故郷

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波打ち際に行くと、シリア人の子どもやおとながうつぶせになって死んでいる気がする。
もう4年目か、と考える。
煙草を喫う習慣を捨てなければよかった、と後悔する。

寄付をする。
NPOを手伝う。
友達と手分けして連絡できるところへ連絡する。
ハイチ、チベット、イラク、エジプト、…世界の騒擾はみるみるうちに広がって、なんだか全員がバケツで山火事に水をかけているような気持ちになってくる。
一日の終わり、気持ちのやさしいひとたちは、なんだか力つきて、ワインのグラスを前に、唇をかみしめて、頬を伝いおちる涙をぬぐうこともしないで、なにごとかに必死に耐えている。

ガメはヘンな奴だ、とよく言われた。
まるで感情がない人のようだ。
どんなひどい死体をみても顔色も変わらないし、通りでぼくらに襲いかかってきた右翼の人間を殴るときも冷静そのものの表情で、みなが「それでは相手が死んでしまう」というような、ものすごい暴力のふるいかたをする。
それなのに、ただ子どもが交差点に立っている姿をみて、泣いていたりするんだね。
ぼくには、訳がわからない。

世界地図をA1プリンタで印刷して、塗りかけてめんどくさくなってやめた、自分の部屋のへんてこりんな斑の壁に貼って眺めている。

ここは自由主義者が支配する国、ここは民主制はあるが自由主義が衰退した国、こことここは全体主義国家、塗り分けていくと、毎年毎年、平和な国と自由主義の国が減っていくのがわかる。

プロジェクタで放射性物質の汚染がひどい地域を重ねる。
ネオナチの人数が一年で倍以上になった国/地域を重ねる。
ナイジェリアのように、政治の腐敗が徹底的に進んで、しかも人口爆発のさなかで、2050年には合衆国を抜いて世界3位の「大国」になる国は「独裁」「腐敗」「戦争」「飢餓」のどのカテゴリーにも属している。

ニュージーランドは政治的に未成熟な社会で、主に東アジア人とポリネシア人、マオリ人たちに対する根強い偏見があり、貧困の危険がつきまとって、脆弱な経済が崩壊するたびにアジア人排斥運動と犯罪がふきだすように荒れ狂う病気がある。
一方では、フクシマ由来の汚染水がニュージーランドに到達するまでには40年の時間がある。
紛争地域から遠く、いままでニュージーランドのすぐ近くまでやってきた「敵」はオーストラリアの町を無差別爆撃して、艦隊が珊瑚海まで侵攻してきて、そこでやっと撃退された日本だけである。

モニさんには「南半球にしか人間が住める環境は残らないかもしれない」という考えがあって、いわば自分に「土地鑑」をつくるためにニュージーランドにいたいらしい。
パスポートを、ほんとうは特殊な経路でとれなくはないが、特権が嫌いな人なので「5年間居住すること」という条件で取得しようと考えているようです。
おかげでニュージーランドのクソ秋とクソ春に欧州にいられないが、仕方がない、と旦ちゃんはPCゲームで自分の無聊をなぐさめている。
ときどき、いかにも退屈した様子で、カウチに寝転がって本を読んでいると、
チュ♡をしにきてくれます。
すると簡単に幸せになる。
騙されているような気もするが、小さな人たちがモニさんのまねっこでチュをしてくれる頃になると、騙されているのでもいいわ、あたし、というカンツオーネ的な心境になっている。

The Independentのサイト

http://www.independent.co.uk/news/world/europe/if-these-extraordinarily-powerful-images-of-a-dead-syrian-child-washed-up-on-a-beach-dont-change-europes-attitude-to-refugees-what-will-10482757.html

を見ていたら、後ろから、この子、なにをしてるんだ?というモニさんの声が聞こえる。
しまった、と思ったときはもう遅かった。
振り返ると、目をもう真っ赤に泣きはらして、青ざめた顔になって立っているモニさんがいる。

モニさんの母親は名うての外国人嫌いだが、シリア人受け入れを強く政府の人々にはたらきかけて、自分たちで出来ることはなんでもやる、という毎日を過ごしている。

もう誰にもこの世界は救えないのではないか、と考えながら、全員が力をあわせて、ひとりでも人間を救済しようとしているところは、たとえが悪いが、コンスタンティノープルやヴェニスが陥落する、「最後の日」の努力をおもわせる。

「ガメは、砂浜にシリア人たちの死体を見ていたのだな」とモニさんが言う声がする。
そう。その通りです。
長いあいだ一緒に住むことには、言葉を交わさなくても、なんでも判ってしまうという欠点がある。
言葉には相手を幻惑する機能がちゃんと備わっていないのを怨む気持ちになる。

モニに、いつか、アルメニア人の作家が書いた、隣町の洪水で困っているひとたちを救いに、子供用の小さな自転車に乗って助けに行こうとする10歳の男の子の物語を話してきかせたことがある。
慈善や移民と難民を憎むひとたちの、冷笑やあるいは敵意がこもった視線のなかで、シリア人たちに自分が買ったサンドイッチを差し出す16歳の男の高校生の、世界が救済できないことがわかりきっていても、自動的に、自分の一日の昼ご飯をまるごと与えたい衝動は、あの10歳の男の子の気持ちに似ている。

バスケットいっぱいにbunのサンドイッチを詰めて難民であふれる駅に向かって急ぐ18歳の女の人の足を急がさせているのは、親切や正義感とは関係がない、人間が人間であることを成立させている根源的な …愚かさ、と呼んでもよい…感情なのであるとおもう。

役立たずは役立たずらしく、役に立つかどうか、実効性は考えるのをやめて、なんでも出来ることはやってみるしかない。

シリア人たちが、いつか、戻ってきた平和に落ち着いた祖国へ、食べ物が不味くて人間が冷たいヨーロッパに愛想をつかして戻るその日まで、お互いにいつもいがみ合っているもの同士、いまはちからをあわせて、腕をとって、目の前で倒れているひとびとを助け起こすしかない。

シリアの人達が定着しても、欧州が解決不可能な混沌に向かっているのは、ぼくにはぼくの言葉でわかっている。
ヨーロッパがいよいよ収拾のつかない大混乱に陥ったら、そのときこそは、モニさんと小さなひとびとに、わがままを聞いてもらって、欧州にもどるだろう。

そのときまで。

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