Daily Archives: October 19, 2015

Diwali

マリーナから通りに出ると、なんだか、いつもよりインドの人の数が多いような気がする。 インドの人は質素で、ふだんは派手な服を着ている人が少ないというエスニックグループとしての特徴があるが、今日は、目もさめるようなサリを着ている人がたくさんいます。 初めに気がついたのはモニで、 「ガメ、今日はDiwaliだな」という。 おお、panipuri!と、こちらは反射的に大好きなインドスナックpanipuriを思い浮かべて、もうハンドルを切ってアオテアセンターに向かっている、わし。 モニは、「ガメにはdiwaliがそのままpanipuriだな」と、わし考えを見破って、くすくす笑っている。 笑いなさい。 この世界にpanipuriに勝てる人間がいるだろうか? (いいやいない) パニプリは、日本で言えばたこ焼きなのではあるまいか。 ロンドンのチェーン店「マサラ・ゾーン」はメニューに載せているが、普通のレストランは載せません。 小さなプリ(まんなかに空気を入れておいて、揚げて、ぷっ、とふくらませたパン)の上に穴が開いていて、そこにタマリンドジュースを注ぎ込んで食べる。 https://en.wikipedia.org/wiki/Panipuri たこ焼きとおなじくらい大好物なので、これを見逃すは勇なきなり。 ほんとうは、Diwali は午後7時くらいからが本番で、大ステージの上ではダンサーたちが踊り狂い、アオテアスクエアを埋め尽くしたひとびとは熱狂して、子供たちは、ぐあああああ、になって、わけがわからないなりに興奮する頭上に花火も飛び交うDiwaliらしい狂熱は夜のものだが、いまは6時で、まだ明るくても、わしにとってはDiwali=Panipuriなので、ぜんぜん気にしません。 Diwali はヒンズーのお祭りだが、オークランドのそれは、ムスリムも中国の人もヨーロッパ系人も入り交じって、通りを埋め尽くした屋台と、スクエアがそのままラッシュアワーの山手線になったみたいな、チョーものすごい数の、さまざまなひとびとでいっぱいになる。 2002年に始まって、年々、規模がおおきくなる。 今年は広いアオテアスクエアが身動きできないほどの数の人でいっぱいになっていた。 スクエアのまわりの駐車場は空きなしなのはわかりきっているので、カランガハッピロード、むかしは売春街で、いまは、オタク相手の店や、60年代フラワージェネレーション風の服を売るブティックというような、「少し変わった」店が並んでいる通りの、横路地の下にある、めだたないところにある駐車スペースにクルマを駐めて、ついこのあいだ殺人事件があった公園を通ってアオテアスクエアに向かう。 「ガメは屋台の食べ物がほんとうに好きだな」と、あきれるモニさんを尻目に、3軒目にして4皿目のパニプリを食べながら、「一個、食べてみる?」と、屋台の食べ物には手をださないモニさんが「いりません」と言うのを知っていて、訊いている、わし。 夫婦といえども礼儀正しくなくてはなりません。 うん、と言われてもあげないけど。 シークのひとびとが、現今、ヒンズー人との緊張がまた高まっているのを反映して、ちょうどステージに顔を向けているヒンズー人の大集団と向かいあう場所に陣取って、抗議のデモをおこなっている。 だらしなくパニプリを頬張りながら、どーして、こんな重大な問題を知らなかったのかしら、ダメじゃん、と考えるわし。 モニは、知っていたそうで、「ニュース見てないのか?」と言う。 ここのところゴシップニュースばかり夢中になって読んでいたので知らなかった、と述べると、 アリアナグランデが金髪になってしまった、とか、そんなことばっかり言ってたからな最近、と笑われてしまった。 インドの人たちと一緒になって通りでインドのダンスを踊っている欧州系人たちを見て、ニュージーランドも変わったなあーと考える。 じーちゃんみたいだが、でも、ほんとうにたいへんな変わりようなのだから、仕方がない。 むかし、わしは白い人ぶわっかりの文化で、退屈で、あきたので、ネットの電気信号的な風のうわさによれば多文化の融合反応が起こっているトロントに越そうかと考えたことがあった。 ニューヨークやシドニーは、多文化とは言っても、ちゃんと混合されていなくて、モザイクというか、セグメントというか、共存はしていても、いまひとつ面白くないので、トロントに行けば、もっとちゃんと混ざっていてオモロいのではないか、という目論見だった。 寒いそうで、おまけにトロント人に聞いたら夏は湿気がすごいというので行かなかったが。 ところが馴染みのある町のオークランドで夢であった文化の「融合」が起き始めた。 だいたい2001年くらいからのことです。 あれから、もう15年も経つ。 20世紀が遠い過去のことに感じられるのは、その間(かん)の変化の大きさを物語っている。 わしガキの頃は、まだ、ウエールズ人とイングランド人とスコットランド人が、お互いを国民性を挙げて喧嘩することもよくあって、オランダ人に対する、例えばアジアからの移民のひとびとからは不可視の、しかし激しい差別があった。 インドや中国から移民が流入することによって、特に人口の1割を新しいアジア移民が占めだした頃から、目立って寛容になって、というよりも気にしなくなって、一緒になって祝い、一緒に悲しむようになった。 インドの人が持ってきた生産性が高いソフトウエアの技術と中国系と台湾系が持ち込んできたハードウエアの流通スキルに、ヨーロッパ系のエンターテインメント文化(例:The … Continue reading

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