Monthly Archives: November 2015

集団の価値

レオナルド・ダ・ヴィンチが万能の天才というわけではなかった、というのが最近の通説であることは、前にも書いた。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/06/sfumato/ 「天才ではなかった」というわけではありません。 ヴィンチ村のレオナルドは、正真正銘の天才だった。 人間の才能は不公平で、ロシアや中国の富の再分配の失敗どころではなくて、 神様の才能の再分配の失敗は、才能に欠けた「筋が悪い人」はどこまでも筋が悪く、才能にあふれた、才能がありすぎて、いっそ才能の洪水で自分の一生が押し流されてしまいそうな人は、だいたいにおいて何をやっても、まず「センスのよさ」において、ずば抜けている。 投資の世界にはEVAという基本的な指標がある。 Economic Value Addedの略で、簡単に言えば投資コストを勘案した事業利益で、理屈の上から言うと、未来の一点に想定したEVAを集計して、一定金利で現在の価値に翻訳すればMVA(市場付加価値)が判ることになる。 多角事業経営が、たいていの場合うまくいかないのはEVAという概念を欠いた経営であるからで、個人もおなじ、いろいろなものに手を出しても、労力の投下コストばかりがおおきくて何も達成できないで寿命がつきてしまう。 レオナルドたちは、どうやら、数学者、建築家、画家、というような異業種人で集まって「勉強会」をしていたらしい。 ルネサンスの「万能の天才」の正体は、「共同作業」で、どの勉強会にもどの「共同作業」にも画家がくわわっているところが「イタリアだなあ」と、感じる。 「日本人は集団作業が下手だ」と書いて、なんだかいっぱい抗議されたことがある。 おまえは、日本人が世界でも有名な集団行動の天才なのを知らないのか。 わし日本語友が、多国籍な宿にいるときの経験を書いている。 週三回、日本人が集まって、同宿人に日本食を供していたことがあったが、いつもうまく出来た。 イタリア料理をつくってみたこともあったが、これもおいしく出来た。 スペインの人たちが、ではスペイン人が集まってスペイン料理を、ということになって、トルティーアをつくることにした。 ところが、みな各々のレシピを主張して、喧嘩になって、なにも供せなかった。 そういうことが二度あって、三度目はなかったんだよね。 いつも、反応が「かわいくない」わしの返答は、 「ところが、ぼくには、その場合、スペイン人こそが共同作業をしていて日本人のほうは単なる同化→洗練作業をしているだけのようにみえる」 とあります。 なんという、にくたらしさ。 「議論」と「喧嘩」がはっきり区別されるのは北海のイナカモノ、連合王国人の伝統で、地中海文化に属するスペイン人たちは議論と喧嘩が、そんなにはっきりしていない。 喧嘩をするけど仲直りをして、また喧嘩をくりかえして、仲直りを繰り返す。 スペイン人については外国人として「浅い観察」をしているに過ぎないが、見ていると、特に「庶民」に限らず、社会の上層でもおなじに見えます。 たとえばフェラーリの美しい線をみると、あの美しさが回転も音もいい、強烈なエンジンが載ったクルマになるためには、「集団協業」がほぼ完璧にできなければならないが、フェラーリ本社のあるエミリア=ロマーニャに1ヶ月いるだけでも、その「協業」の正体の察しがついて、くすくす笑いたい気持ちになってしまう。 スピットファイアが、ほとんど、たったひとりの技術者の頭から生まれた「孤独な太陽の産物」であるのと較べると、よい対照であるとおもう。 あるいは、現代の数学世界では(フェルマーの大定理を証明した)Andrew Wilesのようなタイプの数学者は少数派で、議論することによって新しく発想をえて、前にすすんでゆく。 ひとりで考えたり、みなで同じことにうなずきあっていたりするよりも、遙かに効率がいいからです。 日本でも経済の教授と物理の教授、文学部の教授と数学教授が「世間話」をすることによって、たとえば湯川秀樹や朝永振一郎のような(チョーかっこわるい言い方をすると)「ノーベル賞受賞学者」が生まれた「進々堂」のようなものが、かつては存在した。 「欧州人の三大発明」はオオウソで、羅針盤も火薬も印刷も、ほんとうは中国人の発明をまねっこしただけなのは、もう誰でも知っているくらいばれている。 トルコ人の友達と話していると「欧州人はマネ以外したことがないじゃないか。なんか自分でつくったものはないのか? 欧州文明っつーけど、そんなもん、ほんとうにあんの?」と言って、からかわれるので頭にくるが、この人はアメリカで高等教育を受けた頭のいいおっちゃんで、下手に反論しようものなら、スパゲッティだって、セモリナでつくった中華麺でしょうが、紙は? 数学だってアラビア半島から来たのちゃうの?とかボロカスに言われそうなので、ゆいいつ、これだけは欧州人が常勝する、飲酒に頼って、相手のグラスになみなみなみとワインを注いで、黙らせる。 日本語人が考えるよすがに使っている漢字はもちろん、歴史を通じて、多分、最も独創力に富んだ民族集団である漢民族が、敗退して、現代においては「マネッコ民族」と揶揄されるに至ったのは、北の騎馬民族と南の日本人による暴力と支配に疲弊したことに加えて、朱子学の訓詁に典型だが、「重箱の隅をつつく」議論ばかりはじめるようになって、互いに疎外された知性がおよそ知的創造からは遠いところで、お互いを罵りあうだけ というところまで 「知的協業」が堕落しておちぶれたからでしょう。 実際、清代以降の中国人ほど洗練された「嫌味」が上手だった知識人をもつ文明は他には存在しない。 … Continue reading

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空白

有風亭、というのだったと思う。 鎌倉の人には、以前からある、たしか北鎌倉が根拠の人力車屋さんのほうが人気があって京都から来た後発の業者は、ひどく評判が悪かった。 人力車は、外国からの観光客にも人気があって、乗ったことはないが、テキサスから来た富豪のおっちゃんは、浅草の雷門で、イナカモノらしく、おおよろこびで人力車を乗り回していた。 大柄な人なので、浅草なら平らでいいが、鎌倉で「日野俊基の墓まで行ってくれ」とでも言われた日には、どうするのだろうと考えたりした。 それとも人力車は乗車拒否してもいいのかしら。 むかし、rickshawは、もともと日本語なんだよね、となにげなく述べたら、インドの女の人に「いくら日本びいきだからって、何でも彼でも日本に結びつけるのはひどいとおもう」と、ものすごく怒られたことがある。 いや、そうではなくて、ほんとうに… といくら説明しても聞いてもらえなかった。 ずっと後になって「あの夜は満月だったから、わたしたちインドの女は月の光の狂気にとらわれてしまうの。ガメ、ごめんね」と謝ってもらったが、なんだか、あれから人力車をみるたびに、あの人を思い出すことになってしまった。 京都の清水で、人力車を見かけて、そんなことばかり考えていた。 人間は生きていくにつれて、いろいろなことがくっついてくるから嫌になってしまう。 人力車を見て、あの、それこそ月の光の精霊のように美しかった女の人を思い出しているのでは、モニさんにだって愛想をつかされてしまうだろう。 もっか、Gという投資家と到頭欧州にでかけなければならなくなったほどの闘争中だが、今朝になってemailの箱を開けてみると、「きみのような人間とは初めて会った。なぜいままで知らなかったか、見当がつかない。今回の闘争は別として、これから友達でいたい」と書いてあって、人間はヘンなものだな、と、いつも考えることを、また考える。 この奇妙な友情の表明は闘争の戦略として述べられたものではないようでした。 (あるいは)オカネのことばかり考えている人間が 哲学的な言辞を時折もらすのはなぜか? 冷酷な人間が、道路の上に横たわる猫の死骸を見て涙ぐむのはなぜだろうか? どうして人間というものは、これほど謎に満ちているのか? そう考えるのは、ガメさんが人間ではないからですよ、と秘書の人に言われたことがある。 あなたが人間なら、わたしのほうが人間以下だということになってしまう。 わたしは、あなたと一緒にずっと働いてきたが、だんだん、ガメさんがほんとうは人間でなくて、アイルランドの精霊か、フィンランドの魔物のような気がしてきた。 笑わないで聴いてください! いったい、わたしのボスは、どうなっているのだろう? こんなにやさしい人がこの世界を生きていけるのだろうか、と思うこともあれば、こんなに世界に対して冷淡な人が神に許されるのだろうか、と考えることもある。 わたしはわたしのボスが大好きだけど、ときどき理解不能になって苦しむことがあるのです。 珍しく酔っ払ってしまったジュネーブ生まれの、気の良い人にそう言われたので、狼狽して、モニに、どう思うか聞いたら、笑って、 ガメなんて、刺繍のないハンカチーフのように単純な人だとおもうけど、と言う。 では、せめて、他人の涙をぬぐうくらいのことは、ぼくにも出来るのか。 世界は列車の窓に映る景色の影のようで、はっきりしない姿のまま、次々に過ぎていってしまう。 たしかめようと思って過去を振り返っても、もうそこには、ぼんやりした印象しか残っていない。 明瞭な記憶として残っているものはrickshawのように「異様なもの」としての細部だけで、大事なことはなにも憶えていない。 世界は陽炎に似て、いつもとらえどころがないまま、ちょっとした天候の変化で、ふっと消えてしまう。 日本語の世界を再訪しても、英語の部屋にいても、 イタリア語やスペイン語のドアを開けてみても、別々に育ったはずの「言語」という人間に与えられた世界への認識が示すものは、不思議なことにおなじで、 「世界など、ほんとうは存在しないのさ」と語りかけている。 どの言語も神のまわりに整列して、どの言語も同じように死語である。 神だけが生きた言語をもっていて、考えていたはずなのに、そのひとはいまは昏倒して、意識さえもどらなくなっている。 ぼくはどんな言葉で自分を考えればいいというのか? ぼくは、どうすればこの世界に触れることができるのか。 こんなにおおきな空白に書き込める言葉が、ぼくにはあるのか。 … Continue reading

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日本再訪ノート_2

東山の南禅寺に近いホテルの屋上から京都の町を見ると、視界の左隅に平安神宮の丹塗りの鳥居が見えて正面には、吉田って言うんだっけ?、きみが一年だけ働いていた大学が遠くに見えている。 その大学には、他にもゆかりがある友達が何人かいて、いまもまだそこで仕事をしているひとたちもいるのだけど、なぜか浮かぶのはきみの顔で、 あのひとは、あそこで働いていたんだなあー、と考えました。 日本に出かけてみた理由のひとつは、また日本に出かけられるようにするためだった。 「そんなヘンなこと言わなくたって、誰だって飛行機に飛び乗れば行けるじゃないか」という人もいるのは知っているが、きみは、そんなことを言わないのを知っている。 たった三日立ち寄るために、おおげさに「先遣隊」を派遣して、調べて、料亭の厨房にまで立ち入って、まるで南西アフリカの小国の独裁者大統領が旅行するみたいだ、と自分で冗談を述べて、まわりの人に顰蹙を買ったりした。 しかも移動は新幹線(N700A、チョーかっこよかった!)の他は、ヘリコプターとストレッチリムジンで、きみがいちばん嫌いなタイプの旅行だったんだよ。 普通の世の中の基準ではオオガネモチの義理叔父は、最近おれは初心に返るのだとかで、エコノミーシートで日本に来たのが大層自慢で、おい、甥っ子、きみも贅沢ばかりしていると大庭亀夫みたいになってしまうぞ、と訳がよく判らない説教をぼくにしていたが、こっちは、ウォーレン・バフェットが、プライベートジェットを買うまではエコノミーでしか旅行しなかったのに感動して、カッコイイと思って、単純にマネをしてみたかっただけみたいだったけど。 ひさしぶりにモニと歩く京都の町は楽しくて、仕事の用事があった寺町の静まりかえった室内よりも、河原町の雑踏や、高島屋デパートのデパ地下、大丸のワイン売り場を見ているのが楽しくて、なんだか時間があっというまに過ぎてしまった。 もんのすごい人の数で、よく話題になっているらしい中国からの観光客に較べて、フランス人がどこに行っても眼について、いつからあの国は、景気が良くなったんだろう、と考えたけど、さっき考えていたら、もしかすると、フランスのガイドブックを片手にあちこちへ出かけたからかも知れません。 ずいぶん汚らしい町だなあー、という感想しかなかった前回に比べて、今回は、ただもう楽しくて、きみがtwitterで見せびらかして得意になっていた「551蓬莱」の肉まんやギョウザ、大焼売に「甘酢肉団子」まで食べてしまった。 ひとつだけ当てが外れたのは、たこ焼きで、大阪と京都は、ぼくの杜撰な頭のなかでは、ひとつの町の北と南みたいなものなのに、大阪とは異なって酷い不作で、見るからに不味そうな錦市場のたこ焼きや、焼いたのか揚げたのか不分明な、どどめ色の、不気味なたこ焼きが並んでいて、結局、食べないで終わってしまった。 清水へ行って、なんだか人間の大群を見に行ったようなもので、お目当ての清水焼は、とうとう見に行く気力が起きなくて終わってしまったけど、ライトアップしたりして、ロンドンに似て、京都も夜にも(観光客が)散歩できる町になったんだなーと考えたりした。 もっとも、前から、そうで、万事にうかつなぼくが知らなかっただけなのかも知れないけど。 京都の人は、なんだかもう、ものすごく親切で、イスタンブルの人たちを思い出すほどだった。 なにか、ちょっと、例えば日本画の絵の具のことを聞くでしょう? そうすると、すごい勢いで、二時間も機関銃のような速さで説明してくれて、 「九号と十号!いいですか?九号と十号が、ちょうどまんなかくらいのツブツブ。おおきいほう?ああ、おおきいほうは、仕上げにパッパッとまぶしたりするときに使いますのや。パッパッパッ! あー、今日はほんまに楽しいわ!!」 という調子で、このあいだ来たときもそうだったけど、少しおっちょこちょいで、底が抜けたように親切で、忙しい口調なのに、どこかがおっとりしている京都の人たちは、やっぱりモニやぼくと、とても相性がいいようでした。 京都駅に行って、地下にもぐって、ヨドバシカメラにも行ったの。 シグマのレンズを買った。 地下をずんずん歩いていったら、ものすごく照明の明るい地下商店街があって、おもいがけずアンティ・アンズがあって、おもわず買い食いをしそうになったが、たまたまついてきていた食料担当の人に「調べてないから」と引き止められて、くっそー、泣いてやる、と考えた。 放射性物質みたいなものは、ほっておくと、どのくらい体内から排出されるのか調べてみないとダメだな、と思いました。 とても楽しかった。 ぼくはそのまま東京に向かって、鎌倉の山を歩いて、念願だった「あんまり高級過ぎない焼き鳥」を食べて、つくねの生卵ソースにさえ怯まずに食べて、日本式のカレーと若鶏の唐揚げも、淡路島の鰺の刺身や、ミナミマグロの刺身をたらふく食べて、朝から日本酒を飲んで酔っ払って、ふらふらと銀座を歩いたりしていた。 東京はコーヒーがひどく不味いところだと偏見をもっていたが、エスプレッソバーに入ったら、とてもおいしいコーヒーで、しかも二杯目以降は百円で、ケチンボのぼくは大喜びで三杯飲んでしまった。 食料の人が、それだけは絶対にダメだと言っていたが、どうしてもやりたかったので、有楽町のガード下にモニとふたりで座って、ビールを飲んだ。 そしたらさ、急に胸がつまってきて、モニに「楽しいね」と述べようとしたら、言葉がうまく出なくて、涙がにじんできてしまうんだよ。 モニも、同じ気持ちで、やっぱり目尻に涙がにじんでいる。 きみなら聞いてくれそうな気がするから、言うが、ぼくは、そのとき、 「ぼくは日本が大好きなだけだったのに、どうして、こうなってしまうんだ!」と大声で叫びたかった。 日本語世界にいけば、いつまでもいつまでもしつこく群がるトロルたちや、福島事故でばらまかれた放射性物質は安全だと、いまになってさえ言い張る科学者のバッジをつけた政治屋たち、いまでは押しも押されもせぬ東アジア最大の危険因子となった国家主義者たちが取り仕切る政府、英語記事と並べてみれば、すぐに判る、日本語の壁を利用して、真実は決して伝えようとしない日本語のマスメディア、そうして最も怖ろしいのは、表現の自由は大切だ、言論の自由は大事だ、われわれは自由社会の国民だと口々に言い合いながら、右から左まで、全体主義者の相貌を隠そうともしなくなった日本のひとたちの大群。 これが日本だろうか? ぼくは、こんな国にこだわっていたのだろうか? しかも、よく眼をこらしてみれば、ぼくがいままで、中国系人や韓国系人、UK人やNZ人に繰り返し説明してきた「日本」なんて、どこにもありゃしない。 そこにあるのは、子供のときから徹底的にまわりによって「おまえは、わがままだ、出来損ないだ、間違っているんだ」と痛めつけられて、自由への意志さえ持てなくなった「破壊された魂」を持つ国民の群で、無表情をつくり、恭しくお辞儀して、お互いを敬遠するだけのひとたちでしかない。若いウエイトレスたちも、よく見ると年長の顧客への敬意のかけらも持っていなくて、横柄な客達への軽蔑を押し隠した、儀礼的な恭謙をみせる若いひとたちであるにしかすぎない。 ぞっとするほど孤独な、疎外されて、てんでんばらばらな魂が、まるで、お互いの姿を見ることを恐れるように、顔をそむけあって、今日という一日が、トラブルなく、頭の上を通り過ぎていくことを祈っている。 帰りの、空港に向かうストレッチリモのなかで、モニさんが、そっとわしの手の上に手のひらを重ねて、 「ガメ、そろそろ日本語をやめたらどうだ?」と言っていたけど、モニさんは、三日間の観察で、感じたことがあったのでしょう。 … Continue reading

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日本再訪_番外編

あじゃぷいぷいー、あじゃぷいぷいー、と呟きながら、小さいひとがホールを行ったり来たりしている。 モニさんがひさしぶりに家に帰ってきたので機嫌が良いものであるらしい。 なあああんとなく、さりげなあああく、本を読んでいる、おかあさんのそばに座って、顔をくっつけてみたりしている。 おとうさま(←わしのことです)のほうは、どうでもよいらしくて、だいたいシカトされているもののよーである。 もしかすると、おかーさまはええかげんなおとーさまを北半球に捨ててくればよかったのに、と思っているのかも知れないが、フランス語や英語よりも好きらしい、あじゃぷいぷい語で、なんと言うのか、おとーさまには判らないので聞きようがありません。 画像を見て、いっぱつで浄智寺だと判ってしまった人がいて驚いたが、日本に行った目的のひとつは、なつかしい鎌倉の山に登ることで、行ったことのある人なら判るが、「ハイキングコース」という、チャラい名前がついているわりには急峻な丘が続いている。 モニさんは、わざわざ高い所に足を滑らせながらのぼる作男的趣味はないので、フランス人の友達たちと下界でお茶を飲んでいて、わしひとりが標高80メートルになんなんとする鎌倉の鋭峰を登山することになっていた。 それが、ひょんなことから、なんとなくにやけたおっさんと一緒に歩くことになったのは、義理叔父が鎌倉に来ていたからで、ひさしぶりに会う義理叔父は、なんちゃら茶とかいうお茶を飲んでマンハッタンを徘徊していたとかいうので、痩せて、なんだか大学生の顔だけが老人になったような、ヘンな姿です。 「ガメ、きみはなりがでかいから入らないだろうけど、ぼくなんかエコノミー席だからね。へっへっへ」とヘンな自慢をする。 「でも、ほら、足が日本人の割には長いから非常口の前の席で来たんだよ」と、マンハッタンのリーバイスで買ったら20センチくらいも丈を詰めなければならなかった屈辱の過去を持つ短い足を、見せびらかして、ぶらぶらさせています。 わしのほうは、はあ、とか、うー、とか言いながら、相変わらず、いいとしこいて、なんちゅうけったいなおっさんや、と考えている。 けったいなおっちゃんは、年ふりて、けったいな半ジジイになって、白い髪の毛を風にふらゆらさせながら、「ひえー、どひゃあー」とヘンな声をあげながら、ついてくる。 観察していると、わしが5歩でゆくところを、およそ8歩くらいで進んでいるよーである。 折角ひとりで丘歩きをして迷走にひたる、じゃないや、瞑想にひたろうと思っていたのに、台無しです。 日本には三日しかいないっちゅうのに、なんで、あんたのような訳わからんおっさんとつるんで歩かねばならんねん。 途中で、道に迷ってるらしき、女の人の二人連れに出くわしたので、鎌倉に土地鑑をもつ颯爽青年、「どちらにいらっしゃりたいんですか?」と聞いたら、なんだかギョッとした顔でこちらを見ています。 もっと驚いたのは、義理叔父が横で半分パニクっている。 道を教えてあげてから、なに地団駄踏んでますのや、と聞いてみると、 「バカだな、ガメ。この頃はな、日本では知らない人に声かけたりすると、警察がくるんだぞ」と言う。 「不審者に声をかけられたら警察に通報するアプリまであってだな。 音もなく110番される」 うっそおおおー。 しかし、これがあとで日本に住むフランス人たちに聞いてみると、ほんとうのことなのでした。 日本の人に聞いてみると、「電車でも、痴漢だって言われちゃいますから」と述べる人がいる。 「ぼくなんか、電車混んでると、両手挙げて乗るんですから、手をおろしてて『この人、痴漢です!』とか言われちゃったら、もうそこで人生おわっちゃいますから」 うそでい。 いや、それが嘘ではないんですよ、ガメさん、ともうひとりの人も陳述する。 遊び半分でやる若い女の子もいるんですから。 わたしたち男は、日本では虐げられるべき存在なんです。 うーむ。 いいとしこいたおとなが、ふたりでマジメで深刻な顔をならべてオダキンのようなことを述べている。 うーむうーむうーむ。 子宮はないんだけど。 そうするとニュージーランドではチョー普通な「きみたち、こんな遅くにガソリンスタンドなんかで何をしてるの?」とか、ぜんぜんタブーで、声かけると警察が来ちゃうのか。 いつか、クイーンストリートで、アジア系の女の子が、ぶち倒れそうになって、ハンサムで聡明なだけでなく反射神経抜群のわしが、さっと身体ごとうけとめて事なきをえたが、あんなにもろに抱きかかえちゃったら、日本では処刑されるのではないか。 なんだか、ものすごいことになってるんだなー、と、この5年の変化に驚いてしまった。 日本はもともと「規則や法律を過剰につくって、運用をゆるくする社会」だった。 「お目こぼし」がたくさんあって、たとえば会社の「接待費」などは良い例で、わしもよく義理叔父の会社の法人カードでカツ丼を三つ食べて、3人でビジネスランチをしたことにしていた。 ひとりでワインを3本飲んで、企業間のコミュニケーションを円滑にするために遅くまで努力したりも、もちろん、しました。 領収書さえとればテキトーで文句を言われない素晴らしい国だった。 … Continue reading

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日本再訪ノート_1

むかし、たしか2009年のことだとおもうが、ミキモトで店の人がモニのネックレスに見とれて、 「お嬢さんが身につけておられるような真珠は、もう美術館にしかありません。恥ずかしいことに私どもの店には、お嬢さんにお売りできるような真珠はないのです。 お母様からの贈り物なのですか? どうぞ、大切になさってください。 世界にも、もういくつと数えるほどしか『ほんもの』の真珠は残っていないのですから」 と述べたことがあった。 六十代くらいのひとだろうか、その店員が、品のよい、職業的なプライドが感じられる人だったので、感心して、多分、ブログの過去の記事のどこかにに書いたのだとおもう。 海水の温度が上がってしまったので、真珠の質が落ちてしまったのだ、という説明だった。 モニが日本に寄ってミキモトに行きたい、と言い出したので、もうよい真珠はない、という話だったではないの、と言ってみたが、普段に使う真珠がもっと要るのだ、という。 結婚してからモニさんが願うことは100%現実にすることに決めてあるので、理由がどうであれ日本に寄らないわけにはいかなくて、日本に行くのならば、自分のほうは京都の寺町(本能寺があるところです)の美術店に用事がある。 ガメ・ドケッチと改名しようかと思っているくらいケチで、普段は、大好きな板チョコが¢50高くても、ぐっと我慢して次のスーパーマーケットに出かけるくらい吝いのに、やむをえないので、日本ではたくさんオカネを使って高速で移動できるようにした。 チョーおもろい自動ドアのタクシーが懐かしいが、おまえはマドンナか馬鹿野郎と罵る頭のなかの日本語の座敷牢に閉じ込められた大庭亀夫 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/29/cameo/ の遠い雄叫びを聞きながら、陸上の移動も、どうしても乗りたかった新幹線のほかは、すべてストレッチリムジンで行うことになった。 リムジンを二台連ねて、やたら目立つことになってしまったので、あるいは、目撃して、ぶっくらこいた人もいるかもしれません。 モニとふたりで、人形町の路地をうろうろして、店頭の、でっかいマグロの頭にひきつけを起こしそうになったり、やはり店頭で、おばちゃんが卵焼きをつくる鮮やかな手際に見とれたりする、むかしの、親密で楽しかった東京滞在 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/ には及ばないが、たった三日でも、懐かしくて、特に東京は他の大都市に較べて変化が少ない町なので、まるであれからどこにも行かなかった人のようで、クルマの窓から眺める街並みに、ふと気がつくと涙がにじんでいたりした。 短い、社会の表面だけしか見えない日本再訪で、観察すべきこともしないで、「日本」という現実の上面だけをなぞる滞在だったが、忘れないうちに、考えたことを書いておきます。 2010年と較べて、最も目についたのは中国の人への悪口の凄まじさで、温和に見える人も、他のことについては公正なものの見方が出来るひとでも、中国と中国人への、敵視というしかない視線が強くて、そのことに驚いてしまった。 朝、日本のテレビは、どんなことをやっているかなーと思って、つけてみると、南シナ海の人工島の図を見せながら、いかに中国が世界に対して挑戦的な行動をとっているか、5人くらいのおじさんが、深刻な顔でうなずきながら危惧を述べあっている。 悪い人もいますから、というときに、「中国人のように」という表現を頭につける人が何人もいる。 人形町や日本橋のほうが昔の銀座のようですね、と言うと容儀のよい紳士然とした男の人が、 銀座は、もうダメですよ、行き交う人が変わってしまって、聞こえてくる声も日本語ではないのでね、驚かれたでしょう、と暗に中国からの観光客が街をダメにしてしまったと述懐している。 遠回しに、あるいは、面倒くさくなると直截に、中国の人はそんなにマナーは悪くないですよ、国家的な行動としても、中国のやりかたは、もうひとつの大国であるアメリカと較べて、そんなに酷いとは言えないと感じると述べてみても、頷いて聞いてはもらえても、顔に「そんなはずはない」と書いてある。 こちらから見ていると、これで中国と戦争にならなかったら不思議だと思えるくらい「中国人は悪い」という考えが浸透していて、なんだか台風が来ても中国共産党のせいになりそうでした。 例えば東北震災と福島の原発事故の話になっても、おおきな会社の役員であるひとたちが、口々に、 「でも日本の原発よりも中国の原発が危ないんですよ。 あんなものをたくさんつくって、事故になったら放射性物質は、みんなわたしたちの国のほうに飛んで来てしまう」と、まるで日本の原発は絶対に事故を起こさないが、中国の原発は確実に爆発するようなことを言う。 福島第一発電所の事故は、もう、なかったことのように考えられているようでした。 無理に頼んで、築地市場や、ダイエーや東急スーパーマーケットに寄って、売り場を巡ってみると、話に聞いていたのとは異なって県産表示が復活している。 青森県産、宮城県産、のホタテや牡蛎を、日本的な綺麗なプレゼンテーションで整然と並べて売っている。 野菜売り場には「福島県産」の野菜も並んでいます。 誰も福島県産の野菜を避けたりはしていないようで、返って価格が高いものでも福島県産のほうが多いようでした。 焼き鳥屋さんを始め外食チェーンでは「安くておいしい伊達鶏」が広く流通しているということも耳に残って、「伊達鶏」と云うのは福島県の太平洋側一帯で飼われている赤毛鷄のことです。 日本側で、日本にいるあいだの食べ物の手配をしてくれた人たちに聞くと、普通のことで、ガメさんはガイジンだから気にするのですよ、と笑っている。 家の側で食べ物のチェックをした人のほうに聞いてみると、なぜ、そんなに食べ物の産地に厳しいのかと訝られることが多かったという。 「ガメさんて、無頓着にみえるけど、やっぱりグルメなんですね」と理由を取り違える人もいたよーでした。 全国の駅弁を売っている店に行ってみると、どういう理由からか、たまたまなのか、以前に訪問したときとは配置が変わっていて、店の表には福島県産や宮城県産、青森、岩手と東北のものが置いてあって、そこから人であふれかえる店内の奥へ向かって関東、信越、北海道、九州と並んでいる。 北陸の鱒寿司のようなものは、いちばん奥にある。 … Continue reading

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秋は犬のように働いて、陸にあがってしまった魚のようにのびている。 ヘリコプターのばかでかいエンジンの音で聾になりながら、隣のモニに怒鳴っている。 あそこに見えている夕陽は、もちろん、ほんとうの大きさじゃないのさ、空気は意外なくらい濃密な物質で、そこを通り抜ける光は屈曲して幻をつくりだす。 幻影の太陽があまりにおおきいものだから、人間は現実の希望のみすぼらしさに失望するのではなかろうか。 モニは、「ガメは、いつまでもガメだな」と言って笑っている。 「そんなに世界を解説ばかりしていたら、ガメの解説のせいで世界は目減りして、私たちの小さなひとびとがおおきくなる頃には食べかけのバームクーヘンのように小さくなってしまっているのではないか」 ぎょええええ、になったお互いのヘアスタイルを笑いながらホテルの屋上のヘリポートを歩いている。 北と東の遠くには低い山が見えているでしょう? 仏法も、悟りも、みな、あの稜線に消えてしまった。 人間はいちどは賢くなったつもりだったが、結局は、ダメだった。 「ダメ」では、へんだけど、「聡明さ」というようなものは人間のものではなかった。 人間は愚かであることによって、あるいは、そのことによってのみ価値がある。 きみとぼくがいまよりもずっと若かったときに、ふたりで、マンハッタンの「車庫」という名前のジャズバーの前で踊った。 人の輪が出来て、ぼくは、でっかいスピン! ぼくは自分の運動能力を見せびらかすのが大好きで、大学で自分の知性を「見せびらかす」のよりも、バク宙をきって、かっこよく着地を決めるときには、「見せびらかす」ことの快感において、より本質的だと考えたりしたものだった。 もう、あれから8年も経ったんだって。 とても美術的で、とてもインチキな画廊の主人たち。 座布団みたいな形の台の上で、竹で、ていねいに、息を詰めて金箔を切ってゆく職人たち。 体育館なみの広さの部屋に、いっぱいに展開された金屏風。 どうして日本でいちばん古い蕎麦屋の名前は「尾張屋」で京都にあるのかしら? 日本は、奇妙なことに満ちていて、ひとびとは「しゃっちょこばって」いて、 手のひらで口を隠して笑う。 手のひらで、美しい歯を隠して、 自分を恥じてでもいるように、 声を押し殺して笑う。 なぜ? (閑話休題) ストレッチリムジンは日本の町に似合わないけど、家宰の手配でそうなってしまったから仕方がないのね。 まるで月の表面に降り立ったBuzz Aldrinのように、完全に大気から隔離された生活。 小さな「GE」製の冷蔵庫から取り出したシャンパンを飲みながら眺める日本の町は、とても懐かしくて、とても遠いところにある。 まるでユニバーサルスタジオを「見学」しているみたい。 たくさんのひと。 たくさんのたくさんの人間の洪水。 押し寄せてくる波のようなひとびとの群。 これで人口が足りないのですか? 多すぎるのではないか? なんだか、どこかに根本的な勘違いがあるのではないか? 日本の人たちは、押し合い、へしあい、「礼儀正しい」国民性で、ひととひとのあいだをすりぬけ、肘を少し張って牽制して追い越し、にっこり笑って、ルールを破っている。 幻想がないと、この国では生きられないんですよ、ガメさん。 … Continue reading

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