2015年の終わりに

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実家に集合する、ということになっていたクリスマスは、結局、妙に背が高い人のわがままでオークランドで迎えた。
「寒いのは、やっぱり嫌だ」という、ものすごい理由です。
子供のときからクリスマスになれば、真夏の太陽がのぼる南半球にやってくる習慣なので、いまさら冬のクリスマスでは、妙な気持になってしまう。

毎年はクライストチャーチだったが、クライストチャーチは、このブログ記事に出てくるニュージーランドの「町の家」で、最近は夏でも維持するための人が毎週やってくるだけになっていたので、オークランドに来てもらうことにした。

寒いし、なんとなく北半球は嫌だな、という気がする、というただそれだけのことで、特に理屈があるわけではありません。

妹夫婦は、わしがもともとオークランドにおける根拠にしていたパーネルに泊まってもらって、言うと怒られるが贅沢が生活の底から身についている両親にはわし家に泊まってもらって、…と割り振るところから、メニューを考えて、ローストラム、ローストビーフ、クリスマスハム、…例年、かーちゃんと実家スタッフに任せてクリケットをやって遊んでいればよかったクリスマスと異なって、チョーたいへんで、たかが神様のどら息子が生まれたくらいのことで、なんでこんなたいそうな準備をしなければならないのか、と考える。
もっとも、今年から公開になった、イタリア主婦すべりひゆ @portulaca01 のクリスマスメニューを観ると、同じようなもので、あるいはモニさんの実家のクリスマスは盛大を通り越しているので有名で、どこの家もこんなものなのか、と諦めがつかなくもない。
齢がくわわれば、自前で主宰しなければならないことが増えるのも、やむをえないと言えばやむをえない。

今年は、なんだか滅茶苦茶な年だった。
むかしの日本の過激派にコンジョがついてAK-47をもたせれば、かくもあるか、と述べたくなるようなISISが荒れ狂って、ミニバージョンの大日本帝国陸軍というか、文明のかけらもなくて、ふつーの人間を、平たく言えば「気にくわない」というだけで殺戮し、強姦し、クビをはねてみせるところまで同じで、歴史というのは、やっぱり繰り返すのだろうか、という素朴な感想を世界中のひとに持たせたりした。

目を凝らさなければ見えないところでは、もっと遙かに深刻なことが進行して、ロシアは日本が中国や韓国に憎悪の視線を向けていることを利して、北方から日本の領土へ進出するための地歩を固めてしまった。
ロシア人たちと話していると、歴史現実そのものへの認識が異なっていて、北方領土にしても、「日本が不法に領土として要求していたものを、国力が復活してきたので、もともとロシア領だということを明確にしようとしているだけだ」という。
30歳以下の若い世代は小学校のときから、北方四島はロシアの領土だと教わっているので、ユークリッド幾何の公理のごとく、思考の前提として「日本の不法性」が組み込まれている。
ロシアとしては、身に不相応なくらいの巨額の投資を行って、ウルトラモダンの病院を建て、日本のおっちゃんたちが「白人の女と寝る」ためにグループ買春ツアーでやってきて、索漠とした通りをうろうろしているだけの巨大な売春宿みたいな町だったウラジオストークを、日本人よりはオカネがある中国人たちが買春ツアーに来るようになったのを機に、カシノを中心にした観光開発を始めて東方進出の根拠地にしようとする第一歩をつくった。

太平洋戦争の末期と似ている、というか、日本人はなぜか、もともと荒事を好まない中国人をいいがかりみたいな理由で憎むあまりロシアには甘い幻想をもつ傾向で、日本語の記事を読んでいるとプーチンが好きな人が多いようにみえるが、当のロシアでは、「日本が弱っている好機なのに日本を叩こうとしない弱腰大統領」という悪評が立って、そのせいでマッチョぶりを見せつけないとならない脅迫観念に囚われていることのほうは、まったく報道されていないようでした。

明るい光が差し始めているのはイランで、仲の良いイラン人と1ヶ月に一回は話すことにしているが、声が抑圧されていただけで国民に全く人気がなかったアフマディネジャードがつくったどん底時代から、ようやく這い上がる傾向で、

おおむかしの記事「踊るイラン人」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/10/01/persians/
の社会から、一時はイスラム化が進んで、ヒジャブを身につけていなければ、宗教警察からハラスメントを受けるところまで落ちぶれたイラン人たちが、やっと光明をみいだして、「イスラムよりもペルシャ」という、本来の文明の姿に戻ろうとしている。

ここで長々しく理由を説明しようと思っても、経験から言えば知ったかぶりのヘンな人が来るだけで、良いことはなにもないので説明しないが、ペルシャが復活すれば中東は安定する。
イランが力を取り戻して、ホメイニが言論の自由を約束して、それ故に、あんまり好きでもないムスリム政権に権力を託したのに、いったんパーレビが追い出されてしまうと、手のひらを返すように独裁政権をつくって、約束した言論の自由どころか、自分たちを政権につかせてくれた「自由勢力」をことごとく処刑して、十代の「革命家」たちをクビにロープをかけてぶらさげて見世物にしたムスリムの独裁政権も、ようやく終わりが見えている。

イラン人はアラブ人を「未開な人間たち」として頭からバカにしているので、アラブ人たちを通すかぎり、良い面が日本語では聞こえてこないが、当のアラブ人たちにしても、ペルシャコンプレックスはたいへんなもので、ドバイやカタールがいくら繁栄しても、ペルシャが力を持たない限り、あの地域は安定するわけがない。
逆に、イランが強国として復活すれば、エジプトがどんなにダメダメでも、中東はシリアも含めて、安定せざるをえない構造を持っている。

余計なことを書くと、では日本語では、どんな情報が流布されているのだろうと興味をもって検索してみると、気の毒な生い立ちの「テレビタレント」の若い女の人が日本人の生活において最も身近なイラン人に見えたが、日本に住んでいるイラン人たちに聞いてみると、「あの人のイランについての話はデタラメで、みなが怒っている」という話で、「怒り」の具体的な内容は、あれだけ怒っていれば、そのうち投稿なりなんなりで本人たちが抗議するのだろうが、当事者に聞いてみると意外な反応であることの例で、へえええー、といつものマヌケな感想をもつことになった。

オーストラリアとニュージーランドは相変わらずのバブル経済で、来年になればオーストラリアは26年目、ニュージーランドは17年目の、気が遠くなる、長い長いバブルで、高収入家庭でも年収の60%がホームローンの支払いに消えるのだ、という新聞記事を読んで、タメイキが出る。
自分の「家」も、歴史的に、所有不動産を拡大する、というカネモチのひとつおぼえで、それに従って、リターンが10%から8%に、8%から4%に、と下がってきても、余分な収入は不動産の購入にあててきたが、英語圏全体を覆うバブルのせいで、紙の上の、見た目の資産だけは、たいへんな金額になった。
世の中は浮かれていて、ビンボが社会の魅力だったニュージーランドでも、たとえばリミュエラロードの交差点に立っていると、ベントレーやマセラッティ、フェラーリやポルシェが何台も行き交って、アホらしいというか凡庸で退屈というか、ニュージーランドも、ただの「英語国」になって、あの、ビンボで寂しい感じ、冴えないけど暖かい、なつかしいニュージーランドは、もうどこかに行ってしまった感じがする。

いつか「平均家庭でも新車はトヨタが減ってフォルクスワーゲンが増えた」と書いたら、「いま調べてみたら6%のシェアじゃないかウソツキめ」と述べに来た人がいて、日本人らしくて笑ってしまったが、多分、言って来たこと自体は、その通りなのかもしれなくて、ニュージーランドはずっと昔から貧富の差が激しい国で、オークランドでも面積は9割を占めるだろう貧困地区には、出かけることがない。
むかしマンハッタンに住む人が決してスパニッシュハーレムに足を向けなかったのとおなじことです。

日本のひとは勉強家が揃っているので、なんでも「書かれたもの」に情報を依存するが、そこでは数字から読み取るしかなくて、近代の歴史を通じて、その文明の癖のせいで国の運営を誤ってきた。
いまのいまでも、日本の人がびっくりするほど韓国の人や中国の人の文明について無知なのは、要するに日本の人は本やマスメディアを通してしか世界を観ないからで、自分の生活のなかに、町中に、あれほど溢れている中国の人や韓国の人と話をしてみることをしないので、トンチンカンな知識で半島や大陸の隣人たちのことを考えている。
前世紀の終わりまでは英語人もおなじというか、日本の人よりも「自分と異なる人間たち」への無関心はもっとひどかったが、移民のおかげ、
生活のなかに普通に中国の人や韓国の人、インドの人、タイの人、南アフリカ人、エジプト人、…と、世界中の人々が存在するので、いまでは英語の本が「解説」していた、異なる文明についての論説が、いかにインチキだったか普通に知っている。

南極に近いド田舎の国に住んでいてさえ、飲茶の注文ひとつにしても、中国語が話せないと、安くておいしい店は必ず、英語なんか話したくもない中国人の店員しかいないので、「酢は中国語ではツォという」「おかゆをコンジーというのは英語で、中国語ではzhôuという」というようなことから始まって、ジャスミンティを急須に注ぎ足してもらうたびにサンキューというかわりに謝謝と言えば、仏頂面だったウエイトレスの顔が、ほんとうに花が開くように、美しい笑顔になって、テーブルの上の食べ物が一層おいしくなるので、では次に来るときには「良い週末でしたか?」くらいはマンダリンで述べて脅かしてやろう、むふふ、と考える。

そうやって色々な国の言葉がだんだん判るようになってくると、人間の社会の変化は、数字になって現れるときには、もう過去の変化になっているに過ぎない、ということが理解されるようになってきて、なるほど、そうだったのか、と異文明を考えるコツのようなものがつかめてくる。
日本の社会が一種異様な閉鎖空間の地獄になってしまったのは、やはり言語的な換気が悪いことと関係があるのかも知れません。

ラトビア人たちが経営している肉屋で話していたら、年が明けたらみんなでニセコという日本の町にスキーしに行くんだよ、という。
あそこは日本の人は少なくて、英語でなんでもやれるって言うよね、と述べると、
「日本人はオカネがなくてビンボだから」というので、面白いなー、と思う。
わしガキの頃は、まだ、日本人と言えばアジア系のオカネモチの代表で、大人達に訊くと、賄賂の収益を日本では使えないのでニュージーランドに持ってきて使っているのだと言っていたが、役人や元役人だったという日本の人たちがフェンダルトンのような高級住宅地に宏壮な家を買って、ほとんど使いもせずに、荒れるままに任せていたりした。
いまは、特に他の国の事情に通じているわけではない人たちも、日本人の印象は「働いてばかりで貧乏な人たち」で、ニュージーランドの国会で政府の予算案にかみついて、「あなた方は、こんな無責任な予算案を組んで、日本みたいになってしまったら、どうするのか」と野党の議員が述べたりする。

近い将来に2015年をふり返る英語人は、多分、英語圏の繁栄のピークとしてふり返ることになるのではないかしら、と思う。
いまは浮かれているが、オーストラリアもニュージーランドも、わしガキが初めてやってきた頃は、なんだか凄まじい感じがするくらいビンボで、サーファーズパラダイスの目抜き通りを歩くと、闊歩する身なりの良い日本人たちの陰で、たとえば、わしガキが大好きだったステーキパイの店は表通りから脇道にずっと入っていくところにあったが、そこは地元のオーストラリア人たちが住んでいる地区で、見るからにビンボっぽい汗染みたオーストラリア人たちが、日本人目当ての店に出勤する道を急いでいたりした。

当たり前すぎて書くのに気が引けるが、「世の中は変わるのだ」という実感を持つ年齢に自分もなってしまった、ということだと思う。
(笑わないよーに)

オーストラリアとニュージーランドに「差別意識を捨てて英語圏であることを利用すれば経済が繁栄する」と教えたのは日本人で、留学生や引退した役人、会社員を大量に受けいれた政府は、味をしめて、留学生だけではなく、企業の資本もまるごと受けいれればもっと「カネが儲かる」と簡単な錬金術を思いついた。
やりすぎて1990年代には激しい反アジア人運動が起きたが、その「アジア人」という標的は、だんだん議論が深まって、現実と認識が異なることに気が付くまでは実は日本人のことだった。
ニュージーランドに滞在していた義理叔父がたまたまウィンストンピータースの「日本人の洪水」演説を聴いて、しかし、そんなものすごい数の日本人て、ほんとうだろうか、と疑問におもって日本の領事館に問い合わせに行ったら「500人」という解答だった、と笑っていたのを思い出すが、つまりは中国人も韓国人も日本人も区別がついていなくて、全部ひとからげに「日本人」と呼ぶほど、逆にいえば、日本は東アジアを代表する印象だった。

その日本が経済運営に失敗して、国情を反映して「円」の価値がみるみるうちに半減する頃になると、日本人たちの姿が消えて、今度はイギリス人たちが大量のポンドを持って現れた。ニュージーランド人たちは、「イギリス人に売れば市場価格の二倍で売れる」と言って大喜びで新参連合王国人たちを騙して稼いだものだった。
2008年のクレジットクランチでイギリス人がビンボになると、今度は中国人のオオガネモチが大挙してやってくることになった。

いまはインド人とアメリカ人で、つまりは、そのときどきでオカネを持っている市場を相手にすれば、世界のどこかには繁栄しているところがあるからダイジョブ、というのがオーストラリアとニュージーランドのふたつの小国の理屈であるようです。

ブログで印象されるよりも、遙かに頻繁にオーストラリアに出かけることは前にも書いたことがある。
(連合王国のではなく)ニュージーランドパスポートのほうを使えば、パスポートコントロールも自動改札で、国内移動みたいなものなので、そもそも外国に出かけているという気がしない、ということもあります。

仕事の用事ででかけてメルボルンの不動産管理会社の役員達とミーティングのテーブルを囲んでいたら、ずいぶん見当外れに楽観的なことばかり言う。
「しかし、これはバブルだから」と言わずもがなのことを述べると、わしと丁度おなじ年齢の、若い女びとの役員が、
「素晴らしいことですよ!バブル景気は、とても良いことだとは思われませんか?ガメさんたちにとっても、わたしたちにとっても、これ以上良い状況は考えられないではないですか」と両腕を広げるので、呆れる。
もっとも、こちらは2009年くらいから、ずっと「もうバブル景気が終わるのではないか」と彼等に言い続けてきたので、いくらバブル経済にも終わりはあるのだ、と述べても、ぜんぜん聞いてもらえないのは、当然といえば当然なのかも知れません。

収入の6割が30年間のホームローンに消える、オーストラリアやニュージーランドの「エリート層」は、しかし、やはり大変なリスクを冒しているので、もともと自分の金銭感覚を信用していないわしとしては、借金がないので、まあ、市場がいつつぶれてもダイジョブかもね、どうしてもダメならモニさんの実家の作男でもやるさ、としか思っていないが、一生の建築に失敗したらニュージーランドで昔からの友達と一緒にビンボをして暮らす、というかつての夢は完全に潰えてしまった。

憶えている人もいるとおもうが、ずっと前に「日本に最後のチャンスがあるとすれば2015年だろう」と記事に書いた。
財政を頼りに数えてみればそうなるからで、いまでも民主党の素人よりもひどい経済政策で大失敗を遂げた直後の日本にはチャンスがあったと思うが、安倍政権を選択したことで日本社会は、ちょうど1949年に似たショック療法で立ち直る機会を逸して「産業が存在しないのに机上の金融案で繁栄を演出する」という、まるで麻薬中毒患者にヘロインを投与するような経済政策をとって、市場心理に期待するという、いかにも秀才が考えそうな破滅への道を選んでしまった。

英語圏ではテレビのドキュメンタリでもよく紹介されるようになったが、株価や不動産の価格を繁栄の指標として考えるのは現代経済の実情とはかけ離れた考え方なのではないか、という。
新しく台頭した考えで、この考え、というよりも「思想」は株価と不動産価格の高騰で、はっきり言ってしまえばコントロールが難しくなるほど収入が増えた本人が最も実感している。
多分、中国の、そのまたほんの一部に偏在した大量のUSドルが英語圏の不動産に集中的に投下されたせいで、世界中の経済の再分配機能が麻痺に陥っているのだと思います。

オカネモチのおっちゃんたちとマリーナのクラブのバーで話すと、
「カネを使う使い途がない」と言う。
なんでもかんでも持っているので、自分の人生に不足しているものは女房と息子や娘たちからの愛だけだ、と笑えない冗談をいう。
アメリカ人たちのように、自動車を買い換えるように女房も新しいのに換えてみたらどうか?

いくらオカネを注ぎ込んでも生活の質が改善されなくなるまでオカネが集中した人間が、ではオカネをどうするかというと、観ていると、やはりマンハッタンやロンドンに家を買う。
基本的にカネモチはナマケモノなので、英語で暮らせるところに買う。
結果的には中国のひとびとと同じ、「英語圏の都会の、名前がよい通り」にオカネが行きついて、ますます不動産価格が酷いものになってゆく。

これが2015年という年が行きついた経済の姿で、つまりは袋小路にドルが入ったマネーバッグが積み上げられるような異様な姿の市場が出来上がってしまった。

日本にとっては、次のおおきな節目は、もう6年前から述べているように2025年になるとおもうが、投資家たちの目は厳しくて、日本は金大中の頃の韓国のように、いったん倒産して旧世代を一挙に社会から退場させるしかない、と観られている。
ジムロジャースが述べているように、アベノミクスを始めて以降、破滅以外に目的地がなくなった日本経済は、どのような意味でも回復が期待されなくなって、話題にのぼるのは、いまでは投資家たちのカシノと化している株式市場だけです。
それも段々ブラックジャックテーブルであるよりは、毎晩、中国人たちの絶叫が響き渡るバカラテーブルに似てきている。
あと3年遊べるが、そのあとは廃墟だろう、と言う。

一方で、トヨタの社長豊田章男が副会長だった東京オリンピック組織委員会の委員を辞めたことを深読みするレポートがまわってくる。
まるで潜航限界を超えた水深に落ちた潜水艦のなかに響き渡る隔壁の軋みを聞いているようです。

わし個人にとっては、たとえば不動産投資でいえば、欧州のあと、ずっと続けてきたマンハッタンやメルボルン、オークランドへの投資に飽きて、他の市場に変える年だった。
日本語から時々いなくなっていたのは、珍しくも仕事をしていたからでした。
数学という趣味を使って株式や通貨でも遊んだが、なんだか大金が出来てしまって、どう工夫しても、やっぱりバフェット式に構えるのでもなければ、ただの賭博だよねーと思われる感じになってきたので、こっちは早々と飽きてしまった。

パーティに「IPO」というナンバープレートをつけて現れた人がいて、
「あの男は、あんな古い考えでは会社が危ないのではないか」と言われていたが、これからはますます頭が更新されていかない人間は、この疾走するような経済と世界に振り落とされていくのではないだろうか。

自分の生活では、「小さい人たち」は小さいなりにおおきくなった(^^;
モニさんは、ますますのんびりになって、相変わらず絵ばかり描いています。
どこへ行くにも10分くらいで着く家の特徴を利用して、一日に3,4回一緒に出かける。
自分の家の台所では作れる人がいない飲茶やタンドリ料理のアジア系のレストランに出かけたり、オークランドには無数にある、あちこちの浜辺に行く。
インターネットを通しては見えないだろうけど、ボートを家のように使って、ボートの部屋で日本語ツイッタで遊んでいたりする。

たいてい、家でもボートでも、だらしなくカウチに寝転がっているのに、稀に机に向かってヘラヘラしているのは、数学や言葉をベンキョーしているときで、
ファールシは難しくて死ぬ、とこぼしていたり、言葉のことになると非情を極めるフランス人たちに「ガメがいま使ったフランス語みたいなリズムのフランス語があるわけない」と笑われたりしながら、相変わらず複数の言語を母語並にしようと企んでいる。

数学も、もしかすると言語かも知れないので、妹のような異才ではなくても、案外言語が好きなのかも知れません。

来年は、どんな年になるかなー、と友達が言うので、
「そんなこと判らないけど、良い年に決まってるさ」と述べたら、大笑いされてしまった。
ガメは、どうして、そう楽観的なのだろう、という。
どうして、って、生まれた時から、ずっとこうだから、わからないよ。
なんでもらくちんが好きで、楽しいことや楽しいひとが好きで、
嫌なことはなにもやらないでやってきた。
結局、それがいちばん、いいみたいよ。

このロゼ、モニの家から送ってきたんだけど、こーゆー、夏の晴れた午後に飲むのにサイコーなんだぜ。
よく冷えてるから、急いで飲もう。

来年も、また友達でいようね。

では。

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