神のいない経済_金融革命篇

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”Is God Dead?”という有名なTimeの特集が話題になったのは、1966年のことでした。

https://en.wikipedia.org/wiki/Is_God_Dead%3F

だいたいこの頃から、「神を仮定した社会では、いろいろなことをうまく説明できないのではないか?」とひとびとは考えはじめて、たとえば40年経った2006年の連合王国は、クリスチャンの国というよりは無神論者の国であると呼んだほうが良い国になります。

1907年、アメリカ経済が大崩壊の危機に瀕したとき、アメリカ人たちが均しく考えたことは、「なぜアメリカでだけ、これほどひどい経済パニックが起きるのだろう?」ということだった。
見渡してみると、欧州各国には「中央銀行」というものがあって、通貨量や公定利息を調節するというような手段を通じて一国の経済を守っている。

連邦銀行の起源で、ここで注意しなくてはならないのは、つまり、本来の中央銀行の機能は、連邦銀行(FRB)でさえ「景気をよくする」ことではなくて「経済社会を守護する」ことだったことです。
「ゾンビ篇」で説明したように、「景気がよくなる」ことと、ひとりひとりの国民の生活の経済的質が高くなることは、ふたつの根本的に異なることであって、それをおなじに見せかけるために発明された「トリクルダウン」という詭弁は、歴史のどこを探しても、現実になったことはない。

まともな思考力がある人間は、津波によって原子力発電所がメルトダウンを起こしたからといって、津波に対する防護壁の高さと強度を増して「安全対策」だと称しはしない。

渡しから渡しへフェリーちゅうの舟の、舷から財布を落とした男が、小刀を取りだして舷側に切り込みをいれているので、何をしているのかと訊ねると、「落としたところに印をつけているのだ」と答える有名な笑い話があるが、要するにそういうことで、
経済危機といえば取り付け騒ぎの延々長蛇の列を思い浮かべ、ティッカーを血走った目でみつめる株トレーダーの絶望的な表情だけを脳裏に描いて、それだけが「経済危機」であると思うのは、いかにも間が抜けている。

戦後アメリカにおいて、初めて政治的圧力で経済の「見せかけ」をよくすることを連邦銀行に強要した大統領は、リンドン・ジョンソンだが、英語では「cave in」という、この政治の側からの乱暴を観て観ぬふりをするFRBの怯懦は、やがてアメリカの悪癖になっていきます。
すなわち、景気が悪くなって大企業や銀行の業績が芳しくなくなってくると、通貨の供給量を増やし、利息を下げ、見た目の経済繁栄を演出する。

金融が原始的な段階にとどまっていて、たとえばアメリカでいえばポールボルカーのような、大企業や銀行家たちからの激しい攻撃と国民のあいだの不人気をものともしないFRB議長がひとり出れば、経済が立ち直っていた頃ならば、それでも究極的な崩壊は避けられたが、ちょうど核爆弾の発明とおなじことで、デリバティブという、理系のひとならブラック=ショールズ方程式の導出から逆に、なぜそれが金融に有効なのかを考えるほうが早い金融クレジットの、文字通り桁外れの創出技術、単純なモデルでもクレジットの伝統的な定義の50倍を超える投資を可能にする金融工学技術の発明は、大量破壊兵器的な効果を、経済の戦場にもたらすことになった。

CDO、Collateralized Debt Obligationという。
ホームローンを例にとると、
むかしは、貸し手の銀行が借りての収入や担保を慎重に検討して、はたして相手が、20年、ときには30年に及ぶ返済をつづける能力があるかどうか見極めてローンを審査決定する。
むかしは政府の役人であるとか、大学の教師、医師、大企業の一般職のような「堅い」職業がホームローンを組むのに有利だったのは、このせいです。

デリバティブの時代になってからは、ホームローンを受け付けた市中銀行を素通りして、ホームローンはまっすぐ投資銀行に行く。
ローンを現実に引き受けるのは投資銀行に投資している世界じゅうの無数の投資家たちです。
わが友オダキン(@odakin)が契約書にサインしたホームローンは、実は地球の反対側でデヘデヘしながら小さい人達と芝生を転げ回って遊んでいる冷菜凍死家大庭亀夫が引き受けているのかも知れない。

こういう数学や物理学を動員した金融のダイナミックな仕組みは、理屈としては、極めてうまく出来ていて、人間に巨大な繁栄を約束したはずだった。
なにしろ旧来の経済の仕組みなら200年は軽くかかりそうな繁栄に一足とびに、十年かそこらで達成できるので、ちょうど馬に交通を頼っていたところに内燃機関が登場したような技術革新でした。
真に、革命と呼べる変化だった。

見過ごしていたのは、人間のgreed(≒貪欲)で、この過小に見積もりすぎた要素のせいで、いま世界中の国で目の前にある「富める国の貧困社会」が存在する。

判りにくいかも知れないので、アメリカ経済を例にとって説明する。

1929年の大恐慌のあと、銀行や証券を野放しにしておくと、不道徳というよりは野放図な悪徳をなんともおもわない人間達が経済を破壊してしまうことを学習したアメリカ人たちは、

Glass-Steagall Act
https://en.wikipedia.org/wiki/Glass–Steagall_Legislation

という規制法案を成立させます。
これがゲームの基本的なルールになる。

1998年、CitigroupとTravelersの合併は、金融世界における独占企業の成立で
Glass-Steagall Actに明白に違反していた。
ところがFRBのグリーンスパン議長は、まったく何もしないまま一年間、肩をすくめてやりすごしてしまう。

翌年、悪名高いGramm-Leach-Bliley Act、別名Citigroup救済法案、が成立して、
後出しで、この巨人は安んじてさまざまな無謀な巨額の投機を行えるようになる。
このCitigroupが、「おおきすぎて、どんなに経営に失敗しても税金でbail out させるしかない金融企業」の嚆矢です。
これ以降、アメリカ政府は、たとえばゴールドマンサックスのような企業が危機に陥ると、何千億、あるいは何兆円というような税金を注ぎ込んで救済するしかなくなってゆく。

さっきのCDOの話を思い出してもらえれば判るが、ここでいう「損失」も「税金」もアメリカ国内には限らなくて、あいだの説明を全部とばして言えば、日本人ひとりひとりも、金額を計算できはしないが、多分、年間数十万円から数百万円という単位で、これらアメリカの企業家たちの無謀な投機による失敗の穴埋めをしていることになる。
相手が政府ではない、形を変えた税金と言っていいかもしれません。

このときに個人のgreedがどういう役割をはたしたかは、クリントン政権にいて、ゴリ押しでCitigroupを強引に成立させたRobert Rubinが、政府の閣僚を退いたあと、CitigroupのVice ChairmanとしてUS$126 M(150億円)を受け取っていることを述べれば十分でしょう。

前回、Robert Wadeの言葉遊びを借用して「トリクルアップ」と述べた社会の1%に「繁栄」が集中して、残りの99%がどんどんビンボになってゆく仕組みは、つまり、デリバティブによる金融信用創造と個人の貪欲が結びついてうまれたものでした。

この15年で、ニュージーランドやオーストラリアの大都市では、居住用不動産の価格が3倍になっている。
高級住宅地に限れば、5倍、6倍もざらにあって、住居というものが投資資産ではなくて、オカネを生みださないものである以上、持ち主本人にすらよいことはなくて、ニュージーランドなら「rates」という、住居にかかる地方税はすさまじい額になっている。

たとえば年収が1000万円の「社会のエリート」であるはずのカップルが、600万円をホームローンの支払いにあてて、残りの400万円で、爪先立ちするように別荘を買い、ポルシェを買って、「エリートライフ」を送る姿は、いまの英語圏の典型的なライフスタイルになっている。

これ以上、簡単な理由はない、というか、
不動産の価格が天井知らずにあがってゆくのは、銀行がいくらでもオカネを貸すからです。
やっとニュージーランドでも「頭金が10%なければ貸さない」というルールが出来たが、カウンシルの評価額が6000万円の家を持っていれば、6億円の家が買えるわけで、中国から大量に流入するUSドルと相俟って、不動産は「うなぎのぼり」に上がってゆく。

その結果、中流階級の若い夫婦は家を買うことなどは夢のまた夢になって、しかも年々値上げされる高い家賃に悩まされている。

アメリカは「世界一富裕な国」でエチオピアは「世界で最も貧しい国」だというが、そういう言い方には、いまの世界ではほとんど意味がなくて、どうしても国境を現代経済の表現にもちこみたければ、「アメリカは内部に広大なエチオピアをつくってしまいつつあるのだ」としか言いようがない。
現代の経済の仕組みに国境などなくて、そのことを理解するためには、クレジットクランチの直後、たとえば中国ではただちに1000万人の工場労働者が解雇になったことを知れば十分とおもう。

欧州人や合衆国人を伝統的に人間としてふるまわせてきたのは、「神の眼」でした。
神が見ているので、人間の一生の、他の人間が見ていない路地でも、たくさんの人間が往来している大通りでも、おなじようにふるまわねばならなかった。
そのことを「善」と言います。

ところが1960年代に病んで、急速に危篤に陥った神を横目に、欧州人も合衆国人も、神などはどうでもよくて、自分の幸福を追求すればよいことになった。

ところが「幸福」とはなにか?ということは、人間の歴史を通じて十分に検討されたことがないうえに、自分がオカネモチになってみるまでは、なんということはない、「オカネがもうかる」ということはコカイン中毒とおなじくらい依存性があって、貪欲には限界がないのだということを判っていなかった。

このブログを通じて「アベノミクスなどバカげている」と繰り返し繰り返し述べているのは、経済は要するに新しい価値を生み出すAppleやGoogleのような実体経済が生まれなければ良くはならない、株価などは見せかけの景気にしかすぎない、ということとは別に、ではアベノミクスが目指していることが実現できたとして、どこに繁栄が収斂するのか、ということが聞きたかったからです。
それは、アベノミクスをこぞって支持している日本人ひとりひとりではない。
99%の日本人は成功をお裾分けしてもらう側ではなくて、アベノミクスが完全に失敗したのが明かになったとき、催促がはじまる巨額の損失を支払う側でしかない。
そんなことはCDOに典型的な金融革命後の経済の仕組みを調べていけば、すぐに判る。

アダムスミスは「神の見えざる手」と述べたというが、その、ほんとうではなくても、アダムスミスの市場に対する考えがうまく通俗的に表現されていなくもない言い方にならえば、需給を調節する「神の手」はデリバティブと強欲が手首から切り取ってしまった。
神は昏倒して、人間は神の死せる肉体の上に飛び乗って、「繁栄」という偽名がついた酒に酔いしれて踊り狂っている。

次回は、では、どうすればいいのか、ということについて、一回目はニュージーランド、二回目はアメリカの現実を例に説明してきたので、中国か日本か欧州各国のどれかかを例に説明したいとおもっています。

オカネの話の常で、もうだいぶん飽きてきたけど

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