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秋は犬のように働いて、陸にあがってしまった魚のようにのびている。
ヘリコプターのばかでかいエンジンの音で聾になりながら、隣のモニに怒鳴っている。
あそこに見えている夕陽は、もちろん、ほんとうの大きさじゃないのさ、空気は意外なくらい濃密な物質で、そこを通り抜ける光は屈曲して幻をつくりだす。
幻影の太陽があまりにおおきいものだから、人間は現実の希望のみすぼらしさに失望するのではなかろうか。

モニは、「ガメは、いつまでもガメだな」と言って笑っている。
「そんなに世界を解説ばかりしていたら、ガメの解説のせいで世界は目減りして、私たちの小さなひとびとがおおきくなる頃には食べかけのバームクーヘンのように小さくなってしまっているのではないか」

ぎょええええ、になったお互いのヘアスタイルを笑いながらホテルの屋上のヘリポートを歩いている。

北と東の遠くには低い山が見えているでしょう?
仏法も、悟りも、みな、あの稜線に消えてしまった。
人間はいちどは賢くなったつもりだったが、結局は、ダメだった。
「ダメ」では、へんだけど、「聡明さ」というようなものは人間のものではなかった。

人間は愚かであることによって、あるいは、そのことによってのみ価値がある。
きみとぼくがいまよりもずっと若かったときに、ふたりで、マンハッタンの「車庫」という名前のジャズバーの前で踊った。
人の輪が出来て、ぼくは、でっかいスピン!

ぼくは自分の運動能力を見せびらかすのが大好きで、大学で自分の知性を「見せびらかす」のよりも、バク宙をきって、かっこよく着地を決めるときには、「見せびらかす」ことの快感において、より本質的だと考えたりしたものだった。

もう、あれから8年も経ったんだって。

とても美術的で、とてもインチキな画廊の主人たち。
座布団みたいな形の台の上で、竹で、ていねいに、息を詰めて金箔を切ってゆく職人たち。

体育館なみの広さの部屋に、いっぱいに展開された金屏風。

どうして日本でいちばん古い蕎麦屋の名前は「尾張屋」で京都にあるのかしら?
日本は、奇妙なことに満ちていて、ひとびとは「しゃっちょこばって」いて、
手のひらで口を隠して笑う。

手のひらで、美しい歯を隠して、
自分を恥じてでもいるように、
声を押し殺して笑う。

なぜ?

(閑話休題)

ストレッチリムジンは日本の町に似合わないけど、家宰の手配でそうなってしまったから仕方がないのね。
まるで月の表面に降り立ったBuzz Aldrinのように、完全に大気から隔離された生活。
小さな「GE」製の冷蔵庫から取り出したシャンパンを飲みながら眺める日本の町は、とても懐かしくて、とても遠いところにある。
まるでユニバーサルスタジオを「見学」しているみたい。

たくさんのひと。
たくさんのたくさんの人間の洪水。
押し寄せてくる波のようなひとびとの群。
これで人口が足りないのですか?
多すぎるのではないか?

なんだか、どこかに根本的な勘違いがあるのではないか?

日本の人たちは、押し合い、へしあい、「礼儀正しい」国民性で、ひととひとのあいだをすりぬけ、肘を少し張って牽制して追い越し、にっこり笑って、ルールを破っている。

幻想がないと、この国では生きられないんですよ、ガメさん。
われわれはチョー失礼な国民だが、礼儀正しいということにしてある。
われわれは差別意識に満ちているが平等を愛するということにしてある。
われわれは、この上もなく不幸だが、幸福な国民であることに「してある」

「人間であるということにしてある」と、酔っ払ったぼくが言ったら、
居合わせた日本人たちは、
「それは、笑えない冗談ですよ」と真剣に述べていた。

麹町を散歩して、国会に近いところまで来たので、「いまでもデモはあるのですか?」と訊いたら、
「いえ、もう、なくなりましたね。ガメさん、ほら、日本人はあきっぽいから。もう自由も飽きてしまったのでしょう」だってw

隔離された不思議なやりかたで、モニとぼくは旅行するだろう。
今日は隔離された焼き鳥屋で「絶対に安全な」焼き鳥を食べて、明日は
「完全に汚染を免れている」鮨を、モニとぼくの馴染みの鮨屋の大将と若い人が来て握ってくれるんだって。

日本の友達たちは、相変わらず信じがたいくらい親切で、隅々まで行き届いた親切で、飲む水はペリエで、調理に使う水までカリフォルニアの水で、
「ガメさんのために」で、汚染がない日本を旅させてくれるものであるらしい。

(友よ)
(日本語のインターネットを通して、知り合った、友よ)

ぼくは、だが、あるいは、だからこそ、顔を覆って泣くだろう。
外聞も憚らず、みっともなさも忘れて、田舎のボケたじーちゃんみたいに、
顔を覆って泣くだろう。

立ち上がって、「放射能なんてダイジョブだったのさ」と述べる、ひとりひとりの日本人の顔を指さして、この人達を見よ、と述べるだろう。
このひとたちのひとりひとりは酷い嘘つきだが、誰が、この人たちを非難できるだろう。

日本人たちの「放射能はダイジョブだったのさ」というマンガ的なオオウソを誰が笑えるだろう。
誰が、彼らの嘘を笑う勇気をもちうるだろう?

決して起きてはいけないことが起きてしまったあとで、嘘をみなでついて、共有すること以外に、人間に出来ることはあるのか?

秋は犬のように働いて、陸にあがってしまった魚のようにのびている。
「ちかれたびー」と述べて、プールサイドで、のびている。
この日本のスウィミングプールは水温が31度なんだって。
わしらのプールは25度だが、もっと水温の設定をあげたほうがいいのではないか。

明日は、「安全な」京都の粉茶を買いに行こう。
「危険な」町に住んでいる福島のひとびとのことは忘れて、
ひさしぶりの日本を満喫しよう。

ぼくに、他に何ができるというのか?

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7 Responses to

  1. ゆーり†(Juliusy_0720) says:

    Tears flowed when I read your sentence after a long absence.

  2. Martes says:

    東京で宿泊しましか? 私はガメさんが愛すると仰せだったホテルで働いてますよ。

  3. Martes says:

    明日ロビー歩いた時、ガメさん家族が護られるようホテルの神様にお願いしておきます( ´ ▽ ` )ノ

  4. satake324 says:

    写真を見て、先日このお寺の近くで供養塔を見たのを思い出しました。
    石碑の碑文の写真を確認すると、以下のような由緒のようです。
     紀元二千六百年七月十六日
     距竺僊和尚示寂五百九十二年
     発願者 サア ジョルジ サンソム
     建設者 関口泰 撰
     ・・・

    発願者と建設者を始め、供養塔に関わる多くの人達が
    戦争中そして戦後、何を思ってどのように接した結果
    今ここに建っているのだろう、と暫く足を留めて想像しました。
    一度は破壊されて再建されたのか。ずっと建っていたのか。
    75年前の想いが形になって残っている姿にあやかりたくて
    心惹かれたと思いますが、未来のことは自分で切り開かなくては
    なりませんね。

  5. euca says:

    詩的で 涙した ことばにしづらい から またね おやすみ

  6. 残酷さに慣れる訓練 says:

    3.11の後のこと。

    当時付き合いのあった友人・知人に、放射性降下物や内部被曝の話をしました。
    私たちが暮らす都内にもホットスポットがある話をしました。報道されている事実、線量の話を誇張せずに伝えました。

    彼女たちは口をそろえて言いました。
    「原発事故の話や放射能の話は、しないで欲しい。こわいから」
    「前向きなことだけを考えて生きていきたい」

    出産したばかりの友人には、赤ちゃんを連れて数年だけでも東京を離れて実家で暮らした方が良いと何度か勧めました。彼女はそうすることが容易なライフスタイルを採っていましたから。
    しかし彼女は何の返答もしませんでした。

    彼女たちは、その時自分たちが享受していた「安心な生活」を脅かすものを怖れたのかもしれない。
    目に見えない・人間の感覚では捉えられない光のもたらす潜在的な危険の可能性よりも、その潜在的な危険の可能性を認識することで、「安心な生活」に“本質的な”亀裂が入ることを怖れたのかもしれない。
    彼女たちにとっては私の言葉こそが「安心な生活」を脅かすものだったのかもしれない。

    その後、私は彼女たちに一切原発事故や内部被曝の話をしていません。
    いや。既に周囲の誰とも原発事故の話はしていません。まるで東京は3.11など初めから存在しなかったかのようです。
    私は口を噤んで「礼儀正しい」異教徒として生きています。黙っていれば誰の「安心」も脅かさずに済みます。

    でも私は、都内に今もホットスポットが存在していることを覚えています。

    • 残酷さに慣れる訓練 says:

      「爆発した原発から放出された放射性物質が様々な動植物や魚や虫の細胞を傷付けています。人間にも影響が出始めていますよ」と説明する者を不吉なことを告げる詐話師と忌み嫌い、「中国が尖閣を侵略しに来ますよ。沖縄を奪いに来ますよ」と語る者を軍事力強化スベシと持て囃す。
      敵意をぶつけることの敵わない存在とそれがもたらす恐怖は、それ自体が存在しないものとされる。ここは欺瞞で安心を買い、敵を作り上げて憎しみを弄ぶ国。
      正気を保つために、自らを孤島と為し、異教徒として生きる。

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