく使って、というよりも呼応して、なんとか昔の宏池会のような、保守本流をいまの右翼政党化した自民党に呼び戻して、まともな保守政党に再生しようと考えている人がいるように見えます。 ぼくはもう日本の社会はダメだな、とおもっていたんだよ。 自由主義社会をめざせるようになるどころか、天然全体主義の国民性にアメリカ軍(←政府、ではないことに注意)が箍(たが)のように、孫悟空の頭の金環のようにはめていった「民主制度」という日本人の好戦性を復活させないためのおまじないも、当のアメリカ軍が、なにかあっても極東にまわせる軍隊が足りなくなったのと、それどころかイラク・シリアやアフガニスタンでも兵力が足りなくなってしまったという自分の都合で、世界中を見渡して、「おお、あそこに日本というマヌケな国がある。利用しなくてわ」で、なんでもいいから理屈をつけて兵力を供出してくれで、もともと欧州以外の「外国」には何の関心もないオバマ大統領の「ぼくは内政問題解決のために大統領になったんだもんね」の、よく考えてみるとものすごく無責任な外交への態度を利して、どうやら国務省と軍のベースで、日本の政府を足で蹴って、戦争法案を通してしまった。 ぼくの手元にはインターネットで見つけた一枚の、いかにも「良い家の子供」然とした写真があります。 それは南カリフォルニアの留学時代に撮った安倍晋三という名前の青年の写真で、やさしい、繊細そうな、でもオカネモチのどら息子特有の、あんまりいろいろな考えをもてない人特有の表情で微笑んでいる。 きみは腹を抱えて笑うだろうけど、ぼくは自分がどら息子で、しかも子供時代からの友達も全部どら息子なので、よく判るのね。 「手のひらにさすように」わかる。 前にもちょっと書いたが、そのあまり考えがない、この人の父親の安倍晋太郎さん自身の観察によれば「情がない」(←ははは。わしと同じ) 青年の魂が、自分では「国家のためによかれ」と思って、山手線のベンチで、もういっぱいなのに、お尻を割り込ませるように尖閣諸島に腰掛けて、じりじりと腰を落として、ついに周りの人間を押しくらに詰めさせてしまうと、どっかと腰掛けて、あまつさえ、大股を開いて爪楊枝を使いだすような隣国の態度に憤慨して、「美しい国」という表題を掲げて政治制度を改革しようとしたのに、現実の国民の反応は、「カネくれ、おれのカネはどこだ。おまえ、おれにカネを寄越すのが役目だって、わかってんのか?」ばかりで、あっというまに嘲笑の渦にたたき落とされて、下痢男だの、低偏差値だのと言われて悪罵の限りをつくされれば、どれほど傷付いて「国民」に対して軽蔑心を抱くようになるかを想像するのには、たいした想像力がいるとは思わない。 「こんな薄汚いバカの群に民主制度を与えるなんて、国を滅ぼすもとだ」と考えたのでしょう。 ちょうど手近にはビル・クリントンの手法をまねて、ブリットニースピアーズをスターにするのと同じマーケティング手法で、バラク・オバマを大統領の座につけた「マーケティング集団」の例があった。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 3 Comments

きみとぼくがいる場所

難民のひとびとについて自分がどんなことをしている、というようなことをわざわざ公表する趣味はないので、そういうことに触れるつもりはないが、仕事を通じて関係があることについて述べるのは自分の頭にあることをまとめるためにも有益とおもえなくはない。 数人の知り合いを除いては自分にしか読めない日本語だしね。 難民用のアパートはすでに満員で、たとえばニュージーランドならステートハウスと呼ぶ国の住居とは別に、借り上げて、アフリカ(例:イエメン)からの難民の人々とその家族に住んでもらうために用意するが、まだ目途は立っていない。 ただでさえ住居不足で、不動産の値段も家賃もものすごい勢いであがっているところへ、これまで限界いっぱいまで受け入れてきた世界各地からの難民に上積みされる形で、シリアからの難民のひとびとを毎年受け入れることになったので、どうやって解決するんですか?ということになっている。 ニュージーランドは人口が400万人しかない国なので田舎に行ってもらえばよいのではないか、という人がいるが、それはダメ案で、ではシリアの人がニュージーランド人でも職がみつからないような、たとえばレヴィンに越して、どうやって定着するのか。 やはり都会のまんなかに近い、出来れば難民に対する偏見が概して少ない富裕な人間が多く住む住宅地の外縁にアパートを見つけて、家主と交渉して、政府が借り上げるべきで、都会に近い所でも貧困地区の近くに借り上げると、必ずヘイトクライムが起きてしまう。 英語を話さない家族の場合、経験的に言って、初代はたいへんでも、二代目は返ってもともと住んでいる人間よりも優秀で、要するに、最悪の最悪、初めの20年を社会が支出して支えれば、難民でやってきたひとびとの立場から考えて、なじみがない上に、なんだか取り付く島がないような社会でうんざりでも、一応、このままこの国に住んでいてもいいか、という程度には考えてもらえるようになる。 初代はどうかというと、おおきなコミュニティがあるエスニックグループ(例:四川人、タミル人)ならばそのなかの互助システムですんでしまうことがあるが、ビジネスを始めるのに銀行によらないマイクロ金融が必要で、なにしろマイクロ金融に手をだした投資家は倒産してしまう人が多いので、需給が逼迫している。 …なんで、こんなことを考えているのかというと、さっきからドイツが発表した「80万人」という数字を観てうなっているからです。 うー。 移民を受け入れるためには社会全体に啓蒙や経験が必要で、欧州系ニュージーランド社会で言えば自分たち自身が比較的新しい移民であるのにイギリス人とアジア人南アフリカ人を中心とする新移民を、うまく受け入れられるようになるまで、まるまる10年かかっている。 主な問題はミスマッチで、たとえば中国では医長で、かつては大学一の手術の名人と言われていた外科医のおっちゃんが新卒医と一緒に資格試験を受けろと言われて、プライドを傷つけられて、怒って、引きこもり中年になってしまう。 やはりベテラン医師だった台湾人が窓ふきになる。 両方とも故国では試験を課する立場だったのだから、ニュージーランド社会の敬意を欠いた態度にぶちむくれてしまうのは、当然といえば当然です。 イラクでは歴史学の教授だった人がタクシーの運転手になる。 おおきな会計事務所の所有者だったシークのおっちゃんもタクシーを運転する。 才能の無駄遣いもいいところでも、では、こういう故国で出来上がってしまって成熟した才能をどう評価する試験方法があるのかと問われても、わからないので、ほったらかしのままになっている。 もともと国のほうで、いわば戦力増強のために他国から才能を、「うちの水のほうが甘いかんね」と甘言を弄してトレードしてくる移民にして、この才能の浪費ぶりなので、難民受け入れの難しさは言うまでもない。 Screeningという嫌な英語がある。 顔からしていかにもええかげんなジョン・キーという首相のおっちゃんが「シリアからの難民はちゃんとスクリーニングをするから心配せんでよろしい」と述べている。 なにを「スクリーニング」するかというとISの活動員が混ざってないか調べる、というのでしょう。 隣国のオーストラリアほどではないが、ムスリム友達と話していると、 モスクのなかではさまざまな問題が起きていて、オークランドでも、いつのまにか原理主義者が入り込んで、知らないうちに集会を組織している。 一般のムスリム人を追い出して指導権を握ろうとする。 それが繰り返しおきるからたまらないのさ、ガメ、やってられないよ、と溜息をついている。 ドイツ人はナイーヴ(←元の英語の意味)なわけではなくて、どんなに「スクリーニング」をおこなっても、ドイツ社会への破壊への意志と悪意を込めて送った「ファイター」たちが潜り込んでくるのを知っていて、それでも決断した数字が「80万人」であることを、世界中の人達が知っている。 実際の受け入れにあたる経験から言うと、情けないが、月100人でもたいへんな数です。80万人なんて、どういう自信のもちかただろう、と考える。 ドイツの、国家を挙げての人道への真剣さ、ナチ時代の自分たちの思想の全否定というメッセージを見ているほうは間違いなく受け取ります。 頭がさがる、というような生やさしいものではないよーだ。 久しぶりに会った友達の家で、お茶を飲んでいると、二階からえらい勢いで駆け下りてきた子供が部屋に飛び込んできた。 びっくりして階段のほうを観たら、「子鹿のような」と形容したくなる、おおきな目の、ドレッドロックスヘアの女の子が、客がふたりやってきていたのを知らなかったのでしょう、ぶっくらこいた様子でこっちをみつめている。 モニさんとわしが「こんにちは、how are you?」と日本の「英語通」のひとびとの権威に従うと、英語人は絶対に述べないはずの挨拶を述べると、はにかんだ、花が開くような笑顔で、なんだかうらやましくなってしまうような皓い歯をみせて、挨拶を返している。 この家の主人、つまりわし友は、金髪で明灰色の眼の独身の女びとだが、この人のふたりの娘は、アフリカ人です。 と言っても、もういまはもちろんニュージーランド人だが。 シリアの難民の話をしていたら、自分にももうふたり、今度はシリア人の娘が出来るといいが、独身の女では4人の養子は認めるのが難しいらしい、と怒っている。 なんだ、また娘なのか、息子ちゅうのもカッコイイんじゃないの?と言うと、 「男は嫌いだから」とあっさり言われてしまった。 臭いし、でかくて邪魔である。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 2 Comments

カレーと難民

居抜きっていうんだよ、 日本にいたとき、ずっと、頼まれもせんのに集団で「父親がわり」をつとめてくれていた「トーダイおじさんたち」のひとり、Sさんが言う。 天気が良いので散歩のついでに訪ねていった、夏の軽井沢の、Sさんの別荘地の敷地の森のなかにだしたテーブルのうえで木洩れ陽がゆれている。 イ・ヌ・キ? そう、居抜き。 食べ物屋さんをやっていたひとが店をやめた場所を、造作も厨房もそのままで次の人が借りることなのね。 寿司ネタのガラスケースがそのまま残っていてね、と可笑しそうに笑ってから、ちょっとなつかしそうな顔になります。 500円、だったんじゃないかなあー、ランチ。 Sさんと友達は本郷から、何度も何度も足を運んだようでした。 「その頃は、まだ日本人は辛いものを食べる習慣がなくてさ」というので驚いてしまった。 だって、銀座のデリーって、義理叔父が生まれた頃に出来たんじゃなかったでしたっけ?と訊くと、 だって、あそこはぜんぜん辛くないカレーを出してたんだよ、行ったことないの? という。 普通の人が辛いもの食べるようになったのは、ごく最近の習慣だよ。 ぼくが学生の頃は、アジャンタはもうあって… 「あ。あの麹町の?」 いや、その頃は九段でね、パレスホテルってあるでしょう? あのホテルの脇の長い坂道をあがっていくと、坂の頂上に、木造のカッコイイ建物あって、そこで、ものすごく辛いカレーをだしていた。 でも、アジャンタだけじゃないかなー、辛いカレーをだしてたのは。 ほら、いつかガメと一緒に「たいめいけん」て、日本橋のレストランに行ったでしょう? きみは、豚の生姜焼きとロースカツを食べたのに、足りないと言い出してカレーライスを食べていた。 「よくおぼえてますね」と、わしが言うと、 「だって、あんなにものすごい食欲の人間をそれまで見たことがなかったから」と言って笑っている。 余計なお世話ですがな、全部おごってくれたからいいけど。 あのときガメは、「なんだ、このカレー、スパイスなにもはいってなくて、カレー味の水みたい」とぶつくさ言っていたが、 「ぼくが、ですか? 上品な、このぼくが文句を?」 まあ、いいから。 あの「カレーライス」は実は、たいめいけんの昔のレシピでね、 ぼくが子供の頃は、「辛口」と言ったって、あんなものだったんだよ。 実際、親に三越の本店に行くから一緒にこないか?と言われると、 「たいめいけん」の辛いカレーが食べられる、とおもって、よろこびいさんでついていったものだった。 で、アンコールワットはどうなったんですか? と話が遠くまで来てしまったので、Sさんを話の元に連れ戻すと、一瞬、え?という顔になったが、そうだったそうだった、と言う。 惚(ぼ)けてきたのではないか。 このカレーが辛くて、とまた遠くをみる表情になる。 なんとも、表情が忙しいおじさんです。 さつまいもが入っていて、鶏肉の塊がごろんと入っていて、 と言いかけて、付け加えた次のひとことが「トーダイおじさん」たちの特徴で、ほんとは、ぼくはカレーが苦手でさ、と苦笑している。 毎日、必死で通って、頼むから辛さを加減してくれって頼んでるのに、ぜんぜん容赦されない感じの、ひと口食べると涙がでるほど辛いカレーを命がけで食べて、とおおげさです。 おれたちは店主がカンボジア難民だって知ってたから、少しでもオカネをあげなけりゃとおもって、学生のあたまの悪さで、 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

故郷

波打ち際に行くと、シリア人の子どもやおとながうつぶせになって死んでいる気がする。 もう4年目か、と考える。 煙草を喫う習慣を捨てなければよかった、と後悔する。 寄付をする。 NPOを手伝う。 友達と手分けして連絡できるところへ連絡する。 ハイチ、チベット、イラク、エジプト、…世界の騒擾はみるみるうちに広がって、なんだか全員がバケツで山火事に水をかけているような気持ちになってくる。 一日の終わり、気持ちのやさしいひとたちは、なんだか力つきて、ワインのグラスを前に、唇をかみしめて、頬を伝いおちる涙をぬぐうこともしないで、なにごとかに必死に耐えている。 ガメはヘンな奴だ、とよく言われた。 まるで感情がない人のようだ。 どんなひどい死体をみても顔色も変わらないし、通りでぼくらに襲いかかってきた右翼の人間を殴るときも冷静そのものの表情で、みなが「それでは相手が死んでしまう」というような、ものすごい暴力のふるいかたをする。 それなのに、ただ子どもが交差点に立っている姿をみて、泣いていたりするんだね。 ぼくには、訳がわからない。 世界地図をA1プリンタで印刷して、塗りかけてめんどくさくなってやめた、自分の部屋のへんてこりんな斑の壁に貼って眺めている。 ここは自由主義者が支配する国、ここは民主制はあるが自由主義が衰退した国、こことここは全体主義国家、塗り分けていくと、毎年毎年、平和な国と自由主義の国が減っていくのがわかる。 プロジェクタで放射性物質の汚染がひどい地域を重ねる。 ネオナチの人数が一年で倍以上になった国/地域を重ねる。 ナイジェリアのように、政治の腐敗が徹底的に進んで、しかも人口爆発のさなかで、2050年には合衆国を抜いて世界3位の「大国」になる国は「独裁」「腐敗」「戦争」「飢餓」のどのカテゴリーにも属している。 ニュージーランドは政治的に未成熟な社会で、主に東アジア人とポリネシア人、マオリ人たちに対する根強い偏見があり、貧困の危険がつきまとって、脆弱な経済が崩壊するたびにアジア人排斥運動と犯罪がふきだすように荒れ狂う病気がある。 一方では、フクシマ由来の汚染水がニュージーランドに到達するまでには40年の時間がある。 紛争地域から遠く、いままでニュージーランドのすぐ近くまでやってきた「敵」はオーストラリアの町を無差別爆撃して、艦隊が珊瑚海まで侵攻してきて、そこでやっと撃退された日本だけである。 モニさんには「南半球にしか人間が住める環境は残らないかもしれない」という考えがあって、いわば自分に「土地鑑」をつくるためにニュージーランドにいたいらしい。 パスポートを、ほんとうは特殊な経路でとれなくはないが、特権が嫌いな人なので「5年間居住すること」という条件で取得しようと考えているようです。 おかげでニュージーランドのクソ秋とクソ春に欧州にいられないが、仕方がない、と旦ちゃんはPCゲームで自分の無聊をなぐさめている。 ときどき、いかにも退屈した様子で、カウチに寝転がって本を読んでいると、 チュ♡をしにきてくれます。 すると簡単に幸せになる。 騙されているような気もするが、小さな人たちがモニさんのまねっこでチュをしてくれる頃になると、騙されているのでもいいわ、あたし、というカンツオーネ的な心境になっている。 The Independentのサイト http://www.independent.co.uk/news/world/europe/if-these-extraordinarily-powerful-images-of-a-dead-syrian-child-washed-up-on-a-beach-dont-change-europes-attitude-to-refugees-what-will-10482757.html を見ていたら、後ろから、この子、なにをしてるんだ?というモニさんの声が聞こえる。 しまった、と思ったときはもう遅かった。 振り返ると、目をもう真っ赤に泣きはらして、青ざめた顔になって立っているモニさんがいる。 モニさんの母親は名うての外国人嫌いだが、シリア人受け入れを強く政府の人々にはたらきかけて、自分たちで出来ることはなんでもやる、という毎日を過ごしている。 もう誰にもこの世界は救えないのではないか、と考えながら、全員が力をあわせて、ひとりでも人間を救済しようとしているところは、たとえが悪いが、コンスタンティノープルやヴェニスが陥落する、「最後の日」の努力をおもわせる。 「ガメは、砂浜にシリア人たちの死体を見ていたのだな」とモニさんが言う声がする。 そう。その通りです。 長いあいだ一緒に住むことには、言葉を交わさなくても、なんでも判ってしまうという欠点がある。 言葉には相手を幻惑する機能がちゃんと備わっていないのを怨む気持ちになる。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

大日本帝国の長い影について

“I lost 13 other relatives who were massacred. One an aunt,a young aunt, was raped,gang-raped, on the driveway of the club,and then gutted and left to die in the sun” と、当時の日本兵がマニラで行っていたことについて、フィリピンの元外交官、スペイン大使だったJohn Rochaが、日本兵に集団で強姦され殺された叔母を例にして述べている。 あるいは、マニラの女のひとが、 “I saw also people who were still … Continue reading

Posted in Uncategorized | 2 Comments