Monthly Archives: December 2015

掉尾

フランス人たちとDragon Speechで遊んでいた。 「きみはハチオンが悪いのではないか」と述べると、おおげさにむくれてみせる、わし家シェフ。 部屋に帰ってくる前にグラッパを1本飲んでしまった。 その前にロゼとシャブリを1本づつお終いにしているのだから、わし家の伝統どおりの、わしもまた、盛大な酔っ払いである。 (畳は沈む) (畳は沈む) 「小さい人たち」は顔かたちもモニのものだが、なによりも燃えるような緑色の眼が母親ゆずりである。 いつか、モニが「ガメは明るい灰色の眼が好きだからな」と述べて、げげげ、なぜそれを知っている、と不思議がったことがあったが、その後の生活で、女の人にはなんでもバレてしまうものだと理解できたので、いまでは、そういうことも疑問には思わなくなった。 いったん、女の人には神秘な力が備わっているのだと判ってしまえば、男には判らないことで、それはそれで良い気がする。 (わたしどもの息子がご迷惑をおかけして) (決して、こんなふうに育てようと思ったのではないのです) 毎年のことで、一年の終わりになると、 The Love Song of J.Alfred Prufrockを暗誦してみる。 (まだ、ちゃんと憶えている) S’io credesse che mia risposta fosse A persona che mai tornasse al mondo, Questa fiamma staria senza piu scosse. Ma … Continue reading

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2015年の終わりに

実家に集合する、ということになっていたクリスマスは、結局、妙に背が高い人のわがままでオークランドで迎えた。 「寒いのは、やっぱり嫌だ」という、ものすごい理由です。 子供のときからクリスマスになれば、真夏の太陽がのぼる南半球にやってくる習慣なので、いまさら冬のクリスマスでは、妙な気持になってしまう。 毎年はクライストチャーチだったが、クライストチャーチは、このブログ記事に出てくるニュージーランドの「町の家」で、最近は夏でも維持するための人が毎週やってくるだけになっていたので、オークランドに来てもらうことにした。 寒いし、なんとなく北半球は嫌だな、という気がする、というただそれだけのことで、特に理屈があるわけではありません。 妹夫婦は、わしがもともとオークランドにおける根拠にしていたパーネルに泊まってもらって、言うと怒られるが贅沢が生活の底から身についている両親にはわし家に泊まってもらって、…と割り振るところから、メニューを考えて、ローストラム、ローストビーフ、クリスマスハム、…例年、かーちゃんと実家スタッフに任せてクリケットをやって遊んでいればよかったクリスマスと異なって、チョーたいへんで、たかが神様のどら息子が生まれたくらいのことで、なんでこんなたいそうな準備をしなければならないのか、と考える。 もっとも、今年から公開になった、イタリア主婦すべりひゆ @portulaca01 のクリスマスメニューを観ると、同じようなもので、あるいはモニさんの実家のクリスマスは盛大を通り越しているので有名で、どこの家もこんなものなのか、と諦めがつかなくもない。 齢がくわわれば、自前で主宰しなければならないことが増えるのも、やむをえないと言えばやむをえない。 今年は、なんだか滅茶苦茶な年だった。 むかしの日本の過激派にコンジョがついてAK-47をもたせれば、かくもあるか、と述べたくなるようなISISが荒れ狂って、ミニバージョンの大日本帝国陸軍というか、文明のかけらもなくて、ふつーの人間を、平たく言えば「気にくわない」というだけで殺戮し、強姦し、クビをはねてみせるところまで同じで、歴史というのは、やっぱり繰り返すのだろうか、という素朴な感想を世界中のひとに持たせたりした。 目を凝らさなければ見えないところでは、もっと遙かに深刻なことが進行して、ロシアは日本が中国や韓国に憎悪の視線を向けていることを利して、北方から日本の領土へ進出するための地歩を固めてしまった。 ロシア人たちと話していると、歴史現実そのものへの認識が異なっていて、北方領土にしても、「日本が不法に領土として要求していたものを、国力が復活してきたので、もともとロシア領だということを明確にしようとしているだけだ」という。 30歳以下の若い世代は小学校のときから、北方四島はロシアの領土だと教わっているので、ユークリッド幾何の公理のごとく、思考の前提として「日本の不法性」が組み込まれている。 ロシアとしては、身に不相応なくらいの巨額の投資を行って、ウルトラモダンの病院を建て、日本のおっちゃんたちが「白人の女と寝る」ためにグループ買春ツアーでやってきて、索漠とした通りをうろうろしているだけの巨大な売春宿みたいな町だったウラジオストークを、日本人よりはオカネがある中国人たちが買春ツアーに来るようになったのを機に、カシノを中心にした観光開発を始めて東方進出の根拠地にしようとする第一歩をつくった。 太平洋戦争の末期と似ている、というか、日本人はなぜか、もともと荒事を好まない中国人をいいがかりみたいな理由で憎むあまりロシアには甘い幻想をもつ傾向で、日本語の記事を読んでいるとプーチンが好きな人が多いようにみえるが、当のロシアでは、「日本が弱っている好機なのに日本を叩こうとしない弱腰大統領」という悪評が立って、そのせいでマッチョぶりを見せつけないとならない脅迫観念に囚われていることのほうは、まったく報道されていないようでした。 明るい光が差し始めているのはイランで、仲の良いイラン人と1ヶ月に一回は話すことにしているが、声が抑圧されていただけで国民に全く人気がなかったアフマディネジャードがつくったどん底時代から、ようやく這い上がる傾向で、 おおむかしの記事「踊るイラン人」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/10/01/persians/ の社会から、一時はイスラム化が進んで、ヒジャブを身につけていなければ、宗教警察からハラスメントを受けるところまで落ちぶれたイラン人たちが、やっと光明をみいだして、「イスラムよりもペルシャ」という、本来の文明の姿に戻ろうとしている。 ここで長々しく理由を説明しようと思っても、経験から言えば知ったかぶりのヘンな人が来るだけで、良いことはなにもないので説明しないが、ペルシャが復活すれば中東は安定する。 イランが力を取り戻して、ホメイニが言論の自由を約束して、それ故に、あんまり好きでもないムスリム政権に権力を託したのに、いったんパーレビが追い出されてしまうと、手のひらを返すように独裁政権をつくって、約束した言論の自由どころか、自分たちを政権につかせてくれた「自由勢力」をことごとく処刑して、十代の「革命家」たちをクビにロープをかけてぶらさげて見世物にしたムスリムの独裁政権も、ようやく終わりが見えている。 イラン人はアラブ人を「未開な人間たち」として頭からバカにしているので、アラブ人たちを通すかぎり、良い面が日本語では聞こえてこないが、当のアラブ人たちにしても、ペルシャコンプレックスはたいへんなもので、ドバイやカタールがいくら繁栄しても、ペルシャが力を持たない限り、あの地域は安定するわけがない。 逆に、イランが強国として復活すれば、エジプトがどんなにダメダメでも、中東はシリアも含めて、安定せざるをえない構造を持っている。 余計なことを書くと、では日本語では、どんな情報が流布されているのだろうと興味をもって検索してみると、気の毒な生い立ちの「テレビタレント」の若い女の人が日本人の生活において最も身近なイラン人に見えたが、日本に住んでいるイラン人たちに聞いてみると、「あの人のイランについての話はデタラメで、みなが怒っている」という話で、「怒り」の具体的な内容は、あれだけ怒っていれば、そのうち投稿なりなんなりで本人たちが抗議するのだろうが、当事者に聞いてみると意外な反応であることの例で、へえええー、といつものマヌケな感想をもつことになった。 オーストラリアとニュージーランドは相変わらずのバブル経済で、来年になればオーストラリアは26年目、ニュージーランドは17年目の、気が遠くなる、長い長いバブルで、高収入家庭でも年収の60%がホームローンの支払いに消えるのだ、という新聞記事を読んで、タメイキが出る。 自分の「家」も、歴史的に、所有不動産を拡大する、というカネモチのひとつおぼえで、それに従って、リターンが10%から8%に、8%から4%に、と下がってきても、余分な収入は不動産の購入にあててきたが、英語圏全体を覆うバブルのせいで、紙の上の、見た目の資産だけは、たいへんな金額になった。 世の中は浮かれていて、ビンボが社会の魅力だったニュージーランドでも、たとえばリミュエラロードの交差点に立っていると、ベントレーやマセラッティ、フェラーリやポルシェが何台も行き交って、アホらしいというか凡庸で退屈というか、ニュージーランドも、ただの「英語国」になって、あの、ビンボで寂しい感じ、冴えないけど暖かい、なつかしいニュージーランドは、もうどこかに行ってしまった感じがする。 いつか「平均家庭でも新車はトヨタが減ってフォルクスワーゲンが増えた」と書いたら、「いま調べてみたら6%のシェアじゃないかウソツキめ」と述べに来た人がいて、日本人らしくて笑ってしまったが、多分、言って来たこと自体は、その通りなのかもしれなくて、ニュージーランドはずっと昔から貧富の差が激しい国で、オークランドでも面積は9割を占めるだろう貧困地区には、出かけることがない。 むかしマンハッタンに住む人が決してスパニッシュハーレムに足を向けなかったのとおなじことです。 日本のひとは勉強家が揃っているので、なんでも「書かれたもの」に情報を依存するが、そこでは数字から読み取るしかなくて、近代の歴史を通じて、その文明の癖のせいで国の運営を誤ってきた。 いまのいまでも、日本の人がびっくりするほど韓国の人や中国の人の文明について無知なのは、要するに日本の人は本やマスメディアを通してしか世界を観ないからで、自分の生活のなかに、町中に、あれほど溢れている中国の人や韓国の人と話をしてみることをしないので、トンチンカンな知識で半島や大陸の隣人たちのことを考えている。 前世紀の終わりまでは英語人もおなじというか、日本の人よりも「自分と異なる人間たち」への無関心はもっとひどかったが、移民のおかげ、 生活のなかに普通に中国の人や韓国の人、インドの人、タイの人、南アフリカ人、エジプト人、…と、世界中の人々が存在するので、いまでは英語の本が「解説」していた、異なる文明についての論説が、いかにインチキだったか普通に知っている。 南極に近いド田舎の国に住んでいてさえ、飲茶の注文ひとつにしても、中国語が話せないと、安くておいしい店は必ず、英語なんか話したくもない中国人の店員しかいないので、「酢は中国語ではツォという」「おかゆをコンジーというのは英語で、中国語ではzhôuという」というようなことから始まって、ジャスミンティを急須に注ぎ足してもらうたびにサンキューというかわりに謝謝と言えば、仏頂面だったウエイトレスの顔が、ほんとうに花が開くように、美しい笑顔になって、テーブルの上の食べ物が一層おいしくなるので、では次に来るときには「良い週末でしたか?」くらいはマンダリンで述べて脅かしてやろう、むふふ、と考える。 そうやって色々な国の言葉がだんだん判るようになってくると、人間の社会の変化は、数字になって現れるときには、もう過去の変化になっているに過ぎない、ということが理解されるようになってきて、なるほど、そうだったのか、と異文明を考えるコツのようなものがつかめてくる。 日本の社会が一種異様な閉鎖空間の地獄になってしまったのは、やはり言語的な換気が悪いことと関係があるのかも知れません。 ラトビア人たちが経営している肉屋で話していたら、年が明けたらみんなでニセコという日本の町にスキーしに行くんだよ、という。 あそこは日本の人は少なくて、英語でなんでもやれるって言うよね、と述べると、 「日本人はオカネがなくてビンボだから」というので、面白いなー、と思う。 わしガキの頃は、まだ、日本人と言えばアジア系のオカネモチの代表で、大人達に訊くと、賄賂の収益を日本では使えないのでニュージーランドに持ってきて使っているのだと言っていたが、役人や元役人だったという日本の人たちがフェンダルトンのような高級住宅地に宏壮な家を買って、ほとんど使いもせずに、荒れるままに任せていたりした。 … Continue reading

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A Girl Can Do Anything

Jyoti Singhは殺されたとき23歳の医学生だった。 6人の男たちに強姦され、性器に鉄棒を突き刺されて、5つの内臓を滅茶苦茶に破壊されたのは、大学のコースをすべて終えた、ちょうど、その夜のことだった。 犯行を終えた男達は、バスを道路際に止めて、Jyoti Singhとやはり瀕死のボーイフレンドをロードサイドの叢に放り投げて、走り去った。 今年(2015年)の3月にBBCのテレビシリーズStoryvilleで放映された、イスラエル生まれの映像作家Leslee Udwinのドキュメンタリ「India’s Daughter」は、ようやく日本でも始まったNetflixで公開されているので、観た人も多いでしょう。 怖ろしい題材を扱った番組だが、よく観ると、人間の栄光についてのドキュメンタリでもある。 「そんなもの、クリスマスに観る人はいません」と、モニさんにも一緒に観るのを断られてしまったので、ポートランドの医者、ゆりさん @YuriHiranuma とツイッタで駄弁りながら、ひとりで寂しく、デスクの上の40インチモニタで観ていました。 全然関係のないことを唐突に述べると、Yuri Hiranumaさんを指してニセ医者という人がいて、なんだこれは、と思って前後の発言を見たら、どうやらこのひとはOsteopathy医師というものが合衆国には、ふつーに存在することを知らないようで、なんだか、またしてもげんなりしてしまった。 按摩の人かなんかが医師を僭称しているのだとおもっているようで、日本の人のこーゆー他人に余計な詮索をして、しかも自分で自分の惨めさと愚かさを他人を貶めたい一心で証明してしまう不思議な国民的な性癖は、どこから来るのかな−、とまた考えてしまった。 閑話休題 観はじめて、すぐに気が付くのは、主犯のバスドライバー、Mukeshが、当時イギリス人やアメリカ人を「女は強姦されても、黙っていればいいんだ」という言葉でびっくりさせたのと同じインタビューで述べる「夜の遅い時間に外をうろつく女も悪い」「犯行に及ぶ男のほうだけでなくて、わざわざ犠牲になるために夜に外出する女にも責任がある」という理屈全体が、曾野綾子さんという日本人作家の沖縄で起きた強姦事件に対する感想と、瓜二つ、というか、そっくりおなじであることでした。 「野蛮」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/11/30/barbarians/ もっとも殺された医学生のほうは、社会の違いで、「夜遅くに、ひとりでうろうろして」と殺人犯がわの弁護士が述べても、その実質が意味するところは、午後8時で、しかも「ひとり」というのは「ボーイフレンド、などという見知らぬ人間に等しい人間などは連れ合いのうちに入らない」ということだったが、未開な社会というのは、そういうもので、曾野綾子さんも、「花は寺院に飾られればひとびとが憧れて仰ぎ見る対象になるが、ドブのなかにあれば、踏みにじられてもしかたがない」と、いかにも俗物らしく、詩的な表現を自己の偏見を飾るために使おうとするインドの法廷弁護士も、自分達が妄信する「かよわい女のありかた」を乱暴な手つきで、被害者に鋳型して、鋳型にぴったりあわなければ、強姦されて殺されても仕方がないと冷酷なつぶやきを述べているにしかすぎない。 インドと日本は、女性への蔑視が、社会の意識の表層にすらのぼらない、ごく自然な「常識」として定着しているという点で、よく似ている。 性差別自体は、「男のほうが物理的に力が強い」という呆気にとられるくらい原始的でバカバカしい現実をすべての論理の淵源として、およそアマゾネスの国以外のすべての社会で、あまねく観察されるが、それが社会の潜在意識に組み込まれて公に口にされるという点で、ふたつの国の社会は似ているとおもう。 女らしい、ふるまい、という。 汗をかいているボーイフレンドに、黙って、そっとよく洗濯した白いハンカチを手渡す。 夫の友達がたずねてくると、カウチに、浅く、行儀良く腰掛けて、余計な口だしをせずに微笑して聴き入ってみせる。 さっ、と立って、お茶をいれる。 英語人は、口には出さなくても、若い女が男に媚びを売るなんて、なんて嫌らしい心根だろう、と考えるが、日本では、まだ美徳ということになっている。 インドもおなじで、たとえばドキュメンタリの冒頭、貧しい両親がJyoti Singhの生誕を祝って近所に菓子を配って歩くと、近所のひとびとが「まるで男の子が生まれたように、お祝いをするんだね」と言う。 空港の肉体労働者である父親と専業主婦である夫婦は、しかし、貧困のなかのある日、幼い娘が「わたしの結婚に積み立てるオカネを、そのまま進学に使わせてください」と述べるのに耳を傾ける。 知力にすぐれていた娘は、インドでは、たいへんなことだが、医学部に進学する。 両親がつくってくれたオカネでは到底足りないので、夜はインターナショナルコールセンターで働いて、一日3,4時間の睡眠時間で6年間の医学生生活を最後までやり抜いてしまう。 Jyoti Singhのチューターがインタビューに答える姿をみれば、この学生がいかに同級生の敬意を集めていたか、説明なんかされなくても、手に取るように判ります。 最後の試験が終わった夜、Jyoti Singhはボーイフレンドと一緒に「Life of Pi」を観に行った。 容疑者側の弁護士が「ボリウッドかぶれのライフスタイル」と呼んだ、Jyoti Singhの「ナイトライフ」のすべては、男友達と冒険映画を観に行って、夜8時にボーイフレンドに送ってもらってバスに乗って家路に着いた、というただそれだけのことだった。 インド人たちが日本の人とやや異なったのは、この後です。 重傷のJyoti … Continue reading

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微小な光について

支払いの長い行列ができている。 Fruit & Vege. スーパーマーケットよりも安くて新鮮な野菜や果物が並んでいるのでオークランド人は、たいてい野菜と果物は、町じゅうにある、この、たいていはアジアの人が経営している「八百屋」で野菜を買います。 中国の人が八百屋で成功するのは理由があって、たとえば霧状の水をかけて果物や野菜の新鮮さを強調する、というようなことはニュージーランドでは戦前に移民してきた中国系人たちが考え出したことだった。 まだ欧州系人たちが、野菜といえば、くたくたになるまで水煮するか、ローストにするかしか知らなくて、「サラダ」は上流階級の食べ物だった頃で、中国系人たちの「陳列した果物や野菜の見栄えをよくする」というようなことは劃期的なことだった。 だからモニとわしも、自分達で買うときには、億劫がらずに「八百屋」に行く。 ターメリックはインド系夫婦が経営している、あの店、パクチョイが欲しいときは広東人の夫婦の店、パパイヤはマレーシア人たちが展開しているチェーン、というように得意不得意があるので、買うものを考えて複数の店によることもある。 なにしろヒマなバカップルなので、おいしいメロンを買うために、遙か南の、20キロくらい先の果物屋に行くことまである。 長い行列も、たいして気にならないので、今年はメロンがおいしそーだね、と話しながらモニとふたりで待って、自分達の番になった。 行列とはまったく反対の方向から割り込んで、袋売りのブドウをレジのおばちゃんに突き出しているひとがいる。 行列に割り込むのは、前にブログに書いたように日本ではときどきあったが、ニュージーランドではとんでもないことで、全身、顔から腕、ショーツから突き出した足にまで入れ墨でおおわれて、顔じゅうピアスに覆われているにーちゃんやねーちゃんでも、そんなことをするひとはいません。 いままでニュージーランドに住んでいて、若い中国系の女の人がひとりいただけだった。 ところが、レジのおばちゃんは、モニとわしのほうに向いて、目顔で「この人を先にしてもいいか?」と訊いている。 それはダメですよ、と言おうとしたら、モニさんが頷いてしまっている。 (相変わらず、わしはマヌケである) その、行列を頭から無視した(多分マオリ人の)ホームレス然とした男の人は、白く塗ってはないが、よく見ればそれと判る盲人用の杖を持っている。 「いくらぶん、欲しいですか?」と、さっきまで大声で他の店員と怒鳴りあっていた…と云っても、中国の人たちの会話は往々にして「怒鳴りあい」に聞こえるので、もしかすると普通に話していただけなのかもしれないが…わし耳には怒鳴りあっているようにしか聞こえなかった応酬をしていたおばちゃんが、仏頂面で、唐突に不思議な質問をしている。 袋売りは袋売りなので、「いくらぶん」もなにもなくて、現にブドウの棚には「ひと袋19.99ドル」という価格がついていたではないか。 目の見えない男の人は、いや、このままでいいよ、という。 レジの不機嫌顔のおばちゃんが、「19.99ドルです」と告げると、男の人は、突き出していた10ドル札を引っ込めて、ポケットを探りはじめる。 男の人が「やっぱり…」と言いかけたのと、モニが20ドル札をレジの人に渡したのは同時だったとおもう。 なおもポケットを探っている男の人に、レジの人が、強い中国訛りの英語で、 「この若い女の方(young lady)から、もう頂いたから、そのまま持っていっていいです」と述べている。 男の人は、ポケットをまさぐっていた動きが止まって、「ありがとう」と呟いてから、こちらに向かって、とみえなくもないが、実際には、まるで天井の向こう側にいる神様に告げるように上を向いて、とてもとてもおおきな声で 「メリー・クリスマス!」 と言ったんだ。 行列のひとたちも、モニも、わしさえも、みなが口々に「メリー・クリスマス」と暖かい声で応えて、目が見えない男の人は、去っていった。 ほんの一瞬の出来事でした。 モニとわしは、自分達の買い物の10ドルの支払いをしようとしたが、レジおばちゃんは、 「もう頂いたから、いりません」と、なんだか、にべもなく、まだ喧嘩をしているさいちゅうのひとのような強ばった顔で述べるので、モニとわしは、あっさり降参して、ただ「ありがとう」と言って店を出た。 クリスマスホリデーに出かける前の晩、夜中に、家の前に駐めたクルマのタイヤを切り裂かれて、 「わたしたち家族には、タイヤを買い換えるオカネがない。どこの誰だか知らないが、わたしたちのクリスマスホリデーを台無しにしてくれて、ありがとう」とクルマの持ち主が憤懣をぶつけるように書いてクルマに貼りだした紙を読んでいた女の人が、クルマをUターンさせて、タイヤショップに向かっている。 この先に、紙を貼りだした、タイヤが四つとも切り裂かれたNISSANが駐まっているから、大至急タイヤを換えて、ドアをノックして伝えてあげてください。 この女の人が困惑したことには、この話は、予定通り家族でドライブ旅行にでかけることになったひとたちの口から新聞社に伝えられて、おおきなニュース記事になってしまった。 「知らないひとたちだけど、近所の人が酷い目に遭って、嫌だなあー、と考えた。 自分はオカネモチではもちろんないけれども、オカネに少しは余裕があるのだから、ああいうことをするのも、ちょっと良い考えではないか、とおもいついた」とインタビューに応えて述べていた。 まず何よりも善意でなければならない、という簡単なことを、わしなどは、すぐに忘れてしまう。 … Continue reading

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静かな場所

ひさしぶりにQueens Arcadeに出かけていくと、ずいぶん店の顔触れが変わってしまっている。 http://www.queensarcade.co.nz/ エスカレーターに乗って二階にあがってみると、まずお目当てだった骨董店が店を閉じて、宝石店になっている。 しまった、あのばーちゃんから、びっくりするほど安い値段がついていたマイセンのフィギュアリンを買っておけばよかった、と考えるが、縁のない骨董美術品とは、そういうもので、明瞭で線が鮮やかな絵付けも、品のよい顔の表情も、素晴らしい青の発色も、ありありと思い出せるのに、なぜゼロがひとつ少ない価格に相応する値札の金額を払って、あのとき、買い取らなかったのかが、どうしても思い出せない。 「ここにあった骨董店は、どうなったのか知ってますか? どこかへ移ったのかしら?」と訊いてみると、ああ、店を閉じてしまったのです、そのことは知っているが、わたしは3ヶ月前にここに来たばかりなので、詳しいことは判りません、という要領をえない返事で、閉じてしまった店はいつもそうだが、要領のない、曖昧模糊とした記憶に放り込まれて、濃い霧のなかをさまよう幽霊船のように、ミルク色の大気のなかに姿を消してしまう。 アーケードの廻廊の丁度反対側にあった日本人夫婦が経営していたレストランが急になくなってしまったのは、10年くらい前ではなかったか。 日本人夫婦が経営する料理屋ということになれば、まず十中八九日本食レストランと決まっているのに、そのレストランは、ステーキレストランで、 おいしいパンプキンスープを出す、その店を経営する、「日本料理ではなくてニュージーランドの料理を出す」という、若い日本人夫婦の気持ちの何かが、ぼくは好きだった。 アジアの人には珍しくて、新しいことにおもえた。 だから、いきなり閉店してしまったあとの、まだサインもなにも残っている店のドアの前にたって、自分でも意外な、ひどく落胆したような、おおげさに言えば寂寥がこみあげてくるような、がっかりした気持ちを味わった。 そのあとには、たしかホットドッグの専門店が出来て、なんだかアメリカ式だという謳い文句が、おいしそうで、入っていこうと考えたら、店の前のブラックボードにチョークで「$10(830円)から!」と書いてあって、なにしろケチなぼくのことで、おそれをなして退散したのだった。 もっとも、この辺をひとりで歩いているときは、友達と会った後と決まっていて、見ためはふだんと同じ「素面」でも、内実は、樽からがぶのみしたシロクマのように酔っ払っていることが多いので、ほんとうは隣のビルかなにかで、しかも、実際には店内にはいって、妙にニコニコしながらホットドッグを注文して食べていて、注文から支払いまで、酔いがさめるのと一緒に、綺麗さっぱり忘れているだけなのかもしれません。 酔っ払うと、陽気になって、浮かれてばかりいるのは、おにいちゃんがアホである何よりの証拠である、とよく妹は述べるが、そんなことはない。 酔っ払ったときの語調を日本語に翻訳して述べると、「そんなことっわ、ありましぇええーん」、 アルコールは楽しいから飲むので、アルコールを飲んで楽しくなければ、酒を飲む合理的な理由がなにも見当たらない。 庭の芝が夏の陽光に輝きだすと、その光の反射への反射で、よく冷えた白ワインが飲みたくなる。 こういう条件反射は、アルコール依存症の第二段階だったよね、たしか、と思うが、飲みたいものは飲みたいので、モニさんと庭のテーブルに並んで、白ワインと牡蛎の天ぷらで、のんびり過ごす。 あの二軒先のひとたちは、家を売らねばならなくなったのだ、と重圧に耐えかねて、 モニとわしを訪問して、どうか苦境を理解して欲しい、デベロッパーには売らないから、と述べに来たとき、夫のほうは目が血走って、奥さんは、人間の気持ちというものは、ああいうものなのか、奇妙に興奮した様子で、わたしたちのようなカネモチは、時にこういうことがあって、「普通の」ひとたちには判らないだろうけど、あなたにはきっとわかるでしょう? という、奇妙な理屈を早口でまくしたてる、というような光景だった。 ところで、そのときに最も異様に感じたのは、ドライブウエイまで見送りにでて、夫婦がゲートを出たあと、二軒先に消えて、自分でもゲートのところまで歩いて、通りを見渡してみると、まったく何事もないように平穏で、この近所ではバブル経済の社会には付きものの、破滅があり、新しく入ってくる成功者がいて、夫婦間の裏切りや、近所の人間同士の反目があるのに、平和そのものの光景で、なにかに似ている、と考えてみると、凪いだ海から突然、半身を食いちぎられた鯛が飛び出してきて、いかにも平穏な海面の下では、生き延びるための、凄まじい闘争が起きていることに怯えに似た気持ちを感じた瞬間に似ている。 ニュージーランドは、たとえば住居用不動産で言えば、5年前ですでに、アメリカや欧州のアナリストの見積もりの平均で、40%、実質価値よりも高いプライスタグが付いていた。 それから5年間で、高級住宅地では、倍になっていない不動産は存在しないだろうから、実質価値とは現実的な連関がない高い価格になってしまっている。 ニュージーランド政府も中央銀行もバブルの沈静に必死だが、中国市場が不振で、たとえば巨人的な乳業会社であるフォンテラの輸出が劇的に減少して、農場主がミルクをいくら出荷しても利益がゼロの買い取り価格の水準まで落ちているので、産業も国内市場も小さい国としては、「公定利息率をさげて、通貨の流通量を増やす」しか方法がない。 中国政府に中国から大金を持ってやってくる人のアセットを報告する協定を結んだり、2年以内の転売にはキャピタルゲインタックスを設けたり、いろいろやってみても、難しくて、 通貨がさがれば、ものすごい勢いで外国人が不動産を買いあさるので、国内のニュージーランドドルにとどまっている大多数の人間からみると、常識では理解できないような不動産価格になってゆく。 「いまの英語圏の株価と不動産価格の上昇は、形態を変えたインフレーションで、インフレ指標になっている消費者物価のほうは当てにならない。真のインフレーションは、姿を変えて起きているのではないか」 という、最近の英語世界で流行している説には、信憑性がある。 株価があがれば企業価値が増えて、不動産価格が上昇すれば持ち主のアセットが増大して「裕かになる」という旧来の考えでは、どうにも説明がつかないことが起こっている。 観光客が集まってくるパーネルの坂をおりてゆくと、ここでも5分の1くらいは去年は存在しなかった店で、不定形な外貌を持って、毎年姿を変えるロンドンにとても似てきている。 「ネパール料理」の店があって、これも新しく出来た四川料理の店がある。 オークランドのアイコン料理屋だった「イグアス」があった跡地は、どういうことなのか、以前の建物を壊して、そのまま半年近く放置されている。 「ブルーエレファント」や「オー、カルカッタ」のような古くからある店は、そう思って見るからか、気息奄々として見えます。 イグアスの賃料は年23万ドル(2000万円)だった、と新聞に出ていたので、もともと外食の習慣がないニュージーランドでは大変だったろうな、と改めて考える。 最後に行ったときは、フランスからやってきた旅行者のパートタイムの20代の女の人が「フロアマネージャー」で、「このレストランは経営が危ないとおもう」と、にっこり笑いながら述べていた。 「とても、大変みたい」 「でもワインを一杯店でおごるくらいは出来る」 繁栄って、こういうものなのかもね、と思わなくもない。 社会が「繁栄」して、個人に多忙と巨大な出費との重荷だけを負わせて繁栄そのものはひとかけらもわけてやりはしないのは、日本のバブル時代だけのことではないよーです。 … Continue reading

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クリスマスの街で

ポンソンビーに行った。 モニさんと一緒にね。 モニさんが、「わたしは髪を染めてくる」と言い出して、二時間という時間をぼくは持てあます。 ポンソンビーの坂を下りてCBDに歩いて行く。 (クリスマスの飾り付けが街を覆っているね) Farmers の建物には有名なサンタクロースが立っている。 むかしは「Whitcoullsの」だったんだけど。 http://peadpr.co.nz/news/santa-turns-the-big-five-o クリスマスに縁取られた街。 クイーンストリート。 留学生たちでひしめいていて、観光客たちもいて、 坂をおりてゆくにつれて、どんなに迂闊な人でも、少なくとも5カ国語は聞き逃さないで聞くだろう。 気持ちを浮き立たせるような音楽。 上気した顔の楽しそうなひとびと。 (でもサインの下には、ホームレスのひとびとが舗道をみつめて座っている) ホームレスのひとびとは限りなく神に似ている。 (地面が沈む) (きみとぼくが立っている地面が沈む)   (ぼくは、沈黙に呑み込まれてしまいそうだ) あわててiPhoneの白いイヤフォンを耳に押し込んで、指で音楽を探す。 (こーゆーときは、案外、Audioslaveがいいかもよ) (いっそ、Lilly Woodたちの「Prayer in C」にすれば、どうか) By a freeway I confess I was lost in the pages Of a book … Continue reading

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