神のいない経済_デリバティブ篇

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最も簡単な例として保険ということを考える。
きみだって家を買えば火災保険や地震保険をかけようとおもうでしょう?
1970年代ならば、家の所有者であるきみだけが保険をかけることができる。

いまは、どうか。

保険セールスと不動産紹介を兼ねている町の小さな不動産屋で、学生のとき下宿を紹介してもらった昔からよく知っている不動産屋さんで保険の契約書にサインしたきみは、晴れ晴れした気持で達成感に浸っている。
築12年の中古物件だけど、家が持てたなんてサイコーだ。
おれの給料じゃ、たいへんだけど、がんばってローンを返そう。
保険もかけたし、明日から頑張ろう。

ところが、この保険は実はきみの手を離れて保険会社に渡った瞬間から、もっとたくさんのひとの手に渡っている。だいたいチョーおおざっぱに言って、きみが支払う3万円は少なくとも150万円の資金として金融の世界で流通しているはずです。

なぜ、そんなことが可能なのか?

まず頭にいれておかなければならないことは、1980年代を境にして、以降の金融は、ちょうど橋を架けるのとおなじ工学事業である、ということです。
この工学は「デリバティブ」という考えに基づいて成り立っている。
興味があるひとは、wikipediaのしょもない記事くらいを手がかりにするくらいでも、いろいろなドアを開けて、十分な数学的能力があれば、という前提で、そんなに苦労しないでデリバティブの土台になっている思想を理解できるでしょう。

科学系のひとは、めんどくさいので、ブラック=ショールズ方程式を導出して、なぜこれが金融に適用できるのか考えたほうが早いかもしれません。

https://en.wikipedia.org/wiki/Black–Scholes_model

冷戦時代には軍事関連に就職するのが最も収入が高かった物理学や数学を専攻した学生/若い研究者たちは、冷戦後は、群れをなして、この新しい工学に向かいます。
その結果、金融家たちが扱えるクレジットの金額は、それ以前とは比較にならない膨大なものとなり、当時の需要を遙かに越える投資運用資金が出来ることになった。

アダムスミスの言う「神の見えざる手」などでは到底処理できないクレジット、つまりはオカネの供給ができあがってしまう。

一方では、キャピタリズムにおいては、昨日の記事でも述べたように、資本家が自分が成功すると信じたものへ資金を投下して、リスクを冒して、うまくいけばオカネが増え、失敗すればゲームから退場することによって全体の健全が保証されている。
アメリカの金融史の歴史で言えば、1907年、まだ連邦銀行(FRB)が存在しないころの金融崩壊に直面して、欧州に倣って、中央銀行を設立してから、1929年の恐慌をきっかけとした規制強化を経て、ボルガーがFRB議長だった頃までは、ゲームのルールが明瞭で、自分が稼ぐためだったら、ひとが見ていなければなんでもやる資本家たちを厳しく掣肘していた。

1998年になると、奇妙な、極めて有名で劃期であることが起こる。
ビルクリントンが大統領のときのことです。
CiticorpとTravelersが合併する。
Citigroupという世界最大の金融会社が誕生する。

Glass=Steagall Act

https://en.wikipedia.org/wiki/Glass–Steagall_Legislation

を知っている人は多いとおもいますが、この併合は1929年に始まった大恐慌の教訓から生まれた、このGlass=Steagall Actに明白に違反していた。
違法な合併だった。

ところが当時FRB議長になったばかりだったグリーンスパンは、ボルガーも含めたさまざまな財政人からの圧力を、肩をすくめてやりすごして、一年間なにもしないですごす。

たくさんの人が違法な巨大金融会社の誕生を訝っているうちに、翌年、1999年に、
Gramm=Leach=Bliley Actが成立して、既成事実を追いかけて新法案が出来る。

違法な合併が後出しの法律によって合法になる。
いまふり返って考えてみると、この法案をCitigroup救済法案と陰口を利いた、当時の金融人は、21世紀になってマフィアよりもイタリアのマフィアよりも遙かに傍若無人な行動にでる後年の金融人たちに較べれば、ずっと感覚が健康だったのかもしれません。

このときクリントン政権にいて、違法なCitigroup成立を押し通したRobert Rubinは、政府の閣僚を退いたあと、CitigroupのVice ChairmanとしてUS$126 M(150億円)を受け取る。

このGramm=Leach=Bliley Actこそが、実は地獄への門で、この重い門扉を自分たちの財布に大金を詰め込むために押し開けてしまったことが、どれほどたくさんの人を文字通りの地獄へ突き落とすことになったか、世界じゅうのひとが思い知ったのは、ずっとあとの2008年のことでした。

銀行が、ちょうど「千と千尋の神隠し」のカオナシに似て、常に他行を併呑してひたすら大きくなろうとするのは、金融というビジネスが本来高リスクであることに関係がある。
たとえば三菱UFJが倒産すれば、外国銀行に日本そのものを売り渡さないかぎり、そのまま日本の市場が終わりになってしまうのは直観的に判るでしょう?
20年前ならば、どんなに産業経済への打撃がおおきいとは言っても、日本特有の民間銀行への異様なしめつけさえ緩めれば、三菱銀行がつぶれれば富士銀行がそれに取って代わる、という可能性があった。
それは、ちょっといくらなんでも考えにくい、という人でも東海銀行が潰れても三和銀行が名古屋の市場を受け継ぐことができた、というほうがイメージしやすいかも知れません。

ところがいったん市場をモノポライズした銀行は、つぶそうとしてもつぶすことが出来ない。
国民の税金を使って救済する以外には方法がなくなる。

銀行側からみれば、どんなにデタラメな投資を行っても、失敗してもつぶれないのだから、こんなに良い経営環境はない。
やりたい放題、やっていかれる。

基礎条件の説明というのは、どんなときでも退屈なもので、もうここまでで飽きてしまった人もいるとおもうが、つまり、昨日の「トリクルアップ」の諸条件は、ここで出来た。

1 金融規制の撤廃

2 金融資本の巨人化

3 デリバティブ技術

のみっつで出揃ったわけで、ここに表面の「給料」だけではない、年収100億円程度では舌打ちの対象にしかならない金融会社役員たちの私欲が加わって、いまの世界の経済の基礎的な枠組みができている。

なんのことはない、ジュネーブ条約もなにもない頃の戦争状態にある軍隊に核ミサイルを無尽蔵にもたせて戦場に送り出すような状態になってしまった。

CDO、という。
Collateralized Debt Obligationのことです。

ホームローンを例にとると、
むかしは、貸し手の銀行が借りての収入や担保を慎重に検討して、はたして相手が、20年、ときには30年に及ぶ返済をつづける能力があるかどうか見極めてローンを審査決定する。
むかしは政府の役人であるとか、大学の教師、医師、大企業の一般職のような「堅い」職業がホームローンを組むのに有利だったのは、このせいです。

デリバティブの時代になってからは、ホームローンを受け付けた市中銀行を素通りして、ホームローンはまっすぐ投資銀行に行く。
ローンを現実に引き受けるのは投資銀行に投資している世界じゅうの投資家たちです。
わが友「もにょP」(@monyoP)やオダキン(@odakin)がサインしたホームローンは、実は地球の反対側でデヘデヘしながら小さい人達と芝生を転げ回って遊んでいる大庭亀夫が引き受けているのかも知れない。

ここでもうひとつの秘密を述べておく必要がある。
S&Pやムーディーズという会社の名前を聞いたことがあるでしょう?
あれは、なんであるか。
なんで、あんなに威張ってるの?という疑問が通常人にはあるべきだが、
この投資家たちがローンを引き受けるときに、どのくらいのリスクがあるのかを測定する目安にするのが、こういう「格付け会社」なのです。

もにょPはAAAだがオダキンは国立大学は昇給がシブイし、訳がわからない論説を述べて、たとえば専門でもなんでもないのに「放射能は安全です」とSNSやなんかで述べて歩く素っ頓狂な政治運動家もどきの教員がいるからBB+というふうに借り手をランク付けする。

こういう格付け会社は、実のところチョーチョーチョーええかげんで、クレジットクランチをふり返ると、巨大保険会社のAGIは倒産する当日までAAAだった。
公聴会で追及されると、S&Pの役員は、必死の形相で「格付けに権威などない。ただの「opinion」だと言い張って、まるで、昨日までは自分達がやっていることは芸術ではない、もっと芸術とは異なる革命的なものだ」と主張していたのに、警察につかまると、自分が作ったものはすべて芸術、あれもゲージュツ、これもゲージュツと法廷で陳弁せざるをえなくなって、あとあとまで恥ずかしくて思い出すのが嫌だった、と述べた赤瀬川原平みたいな有様だった。

なんの話なのか。

ともかく、返済のリスクを考える必要がないので、だんだんとんでもないホームローンの貸し方になってきて、定職のない夫婦に頭金なしで家の購入資金の全額を貸し付けるようなことまでやりだす。
ひどい例だと英語が判らない移民の夫婦に、金額数字を用いずに、例えば1000ドルなら one thousand dollarsと書く英語契約書の習慣を悪用して、毎月の返済額は3000ドルだと嘘をついて、現実には5600ドルの返済である契約書にサインさせ、払えないとなるとたちまち売ったばかりの家を取り上げて市場で売り捌いてしまう、というようなことをする。
これが2008年に全世界の経済ごと葬りかけた「サブプライム」の正体でした。

こうやって、そもそも市場がハンドリングできないほどになったオカネの洪水は、どこへ行ったかというと、「トリクルダウン」したりはしなかった。

2001年から2007年までのあいだ続いたバブルは、わしが目撃したマンハッタンならば、何百億円という報酬を手にした金融業界人たちは、夜になれば高級娼婦と一緒にクラブにあらわれて、コカインを、ごくおおっぴらに吸い、アルコールと麻薬とセックスに溺れる日々だった。
わしは、いちど、クラブの客としてでなくて、もっと間近に観察したいと考えて、ふた晩だけ、クラブのバウンサーの役をやらせてもらったことがあるが、傲慢を通り越して、「豚」という言葉そのもので、いままで生きてきて、あれほど醜悪なものは見たことがない。

ジョージブッシュの高額所得者を極端に優遇する税制改正によって、アメリカの冨は人口の1%に集中して、更に0.1%に収斂してゆく。
収入の半分以上がホームローンに消えて、物価はそれでも上昇をつづけ、どんどん生活が逼迫するようになったアメリカの中間層は、労働時間を延ばすか借金を増やすかの選択を迫られて、やがて、その選択すら奪われて、長時間労働と巨大な借金の両方に抑圧された生活を送るようになります。

そのあとのことを、日本でもみながおぼえているでしょう。
2008年、ついに経済虚構が崩壊してバブルが崩壊し、現実の実体経済を伴わない株価と、適正な価格の3倍以上に膨れあがっていた不動産価格が暴落して、クレジットクランチになると、その代価を払わされたのは、中国の3000万人に及ぶ失業した工場労働者であり、たかだか一日1ドルの奴隷労働をつづけて、それすら断たれて、子供が死んでゆくのを力なくみつめるエチオピアの母親たちだった。

日本でも、年金運用失敗や、企業の損失、投資の失敗という形で、少なくとも国民ひとりあたり数十万円という額でアメリカの野放図で貪欲な金融エリートの失敗の穴埋めをしているはずです。

1980年から2007年のあいだに、アメリカ国民の90%が60年代のような「マジメに働けば暮らしていける」健全な生活の基盤を失って、昨日の記事で述べた「Struggling class」に落ちていった。
「この金融規制の撤廃によって、いまやビンボ人もカネモチとおなじ家を買って住めるのだ。もう小さいボロい家で我慢しなくてもよくなるのです」と演説して、ほとんど犯罪的な経済政策を最も強力におしすすめたブッシュが約束した「スイートホーム」は銀行に取り上げられて借金だけが残り、もうひとつの約束だったレーガン以来の「トリクルダウン」は「トリクルアップ」で、上位1%の富裕層に「繁栄」は集中した。
アメリカの歴史上はじめて、子供たちは両親の世代より低い教育水準で、生活の質自体も遙かに低い毎日を強いられる前代未聞の事態がアメリカを覆うことになってしまった。

The era of greed and irresponsibility on Wall Strret and in Washington has led us to a financial crisis as serious as any that we have faced since the Great Depression.

と演説して大統領に就任したバラクオバマは、しかし、いったん大統領に就任すると約束した金融規制のどれも提案すら終わってしまいました。
このことには、アメリカの新しい伝統となった、金融企業の役員を経済閣僚に任命する習慣が関係があるが、もう長くなりすぎたので、ここでは述べません。

昨日と今日の二回の記事で判ってもらえたと思いますが、共産主義が死亡宣告をうけてから30年、資本主義もまた死を迎えている。
2008年には、とっくの昔に息を引き取って、伝説のエルシドではないが、自由主義の象徴として民主制の馬に乗せられて見世物にされていたネオリベラリズムは、その屍臭を放って、空洞になった眼窩で、努力が決して報われないものになった人間の世界を見渡している。

この次の回は、ではなにが世界の希望なのか、どうすれば世界が救済される可能性があるのかをマイクロ金融と無配当企業を手がかりに述べたいと思っています。

(退屈だけどね、お互いに、こういう話)

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