十一階で

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わたしは、あの人のそばにいるのが好きだった。
なぜだかは誰にもわからなくても、あの人のいる部屋にいるだけで、なんだか明るい気持になるのです。
みなが、用事をつくっては、あのひとに会いたがった。
ところが、あの人は、誰にも会いたがらないのです。
どこまでも風変わりな、奇妙な人でした。

空虚の都市。
ロンドンもニューヨークも、店の持ち主が丹精を込めて磨き込んだような店は消えて、定規で描いた線描画のような、大味の、MSGが大量にはいった料理とでもいうような、どこにあっても変わり映えがしない店がならびはじめて、わたしは街をでてゆくことにした。

初めはサンフランシスコに行こうとおもっていたが、あそこも同じかもと思い直して、どうせ馴染みのない、遠くの街に行くのなら、誰も思いつかないような、とんでもない遠くの、かけ離れた文明に行ってもいいとおもった。

ええ、だから東京に行ったんです。
仕事をやめようと決めて、あの人の部屋のドアをノックすると、あの人は相変わらず黒猫を膝に抱えて、のんびりひなたぼっこをするようなかっこうでコンピュータのスクリーンを観ている。

そこに映っているのはボンドと株価のクオートとチャートなんですけどね。
トレーダーたちが食い入るようにf言葉を連発しながら観ているのとは異なって、
あの人は、ずいぶんのんびりと、まるで薔薇の花が目の前で咲く瞬間を待っているひとのように、ぼんやりスクリーンを眺めているだけなんです。

ひとことくらい質問をしてくれるといいのに、これもいつものことで、
ああ、と言ったきり、しばらく無言で考えていて、「ビザは?」という。
これからあてをつくるんです、と言うと、
それは、ぼくがなんとかしよう、とこともなげに言ってのける。

あの人と暫くでも付き合って、そういうときに、安請け合いを述べているのだ思う人はいません。
いままで一緒に仕事をしてくれたお礼に、ファーストクラスのチケットと、ビザと、…と言ってから、びっくりするような金額を口にするので、わたしは目を瞠って、もしかすると口も半分くらい開いていたかもしれません。

面白そうな顔で、わたしを眺めると、
「東京は、楽しい町だから、きっと好きになるよ」と言うのです。

わたしは、初めの頃、あの人のことがまるで理解できなかった。
それどころか、なんどやめようとおもったか。

あの人はひとをからかうんです。
それも、ひどいやりかたでからかう。
相手の限界を見極めて、恥ずかしさで死にたくなる限度に近いようなからかいかたをすることもある。

初めは意味がなく見えたり、ただの対人作法上の失策に見えたことが、あとでふり返ると、周到な罠になっていて、では罠で相手を陥れようとしているのかというと、ただの、ちょっとした悪戯..少なくとも、あの人自身にとっては…
人間という種自体の知能テストをしているような、ひとのわるい、それでいて、どこかに暖かいところがある、あの人特有の悪戯にしか過ぎない。

観ていてわかるのは、特に、人格が低劣な人間が嫌いで、そういう人が、あの人に目をつけられてしまうと…「目を付ける」というような言い方を、あの人は嫌うでしょうけど、わたしには、そんなふうにしか見えなかった…目をつけられてしまうと、相手は、もがけばもがくほど、自分の愚かさ、魂の卑しさが露呈されてしまう。

しかも、相手はいちどだって、それに気が付かないのですよ!
あの人の意地悪は、そのくらい巧妙なんです。
まるで、生きたネズミを手に入れて、午後いっぱい、それで遊ぼうと決めた猫のように、ごく無邪気に、目をつぶし、爪を食い込ませて、だんだん弱っていくのを楽しむ人のようでした。
相手が邪な人間だと決めたときの、あの人は、それは、到底観ていられないくらい残酷な人でした。

東京は、素晴らしいところだった!
初めのうちは、なにもわからないので、ELのような雑誌を見て、青山や神楽町の、おもしろそうな、「ガイジン」が集まるところへは、どこへでも出かけた。
初めの半年は、頭が喧噪そのもののように浮揚してしまって、ものがちゃんと見えていなくて、溺れそうだった。

でも落ち着いてくると、東京は、とてもいい町なんです。
銀座というおおきな繁華街の、狭い通りの筋のほうに入って、ふと路地をみると、小さな店の、小さな看板が出ていて、これはいったいなんだろう、と考えてはいってみると、「鉛筆の店」だった。

鉛筆の店!
世界じゅうの鉛筆という鉛筆が、小さな小さな店のなかに並んでいて、わたしは鉛筆というものを使う習慣がないので買わなかったけれど、銀座っていい町なんだな、と考えて、すっかり嬉しくなってしまった。

そのまま2年いました。
ボーイフレンドもいた。
気がやさしいイタリア人でした。
ええ、そう、わたしのイタリア語はボーイフレンド語なんです。
日本を発つときにお別れになってしまいましたが、でも、そんなものですよ、
あの町では、外国人同士が知り合って、一緒に住んでも、
いつか日本を去るときにはお別れになる、という暗黙の了解みたいなのがあるんです。

とても寂しかったけど、寂しいのは、2年間の楽しい思い出の代価なのだから、仕方がない。
わたしは東京での2年間で、とてもとても元気になった。
エネルギーが甦ってきて、自分の一生の未来へエネルギーが広がってゆくような、素晴らしい気持を持てるようになった。

あなたは、
訛りをすっかり消して話をするということが出来るのね。

「ガイジン」は、この国では、お互いに交叉することのない、ふたつのパラレルワールドが、おなじ空間にあるようなもので、なんだか不思議だった。

今回、また来てみて、日本をとても懐かしいとおもいました。
懐かしいとおもう、ということは、過去のことになった、ということよね。

日本人から見た世界が、日本語の、雲にまで届いているような高い壁の向こうにある別世界なだけではなくて、英語世界から見ても、この国は、環状の高い壁の向こうにある「別の世界」なのだとおもう。
その環の中にはいっていくのは、そんなに難しくはなくて、ただ物理的に入っていけばよいが、ところが毎日そこで暮らしていても、まわりの日本や日本人は影絵のようで、あるいは、要領をえないロボットレセプショニストのようで、心がうまくつながっていかない。

だから、あるひとびとは日本人は閉鎖的だと怒り、ガイジンという言葉を見てみろ、そもそも自分達の仲間に加えるつもりがないのさ、と吐き捨てる。

でも、ほんとうは、われわれは、まるで異なる世界の住民で、ドナルド・キーン先生は、それこそが日本文化理解を阻むタブーだというが、しばらく住めば、誰でも本音は、「どうしてこれほど異なる世界が同じ地球に存在するのだろう」だと思う。
どの人も、びっくりするような、途方もないことを信じこんでいて、自分達が世界にどう見られている、という激しい思い込みもそうだが、たとえば歴史認識の問題ひとつとっても、南京虐殺がなかったと無理な主張をするほうも、あったに決まっていると意気揚々とたたみかけるほうも、よく読むと、両方とも、とんでもない「論理」に拠っている。
そこには秘密があって、日本語世界には、決定的に情報量が欠けているうえに、その「情報」が翻訳という名前の翻訳者という編集機能をもった頭脳に一語一語、刻々編集されて、もとの英語には存在しない情緒の陰翳がつき、ひどい場合には誤訳されていることさえある。

ヘンな例をもちだせば、パスタがスパゲッティにしぼられて、ナポリタンスパゲッティが生まれてしまうように、日本の人が観ている、例えばアメリカ合衆国は、日本という国特有の貪欲な「翻訳欲」のせいで、ありのままに受け取られることはなくて、ひどく日本的なアメリカ合衆国として日本人たちの頭のなかにある。

もう行かなければ、と立ち上がって、クラブのテーブルから立ち上がった、その人は、急に立ち止まって、
わたしは、立ち入りすぎた話をしてしまっただろうか?と聞く。
クビをふると、少し安心した様子で、葉書大の顔写真が並ぶクラブの玄関から出ていった。

さっきまで人が座っていた椅子は、どんなときでも寂しそうに見えます。
町も、ひとも、あるいは「時」でさえも、
そこにずっとあって、活き活きと動いていたものが、去ってしまうからなのはわかっていても、やはり寂しい感じがする。

なにが失われたのか、永遠にわからないからなのかもしれません。

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