空白

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有風亭、というのだったと思う。
鎌倉の人には、以前からある、たしか北鎌倉が根拠の人力車屋さんのほうが人気があって京都から来た後発の業者は、ひどく評判が悪かった。

人力車は、外国からの観光客にも人気があって、乗ったことはないが、テキサスから来た富豪のおっちゃんは、浅草の雷門で、イナカモノらしく、おおよろこびで人力車を乗り回していた。
大柄な人なので、浅草なら平らでいいが、鎌倉で「日野俊基の墓まで行ってくれ」とでも言われた日には、どうするのだろうと考えたりした。
それとも人力車は乗車拒否してもいいのかしら。

むかし、rickshawは、もともと日本語なんだよね、となにげなく述べたら、インドの女の人に「いくら日本びいきだからって、何でも彼でも日本に結びつけるのはひどいとおもう」と、ものすごく怒られたことがある。
いや、そうではなくて、ほんとうに…
といくら説明しても聞いてもらえなかった。

ずっと後になって「あの夜は満月だったから、わたしたちインドの女は月の光の狂気にとらわれてしまうの。ガメ、ごめんね」と謝ってもらったが、なんだか、あれから人力車をみるたびに、あの人を思い出すことになってしまった。

京都の清水で、人力車を見かけて、そんなことばかり考えていた。
人間は生きていくにつれて、いろいろなことがくっついてくるから嫌になってしまう。
人力車を見て、あの、それこそ月の光の精霊のように美しかった女の人を思い出しているのでは、モニさんにだって愛想をつかされてしまうだろう。

もっか、Gという投資家と到頭欧州にでかけなければならなくなったほどの闘争中だが、今朝になってemailの箱を開けてみると、「きみのような人間とは初めて会った。なぜいままで知らなかったか、見当がつかない。今回の闘争は別として、これから友達でいたい」と書いてあって、人間はヘンなものだな、と、いつも考えることを、また考える。
この奇妙な友情の表明は闘争の戦略として述べられたものではないようでした。

(あるいは)オカネのことばかり考えている人間が 哲学的な言辞を時折もらすのはなぜか?
冷酷な人間が、道路の上に横たわる猫の死骸を見て涙ぐむのはなぜだろうか?
どうして人間というものは、これほど謎に満ちているのか?

そう考えるのは、ガメさんが人間ではないからですよ、と秘書の人に言われたことがある。
あなたが人間なら、わたしのほうが人間以下だということになってしまう。
わたしは、あなたと一緒にずっと働いてきたが、だんだん、ガメさんがほんとうは人間でなくて、アイルランドの精霊か、フィンランドの魔物のような気がしてきた。
笑わないで聴いてください!
いったい、わたしのボスは、どうなっているのだろう?
こんなにやさしい人がこの世界を生きていけるのだろうか、と思うこともあれば、こんなに世界に対して冷淡な人が神に許されるのだろうか、と考えることもある。
わたしはわたしのボスが大好きだけど、ときどき理解不能になって苦しむことがあるのです。

珍しく酔っ払ってしまったジュネーブ生まれの、気の良い人にそう言われたので、狼狽して、モニに、どう思うか聞いたら、笑って、
ガメなんて、刺繍のないハンカチーフのように単純な人だとおもうけど、と言う。

では、せめて、他人の涙をぬぐうくらいのことは、ぼくにも出来るのか。

世界は列車の窓に映る景色の影のようで、はっきりしない姿のまま、次々に過ぎていってしまう。
たしかめようと思って過去を振り返っても、もうそこには、ぼんやりした印象しか残っていない。
明瞭な記憶として残っているものはrickshawのように「異様なもの」としての細部だけで、大事なことはなにも憶えていない。

世界は陽炎に似て、いつもとらえどころがないまま、ちょっとした天候の変化で、ふっと消えてしまう。

日本語の世界を再訪しても、英語の部屋にいても、
イタリア語やスペイン語のドアを開けてみても、別々に育ったはずの「言語」という人間に与えられた世界への認識が示すものは、不思議なことにおなじで、
「世界など、ほんとうは存在しないのさ」と語りかけている。
どの言語も神のまわりに整列して、どの言語も同じように死語である。

神だけが生きた言語をもっていて、考えていたはずなのに、そのひとはいまは昏倒して、意識さえもどらなくなっている。

ぼくはどんな言葉で自分を考えればいいというのか?
ぼくは、どうすればこの世界に触れることができるのか。

こんなにおおきな空白に書き込める言葉が、ぼくにはあるのか。

いくら問いかけても、答えなんて返ってくるわけがないのは、もうわかっているけど

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5 Responses to 空白

  1. やまもとひでゆき says:

    「嫉妬」は「それを受ける者」でなく「それを抱く者」の問題だと以前何処かで読みました
    他者と自分を比較し続けずに居られない人のネガな感情を避けることは世界から背を向けられる者(アイルランドの精霊?w)だけなのかもしれないのかもと思いました

  2. やまもとひでゆき says:

    あ,ガメさんちょっと言葉足らずでした「嫉妬」って人間だけが持つ感情で
    人間の最も古い原始的な感情らしいです
    現代社会で原始人相手にするのってめんどくさいね….

  3. もここ says:

    初めまして。

    「世界は陽炎に似て、いつもとらえどころがないまま、ちょっとした天候の変化で、ふっと消えてしまう」
    ああ、私も時々そう思うことがある。
    でもどうすれば「世界をとらえる」「世界に触れる」ことができるのかしら。

    どんなに考えても恐らく「世界に触れる」ことなどできないまま、無為に一生を終えていくのでしょう。
    所詮人生なんて死ぬまでの暇つぶしさ、とうそぶいてみても空しさは残ります。
    こんな事考えるのは人間(一部の?)だけだと思うと、人間に生まれついた我が身を(少しだけ)呪いたくなります。

    (取り留めもなく書いてしまいました。ご容赦を)

  4. 星野 泰弘 says:

    彼がどんな人物であろうと、寿命を迎えれば、ただの死骸になる。
    死骸になれば、彼が、何者であったかなど、誰も関心を持たない。
    彼が隠してきたことなど誰も興味を持たない。
    彼が何者であったとしても、もはや彼には何一つできない。
    そのとき、周りの人々にとって「彼」とは、彼が何を残したか、何を創り出したか、だけだろう。
    巨大な世界に対して誰にも大したものなど創り出せない。
    でも、この巨大な世界の流れの中で、漕ぐ。
    漕いでも、どこかに辿り着けるわけでもない。
    順々に力尽きて、消えてゆくだけだ。
    彼が心血を注いで積み上げた、この世界も、まもなく終わりを迎えるのかもしれない。
    所詮、海岸の砂の城と同じく、持って帰れるのは思い出だけだったのかもしれない。
    皆ではしゃいで、皆で競って、疲れて、立ち去って。

  5. ギンビス says:

    いつも素敵な文章を読ませてもらうばかりで、ネットの嫌な事から、ガメさんを直接助けられないのをすまなく思います。
    震災の時、本当の事を真摯に言ってくれたツイートでどれほど落ち着いたか、
    奥様への愛情を綴ったブログを読んで、その日一日どんなに幸せな気分になれたか、
    今でも思い出せます。刺繍の無い魔法のハンカチでした。
    ガメさんの言う世界はまるで人間そのものみたいで、よく知っているけど何もわからない、そんなものなのでしょうか。ガメさんがたとえ何人だろうと精霊だろうと、地球のどこかで素敵な奥様とお子さんと暮らしている、そう思うだけで、私の狭くて苦しい世界はちょっと幸せになります。
    世界が、宇宙と素粒子ぐらい違いますが、同じ次元にいるガメさんに感謝を込めて、この支離滅裂なコメントをしています。

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