Do you speak English?

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目玉焼き、と聞いて「ああ、あれか」と考える人は異文化理解においてアマチュアであると思われる。
免許皆伝までの道は遠く、宮本武蔵が道場破りにやってきても、「おまえ、ちょっと行ってこい」で初めに相手をさせられて、どうやら馬鹿力のタヂカラオであったらしい武蔵に背骨をへし折られて美しい道場主の娘お初さんとの祝言を諦めねばならなくなるに違いない。

ええ、だから、ぼくは目玉焼きとフライドエッグで区別しているんです、という人に会ったことがあるが、それでは、まだまだ甘い、金沢の落雁よりあまいので、宮本武蔵が道場破りに現れれば….以下、略。

ガリシア出身のスペイン人の友達は「日本の目玉焼きくらい不味い目玉焼きを食べたことがない」という。
理由は簡単に想像がつきます。
スペインの「目玉焼き」は、卵の素揚げというか、オリブオイルのなかで「揚げる」ものだからで、それも周りが少し焦げてオリブオイルの香りと味が、ぷんとするようなものでないとスペイン人は目玉焼きを食べたと感じない。
日本のものはポーチドエッグとフライドエッグの中韓のどこかに漂っていて、北朝鮮のような存在だからでしょう。
鴨緑江まではいかないがギンポまでもくだらないで、くだらなくはないが、平壌くらいの位置にある中韓な中間的存在である。

平均的イギリス人、(といっても、あんな統一感がまるでなくて、インド料理を国民食とする点とワガママなところしか共通点がない国民を、どうやって「平均」するのか、という疑問はあるが、無理矢理「平均イギリス人」をつくれば)から見ると「へんなことをしている」ようにしか見えないアメリカ人の「サニサイドアップ」や「ターンオーバー」とアメリカ人から見れば、わざわざ目玉焼きのように食べるのは難しいが普通につくればおいしいに決まっているものを故意に不味くしてるようなイギリスのパブで朝ご飯に出る目玉焼きの両者がおなじ「目玉焼き」と言われても困るような気がする。

日本の定食屋でたとえばハムエッグと称して、なんだか不気味な圧縮肉片と共に出てくる目玉焼きは、油を極端に少なくして、チョー弱火でコトコトつくるから、ああなるので、プレゼンテーションにすぐれた日本料理の通例に従って見た目が美しい、合羽橋の蠟見本のごとき完璧な目玉美に包まれた目玉焼きだが、イギリス人からすると、白身が妙な、てろんとした歯触りになっていて、おまりおいしくない。
卵焼きのように、真に芸術的なおいしさの卵料理をつくる国民なのに、なんで目玉焼きは、こんなのしかつくれないんだろう、とひとりごちるが、それは目玉焼きという表現の同一性にひきずられて、イギリスと日本の両者が同じものだという妄念を抱いているからである。

ここまで読んできて、いったいあんたさんは、なにをぶつぶつ言ってますねん、と考えた人がいるに違いないが、「翻訳」ということは不可能作業なのだということを述べている。

最後に見たときには「私は偉い人にしか丁寧な言葉使いはしない。ガメ・オベールはそれに値しない」と抱腹絶倒なことが書いてあって、それだけ頭が幼稚なら本人は自分が書いたことの可笑しさに気付きもしないだろうし、あまりの頭の悪さに憐憫の気持が湧いてきたので名前は書かないが、おやじトロルが大庭亀夫の英語ツイートを、わざわざ図解して該当箇所に赤線をひく努力まで払って、自分がいかに英語が判らないか、そしてその原因が受験英語技術者化した言語頭にあるか、自分で実証して自爆して、英語日本語のバイリンガルの恰好の肴になって、バカッぷりを額にいれてフォーラムで顕彰される、という椿事があったが、そのときに英語人がみな気が付いたのは、日本の人が「話すのと書くのは下手だが読むのはダイジョブです」と述べているのは、ほんとうは英語を読めているわけではなくて、受験英語的な「英文和訳」が頭のなかで行程化されている、というだけのことだ、ということだった。

何事にも率直なオーストラリア人のLukeが、このおやじトロルを見て
「そう言えば、日本人って、あの子供でも満点とれる受験英語が程度が高いとおもってるんだぜ」と日本ではタブーに近くて、みなが日本の人があまりに英語を知的標準のよすがにして、その割には全然ひどい英語である現実への憐憫から「ああ日本の入試英語って、アメリカでも知的な人間でなければ読めないんですよね」とウソをつきまくっているのに、ほんとうのことを、しかも日本語で述べてしまって、読んでいて慌てたことがあったが、幼い頃から「思考力が必要な入試」に向けて塾や「進学校」で猛訓練を重ねてきた、この受験職人たちが、そういう出自の人間が、いちばん向いていない研究者や医師に養成される日本のオバカ制度のせいで、日本では英語能力は英文和訳と和文英訳の精度競争であって、TLが英語人部落であるのを(多分)知らずに、突然カミカゼ攻撃に現れた、ニューヨークに住んでいる日本文学の紹介者だとかいうオバントロルは上記おやじトロルよりも勇気があって英語で返事をすれば英語で罵り返すという度胸をみせたが、罵りかたの下品さと表現がまったく合致していなくて、どこかアジアの国から来てながいあいだ通りに立って売春生活をしていた女の人のような英語だったので、なんだか相手をしていて気の毒になってしまった。

もしあれが「頭脳内翻訳」の産物でないとすると、それが示す現実はたいへんなことになってしまう。

ニュージーランド人の強烈なロッカーであるGin Wigmore がブログを公表していたときに、失礼なアメリカ人たちが「子供の書いた文章のようだ」とコメントしていて、バカな奴だ、とケーベツしたが、アメリカ人とニュージーランド人の英語は、たとえばcheekyという言葉ひとつでもニュアンスが、だいぶん異なる。
あるいはspunkyも、イギリス語とは異なって、アメリカ語では、ずっと性的な意味合いを帯びている。
英語人同士でも、意味のずれを調整しながら話をしないと、コミュニケーションという点では、かなりヘンなことになる。

まして醤油をかけて食べたほうがおいしい目玉焼きと塩だけをかける目玉焼きでは、フライドエッグと言い換えても照応になるわけはない。
日本語では英語のFried eggは、ついに表現できないと判らないと日本の人が英語を理解する日はこないのではなかろうか?

文化の相互理解が文化の相互誤解になっているだけですめば、笑い話ですむが日本とアメリカが開戦に至った経緯や例のアメリカ大使館が安倍首相の靖国参拝に驚愕して発した重大な警告の「disappointed」ステートメント

https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/01/02/disappointment/

に端を発した自称他称の「英語がわかる知識人」を中心としたドタバタ喜劇を見ればわかるとおり、社会として英語を理解する能力が根本から欠けていることは、国の安全保障というようなレベルでも社会にとって危険なものになっている。

ただでさえ英語能力の纏足(てんそく)とでも言いたくなるような英文和訳と和文英訳の強制訓練を受けさせられて、自称「英語がわかる」受験戦士のなれのはてに社会の鼻面をひきまわされているところに、今度は「英語ではハウアーユー?なんて誰もいいません」と、多分、「ここでイッパツ頭の悪い日本人たちから大金を稼いじゃろう」ということなのでしょう、語学強盗みたいなアメリカ人が現れたりして、
「母語人がいうことだから」のお墨付きで、あっというまに広まって、気の毒にも慌てて「あれは、とんでもないウソだ」と警告しはじめた英語圏に住む日本人たちの指摘のほうを「おまえが英語ができない出羽守の証拠だ。おれは3年アメリカに住んだが一度もHow are you?なんて聞いたことがないぞ」と冷笑する始末で、ほんとうに3年間いちどもまともな挨拶を聞いたことがないとすると、どんな生活をして、どんな人間と付き合っていたか考えて心配になるが、多分、例えばニュージーランドなら、レジの若いひとびとが、どんなに忙しいときでも客に述べる「How are you?」(←興味深いことに、観光客や留学生が集中する地区のカウントダウンでは店員の側からは挨拶を述べなくて、こちらが挨拶すると、胸をなでおろしたように返事をする、という体験をしたことがある。多分、挨拶を述べても無視されるのが辛いので挨拶をやめてしまったのだと推測される)

むかしは、説明するのがめんどくさいので「すべての翻訳は誤訳だ」と簡単に述べていたが、すると怒濤のように、というべき勢いで、「はてブ」のようなところで
「ニセガイジンのくせにエラソーに、日本の翻訳者の努力をしらないのか」という、チョートンチンカンなコメントがつきまくって、アホらしくなったので言わないで放っておくことにしてあった。
どんなに精確に訳したところで、すべての翻訳は誤訳で、だからこそプロの翻訳者は不可能作業を承知のうえで挑んで苦労している。

日本人の英語能力が根本からダメなのは、メリケンがいつのまにかアメリカンにカタカナ表記が変わったり、あるいは香港人の英語がだんだんひどくなっていることに理由は現れていて、つまりは、学問化してしまったからです。
結果は悲惨で、頭のなかで忙しく英文和訳と和文英訳を繰り返す受験職人の末路にたつ人々と、5年間アメリカ人の夫と結婚生活を送っていて、アクセントだけはまともだがマクドナルドでハンバーガーを注文する程度のことしか英語は出来ない「歩く指さし英会話」のような不思議な人々の二極に分離してしまって、目もあてられないようになっている。

フィンランド語は、おおきく分ければ日本語や韓国語とおなじ膠着語という分類になる、英語とはおおきく異なる言葉で、むかしは英語圏に行くと言葉でひどく苦労して、たしか「リンガフォン」(←昔は日本でも流行っていたらしい)の売り上げも苦労を反映して欧州一だとかなんとかだったはずだが、30代くらいのフィンランド人は、どうかすると英語圏の出身だろうか、と思うくらい英語をふつうに話す人が多い。
具体的には若い建築家、数学研究者、画家という人々のフィンランド人に聞くと、「いやフィンランドでは学校教育をちゃんと大学まで受けるだけで、みんなこのくらい話せる」と口を揃えて、ぶっくらこいてしまうが、それが愛国心の発露でない真実ならば、簡単に、フィンランドの学校教育で行われていることと同じことを日本でもやってみればいいことになる。

英語人からみると、「英語が判らない人」が英語を教えているのが最も不思議で、アクセントや発音についてだけ教える助手が英語人なら、そっちのほうが授業の運営上よいと思う、というカナダ人に会ったことはあるが、授業の運営以前のところで、より深刻で本質的な問題があるように見えます。

世界の変化のペースが遅かった80年代くらいまでなら日本式の「翻訳文化」で辻褄を合わせられなくもなかったのかもしれないが、21世紀にはいると、日本はあきらかに情報社会のなかで孤立して、どんどん置き去りにされて、孤立が深くなるにつれて、「日本は世界の憧れになっている」という、ラーメンファンの増加が日本崇拝者の増加に、そのまま置き換えられているような奇妙な現象が広がっている。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/

いま日本社会に瘴気となって満ちている狂気から抜け出すためには、どうしても踏み出さねばならない第一歩だと思います。

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3 Responses to Do you speak English?

  1. Mikako Makita says:

    I’ve been following you for quite a while and Im very glad you re-opned the “comments” section. Many, many thanks!🙂 (This is like the only place I could leave my direct comments!).
    In parallel to the latest articles, Im also reading your blog from 2008 onwards for quite sometimes now. Im around November 2010 atm, and its been a great read so far.
    Looking forwards to your next articles🙂

  2. 太郎 says:

    日本語を正確に読み書きし文法(そもそも日本語文法は未だに確立されていないようだ。)を理解して書く人が少なくなっているので、「翻訳文化」は以前に増して危機にさらされてのでは。よく知りませんが、19世紀の段階では意味があったのかもしれません。
    英和辞典も間違えてることがあり、翻訳より単純にそのまま読んで考えて書いた方が楽かと。分からない事があったら、English dictionary見て、originとかexample sentencesとか調べるほうがはるかに楽しいとおもいまする。(onlineのOxford Dictionariesはどんどん良くなっている。Cambridgeもあり、めりけんのWebsterも(時にはODより)良く出来ている。)
    Jamesさんのblogなど読んでも、今まで知らなかった英語の話など書いてあるので楽しいです。

  3. じゅら says:

    ガメさんのブログにコメント欄が復活してうれしいです!
    文字数を考えず書けるのはやっぱり気楽ですね。

    現役塾講師の人から最近聞いたのですが、悪名高い「受験英語」、テクニックを突きつめると英語が読めなくても試験には通れるものだそうで。文法などは労力のわりに取れる点数が少ない、言ってしまえば「コスパが悪い」ので、ある水準以下の点数で足りるのなら丸ごと切り捨てる選択もありだとか。つまり、英語が読めなくても英語の試験で点数を取って大学に入ることができる。すごい話だと思いました。私の周りには、「最小の努力で最大の点数」とか、効率の最大化を考え出してしまうととても楽しくなって、追求しちゃう人が多いので、ちょっと話が極端になってるかもしれませんけど。
    実際、私より若い世代の人々で、英語で書かれた本など持ってきてても、実は全然読めてないし理解できてないという事例が増えてきてるそうですよ。伝聞ですが。ごく一部の話だと思いたい…。

    >話すのと書くのは下手だが読むのはダイジョブです

    こんな自称すら過去の話になりつつあるのかもしれません。

    ここ何年かは日本語でさえ、取り落としたパックの中の豆腐みたいにぐずぐずになってるのが目について、心の底から不安になることが多くなってます。読めてるかどうかはともかく、英語にあんまり抵抗を覚えない人間でよかった。
    最近ぐぐったのは「doodle」という単語です。うっかり「ああ、該当日本語はこれか」と片付けそうになって焦りました。十代で叩き込まれる習慣っておそろしい。

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