ファランクスを組んで希望を守り抜くということ

gulf99

ぼくの若い友達に「三浪亭」という人がいるのは前にも書いた。
当然ながら、いつもツイートを見ています。
別に悪いことではないが、最近、言葉使いが荒々しくなった。

三浪亭、すなわちマサキさんは、政治嫌いなのが読んでいてわかる。
政治も集団行動も、いやだなあーと思いながら、でも、他にはもう方法がない、と思い定めて国会前に出てゆく。

言葉使いが荒々しくなってくるのは、おっさんたちが、どういうつもりなのか、陰に陽に嫌がらせをしかけているからです。
リベラルも国家主義者もやってくるよーだ。
ときどきマサキさんっぽくない、びっくりするような深刻な絶望の言葉を述べている。

なにしろ、じっと観ていて、SEALDsのひとびとのほうがずっと賢くて、こちらは学習することばかりで、むかしから相手から学習することが「少し」あると思うときは、相手のほうが桁違いに賢いと決まっている。
これを言いたいなあーと思っても、ちゃんと口をつぐんでいて、どうしても何か言いたいときには、なけなしの式神のタネを動員して、丁寧にたたんで、手のひらの上にのせて「ふっ」と吹いて、国会前まで送りこんで、わしの名代をさせてからにしようと思っている。

面白いことがあった。
Web用の公式twitterがいつまで経っても設定した背景が、ちゃんと保存できないので、背景が真っ白になって眼がチラチラして蛍光灯になったような気がする。
やむを得ないのでサードパーティのtwitterソフトウエアに換えようと考えて、購入して、インストールして、いろいろに機能を試していたら、いつもの顔ぶれで、ぼくに対する嫌がらせを述べている。
平常はブロックしているので見えないが、何年もぼくのあとをついて歩いて、嫌韓運動の人々にそっくりというか、誹謗中傷を繰り返しているなかで、見覚えのある名前がある。

あ、まだやってんだ、この人と思ったが、職業が、作家という言葉だけが生命の人です。

伊東麻紀という、なんだか以前から途方もなく卑劣な人です。
自分が職業作家であることを鼻にかけて、下手な文章をくさし、素人を睥睨しまくるという、失礼な言い方をすると、田舎のどさ回り一座の大根役者のようなひとである。

ひどいこと言うね、と思うかも知れないが、こっちはこの人に昔からもっとひどい目に遭っているのだから我慢してねしてね。

むかし、こういうことがあった。
例によって例のごとく、北半球の冬に、空気がかたく乾いて爽快な真夏のクライストチャーチにやってきていたぼくは、帰りは、どへええ、なくらい酔っ払いそうだと考えて、終バスでパブへ友達たちと会いに出かける途中だった。
帰りは、友達に送ってもらうつもりです。
ダメなら、ひょろひょろ蛇行しながら歩いて帰る。

クライストチャーチは、十年前のこの頃は完全なクルマ社会で、よほどビンボな人か、留学生や外国人でもなければ夜のバスには乗りません。
理由は簡単で場合によっては滅茶苦茶あぶない。
中が見えなかった昔のバスに乗り込んでみると、なかでは、いかにもわるそーなガキどもが8人くらいで酔っ払って、でかい音量でステレオを鳴らしている、ということが年中起きる。

乗車してみると、見事に4人のクソ若者が乗っていてアジア人の女の子をからかっている。
そのうちに、というか、ぼくが乗ってすぐ、ニュージーランド人なら誰でも知っている外国人への嫌がらせを口にしはじめた。
「きみ、空港への道を知ってるかい?」
女の子が、恐怖にひきつったような顔で、「知ってますけど」と応えると、
案の定、クソ若たちは、ひゃあっひゃっひゃと笑って、
「知ってたら、さっさと飛行機に乗って、おめえのクソ国に帰れよ」と述べている。
他に11人くらい乗っていた週末に遊びに行く客達が、あまりの酷さに、我慢できなくなって振り返ったりしています。

こういうバスに乗り合わせて、図体がでかくて、深い深い溜息がでない人間がいるものなら、教えてもらいたい。

やむをえないので折角、バスの前のほうのレッグルームがおおきな席が空いていてもったいないのに、4人のみなさんがレイシズムとセクシズムに基づいた悪態をついて女の子の髪に触ったりしているほうへ歩いていった。

(起きたことが下品なので、中略)

前へ戻ってから運転手のおっさんに「身体がおおきな人はうらやましい」と言われ、女の人は当然饒舌になったひとびとに、「心配しなくていいよ」「この国は、どこの国からの移民だって歓迎だからね」と口々に述べてなぐさめられていました。

もうひとつ。

義理叔父が鎌倉に住んでいたあいだグリーン車で東京へ通っていたのは、前にも書いた。
だいたい、ぼくが8歳くらいまでの「グリーン車」は連合王国のせこい(←言葉悪い)電車しか知らないわし子供には、信じられないような豪勢な二等車で、あとで訊くと上野から金沢までの長距離列車の車両の転用だったらしいが、おとなになってからのぼくでも、ゆっくり座れそうなくらい席と席のあいだにゆとりがあったのをおぼえている。

ところが下り列車に品川から乗ってきた30歳代くらいの男の人が車掌にしつこくからむのだそうでした。
「なんでこんなに高いんだ」
「1650円も払ったのに、おまえのその態度はなんだ」
「てめえ、そんな態度しかとれないんだったら、次の駅で降りろ」

車掌さんは気の毒に2駅からまれていたという。
いちばん後ろの席に座っていた「からみ男」に向かって、三列前のおっさんが、立ち上がって、「おい、そこのきみ、
車掌さんは仕事をしているだけじゃないか。聴いているのが不愉快だから、きみのほうが降りたまえ」と言う。
男が「うるさい、おまえの知ったことじゃねえ。おれがなんで降りなきゃいけないんだ。理由を言ってみろよ」と述べたら、今度はおっさんだらけだった車内じゅうのすべてのおっさんが立ち上がって、「うるさい、おまえが降りろ。理屈なんかいるか。ふざけるな」と述べるので、この失礼な若い男は次の駅でほうほうの体で降りていったそうでした。
男が降りると、車内じゅう、またもとのように、なにごともなかったかのように静かになって、いつもの、新聞を広げて読む人や、ビールの瓶を傾ける人の「ふだんの光景」に戻ったそうです。

「で、あんたは、どの段階で問責に加わったの?」と訊こうかと思ったが、たまにはマジメに義理叔父という人の性格を述べると、なんとはなしに、多分、とぼけて描写していた「初めのおっさん」が本人であるような気がしたので、訊かないまますませてしまった。

ぼくは、いつも「集団サディズム」を問題にしている。
集団で、ただ相手を糾弾するためだけに攻撃してはいけないのだ、と何度も述べている。

一方で、この頃の流行りなのか、SEALDsは集団狂気で、自分は理性があるからついていけない、と述べたり、言っていることが憲法違反なのにおおぜいでそういう無法をいいつのる考えがない若者集まりだ、と無数に書いてある。
このひとたちの意識は、自分たちが何年にもわたって技を磨いてきた「他人を貶める技術」を駆使して、巧妙に、決してしっぽをつかまれないようにSEALDsの若いひとびとを貶め、愚弄し、見下した発言をつづける一方で、SEALDsのひとりひとりの参加者にはそれぞれに、女のメンバーに「ほんとは濃厚なセックスが好きなんじゃないの」とまで言い放つ獣をひきあいにだしては哺乳類全般に申し訳がないようなおっさんたちが、いつでも揚げ足をとろうとして、
「ぼくは理性の人」おじさんたちとのやりとりを環視しているのを十分知っている。
そこは、もう少し知恵がたりない、品性ゼロの人間に役割として引き渡せばよくて、自分は「理念」とか「怒りを持ってはだめだ」とか言ってすました顔をしていれば事足りるのを熟知している。

そうして、まるで流砂に足をとられた人のように、次第に絶望の底へ落ちてゆく若いひとたちを、何万人という善意のひとたちが、「気の毒に」と思って見殺しにしている。
そのうちに国会前に集まったうちの誰かが、死にでもしたら、目を泣きはらして一束の花を供えに行くでしょう。

善意のひと!
どのひとも、善意のひと!

「そんなに荒い言葉遣いはよくない」という。
「あなたは、もっとやさしいひとだったでしょう?」と述べる。
なかにはひどく残酷な人間がいて、きっと、「あなたがたが、こんなふうに攻撃的な人間だとはおもいませんでした。がっかりした」と述べて、声援をやめて、去っていく

良い機会であると考えた。
ちょっと、やってみよう、と出来心が起きたのは、要するにそういうことのせいです。
ぼくは、いま自分のTLに現れて、冗談を述べては消える人たちのパーソナリティと知性を信頼している。
でも、まあ、ダメなら、それだけのことだから実際にtwitterもブログもやめればいいだけのことさ。
いままでに何回も数ヶ月、数週間、起きていることを理解しているとはいっても、うんざりはうんざりで、やめて他の言語に遊びにいったり、数学に没頭したり、オカネモウケを忙しくしていたことがあった。
だから、もうこの辺を潮時にして、やめちゃってもいいけどね、と考えました。

集団行動も、もちろん吊し上げも、いっちゃん嫌いな哲人さんがのっけから相手に正対して「きみは卑怯だ」と伊東麻紀とか言う人に述べていたのは、多分、ぼくの意図を、あっというまに見破っていたからのようにみえました。
オダキンは偶然の理由で、ぼくがなにをしているか判っていたので、
「そんなめんどくさいことする必要ないんじゃない?」と言いながら、そのあとで、考えてみたのでしょう。伊東麻紀さんに非難を述べに行っていた。

ぼくのTLにいる人達は「なにかを集団でおこなう」ということが嫌いな一心でTLに居合わせているだけなようなひとたちであるのに、てんでバラバラなやりかたで、「ガメのブログが読みたいという私の気持ちを邪魔するな」という理由で口々に「ふざけるな」を述べてくれた。

この、ふだんのツイッタ友達とのささやかな博打を打ってみて、一日か一週間かほうっておいて、様子をみて日本語をやめるかどうか決めようとおもっていたが、こうやって書きながら、ちらちらと観ていると、一週間分くらいに予定していたお友達たちの発言が30分くらいでもうずらずらずらと並んでしまっているので記事を急がなければならない。

自分の胸に聞いてみたが、みなさんを「試した」訳では毛頭ありません。
胸よりもやや不確かな頭にも聞いてみたが、投企であろうとご返事をもらっている。
日本語twitterとブログをやめてもフォーラムがあらあーな、という気持ちがあったのも否めないが、そこは注意して始めてみたつもり。

やってみて判ったのは、こちらだけを向いて「続けてください」と言われるのは嬉しいけど、やはり、「敵」のほうだけを向いて、しかも自分の欲求にしたがって言葉を鞘から抜き放ってくれる人が格別に嬉しいもののようでした。

なかには「twitterはともかく」ブログだけはやめないでくれと伝えにきて、椅子からずるこけそうになったお友達もいるが、正直というか (^^;

Lukeは、わざわざぼくのために無理に時間を割いて相手と正対するツイートを書いていたらしく、そのすぐあとに
「ツイッタなんてやってないで大至急オフィスに来てください」と怒られていて、笑ってはいけないが、あんまりLukeぽいので大笑いしてしまった。

ファランクス(phalanx)というのは、多分、日本語では重装歩兵密集隊形と言う、古代ギリシャ人の、肩と肩を接近させて、戦闘に臨む、長いあいだ「自由の象徴」であった戦闘隊形です。
最大の特徴は自分が左手に持った盾は自分を守るためでなく、左隣の仲間を守るためにあることで、右手に握りしめた槍は、ただ敵と戦うためにあって、右側の防御は右に立っている仲間を100%信頼することに任せている。
あれほどわがままで、てんでバラバラで、考えていることも意見もそれぞれ異なって、考えや欲求も異なるので喧嘩が絶えなかった古代ギリシャ人が、いざ自分たちの自由が脅かされるときがくると、集合して、何百倍もの敵から自由を守り得たのは、このphalanxという「思想」でした。
古代ギリシャの自由世界は、ファランクスとともに繁栄し、ファランクスの解体とともに終焉した。

きみは、おおげさだよ、と笑うでしょうけど、ぼくは改めて日本語の世界でphalanxの思想が浸透しはじめているのを感じました。
これもきっとSEALDsのひとびとのせいなのではないかとおもうんだけど、前ならば、みな「息をつめて」、この伊東麻紀というどこまでも卑劣な人とぼくとの「喧嘩」を「どっちもどっちだなあー」と思いながら観る人以外にはいなかった。

ぼくは「SEALDs」を三浪亭だけを通して見ているのだ、と何度も書いた。
視界にはいっているのが三浪亭だけだが、三浪亭が流砂にはまれば、そのときはどうやってでも流砂から出られるようにしなければね、と考える。
具体的には、「日本を救う」なんてお願いしてやめてもらって、そのときこそはアホ国を捨てて、英語圏に出てくればいいのよね。

ツイッタであったみんなも、この国に残り少ない希望である若い人が誹謗されていたら、「なに言ってんだ、おまえ」「ふざけないで欲しい」と言葉だけでもいいからSEALDsや、やむをえず立ち上がった、ほかの若い人たちにためらわずに「同じほうに顔を向けて」拳をふりあげて欲しい。

もう、あまり時間はないのだから。

(あっ、それから、そろそろ、このヘンな人に文句を言うのをやめないと、なにしろこっちが「集団人」に見えるし、「知的でない」としたり顔に述べ出す気味悪いおっさんたちが次々に現れるのに違いないので、もうやめよう。予定よりもずっと早くこの記事をパブリッシュすることにしたのも、そのためです、忙しいことだけど)

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4 Responses to ファランクスを組んで希望を守り抜くということ

  1. 太郎 says:

    貴殿はやさしいのう。
    SEALDSに対する罵詈雑言など、勲章みたいなもんではあるまいか(冗談ではない。)。それだけ、無視し難い、意味のある、重大な行動だったという、そういう事の証明だと思うんだけど。
    英語圏の事を完全に分かっている訳ではないが(日本語圏の事を完全に分かっている訳で無いのかもしれないが)、卑劣な攻撃を受けているということは、それは、SEALDSのこれまでやっていたことが、それだけ無視できない、重大な意味のある事だということではあるまいか。意義を評価する人は多いですよ。
    勿論そういう悪いことを言うことは良くない。が、そういう卑劣な罵詈の数々を、むしろ自分の行動の意義の証しだと思うような、そういうしたたかさというか、強さを身に着けてほしい気がするのですが。

    お気に召さないようなら、消去しておいて下さい。(ちょっと酔っ払い気味かも。)

  2. まさき says:

    ありがとうね

    なんとも馬鹿らしい「討論」番組を見ていて中国のA2/AD戦略についてガメさんのブログに記事があったかなと探してたら、ブログのトップにこれを見かけたので少し反省しました。

    言葉使いが荒いのは地が出ている部分が結構あるのだけどねw
    政治にのめり込みすぎたと思う。気が楽になりました

  3. しそごはん says:

    ガメさんのブログが読めなくなるのはわたくしも困りまする。
    見つけたの最近だけどいつも面白い文章で楽しみにしているのです。
    SEALDsを叩きまくってる人たちを見てるといつの時代の基準で言ってるのかしらって思うことがある。
    時代についてきていない人が多めな気がします。

  4. 緑の郷ひろみ says:

    「ふーん、そんなことがあったのか」・・・介護に突入して、遭遇することが皆、これまでの価値観を覆す、まるで小泉八雲の描く「ムジナ」の世界に降り立ったような、日本社会の現実を見せつけられた時期がありました。「まるで虐めの公開実況中継のようになってきた」とtwitterで呟きながらも、その呟きは、漆黒の闇に吸い込まれ、こだまが返ることもなかった。守っていた人はこの世を去り、残された身は敗戦処理で苦しんでいた頃、ガメさんの文章を偶然目にして、忘れていた「早朝の森の径を散策する」感覚が蘇り、ほっと息をついたことがある。だれかが口づさみ始め、それに呼応して次々にあちらこちらで歌声があがり、やがて大きな合唱になる。そんなことが起こればいいなと思います。今も、新たに寄り添わねばならない人がいて、数年前にも増して凄惨を極めてきている高齢者をめぐる「世の中の在り方」に打ちのめされて、「もういっそ、知らないふりをしてしまおうか」とさっきまで考えていたのだけれど・・・

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