Daily Archives: April 30, 2016

どうでもいい日乗

  1 韓国式フライドチキンというものをいちど食べてみたいと念願していた。 ドキュメンタリがあるくらいで、韓国では、会社をクビになる人の多さを背景に、人口あたりのフライドチキン店の数が世界でいちばん多いのだという。 ニュージーランドはもともと韓国系移民のプレゼンスがおおきい国で、韓国社会でのフライドチキン店ブームを反映して、オークランドにもいくつか「韓国式フライドチキン」の店が出来ている。 オークランドに住んでいる人のために述べると、例えば、ニューマーケットの駅前のバス停の前に一軒新しい店が出来ています。 チャンスが来た。 オペラを観にやってきたAotea Centreのフードモールに韓国式フライドチキン店があったからです。 おいしそーかなーとテーブルに座ってマンゴーラシを飲みながらチラ見する、わし。モニが、「ガメ、勇気をだして一個買ってくればいいではないか」と激励しておる。 ところが! 厨房でフライドチキンをトレイから一個落っことしたおばちゃんが床から拾いあげたフライドチキンをトレイに戻した! がびーん。 がびーんがびーんがびーん。 おばちゃん、わし、注文できひんやん。 床からもどしちゃ、ダメじゃん。 内田百閒のエッセイに東京駅精養軒の「ボイ」が、注文したリンゴを床に落っことして、そのまま皿にもどして百鬼園先生のテーブルに持ってきたのを見て激怒するところがある。 日本文学のベスト50に入る名場面です。 先生は「せめて、いったん厨房にもどって皿にもどすくらいのレストランとしての誠意を見せろ」と文中、激怒している。 それがウエイタの職業的誠意というものではないのか。 なにくわぬ顔でトレイに戻したフライドチキンを陳列する韓国おばちゃんの顔をみながら、わしは、百閒先生のことを思い出していた。 なんという懐かしい感じがする人だろう。 2 最近ツイッタを介して少しずつ顔見知りになってきた「いまなかだいすけ」が、「辞表だして御堂筋を歩いたとき、嬉しさがこみあげてきた」と書いている。 https://twitter.com/cienowa_otto/status/726251061363625985 ツイッタでは、もっと控えめに反応したが、あれはunderstatementで、現実のわしは、このツイートを読んで涙が止まらなかった。 どんな社会にもいる「自分がボロボロになるまで踏み止まって頑張り続けるひと」の真情が伝わってきたからです。 どこでもドアを開けて、いまなかだいすけがいる大阪に行って、手をとって、 「がんばったね、がんばったね」と言いたかった。 もとより、わしは「頑張ってはいけない」と言い続けていて、社会をよくするためには絶対に頑張ったりするべきでないし、頑張ってしまっては例の「自分という親友」を裏切ることにしかならないが、それと「頑張ってしまう人」への抑えがたいシンパシーとは別である。 自分でも、うまく説明できないが、わしは「頑張ってしまう」人がいつも好きである。 なぜか? それが説明できれば、こんなふうに日本語を書いていない気がする。理由がわからないが、理由がわからなくてもいいことにしてあることのひとつ。 自分の、最もやわらかいところにある、なにか。     3 日本の社会の個人への残酷さを許してはいけない、とおもう。 日本人は偏差値が高い大学を出た人間が当然のように「目下」の人間をみくだすような幼稚な社会習慣をこれ以上もちこしてはならない。 それは人間性に対する冒涜だからですよ。 … Continue reading

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