旅立つ人

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さよなら、と手をふる人に、なんども振り返りながら手をふっている人がいる。
前を向いて、後ろをふりかえらずに発ってゆくひとがいる。
もちろん、心のなかで泣き崩れてしまっているのが、手に取るように見えてしまっているひともいる。

ほんとうは、混雑した通路のなかで、そっと人混みにまぎれて、いつのまにか見えなくなってしまうような別れ方がよいが、どんな場合でも、そんなふうに、うまくある場所やひとたちに別れを告げられるわけではなさそうな気がする。

きみは、ある日、自分を理解してくれる人達に背中を向けて、あるいは、自分を憎む人達に対してまでも、自分の背を見せて、きみがずっと過ごしていた場所から立ち去るだろう。
きみが、すべてのやさしさを拒絶したい、と考えたのは、きみが人間というもののやさしさを、他人よりも、ずっとよく知っているからだった。

ひとりでいるときの人間は、誰かと一緒にいるときの人間とは、まったく異なる言葉を使っている。
その言葉は、自分に向かっているのでさえない。
言葉は、水に沈んでいくように、沈黙のなかに沈んでゆく。
青い空の高みを流れてゆく積雲の言葉で、絶えず変化して、不思議な形象をいくつも見せたあとで、なにごともなかったかのように風に乗って立ち去って行く。

自分の故郷なのだけど、もうここにいるわけにはいかなくなってしまった、と、そのひとは書いている。
ガメには判らないだろうけど、嫌いじゃなかったんだよ。

ガメは馴れあいを嫌う。
きみは決して認めようとしないが、知力に劣る人間も嫌っているのではないか。

ぼくは、この国の愚かさが嫌いではなかった。
大学をでて、いまの仕事について、ずっと忙しかったけど、
ぼくがやらなければ、誰にもやれない仕事だから仕方が無いとおもっていた、と言っても、ガメならきっと笑わないで聴いてくれると思う。
それとも「自負心」なんて、20世紀の遺物だと言って笑うかい?
ぼくは、きみなら、案外、微笑いながら聴いてくれそうな気がしたから、この手紙を書いているんだけど。

きみは、いつか、「日本の歴史は、つまり『中国でないこと』にすべてを賭けた国の歴史で、中国人に対する理不尽な嫌悪は、要するに日本という国のアイデンティティなのであるとおもう」と言ってたけど、
そして、「中国は多分、ムスリムと並んで、西洋世界がひさしぶりに観る、根本的に異質な文明の理屈で西洋世界の前にたちはだかるだろう」とも言っていたとおもうが、ぼくもそれには同意できるとして、ガメがひとつ忘れていることがある。
日本もまた、西洋世界とは異なって、中国とも異なる文明で、ただリフレクションのなかで異なっているだけではなくて、やっぱり独立に特異な文明でもあるんだよ。

明治以来、ぼくたちは西洋語の文脈において考えることになれている。
ガメは、全体主義と自由主義と言い、「天然全体主義」という変わった表現までするが、それは無論、西洋語の文脈に照らしてみているからで、たとえば武士道は、西洋語の文脈では、自由主義ではありえなくて、やはり全体主義的な美学です。
集団サディズムでもある。
ガメがいつも指摘するように、途方もない厳罰主義で、これも指摘のとおり、日本人が決して自分の非を認めない悪い癖は、行きすぎた厳罰主義から来ているに違いない、とぼくもおもう。
「間違いを認めて謝る」ことと「相手の足下にひれふして屈服する」こととの区別がつかないのも、要するに、そういうことだろう。

でも、それは「全体主義」なのだろうか?

中世の武士は、近世にはいってからの武士とは、まったく文化的に異なる。
絶対王政的な、(というのは、きみの指摘によると日本的なアイデアらしいが)織田信長の支配が登場するまで、日本の「武士」は、つまりは武装小農場主で、卑俗な言い方にこだわれば、自営業者だった彼らは、近世の武士の対極の存在であるかのように利己的だった。
喧嘩が両成敗であったり、「御恩と奉公」を強調したのは、利己的な集団を御すための、当時のボスたちの知恵にしかすぎなかったように見えます。
倫理ではなくて支配のためのツールで、特に思想的深みなどはない。

それが日本のなかでも特異な三河文化の奥から現れた徳川家によって、ことさらいがみあいの多かった地方性から生まれた、統制の知恵で、日本じゅうを埋め尽くしていく。
きみが言っていた「何もしないためならなんでもする」日本人の顕著な特徴は、ぼくも、改革へのミーティングのテーブルのまわりにならぶ、誰彼の顔を思い出して、あまりにほんとうなので笑ってしまったが、個を失わせるさまざまな工夫によって、言い方を変えれば、ひとりひとりの人間をいったんのっぺらぼうにして、まったく同じ顔に描きかえることによって統制する、というのが近世以降の日本の為政者の考えだろう。

三河は特に、一向一揆という大事件があって、最近臣の家来にまで槍で追いかけ回された経験があったはずの徳川家康は、そのときは宗教の顔を借りていたが、個々の人間のがわの欲求から人間が行動するときの破壊性を、身にしみて知っていたのだとおもいます。

日本がつくりあげたのは、情緒を共有することによって、個人を、いわば融解させて、全体のなかに溶かし込んでゆくという巧妙な支配の方法だった。
宗教を神経質なほど警戒して、江戸時代には、他のことに較べて、びっくりするほど、いわばマジメに弾圧したり、近代になっても大本教を激しく弾圧して神殿をはじめとする施設を軍隊を派遣して物理的に破壊するという、恐怖に駆られた人のような、日本人らしくない行動に駆りたてたのは、やはり一向宗の記憶なのではないかとおもうが、ともかくも、そうやって、日本は近代をつくりあげてきた。

おっしゃることはもっともです、と前置きする。
皮肉ではなくて、という。
批判ととってもらっては困るが、とマジメな顔で言ってみせる。
悪い意味ではなくて、という枕詞じみた修辞を文頭に付け加える。
いよいよ不分明があきらかになってくると、「真意が伝わらなかった」
「そういう意味で言ったのではない」と闇雲に言い続けていれば、いつもなんとかなってしまう日本人の翻訳不能な習慣は、だから、まんなかにある巨大な情緒へのもたれ合いがなければ成り立たない習慣です。

よいこともあって、その個々の人間を融解させて、ひとつのおおきな情緒のまとまりにして、「日本」という名前をつけてしまえば、長い孤立のなかで、現実の外の世界など、いまに至るまで想像することもできない日本という国は、いつも簡単にひとつにまとまることが出来た。
鬼畜米英も、中国の脅威も、落ち着いて考えれば、米西戦争でハーストが創作した裸にされて天井からつるされスペイン人に鞭で打たれるアメリカ人の女のひとのイメージがはたした役割とおなじで、子供だましだが、日本語という言語の高い壁に囲まれた国では、うまく機能した。

でも、福島の原発事故で、「嘘の皮」が剥げてしまったんだよ。
誰かがtwitterで「福島に住むのは危険だと英国紙が報道している」と言うと、
「私は最近福島に戻ってきて住み始めたが、健康にも問題はないし、なんにも障害のない生活を送っている。いったい、こういう人の脳内にある『福島』は、どこにあるのだろう」と書きおくる人がいる。
ガメが教えてくれたとおりで、ぼくも、いくつか見て、笑い転げてしまった。
見え透いている。

もちろん、現実の福島の人は、あんな言い方をするわけがない。
そこには、福島の人が当然もっているはずの、激しい怒りに似た哀しみが少しも感じられない。
誰が、どんな意図でやっているのかしらないが、ずいぶん投げやりなやりかたで、この「福島に寄り添う」としたり顔で言うひとたちが、ほんとうは福島人のことなどまったく考えていないのが、よくわかる。

神戸の大地震があったことと、あのあと、日本人がまとまりをみせて、2000年に向かって、日本人なりに建設的な姿勢で、さまざまな問題に取り組んでいったこととのあいだには、やはり関係があると思っている。
ガメが調べて送ってくれたとおり、地震の前に、神戸には、神戸で地震が起きるわけはない、という推量を前提とした危険な手抜き建築が蔓延している、と糾弾する市民運動があったんだね。
自分でも調べてみて驚きました。
ところが起きるはずはなかった地震は起こって、地震以前に指摘されていた建造物はものの見事に倒壊してしまったが、地震という「おおきな悲劇」を前に、不問に付されて、地震そのものが「日本人の団結」に利用されていった。

福島事故の処理も、民主党政府は、その手でいこうとした。
そうすれば国家が復興に使うオカネはずっと少なくてすむからね。
ところが、自分が科学系の大学教員であることを、まるで手品師のタネのように使った、放射線の健康被害についてはど素人の目立ちたがりの研究者たちが、多分ボランティアで、英語世界から見ると失笑でしかない「啓蒙」活動をやってみせても、母親たちは、ほとんど本能で、政府や日本の科学者たちの「嘘」を見破ったようでした。

そこからは、きみが見たとおりです。
まるで完全犯罪のパターンを見破られてしまった犯罪者のように、簡単にいえば、どうすれば国民をだませるのか判らなくなった政府は、丁半賭博に近い経済政策に打ってでて失敗してみたり、全体主義を強化するために、制度としての民主制の要である憲法を無視する、という国家の根幹的な原理である遵法性をまるごと破棄するという、びっくりする手にでたり、つまりは右往左往して、
全部、失敗して、いまでは国家としての体をなしていない体たらくになってしまった。

ぼくは、この国の体制を西洋的な文脈で「全体主義」と呼ぶには疑問があると言ったけど、この国は、あのイヤな言葉、「やまと」なので、国学が論理的に破綻しているように破綻している。
からごころ、と国学が呼んだものは、いまなら「洋魂」か。
いつか、ニューヨークで、きみが奨めてくれたアウトレットにいって不相応なシャツを買ったら、胸が妙に余って、腕丈がすごく長くて、きみたちの人種とぼくとではサイズよりも身体の「形」のほうがもっと異なるのを発見して驚いたが、無理矢理、西洋の型に日本の文明をはめて、たわめたままここまで来た結果がこれなのだと考える。

ぼくも、この国を出ていこうとおもってる。
なんだか、ぼくの祖国と同様、ぼくもくたびれはててしまったんだよ。
ガメは大笑いしていたが、マウイ島に越すというぼくと女房の決心は、そんなに可笑しかった?
相変わらずガメは失礼なやつで、女房とふたりで、甘やかされた人間というのはああいうものだな、と言いあったが、それがきみで、仕方がないといえば仕方がない。

ハワイは、きみが言うよりもいいところだよ。
女房は、だいぶん前からフラダンスを習いに通っていて、本場に行けると言って喜んでいる。
頼むから、「フラダンスって、伝統でもなんでもなくて、常磐ハワイアンセンターと本質的に変わらない、観光のための最近の発明です」みたいなことを女房に教えて幻滅させないでくれ、とお願いしておきます。

息切れしてしまったけど、今度また、日本の文明の軋轢について続きを書きたい。

若いときには、きっと、きっぱり前を向いて、日本に背を向けて出かけられただろうけど、いまは、もう何度も振り返って、別れを惜しんでもいいような気がしている。
未練がましくて、かっこわるいが、人間は年をとると、ひとつだけいいことがあって、めんどくさくなるのか、自分に正直になるようだ。
まさか、自分が生まれて育った国を離れて、他国に住むことになるとは思わなかったが、「国家」そのものが、ぼくの考える意味では消滅してしまったのだから、仕方がない。

マウイに来たら、一緒に海辺のバーベキュー場に行こう。
ウエスティンの兵馬俑、テラコッタの列はまだあるらしいよ。
ホエーラーズビレッジの、子供だったガメが好きなホットドッグ屋は、もうなくなりました。
時間は流れ落ちる水のようで、とりとめもなく、とどめようもなく、流れていってしまう。
さびしいけど、宇宙に起きるあらゆることの実相など、そんなものなのかも知れません。

では。

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4 Responses to 旅立つ人

  1.  不思議なことにあの年の3月11日のことはよく覚えているのですが、それからあとの一か月の記憶がありません。夫と一緒に小さな会社を経営しておりますが、あの日は多忙でいつもいない夫が珍しく会社におりました。一回目は横に長い時間揺れたように思います。亀殿もご存じのように日本人は慣れているので震度4程度なら普通に今していることを続けます。でもその日は何かが違いました。大きい地震だったので外回りの社員の安否を確認しようとした矢先に二回目の揺れがやってきました。今度は縦に下から突き上げるような揺れでした。二台ある大きな複写機が前に躍り出てぶつかり合うのをみたとき、とっさにすべてのドアと窓を開けました。ビルのエレベーターの箱が壁にぶつかる音がすさまじく、壁の中から鉄骨のきしむ音が聞こえ恐怖で体が動かなくなったとき、夫が私を机の下に放り込み梁の下に仁王立ちになり、私を見下ろしながら静かに言いました。「逃げるなら上へ行け。下じゃないぞ、上だぞ。」事務所は10階にありました。私が不安に思っていることを口に出そうとしたとき、察したのか夫は「大丈夫だあの子(息子)はもう二十歳を過ぎてる。大学のキャンパスも埼玉で広いから無事に決まっている。俺たちがいなくなっても生きていけるよ。」そう言われて私は少し落ち着きました。事務所ビルの電気が止まってしまったので心配でしたが社員を帰宅させました。全員の無事を確認できたときはもう明け方でした。ほどなく福島の原発事故を知り、社員には翌週より出社を要しないこと、疎開可能な人は至急移動するように会社のことは気にするなと告げました。それからの記憶が一か月ほどありません。
     亀殿、今回のブログは何回も読みました。私の身近な人たちも旅立ちが近いかもしれません。旅立つ人のことはあまり心配しておりません。そのときは一緒に行こうと言ってくれますが、高齢の両親もおりますのでそうはいきますまい。私はというと、残る準備を着々としております。健康に不安はありますが、下町の保育ボランティアに登録する予定です。今、日本では子供の虐待通報が過去最高になっております。社会のひずみが一番弱い所に出るのは世の常ですが、ただでさえ出生率低下が長引いている日本で本当に悲劇だと思います。
     旅立つ人がいれば見送る人もいる、少しさびしいけれどお互いの自由と幸せを祈りつつ留守を守ります。「お帰りなさい」と言えるその日まで。今日もすばらしい記事をありがとうございました。

  2. ubaab says:

    あの3月11日、正確にはこちらでは3月12日に海岸の整備された干拓地帯をなめるように黒い津波が襲っていく光景を、テレビで驚愕してみつめていた。すぐに夫のアメリカ人の友人から連絡があった。「16日から神奈川で開かれる学会に参加する予定なのだけど、学会に問い合わせると、この地震による影響はほとんどないと思われるので予定通り開催すると言われたのだが、彼らは正気なのか?僕のガールフレンドは、絶対に行ってはいけない!!というんだけど?」もちろん彼は地震のみならず放射能のことを懸念していたのだ。医学学会だったのにも関わらず、学会は何も理解していないらしいことが露呈された忘れもしない2011年3月。

  3. Chung Yong Suk says:

    ガメさんいつも楽しみに拝見しています。ありがとう。
    感傷的になるでもなく、坦々といや淡々と旅を続ける事が大事なのかも知れない。人生は楽しみを探す旅なのだから。
    1930年私の祖父母は日本に渡って来ました。10年前、博多から船に乗って韓国に渡ったとき、ばあちゃんは19才の時に、この海をどんな気持ちで眺めていたのかと思うと妙に泣けて来たものでした。そこから75年後、孫が逆に戻る旅をしたわけですが、隣では博多にショッピングした帰りとおぼしき韓国の若い女の子達が船酔いをして気分が悪いと言っていて、これもまた、平和なのだと思ったものです。
    あの時からたった十年でここまでややこしくなるとは思っても見なかったなー。
    昔はなぜじいさん婆さんは日本に渡ってきたのかとちと、恨んでみたり、日本で生まれ育ち外国人として生きることに何か複雑な存在と悩んだこともあったのですが、今となっては何かの意味が有るんだろうなと考えたりします。
    ガメさんのどこかのブログで移民がいつか故郷に貢献するときが来るとか、或いは移民の力を頼るときが来ると言うような内容を見て、妙に納得したりしています。
    私もいつか生まれ育った街を出て、祖国に帰る事があるでしょうが、流されるより、流れを楽しむような気持ちを持ちたいと思ってます。

  4. 星野 泰弘 says:

    働かざる者、食うべからず。
    欧米は、なぜ、こんなにゆとりがあるのか?
    なぜ、こんなに少ない労働で、こんなに多く消費できるのか?
    日本では、1日8時間共働きでなければ生活が成り立たない。
    だから、夫婦は子供を産んで自分の子供の面倒を見ない。
    産み捨てた子供を託児施設に預けて、機械の部品に組み込まれに仕事に行く。
    幸せのために仕事があるのではない。
    仕事のために幸せという逃げ水が存在する。
    人生の90%は機械と向き合って過ごす。
    それでも、「餓死と隣り合わせの途上国のスラムよりは幸せなはずだ」と言い聞かせる。
    「機械の奴隷でも、高齢まで生かしておいてもらえるだけで幸せなはずだ」と信じる。
    でも、どこか心の片隅で思っている。
    「こんな虚しい人生もこんな辛い世界も本当はいつ滅んでも良い」。
    死に行く者、この世界を去り行かんとする者に知識も富も評価も要らない。
    気持ちの良い陽だまりで気楽にその最期の一時を過ごせれば良い。
    悟り世代、草食化、世捨て人とは、そういった現象のように思う。

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