DAVID BOWIE

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「サラ」というスナックは、いまでも(青山の)墓地下にある。
世界なんか滅びてしまえばいいのさ、と考えていた(40年前)17歳の義理叔父は、よく、その店に出かけたのだそうです。

午前2時の「サラ」では、すっかり酔っ払った沢田研二と萩原健一が、客目もかまわず猥談で盛り上がっていて、
「結局、見ていたら朝の5時まで、ずっと猥談していた」と義理叔父が証言している。

ぜんぶ同じ頃に起こったことなんだよ。

「防衛庁」の正門前に有った「ハニービー」では、毎朝明け方近くになると、
アグネスチャンがカウンターのいちばん左の端っこで勉強していて、右側にはマネージャーが座って、ひとびとの好奇をブロックしていた。
午前2時になると、いっせいにやってくるオカマたちが、アグネスチャンの肩を叩いて、「がんばりなさい」と励ましていった。

坂をおりて、そして、赤坂の闇に潜り込んで、見附まで歩いて、一ツ木通りにいくと、そこには「MUGEN」と並んで「ビブロス」があったのだと言うのね。

1973年の夏、そこで義理叔父は、DAVID BOWIEを見たのだという。
「山本寛斎とチークダンスを踊っていたんだよ」
でも、英語記録でも、そんなときにデビッドボウイが日本に来たなんて記録ないよ、とわし。

「でも、そこにいたんだから、それをぼくが見たんだから、仕方がないのさ」

その頃、(もちろん、その頃はふたりとも知らなかったわけだけど)将来、大女優になるガールフレンドとふたりで、すぐに連れ戻された家出のさなかの義理叔父は、行く所がないので、朝が白みはじめた金曜日のビブロスにいた。

ところが、そこではロンドンブーツをはいて、髪をオレンジ色に染めたデビッドボウイがデザイナーの寛斎とチークダンスを踊っていて、
「それは未来への出口みたいに見えたんだ」と義理叔父は述べている。

Look up here, man, I’m in danger
I’ve got nothing left to lose
I’m so high, it makes my brain whirl
Dropped my cell phone down below
Ain’t that just like me?

とデビッドボウイが歌っている。
なんだ、あなたは、義理叔父が天使を見るようにあなたを見つめていた1973年の夏と何も変わっていなかったのか、とぼくは考える。

デビッドボウイは不思議なパフォーマーで、成功した「型」を次に持ち越すということをしなかった。
「Space Oddity」から「Ziggy Stardust」までは、ひと続きだとも言えるが、その後はアルバムをつくるたびに「直前の成功した自分を否定する」アルバムを作り続けた。

それがボウイの最大の魅力であって、現実の音楽の貢献よりも常に過小に評価される原因なのでもあるとおもう。

わしは、あの人がロンドンのなかでも最も劣悪な通りに生まれて育ったのだというようなことから、あの人がたどりついた奇跡を説明しようとおもわない。
やってみればわかる、実際、そういう方法はデビッドボウイの音楽キャリアをうまく説明できるが、そういうことを、どうしても拒む気持こそが、ぼくをここまでボウイの音楽の「ファン」で有らせ続けてきたのだ、とおもう気持があるからです。

デビッドボウイの歌い方は、注意して聴けばわかるが、アフリカンアメリカンたちの「シャウト唱法」そのものです。
声質のせいで判りにくいが。

あのひとはブリティッシュ・グラムロックの文脈のなかで、アフリカンアメリカンたちの「ソウルミュージック」を演っていた。

「ソウルディスコ」の「MUGEN」と、ケイトブッシュやレオンラッセル、クラプトンたちがお忍びで訪れた「ビブロス」は客にはアクセスがないバックステージのドアでつながっていたが、それは当時のグラム文化から1万キロはなれた極東の国でおきた奇跡に似たことだった。

その頃、起きていたことは、シャーリーマクレーンが渋谷に家を買って、ひそかに楽しんでいた生活や、エヴァガードナーが渋谷の密輸パイロットとの束の間の情事を楽しみにやってきていた「戦後」の日本の延長にあることだった。

DAVID BOWIEの「思想」を理解するのには欠かせない「カブキ」や「日本の猫」を理解することは、イギリス世界と日本世界とのあいだに、どんなかっこうの橋がかかっているのかを見て取るためにも有効なことである。

http://www.bbc.com/news/world-asia-35278488

死ぬ直前に、デビッドボウイは、「どうしても会いたい」と述べて19歳のニュージーランドのシンガーLORDEに会った。

LORDEの小さな身体をいっぱいに抱きしめて、
「You are the future」と涙を浮かべて伝えた。

なんという、ひとだろう。

RIP DAVID BOWIE

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